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1.  そして父になる 《ネタバレ》 
愛情を注いで育ててきた子供が、実は血が繋がってなかった。本当の子は別な親が育てていて、子供たちを本来の親が育てるべく交換することを考える。6年も経ってから。 重たい。観る前が辛いですね。どう考えても、2人の子供、父と母の4人。それぞれの考えや思いがあるから、ドロドロの修羅場になることが目に見えています。映画は自由な趣味の時間に、明日からをより良く過ごすために、観たいものです。なので、観る前から重たいのが想像できる作品は、気分が耐えられそうなタイミングで「ヨイショ!!」って気合い入れてから、観ます。  でも本作は福山演じる“野々宮良多が抱えた問題”に主題を絞ることで、作品自体に嫌悪感を抱くことなく、関心を持って観る事が出来ました。そう、良多を除く残り3人が大人なんですよ。4人の中で、一番社会的地位のある良多が、一番大人らしい対応が出来てないんです。もちろん他の3人も、それぞれ苦悩があり、妻であるみどりの苦悩は垣間見ることが出来ますが、基本、良多の成長の物語なため、観ててシンドイって気持ちを抑えることが出来ています。 家族に対し自分の意見を一番に通そうとする良多に対し、雄大は常にゆかりの意見を尊重して、夫婦で意見が食い違うと、ゆかりの意見を立てる姿勢がとっても大人でした。  なかなか埋まらない子供たちとの溝。特効薬のように上手い方法なんてなくて、時間をかけて築いていかなきゃいけない新しい親子の関係。この二組の家族のその後の選択は、結果的に観る者に委ねられましたが、タイトルが回収しています。「そして父になる」。 琉晴に言った「あっちのパパ」と「本当のお父さん」。子供は父親の事を“父”とは言わない。良多は“自分のための子供”という考えを捨てて、“子供のための父親”になろうと、ようやく決心が出来たんでしょうね。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2025-02-04 21:42:37)《新規》
2.  麻雀放浪記 《ネタバレ》 
麻雀は、学生の時にスーパーヅガンのアニメと、ぎゅわん自己のゲームで多少知っていますが、特に詳しくはないです。でもこの映画は面白いですね。世界観がきちんと出来上がっています。 モノクロにしたことで、特撮なんだけど、映像に安っぽさが無いんですね。戦後焼け野原の東京が見事に再現されています。オープニングのチンチロリン小屋前の、地面のぬかるみ具合。雨粒の大きさ。小屋の中の汚さ。ゴザのくたびれ具合に、しっかりカメラに映る雨漏り。セットだろうけどリアリティが凄い。本物っぽいというのではなく、凄く精密な、人の造った精密なジオラマを観ているような世界観なんですね。  そんな中で繰り広げられる博打打ちの世界。チンチロリンで、おりんがイカサマをしてるのを、みんな解ってるけど黙ってる。おりんはいいカモを連れてくるから。なんて、面白いじゃないですか!私は博打打って、その日暮らしで一晩の勝ち負けに全てを賭けてる連中だと思っていましたが、確かに、明日も明後日も博打で食っていかなきゃいけないんだよね。こんな描写に、美学じゃない生活感・リアリティを感じました。  そんな博打打ちの日常に、女の家を勝手に売り、女さえ売り飛ばし、ここ一番・一瞬の大勝負に掛ける癖の強い男たち。負けたら払う。負け際の潔さがとても美しく、爽やかでもありました。…自分で書いてて『爽やか?どこがだよ』って思いましたが、麻雀に掛ける男の生き様が清々しかったんです。  九蓮宝燈であがったら死ぬ。聞いたことあります。この映画で有名になったんでしょうね。出目徳の死体を身ぐるみ剥がして、土手から自宅前に転げ落とす…一度見たら忘れられないシーンです。このシーン、キルビルで使ったな?タランティーノ。一見異常だけど、博打打ちの世界に生きる、ドサ健、ゼゲンの達、坊や哲までが、阿吽の呼吸で出目徳を突き落とす様子が、一見シュールで、それでいて大勝負のあとの美学を感じさせます。この美しさは色褪せないですね。 3人の霊柩車に、よたよた付いていく上州虎。非日常の大勝負の美しさから、日常のクズ人間に戻っていく感じ。和田監督、デビュー作でこれ撮れちゃうって、ホント凄いですよ。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2025-02-02 14:36:47)《新規》
3.  シムソンズ 《ネタバレ》 
以前散歩していて、たまたま立ち寄ったカーリング場で、小笠原歩さんをナマで観たことがあります。小柄で綺麗な人でしたよ。シムソンズで一番知名度が高いと思っているのが彼女なんだけど、映画では一番受動的な菜摘なんですね。意外でした。 常呂町が舞台のカーリング競技っていう選定が渋いです。もっともこの時期、『学生が部活動にのめり込む青春モノ』が大量に創られていて、そのほとんどがマイナー競技にスポットを当てた作品でしたが、この映画の後もカーリングは注目を集め、彼女たちシムソンズの、次の次の世代の“常呂っ子チーム”ロコ・ソラーレの「そだねー」が流行語大賞になるくらい、カーリングは安定した知名度と注目を浴びるスポーツにまでなりました。  映画シムソンズは、実際のチームをモトにしているけど、創作部分がかなり多いと知りました。一番意外だったのは、みんな初心者ではなく、遅くとも中学生の頃までにはカーリング経験者だったことです。 カーリングは大きな動きが少ないスポーツ、つまり絵的に地味な競技です。加藤ローサら新人女優たちは、映画出演もカーリングも初心者です。そんな彼女らを使うにあたり、実話に基づいて経験者が強者になるまでを描くより、キャーキャーと氷上を転げまわってたのが、強者としてビシッとフォームを決めるまでに成長する姿の方が、画的に描きやすかったんでしょう。  ただ、素人がちょっとの練習で急成長して、数年後にオリンピックに行けてしまう映画の展開は、カーリングという競技が底の浅いスポーツと勘違いされそうです。競技選手へのリスペクトという意味でも、もう少し丁寧に書いても良かったかも? でも加藤ローサ演じる和子の、笑顔と前向きさがとても良いですね。観ている私まで元気を貰えました。展開はベタだけど、安心して楽しく観ていられました。  常呂町は、この映画公開の一か月後に北見市に合併されました。今は無き常呂町。今は無きシムソンズ。こんなカタチで片田舎の一時代が映画として残るのって、とても素敵だと思います。欲を言えば、もう少しロケ地を増やしてほしかったです。あれから20年。北見駅前もかなり様変わりしましたからね。 ちなみに、当時も今も道民は「したっけ」は、ほぼ使いません。大泉洋ちゃんも当時まだ若いから、指摘しなかったんですかね?「~だべ?」はけっこう使います。
[DVD(邦画)] 5点(2025-01-30 22:54:12)
4.  それでもボクはやってない 《ネタバレ》 
