1. ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ
《ネタバレ》 ネタバレ含みます。ご注意ください。 「シリーズ最高傑作」なんて言葉を使うと逆に信憑性が疑われそうですが(失礼。他意はありません)率直に言って最高でした。『ベイビーわるきゅーれ』が「完成」した気がしました。二作目は「洗練されたけど逆に物足りなくもない」と感じましたが、本作には満足感しかありません。同じく二作目の感想から引用するなら、マジで170kmの豪速球なのに制球力抜群の投手に育った印象です。中でもアクションの進化と深化が止まりません。もともとジャッキー・チェンとUWFのハイブリッドでしたが、更に桃太郎侍と昭和のロボットアニメ最終回もトッピング。"リアリティなんてクソ喰らえ"(暴言失礼)なファンタジームーブは圧巻の一言で、アクション映画におけるエンターテイメントサイドの頂を極めたようにも感じられます。これは単に「格闘シーンの見栄え」を称賛しているのではありません。「気持ち」と「ドラマ」を乗せたアクションだからこそ心が揺さぶられたのです。プロレス的と言っても構いません。そういう意味で本作の殊勲賞は圧倒的な存在感を見せつけた池松壮亮で間違いなく、技能賞は伊澤彩織に、敢闘賞は髙石あかりに差し上げたい。とくに髙石は俳優として一皮も二皮も剥けたと思います。ベビわるファン(そんな略し方はしないですか?)は基本的に深川まひろに魅了されている気がしますが(もしかすると勘違い?)、本作の杉本ちひろに惚れないファンなんて居ないでしょう。コメディエンヌとしてもアクション俳優としても申し分なく、NHK朝ドラヒロイン抜擢も何ら不思議ではありません。これから髙石あかりという逸材が世間に見つかる訳です。胸熱ですな。 「勝利」「友情」「お仕事大変」が三本柱のエセ少年ジャンプのような本シリーズは、アクションだけでなく青春ドラマもコメディパートも素晴らしく、こと本作に至っては欠点らしい欠点が見当たらない「無敵映画」となりました。いや、1点だけ注文を。個人的な好みを言わせてもらうなら最終盤居酒屋での台詞が引っ掛かりました。「らしくない殺し屋」がコンセプトではありますが、二人に『深夜高速』みたいな台詞は言って欲しくなかったなあと。「ボロは着てても心は錦」ではありませんが「ケーキを頬張っても気概は殺し屋」であって欲しいと願います。重箱の隅を突くような言い掛かり、申し訳ありません。 それにしても前作の駆け出し殺し屋ブラザーズといい、本作の最強野良殺し屋といい、愛すべき良キャラクターが1作限りで退場とはなんと贅沢つくりでしょう。作品の性質上仕方ありませんが、本当に勿体無い話です。救いは前田敦子と沖縄マッチョが生き残ったことでしょうか。次回以降も必ず出演してくださいね。 シリーズ続編映画に本サイトの最高点を付けるのは『エイリアン2完全版』以来であり、中毒性は『キック・アス』にも負けません。『チョコレートファイター』で「一食抜いてでも観るべき映画」と書きましたが本作でも同じ事を言わせてください。これらは私の中で最上級の褒め言葉です。 [映画館(邦画)] 10点(2024-11-09 22:12:34) |
2. あまろっく
《ネタバレ》 ネタバレあります。ご注意ください。 本作のハイライトは【私があんたのあまろっくになってやる】です。優子にこの台詞を言わせる為の物語でした。なんと感動的な言葉でしょう。私は撃ち抜かれました。しかし同時に「でも自分の人生を犠牲にするのはあかんやろ!」と猛抗議せずにはいられません(口調は関西弁で)。結末についてはあえて言及しません。未見の方はご自身の目でご確認ください。 本作についてはやはり「リアリティ」に触れざるを得ません。①20歳女性と65歳男性の結婚は許されるのか。②39歳無職女性に同年齢の商社マンは釣り合うのか。③20歳継母と39歳義理の娘との同居は可能なのか。常識的に考えれば全てNOです。お花畑が過ぎます。私自身3人娘の父親なので①については仮に相手がビルゲイツやキムタクであっても論外です。②は「そんなケースがあっていい」とは思うものの、確率はかなり低いと思います。39歳橋本環奈が24歳の牧野ステテコに勝てないのが婚活市場では。③については何でしょう。地獄絵図しか思い浮かびません。今は無き昼メロドラマの呪いでしょうか。しかし本作は愛の物語。あらゆる障壁が無効化される強力魔法が掛けられています。だから常識を持ち出しても意味がありません。これは現実世界も同じ。そういう意味で「愛」は無敵です。 あるいは「多様性を認める社会」という切り口で本作を解釈することも可能でしょう。この概念もまた愛には敵わぬまでも十分強力な魔法です。八百万の神を認める日本人気質にも本来「多様性」は合っている気がします。もっとも本作が上質なのは、これら魔法を物語上の免罪符として利用していないこと。あくまで正攻法で観客の理解を得るよう努めています。好感度オバケの鶴瓶師匠。鯖以上にサバサバしている江口のりこ。キャラクター造形は文句なしで、夢物語に最低限のリアリティを担保しています。ただ一点だけ異を唱えたい箇所あり。それは年の差カップルの馴れ初め。男女を入れ替えれば即訴訟案件なのは間違いなく、コレが許されると思う感覚が古いと思います。 [インターネット(邦画)] 7点(2024-10-09 22:58:02) |
3. 新・三茶のポルターガイスト
《ネタバレ》 以下は私の受け止めであり、あくまで「個人の感想」です。予めご承知おきください。 前作では霊の「手」が出現しましたが、本作では「頭部」「上半身」も姿を現しました。続編らしく現象がちゃんとスケールアップしています。中でも衝撃だったのは『オカルトセブン7★』なるアイドルちゃんのステージに突如として現れた「仮面の男」でした。11人グループなのに「1人増えている!」と現場は騒然。失礼ながらこの時点で爆笑です。と同時に「ガチ」の看板が跡形もなく消えました。この件も含め「不可思議な現象」に対して科学分野の専門家が現場検証を行いましたが、超心理学者も物理学者も見解は「やらせ」で一致しました。「物理学とはあらゆる可能性を排除し構築されてきた理論。もし覆るような発見があれば即ノーベル賞だ」という物理学者の言葉は重いと感じます。 ここで注目したいのは「超常現象」の定義です。科学者は先の言葉のとおり「あらゆる可能性を排除して残った事実」を指すのに対し、オカルト支持者は「不思議な事はオカルトに違いない」でした。印象的だったのは「仮面の男」が消えた跡から「枯れ草」が見つかった件。現場に居合わせた者の共通認識は「多少臭うかも」でしたが、角由紀子氏のみ「あの臭さは異常。ジップロックを何重にもしないと漏れ出てしまう」と語っており「認知バイアス」の存在が伺えました。「呪物は臭い」がオカルト界隈の常識です。あるいは「息を吐くように嘘を付く」症例かもしれませんけど(失敬)。この件に限らずオカルト支持派の主張は主観ばかり。「あんな狭い場所に長時間人が潜むのは困難だ」「この現象を人為的に起こすなら一体いくら経費がかかるのだ」「仕込みがバレたら恥ずかしい。