1. さよなら ほやマン
《ネタバレ》 ホヤは幼体期には自由に海中を泳ぎ回るものの、成体になると岩などに付着し移動力を失うと同時に脳も無くなるそう。劇中明確に示唆されるように「人の一生」になぞられます。島から出たことが無いお婆さん然り、主人公兄弟然り。 一般的には成人になるまでに見聞を広め様々な体験を積むことを推奨されます。多様な価値観に触れ自身の器(キャパシティ)を大きくするのが肝要で、人生の選択肢が広がるばかりか苦難への耐性や対処法も身に付くので良いこと尽くめ。昔から「かわいい子には旅をさせよ」とも言いますし。ただこれは、あくまで理想論です。泳ぎ出せない者もいれば、目の前の大海に気づけない者もいる。お婆さんの言葉「これで良かったと思い込むしかない」「ばばあだって悩みながら生きている」に胸が痛みます。旅に出られる環境自体が恵まれているのです。ただしこの言葉をもってお婆さんを憐れむのは違います。断じて違う。子どもを育て上げ、隣人を思いやれるお婆さんの人生が上等なのは疑いようもありません。きちんと根を張り立派に生きてきたと誇って欲しい。ただ兄弟の方は少し事情が異なりました。彼らはまだ泳ぐ力を失っていません。考える頭も無くしていない。まだ存分に泳いでいないなら、泳いでみるしかありません。結果的に同じ場所に戻るとしても、です。さしずめ青髪の漫画家は神様、いや亡き父と母が遣わせた「キッカケの女神」といったところでしょうか。少々傍若無人なところはありますが。果たして兄はトラウマを乗り越え泳ぎきり、居るべき場所を見つけた様子。憑き物が落ちたかのような清々しい兄の表情をどうぞご覧ください。なお寓話のルールに則り役割を終えた女神は島を去ります。いやもしかしたら戻ってくる気かも。彼女はちゃっかり自身の居場所を確保していきましたから。本当に救われたのは、実は女漫画家の方だったかもしれませんね。 基本的な体裁は寓話と言ってよく、今なお深い傷跡が残る東日本大震災の後日談を描いた映画でもありました。 [インターネット(邦画)] 7点(2025-06-01 21:49:00)《新規》 |
2. 怪獣ヤロウ!
《ネタバレ》 市役所観光課職員である主人公(芸人・ぐんぴぃ)が「ご当地映画をつくれ」という市長からの無茶振りに奔走するお話。タイトルやビジュアルパッケージの印象から河崎実作品のような脱力系コメディを想像していましたが『僕らの未来へ逆回転』的な怪獣映画愛溢れる『映画づくり映画』でした。常識も固定観念も怪獣愛パワーで打ち破れ!という至極真っ当な主題であり、オフザケ要素はほぼありません。ただ個人的にいまいち乗り切れず。理由はキャラクター造形に魅力を感じなかったことと考えます。主人公は生粋の怪獣オタク。彼のスキル(特性)を活かして難題を突破する流れを期待したのですが『ナポレオン・ダイナマイト』のような陰キャのキラメキや逆襲みたいな展開は見られず無難に着地した感じがします。何でしょう「エモさが足りない」でしょうか。折角芸人さんを使ったのですから、芸人さんならではの濃い目で奇抜な役作りがあっても良かった気がします。清水ミチコさんもお得意の現都知事丸パクキャラで攻めてくれたら良かったのに。流石に怒られるか。また破損した怪獣の着ぐるみの代替手段についても、頑張って頑張ってアイデアを捻り出して欲しかったとも思います。なお、製作にタイタンが入っているため、ぐんぴぃ以外にもタイタン所属の芸人さんが沢山出演しています。 [インターネット(邦画)] 5点(2025-05-31 11:43:41) |
3. 無法松の一生(1958)
《ネタバレ》 原作小説は昭和13年発刊。劇中の舞台設定は明治30年。実に100年以上前のお話です。当然ながら常識や価値観は現代日本と異なります。とはいえ「時代劇」と呼ぶほどかけ離れてもいません。まだ当時から地続きにあるのが現代です。ゆえに(私を含む)年配者の口からは「あの頃は良かった」「古き良き」といった感想が漏れがち。顕著な例が芝居小屋の一件です。松五郎は親分さんに詫びを入れた事で騒動を不問とされています。今では考えられない決着でしょう。でもこれが心地良いのです。理由は明快。私たちが幼い頃最初に叩き込まれた「悪いことをしたらごめんなさい」に他ならないから。もちろん言われた方は「もういいよ」許すのがお約束です。超基本的な対人ルールが厳密に適応されている点が心地よく感じる所以かと。逆に言えば、現代日本では謝ったくらいでは許されない厳しい社会になったとも言えます。とはいえ当時の価値観を無条件に肯定したり、現代を簡単に否定したりするのも違います。あくまで「あの頃はあの頃」「今は今」です。 決して成就しない恋に一生を捧げた松五郎。最期は野垂れ死に。現代で置き換えるならアイドルにガチ恋の挙げ句、勝手に失恋して引きこもりになったオタクってところでしょうか。どちらも憐れには違いありませんが、受ける印象はまるで違います。前者が「切ない」後者は「アホか」です。この違いはまさに時代の価値観に紐付くもの。当時の価値観に照らし合わせれば、松五郎の生き方を否定する者等いないでしょう。もちろん傍から見れば奥様以外の誰かと所帯を持つ方が幸せだったと思いますが、夫を亡くした奥様を支え続けた松五郎は讃えられて然るべき。でも、あまりに不器用で報われぬ献身に胸が締め付けられる訳です。一方、現代の引きこもりオタク君の場合はどうでしょう。同情心など一切湧きませんよね。ただのアホです。当時と現代の社会背景で大きく異なるのは、人生の選択肢の数、教育の質と量、そして多様な幸せのかたち。極論すれば、あの時代の松五郎にはあの生き方しか出来なかった(考えられなかった)ということ。如何に現代の私たちが恵まれていることか。ですから「あの頃は良かった」はピンポイント事例に対する心証に過ぎず多分に思い違いであり、客観的に、あるいは総合的に考えれば今の世の中の方が良いに決まっています。少なくとも今を生きる私たちは「そう言わなければいけない」義務があると考えます。でなきゃ、ご先祖様に申し訳ない。 最後に。「松五郎にはあの生き方しか出来なかった」と書きましたが、もし奥様が松五郎を頼らなければ話は変わります。それこそ奥様が再婚話を受け入れてさえいれば松五郎は自由になれた訳で、野垂れ死ぬ事も無かったかもしれません。奥様が松五郎の好意を利用したのは間違いなく、そういう意味で奥様は罪深い。ただし一人息子を育てるために必死だった奥様の「母としての強かさ」を責めるのも酷な話です。当時の社会情勢を考えれば尚更のこと。やはり今の世の中の方がいいですよ。 [インターネット(邦画)] 8点(2025-05-29 01:13:48) |
