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1.  アタメ
オレンジとブルーのへんてこりんな色の組み合わされる世界。そのようにへんてこりんに進んでハッピーエンドになるってのがすごい。『コレクター』のように主人公の不気味さを見せ付けるのではなく、作者は主人公の夢を完成させてやるの。ヒロインの恐怖には関心がなく、主人公の愛の情熱に加担していく。彼の夢は「家庭を作りたい」が第一で、「女がほしい」じゃないんだよね。良き父親になりたいの。処方箋を書いてもらうとこで、子どもをあやしたりする。彼、孤独なんだけど「おれは孤独なんだっ」ってたぐいの自己憐憫がまったく感じられない。「おれは今一人だ、だから家庭を作ろう、そうだ、あの女優がいい」と論理的に・しかしあくまで一次方程式の単純さでつながっていく。縛らなくたっていいとおもうんだけど、情熱を表現したいのかな。歩く人の中をツーッと滑っていく人がいる、あの奇妙な感じ、けっこうこの監督のタッチと合っている。姉の歌とバックコーラスもいい。「この主人公、愛することに不器用で」ってんじゃなく、「愛ってこういうもんでしょ」と作者は確信しているみたい。困ったものである。
[映画館(字幕)] 7点(2013-12-14 09:59:24)
2.  哀しみのトリスターナ
鐘の鳴り響くなか、おしの少年たちのサッカー(脚の競技)と、普通なような異常なようなブニュエルの世界に入っていく。フェルナンド・レイが、特別卑しい人間なのではないが(世間では立派な人間で通ってる)、内側を知る人間(たとえば姉)にはだめなわけ。かすり傷で勝負がつく決闘には激怒し、少年のコソドロをわざと逃がしてやったり、「偽善者」という分かりやすい分類では捉え切れない男。「茶番よりは悲劇がいい」と言ってて「悲劇的な茶番」になってしまう最期。ヒロインは自分で決めた散歩道に入ったとき、実質的に脚を奪われていく道にも入っていったってことなんでしょうな。廊下で繰り返し松葉杖を響かせる「散歩」に凝縮していく。そしてラスト、突然時間の流れが一方向から解放されたように、ファーストシーンへ向けて逆流が起こる。最初はヒロインが回想してるフラッシュバックかと、ブニュエルらしからぬことやってるな、と思ってると、それが止まらず、なんだなんだ、と思ってるとFINに行き着く。これ一回きりしか使えないアイデアでしょうが、単なる趣向じゃありません。あのときああしてれば(あのとき殺してれば)という後悔がヒロインの胸に押し寄せてきたところと見たが、どうだろう。それぞれの瞬間に、もう一方の道を閉ざしてきたわけで、しかし彼女は「自ら選ぶ誇り」も自覚してきた女であって、そういったもろもろ「これでいいのよ」という気持ちも感じられ感動です。私はこのように生きてきたという確認。
[映画館(字幕)] 8点(2013-07-16 10:02:41)
3.  カルメン(1983年/カルロス・サウラ監督)
鏡が効果的。単に虚構の世界との対比というだけでなく、それに挑みかかっていくようなところがあり、主人公が次第に妄想の世界に突入していくのとダブる。『愛と喝采の日々』でも鏡の前でのバレー練習シーンが使われたが、あちらは平行移動だったのに、こちらは前後の向かい合う運動。練習が続くうちに、現実と虚構が混交していってナイフのシーンの緊張になる。マジなのかダンスなのか。ここらへんうまい。またエスカミリオが美男でなく何となく性的に強い男という印象の作りになっていて、老いを自覚した主人公の妄想が生臭い下意識にまで広がっていったような凄味があった。おそらくスペイン人はメリメ/ビゼーのフランス製カルメンに、日本人がイタリア製蝶々夫人に対して抱くような違和感を持っていたのだろう。それに対する落とし前を一度はつけておきたい、という気持ちもあったんじゃないか。ミカエルとカルメン、役と本人、エスカミリオとホセ、恋と嫉妬、芸術と妄想、向かい合うことに徹底した映画だ。