だからヤラセは無い」「スタッフを心霊騒動に巻き込むのは道義的にありえない」などなど。仕舞には「霊が居ないことは証明されていない」です。私の耳には「ギブアップ」に聞こえます。 「客観」の科学VS「主観」のオカルト。双方仮説止まりで誰も核心(物証)へ踏み込もうとしません。武士の情け?ビジネスにおける阿吽の呼吸?いずれにせよイニシアチブは施設所有者&映画制作サイドが握っているため、不完全決着が彼らの意思です。いわば「両者リングアウト」。昭和のプロレスでした。なお今回「水が噴き出る鏡」については完全スルーでした。鏡を外せばトリックの有無は一目瞭然なのに。この一点からも本現象の正体が垣間見えます。 さて、ここからは私が推測する【騒動の顛末】です。【発端はプロモーションも兼ねたオカルト好き社長の些細な悪戯。次第にエスカレートしていき世間にも知れ渡り引き返せなくなった。噂を聞きつけたオカルト界隈や映画制作会社はビジネスチャンスに乗っただけ。真相を知るのは事務所関係者の一部。真相を知らぬ(どうでもよい又は知らぬフリを含む)取り巻き多数。洒落が通じなかった一般人(陣内、デニス含む)が大多数。なお明らかに“やりすぎ”な「仮面の男」は、社長からの「消極的なやらせの告白」ではないか】以上。最後の一文は「匙加減を間違えた過剰なサービス精神」な気もしますが。 前作の私の投稿をお読み頂けると分かりますが「ガチ」であることを少しでも期待した自分を恥じています。「オカルト」に「ガチ」なんて概念は無い事をすっかり忘れていました。UWFでもあるまいに。やはりポイントは「仮面の男」と考えます。あれは「この作品はフィクションです」宣言。街裏ぴんく氏の「女芸人としてやらせてもらってます」と同質のボケです。つまり前作の感想で私が提示した「選択式回答」の答え合わせをすると④が正解でした。ぴんく氏の場合ピン芸人なのでツッコミ不在ですが、映画では科学者がツッコミ役です。しかしながら学者先生は芸人ではないため、まるでキレがありません。だから観客は戸惑うのです。いっそカミナリのたくみ君を連れてきて「こんなのオバケな訳ねえな!」と角由紀子氏の頭をはたけば分かり易くコントが成立しました。東京ホテイソンの「い~や普通にアイドルファンの男子」でも良いでしょう。 冷静に振り返ると最初から「ガチ」の看板など掲げられていなかったのかもしれません。「映画はフィクション。ドキュメンタリーはノンフィクション」という先入観がいけなかった気がします。今回私は劇場鑑賞こそしなかったものの、普段は手を出さない新作レンタルをしています。お値段500円也。社会勉強代としてはリーズナブルと思います。「自分だけは絶対に詐欺に引っ掛からない」は「あり得ない」が身に染みた貴重な体験でした。流石に本作で打ち止めだと思いますが、万が一にも続編で「あらゆる可能性を排除した本物の超常現象」が確認された場合は陳謝して考えを改めると共に点数を変更します。勿論その時はノーベル賞受賞も併せて御祝い申し上げます。 [インターネット(邦画)] 0点(2024-09-16 16:27:56) |
4. 帰ってきた あぶない刑事
《ネタバレ》 『トップガン』『マトリックス』少し前だと『インディージョーンズ』。不思議なタイミングで制作される人気シリーズ映画の続編。本作もそんな映画のひとつです。前作公開から実に8年後。劇中でも同じ月日が流れていました。当然キャストの皆さんもその分御歳を召す訳で、ダンディ鷹山もセクシー大下もはっきり言えばお爺ちゃんです。だって実年齢70オーバーですもの。しかし文句なくスタイリッシュ!期待値を遥かに上回る見事なアクションを見せてくれました。郷ひろみにしてもそうですが、ファンの理想を裏切らぬプロポーションを維持しているだけで本当に凄いと思います。これぞ「スター」で間違いありません。 物語の方は良くも悪くも『あぶない刑事』としか言いようがなく、本来昭和のエンタメ刑事ドラマのスタイル(または様式美)を令和で再現しようとするとこうなるんだろうなという感じ。こう言っては何ですが脚本家の方はさぞ頭を悩ませたことでしょう。元刑事に銃を撃たせるだけでも無理難題どころの話じゃありません。ですから私は二人に銃を渡した力技に対し「そんな訳あるかい!」とは言いません。よくぞ鷹山刑事に「単車ショットガン」シーンを用意してくれたと素直に感謝したいと思います。もちろん浅野温子さんも仲村トオルさんも「らしさ全開」の熱演ありがとう御座いました。 さらなる続編は無いとは思いますが、もし制作されるのであればいっそ「ゾンビもの」へシフトしては如何でしょうか。この世界なら倫理観とかリアリティなんてものに縛られず、自由に銃が撃てますし、あぶデカドラマも違和感なく展開出来るのでは。これ冗談に聞こえるかもしれませんが、割と本気で提案しています。ちょっと想像してみてください。マジでハマると思いませんか? 以下余談。作中若かりし頃のタカ&ユージが出てきますが、当時のTVドラマの映像素材ではなくAI生成CGが使われていた気がしますが気のせいですか?特にミドル鷹山に違和感があったのですが。多分ハリウッドあたりでは当たり前になりつつある技術だと思いますが、いずれ年齢差を理由とする配役吹き替えが無くなるんでしょうか。そうだとすれば正直ちょっと嫌だなと思います。似たイメージの俳優で吹き替えたり、直接顔を映さない演出だったり、今まで培われてきた技術や工夫が失われていくようで少し寂しく感じるのです。究極的には俳優さんも要らなくなる理屈ですし。 [映画館(邦画)] 7点(2024-09-05 19:45:28) |
5. ヒットマン・ロイヤー
《ネタバレ》 「裏の顔は殺し屋」といえばご存じ『必殺仕事人』。『ファブル』もそうかな。洋画だと『デス・ウィッシュ』でブルース・ウィルスが外科医の処刑人を演じています。殺し屋も社会生活があるので表の顔があって当然ですけども。さて本作では「ロイヤー=弁護士」と「ヒットマン=殺し屋」2つの顔を持つ男が主人公です。もっとも「殺し屋」の方は“人斬り以蔵”こと岡田以蔵の末裔だからそう呼称しているだけ。大袈裟な物言いです。実際は証人に刀を突きつけて有利な証言を引き出す程度。その結果、裁判は連戦連勝だそう。公式HPでは「己の正義で悪を裁く」とあります。どうです?やばいでしょ。近年稀にみるヤバさでした。 例えば『必殺仕事人』で留飲が下がるのは、法の裁きが及ばぬ加害者に対し被害者側から正当な罰を与えるから。「公」の機能不全を「私」が代行するとも言えます。あるいは弁護士業とは別件で人殺しをビジネスで請け負うなら犯罪映画として楽しめそう。しかし弁護士の顔で半端な暴力を振るわれても困惑します。どこの六法全書に「暴力を振るっていい」と書いてあるのでしょう。裏金を使う悪徳弁護士と何ら変わりません。そう、主人公は裁判に勝つためなら手段を選ばぬ極悪弁護士でした。それならそのように描けばよいものを「正義」や「悪」なんて言葉を持ち出すからややこしくなるのです。弁護士は依頼人のために働きます。そこにあるのは「利」のみです。あえて「正義」を使いたいなら「依頼人の利益を守ること」でしょうか。じゃあ対立する主張が「悪」ですか?