4. お母さんが一緒
《ネタバレ》 「親を見たけりゃ子を見ろ」と言いますが、確かに3人娘の言動をみれば母親がどんな人物か容易に想像がつきます。劇中母親は姿を見せませんが、みなさんはどんな母親が目に浮かぶでしょうか?私は松金よね子さんで再生されました。それにしても3姉妹の長崎弁、素敵ですね。 基本的に「他所様の家の話」ですので野次馬気分で傍観するのがお勧め。大人向けの会話コメディとして楽しく見られます。ラランド・サーヤの「お母さんヒス構文」も確認できますし。なお「育て方が悪い」とか「親離れできていない」など批判をしてはいけません。それは一歩間違えば自分自身に返ってくるブーメランですから(失礼しました。私のことでした)。反省は必要ですが、人生の基本戦略は肯定でなければならないと考えます。そんな私でも看過できない言動あり。三女(古川琴音)の彼氏(青山フォール勝ち)がバツイチ子持ちと姉達に明かされた際のこと。いざこざの最中、三女は勢い余って「あんたに子どもさえおらんかったら良かったのに」と口走ります。これはアウト。審判の判断を待つまでもありません。明らかな失言であり、核ボタン級に触れてはいけない、取り返しのつかない一言でした。それを誰よりも分かっているのは三女自身のはず。ドラマでは彼氏が度量の広さ(天然を装う匠の技)をみせつけ、事なきを得ましたが、この一件は尾を引くと考えます。仮に彼氏が失言を忘れたとしても三女が忘れることはないでしょう。それが問題。結婚生活で、息子(龍馬くん)と折り合わなくなった時、彼女はこの言葉を思い出すでしょう。それはあの伝説の「千年殺し」にも似て。自分自身に暗示をかける呪いの言葉でした。口に出したことで、自分の気持ちに裏付けを与えてしまいました。本当はそんなこと微塵も思って無かったとしても、です。あとは龍馬くんが底抜けに良い子であることを祈りましょう。あのお父さんの血を引いているのですから希望は持てそうですが。 最後にキャスティングについて。もともと芸達者な3人娘は言わずもがなですが、予想以上に良かったのが「青山フォール勝ち」。素晴らしい。『いざなぎ暮れた。』でも好演していましたが、ドラマの邪魔にならない自然体の演技に好感が持てます。おそらく芸人俳優としては、東京03角田や原田泰造クラスの逸材だと思います。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-05-16 23:16:14)(良:2票) |
5. 愛に乱暴
《ネタバレ》 ミステリー要素ありの作品です。ネタバレしていますのでご注意ください。 「丁寧な暮らし」をする女の実は乱暴な愛のかたち。ダライ・ラマであろうが、マザー・テレサであろうが、不倫をしたら即アウト。さらにでき婚で略奪婚のトリプルコンボとくれば、そりゃ一生「後ろ指を差される人生」となっても仕方ないが世間の常識です。それでも愛する人との間に出来た子どもが居れば耐えられたでしょう。我が子はこれまでの不幸や過ちを帳消しにしてしまう最強の免罪符ですから。しかし彼女はそれさえ失った。残されたのは、熱の冷めた夫と、決して快く思っていない姑との半同居。夫の不倫発覚を待つまでもなく、彼女は地獄の中に居ました。「丁寧な暮らし」は辛い現実を紛らわし自分自身を騙す演出だったのでは。そもそも不倫する男が、二度目の不倫をしないなんて考える方がどうかしているのに何故自分だけは例外と考えてしまうのでしょうか。それが「愛」の魔法ですか?知らんけど。主人公の行き着いた先は「因果応報」の「自業自得」であり同情の余地はありません。が、全てを失っていく様は憐れではあります。いや住まいだけは残りましたか。でもあの家でそのまま暮らすのなら無限地獄から抜けられない気がしますけど。「丁寧な暮らし」から、二郎系ラーメン&ガリガリ君へ。もう自分を騙す必要はなくなりました。ただ食は心と身体をつくる基本中の基本です。姿かたちが別人となってしまう未来が来ませんように(注:二郎にもガリガリ君にも罪はありませんのでお間違いなく)。さて「業」のバトンは次の女性に渡されました。魅力的に思えた優良物件が、じつは欠陥住宅だと女教師が気付くのは何時なのでしょう。主人公にとっての救いは「感謝の言葉」を言ってもらえるようになったことかもしれません。 最後に床下の謎について。「子の亡き骸を隠した」では無さそうなので「後ろめたさ」が陽の当たらぬ地を求めたと見て取れます。いわば「日陰者」のメンタル。また女教師への言動や床下の残留物をみるに主人公の妊娠及び流産は狂言だった可能性高し。ただ狂言であろうとなかろうと、この一件で女は心に傷を負いました。狂うに足る深い傷です。それでも夫との間に強い絆があれば乗り越えられたかもしれませんが、不倫男にそれを望むのは無理な話です。結局のところ略奪婚を選んだ時点で主人公は詰んでいたということ。もっとも妻帯者が最初から素性を明かして浮気するとは考え辛いので、おそらく一番の悪人は男と思われます。当初素性を隠され「もう戻れない」状況に追いやられた後の略奪婚であれば、主人公や女教師もまた被害者と言えます。放火が不倫の暗示と捉えるなら、この見立てが成り立ちそう。一番「愛に乱暴」だったのは男だったかもしれません。いや、これは「愛」ではないですね。「欲望」です。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-05-10 18:23:40)(良:1票) |