[映画館(字幕)] 8点(2012-11-30 10:02:21)
4.  歌姫カルメーラ
脚本のラファエル・アスコナは『最後の晩餐』のホンにも関わってる人だそう。カメラは『エル・スール』の人。芸人の舞台と抵抗者の銃殺場とがダブってくるところがミソ。照明を浴びるということ。ガソリンを盗んでいるときに女が「芝居」をしに車のライトの中に出ていく。銃殺場でパッと照明を浴びせると、まるでカキワリの前の舞台のよう。ステージと現実との違いというより、照明を浴びるものと照明に向かい合うものとだろう。芸人にとって舞台は銃殺場に立っているような真剣なものなのだ。煉瓦模様のカキワリの前で歌うカルメーラの心意気は背筋を伸ばして見ねばならぬ。男は何してるかっていうと、屁をひってるだけ。情けない。市長のベッドも煉瓦のカキワリ並みに不吉だった。スペイン内戦は悲惨な出来事だったが、スペイン映画はその悲惨からなんとか「元を取ろう」と真剣に向かい合っている。
[映画館(字幕)] 7点(2012-06-18 09:53:21)
5.  ブンミおじさんの森 《ネタバレ》 
夏の夜の感じ。背後では虫の声が続き、夕涼みをしている部屋でぼそぼそと語り合う親族一同。そこにふんわりともう一人、すでに亡くなった親族が現われてきてもおかしくないような夜。一年中こういう夏の夜の感じが続いているのなら、さらに毛むくじゃらの猿の精霊となったせがれも、階段をゆっくり上がって来ることがあるかも知れない。ちょっとは驚くが、あとはすんなり状況を受け入れて会話は続いていく。「ずいぶん毛が伸びたのね」。すると次に美貌を失った王女さま(?)と輿かつぎの若者の悲恋っぽい話になり、それを見守るナマズが慰めたりする鏡花にでもありそうな世界に唐突に切り替わる。バックの滝が美しいが、こちら観客はその展開にただ呆然とする。するとさきのブンミさんの話に戻って幽霊との洞窟探検になり、分かりやすく判断すれば亡妻に死の国へ導かれたような図だが、そういうおどろおどろしさはない。いたって淡々とブンミさん死んで、淡々と葬儀に移り、画面では香典の金勘定をやってる。王女さまのおとぎ話の対極のような世界。お寺が怖くて睡眠不足だった坊さんはシャワーを浴びTシャツに着替え(坊さんがシャワー使ってる光景なんてたぶん人生でこれ一回見るきりだろうが、だからってなぜこう丹念に見せられるのか)、さて飯でも食うか、と出かけるところで最後のサプライズが来、観てるものの呆然を残して映画は終わる。ついついこちらは「アジア映画」というものを「素朴な良さがある」「癒しの」世界という心構えで観てしまっていた。題名もなんかそれっぽいし。ところが前衛映画ってやつだった。エピソードのひとつひとつは奇譚として面白いんだけど、それがどう関係しているのかが分からない(前世ってこと?)。もうちょっとヒントくれてたら心穏やかに観られたのに。アジアの映画も、そう「癒し」ばかりじゃなく、むかし見たバングラデシュの『車輪』っていうのは、行き倒れの死体を遺族の村に運ぶように頼まれた男の話で、なかなか目的地の村にたどり着けず(村の名前を間違えていたり、結婚式をやっていて不吉だと追い返されたり)、しだいに死体には蝿もたかり、死者の幽霊が「俺の村を見つけられるかな」とからかってきたりと、なんかブニュエルを思わせるような傑作だった。アジア映画が、「癒し」「素朴」の方向で享受される時代はとっくに終わっていたことを悟らされるこの『ブンミおじさん』ではあった。
[DVD(字幕)] 6点(2012-05-26 10:23:21)(良:1票)
6.  シルビアのいる街で 《ネタバレ》 