そんな馬鹿な。その都度変わる「正義」を「己が信条」に置き換えるなど土台無理な話です。古美門研介なら白目を剥いて笑うでしょう。「己の正義で悪を裁く」のであれば、依頼人に左右されるロイヤー=弁護士ではなく、ジャッジ=裁判官の方が適任です。ただし弁護士よりずっと害悪な気がしますが。おっと「遠山の金さん」を悪く言うつもりはありません。あれは検事と判事の兼任ですから。 主人公はジェネリックGACTというか、ワイルドつんくというか、要するに眉毛キリリのホスト顔でした。とても弁護士には見えません。というか輩です。やから。と思っていたら案の定物語後半はヤクザの抗争劇にシフトします。何だそりゃ。夜の市街地でひとり悦に入り日本刀を振り回す主人公。銃刀法違反で捕まりますよ。法廷劇も驚きのクオリティでした。ずっと歩きながら論述しますし、常に傍聴人に訴えかけています。単に取材不足というよりもっと本質的な誤解。法廷劇の意味を履き違えているのでは。『リーガルハイ』は土台となるドラマやキャラクターが秀逸だからこそ成立するエンタメですよ。裁判官の許しも得ず延々と弁護士同士で公判を進める様はまるでコントでした。通常ここまでダメ出しを重ねると「でもアクションシーンは良かったですよ」と褒めてバランスを取る良識派の私ですが、本作については言えません。アクションは普通です。伊能昌幸(ラーメン屋)の格闘アクションスキルが高いのは確認済み。彼を有効活用しないなんてホント勿体ないです。よってトホホなVシネマのつもりで「ネタ映画」として鑑賞することをお勧めします。「ネタ映画」としてなら楽しめる(面白がれる)方もいるはずです。 [インターネット(邦画)] 3点(2024-09-04 18:58:31) |
6. ぬけろ、メビウス!!
《ネタバレ》 元服はおよそ15歳。高校卒業なら18歳程度。「巣立ち」は重要なライフイベントのひとつですが、大学進学が過半数の現在そのタイミングは概ね「後ろ倒し」となっています。主人公は24歳。巣立つ年齢として遅くはないですが、彼女はすでに社会人でした。普通なら当該イベントは終了済みのはず。しかし彼女はまだ巣の中に居ました。 タイトルにある「メビウス」とはご存じ「メビウスの輪」のこと。進んでも元の位置に戻る特殊構造を、進路が定まらず停滞している現状に喩えています。また主人公が好意を寄せるイケメン帰国子女エイト君も8を横にしてメビウスです。よってタイトルは「足踏みしている現状とイケメン彼氏から抜け出せ!」という意味です。因みにエイト君パパ&ママのキャラクターは完全に「アメリカンホームドラマ」を揶揄しており、その会話劇は作中随一のお笑いポイントとなっていました。皆さん一緒に「欧米か!」と突っ込んでみましょう。 「全て母親に従って生きてきた」この思いが主人公の自立を阻む根本要因です。彼女自身でそう分析済み。ですから主人公に必要だったのは「自分で決める」という経験でした。本来ならアドバイスを参考に「決断」すればよい話ですが、精神的に未熟だと「従った」のか「自身で決めた」のか判別出来ません。でもアドバイスに反する選択であれば「自分の意思」と実感できるでしょう。往々にしてこの論法により若者は間違うのです。主人公の場合も同じ。彼氏の選択を誤りましたし、たぶん大学受験も・・・。しかし繰り返しますが重要なのは「自分で決めること」です。結果より過程。これは結果が全ての現実社会と正反対の案件。だから物語も受験の合否を見せません。必要ないから。そもそも人生の正解なんて何でも知っている神様でもない限り分かるものですか(あれ?でもカウンターに神様が居ましたか??)何なら誤答を正答に変えるのも自分次第だったりします。だから人生って面白い。 母親は正しく母親でしたし、娘の振る舞いも何ら問題ありません。「このままだと行き詰った時、お母さんを言い訳にしてしまう」と理解しているなら大丈夫。勉強は出来ないかもしれませんが賢い子です。全ては人生を悔いなく終えるために。どうぞ沢山足掻いてください。なお母の言葉「自分のコンプレックスを好きだと言ってくれる人と結婚しなさい」は金言なので、しっかりと心に留め置くと良いでしょう。個人的には元彼に100回土下座をすればよいと思います。彼以上の伴侶を見つけるのは東大合格より難しいでしょう。 巣立ちのドラマとしては大してドラマチックではありません。また主人公のキャラクターも俗物的です。でもだからこそ「自分ごと」として捉えられるのでは。冒頭で「社会人なら巣立っていて当たり前」と書きましたが、本当はそんな事ありません。経済的にも精神的にも自立するのは大変なこと。ある意味「自立しなくても生きていける」のが今の日本社会とも言えます。 多様性の時代ではありますが、ライフイベントには適齢があり順番があります。少なくとも母親はそう考えているでしょう。だから反抗する娘に対し諦めたように「好きにしなさい」と言ったのです。これは「後悔しないのであれば好きにしなさい」という意味。見放したわけでも何でもなく本心だと思います。私も我が子に対して「幸せになって欲しい」と同じくらい「なるべく悔いなく生きて欲しい」と願っています。 [インターネット(邦画)] 7点(2024-09-02 18:22:01) |
7. マッチング
《ネタバレ》 一応「真相」と「犯人」は明かされていますが、不明な個所が多々あります。よって想像も交えながら物語を整理してみます。ネタバレしていますので未見の方はご注意ください。 テーマは「マッチングアプリなんてロクなもんじゃない」ではなく「不倫ダメゼッタイ!」でした。これが殺害動機でもあります。指示役は幼少期に親の不倫で家庭を壊されたマッチングアプリ会社社長。実行犯は特殊清掃員のトムでした。社長はアプリを介して登録者の不貞情報を入手したと思われます。殺された者たちはいずれも不貞を働いていたのでしょう(そんな人間性だから直前にブーケを取替させたり、会食直前にアレルギー情報を伝えたりする)。顔に大きく×を刻まれ、手を固く握り合った状態で殺されたのも不倫の罰という意味です。これら一連の殺人事件のうち、主人公の「恩師夫婦」と「女性同僚」殺害のみ社長自ら実行しました。前者はトムに断られたから(運命の彼女の恩師は殺せない)。後者は口封じのためと推測します。同僚殺しのみ動機が異なりますし、何なら事前に彼女が警察に相談していたらスピード解決していたはずです。もっともトムから決定的な証拠や言質を得ていた訳ではないでしょうが。 社長の憤りの矛先は、原因者たる母の不倫相手=主人公の父親だけでなく、主人公にも向けられました。彼女に罪が無いのは明らかなので、父親の不倫を知らずに真っすぐ育ったのが憎かったのでしょう。彼女に対しては明確な殺意があった訳でなく、トムに邪魔された勢いで凶器を振り上げただけかもしれません。ところで社長は不倫を取り締まる為にマッチングアプリを開発したのでしょうか。それならまるで「ゴキブリ〇ホイホイ」の開発者と同じです。 指示役(首謀者)が逮捕されれば事件は終わり。でも連続殺人は止まりませんでした。そう社長逮捕後の殺人はトムの意思によるもの。動機も同じ「不倫憎し」という気がします。