6. サユリ(2024)
《ネタバレ》 真っ先に思い浮かんだフレーズは『この映画が邦画ホラー史を更新する』でした(注:原典は百田夏菜子の海老反りジャンプ)。控え目に言って傑作だと思います。いや少し言い過ぎました。カテゴリー的にはB級なので。でも快作であることは疑いようもありません。 始めは、完全なる「家系ホラー」でした(ラーメンか)。良くも悪くもお馴染みの味。『呪怨』の亜種です。それもあまり出来が良いとは言えません。両親ばかりか兄弟(子ども)まで殺してどうするの。主人公だけ生き残ったとしても虚しいだけじゃないかと。ところが中盤に来て急展開を見せます。一家の一大事に痴呆ババアが大覚醒!家系ホラーからババアの復讐映画に大転換です(注:ババアという言い方は品が無くて好きではないのですが、こと本作に限っては敬意を込めてババアという表記を使わせてもらいます)。悪霊の呪いから命からがら逃げきれれば御の字なんて真っ平御免。家族を奪った憎き悪霊を地獄の底へ突き落とすアクティブな復讐譚へ。さながら『フロム・ダスク・ティル・ドーン』ばりの前後半別物映画は、最高最強のババア映画でもありました。そうです。邦画ホラーばかりでなく、ババア映画史も同時に更新しているのです。長らく日本ババア映画界で女王の座に君臨してきた『大誘拐』の刀自(北林谷栄さん)を超えるキャラクターが爆誕したのです。ファンキー太極拳ババアこと神木春枝。もう好き。本当に大好き。『来る』の逢坂セツ子(柴田理恵さん)も素敵でしたが、それ以上でしょう。年齢も。なんてたって人間力が半端ないんですもの。あんなに頼もしいババア見たことありません。生命力で悪霊に打ち勝つ!は免疫力で病原菌に対抗するが如し。復讐方法も振り切っていました。命のやり取りをしている時に、犯罪かどうかなんて考えても仕方がありません。やるならとことん。腹を括るとはそういうこと。柴田ヨクサルの『ハチワンダイバー』で老い先短いババアが最強だと教わりましたが本当ですね。強いし美しい。結局サユリへの復讐ではなく、サユリの復讐を手伝うかたちになりましたが、因果応報の原則に沿う結末に救われました。ホラーで有りがちな無闇に後味を悪くするエンディングでないのも素晴らしい。続編をつくる気が一切無いのも潔いです。 邦画ホラー史における『リング』『呪怨』に次ぐエポックメイキングな『サユリ』を、最高にファンキーでチャーミングな太極拳ババア・神木春枝(根岸季衣さん)を、私は決して忘れません。「外をよく、内をよく、命を濃く」を私の座右の銘といたします。 [CS・衛星(邦画)] 10点(2025-04-28 01:54:57) |
7. はい、泳げません
《ネタバレ》 カナヅチだった男が泳げるようになるまで。この程度の認識で見始めましたが、思いのほか重いお話で参りました。事前にどんな物語か知っていたら観ていなかったでしょう。設定が怪しい映画はそれなりに覚悟して(心に予防線を張って)観るようにしているのですが完全に油断してました。もっとも、これはイントロダクションからある程度は予測できた事態なので、迂闊だったと言わざるを得ません。映画鑑賞の修行がまだまだ足りませんな。とはいえ、観てしまったものは仕方ありません(なんのこっちゃ)。 良かった点は、最終的に主人公とスイミングの先生がくっつかなかったところ。安直なロマンス着地でお茶を濁すお話ではないので、配慮ある脚本だったと考えます。ただし、本作の結末が正解(正義)だとも思いません。本ケースは極めて稀な成功例であり、万人に適応させるのは酷な話です。悔やんで、悔やんで、悔やみ抜き、後ろ向きのまま人生を終えたとしても誰がそれを責められましょう。駄目だとも、情けないとも思いません。我が子を亡くすのは、この世の終わりに同じ。事故時の記憶が失われたのも、"自死に至る痛み"を緊急避難的に緩和するためです。個人的には本当に、本当に、そっとしておいて欲しいと願います。前向きであることは素晴らしいですが、後ろ向きでも許して欲しい。ほらこんな感想になっちゃう。だから観たくなかったんです。 [インターネット(邦画)] 5点(2025-04-24 00:13:30) |
8. ゴーストキラー
《ネタバレ》 『ベイビーわるきゅーれ』では"本職"の伊澤さんがいるため、髙石さんのアクションパートはあまり目立たぬ印象ですが、本作では単独ヒロインとして見事な立ち回りを披露しています。銃撃だけでなく格闘シーンも超クール。完全にアクション女優さんです。もっとも彼女の本領が発揮されるのは憑依型とも言われる演技にあり。本作で最も驚かされたのは髙石さんの「瞳の動き」でありました。工藤と対峙する松岡。「小刻みに揺れる瞳孔」から感情が溢れ出るよう。「目は口ほどに物を言う」とはこのこと。これ、出来そうでなかなか出来ない芸当ですよ。朝ドラヒロインを射止めブレイク必至と言われるのも納得の髙石さんであります。もちろん見どころは彼女だけではありません。むしろ三元雅芸さんを中心とする格闘アクションこそ本作の生命線。まるで音楽を奏でるように繰り出される連撃の爽快感は格別であり、今や格闘アクション映画の一スタイルを確立したのは間違いありません。まさに金の取れるアクションでした。一方、設定や物語は定型的で既視感があり、良くも悪くも少年マンガのよう。本作の場合はこれで成立していますが、改良ポイントではあるかと。物語で惹きつけ、アクションで魅了できれば鬼に金棒でしょう。 [映画館(邦画)] 6点(2025-04-19 07:53:48) |
9. カラオケ行こ!