現在サイレント映画という手段に頼らなくても、サイレント映画の精神は生かせる、という見本。旅人にとって旅先の世界はほとんどサイレント映画だ。聞こえるものより、見えるものの情報のほうが俄然重要になっている。カフェの店先から女性たちの顔を眺め続けるシーンが楽しい。しだいに誰か特定の顔を求めていることが分かってくる。手前の人物に隠されていた顔がずれて見えてきたり、後ろ向いていた頭がゆっくり横顔を見せたり、やがて彼は席を移ったりし、誰か特定の人物を探していることがはっきりしてきたとこで、ガラス窓の反射の多くの顔が重複している中から、一つの顔が固定されていく。ここまででもけっこうサスペンスなのだが、このあと追跡のサスペンスが続く。腰ぐらいの高さのカメラ視線で、ストーカーのように追尾が始まる。すっくと立った男の高さよりは低く、身をかがめて密かにつけているような感じ(と思ったのはこちらの品性の問題か)。映画における「角を曲がる追跡」は、どうしてこうも興奮させるのだろう。そして路面電車での語りかけ。本作で数少ない字幕を読むシーンだが、ヒロインの肌を輝かせたり翳らせたりしている陽光のただ事でなさのほうにドキドキさせられた。人違いの別人になったり、嘘をついているシルビア本人になったりしているよう。ここまでが素晴らしいので、失意の彼の酒場シーンはちょっと物足りない。あるいはあの奇跡のような陽光がないと、世界は味気なくなってしまうという表現なのかな。この映画いったいどうやって終わらせるんだろう、とここらで心配になってきたら、なるほど、ガラスの反射の中から浮き上がってきた「シルビア」はまた、ガラスの反射の中に消えていくという趣向で来たか。最後まで映像に語らせた映画だ。
[DVD(字幕)] 7点(2012-04-18 10:02:32)
7.  1492/コロンブス 《ネタバレ》 
原題は「楽園の征服」。多数の合意のもとに歴史が変わったことはない、ってなことをアタマでコロンブスが言ってた。先を行くものの不幸と栄光。ラストでコロンブスが財務長官に「私とあなたは決定的に違う、I did,you didn't」って言う。コロンブスは未知の世界を憧れたんだけど、そこも見つけるそばから既知の秩序なり習慣なりが素早く浸食していってしまう。けっきょくスペインの延長された領土になってしまう幻滅。大陸発見五百年記念のフィルムだが、ただの“ご祝儀映画”で終わらせず、一応しっかりしたテーマを据えてあるのは偉い。スペインでは顔を背けた処刑をここでは自分で執行しなければならなくなる(全体『アラビアのロレンス』を手本にしてなかったか? 意識してはいただろう)。歴史上の人物ということでまったくの創作人物のようには個性を付けられないもどかしさ・彫りの浅さみたいなものは感じられたけど、いいほうじゃないか。女王に歳を聞き返すあたり面白い。
[映画館(字幕)] 7点(2012-01-15 10:17:19)
8.  ハイヒール(1991) 《ネタバレ》 
ちょっとした人物の絡みが、どんどん人の関係を広げていってしまう横滑りの感覚が面白い。手話通訳の女性が容疑者として三人目に並んで座ってたり。一番のギャグは手話通訳で犯罪自白を表現するとこね。グレートマザーに敗北し、吸収されていく娘の話ととればいいのか。なにやってもかなわない。自分の罪まで吸い取られていってしまう、って。母が見てると思うと緊張して笑ったりしてしまう(ニュースの時)、なんてのもあった。でもそう決めちゃうと、その向こうで監督が「わーい、引っかかった引っかかった」って笑ってるような気もして落ち着かない。もう一ひねりあるようなオレンジ色の世界。とりわけブルーを背景にしていると、あの色は不気味なんです。オカマの歌に合わせて客たちが身振りをするとこなんかも実にヘン。キャスティングにビビ・アンデルソンの名が出てたが、どこにいたんだ。まさか判事の老母? 『秋のソナタ』への言及もあったなあ。母と娘の葛藤の映画ということで。
[映画館(字幕)] 7点(2012-01-13 10:31:48)
9.  ミツバチのささやき 《ネタバレ》 