本作は痴漢の冤罪を扱った作品ですが、重きを置いているのは、痴漢ではなく冤罪の方。『やってない』事を証明することが、どれだけ難しい事か。そしてこの事件に関わる多くの人が『やっている』事が前提の対応をしてくる。 乗客の男性、駅員、刑事、留置所の警官、検事、判事。女子中学生が痴漢されたと言えば、周りは徹平が痴漢という“悪”であると決めつけて、正義の行いとして、どんどん徹平の立場を追い込んでいく。この、底なし沼に沈んでいくような怖さから、こちらの胃袋までキュッとしてきます。  希望が現れ、それが消えていく絶望感の演出が、えげつないですね。特に2点、被告に対しても公平で論理的。『正しい判決を出してくれそう』って言える大森判事の、突然の異動。その代わりの室山判事の、被告=有罪であることを最短距離で詰めてくるような恐怖。優しい笑顔で被告をどん底に叩き落す、被告とは住む世界が違う感じの冷徹さを感じました。 裁判官を演じた二人の俳優。一見冷たそうな正名さんに、一見優しそうな小日向さん。それぞれ、パッと見の印象と違う役柄を演じさせたのも巧いですね。 駅員室まで来てくれた目撃者の女性。駅員の杜撰な対応で姿を見失い、母親と親友の粘り強いビラ配りの結果、名乗り出てくれた勇気。証言も記憶も、客観的意見もしっかりしていて、観ていて『あぁ、これで助かった』って思った…にも関わらず。こんな重要で確かな証言が、参考意見程度に流されるなんて、絶望しかありません。  本作の主題は痴漢でなく冤罪の方。なので、真犯人も、真実も解りません。実際、徹平は痴漢をしていないのかは、最後のナレーションの通りだと思うし、須藤弁護士が最後まで担当を降りなかった事から、私たちの目には明らかです。 『十人の真犯人を逃がすとも 一人の無辜を罰するなかれ』優秀な弁護士。親身に動いてくれる親友。同じ冤罪の被告。証人。これだけの後押しがあっても、覆らない判決の恐ろしさ。痴漢の嫌疑をかけられた時点でもう、食肉にされる家畜と同じ運命ですね。
[地上波(邦画)] 9点(2025-01-20 22:43:24)(良:1票)
5.  湯を沸かすほどの熱い愛 《ネタバレ》 
私は、創作の“主人公を不幸なシチュエーションに遭わせる感動作”が苦手のようです。こう言う作品が好きで、心に届く方も居ることを考えると、批評的なレビューは避けるべきだとは思うんですが、制作側の「こうすれば主人公がもっと辛くなって、観てる人は泣くだろう」なんて考えてシナリオを創ってることを想像してしまうからでしょうか?苦手なんですね。  問題を突き付けられた際の、解答の意外性に重点を置いた作品に思えた。人の行動は、数学と違って答えは一つじゃないけど、この映画の場合は、どうしてこの答えを選んだのか、理解に苦しむ事が多かった。劇中の“周り(=家族や知人)”が納得しているから、外野の私が口を出すことじゃないんだろうけど、何度か「え?答えソレなの?」って思ってしまうことが多数… 旅行の際「ちゃんと伝えるね」は、自身の病気の事かと思った。まさかの実はあの店員さんが…ここは巧かったと思う。突然のビンタ。母が手話がいつか役に立つ。って習わせたところ。この辺のミスリードと前振りの回収はとても巧い。 あと双葉が実の母親に会いに行って面会を拒否された時、犬の飾りを握り締め、思い出に持って帰るのかと思ったら、エイヤと投げたのが痛快。  安澄への陰湿なイジメ。壁の“笑って”は誰が書いたんだろう?って思って、何かそこから救いにつながるような物語があるかと思ったが、特に触れられることがなかったのがちょっと残念。自分で書いたってこと? 全身絵具だらけな状態で「その(色の)中で、好きなのは?」それいま聞くことか?どうしてそれが安澄の救いになるんだ?? 制服を隠されたことに対し、体操服を脱いだのはびっくりする展開だった。これがもし、安澄がクラス中からいじめられていて、犯人が誰か(視聴者も)見当がつかない状況で、だけど安澄だけは犯人が解っていて、「今は体育の授業じゃないから」と言い返し、本人らを名指しせずに戒めた。って言うなら解るんだけど、あのクラスでは、あの女子3人が犯人なのは明白。だから突然下着姿になったことで、どうして彼女たちが制服を返そうと思ったのかが、私にはピンとこなかった。  「エジプトに行きたい、一生日本しか知らないなんて、人生もったいない」けど、連れて行けない場合どうする? 人間ピラミッドを見せる。約束を全然守れなかった夫に対する、双葉の小言の一つでもあるけど、それに対する答えもズレてる気がしてならない。前段、君江さんがご馳走を作って、さぁ食べようってタイミングで、土下座して自分のワガママを通すのも嫌。まずは君江さんの好意に感謝して、ご馳走食べ終わってからじゃないの?土下座とかするの。こんなダメ夫です。の上塗りに思えた。誕生日のしゃぶしゃぶは神聖で、君江さんのご馳走はなおざり?って、自己中な人に思えてしまった。  みんなが大好きな母ちゃんが死んでしまった。どうする? ウチ銭湯だから、火葬場でなくボイラーで焼いて、お湯沸かしてみんなで温まろう…えぇ~~~!? そもそも、双葉がそれを望んだんだろうか?夫一人の考えでそうしたのか?劇中の家族や知人がその提案を聞いて、誰1人疑問に思わないから丸く収まってるけど、私が参加者の一人であれば、間違いなくドン引きしてるだろう。 ジョニー・デップ主演の名作で似たようなシチュエーションがあるけど、あの映画のように納得いく説明は無いし、そうしなければいけない事情もない。『燃やせばお湯が沸くから、みんなで温まってしまえ』って考えに、『死体も口に入れれば栄養になるんだし、料理して食べてしまおう』ってカニバリズムと同じレベルの気持ち悪さを感じてしまった。 でも、オダギリジョーや宮沢りえと言った、自分の意見を言えるであろうベテラン俳優が出て、このシナリオで納得して演じてるんだから、理解出来る人には理解出来るんだろうな。
[CS・衛星(邦画)] 3点(2025-01-09 23:10:27)
6.  駅 STATION 《ネタバレ》 
大みそか~元旦に架けてのタイミングで観たい映画でした。この度、願い叶っての視聴でしたが、心地よい眠りに落ちてました。。。で、新年に再視聴。 雪深い港町。場末の居酒屋で美人の女将とNHKで紅白観て、八代亜紀の舟歌、そして深夜の初詣…日本人の心にじんわりと沁みますねぇ。でも“演歌”って、遡ると昭和40年代から昭和末期までの、20年ちょっとブームになった、当時の流行歌だったんです。ある程度年齢を重ねた男女の歌。身勝手な男と泣かされる女の、しみったれた関係を歌った、この“日本人の心=演歌”という一大ムーブメントは、この映画の頃がピークだったと思います。この映画は、そんな演歌のイメージビデオのような作品でした。  ロケーションが絶妙でした。日本海・増毛という終着駅が舞台です。そこから船で行く御冬。当時、海路でしか行けない陸の孤島でした。作中、伯父さんが語ったように、御冬は国道231号で陸路が繋がります。便利になった反面、単なる通過点の田舎町になってしまいましたが… 吉松を捕まえる上砂川駅の線路の多さに驚きです。この映画のすぐ後に炭鉱が閉山し廃線。人口も激減し、民家が点在するだけの集落と化しています。今も昔も札幌の街はにぎわってますね。パルコや西11丁目駅が懐かしい。留萌に人が溢れてて、まだ映画館があるのが時代を感じます。 北海道って札幌のようなオリンピックで急発展した都会があって、田舎は田舎のままで懐かしさを感じさせ、寂れた港町に炭鉱に陸の孤島が、まだある。徐々に近代化が進み、失われつつある懐かしい日本の風景。演歌と共に、これぞ日本人の心!ってイメージを創りあげてます。  ストーリーは、刑事ものとして森岡を追う映画かと思いきや、英次の目を通して、その時々の3人(3.5人?)の“女”の生き様を観せる映画でした。でも最初の女二人が映画の尺としては短めで、続く桐子がメインなため、一本の映画としてはバランスが悪い印象を受けます。 元妻・直子。彼女の浮気が原因らしいが、そもそも家庭を顧みない(と思われる)英次に三下り半を突き付けられる。