社長の周辺を探るうちに自身のルーツにも辿り着いた捨て子のトム。彼もまた親の不倫の犠牲者であったことを知りました。真相を知ったトムは、社長、いや兄の思いを受け継いだのでは。因みに社長は実行犯について自供しないでしょう。罪は重くなってもなろうとも軽減はあり得ませんから。むしろ「不倫者への罰の執行」をトムが継いでくれるなら好都合とも言えます。社長はトムが弟だとは知らない気がしますがどうでしょう。以上私が考える「一番面白そうな」解釈例でした。社長からトムへ殺人の依頼があった証拠はありませんし、殺害動機についても単なる「猟奇殺人」の可能性もあります。あくまで解釈の一例ですのでご留意ください。 本作を観て「不倫の罪の重さ」がよく分かりました。不倫をした本人よりも家族が苦しむということ。本件の一番の被害者は主人公の母親でした。長年にわたり地獄の苦しみを味わう羽目に。何という理不尽な仕打ちでしょう。この真実を目の当たりにした父親はショックのあまり自ら命を絶ったほど。赤いドレスの女も初めは騙されていたのかもしれません。そういう意味では当時「出会い系掲示板」など無ければ不幸な事件は起きなかったとも言えます。いや悪いのは道具ではなく、使う人ですね。ですから冒頭に戻りますが本作は決して「マッチングアプリ」を否定していません。正しく上手に使えば有益な道具。WEB掲示板もアプリも、幸せになった人は沢山いるでしょう。ただし不幸になった人と天秤に乗せた場合、どちらに傾くかの検証は必要だという気がしますけども。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-08-26 18:17:16) |
8. ラストマイル
《ネタバレ》 ドラマ『アンナチュラル』『MIU404』と繋がるシェアード・ユニバース・ムービーだそう。うーん何このオシャレカタカナ。要するに同一世界線ということです。両ドラマのサブキャストが申し訳程度に出演しているのかと思いきや然にあらず。石原さとみや星野源にも台詞ありの出血大サービス!(注:慣用句です)特に『アンナチュラル』チームの方はストーリー上重要な役回りを担っていました。「まさにTBSドラマのアベンジャーズや〜」と彦摩呂風の軽口を叩きそうになりますが、そんなフザケたノリでは全然無くて。極めてシリアスな骨太社会派ドラマでありました。それでいてエンターテイメント性にも優れています。ミステリーとしてもサスペンスとしても上質ですが、何よりヒューマンドラマとして見応えがありました。敬意をもって「人」が描かれており好感。主人公が容疑者を検索で絞り込み特定した際「ビンゴ!」ではなく「見つけた」と静かに口にした時点でこの映画を信用してよいと判断しました。 企業と顧客。発注元と下請け。会社と個人。そして加害者と被害者。立場が変われば正義も変わる。いや正義ではなく「免罪符」あるいは「言い訳」かもしれません。もちろん利益を追求するのは悪ではありません。勝つ事も大事。ですが勝ち過ぎはいけません。人類が選択すべき最高の戦略は「共存共栄」に違いありません。この事件を通じて主人公が感じたこと、企業人としての決断にどうぞ胸を熱くしてください。彼女の服色の変化にも注目です。そして爆弾テロの最終的な死者数とその内訳にも涙してください。私は『MIU404』は観ていませんが、少なくとも『アンナチュラル』が好きな方なら大満足出来るはずです。正直タイトルも舞台設定もイマイチ分かり難く地味な印象がありましたが、本当に良い映画でした。シネコンで「時間が合うから」で選んだのが申し訳無いくらい。皆さんはこの映画を観るために劇場へ足をお運びください。 [映画館(邦画)] 8点(2024-08-24 08:53:50)(良:1票) |
9. ミンナのウタ
《ネタバレ》 ネタバレしています。未見の方はご注意ください。 都市伝説的に有名な『暗い日曜日』や邦画ホラー『伝染歌』など、歌うと死ぬ系のギミックは既に存在しますが、本作の場合「歌うと消える」でした。とはいえホラーですから「消える=死」だと理解していましたが、一件落着後「現れる」というミラクルな着地を見せます。そのため作中現在進行エピソードでの死者数はゼロでした。これは『GENERATIOS from EXILE TRIBE』という人気アーティストを本人役で主演に配した影響であり、完全にネタバレですがGENERATIOSのリアルライブシーンで終幕します。そう所謂『アイドルホラー』ジャンルの作品。これは冒頭に記した『伝染歌』(AKB48)や本作出演の早見あかりが在籍したももいろクローバーの『シロメ』と同ジャンルということ。そもそもファン向けのアイドル映画ですからファンが納得すればそれで良く、あまり外野がとやかく言う筋合いはありません。ですが、とやかく言います。そういう趣旨のサイトなので。 一言でいってしまえば「トンチキホラー」です。決して正統派ホラーではありません。でもこれが「面白い」のです。この「面白い」には「笑える」と「ホラーとして楽しめる」の2通りの意味があります。前者については何といっても「劇中リアルカラオケ」が挙げられるでしょう。唐突に始まるGENERATIOS楽曲のカラオケ風ムービー。主演はマキタスポーツ。ホテルの夜景。ちゃんと画面に歌詞まで出ます。このスカシ(ギャグ)が秀逸でサスペンスで重要とされる「緩和剤」の役目を果たしていました。当然「こんなのフザけてる!」と立腹される方が居るかもしれませんが、そもそも「トンチキホラー」なので言うだけ損です。それよりも一人だけドラマ不参加メンバーが居ることを問題視しましょう。スケジュールの都合かな?ゴネたのかな?理由は分かりませんがライブシーンのみの出演でした。私は逆に滅茶苦茶ウケましたが、そのメンバーのファンだったらどう思うのでしょうか。気になるところです。後者については意外と言ったら失礼ですがホラーとしてちゃんと怖かったのです。演出面で際立っていたのは「はーい」のところ。これは同監督の『呪怨 白い老女』でも使用されているフォーマットで、その構造を理解していても鳥肌でした。掃除機のコードにしてもそうですが、日常風景の些細な違和感に由来する恐怖に私自身殊更弱いようです。設定面ではタイトルに隠された真の意味に震撼しました。これは相当にエグいでしょう。呪いの歌のメロディはキャッチ―で覚えやすいものの、すぐに忘れられるのが有難い。実生活に影響しません。もっともこれは私の加齢による効果かもしれませんけど。 「そもそも呪いのトリガーって何?」「みんなちゃんと歌を聞いていましたか?」「弟はどうやって殺されたの?」「呪い殺すより時空を歪ませる方がずっと大変な気がしますけど」等々。疑問点を指摘し出したらキリがありませんが、そこは「トンチキホラー」なので言ったら負けです。「トンチキホラー」最恐ではありませんが最強かも。 観終えてみればショッキングシーン控えめのマイルドな仕上がりで、デートムービーとしての実用性もあり。ホントか?GENERATIOSのファンは勿論、それ以外でも「トンチキホラー」を笑って許せる御方であれば(そこそこ)楽しめる映画ではないでしょうか。少なくとも私は嫌いではありません。ところで「みんなのうた」だと某SASの楽曲が思い起こされますが、カタナカ表記にすることで著作権的な話はクリアになるのでしょうか。いっそエンディングテーマに採用してくれたらアッパレだったと思いますがLDHが許しませんか?点数は4点~6点が妥当だと思いますが、本作についてはももクロちゃん加点が適応されます。 [インターネット(邦画)] 7点(2024-08-20 18:15:37) |