最初のうちは「少女の世界をのぞく」映画かと思って観ていたのに、観終わってみると「少女で世界をのぞい」ていたことに気がつく。前半での「なぜ殺したの?」という映画の怪物へのアナの疑問が、後半では小屋の男を殺した世界へ向けて放たれる。死んだふりをするイサベラのアナへのいたずらは(大好きなエピソード)、後半ではベッドに横たわるアナの様子をこわごわのぞくイサベラの姿に反転し、そのときかつて小声でささやきあっていた少女たちの閉じられた世界は、窓の外の世界へと広がりだす。イサベラは猫に引っかかれた傷の血を口紅とするが、アナは世界で起こっていることの血を小屋で目にしてしまう。映画という「嘘っこ」の世界が、内戦という無惨なまでの現実と照らし合わされていく。スクリーンの前に横たえられる死体。柔らかくデリケートな少女の世界でもっと溺れていたっていいのに、と心をとろかしながら観ていると、いつのまにか外界の風が吹き込んできていた、そんな映画だ。けっしてショックで目覚めさせるのではなく「いつのまにか」少女を通して世界を眺め直している、ってところがポイント。童話の舞台のようだった野の風景が、「いつのまにか」そのままで荒涼さを剥き出していた。それにしてもささやき声に満ちた映画ってのは、まず傑作だなあ。この姉妹、アナはもちろんかわいいけど、イサベラもいいのよ。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-12-01 10:08:10)(良:2票)
10.  血の婚礼 《ネタバレ》 
足でドンドンとやりだすと、こちらも文句なく興奮してくるのは何なんだろう、原初から人間に伝わる労働のリズムなのか。フラメンコって足が雄弁なダンスだ(ハワイのフラダンスなんかはほとんど手だけの踊り。足のほうが活躍するのは北のロシアコサックぐらいか。緯度の高低とダンスって関係があるのかな。さらに思ったのは、暖かい地方の阿波踊りは手がひらひらしてて、北のねぶたになるとやたらジャンプしてるぞ、と脱線しかけてやめる)。フラメンコってのは、対立シーンになると盛り上がる。女同士にしろ男同士にしろ。フラメンコはもともと「わだかまり」を描くものなのかもしれない。だってあんな苦悶の表情をたたえて踊るダンスってほかにあるか。楽屋入り、化粧、レッスン、衣装つけての通し、とだんだん現実の世界から虚の世界に入っていく趣向。レッスンで鏡のほうへ向かって斜めにくるくる回りながら並んでやってくるあたりから、だんだん現実と虚構のさかいがあやしくなってくる。オハナシは「女房持ちの男と結婚ひかえた女が出来てて式の日に駆け落ちし、決闘で男二人とも死んじゃう」ってんだけど、すべて情熱なのよね。理性で抑えきれないものが騒ぎ出し、しかめつらの舞踏になっていったものがフラメンコなのか。窓からの光が美しい。決闘シーンではスローモーションふう振り付けになる。最初のほう、中央に二人が重なってわかれていくあたりがすごくいい。さて花嫁の血は、あれは演出だったのか否か? と惑わせる趣向。
[映画館(字幕)] 7点(2011-11-03 10:09:32)
11.  ハモンハモン
登場するすべての男女に愛の線を引くことが出来る。しかもみな自分の愛のみを基準に行動するから、秩序から渾沌へと導かれていく。スペインである。ファーストシーン、なんだろうこれ、教会の釣鐘のタマかなあ、ひびが入ってるなあ、などと思ってたら、牛のタマであった。これは後に巨大なパンツのたて看板と対になって(この監督の次回作は『ゴールデン・ボール』って嘘みたい)。最初は肝っ玉母さんと溺愛ママの対比で、なんか「もう分かった」って話かと思っていたら、だんだんヘンになってくる。情熱の国。S・サンドレッリの、自分の仕掛けに溺れていってしまうあたりが分かりやすい軸となって、あとはみなヘン。A・ガリエナは女の家の親分。娘三人に娼婦たちも雇って、轢かれたペットの豚を丸焼きにして食べちゃうたくましさ。情熱の国だが、乾ききっている。ハムで戦う男。ゆっくりとやってくる羊の群れ。リアリズムに撤するとかえってヘンテコリンになっていく風土なの。