涙を流し、笑顔で敬礼する直子…もうエンディングの画ですよね。夫婦の物語の、エンディングから、この映画は始まります。 犯罪者五郎の妹・すず子。兄思いの彼女を、自分の妹・冬子にだぶらせる。地元に置いてきた冬子が、兄とずっと暮らしてるすず子に似ているのではなく、カッとなる性格という部分が、自分と五郎をだぶらせる。すず子を使い捨てて、アッサリ他の女と一緒になる雪夫の“どのツラ下げて”感。まさに演歌の『弄ばれて捨てられた女』ですね。 そして場末の居酒屋の女将・桐子。帰る場所(家庭)の無い、英次のような男が行き着く場所として、最高の舞台です。歌登出身の桐子が、増毛で居酒屋を始めた理由は不明です。続けてる理由は何となく…でもこんな客が来ない店、当時も続かなかったろうな。英次が立ち寄るためだけに、ポツンと存在する居酒屋。ふつうこんな、独り身の美人女将の店なら、スケベオヤジが居座るか、常連のたまり場になってるか。まぁそんな連中も年越しは家族のモトに帰るんですね。 星座で相性の良さを伝える桐子。御冬神社のお守りを渡す英次。最果ての街から、ぼんやりと新しい人生を歩み出せそうな二人の悲しい結末。この時の、事情を知らない倍賞千恵子の演技の素晴らしさ。前の男が居るタイミングで新しい男が来てしまったバツの悪さから、英次が森岡を知っていることに驚き、森岡から英次(桐子は営林署の人と思ってる)を守ろうとしたところ、森岡の方が撃たれる。全てを察した桐子の「…そういうことか」で終わる二人の新しい人生。 出会い、愛を育み、別れる。三度流れる舟歌の使い方が素晴らしい。終着の増毛から留萌へと向かう汽車(電車か)。見送る人のいない出発。あぁ、日本の心・演歌の世界。  後半、お笑いパートを挟んでくるのが素晴らしい。武田鉄矢との“添い寝”はニヤニヤが止まらなかったです。劇中唯一の英次の心の声『樺太まで聞こえるかと思ったぜ』も、おしとやかな倍賞千恵子のギャップ&不器用な影でそんなコト思ってた健さんのギャップがサイコーでした。 でもね私が一番吹き出しそうになったのは、札幌へ帰る英次を桐子が駅で見送るシーンです。「まだ時間あるぜ」「…じゃね!」のあと、桐子が閉めた出口の扉が、勝手に開くのです!!倍賞千恵子が閉めたけど閉まりきらず、5cmほど隙間のあったアルミサッシの扉が、自然とスーーっと開くんです。その扉から高倉健が「桐ちゃん!」と出ていきます。あぁ扉の裏でスタッフが隠れて開けたのが、映っちゃったんでしょうね。“健さんに扉開けなんて雑用させられない”なんて、スター俳優様の扱い。なんか、凄い時代だったんですね。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2025-01-05 18:45:39)
7.  単騎、千里を走る。 《ネタバレ》 
“千里走単騎”邦題まま。タイトルから『健さんが凄い距離を一人で移動する映画かぁ、あぁ、ラリーの奴かなぁ』と思ったんですがそれは別な映画でした。 映画人・高倉健の遺作としての『ぽっぽや』良かったです。そのあとの高倉健の蛇足『ホタル』が駄作だったので、「韓国の次は中国か…」って、不安の方が大きい作品でしたが、思いのほか見応えがあって、静かだけどとても面白かったです。  『単騎、千里を走る。』という三国志演義の関羽の…つまり、演者が仮面をかぶって踊って歌う伝統舞踊の演目の一つだったんですね。 人づきあいが苦手な剛一が、言葉の通じない雲南省で、頭を下げたり誠意を尽くしたり、徐々に目的の舞踊撮影に近づいていく様子がとても見応えがありました。 急な呼び出しでも対応してくれる通訳の女性(最初健さんの頼みを断って冷たいと思った)。日本語が殆ど解らないのに付き添ったガイドの人(最初インチキじゃないか?と怪しいと思った)。面会を許可した刑務所長(This is 中国!って政府人間だと思った)。ヤンヤンを連れ出しを許可してくれた村長(ヤンヤン孤児だから厳しくしてるのかと思った)。 なんかみんな良い人たちで。あちらに住んでる人たちって、ホントはこんな、優しくて、私たちを理解しようと一緒に悩んでくれる、ほのぼのした人たちなのかもな?って思えました。最近、中国に対して友好的な話があまり出てきませんが、この映画に出てくる人たちとは、平和で友好的な隣人関係が持てそうで、そうなると良いなと思います。  さて、日本パートというか、寺島しのぶパートは全部苦手でした。最初の面会(拒否)から、何でもう少し事前に交通整理しとかないねん!って思ってしまった。 そして中国に渡った際も、健一に言うなといわれてたのに、何で言うねん!って。そして剛一の努力を全部ぶち壊しにする健一の“単騎~”の気持ちを言っちゃうし。 最後は訃報は仕方ないにせよ、剛一にとって道半ばのあそこで、遺書読むか?しかも国際電話で!?(※剛一は移動中だし国内と違ってバッテリーの浪費は避けたい) 何かもう、李加民の舞踊が消化試合にように、どうでもよくなってしまって…  一度難関をクリアすると、次回以降その難関はスルー出来るのはちょっと気になりました。ヤンヤンの村の宴会中に鳴る電話…屋根に登らないと通話できないんじゃ?遭難した二人を助けに来た救急車と通訳…あそこは車が通れないからトラクターに乗り換えたんじゃ?簡単に入れるだけでなく観客とかグレードアップしてた刑務所のステージ…でも寂しさ倍増のパーティライトが好きさ! いろいろ書いたけど、あの当時のイメージ通りの健さんを観られて、良い映画でした。
[DVD(字幕)] 7点(2024-12-30 15:51:16)
8.  東京ゴッドファーザーズ 《ネタバレ》 
今年のクリスマス映画に選びました。ホームレスとして一緒に生活する3人。ホームレスになったそれぞれの事情…というのが、ざっくり自分の身勝手さなんですね。それが、拾った赤ん坊を助けたい一心で次々と奇跡が起きていく。 赤ん坊を拾った時から、ペンキ缶が当たりそうになる、転倒バイクに轢かれそうになる…ってわかりやすい奇跡が起きます。簡単な奇跡から巡り巡っての奇跡まで、いろんな奇跡が詰め込まれた温かい映画でした。 この映画を観たいと思ったキッカケが、春から放送されてた朝ドラ『オードリー』の再放送を観て、主演の岡本綾に光るものを感じたからです。『続けていれば凄い女優さんになったろうに、早々に引退しちゃったんだな』って。そんな彼女が恐らく最初で最後の声優をしたのが本作でした。オードリーの彼女からは想像も付かない、不貞腐れた声と独特なイントネーションがとても良かったです。  全身厚手のフル装備だからよく解らなかったけど、以前はもっとぽっちゃりしてたミユキ。父を刺した回想が面白い。横たわる父の後ろでその事件を取り上げるテレビのワイドショー。「血なんかこれで拭けばいいじゃん」美由紀からのプレゼントだけど、服装から季節は夏だし、さすがにマフラーは使わないだろう。電車で偶然会った時、父はちゃんとマフラーしてました。両親がハナたちに代わり、家が段ボールハウスになり、今の痩せたミユキになってる。この境界線があいまいな夢の表現が実に今監督らしい。 察するに夏からホームレスになったミユキ。暗殺者にさらわれた際、ここにきて自分が売られる恐怖を感じます。それまでギンに拾われたために、闇落ちせずにノビノビ育ってたのも奇跡ですね。 父の愛情を感じられなかった美由紀が、赤ん坊をさらった幸子に、必死に親元に返すよう説得する言葉が、全部自分に跳ね返ってます。  ギンが助けた行倒れ爺さんがギンと(パッと見)同じ格好してる=将来の自分。娘を難病で亡くし妻を失った医者=ギンが自分語りするときの架空の自分。 そしてギャンブル好きで身を滅ぼした泰男=過去の自分。泰男を殴って言う言葉が、そのまんま過去の自分に言ってます。そんな過去の自分(泰男)が自殺しようとする幸子に「生まれ変わって、もう一度やり直そう」と叫ぶ。奇跡的に娘に会えたギンは、今後どうするんでしょうか?  ホームレスが本当のホーム(家族)を再発見する奇跡の話。だけどハナちゃんどうなるんだろ?ギンが妻のもとに帰ったらそれこそ独りぼっちです。「泣いた赤鬼」の青鬼になってしまいます。なのできっとギンとハナちゃんは一緒に暮らすのかな。 2億円当選の宝くじ。やりすぎな気もするけど“赤ん坊の命はそれ以上の価値がある”って意味かなぁ? 最後、ゴッドファーザーズ(名付け親たち)のタイトル回収も巧いです。あの子が何て名前になるか一発で解る優しさ。年末にお酒を飲んで回らないアタマには、こういうのが丁度いいんだよ。ホント。 本作のモトになった西部劇『三人の名付け親』も観てみたいですね。