《ネタバレ》 原作は『アメトーーク』でオススメ漫画として紹介されていた記憶がありますが、正直言って惹かれる内容ではありませんでした。カラオケは自分で歌ってナンボ。他人の、ましてや素人のカラオケに興味はありませんから。しかし!この映画は面白い!!大いに笑い、心を掴まれました。先生の言うところの"大人の階段昇る"少年の成長物語にグッときます。成長とはすなわち変化。身体の変化であり、心の変化でもある。仲間が変わり、居場所も変わる。少年の階段はカラオケルームに繋がっていました。 クライマックスは主人公が歌う『紅』でした。これがまあ沁みるのなんの。なぜ彼の歌は心を打つのでしょう。それは愛が詰まっていたからです。合唱部顧問の先生が言う「最後は愛やで」はお花畑ではありません。紛れも無い真実。少年の、いや青年の歌は本物の鎮魂歌だから皆の胸に響いたのです。たぶん歌で一番大切なのは完璧さでもなければ、テクニックでもありません。相手を思いやる心です。心ある歌は必ず響きます。青年の晴れ舞台は大勢の観客が見守る大ホールではなく、場末のスナックの小さなステージでしたが。 合唱部部長。エースでソプラノ。そんな主人公に訪れた「変声期」は自然の摂理とはいえ彼を苦しめました。綺麗に出せない高音。さぞ辛かったでしょう。少年とは往々にして完璧主義者です。完璧でなければ意味がない。後輩くんもまさに同じメンタルで、もがき苦しむ部長が怠けているように見えたのでしょう。「少年の物差し」ならそう見えて当然です。そういう意味ては完璧主義からの脱却が「大人になること」の第一歩かもしれません。この点、男の子より女の子の方が一歩先を進んでいるのが分かります。 完璧主義とは無知に由来する幻想と考えます。世界を知れば知るほど、どんなに無意味な信仰か思い知るもの。きっと彼は世界のかたちを少し知ったのだと思います。ままならぬ声。カラオケの上手い下手で人生が狂わされる集団。完璧なんて目指していたら生きていけません。不完全上等。不完全の何が悪い。一般的に忌み嫌われる「妥協」とは全く性質が異なる「許容」であります。かすれて高音が出ない『紅』が私たちの胸を打ち、愛おしく思えるのは「不完全こそ美しい」からだと思います。 最後に老婆心ながら。狂児は人たらしの天才です。主人公でなくてもメロメロにされて当たり前。ですが反社であることには変わりはありません。付き合ってはいけない、というより付き合えない人たちです。本作はコメディであり寓話でもあるので問題視しませんが、狼と羊の友情が成立しないのとおなじ世の摂理なのでお間違いなく。 [インターネット(邦画)] 9点(2025-04-18 18:24:07)(良:1票) |
10. 私にふさわしいホテル
《ネタバレ》 大前提として私はのんさんのファンです。もっとも人気絶頂だった能年玲奈『あまちゃん』時代はスルーで『この世界の片隅に』や『さかなのこ』で意識し、2023年末の『ももいろ歌合戦』のももクロとの共演で撃ち抜かれた"新規ファン"であります。よくこれ程の逸材を見逃してきたものだと我ながら呆れますが、おっさんのアンテナは基本ポンコツなのでご容赦ください。さて、私が思うのんさんの魅力は圧倒的な「アイドル性」に他なりません。「アイドル」という言葉にネガティブな印象がある方も多いと思いますが、ももクロを知って以降、私の中でその意味合いは180°変わりました。「アイドル」とは「オールラウンダー」であり「プロレスラー」と考えます。どんな状況でも戦う(戦える)者をアイドルと定義します。そこで必要とされるのは「胆力」あるいは「人間力」です。のんさんは、このような観点での「アイドル性」を強く感じます。そんな彼女が『あまちゃん』のアキで爆発的な人気を博したのも当然と言えましょう(ドラマを観てもいないのに知った風な口をきいてすみません)。 本作ののんさんは「らしさ爆発」と言ってよく、俳優としての魅力は十二分に伝わってきました。但しコメディとして、物語として楽しめたかというと話は別です。正直最後まで乗り切れませんでした。おそらく『トムとジェリー』あるいは『ルパンと銭形』のような微笑ましいライバル関係を描きたかったと思うのですが、男尊女卑やら業界の圧力やら背景に立ち込める社会構造の理不尽さが生々しく能天気に楽しむことが出来ませんでした。主人公のやってることも結構えげつなかったですし(苦笑)。当時の社会背景を考慮すれば、あれくらいバイタリティがあって然るべきなのですが、現代の価値基準に照らすとやり過ぎ感が出でしまうという。少し難しい時代設定だったかもしれません。今回は堤監督が真面目に(シリアスに)仕事をしてしまったが故につまらなくなってしまったパターンかと。『ケイゾク』『トリック』『スペック』くらい無茶してください。のんさん、滝藤さんという最高の手札があるのに持て余してしまったような。「もっと面白くてよいはず」との思いから相対的に評価が上がり辛い状況と察します。 [インターネット(邦画)] 5点(2025-04-02 23:22:30) |
11. リゾートバイト
《ネタバレ》 (映画の感想と直接関係ない話から)私はここ数年往復90分のマイカー通勤をしています。運転のお供は主にラジオ番組で「深夜の馬鹿力」と「日曜天国」が不動のレギュラーメンバー。懐かしの「パペポTV」や落語に漫才、カルチャー講演、討論番組などもよく聴きます。私の意識が高ければ持て余す移動時間を自己研鑽に充て、今頃英語のリスニングが完璧なはずですが誠に残念な話です。で、都市伝説やホラー系のプログラムも時々聴きます。某動画サイトに沢山上がっている中からチョイス。しかし人気のプログラムであっても面白い(怖い)とは限りません。というより体感7割ハズレです。「なんだそりゃ。オチ酷いな」の多いこと。「ノンフィクションだから仕方がない」かもしれませんが(ホントに?)、「話芸」あるいは「エンターテイメントとしてのホラー」を欲する私からすると、ひどく物足りないのです。然るに懲りることなくホラーを聴き続けるのは「思考や心を消費しない手軽なコンテンツであること」が主な理由。そういう意味では出来が良いホラーばかりだと視聴頻度は下がるでしょう。仕事前に精神的なスタミナは削りたくないですし、仕事後は疲労困憊で重たいものは受け付けません。ホラー映画を観る理由も同じ。ですから私のレビューにB級ホラー率が高い時は「ああ疲れているな」と思ってください。大体いつも疲れていますね。すみません。前置きが長くなりました。本作の元ネタも通勤中に聴いたエピソードと記憶しています。2chのまとめサイト系の配信だった気がしますが忘れました(かっぱ堰さん、いつも作品の丁寧な背景補足感謝です!)