10. 忌怪島/きかいじま
《ネタバレ》 記載したのは「こう考えると面白いのでは」な解釈の一例です。決して正答ではありませんのでご承知おきください。またネタバレしております。未見の方はご注意ください。ちなみにこの手の長文解釈作品は「すごく面白くて興奮した」か「いまいちなので自力で楽しんだ」のいずれかのパターン。どちらに該当するかは点数でご判断ください。 私最大の関心事はラストの解釈でした。「少女は何故自死したのか」ということ。この点を念頭に物語を整理してみます。 チーム・シンセカイが創り上げた仮想空間は、実在する離島をスキャンして作り上げたもの。視覚だけでなく風や匂い音など全てが完全再現されていました。リアルさを追求するため島のあらゆるデータを隅々まで取り込んだのでしょう。その中には島民(協力者)の脳内データも含まれていました。主人公の仮想空間での登録ナンバーが「4」であることから協力者は「3人」と推測できます。冒頭で死んだ園田、お世話係の老人、そして女子中学生。老人の脳内データ(記憶、知識、感情等)が元となって忌女(漢字だとこうですよね)が顕現したと考えられます。注意したいのは「霊があの世から戻ってきた」ではなく「脳内データから再構築された」ということ。シャーマンが話す「あの世」が仮想空間と酷似していることから前者と錯覚しそうですがミスリードと感じました。老人がこの「違い」を理解していたかどうか不明ですが、少なくとも自身が忌女を出現させた自覚はあったはず。だから彼は厄災を引き起こした自責の念に駆られて自殺したのでしょう。 さて、ここで冒頭の「少女の自死」に戻ります。作中自死したのは老人と少女のみ。なら理由も同じでは。つまり彼女も責任を感じて自殺したのでは。いみじくも老人と同じ唄を歌った直後の出来事でした。更にこの説をエピローグが裏付けます。フェリーに乗船する2人の背後に忌女の気配。でも女は鳥居を焼いた際に消滅したはず。しかし別の忌女が居たとしたらどうでしょう。忌女が脳内データで再構築されるのなら、老人以外の脳内データで再構築されていても不思議ではありません。少女もまた厄災の発端となったひとりかも。とここまで書いておいてなんですが見当違いです。というより少女は自死していません。少なくとも自殺したのはアバターでした。現世で焼失した海中鳥居が存在しているので仮想空間の出来事。もちろん現世の少女が仮想空間に再入室した可能性は否定できませんが、手引きする人はもう居ません。よってラストに自殺した少女のアバターは「読み込み済み過去データ」と推測します。この時点で少女は忌女の厄災を知らぬはず。彼女のアバターが死を選んだ理由は何でしょうか。 ここで主人公が理想とした仮想空間とはどんな世界だったのか振り返ってみます。其処は他人と関わらなくてよい場所。見る景色は変わらないのに、人だけが居ない町。初対面の主人公に物おじせず話しかけ、村八分の老人と交流していた「人間大好き」な少女にとって地獄では。そう彼女(のアバター)は孤独に耐えられず自殺したのではないか。そんな馬鹿なという気もしますが、彼女にはウイルソンが居ないのです。たとえば『あつ森』にもう何年もログインしていないなんて人はいませんか。〇〇島の「あなた」はちゃんと生きていますか。 最後に、エンディングで2人が向かった先について。これはかっぱ堰さんがご指摘のように「あの世」と解釈するのが正しい気がしますが、もしかすると「現世」かもしれません。いずれにせよフェリーに乗り込んでいたのはアバターであり、彼らが今いる世界は仮想空間です(海中鳥居と腕のナンバーで判断)。仮想空間とはおそらく現世とあの世の中間に位置する世界。アクセス良好なのは忌女が証明済み。彼らが向かった先が「あの世」と考えるか「現世」と捉えるかで物語の余韻は大きく変わります。 [CS・衛星(邦画)] 5点(2024-08-16 18:20:49) |
11. 夜明けまでバス停で
《ネタバレ》 時代設定がコロナ禍の作品は観たことがありますが「コロナ禍」自体をテーマとした映画は初めてでした。職を失い、住むことろを失い、追い詰められた主人公が辿り着いた境地に身震いしました。どんな善人であろうと「貧すれば鈍す」ということ。柄本明が言う「社会の底が抜けた」は弱者だけでなく全ての人にとっての「緊急事態」を意味しました。「私が幸せならばそれでいい」は通用しません。「情けは人の為ならず」とはよく言ったもの。多くの人が幸せに暮らせることが、結局は自分自身の利益に繋がるのだと思います。そういう意味で本作の主張は政治批判も含め共感出来る部分はありました。ただ両手を挙げて賛同はできません。主人公の罪は窮地に助けを求めなかったこと。友人に、家族に、政府に、何故助けを求めないのでしょう。弱みを見せられない性格?プライドが邪魔をする?それが理由になるのは精々未成年まで。「神は自ら助くる者を助く」とは言いますが、助けを求めることは恥でも何でもありません。助けてもらった分、次は助けてあげればよいだけ。この世は持ちつ持たれつですから。「黙って動けぬ者も含めて困窮者は全員助けるべき」が理想かもしれませんが、よほど社会に余力がない限り無理な話。そんな余力があるなら、そもそも底は抜けていない訳ですし。ただ最後に物言わぬ主人公が救われたのは奇跡ではありません。あれこそ「情けは人の為ならず」の成果。かけた情けが戻って来たと捉えて良い気がします。さて大切なのは「機」を逃さぬこと。彼女が手にした(たぶん)30万円は、人生を立て直すに可能な原資と考えます。作るのは爆弾ではなく「居場所」です。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-08-05 00:13:37) |
12. ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー
《ネタバレ》 物語の構成は前作とほぼ変わりません。【起】掴みはアクション【承】ゆるゆる日常生活【転】敵との抗争【結】ド派手な格闘で決着。何なら決め技まで同じ。『男はつらいよ』と見紛う定型文です。でもよく考えてみれば『ミッション:インポッシブル』だって似たようなもの。ここは洗練されたフォーマットと捉えましょう。 一般的に続編は「パワーアップ」を旨とします。本作も例外ではなく、コメディと青春ドラマが強化されました。しかし反面、敵のグレードはダウン。これは「駆け出し殺し屋兄弟」をメインゲストに迎えた影響ですが、一部要素とはいえ弱体化したのは意外でした。もっとも敵の戦闘力ばかり追求し出すとインフレを起こし、いずれ行き詰まります。敵の「強さ」ではなく「タイプ」に着目した判断は賢明だったと考えます。事実アクションは見応え十分でした。動き続ける銃撃戦や格闘ムーブは、リアリティを放棄したからこそ辿り着いた境地。胸が躍りました。エンタメ至上主義の“魅せる”アクションが『ベイビーわるきゅーれ』の生命線であります。 強化ポイント、コメディと青春ドラマについても触れておきましょう。まずコメディから。もともとナチュラル脱力系の笑いでしたが、本作では主役2人の役割(ボケとぼんやり)が明確になり積極的に笑いを取りに行く姿勢が示されました。手薄であったサブキャラにも新顔を入れシリーズ映画としての体裁を整えた感があります。コメディセンスが万人ウケするとは思えませんが、個人的には渡辺哲に『ビジュ爆発』と言わせただけで優勝でした。青春ドラマについては、まひろの台詞『私に賭けろ。杉本ちさと』に痺れましたが、大部分は「ビギナーアサシンブラザーズ」のお手柄と言っていいでしょう。喧嘩、いやスポーツ感覚での殺し合いは、不謹慎ながら「青春」そのもの。大変な良キャラで殺してしまうには惜しい逸材でした。少年マンガなら敵から味方への鞍替えするパターンかと。結末の表現をみるにその可能性はゼロでは無さそう。リアリティよりエンターテイメント性を重視している作品ゆえ、密かに彼らの復活を期待しています。 総じて前作より観易くなったと感じました。つまり娯楽作品として大衆性を身に着けたということ。これは前作の感想で指摘したポイントであり歓迎すべき変化ですが、前作が「思わず10点を付けかけた8点」であるのに対し、本作は「7点以下にはならないが9点10点にもならない8点」とニュアンスに違いがあります。喩えるなら前作が「球速160㎞の荒れ球投手」で本作が「制球力ある150㎞投手」。後者の方が優秀ですが、浪漫があるのは前者だったりもします。贅沢なお願いで恐縮ですが、本シリーズには制球力ある170㎞投手を目指して頂きたいです。 TV連ドラ『エブリデイ!』に劇場3作目『ナイスデイズ』も控えており、ビジュならぬ人気爆発している本シリーズ。嬉しい限り。ナイスデイズのキャッチコピーなんて無視してじゃんじゃん続編をつくってください。期待しています。 [インターネット(邦画)] 8点(2024-07-29 20:56:13) |
13. ルックバック
《ネタバレ》 ネタバレ厳禁映画です。「評判良さそう、どんな感じかな」で本サイトを開いた方は速やかに閉じることを強くおすすめします(管理人様勝手なことを言ってすみません)。すぐに劇場でご覧ください。劇場公開が終了している場合は、DVDでもサブスクでも構いません。観てください。観終えてから再度ご訪問いただければ幸いです。 ※劇場鑑賞後すぐに勢いで「推敲なし」で投稿しましたが、文才皆無のため「何を言いたいのか分からない」状態でした。申し訳ございません。『嫌われ松子の一生』で懲りたはずなのに同じ過ちを犯すとは。面目ない限り。鑑賞後数日経ち、少し落ち着き思考も整理されてきたので改めて投稿し直します。 本作で激しく心を揺さぶられたポイントは3つです。ひとつ目は「努力が報われたこと」そしてふたつ目は「理解者を得たこと」。この二つは同時にやってきました。藤野と京本が初めて顔を合わせた場面。まさに盆と正月が一緒に来たとはこのこと。そっけない態度とは裏腹に藤野の心は狂喜乱舞しました。この時の「表現」は日本アニメ史上に残る名シーンであります。生涯忘れえぬ感動は、漫画連載が決まった時より、アニメ化が決定した時よりずっと大きなものだったでしょう。この「思い出」だけで生きていけるほどに。恥ずかしながらもらい泣きです。何故これほど感動的なのか。それはこの二つを得るのが至難の業だからです。一度も手にせぬまま人生を終える人も多いはず。残念ながら今の私もその一人であります。勿論この感動は京本にも当てはまりました。あるいは彼女の場合は藤野以上かもしれません。「人生の転機」となる出会い。固く閉じていた未来への扉が開いた瞬間でした。陳腐な表現ですが「魂の片割れを見つける」とはこういう事かもしれません。 3つ目に心揺さぶられたのは言わずもがな。京本を襲った悲劇です。私はかねてより「人が死ぬから悲しい物語」は嫌いでした。その思いは基本今でも変わりません。しかし年を重ねて少し心境が変化した気がします。それは「死」が決して「特別なもの」ではない事を知ったからです。今日と同じ明日が来る保証など誰にもありません。死は唐突に訪れるものであり、往々にして理不尽なもの。これが世の道理です。物語だから死を避けるのも不合理では。 藤野は当初京本を外に連れ出した自分を責めましたが、彼女に非が無いのは言うまでもありません。もちろん彼女も頭では理解しているでしょう。でも心が追い付かない。そんな彼女に見せた幻が「ifの未来」でした。藤野が漫画を諦め、空手に勤しんだ未来。京本を襲った悲劇を回避できた未来。もしかしたら本当に「別の未来」が存在するのかもしれません。それは誰にも分からないし、知る術もありません。「死期」と同じ。だから私たちに出来るのは、真摯に自分の生と向き合うことのみ。自分がやれること、やりたいこと、やるべきことをする。それだけ。京本もそうして生きてきたのです。 良き人との出会いは「幸運」であり、別れは悲しいですが「必然」です。断言できるのは「努力が報われ」「理解者を得た」人生が「この上なく素晴らしい」こと。これだけは、絶対に、間違いありません。 [映画館(邦画)] 10点(2024-07-15 13:01:06)(良:3票) |
14. スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼
《ネタバレ》 『スマホを落としただけなのに』のその後を描く続編。前作主演の二人が冒頭顔見せしてくれた時点でシリーズものとして誠実ですし、キーマンだった加賀谷刑事(千葉雄大)が本作の主人公を務める点も違和感がありません。投獄中の殺人鬼・浦野(成田凌)を軸に物語は進行しました。比較されて勝ち目などない『羊たちの沈黙』パターンに一抹の不安を覚えたものの、前述したキャスティング含め極めて正攻法の続編であり、期待こそしていませんでしたが(前作は5点)、概ね好感を持って鑑賞出来たと思います。ただ「思っていたのとは違う」いや「全然違う」でした。これは多くの観客が抱いた感想と思われ、平均点低下にも繋がっている気がします。ただしこれは"勝手に期待して裏切られた気分になった"とも言えます。サスペンスと決めつけた私の早とちり。本作は『羊たちの沈黙』パロディであり、悪ふざけ系コメディという認識が正しいかと。アルピー平子のあり得ない死に方、アキラ100%の「逆に不安にさせましたか。履いてますよ」等きちんとヒントは出ていました。奈緒、江口のりこといった主演級俳優の無駄遣い。車が多数駐車されているPAに人っ子1人居ない不自然さ。彼氏の親子関係に無神経にも口出しする彼女(白石麻衣)のお花畑ぶり。そして何よりラスト。唐突に提供された「スマホを落としただけなのに」エピソードに震撼しました。シリーズタイトルは屋号と同じ。今回はスマホを落としてないじゃんなんて誰も言いませんよ。和菓子の名店『虎屋』が肉食動物を売ってないのは詐欺だなんて思わないでしょ。どれもこれもサスペンスだと思うから脱力する訳で、コメディならば成立するのです。その観点で評価し直すなら、割と良く出来ていると思えなくもありません。全ては浦野の掌の上。という訳で前作同様5点を進呈いたします。どうやらシリーズ3作目の公開も控えている様子。奈緒、江口のりこが続投でまた端役だったらコメディ濃厚でしょう。いやいや決めつけはいけませんね。シリーズ映画でもフラットな鑑賞姿勢で臨まなければならない事を本作は教えてくれています。 [インターネット(邦画)] 5点(2024-07-14 23:49:19) |