[DVD(邦画)] 8点(2024-12-29 11:47:08)
9.  秋日和
なるほど、『晩春』のセルフパロディのような映画です。私はこっちから先に観てしまいました。 主役の父娘を母娘に変えていますが、娘の結婚の呼び水として親の結婚を絡めるという部分も、いつも二人で暮らしているのに、旅行先が本音を語り合う場になっているのも共通しています。 親の性別以外で大きく違うのは、前作から11年経っていること。戦後から15年も経っていることでしょうか。晩春との比較が多くなってしまいますがご容赦を~。  この15年で日本は大きく発展しました。朝鮮特需と高度経済成長。また若者の結婚に対する考え方も変わったと言えるでしょう。『晩春』の紀子が叔母の紹介でお見合いする相手(熊五郎だっけ?)が一切登場しないのに対し、本作の後藤は、最初こそ間宮の紹介だったけど、結果的には恋愛結婚をしています。心の拠り所だった父自らが、娘を結婚という未知の世界に飛び込ませ、幸せになることを何度も強調していた『晩春』と違い、本作は恋愛の延長としての結婚を描いていて、自然と幸せになれる雰囲気を感じさせます。母親の存在が“自分だけ幸せになる心残り”として描かれているように感じました。幸せを掴み取る時代から、幸せのカタチをを選ぶ時代になった。といったところでしょうか。  本作は母娘以上にオヤジトリオが目立ちます。これがまた、素直に楽しめる方は良いんですが、あの時代だから許された、今の時代にはそぐわない過去の遺物にも思えます。娘の友達にお茶を運んできた周吉の家庭っぽさに対し、外食にゴルフに酒場にと遊び盛りのオヤジたち。家に帰れば服をポンポン脱ぎ捨て、それを妻が拾って片す。このシーンを入れておいて、伊香保の旅館で秋子が「結婚して幸せになるのよ」なんて何度も強調されたら、それこそ茶番です。オヤジトリオも秋子も、古い価値観の結婚像しか描けないんでしょう。  更に、母娘以上に活躍するのが百合子です。友人思いで家族思い。頼まれてもいないのに、単身オヤジトリオを打ち負かす様子はまさに痛快です。 最もオヤジたちも、この映画の悪として描かれている訳ではないので、百合子の破天荒さを温かく見守っている存在。そんな雰囲気も感じられました。
[DVD(邦画)] 7点(2024-12-26 23:58:15)
10.  機動警察パトレイバー2 the Movie 《ネタバレ》 
ロボットアニメなのにレイバーの活躍は僅かで、騒々しい特車二課第二小隊の面々を、前作以上に脇役にして、両隊長を事件の中心に置いてます。もともとがOVA版『二課の一番長い日』のリメイクともいえる作品です。そこから更に押井テイストが前面に出た本作。観はじめは「私たちが知るパトレイバーらしくない」…って感じもしましたが、観ているうちにグイグイ引き込まれてしまい、最後のレイバー戦すら不要だったんじゃないか?って思えるくらい、見応えのあるSFアニメでした。  この映画のハイライト、幻の空爆が凄いです。平和ボケと言われた当時の日本で、かつて無いヤバい事が起きてるのがビシビシ伝わってくる。追撃に上がったウィザード隊が撃墜された時の衝撃。映像はF-15の編隊が飛んで、管制室と交信しているだけ(!)なのに。無機質なデジタル映像と、淡々とした登場人物のセリフ。場面にマッチした川井慶次の音楽。それら素晴らしいマリアージュが、あの何とも言えない緊張感を産み出したんですね。 ここはビデオテープが擦り切れるくらい何度も観ました。今回初めてサウンドリニューアル版も聞きましたが、俗にいう“素人バージョン”の方が伝わり具合が上回っているように感じます。 ※最初リニューアル版で観ようとしましたが、オープニングに曲を被せたりと、ちょっと違和感を感じたので、結局オリジナルバージョンで通し観しました。 この場面で荒川が急に車を飛ばします。ここから物語の勢いが急加速するので、今まで考えたこと無かったけど、荒川はどこに向かったんでしょうかね?まさか、首都圏から逃げたとか?後藤と南雲はどこに連れて行かれて、そこで何を見たんでしょう??今になって謎が生まれました。  当時の状況を思い出すと、湾岸戦争を機に、自衛隊がついに海外派遣('91年~)を始めたばかりで、OPの“戦場で発砲できずに撃墜される自衛隊レイバー”に、妙な説得力、リアルな未来を感じました。そしてベイブリッジ爆破、たった一発のミサイルで崩れ去る安全神話と繋がるから、実被害ゼロの幻の空爆に緊張感があるんですね。野明が暮らす寮にアジア系(ブラジル系?)の外国人。同じ屋根の下に外国人って、当時はまだ珍しかったんですよね。そして日常世界に武装した自衛隊が居る違和感。映画の中の架空の物語ですが、数年後にこの映画のような緊張感を現実に味わいます。地下鉄サリン事件('95年)で表面化したオウム事件です。都市部での毒ガス散布の脅威、破壊活動防止法。毎日の報道特番を観ながら、悪い意味で時代がSF映画に追いついたような、不思議な怖さを感じましたね。  どういう訳か、作品全体から冷たい印象を受けますよね。冬が舞台なのと、パトレイバーらしいアツい登場人物の出番が抑えられてるから…というだけでなく、なるほど、登場人物同士が、意図的に目を合わせてないんですね。 並んで正面(同じ方向)を向いていたり、人物の横顔を見ていたり。実際には向き合っている場面でも、話し相手を反射するガラスに映したり、敢えて顔を見切れさせたり…押井さんの実験とも取れますが、徹底してます。そして最後、しのぶが柘植に手錠を掛けたあと、無言で見つめ合う二人を映します。それをヘリから見る後藤。どれだけ思っても、しのぶがあの表情を後藤に向けることはない。手袋越しとはいえ、指を絡め、少しの時間でも一緒に居るため手錠の片側を自分に嵌めるしのぶ。ある意味普段のパトレイバーらしい気持ちの行き違いが、押井さんの抑えた演出により、大人の恋愛の切なさを感じさせます。
[映画館(邦画)] 10点(2024-12-19 23:29:48)(良:1票)
11.  晩春 《ネタバレ》 