。でも何となく覚えているだけで十分アタリの部類。「八尺様」はキャラクターとして魅力的ですし、悪ふざけが過ぎますが何ら問題ありません。如何にも2ch発の与太話らしい軽薄さ(作り込みの粗さやリアリティ不足)は、気楽に観られるという点ではプラス査定です。B級にはB級の価値があると。例えば『ゴッドファーザー』は傑作ですが、あんな重たい映画を迂闊に観ようものなら3日は寝込んでしまうでしょう。「見応え」は正義ですが「諸刃の剣」でもあります。その点、本作は片刃のバターナイフ。切れ味は皆無ですが、ちゃんと価値はあります。どちらが優れているか比べるなんて意味ないですよね。 最後にキャスティングについて。昭和時代の芸能界と比べるとタレントに付すキャッチフレーズ文化は下火となった印象ですが、それでも「肩書」は依然として重宝されています。「元メダリスト」「元日本代表」の何と多いことか。「元〇〇」は権威であると同時に「素性」を端的に伝えるのに便利です。本作の主演を務めた伊原六花さんの場合は「バブリーダンスで名を馳せた登美丘高校ダンス部元キャプテン」。何も無いよりあった方がいいのは間違いありませんが、この肩書きから伝わるのは「ダンスが上手いんだろうな」くらいのもの。正直、世間を釣る「フック」としては小さいし弱いです。然るに彼女が映画主演を掴むに至ったのは「人並み外れたバイタリティ」によるものと推測します。多分彼女はNG無しでは?私が目にしたバラエティではいつも爪痕を残す活躍を見せていました。その貪欲さが俳優に必要なスキルなのかは分かりませんが、素直にすごいと思いますし尊敬もします。能力パラメーター「ルックス」や「演技力」がそこそこでも「ガッツ」だけ飛び抜けているとか滅茶苦茶痺れるんですが(失礼しました。でも最大級に真剣に褒めています)。将来、唯一無二の個性を持った俳優さんになってくれたら嬉しいなと密かに期待しています。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-03-15 17:28:24)(良:1票) |
12. レディ加賀
《ネタバレ》 本タイトルの元ネタは奇抜な衣装でお馴染みアメリカの歌姫「レディー・ガガ」ではなく、日本の加賀温泉郷の観光PRユニット「レディー・カガ」のほう。平成23年発足で今なお継続している息の長い活動であり、私も当時ニューストピックを目にした記憶があります。もちろん「レディー・カガ」の元ネタは「レディー・ガガ」ですから、本作はいわばレディー・ガガの“孫オマージュ”作品、通称「マゴマージュ」ということになります。嘘です。そんな言葉ありません。 本作は「レディー・カガ」プロジェクトに着想を得たオリジナル脚本であり、夢破れたヒロインの再出発を描いた物語・・・と自分で書いておきながら、本当にそうかな?という気がしています。主人公は完全にタップダンサーになる夢を諦めたのでしょうか。女将業に本腰を入れるのでしょうか。イベント終演後の姿は描かれませんが、彼女は再びタップの道へ戻る気がしてなりません。主役としてスポットライトを浴びる快感は、消えかけた夢の火種を再燃させるのに十分な熱量と推測します。女将修行で得た経験はタップダンスでも活かされるでしょう。ただ失礼ながら、彼女がタップで成功するとは思えません。理由は単純です。技量不足だから。 「そんなこと言ったってしょうがないじゃないか」とえなり君なら言いそうですが、肝心のタップシーンが迫力不足だったのは否めません。特に主人公のソロパート。エンターテイメントショウはパフォーマンスの品質確保が生命線です。吹き替え、CG、各種演出。どんな手段を使っても構いませんが、観客を魅了してください。その観点で、明確に物足りないです。「手っ取り早く」「それらしい形になる」「あまり扱ってない題材」というコスパの良さで「タップダンス」に白羽の矢が立った気がしますが、気のせいですか。劇中では素人集団が僅か2週間の練習でステージに立つ設定でした。これは流石にタップを舐め過ぎでは。舐めてよいのは「飴玉」と「女王様のハイヒール」と相場が決まっています。トラブル続出なのに断行されたイベントについても、運営サイド(裏方)の労力を軽視しているようで気分が良いものではありません。少々キツイ言い方ですが総じてアプローチが軽薄なのです。軽くて薄いのが好まれるのはノートパソコンとたい焼きの皮と相場が決まっています。ちなみに主人公のタップ挫折理由として「心の弱さ」が指摘されていました。否定はしませんが気持ち次第でどうにかなる世界ではないとも思います。気持ちはあって当然。その上で「努力」「才能」「運」が試されるのがエンターテイメントの厳しい世界。もちろん『旅館の女将』だって同じ。この物語で描くべきは、己が人生に向き合う「覚悟」であったと感じます。彼女が選ぶ未来は「タップダンサー」か、はたまた「旅館の女将」か。どちらであっても素晴らしいですが茨の道です。私は彼女の「覚悟」が見たかったのです。 「成功して素晴らしい」は理想ですが実際問題なかなか大変です。ですから「覚悟を持って挑んだから悔いはない」が人生の行動指針としておススメ。なんて偉そうに講釈を垂れていますが、実践するのが難しいのは百も承知です。流されるままに生きてきた自身に問いかけると、まるで中世の拷問具にでも入れられた心地になります。「鋼鉄の処女」っていうんですか、あれ。名誉童貞が何言ってんだって話ですけども。 [インターネット(邦画)] 5点(2025-03-13 00:55:12) |
13. 翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜
《ネタバレ》 前作を結構楽しめた私でさえ、本作のノリ(笑い)を掴むまでに相当時間がかかりました。ゆりあんの『チャーリーとチョコレート工場』を眺めている頃は心ここに在らずだった気がします。シリーズ初体験だったらと想像すると震えますね苦笑。 基本的に笑いは「慣れ」あるいは「訓練」と考えます。笑うために時に難解な「おもしろ」信号と自身の感性を瞬時にチューニングしなくてはいけません。そういう意味で「周波数」がすでに周知認知されている露出の高い芸人やベテランの方がウケ易いと言えます。なお、ご承知のように、おもしろ信号の賞味期限は短いです。強烈な刺激ほどその傾向が顕著かと。いわゆる一発屋と呼ばれる芸がこれに該当します。この前提をもとに本作の笑いについて考えてみました。 一見派手派手な高刺激で一発屋タイプに見えますが、本質的には「あるある」「郷土自虐」であり馴染みある典型ネタです。チューニングはし易いはず。前作鑑賞済みなら尚更のこと。しかし刺激過多のパッケージに惑わされ同調がままなりません。関西の空気感を理解していないことも困惑に輪を掛けました。表層部に阻まれ肝心の中身に辿りつけない感覚とでも申しましょうか。辛すぎて味が分からない激辛カレーが如し。激辛カレーは辛さに慣れていくうちに旨味に気づけるようになりますが、辛過ぎるとその前に脱落します。おそらく本作も同じ。本シリーズの旨味を知っている私でも脱落しかけました。ですからシリーズ初見の方はさぞご苦労されたと思います。関西在住経験がなければもっと大変。たぶん初見より2度目、3度目の方が楽しめる映画ですが、一般的に映画は一度観れば終わりです。よほど満足しない限り2周目はありません。本作の場合、そこまでの魅力(パワー)は無いかもしれません。これが本作のウィークポイントと考えます。 首都圏、関西ときて、次があるなら九州あるいは東北でしょうか。地元を舞台にしてくれるなら勿論有難いし嬉しいですが、共感のパイが小さくなると商業的に厳しくなるのは間違いありません。なので多分シリーズは終了でしょう。これだけの豪華メンツが正月テレビバラエティの定番だった「かくし芸大会」さながらに、ハツラツと演じてくれるのはとても贅沢で大好きだったのですが仕方ありません。たまに観返して気軽に笑うにはとても良い映画シリーズだと思います。 [地上波(邦画)] 6点(2025-02-23 18:12:14)(良:1票) |
14. まともじゃないのは君も一緒
《ネタバレ》 完全に「してやられ」ました。ミステリーではありませんが「ちょっとした仕掛け」が施されています。未見の方は下調べせずにご覧ください。良いラブコメですよ。 以下ネタバレ含みますのでご注意ください。 予備校講師と女子高生が主役のラブコメ。とはいえ2人が最終的に結ばれる結末は考えられません。そもそも受験生が勉強しないで何やってんだって話ですし、講師が生徒に手を出したらクビ。成人男性が女子高生に手を出しもアウツです。その点、実業家(小泉幸太郎)は心得ていましたね。クズですが危機管理能力はありました。『高校教師』のような破滅ドラマならいざ知らず、ラブコメは基本的にハッピーでなくてはいけません。みんなから応援、祝福されてナンボの世界。ですからラブストーリーとしての本筋は、予備校講師と実業家フィアンセが結ばれるものとばかり思っていました。女子高生にはお気の毒ですが、ほろ苦い失恋を思い出に変えて前を向くと。でもこれが大外れ。ラブストーリーの定石(定跡)どおり主役2人がくっつきました。これには娘を持つお父さん的には怒り心頭なのであります。 ところが最終盤にきて種明かしあり。女子高生はJKにあらず。20歳を超えた成人女性でした。なんとさりげないミスリードでしょう。まんまと「女子高生」だと思い込まされました。これには振り上げたこぶしをどうしたらよいか。私には五木ひろしのモノマネで誤魔化すくらいしか思いつきません。実業家も指摘していたように、成人男性が恋愛対象にできる(世間的に許される)「若い女性」の定義はシビアです。「女子高生以下なら問答無用でお縄」【越えられない壁】「大学生や10代社会人はケースバイケース」「20歳以上の社会人ならご自由に」でしょうか。当然2人の年齢差も関係してきます。お父さん的には年齢関係なく扶養家族であるうちは物申したいですが、まあ相手次第です。予備校講師の立場で生徒に手を出したならば、そいつが成田凌だろうが前澤社長であろうが容赦しませんが、本ケースではキスはおろか手さえ繋いでいません。このような現状で惹かれ合う2人を引き裂く理屈を私は持ち合わせていません。くう〜。という訳でどうぞ「お友達」から始めてください。もちろん大学卒業後に、ですが。 それにしても清原果耶が素晴らしい。私はももクロメンバーが出演していた『マッサン』と『べっぴんさん』以外の朝ドラは観ていないので、彼女をちゃんと認識したのは『霊媒探偵・城塚翡翠』からですが「賢い役」が本当に上手いです。美人で賢い。おまけに歌も上手いって無敵じゃないですか。もしかして完璧すぎるのでしょうか。よく分かりませんが爆売れしていない現状が不思議でなりません。 [インターネット(邦画)] 8点(2025-02-01 17:24:01) |
15. ロストケア
《ネタバレ》 クリスチャンでもないのに聖書を読み漁る意味は「救われたい」以外にありません。キリスト教の黄金律「あなたが人にしてもらいたいと思うことを人にしてあげなさい」この一文を斯波が聖書の中で見つけた時の心情は如何ばかりでしょう。自身の罪を正当化する「救い」の可能性を感じたはずです。 ここで斯波が犯した原罪「父殺し」を黄金律に照らしてみます。「あなた=斯波」にした場合。「父に死んでほしいので自分で父を殺しました」あれ?黄金律に当てはまりません。では「あなた=父親」にしたらどうでしょう。「もう楽になりたかった。だから息子に殺してもらった」こちらも黄金律ではありません。そう黄金律で「父殺し」は正当化されません。そこで斯波は考えたのです。黄金律で「自らを救う」方法を。それが「黄金律を実践する」でした。「天命をうけた」とはこのこと。斯波自身の経験(心情)を黄金律にあてはめ、要介護者を殺すことで介護に苦しむ家族を救っていく。家族が介護から解放され「良かった」と世間で認められた時、はじめて彼の「父殺し」も正当化されます。ですから一人や二人ではなく出来るだけ多くの事例を用意する必要がありました。遺族の心境を確認するために積極的に葬儀に出席しました。この斯波の「身勝手な犯行」は「介護で苦しむ家族にとってはまさに救い」でありました。目的はどうあれ、斯波の行為は問題解決方法として「芯を食っていた」わけです。介護の大変さは、経験者は勿論のこと、未経験者でも想像に難くありません。これが斯波を安易に断罪できない理由であり、善悪の判断を惑わせる最大の要因です。 問題が複雑な時は出来るだけ単純化することが肝要と考えます。本事件の骨子をみれば「自身の犯した罪を正当化するために別の罪を重ねた」になるのでは。どうですか。こう書くと斯波に同情する余地など無くなりませんか。特にキリスト教黄金律を持ち出し、実に41人を殺めたことは大罪です。おそらく法廷で遺族から「人殺し!」と罵られたのは相当堪えたはずです。自身の行為が介護家族を救っていなかったら「父殺し」も正当化できなくなってしまいます。大体において「良かれと思って」は「勘違い」か「自己満足」と相場が決まっているのですが。 もっとも法廷で叫んだ女性が本心を口にしているとは限りません。彼女が重介護から解放されたのは事実であり、彼女自身も当初感謝の言葉を口にしていました。