15. みなに幸あれ
《ネタバレ》 以下私なりの解釈です。誤読ご容赦ください。また未見の方はご注意ください。 「生命を脅かすもの」や「理解できないもの」に対して私たちは恐怖を覚えます。本作は後者のタイプ。徹底して意味不明な展開に終始しており所謂「不条理系ホラー」に該当しました。ただ解釈は可能です。テーマはおそらく「年金制度」かと。「納税」や「国民皆保険」でもおおよそ当てはまりそうですが「老婆の出産」が判断の決め手となりました。 年金は世代間扶助。高齢者を現役世代が支える社会保障制度です。この観点で解釈を試みると物語は実にクリアとなります。横断歩道を渡る老婆への若者の気遣いは「年金制度」の理念を示していますし、生贄が中年男性から若者へ変わったのも昨今の社会情勢を反映したもの。そして前述した「老婆の出産」。ご丁寧にも分娩する老婆を大人2人が馬となって支えています。もちろん老婆が出産できるはずもなく『いくら高齢者を手厚く支援したところで喫緊の課題「少子化問題」など解決しませんよ』という強烈な皮肉が見て取れます。ちなみに世捨て人となった伯母さんは国民年金未払い者。社会不適合者の末路は哀れでした。主人公を「制度の主旨を理解せず批判だけする者」と捉えると、家族を含めた彼女の周りの冷ややかな反応も腑に落ちます。お気持ちで現状を否定するだけならば、彼女は確かに「お花畑」かもしれません。 年金制度を「誰かの不幸の元に成り立つ幸せ」と断じてしまうのは流石に暴論です。しかしそう言いたくなる気持ちも分からないでもありません。制度が破綻して血を流すのは受益者も負担者も同じ。それなのに皆他人事。危機感の欠如こそ最上級のホラーであります。目と口を塞がれ搾取される現状は、やはり正常とは言えません。たぶん年金制度自体は崩壊しないでしょうが、大きく様変わりし割を食う世代が出るのは必定です。それでも社会保障を維持する恩恵は一般大衆にとって絶大であり、ドロップアウトした伯母に比べれば「圧倒的にマシ」という現実は動きません。釈然としなくとも、これが「最大幸約数」なのです。この事実を受け入れることが「大人になる」なのでしょう。そんな大人になりたかったか?と問われると口籠ってしまいますが。幸いにも私たちに「最大幸約数」を増やす手立ては残されています。行きましょう。選挙。 解釈しない素の状態では「不条理ホラー」。解釈を加えると「風刺コメディ」に変化する二面性を持った作品(「パンケーキ食べたい」はコメディ宣言でよろしいのですよね)。まるで食べている途中で味変できるラーメンのよう。なかなか凝った意欲作だと思いますが、味変したラーメンが元に戻らないように解釈を試みた後はホラーには戻れません。そういう意味ではホラー直球勝負でも良かった気がします。画作りや演出のセンスを見るに監督に「ホラー適正あり」と判断しました。何より古川琴音さんのホラー適正が◎ですし(偉そうですみません)。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-07-02 18:22:47)(良:1票) |
16. 鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎
《ネタバレ》 『ゲゲゲの鬼太郎』は言わずと知れた国民的アニメ(漫画)ですが、『ドラえもん』や『サザエさん』のように長年に渡り継続してTV放送されてはいません。1968年に初めてTVアニメ化されて以降、1970年代、80年代、90年代、2000年代、2010年代とコンスタントにアニメシリーズが制作されてきた珍しいタイプの作品であります。日本で育った人なら誰もがどれかのシリーズに見覚えがあるのでは。先日『ブラッシュアップライフ』でお馴染み、子役の長尾柚乃ちゃんが鬼太郎のべとべとさんが好きだと言っていて驚きました。なんと幅広い年代から愛されているのでしょう。そんな大人気アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』は年代固定制を採用していないため、シリーズごとに社会背景が異なり世界観やキャラ設定も変化している気がします。思い描く「鬼太郎像」は世代によって違うでしょう。更に摩訶不思議なのは、鬼太郎や目玉の親父、ねずみ男等のキャラクターは有名でも、鬼太郎が何者なのか、彼の目的は何なのかはあまり知られていないような。かく言う私もごにょごにょしてしまいます。有名人なのに実は何者か分からない、そう鬼太郎はまさにアニメ界の「金太郎」なのです(あるいは某ファビュラス姉妹。こちらの方が妖怪っぽいか。コラ。いや美しさが異次元という意味です)。そこで本作。鬼太郎誕生の前日譚とのこと。鬼太郎ファン積年の謎(あるいは単なる勉強不足)が解消される待望のエピソードゼロでありました。時は昭和31年。敗戦の傷跡癒えぬ日本。とある田舎が舞台の妖怪奇譚。設定だけならトトロと大差ありませんが、纏う空気は真逆でした。荒廃したのは社会だけでなく人の心も同じか。終始切なく息苦しく、私が知る「ゲゲゲの鬼太郎」とはまるで別物でした。完全に大人向け仕様。でもこれが鬼太郎の本質なのでしょう。喩えるなら〇露丸の如し。私が処方されてきたのはさしずめ正〇丸糖衣Aというわけ。とはいえ、本作も糖衣が全て除去されたガチ正露〇ではなく十分オブラートに包まれていました。だからシリアスな内容に反して観易かったのでしょう。個人的には市川崑監督に本エピソードを実写映画化して欲しいですが、無理なので堤幸彦監督にお願いしたい。悪ふざけが過ぎますか? [インターネット(邦画)] 8点(2024-06-13 18:55:05)(笑:1票) |
17. あの頃。
《ネタバレ》 「心穏やかに満足して死ぬこと」が人生の目的とするなら、彼の死に様はひとつの理想形だと思います。あれだけ多くの仲間に囲まれ、笑って送り出して貰えるなんて幸せなこと。人生の最期が好きなアイドルの曲と一緒なら尚更でしょう。良くもないが悪くもない。充分です。上等です。私はそう思います。 因みに本作は『恋ING』の為の映画。いや『恋ING』を皆さんに知ってもらう為の映画でもありました。素晴らしい楽曲は歌う人を選びません。 [インターネット(邦画)] 7点(2024-06-09 17:54:02) |
18. 三茶のポルターガイスト