大失敗!秋だったからって『秋日和』を先に観てしまったわっ!なので、こんな季節に『晩春』です。 父娘の物語の合間・合間に、平和で穏やかな日本の風景、文化をちりばめていますね。茶道教室でお茶を点てる所作を静かに観せる。中盤の能のシーンも印象的。ここでは紀子が父の再婚相手に複雑な感情を抱くシーンだけど、能に結構な時間を割いている。親子最後の京都旅行では、清水寺や竜安寺の石庭といった有数の観光地を観せている。終戦から4年後のお話ですが、まるで戦争なんて無かったかのごとく、時間が止まっているかのごとく、日本の美しい原風景が映し出されます。  今から振り返ると“懐かしい、古き良き日本”の映像ですが、公開当時は古い時代(戦前からあるもの)と新しい時代(戦後に出来たもの)の、日本の過渡期を表現していたように思えます。序盤の日本情緒あふれる鎌倉と比べ、近代的な銀座は外来のカタカナ看板が目立つ。若者がサイクリングで向かう先にはローマ字表記とコカ・コーラの看板。まだ進駐軍が残ってるんでしょうか、戦後らしいです。 紀子の友人アヤは、離婚してステノグラファー(速記)なんて仕事をしています。女性が手に職をつけて、社会で働く時代が目の前まで来てるんですね。働くだけでなく、旦那さん探しも大切なことです。紀子の同級生は、働くか、結婚しているようです。多くの若い男が戦争で命を落とし、女性が生きていくには、どちらかの道を選ぶ必要があったと思います。  周吉は、紀子と友人にパンと紅茶を運んできます。当時の日本の父親像といえば、亭主関白や一家の大黒柱といった“家長”としての立ち位置が思い浮かびますが、ずいぶんと柔らかい父親ですよね。紀子が『このままお父さんと居たい』といった気持ちがわかります。 周吉は56歳。まだ若い!と思うのは今の感覚。当時は(戦後の労働力不足の時代でさえ)55歳で定年退職でした。もう死を考えていい歳です。 紀子は27歳。全然若い!と思うのは今の感覚。当時は30過ぎて独身だと“行かず後家”と後ろ指刺されます。一世一代の嘘をついても、ここで嫁に出すしか無かったんですね。『ファザコン娘を父離れさせたい件』…なんて呑気な話ではなく、欧米化が進む戦後激動の時代、自分の死後、自活能力のない愛娘の、残り半分の人生をどうするか?という切実なお話だったのでした。  壺…特に気にならずに観てしまいましたが、私はこの父娘に性的な暗喩は感じませんでした。だって、この映画の主役は父でしょう? 壺は本来、食料を入れたり、花を挿したりするものですが、あの壺はそのような用途には使われていません。泊まり客の目を楽しませる、本来の用を成さない“置き物”です。おそらく、父と娘で仲良く暮らす、今のままの紀子を表しているんでしょう。二人一緒だと楽しいけれど、人として生まれながら、何の用も成せない、置き物のような存在になってしまう。 寝室の壺の後に、竜安寺の石庭が映ります。400年以上変わらないものを見つめ、ガラッと変わった戦後の日本を生きていく人間として、娘だけでも変えてあげなくてはいけない。そんな決意を固めたんでしょう。 「なるんだよ、幸せに」娘の幸せを一番に思う父の気持ちに、一人リンゴを剝く背中に、温かい気持ちになれました。
[DVD(邦画)] 9点(2024-12-18 22:54:01)
12.  さかなのこ 《ネタバレ》 
さかなクン(男)を、のん(女)が演じる。…なんで?どんな理由があるの?って、ここに食い付いた人も多かったと思う。 始まってすぐに『男か女かは、どっちでもいい』って、一番期待ハズレの解答が来ました。ウソでも良いから何か理由を用意してほしかったかなぁ。でも私のことだから、物語を散々引っ張った挙げ句、最後の方で『実はどっちでもいい』って結論になったら、それはそれで、残念な気持ちになったかもなぁ。  この映画、好きな部分と嫌いな部分がハッキリ分かれてます。初っ端からガッカリした反動で、幼少期は作品のノリに付いていけませんでした。ミー坊の過去に、さかなクンそのものが出てくる意味が解らず。このギョギョおじさんって、さかなクンのモトになる人が実際に居たんだろうか? ミー坊が捕まえた巨大な“タコさん”。お母さんの許可で飼うはずだったのを、お父さんがビッタンビッタンと殺す(絞める)…イヤちょっと、子供も観る映画っぽいのにさぁ、なにこのブラック・ユーモア。 再登場のギョギョおじさん。今度はお父さんが遊びに行っちゃダメというのを、お母さんが行っていいと許可する…イヤちょっと、子供も観る映画っぽいのにさぁ、なにこの犯罪誘発臭。実話だとしても、どうしてこう、観てて消化不良起こしそうな、児童性犯罪を連想させるエピソードを入れたのか?映画オリジナルか?原作の自叙伝を読めば納得できるのか?映画は映画で完結してほしいものです。 モモコが好きとハッキリいうミー坊を、男の子たちが「エロス!!エロス!!」とからかうとか、冒頭『どっちでもいい』と書いてた割には、性に関するエピソードを入れてくる。  青年期に入り、いよいよのん登場。ヤンキーの抗争に巻き込まれるのも、ほのぼのというか、漫画チックというか…どうにも方向性が私の好みではない。でも、この映画を小さい頃に、児童集会とかで友達と観てたら、きっと楽しめたかもしれない。 内心“子供向けな映画”と切り捨てながら観続けて、カブトガニの散歩あたりから、不思議と面白く感じてきたのだ。のんが本物の活きたアジを捌くところから、序盤のノリで終始フザけてるだけの映画じゃないように観えてきたんです。 …いや相変わらずフザケちゃいる。服切らないでアミ買ってこいよ。歯医者の要求に応えたい→大きな鯛を捕まえる→でも水槽にはマニアックな地味な魚…何この雑なエピソード?相変わらず構成は決して上手とは言えない。  調べたらミー坊の子供時代も女の子でした。ミー坊の性別は徹底して女性でしたが、上京してようやく、さかなクンをのん(女)が演じた効果が発揮されます。 ヒヨが彼女とのディナーにミー坊を呼ぶ。一見、両手に花のヒヨだけど、ミー坊は男の子。ミー坊と彼女で三角関係とか、無いのだ。頭が軽く混乱する。 ミー坊のアパートにモモコと連れ子が押し掛けてくる。川の字で寝る3人。一見、女友達のお泊りだけど、ミー坊は男の子。連れ子が居るとはいえ、内心ドキドキ展開なハズだけど、映像からはそんな事、思い浮かばないのだ。ますます混乱する。 さかなクンをのんが演じることで、男女間のエピソードが脳内で反転し『なぁんだ、さかなクンもただの男じゃん』ってならず、男女間の友情という妙なバランスをしっかり保ち、さかなクンの存在を際立たせることに成功している。 金銭面で無理してるミー坊と、モモコが出ていく場面は、お互いの性別を超えた思いやりと悲しさを見事に表現していました。後半はもう、素直に良い映画だと思います。序盤のイマイチさを、後半見事に盛り返した印象です。  映画を観て、さかなクンについて、思ったことがある。ミー坊は魚のことを「◯◯さん」と呼ぶよね。「タコさん」とか「アジさん」とか。これって、さかなクンは大好きな魚を“異性(女性)”として考えてるから、“さん付け”なんじゃないだろうか? だから男性の自分は「さかな“クン”」なんじゃないかな?更に、恋愛の対象じゃない友だちを呼ぶ時は、男も女も「ヒヨ」とか「モモ」とあだ名や呼び捨て。 なんかこう考えると、冒頭の『男か女かは、どっちでもいい』って言葉に、意味があるような気がしました。いや『どっちでも』良くはないと思うけど、この映画に関しては、さかなクンをのんが演じて良かったと感じています。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-12-03 22:40:18)
13.  PERFECT BLUE