[映画館(字幕)] 7点(2011-10-23 12:10:31)(良:1票)
12.  瞳の奥の秘密 《ネタバレ》 
見どころはサッカー場のワンシーンワンカット。あれどう撮ったのか。空撮していたカメラが次第に競技場の上空から観覧席に舞い降りてきて、そのまま犯人逮捕のドラマに受け継がれていく。ラジコンヘリからカメラマンの手にあんなにスムーズに渡せるとも思えず、途中CGでのごまかしがあるんだろうが、シロートの私はただ唖然とするのみ。そこからだってすごいよ。犯人は建て物のなかを逃げ回りトイレから飛び出したり塀を飛び降りたり、カメラもちゃんと塀を下りてくる。そして競技中のグラウンドに至るまでのワンシーンワンカット。溝口やアンゲロプロスのじゃなくて、相米の力業で見せるやつ。カットの頭でプールで泳いでいた奴がカット尻では着替えて帰っていく、っていうようなあの相米タッチが、地球の裏側で生きていた喜び。堪能しました。もひとつドキッとしたのは、ゴメスがイレーネに性器をペロンと出すとこ(やがてゴメスはイサベル・ペロンらしき人物のボディガードになっていくのだが)。あれで彼が強姦犯と分かるってだけでなく、イレーネが被害者の女性に・主人公が被害者の夫にと、登場人物が重なり、ラストの発見へ向けて全員のドラマ的配置が定まる仕掛け。またあの行為は主人公の深層心理を突いてもいる。でも堪能するという画像ではなかったな。暗い時代と、被害者の夫の暗い復讐とは見事に釣り合っているのだが、そこからさらに「忘れ得ぬ愛」ってことで主人公のほのぼのとしたロマンスと照らし合わせているのは、ちょっと煩雑な気がした。ロマンスを織り込まねば観てもらえぬほど、もう悪い時代はアルゼンチンの中で過去の歴史になってしまっているのか。
[DVD(字幕)] 6点(2011-07-30 10:11:15)
13.  マルメロの陽光
道の向こうから画家がやってくる。カンバス作り。マルメロと向かい合ったセッティング。対象にマス目を作っていく。基準。足の位置も決める。不確かに流れゆく世間のなかにあって、ここだけピチッと決まっている関係。糸を垂らすのが『エル・スール』を思い出させるが、この下向きのオモリは、ゆっくりとした重力・時間を暗示していたようで、やがてマルメロの実がゆっくりと沈下していくことにつながっていく。ピチッと決まったまま止まってくれず、時間の中で絶えず更新していかねばならないもの。けっきょく木をピチッとした画に移し替えるのは無理で、たわみにつれて永遠に描き直さねばならない。一緒に生きていくってのはそういうこと。最初は目に見えなかった時間も秋の深まりとともに立ち現われ、画家はついに追いつけない。時間の勝利。マルメロを輝かせていた光、光はすべてを鉱物と灰に変えていく、って。理想的な絵画とは、時間の変化を織り込んだ積分値として存在するのか。なんか中国の古典の寓話にでもありそうな話を映像化したような作品で、私にはちょっと高尚すぎた。後半画質が急に悪くなるのも、この監督の場合つらい。それとも単純に少女が出てこなかったのが物足りなかったのか。これ観てからかつての二本の少女映画を思い返すと、やがてオバサンになって腐敗していくものとして少女を見てたのかなあ、この監督。
[映画館(字幕)] 7点(2011-07-27 12:18:09)
14.  ベルエポック(1992) 《ネタバレ》 
おとぎ話的な構図。上の三姉妹にもてあそばれた後に、末娘と結婚し幸せに暮らしましたとさ、って。生き生きする女性どもと、憂い顔の男どもの対比。ふらりと姉妹に惹かれて汽車から戻ったものの、姉妹のペットになっていくような。女性陣の勝利が決定的になるのは母親の帰還シーン、一番いいとこ。庭からの歌声、窓が開く姉妹、屋根裏の主人公も。ベルエポックって、どこか幼年期志向と重なるとこがあるかもしれんね。母性的なるものってことか。王政派も共和制派もけっこうなごやかに暮らしているスモールヴィレッジの雰囲気。二人の警察隊員の死と、神父の死の間に挟まっているベルエポック。二つの男の自殺に挟まれた女の時代、と言ったほうがいいか。軍服の次女に怪しい魅力。あちら本場の人の「タバコ」という発音のアクセント、たいして日本人と違わなかった。