《ネタバレ》 CGやらせ一切無し。ガチのドキュメンタリーだそう。つまり本作に収録されているポルターガイスト現象ほか所謂「霊障」は全て実際に起きた出来事とアナウンスされています。はてさて困りました。本当に信じてよいのでしょうか。私の感覚は以下のとおり。 ①騙すつもりの完全フェイク。確率10%。川口浩探検隊やミスターマリックの超魔術が堂々と放送されていた昭和ならいざ知らず、コンプライアンス至上主義の令和にフェイクをホンモノと偽るのはリスクが高そう。洒落が通じる時代は終ったと感じます。注:例示の番組で大人は騙されていないでしょうが、子どもは普通に騙されていました(私だけ?!) ②片八百長。確率30%。出演者(あるいは制作陣も含め)真実を知らされていないが、実はトリックありのパターン。 ③まじでホンモノ。確率30%。浪漫、期待値も込めてやや高めの設定。でも信じるに値するものが無いのが辛い。本作の現象をトリック(CGやマジックなど)で再現するのは容易いですから。 ④騙すつもりのない完全フェイク。またの名を街裏ぴんく方式。確率30%。ぴんく氏が漫談冒頭で放つ「女芸人としてやらせてもらってます」と、はっきり映る白い「人間の手」は同義なのでは。この場合ぴんく氏が「うそうそ本当は男芸人ですよ」と言わないのと同じ理屈で劇中タネ明かしはありません。さじ加減を間違えたモキュメンタリーとも言えます。 結局のところ何を、いや「誰を」信じるかに尽きるかと。骨董の目利きに同じ。素人は専門家の意見を聴き、信用に値するか判断するのみ。そういう意味では「心霊現象の目利き」が不在だったのが残念でした。本作に関わっているのはオカルト畑の人たちばかり。公正な目を持っているとは言い難い。この人たちにとっては通常のビジネス案件ですから。流石に胡散臭いと感じるのが一般的な感覚では。なお一部専門家(マジシャン、内装業など)の意見聴取がありましたが、彼らがお金で転ばぬ人である確証はありませんし、何なら本物の専門家かどうかさえ疑わしい(ごめんね)。反オカルト派による科学的検証が必須と考えます。それでもなお「ホンモノ」と主張されるのであれば、それはもう映画で小金を儲けている場合ではなく、ちゃんと学問として研究しましょうという話。幽霊なのか、妖怪なのか、はたまた異次元の人間なのか。これまでの常識が覆ったら興奮しますよね。もうすぐ続編が公開されるそうですし、科学的検証もなされる模様。両者リングアウトのような有耶無耶な形でお茶を濁すことなく、完全決着を期待いたします。なお上記④の場合は種明かしをお願いします。 ちなみに全く怖くありませんので、ホラーが苦手な方でも大丈夫だと思います(無責任発言失礼)。 [インターネット(邦画)] 5点(2024-05-28 20:05:10)(良:1票) |
19. 戦慄怪奇ワールド コワすぎ!
《ネタバレ》 邦画モキュメンタリーホラーの第一人者、白石晃士監督作品。聞けばOVシリーズの劇場版だそうで。白石監督といえば、個人的にはZが付く前のももクロちゃんが『シロメ』でお世話になっており大変感謝しておりますが、作品の評価はまた別の話。積極的に探して観る程ファンではなくずっとナチュラルにスルーし続けてきました。今回鑑賞したのはたまたま。観終えてから監督名を確認した次第です。 率直な感想は予想以上に面白い。いや一周して面白い!でしょうか。 POVモキュメンタリーなのにしっかりオカルトSF。劇場版プリキュア要素までぶち込む悪ふざけ。胡散臭いのにドラマは熱いという謎仕様。さらにツッコミ待ちのボケなのか奇妙な描写がちらほらと。 例えば赤い女。手に持つ武器は何処で手に入れたのですか?ナタや包丁ならいざ知らず、ククリナイフってマニアックな。黒い男の所持品を奪ったのでしょうか。ちなみにアップで刃があるようには見えず、毎度事件でお馴染み「バールのようなもの」ならぬ「ククリナイフのようなもの」の可能性あり。服を切ってたから刃があるって?刃があっても、あれで服が切れるわけないですやん。ウソですやん。むしろ赤い女の超能力ですやん。「ククリナイ フ」ではなく「ククリナイフのようなもの」だとするとコスプレのプロップか何か。このあたりはフェイクとはいえドキュメンタリーなら拘って欲しい細部かと。でも武器にならない武器を持っていると思えば、赤い女がより不憫に見えるかもしれません。極めつけは宙に浮かぶ異型の者。おそらく赤い女が宿したものの、産まれ落ちる事なくこの世を去り物の怪に転生した子。赤い女と共に次元の狭間を彷徨う内に世界を破滅させるほどの力を身に着けたのでしょう。うーん。何だそりゃ。ここで問題なのはビジュアル面のクオリティです。ディープフェイクで本物と見紛う偽動画が出回る昨今、あまりと言えばあまりな出来栄え。単に低予算だからでは済まされぬ監督の明確な意思を感じずにはいられません。かつて『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』がガチ過ぎて本物か偽物か物議を醸した事を反面教師に、一見して偽物と判別できる低品質なCGをあえて採用しているのだとしたら・・・。監督の高いコンプライアンス意識に脱帽するより他ありません。要するにエンターテイメント万歳ってことです。ストレートにホラーとして楽しむ(怖がる)のではなく、斜に構えて面白がる作品なのは間違いなさそう。それがモキュメンタリーホラーの正しい鑑賞作法であります。 [インターネット(吹替)] 7点(2024-05-25 19:27:42)(良:1票) |
20. 宮松と山下
《ネタバレ》 香川照之が記憶喪失の役者というとまるっきり『鍵泥棒のメソッド』ですが、本作の場合コメディ要素は皆無です。淡々と綴られる日常。その全てが映画の中のよう。なぜ男は記憶を失ったのか。というより、なぜ記憶を失う必要があったのか。不意に、いやいや、訪れるべくして訪れた「宮松が山下を取り戻す瞬間」をどうぞ見逃さないでください。さすが名優香川照之の演技力。必見です。 ところで主人公の犯した「罪」の重さとは如何ほどでしょうか。法律というより倫理の領分。状況がいまいち不明ゆえ観客が審判を下すことは出来かねますが、少なくとも男にとってはリセットボタンを押したくなる程に罪の意識があったのは間違いないでしょう。記憶を失っていた12年はいわば懲役刑のようなものか。いや現状から逃げ出し自身の罪と向き合っていない以上罪を贖ったとは言えませんし、そもそも罪は消えません。そういう意味では12年の歳月は懲役ではなく執行猶予期間が正しいかもしれません。ただ、そうであったとしても12年は長い。誰かが「大抵の問題は時間が解決する」と言っていた気がしますが本当にそう。究極的には寿命が来ればご破算ですし。山下が言う「家族の問題」は兄が不在の間に自然と解決したように見えます。実際のところは分かりませんけども。ただ傍目からみる分にはこれで正解だと思いますし、宮松も納得している気がします。 それにしても記憶喪失で役者を志す思考回路が興味深い。消えたアイデンティティを探す感覚でしょうか。あるいは自分が無いから何者にでもなれる理屈でしょうか。正直宮松は役者としては三流ですが、過去を取り戻した今、一皮も二皮も剥ける可能性大かと。やはり土台があってこそ人は跳べるのです。 [インターネット(邦画)] 7点(2024-05-21 20:15:05) |