1. 地下水道
《ネタバレ》 タイトルバックの市街破壊映像からすごい迫力、戦後12年しか経っていない頃だからこういう撮影も出来たのかな。蜂起鎮圧の後にヒトラーの命令でワルシャワは徹底的に破壊されてしまったので、こういう爆破できる廃墟がまだ残っていたんでしょうね。市街のシーンはロケ撮影だが、瓦礫の山と化したような道路や地面にはまるで雪が降り積もったように白いものが目につきます。この白いものが一面に散らばる光景は前にどこかで観た気がするなと考えたら、それは9.11でワールド・トレード・センターが崩壊した時の映像に映っていたものでした。そう、それはビルの破壊で飛び散った大量の紙類だったんですよ。その視点から観ると、市街において建造物が破壊されるとどういう状態になるかをリアルに描いていたわけです。 前半は70人が40人にまで減ったレジスタンス部隊がビルの廃墟に陣取って戦闘を繰り広げます。女性を交えた部隊の中の8人に焦点をあてたストーリーテリングですが、確かにそれぞれのキャラの掘り下げ方はちょっと浅かった感は否めません。けっきょくドイツ軍は攻めきれずに包囲に移行するわけですが、ドイツ軍が有線操縦爆薬であるゴリアテを使うところが面白い。まあ実物ではなく明らかにレプリカでしたが、爆発する前にケーブルを切断されて役立たずにされしまいます。部隊の中に音楽家が一人紛れ込んでいるのですが、演じているのがヴラデク・シェイバル、60年代以降に『ロシアより愛をこめて』やハリウッド映画に出演している爬虫類顔が印象的な俳優です。彼は初めから西側の人でなく、共産主義体制のポーランドから逃げてきたんだと初めて知りました。このキャラは『戦場のピアニスト』のシュピルマンを彷彿させるところがあります、きっと彼がモデルなんでしょうね。 けっきょく司令部の命令で部隊は拠点を捨てて市街中央に移動することになりますが、そのルートは地下水道、というか下水道を通って行くしか方法がない。地下水道を通らなければいけないと知った時の隊員たちの絶望の表情は、その後の悲惨な運命を予告しているかのようでした。その地下水道内のシークエンスは数ある戦争映画の中でも屈指の悲惨さで、とくにやっと川への放水口にたどり着いたと思ったら、頑丈な鉄格子に阻まれて外に出れない絶望感にはクラクラします。ラスト、部下を連れて来れなかった隊長がせっかく脱出できたのにまた地下水道に戻ってゆくところは、虚無感と絶望が混じった名シーンだったと思います。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2025-02-07 23:14:54) |
2. ブリキの太鼓
《ネタバレ》 この映画は、ダンツィヒ(現在はポーランド領グダニスク)という都市と20世紀初頭からのドイツとポーランドの関係について多少なりとも知識がないと見通すのが大変かもしれません。そしてブリキの太鼓・スカートの中・オスカルの超能力・小さい人々、など様々な何かを暗喩しているアイテムが散りばめられており、予備知識があればそれらの意味を推測する手がかりとなるのかもしれません。 思うにオスカルの母親アグネスこそが、ドイツ人のアルフレート、ポーランド人のヤン、ユダヤ人のマルクスに愛され、彼女こそがダンツィヒという都市を体現しているんじゃないかと思います。そのアグネスが産んだオスカルが実はヤンの子だということは、ドイツとポーランドの間で帰属が揺れ動いたダンツィヒの歴史の擬人化なんだと思います。今の眼で見ればさほど刺激は感じませんけど、なんか癖の強いエロティシズムが当時は衝撃的だったのは理解できます。オスカル役のダーヴィッド・ベネントがまた映画史に残る怪演子役で、とくにアンナとの絡みは北米で児童ポルノ認定されたってのも判らなくもないです。オスカルがサーカス団に加わって戦場慰問でフランスへ行くシークエンスには独特の味があり、そこで出会う団長べブラが私にとってはこの映画でもっとも印象深いキャラでした。彼こそが肉体的成長を止めたオスカルの完成形なのかもしれません。 二時間四十分のDC版での鑑賞でしたが、観終わってみて私の大好きなエミール・クストリッツァの『アンダーグラウンド』に似ている感じがしてなりませんでした。ユーゴスラヴィアという国家とダンツィヒという都市の違いはもちろんですけど、一つの共同体の崩壊というのは共通のテーマです。でもこの映画には『アンダーグラウンド』でクストリッツァが訴えた哀愁とノスタルジーは微塵もなく、時代に流されて消えてゆく人間像が前面に出ていたように感じます。これは監督シュレンドルフというか原作者ギュンター・グラスの個性なんでしょうね。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2021-11-22 23:07:12) |
3. 赤い闇 スターリンの冷たい大地で