『パーフェクト・ブルー 完全変態』という小説が原作(原案かも)で、タイトルの意味は良く解らないそう。 '90年代、羊たちの沈黙の大ヒット以降、サイコ・スリラーものがたくさん創られたけど、日本のアニメの代表作が本作かもしれません。 沙粧妙子みたいな劇中劇の効果もあって、アイドルへのストーカー犯罪として進行しますが、そのターゲット=ヒロインが、人気女優でもクラスの人気者でもなく、デパートの屋上イベントで歌ってる売出し中のアイドルグループの1人で、女優への方向転換期というのが、彼女の立場の不安定さを表しています。 当時はアイドル業界はモー娘。がデビューする辺り。インターネットが一般社会に普及していく拡大成長期。そしてジャパニメーションを世界中の映画関係者が観だした辺り…でしょうか。  ファンがあっけらかんと「未麻の部屋見てるよ~」というのにドキッとしました。あぁファンサイトの事か。と思ったらストーカーの本人なりきり日記風な内容にゾワッと…アイドルへの思いが独り歩きし、勝手な妄想と結びつく。それは未麻本人とは違う、ファンが勝手に作った未麻。現実の未麻が妄想の未麻と乖離したときに感じる不満と怒りが犯罪へと向かわせる。…って流れに思わせといて、女優を選んだ未麻自身の中にも、自分とは違う未麻が生まれ、どこまでが現実で、どこからが妄想か解らなくなってくる。でも現実世界はどんどん進んで、世間の思う未麻と、自分の思っていた未麻も乖離していく。怖い。最後は『うへぇ…』ってなりました。傘を持ってニコニコと追い掛ける妄想未麻と、鏡に映る必死に走る現実の犯人。あれは、誰視点の未麻だったんだろう?  アイドルって、こんなにも気持ち悪いものに囲まれてるんですねぇ、怖いですねぇ。最後、未麻が立ち向かったからホッとしましたが、下手すると作品全体の気持ち悪さと不快感の方が、勝ってしまったかもしれません。 本作の素材としての魅力は感じますが、面白いかと言われると微妙です。そう思ったのは、私にアイドルオタクの資質がないからかもしれません。アイドルに対するストーカーやルミの気持ちが、私には自分ごとのように共感できなかったんでしょう。そういう人たちがいて、そういう気持ちが芽生えて、で、そんな事になってしまったって、うわべの部分しか理解できなかったんでしょうね。
[DVD(字幕)] 5点(2024-12-01 14:52:57)
14.  GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊2.0 《ネタバレ》 
攻殻のDVDを安く手に入れて、喜んで観たらコレでした。確かに『~2.0』って書いてあるけど、ファイナル・エディションとかディレクターズ・カット版とかの、DVDの仕様だと思っていましたよ。 始まってCG素子を観て、あちゃーって思いました。で、バトーやトグサはアニメのままな事に、一つの作品として統一感の無さを感じました。どうせなら人物すべてCGにすれば良いのに…なんて思っていたら、CG素子は一部だけなのね。だったら人物は全部アニメのままで良かったのに… CG素子ですが、2008年って、まだこの程度のCG技術だったんですね。アニメパートより古臭さを感じます。  音は良くなっていると思います。オリジナル版はいま観ると、SEに古臭さというか、昔のアニメっぽさを感じます。本作は結構リアル路線な作品ですが、人が飛び上がるときに『ビュン!』とか『シュタッ!』とかって実際には鳴らない音を入れてるのが当時のアニメらしいです。本作はそこは改善されていて、銃の音とかリアリティが増しています。 でも声は昔のほうが、私は好きです。オリジナルの清掃員の会話「あんた子供いる?」「(被せ気味に、怒り気味に)いるように見える?」は、短いながらも千葉さんの名演技だったなぁ。  人形使いを家弓さんから榊原さんに変えたのは、良くも悪くもです。オリジナルの違和感も良かったし、田中さんと声質の似ている榊原さんというのも面白い。でも『だったら最初から女性声で良かったのでは?』って思いました。変える必要性がイマイチ伝わりませんでした。 5分ほど長くなっていますが、どこが伸びたんだろ?出来ればSEだけを変えた1.5を創ってほしかったかな。初めてこの作品を観るなら、オリジナル版でしょう。コッチは…観なくても。
[DVD(邦画)] 4点(2024-11-24 14:49:15)
15.  GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 《ネタバレ》 
“GHOST IN THE SHELL”=『攻殻機動隊』ではなかった筈です。『薬莢の中の魂』…みたいな意味かと。素子もバトーも体いじくって、戦闘サイボーグみたいになってるけど、その中にはいじることの出来ない人間のゴースト(自我?)がある。じゃあAI(人形使い)が自我を持ったら?…このアンドロイドともクローン人間とも違う、曖昧でリアルな未来感に、当時高校生だった私はとっても衝撃を受けました。 確かに、自分の体の一部が無くなっても、義手なり義足なりを使っても、私に変わりはない。時代が進み、“義体”なるものが出来たとして、最終的に脳さえあれば、それは私と言えるんだろうか?更に脳もいじるようになり、電脳化していったら、どこまでが私なんだろう?こんな世界観を考えるなんて、どんだけ凄い人なんだろう?この士郎正宗って人は。  日本のサイバーパンクSF漫画家として、私のSFヲタ心を満たしてくれたシロマサ。『プレデター』のカメレオンみたいな宇宙人の謎技術を、熱光学迷彩ってリアルで説得力のある未来技術に変えたシロマサ。過去の映像作品アップルシードもブラックマジックも面白かったけど、OVAじゃ一般の認知度は低かった。それらに比べ攻殻はテーマも解りやすく、ストーリーも一般受けしそう。それがいよいよ映画化される。そりゃワクワクしましたよ。 でも絵柄がイメージと違い、なんかコレジャナイ感が…ちょっと不安もあったので劇場ではなくレンタルで観ました。これは…押井さんの作品だわ。  カラッとしたハイテク・ジャパンな原作と雰囲気が異なり、映画はジメッとした和+中華というかアジアンというか、そんな音楽やキャラデザインに、やっぱり違和感を感じました。 80分の短い作品なのに、押井作品らしい独特の間はきちんと入れる。“親切なやつ”が銃撃から逃げて、素子と格闘するまでの“間”。立ち止まってビル越しの空を見上げたり、逃げるあいだにガラクタの山を観せたり。こういうの入れた必要性が解らなかったわ。敢えて言えば、シロマサ作品を踏み台にして、押井テイスト(=オレ流)を押し付けられてる感じがして、そこにどうにも居心地の悪さを感じました。 そして押井さんの作品ながら、この映画の面白いところがほぼ原作の面白いところそのまんまだったのも残念でした。攻殻に関しては劇場版パトレイバーのようなプラスαが感じられませんでしたね。  私の結論として、『あぁこの人、ハリウッド・ウケを狙ってるんだな』って。この映画はシロマサ原作好きに向けられたものではなく、ハリウッド向けに創られた、当時のジャパニメーションの技術サンプルのような作品だなぁ~って、そんな感想です。 まぁ海外では見事にウケて、押井さんの(世界的な)知名度も上がったようです。そして彼の次作は迷作アヴァロンでした。  人間が制御しているAI=フチコマ(多脚戦車)が出ない。「ゴーストがないお人形(ロボット)は悲しいね」などの名セリフも、使う場所を改変してて違和感を感じました。ストーリーもあちこち切り貼りされたこの映画に、技術的な価値は感じても、作品としての価値はあまり感じませんでした。原作の魅力的な部分だけはしっかり抽出して、余計な押井テイストを加味してしまった本作に『もう純粋に攻殻機動隊の面白さが映像化されることは無いんだな』って、ガッカリもしました。(※攻殻の他の映像作品は観てません。) あれからおよそ30年。『コレはコレで、良いのかな?』って、当時違和感ばかりだったこの作品にも、味わいを感じるようになりました。 相変わらず、原作>>>映画版ですが。