[映画館(字幕)] 6点(2011-03-11 12:20:38)
15.  抱擁のかけら 《ネタバレ》 
異様に嫉妬深い男をめぐるサスペンス、って部分では堪能した。読唇術の場面はもちろん、ホテルのベッドの上で死んだふりして捻じれて横たわっているあたりの、滑稽の極みのグロテスク、あるいはグロテスクの極みの凄惨。ちゃんと階段落ちもあり、嫉妬話だけに絞ればきれいに仕上がった映画だろう。しかしおそらくきれいすぎて現在の作品としては、いささか古典的という印象になっただろう。そこに余分なものが付着してコッテリし、焦点が曖昧になってくるところが、たぶんこの監督の味なんだ。主人公のとこに資本家のせがれライ-Xってのが訪れるところ。主人公はドアの覗き穴から来訪者を確認する。ややっ、実は目が見えているという設定なのか、とハテナを引っ掛けておいて、特別あとにハッキリさせてくれない。医者が失明です、と診断するシーンもちゃんとあったが、彼が自分の意志で映画監督という職業から退場した、という含みも残しているような。この曖昧さで膨らまされた世界の居心地の悪さ、暖色系のニコゴリの中にストーリーが漬けられているようなボンヤリ感、きっとそれがたまらないという悪食好きにとっては、蠱惑的な映画なのだろう。
[DVD(字幕)] 6点(2011-02-24 09:47:51)
16.  キカ
この監督、暖色系の気味悪さを発見したのが手柄だろう。赤や黄色、なかんずくオレンジ色。自然色じゃない人工色の世界。どこかオトギの国の不気味さに通じていく(メイキャップという仕事も人工の世界の仕事)。当然ストーリーは室内劇とならざるを得ない。主人公は気のいい女、最悪ニュースのレポーター・アンドレアの対極、ドラマの展開しやすさからいけば主役脇役が逆になるところだが、これがどこかオトギの国に通じていくキカが軸になる。オトギの国の犯罪。どこか話が閉じていて、テレビというものの閉じ具合と関係づけているのだろう。他人の不幸。暗い人間は死に、見捨てられ、キカはヒマワリを背景に旅立っていく。映画とは、現実に対するオトギの国と割り切っているのだろうか。常連ロッシ・デ・パルマのことを、ピカソの絵から抜け出てきたような、と言うのはうまい。
[映画館(字幕)] 6点(2010-09-20 09:48:00)
17.  ボーン・アルティメイタム 《ネタバレ》 
巨大な組織と個人の対比を見せるためにこのシリーズがしばしば採用するのは、監視網の中で逃げ切る主人公。同じような趣向の繰り返しではあり、CIAがマヌケに見える ギリギリの線なのだが、サスペンスとしては楽しい。本作では、ウォータールー駅のシーン。携帯で指示を出しながら、ボーンと記者が動き回る。へたなアクションよりも、映画の楽しみが満ちていた。そこでしゃがんで靴の紐を結び直せ、とか。周囲に配置されたカメラの目と、個人とのかくれんぼ。敵が潜んでいるかも知れない群衆だが、そこに隠れることもできる群衆の海。終盤、アメリカに帰還してからは、CIAのオフィスががら空きとか無理が目立つが、その「いよいよアメリカに帰ってきた」という舞台設定自体が、「大詰め近し」のワクワク感を盛り上げてくれているので、許そう。シリーズ全体としては、マリー、ニッキー、パメラと、主要女性キャスティングにハリウッド的美人をいっさい排除した姿勢がよろしい(M・デイモンに合わせたのか)。どれも「美人」としてでなく「顔」としてインパクトがある。ラストのニッキーの笑顔なんて、アン・ハサウェイだったらちっとも効果なかったでしょ。
[DVD(吹替)] 7点(2010-08-05 09:42:07)(良:1票)
18.  パリ空港の人々 《ネタバレ》 