《ネタバレ》 時は1930年代前半、英国元首相ロイド・ジョージの外交顧問であったジャーナリストのガレス・ジョーンズは、ドイツでついに政権を握ったナチ・ドイツに対抗するために第一次五か年計画が成功して飛躍的に国力が増大したと喧伝されているソ連と同盟してヒトラーに対抗するべきだと主張します。しかしソ連の発表した数値に矛盾を見つけたジョーンズは、実態を調査してスターリンにインタビューしたいと熱望して単身ソ連に入国します。「この国はなんかおかしい…」と疑問を感じながらヨーロッパ随一の穀倉地帯であるウクライナに潜入した彼は、そこで恐るべき真実に気づいてしまうのでした。 ソ連74年の歴史でボリシェヴィキ=共産党が犯したもっとも犯罪的な政策であるホロドモール=ウクライナ大飢饉を真正面から描いています。これは簡単に言うと、スターリンがウクライナで収穫される穀物・家畜を五か年計画達成に必要な外貨を稼ぐためにすべて輸出に回し、その結果一説には1000万人以上のウクライナ人が餓死したという史実です。 ウクライナと並んでスターリンにはひどい目に遭わされたポーランド人の監督ですから、その告発の視点には鋭いところがあります。主人公のジョーンズを演じるのは、次期ジェームズ・ボンド候補とも噂されるジェームズ・ノートン。彼がウクライナに潜入して見る地獄絵図が本作のテーマのはずなんですが、そのシークエンスの尺が意外と短いのがちょっと解せないところです。実はベルリン国際映画祭で上映されたバージョンはランタイムが20分以上長く、カットされたところはウクライナでのストーリーが多かったんじゃないかと推測いたします。それでも迷い込んだ農家で振舞われたのが実は人肉だったエピソードには、もう戦慄するしかありません。この映画の演出で興味深いところは、登場人物がものを食べるシーンで咀嚼する音が強調されるところで、まさにASMR効果を狙っている感じです。 ソ連側の登場人物は下っ端ばかりでスターリンはおろか外務大臣リトヴィノフぐらいしか大物は登場しませんが、スターリンに媚びへつらう英米の著名人たちの醜悪な姿はこれでもかと見せつけてくれます。中でもピーター・サースガード演じるウォルター・デュランティの邪悪さは強烈です。彼は五か年計画を礼賛したNYタイムズの記事でピュリッツアー賞を獲得しましたが、本質はフェイク・ニュースなので受賞取り消し運動が21世紀になるまで続いたそうです。NYタイムズというメディアは、友好関係にある我が国の某新聞とよく似た体質があるみたいですね。実はこの映画で最初に登場するのはジョージ・オーウェルで、『動物農場』を執筆する姿が所々に挿入されて狂言回し的な役割を果たします。でも彼はソ連に渡航したことはないし、劇中でジョーンズと出会うシーンもありますがこれはフィクションでしょうし、オーウェルをこの映画に登場させる意義はイマイチ理解できませんでした。ジョーンズのデュランティへの反論記事を掲載させたのが、唯一ランドルフ・ハースト系の新聞だったというのは面白いところ、『市民ケーン』じゃないけど映画では怪物的人物で悪役が定番の人ですからねえ。ハーストにとってピュリッツアーはかつての商売敵、彼が創設した賞の受賞者を叩くことに血が騒いだのかもしれません。 観終わっても気分が上がるような要素は一つもないことはご警告させて頂きます。でもこれが史実なんだということは重く受け止めるべき、そして「大義のために人命が犠牲になるのはやむを得ない」というテーゼの恐ろしさを今一度考えてみるべきでしょう。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2021-05-07 22:17:16)(良:3票) |
4. 戦場のピアニスト
《ネタバレ》 ユダヤ人移民の子孫であるスピルバーグは「ユダヤ系の僕がホロコーストを撮らないで誰が撮る?」と宣言して『シンドラーのリスト』を製作しました。その約10年後に生粋のアメリカ人でベビーブーマーのスピルバーグと違って実際にゲットーで生活したポランスキーが、ヨーロッパ人的かつ彼独特の粘っこさを持った視点でホロコーストの一面を描いたということになります。 本作にはある意味で個人のドラマというものは存在しないとも言えます。シュピルマンとその家族そして周囲のポーランド人にしろ、ヒトラーという独裁者が起こした歴史の渦に飲み込まれて、ある者は絶滅収容所である者はワルシャワの市街戦で死に、またある者はシュピルマンの様に生き延びることができたという、ポランスキーの冷徹な視線を感じてしまうのです。43年のワルシャワ・ゲットーの蜂起、44年のポーランド国内軍の蜂起がともに描かれていますが、それはビルの上階からシュピルマンが見た視点だけで描かれていて決してカメラが戦場に寄って行かないところも、まるで神の視点みたいで意味深です。 