でも実は殺されたと知ってしまった以上、父の死に安堵した自分は酷い人間に思えてしまう。だから彼女は自身の良心を守るため斯波を非難したのでしょう。また一方、斯波の犯行を知ってもなお「救われた」と感じる女性もいました。新しい人生を踏み出せたのは斯波のおかげ。多分どちらの感覚も間違っていません。長期に渡る重介護は人の心を病ませ狂わせます。この世で一番幸せな言葉が「ぴんぴんころり」なのは間違いありません。 なお斯波に同情の余地なしと書きましたが「父殺し」については違います。刑法的には「嘱託殺人」だそうですが私には「正当防衛」としか思えません。あの状況での父殺しを罪に問うのはあまりに酷な話。でも悪法でも法は法です。ですから検事にはプロとして自身の感情を押し殺し、斯波に粛々と対峙して欲しかったと感じます。事件の背後に横たわる社会問題に対してどう対処するか。大きな変革の原動力となるのは、同情ではなく怒りであると考えます。 [インターネット(邦画)] 7点(2025-01-28 19:53:24)(良:1票) |
16. 蛇の道(2024)
《ネタバレ》 (1998年のオリジナル版の感想から続く)オリジナルの感想を踏襲するなら本作を料理、当然「フランス料理」に喩える流れですが、フレンチもイタリアンもざっくり「洋食」にしか括れない庶民ゆえ頓珍漢ご容赦ください。 セルフリメイクである本作。舞台をフランスに変え、新島の性別職業を変更しています。オリジナルを「フグの塩丸焼き」とするなら、本作は「フグのポワレ」といったところでしょうか(ポワレってどんな料理でしたっけ?)。これはこれで悪いとは言いませんが、オリジナルという「正解例」を知っている以上「物足りなさ」は否めません。胸糞は「アク」なので不要ですが、不条理は「苦み」「エグ味」であると同時に「旨味」でもあります。観客に配慮するあまり黒沢映画の味まで失っては本末転倒な気がしました。そう本リメイクのキーワードは「配慮」です。その最たるポイントが舞台をフランスに移したことでしょう。登場人物がまるで「無味無臭」でした。設定(背景)を知っているから「そのつもりで観る」だけで、彼らの言動で感情は揺さぶられません。これは被害者も加害者も同じ。役者の技量の問題というより、もっと根本的な部分で「コミュニケーションの壁」を感じました。 映画レビューサイトでドラマの話をして恐縮ですが、今期『ホットスポット』というTVドラマがあります。バカリズム脚本。市川実日子と東京03角田の掛け合いをみると「日本人にしか伝わらないだろうな」と痛感するのです。例えば100%言っている「言ってません」。表情、口調、仕草、間。各種情報が瞬時に真相を伝えます。これを「機微」と呼ぶのでしょう。演技力は勿論のこと、カメラワークや演出が素晴らしいのは大前提ですが、心情を受け取る側にも技量が求められます。といっても日本人なら普通に身に着けているスキル。こう書くと「差別」云々言われそうですが、そんなつもりは毛頭ありません。単純に「慣れ」や「経験」の話。ひよこの雌雄鑑定が素人には無理ですよと同じ。外国人でも長年日本で暮らしていれば機微を感じ取れるでしょうし、日本人でも子どもでは無理です。舞台をフランスに移した理由も多分これかと。外国人俳優を起用することで「わざわざ感情を伝わり難くした」。胸糞ぶりは最高峰クラスの物語。直撃すると心がやられます。設定や表現同様、人物に配慮を加え「観易くした」と感じます。それはエンターテイメントとして正しい姿勢でしょう。ただし匙加減は間違えました。カレーから重要なスパイスを抜いたような。あれ全然フランス料理の喩えじゃないですね。 さらに補足するなら「夫婦」の視点を付加したこともセルフリメイクの意義と感じます。オリジナルは「父親」の話。「母親」は欠片も出てきません。その「不手際」を補い「夫婦」の話に落とし込んだのは流石だと思います。新島最後の台詞が「監督が一番言わせたかったこと」では。採点は6点。オリジナルは7点なので1点しか違いませんが、胸糞マイナスの8点満点中の7点に対し、本作は10点満で6点です。点数以上に満足度には差があります。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-01-23 18:14:36) |
17. 蛇の道(1998)
《ネタバレ》 韓国映画で如何にもありそうなお話。ないですか?観たことある気がしますが。ただし韓国映画ならばもっと「どぎつい」はずです。キムチ味?ヤンニョム味?どう喩えたらよいか迷いますが、いずれにせよ胸焼け必至。あるいは園子温監督の作風に同じ。その点本作は和食でした。というより味付けは最低限の塩だけ。簡素なもの。でも腕利き料理人・黒沢清の技が光ります。素材の味がダイレクトに伝わってくる分、これはこれでキツイ。むしろ濃い目の調味料による誤魔化しがない分「しんどい」かもしれません。 物語上不可解だったのは1点のみ。「誰が宮下(香川照之)の娘を殺したのか?」ということ。状況証拠は新島(哀川翔)を犯人と示唆しています。しかし彼にそんな蛮行が働けるでしょうか。普通の感覚なら、いや人の親ならば、出来るはずがありません。その一方、彼は「捉えどころのない男」でもある。思考回路が常人と違うのは明らかです。ならばやはり新島が犯人?いやいやそんなはずがない。じゃあ組織の仕業?宮下の娘が狙われたのは意趣返し?偶然?でも・・・。思考は堂々巡りするばかり。まるで2匹の蛇が互いの尾を飲み込み合っているような感覚に陥ります。「狂気」と「我欲」2つの蛇。食われているのはどちらでしょう。 本作の見どころは新島のキャラクター造形に尽きます。秀逸でした。前述したとおり捉えどころがありません。この謎めいた男を哀川翔が好演しています。いやこれを好演と呼んでよいのか躊躇します。演技云々の話ではないような。哀川がナチュラルに身に着けている「胡散臭さ」こそが、本作唯一の味付け「塩」の役目を果たしていた気がします。「は・か・た・の塩」ならぬ「や・か・ら・の塩」。おっと悪ふざけが過ぎましたが、冗談でも皮肉でもなく最大級の誉め言葉のつもりですのでご容赦ください。哀川翔のベストアクトは『ゼブラーマン』でも『DEAD OR ALIVE』でもなく本作の新島であると無責任にも断言します。あれ『DEAD OR ALIVE』は観てたかな。さて、これから2024年制作のセルフリメイク版を観ます。そのために本作を先に鑑賞しました。正直役者としての技量は、哀川翔より柴咲コウの方が上だと思いますが、この役に限定するなら柴咲に勝ち目はないと感じます。リメイク版の感想に続く。 [インターネット(邦画)] 7点(2025-01-20 18:12:37) |