[ビデオ(邦画)] 6点(2024-11-24 14:44:03)
16.  リング(1998) 《ネタバレ》 
80年代以降のホラー映画は、血みどろのスプラッターか、特殊メイクやVFXで気持ち悪いクリーチャーを観せる“観客を驚かせる”ジャンルと、ある種の固定観念が出来上がっていたところに、日本から強烈な一石を投じたのが、このリングだったと思います。 開発が進んで便利になった生活に、徐々に入り込む余地が無くなってきた“呪い”というジャンル。それを“ビデオ”という、家電の中でも割と後発の機器と結びつけ、都会の中で恐怖を引き起こしたアイデアが素晴らしい。  もうね、最初の智子と雅美(うわ、竹内結子と佐藤仁美だ、若っ!)のシーン。当時の家の中の蛍光灯の冷たい明かり。電気スタンドの白熱球の温かい光。光が届いてないところの薄暗い感じが、懐かしくもあり、何かが潜んでいそうで怖い。LED照明だとあの感じ出ないんですよ。ブラウン管テレビのザラザラ具合も懐かしい。液晶の今と比べると低画質のザラついた映像と、放送終了後の砂嵐の無機質さ、寂しさを巧く恐怖に結びつけてます。 呪いのビデオというアイデアだけ聞くと、殺害シーンとか死体映像なんかを連想してしまうけど、ビデオの内容が何とも意味が解らず、不気味で怖い。あのヒリヒリした音。ジャワジャワ動く文字。私は頭に布をかぶった指差し男にゾワッとしました。暴力とか直接的な表現のホラー映画が多かった当時、心理的に恐怖を感じさせる表現に圧倒されました。ビデオを観た人物の、写真の顔が崩れてるのも怖い。ビデオという新しい恐怖を創る下地として、心霊写真という当時のポピュラーな怪奇現象を入れるのも巧いです。  モニターから出てくる貞子の映像については、観客に恐怖を与えられるか、興ざめされるか、制作陣も入れようかどうしようか判断に迷ったでしょうけど、あの見開いた目が怖いので、正解だったんだと思います。 ここまでで充分満足出来るホラー作品ですが、そこからもう一歩進めて、ビデオデッキを積んで父親のもとに向かう玲子という、悲しい怖さを入れるのも素晴らしかった。特に中盤で孫と祖父の仲の良さを入れてるものだから、残酷さが際立っている。凄い。 余談だけど、みんな運転荒いね。特に松嶋菜々子。徐行運転しない感じ。あと後部座席の人がシートベルトしてないのも、時代だねぇ。
[地上波(邦画)] 8点(2024-11-11 00:25:47)
17.  トラック野郎 御意見無用 《ネタバレ》 
子供の頃、近所の玩具屋さんのお爺さん店主が、大きなデコトラのプラモデルを見せてくれました。「見ててごらん」とお店の照明消してスイッチ入れると、トラックに仕込まれた沢山の装飾電球がチカチカ点灯する、それは綺麗なプラモデルでした。…当時LEDなんて無かった時代、あれはムギ球で光らせてたのかな?今となっては謎です。  さてトラック野郎。土曜の昼とかに流れてた気がしますが、子供の頃は観せてもらえませんでした。だってエロいシーンがあるんだもん。ヤクザ映画の人が主役だし、想像では、ヤクザがデコトラ乗って殺し合いとかするんだろう…と思っていました。実際観ると人情ものでした。当時は東映の看板作品として、松竹の寅さんと『トラトラ対決』なんてしてたんですね。  人情ものではありますが、まぁムチャクチャです。スピード違反に過積載。仕事終わりはソープでくつろぐ。ソープ嬢へのお土産は盗んだスイカ。'75年8月と言えば松竹のトラは『メロン騒動』の回。奇遇ですね。食堂では殴り合いの大喧嘩。この食堂が『くるまや』。当時はまだ『とらや』だけど、これまた奇遇ですね。やもめのジョナサンは家に帰ると子だくさん。更にもう一人産まれて、身寄りのない子も養子にしちゃおうなんて、ホントムチャクチャです。でもこのムチャクチャ加減が、当時の日本のパワーを感じさせます。後先考えないエネルギッシュさ。若者が老後のためにコツコツ積立NISAなんかしてる今と大違い。  汚い便所からマドンナが出てきてキラキラ星が輝くなんて、ベタだけど笑っちゃいます。桃次郎の付け焼き刃な紳士的な振る舞いも微笑ましいです。何よりオッサン二人が褌一丁でキャッキャ・ウフフと戯れる姿が可愛くて。桃もジョナサンも、トラック降りて、履き物をバンザイして掲げてから放り投げるのがシンクロしてて、また可愛いのさ。 惚れた女のために、愛車をボロボロの泥だらけにして送り届ける姿は、ちょっとホロリと来ます。1作品に色々詰め込み過ぎな気もしますが、面白かったなぁ、続きも観てみたいなぁ。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-11-09 11:07:30)
18.  霧の旗(1965) 《ネタバレ》 
仕事熱心で真面目な兄を思って、自分もタイピストとして、貧しいながらも真面目に働いて、ろくに恋愛をしてこなかった桐子。…兄思いでキーパンチャーだった寅さんのさくらと被るなぁ。殺人犯の妹として熊本で働き続けられなくなり、銀座のスナック(※BAR海藻とあるが、同僚「表の明かりを消して12時過ぎまで営業云々」って、ちょっぴり違法な店)に身を落とす。  さて、熊本の田舎から遠路はるばる東京まで(しかも終始鈍行列車で)、電話の1本も入れず弁護士事務所に直接訪問する桐子。こんな常識外れな桐子に、大塚弁護士は直接会って断るという、誠心誠意、紳士的な対応をしています。弁護費用は約80万円。当時の初任給が約17,000円~20,000円、ラーメン1杯は80~100円の時代、およそ今の1/10と考えると、20歳そこそこの娘に払える金額じゃありません。それでも『費用を1/3にまけろ』と言うから、桐子はそれなりの金額は払う覚悟はしていたんでしょう。 大塚は弁護を断ったがために逆恨みされます。桐子のしつこい性格から考えて、もし引き受けて、裁判で負けても、やっぱり逆恨みされたんじゃないでしょうか?この時の大塚に非があるとしたら、断る口実の一つに『多忙』と言っていたのに、愛人の経子に会いに行っている。特に説明はないですが、川奈(ゴルフのメッカらしい)と聞いて、桐子は察したんでしょうね。  推理好きは、サウスポー山上の登場と『犯人は左利き』って情報を結びつけます。観るものに『こいつが真犯人だ』と思わせます。更に桐子の前で2回もライターをいじって、そのライターが経子の事件現場に。 兄の事件と経子の事件は良く似ています。兄も経子も犯人じゃないのに、嫌疑を恐れて現場を逃げています。桐子が、山上こそ2つの事件の真犯人だったって証明する結末こそが、復讐劇の王道展開です。でも桐子は死んだ兄の汚名を晴らすのではなく、大塚の因果応報に結びつけたんでしょう。お金が払えないから兄を救わなかった大塚を逆恨みし、自分は復讐のために愛人経子を救わない。また大塚に対し仕事外(ツン)と仕事中(デレ)のTPOの使い分けを徹底しているのも、結末を考えると計画的で恐ろしい。   タイトル『霧の旗』。「霧は音を立てて流れる」…じゃあ旗は?霧は=桐子でしょう。旗は…昔は女の生理日を“旗日”と呼んでいました。当時白が多かった女性下着の一部が赤く染まる様子から生まれた隠語です。桐子は憎い大塚に自分のもっとも大切な処女を捧げ、それが大塚を陥れる動かぬ証拠となりました。水商売の桐子が処女だったという予想外の結末が、意味不明だったタイトルに結びついたようで、モヤモヤが晴れるとともに、改めてゾッとしました。
[DVD(邦画)] 8点(2024-10-26 11:09:19)