そして『シンドラーのリスト』との最大の相違は、両作とも多少の良心を持ったドイツ人がユダヤ人を助けるけど、本作のドイツ人将校は報われることもなく捕虜収容所で死に、そのことに対して少しも同情していないようなポランスキーの視線を感じてしまうことです。『シンドラーのリスト』のようなカタルシスとあざとい涙腺崩壊効果がない点がまた大きな違いでもあり、彼の過酷な人生体験がもたらした結果なのかもしれないけど、ポランスキーは実はヒューマニズムを信じていないのかもしれません。この映画ではシュピルマンの行動や周囲の出来事に関してちょっとブラックなユーモアを感じさせるシーンもありますが、そこに監督の底意地の悪さを感じてしまうのは私だけでしょうか? [CS・衛星(字幕)] 7点(2019-06-01 23:26:25) |
5. ゆれる人魚
《ネタバレ》 人魚って肉食、実は人肉が好物だったんですね、怖~。 バルト海の海岸からバンドマンに惹かれて陸に上がってきた人魚姉妹シルバーとゴールデン(金髪の姉がシルバーで黒髪の妹がゴールデンというのがややこしい)、二人がナイトクラブの人気デュオとなってゆく前半は、普通の監督なら人魚の青春ミュージカルに持ってゆくところですが、これを無理やりグロホラーに仕立てるのはこの女性監督ちょっとヘン、でも個人的にはこのセンス好きです。音楽センスも抜群で、ポリッシュ・テクノを基調としながらもポリッシュ・パンクまで聞かせていただき満足の極みです。主演の姉妹は考えてみると登場シーンの半分はヌードという頑張りようですが、二人ともボディスタイルはイマイチだったのがちょっと残念でした。金髪の姉の方がバンドマンと恋して人間になろうと臍から下のお魚パーツをぶった切って人間パーツを移植する(人間パーツを提供することになった女性はどうなっちゃんでしょうか?)ことまでするのに、他の女と結婚しちゃう男はちょっと酷すぎ。でも警告されていたのに、裏切った男の胸に抱かれて海の泡となって滅びてゆく彼女の見せた優しい表情には、ちょっと涙腺が緩んでしまいました。 中盤で監督のイメージが暴走してストーリーが収拾つかなくなったのは残念で、これがなかったらもっと高得点だったと思います。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2019-04-14 22:51:03) |
6. おとなのけんか
《ネタバレ》 金物屋の店主、いわゆる“意識が高い”系のその妻、シニカルなエリート弁護士、投資コンサルタントをしているその妻、といういかにもニューヨーカーといった風情の登場人物たち、数いる芸達者の中からそれぞれにピッタリの俳優たちをキャスティング出来たのが大成功でしょう。プロットを見ただけでお話しの展開はだいたい読めるわけですけど、劇中の彼らの“人生最悪の時間”と上映時間をピッタリとシンクロさせているのも舞台劇の映像化としてはシンプルですが効果的、もっともこのケンカを見せられる方としてはこの上映時間が正直限界でしょう。ケイト・ウィンスレットのゲロ吐きとスコッチの酒盛りがストーリー展開上のターニング・ポイントになっていますが、四人が夫婦関係を離れてバラバラの口論になってゆくのは良く練られた演出ですね。面白いのは、ジョン・C・ライリー以外の三人が大事にしているもの(スマホ・画集・バッグ)がそれぞれ非常事態に陥るところで、そこで彼女らの人間的本性がむき出しになってしまいます。でもライリーだけにはそんな執着するモノがなく、逆に秘蔵のスコッチやら葉巻を皆に分け与えるところが面白い。まあもっとも、それによってさらに事態が悪化しちゃうんですけどね。ラストでカメラが屋外に出ると、地面では死んだと思われていたハムスターが動き回り、遠景では息子たちが仲直りしているというのは実にシャレてました。 昔の淫行事件のせいで逮捕されちゃうので合衆国に入国できないポランスキーがNYが舞台の映画を撮るとは予想外でいたけど、なるほどこういう小品なら十分可能なわけですね、わずかな屋外シーンだけはカメラマンを派遣して撮影すればよいわけですし。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2015-06-11 23:51:46)(良:1票) |
7. 灰とダイヤモンド