18. Cloud クラウド
《ネタバレ》 黒沢清監督と言えば邦画界きってのホラー上手であり難解映画クリエイター。その語り口は『黒沢清節』とでも呼びたい特徴ある演出技法にあり、ホラーとの相性が抜群です。また「台詞ではなく映像で語る」を旨とし「観客の想像力」を最大限活用する脚本を用いるため「親切」「丁寧」とは無縁の監督と言えましょう。ゆえに黒沢作品は(しばしば)難解映画にカテゴライズされるものと考えます。そこで本作。現代日本社会の闇を切り取った寓話的サスペンスでありました。そう、本作は本質的に「寓話」です。設定や展開は寓話らしく単純化されていますし、リアリティは担保していません(というよりリアリティを必要としない)。キャラクターの言動は合理性を欠きます。一般的なサスペンス映画のつもりで鑑賞すると「なんだこりゃ」になりかねません。リアリティ至上主義の岸部露伴先生なら白目を剥くかと。しかし寓話と認識してしまえば問題ありません。ネット世界を中心とした破滅の道程が「むしろ生々しく」描かれていました。 なお本作は「難解」ではありませんが「解釈」したくなる物語ではあります。そこは流石の黒沢印。例えばラーテル配下の青年。獅子身中の虫か、簀の子の下の舞か。劇中「転売屋の仕事はババ抜きのようなもの」という台詞がありましたが、彼はまさしく「JOKER」の象徴でしょう。ババ抜きならば最後まで持っていたら負け。でもポーカーや大貧民なら最強のカードでもある。転売屋という商売におけるババ=JOKERは紛れもなく商品で、大化けして富をもたらす物もあれば、利益ゼロどころか厄災を連れてくる品もある。いずれにしても自分の意思で手放すことは叶いません。ほんと転売はババ抜きに等しい。今回の騒動では最強カードJOKERの特性により窮地を脱することが出来た主人公ですが、ババ抜き人生は依然続行中です。富と憎悪の先にあるのは負けた時破滅が確定している未来。JOKERと共に生きるより選択肢がなくなった人生を「地獄」と呼ぶのに違和感はありません。 [インターネット(邦画)] 8点(2025-01-18 16:43:00) |
19. あのコはだぁれ?
《ネタバレ》 本作はホラーシリーズの続編です。1作目『ミンナのウタ』から順に鑑賞することをお勧めします。 恨み辛みで呪い殺すのではなく、純粋な好奇心と探究心で人を殺める高谷さな。呪いを解かなければ必ず死に至る貞子に対し、さなの呪いはさほど致死率は高くありません。実は助かる人の方が多いのです。しかし感染力は半端ありません。貞子の場合は某病原ウイルスを由来としていますが、さなの呪いはまるでコロナウイルスのよう。要するに「風邪」です。マキタスポーツがいう「厄介だ」とはこのこと。頑張れば無害化できる貞子の呪いの方が対処し易いとも言えます。「風邪は万病の元」ならぬ「さなの呪いは万死の元」。さなの呪いはこの世界から消え去ることはありません。まさに新型コロナウイルス=COVID-19の如き厄災でした。もっともCOVID-19の予防法が「人と距離を取る」であったのに対し「さなの呪い」の対抗策が「手をつなぐ」なのは何とも皮肉な話でありますが。 呪霊「高谷さな」のポテンシャルは相当に高いと感じます。呪いの媒介はキャッチーなメロディ。事務所いや家族総出で嫌がらせをしてくる点は相当に悪質です。上手く育てれば(?)貞子、伽椰子に次ぐ新たなホラーヒロインになりうる逸材では。にも関わらずなぜこんなにもパッとしないのか。これは偏にリアリティの欠如が問題と考えます。例えば冒頭の自動車事故。動転して救急車を呼べないのであれば硬直してください。それがリアリティ。頭部を強打している人間を躊躇なく抱き起こすのは不自然過ぎて見ていられません。終盤に仕込まれている大ネタにしてもそう。漢字は同じで読みだけ変えていたら素直に感心出来たのに。「改名はそんなに簡単じゃねえぞ」ですし「そもそも改名する意味ねえぞ」とも思います。おフザケは結構ですが、いい加減なのは困ります。いくらトンチキホラーだとしてもです。折角の優れたアイデアが脚本の不手際で殺されてしまうのはホラー以上にホラーな話という気がします。 [DVD(邦画)] 5点(2025-01-01 00:00:01) |
20. 唄う六人の女
《ネタバレ》 ハイセンスお洒落系不条理サスペンスの装丁ですが、中身は典型的な寓話でした。時代設定さえ変えれば「まんが日本昔ばなし」の一編でも違和感はありませんし、ジブリ映画と言われても気づかない。さしずめタイトルは『もののけ森の神隠し』。おっと内容は意外とハードなのでファミリー向けではありませんね。 寓話ですから教訓が付き物ですが、本作の場合は何でしょう。「自然を守ろう」ですか?あるいは「親と仲良く」ですか?いいえ違います。「ここぞという時、判断を誤るな」です。 主人公は奇跡的に迷いの森から生還し恋人と再会できました。それは森の住人の意思を汲む姿勢を見せたから。道義的に彼は森を救う努力義務を負いますし、彼自身の意向にも沿うので不都合はありません。しかしタイミングを測る必要はありました。 恋人は主人公に懇願します。一旦家に帰りましょう。大事な話もあると。しかし彼は固辞し再び森へ向かってしまいました。この展開は映画として当たり前です。戦闘員とひとしきり戦ったのち、一服してからボスと戦う仮面ライダーなんて居ません。公共の利益のために我が身を投げうつ様は『宇宙戦艦ヤマト』のヒロイズムに通じます。しかしこれは昭和の価値観に基づく正義では。今時流行りません。ワークライフバランス。デジタルトランスフォーメーション。私は主人公には一度冷静になって頂き、家に帰って欲しかったと思うのです。それじゃあドラマチックじゃない?知らんがな。 その場の勢いで無茶するのがカッコよく思えるのは精々20代まで。不惑どころか知命に差し掛かる大人の分別の無さに閉口します。適齢期の女性と付き合う覚悟に欠けるのも同じこと。そういう意味で彼は"大人になりきれていない"と感じました。これは武田玲奈と付き合える50男にやっかんでいる訳ではありません。ええ、断じてありません。 教訓は基本的に反面教師や失敗例なので"正しい"寓話の姿ではあります。ただし現代劇ならば、現代らしい教訓を入れては如何でしょう。ラストで「車両保険に入っていて本当に良かった」なんて一人語りを武田が始めたら、映画としては0点ですが私は満点を付けます。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-12-21 16:11:10)(良:1票) |