空港に閉じ込められた彼らこそ国籍から自由になり、外の世界の人々こそ国によって監禁されている、ってなところにまで踏み込むのかと思っていたが、そこはシャンソンの国、アンゲロプロスの国境とは違う。でもラスト、身分証も金も持たず「他国」に踏み出していく勇気に希望がある。テーブルの上で予告された小さなパリから、やがて本物のパリの夜景に展開するとこがまあ見せ場なのだが、このパリは何なのだろう、郷愁か。だとするとやはり閉じ込められていた彼らが「不幸」だったということになる。そうじゃなく、あの夜景は幻想の故郷と見てそれへの訣別ととればいいんだな。外に出た彼の前には無機的な自動車道路が広がっていて…。
[映画館(字幕)] 6点(2010-06-17 12:00:34)
19.  それでも恋するバルセロナ
例のごとく、登場人物たちはふらつく。一つのキャラクターからはみ出そうと、反発と親和を織りなしていく。いつもだとそれがなんらかの着地点を見いだすのだが、今回はそのまま人間関係を広げていって、茫漠とした霧になって終わる。南欧的と言えば南欧的。アルモドバル的暖色が満ちる。ただひとつ残るのは、自分が「望まないもの」だけ、という話。ステレオタイプなスペイン人の描写は、ニューヨーカーの凡庸さの背景として意図したものかもしれない。観光名所的なロケとあいまって、誇張の効果。アメリカ人の会話にはうんざりだが、スペイン人のホットさにはついていけない、って。そのふらついていく一瞬一瞬には皮肉な面白さがあるのだが、一本の作品としては、とりとめなさの印象のほうが強くなってしまった。主要人物4ないし5人に、脇系の人が中途半端に絡んでくるのが、おい、本舞台に出るのか出ないのかはっきりしろ、といらつかされる。
[DVD(字幕)] 6点(2010-04-07 11:59:07)
20.  エル・スール 《ネタバレ》 
最初は客席の後ろのドアがちゃんと閉まってないのかと思ってた。画面右上隅のあいまいな光が徐々に自己主張してきて、窓らしいと分かる。と中央に何やらモヤーッとした物体が浮かんできてベッドになっていく。犬の吠え声。たまらない導入です。そして光と影のドラマが展開する、というより光が差し込むことと陰っていくことのドラマ。これを見たころはスペイン内戦に無知で(いや今だってよくは知らないけど)、そのためにかえって父と娘の孤独が感応し合う話として、純粋に人間のドラマとして感動できた。この変わり者の父、南に父親や愛人を残してきたというより、そういった憎しみとか恋愛とかのわずらわしい感情を捨ててきたんだ。でもその分、娘への愛情が過剰に深まってしまった。これを愛情というか、同志愛というか、微妙なものだけど。娘の初聖体拝受式の日に、まるで彼女の成長を認めたくないかのように猟銃を撃ちまくる(カトリックへの鬱憤もあったのかも知れない)。そして娘を一個の他者として認めざるを得なくなったときに、猟銃は自分に向けられる。式の時は「父が私のために来てくれた」と喜ぶ娘、ラストでは「フランス語の授業はさぼれんかね」とまで言う父を残して娘は去る(娘にすがるような父のこの言葉に私は泣きそうになった、喫茶室のシークエンスが本作の白眉)。式の時は一緒に踊るけど、ラストで踊っているのは別の新婚カップル。娘は行方不明になったときベッドの下ではらばいになっていたけど、父は行方不明になったあと川岸で冷たく横たわっている。二人は相似形を作ったり対称形を作ったりしながら孤独を呼応しあう。だからどうしたほうがいい、と説教しているわけではなく、映画はただ見つめている。なのにこの父は強烈に印象に残る。80年代初めに紹介された映画でオメロ・アントヌッティぐらい名作率の高かった俳優はなく、喫茶室の場はあの石くれのような彼だからこそ泣けてくるのだろう。
[映画館(字幕)] 9点(2009-08-29 11:09:34)(良:1票)
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