19.  侍タイムスリッパー 《ネタバレ》 
公開されてから結構な日数が経っていますが、思った以上の人の入りでした。客層は若い方はまばらで、私より二回りほどご年配の方が多くお見受けされましたね。 春からBSで再放送されていた朝ドラ『オードリー('00)』を観ていたので、たまたまチャンバラ映画末期の京都撮影所の内情に、多少の理解がありました。時代劇は映画からテレビへ、そしてテレビからも消えてゆく。'11年に水戸黄門の放送が終わり、人知れず地上波から時代劇が消えていたようです。 『幕府滅亡から140年』滅亡が1867年だとして、舞台は現代ではなく2007年くらいのようです。優子がスマホでなく携帯を持っていたのと、『子供の頃友達がセーラームーン('92~)を…』と言っていたので、大体その頃かな?って思って観ていました。あとから沙倉ゆうのさんの実年齢を知って驚きました。せいぜい30歳前後かと…  さて、幕末の京都から同じ京都太秦の時代劇撮影所へ。侍の格好した人が歩いていても珍しくない場所に来ちゃったから、周りからはちょっと風変わりな役者だと思われる高坂。戸惑いながらも徐々に時代を受け入れて、切られ役として第二の人生を歩みだす… 自分だけこんな平和な時代に来て、真っ白な握り飯を食べることに涙する高坂に、私も何故か涙が出ました。ベテラン俳優風見の登場に『そう来たか』と思い、幕末と真剣にまた涙が出ました。最後の闘いはとても迫力があり、息を殺して観ていました。幕末の会津藩士の思いと、終わりゆく時代劇への思い。それぞれの立場で一生懸命に役目を全うしようとする人たち。私には泣ける一方な映画でしたね。  最初は“タイムスリップあるある”で笑いを誘うところですが、会場は思いのほかウケてましたね。『え!え?今のコテコテのネタ、そんなに面白い?』って戸惑ってしまいました。鑑賞中は確かに『ここって実は、後々の伏線で、それを知ってる人が笑ってるのか?』って勘ぐってしまいました。 この映画はもともと、ある程度ご年配向けに創られた映画なのかもしれません。そう、寅さん→釣りバカシリーズ辺りまでは、映画館に足を運んでいた世代の方々。そんな方々が、久しぶりに映画館に足を運びたくなるような映画だったのかもしれません。そこを見据えてユーモラスな効果音とか「すべる、落ちる」の寅さん定番ネタを入れたんでしょうね。最近のスタイルで、家で独りでDVD観てると、面白くても笑わないんですよね、ニヤリとはするけど。振り返ると、ご年配の方々は“面白いシーンは声出して笑う”という、当時のままの楽しみ方をされているんだなぁ。と思うに至りました。   もっと素直な気持ちで楽しむ映画でした。この時代に来たばかりの高坂には、コンクリの建物やワゴン車が目に入っているだろうに、そこはスルーしてます。確かにいちいち全部に反応していたら、一向に話が進まなくなるし。でも病院から一晩、独りでさまようのをしっかり観せないのは、その間彼が何を知って、何を知らないのかが解らなくなり、映画を観てる私との間にちょっぴり溝が… 上の方で2007年と、wikiにも出ていた時代設定をわざわざ得意げに書いたのは、鑑賞中、そこにもうひと捻り理由があるんだろう。と思ってしまったからです。更に先の時代があったり、逆にモトに…だったり。あと映画の途中もう一人の存在に触れたことで、そこも気になっていて、どこかに絡む前フリだと思っていました。そう、私は勝手に、この映画には驚くような仕掛けがあるんだ。と思ってしまっていたわけです。ネット記事の「某映画の再来…」という見出しが、私のハードルを少し違う方向に上げてしまったようです。失敗。 あとですね、今回始めて去年出来たTOHOシネマズで観たんですが、セリフと画が微妙にズレてて、ちょっと気が散りました。このズレ、どこで観てもそうなのかな。(※これは評価に含めてません)
[映画館(邦画)] 6点(2024-10-20 23:57:09)
20.  マルタイの女 《ネタバレ》 
伊丹監督10作目にして最後の作品。伊丹作品としてスタンダードだった前作『スーパーの女』。私は面白かったんですが、監督は不満だったんでしょうか?本作では遂にキラータイトルの『〇〇の女』シリーズにまで、大幅なテコ入れをしてきた印象です。当時大人気の脚本家・三谷幸喜を起用して、恐らくはマンネリ打破を狙ったんでしょう。三谷作品が産んだ時の人・西村雅彦の起用も納得。伊丹&三谷のコラボ作品のようですね。それが巧くマッチしていたかと言うと、正直失敗だったと思います。  宮本信子の『〇〇の女』と言えば、彼女自身がその世界のベテランとして登場し、我々に色んなハウツーを教えるというのがパターンです。本作の場合、彼女が『マルタイ』を守る側(刑事)を演じるのがセオリーでしたが、そこを崩してきました。あと敵の組織・真理の羊の上層部、教祖なり幹部の、人間臭い欲にまみれた素顔が、イマイチ観えてこないのも今までのパターンとは違いました。そんなところが過去の『~の女』とは違う印象を受けます。 彼女の、一見トップレスのようなクレオパトラの衣装は、当時ワイドショーでも結構話題になっていたと思います。映画界で一斉を風靡したあの宮本信子が、あの年齢で、ここまで体を張って話題を創っている姿に、ちょっと必死さを感じてしまったのは事実です。伊丹監督も、夫を支える妻の信子夫人も、必死にもがいていたんでしょう。このクレオパトラ衣装の場面が思いのほか長く、その間は肝心の物語が進みません。そのなかで立花刑事のエキストラ出演&アドリブ暴走と、本筋とは無関係な遊びを入れてくる辺り、いつもの伊丹映画のノリではありません。  敵側を暴力団ではなく、宗教団体にしたのも、当時のテレビはオウムの特番をやれば数字が取れる時代だったので、オウムを仄めかすワードを多数入れたんでしょうか。マルサ2も新興宗教が敵で、かなり深く切り込んだ印象を受けましたが、本作はあそこまでの切れ味がなく、オウムっぽい組織が敵という話題性優先のように感じました。そして最後、証言のシーンを入れなかったのは、逆効果だったと思います。宮本信子が警察の守る側の役だったら、あんな終わり方もアリですが、本作では守られる側。証言台で何を話すかも、それに対する教団や警察の動きなんかも、観る側が期待したシーンだったと思いますが…  見所といえば、本作ではビワコが津川雅彦演じる真行寺と不倫していて、そのネタが教団にバレてしまいます。彼は脅迫に来たヤクザを撃ち殺し、自殺してしまいます。これがビワコが見た夢なのか、実際の出来事かはボカされています。伊丹監督の不倫スキャンダルが出ていた最中ですから、真行寺は伊丹監督自身で、相手を撃ち殺したのは、脅迫には屈しないという、監督なりの宣戦布告だったんだと受け止めました。 最後はどうして映画館で『マルタイの女』を観ている警視総監のコメントにしたんでしょうか?こういう演出は、そう、『タンポポ』がそうでした。映画館で役所広司演じるヤクザ風の男が、私達に語り掛けるところから映画が始まりましたね。 タンポポは監督2作品目ですし、何よりこのマルタイが、監督が自身最後の作品として創ったとは思っていません。でも、何と言うか、この演出で、図らずしも伊丹さんの創ってきた、映画の世界の輪が閉じたような、そんな結末に思えました。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2024-10-10 22:40:39)(良:1票)
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