《ネタバレ》 第二次世界大戦での連合国戦勝日である1945年5月8日の出来事。NYやロンドンでは大群衆が繰り出してのお祭り騒ぎだったのに、このポーランドでの異様なまでの冷静さと静けさはいったい何なんだろう。まだ正式に共産主義政権が成立したわけではないが、人々が自分たちの国の運命になんの希望も持てなくなっているのが痛々しい。 刹那的に生きてきたマチェクが、恋に落ちて未来を考えようとした途端に悲惨な死を迎えることになるのはなんという皮肉なことか。廃墟の教会でマチェクとクリスチナが教会で話すシーン、カメラの前景にアンチ・クライストの象徴でもある逆さまになった十字架のキリスト像を映すことで、もうポーランドには神はいないんだというA・ワイダの叫びが聞こえる様な気がします。 厳しい検閲制度があった当時ですから、いろいろと意味深なメタファーが散りばめられているけど、そこには詩的なセンスを感じさせられるシーンが多々あります。夜が明けて朝日が室内に差し込んできますが、そのあまりに白っぽい光線は屋外の風景をまったく見えなくしています。ラスト・ダンスを終えてその光の中に入ってゆくカップルたちの虚ろな表情、これぞ戦後のポーランドがたどった歴史のカリカチュアです。 Z・チブルスキー、若死にしちゃったけれど素晴らしい俳優でまさにポーランドのJ・ディーンです。それにしても、J・ディーンをはじめJ・P・ベルモンドや石原裕次郎などこの当時各国にチブルスキーと同じ様なタイプのスターがいたというのは面白いですね。ベルモンド以外はみんな早死にしちゃいましたけど。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2013-05-04 22:23:37) |
8. ダントン
《ネタバレ》 フランス革命史はナポレオンが執政になるまでがゴチャゴチャしていて面白い。フランス革命のこの時期に起こったことは、20世紀に発生した幾つもの革命でも予言された様に繰りかえされていることは注目に値します。 このアンジェイ・ワイダの映画はロベスピエールとダントンの確執とダントンの失脚と処刑までを重苦しくもピリピリとした緊張感で引っ張る映像に圧倒されます。まるでリゲティを使った様な不安感をあおる音楽は、あたかも政治の激動に苦しめられる民衆の呪詛の様にも聞こえます。製作当時のポーランド事情からして、ダントンが『連帯』のワレサ議長、ロベスピエールはヤルゼルスキ将軍を暗喩していることは想像できます。ただこの映画は題名にも関わらずダントンよりもロベスピエールの描写の方に比重が重い様な感じで、彼を従来よりも人間的に見せているところが興味深い。「革命はサトゥルヌスに似て次々と我が子を喰らう」、これはダントンが裁判で放った文句ですが、歴史に残る名言です。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2011-11-25 00:43:12) |
9. 尼僧ヨアンナ
《ネタバレ》 この映画の題材は17世紀にフランスでおきた『ルーダンの悪魔憑き』事件で、中世ポーランドに時代を置き換えています。ほとんどのシーンが荒野に建つ修道院内で展開されますが、確かに悪魔払いを務める神父が自ら悪魔をとり込みわが身を犠牲にするところなど、映画『エクソシスト』に強く影響を与えている気がします。モノクロ画面はあくまで静謐感にあふれ、荒れ果てた修道院周辺の風景が強いインパクトを与えてくれます。そして悪魔に取り付かれた修道院長を演じるルチーナ・ウィンニッカが見せる異様な狂気の演技、おぞましさを通り越して美しさを感じてしまうほどです。自分なりの解釈ですが、この映画は歴史事実を隠れ蓑にしていますが、共産政権への痛烈な批判がメッセージとして隠されているのではと思います。修道院は自由が極端に抑圧された社会の暗喩となっている気がします。そんな社会で人間性を取り戻すには、『悪魔』に取り付かれるしか逃げ道がないのではとも考えてしまいます。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2010-01-19 20:58:18) |
10. 僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ
《ネタバレ》 確かにこんなに奇妙な話は実話じゃないと映画にならないですよね、創作すれば、「このご都合主義の脚本はなんだ!」と、間違いなくと非難ごうごうです。ただ実話で本人が存命中の映画化だけに難しいところもあったのではと思います。「ユダヤ人はマダカスカル島に送られたと思っていた」という主人公の言い分には、「本当にそうだったの?、虐殺されていることに気づいていたんじゃないの?」という疑問が湧きます。ドイツ人になり済ますという苦労は理解できますが、エリート少年として扱われ、結構楽しい思いもできたのではないでしょうか。劇中終戦間際に収容所を生き延びた兄と再会した時、「僕が女を追いかけてたとき、兄はゲットーから収容所に送られんたんだ」と独白するシーンがそれを暗示しています。この時代にユダヤ人が生き延びるということは大変なことだったのだ、ということはもちろん否定しませんが。ラストにイスラエルで存命の老いた主人公の映像が出たとき、「あっ、スピルバーグは絶対この映画観てるな、“シンドラーのリスト”のラストの参考にしたな」と思いました。 [ビデオ(字幕)] 7点(2009-09-24 00:01:34) |