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【製作国 : フランス 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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21.  山猫 《ネタバレ》 
【史実】イタリア統一運動(1815年~1871年)。1848年の革命で「ローマ共和国」成るがすぐ崩壊。サルデーニャ王国が北イタリアを統一。ガリバルディが義勇軍として、千人隊を率いてシチリア、ナポリを解放。統一の英雄となる。中部イタリアでは住民投票によってサルデーニャ王国への併合を決めた。この時の旗に、現在のイタリア国旗である赤白緑の三色旗を基本としたものが用いられた。1861年にはイタリアはほぼ統一され、「イタリア王国」成立。 【感想】王制の終焉を迎え、没落してゆくイタリア貴族(封建領主)を描いた作品。崩壊貴族にさほど興味はないが、歴史や文化の勉強には役立つ。当時の貴族を豪勢に演出してくれた監督に感謝。愛惜の籠った作品で、これこそ映画だ。◆日本とは違う風習が目についた。先ずその信心深さに驚く。家族揃って聖書を朗読する祈祷の時間。土曜日ごとの告解。旅に出るにも神父を連れ。神父が秘書を兼ねているのか。神父の教会はおんぼろ。別荘のある領地に着くと、村人総出で歓迎してくれ、そのまま教会で歓迎セレモニーが始まる。週に三日の舞踏会。飛び跳ねる踊り。公爵は愛人に逢いに行くが、それは神父公認で、訪ねるアパートが貧民層にある。妻はとび抜けて信心深く、夫にへそも見せない。◆公爵は古い人間だが、愚かでは無い。時代の変遷も革命の息吹も感じ取っている。貴族が崩壊する階級であることを理解している。周囲には物分りの良い人物として認知されており、新時代に対応するための布石も打ってある。しかし生粋の貴族である彼には、時代に合わせて利口に立ち回ることはできない。自尊心が許さないし、老いも感じている、何より自分の気持ちに正直でありたい。貴族を盲目的に賛美しているわけではないが、彼にとって貴族でなくなることは、幼少よりの価値観を失うことであり、例えば故郷を失うようなもので、受け入れ難いのだ。◆公爵のそのような感情を表現するのが全編のおよそ3分の1を占める舞踏会の場面だ。舞踏会はまさに貴族の象徴。豪華な屋敷、可憐な衣装、妍を競う女性達、いつ果てるとも音楽と歓楽の世界。同時に堕落した姿であり、退屈でもある。公爵は舞踏会の終焉が近いことを知っている。同時に自分の命が尽きる日が近いことも。たまらず流してしまう涙。若き娘からダンスを申し込まれて、最後の花を咲かせる。火照った感情を冷やすには夜露に濡れて帰るしかない。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-26 17:24:59)
22.  チャーリー(1992) 《ネタバレ》 
◆監督はチャップリン(C)の作品よりも、私生活、特に女性遍歴に興味を持っているようだ。女性の年齢を強調し、必要以上に裸を見せる。C本人が観たら激怒すること間違いない。 ◆Cが成熟した女よりも少女に興味を抱くのは、恐らく彼の完璧主義的性格が原因だろう。不幸な生い立ちのせいで、理想の高い家庭像を抱いているが、それにはCの言うことを何でも聞いてくれるタイプの妻が必要。1から全てを教えて理想通りの妻に育てたいのだ。だがそれはうまくゆかず、離婚再婚を繰り返す。 ◆映画ではCが恩人の元を去り、独立したのはお金のためだとしている。貧困育ちの彼が人一倍お金に執着するのは理解できる。しかし、それよりも彼の完璧主義的性格の方が主因だと思う。自分の思い通りにやらないと気が済まない性格なのだ。彼が監督、脚本、プロデューサー、主演、音楽を一人でこなしたのは偶然ではない。そうせざるを得なかったのだ。それだけの実力があったし、成功も収めてきた。だがそれ故に多忙となり、疲弊し、家族のことがおざなりになる。それが私生活の乱れにつながる。 ◆貧困時代が興味深い。兄や母との涙の別れ、孤児院の所員との追いかけっこ、ひょこひょこ歩きの集荷人、盲目の少女など、彼の後の映画のモチーフがさりげなく紹介されているのが心憎い。舞台時代のパフォーマンスが見れるのも嬉しい。初恋の女性ヘティに求婚したとき「愛の言葉もなくて?」と言われ、「言葉なんて必要かい?」と返すところは、彼の後のサイレントへの執着を暗示している。 ◆「浮浪者がしゃべったら魔法を失う」という彼の主張は的を得ていると思う。しかし同時に彼の限界でもある。初の完全トーキーは「独裁者」。最後の長い演説を聞かせる必要があったからだが、世界中に愛の言葉を伝えたいという情熱が、自分の壁を打ち破ることにつながったことは興味深い。監督はその演説シーンのスクリーンにペンキをかける。監督がCファンでないことは明らかだ。 ◆母親には限りない愛情を注ぐ一方で、父親に対してはひどく冷淡だ。終生嫌悪していた二番目の妻に対しても同様だが、一度嫌いになると許せないらしい。世界に愛を伝えたCが、自分の父を愛せないとは皮肉なことだ。伝記映画で父親が一度も登場しないのは不自然だし、残念だ。父不在が彼を幼少期から独立心を育ませた。彼が渇望していたものは常に愛であり、作品に強く反映されている。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-12 19:55:16)
23.  ロスト・チルドレン 《ネタバレ》 
天才科学者Aは、海上の基地で生命を創り上げた。妻にすべき美女を造ったが、小女になってしまった。6体のクローンを造ったが、1体は眠り病、4体はおばかさん、1体(ボス)は知能は優秀だが夢を見ることができないので、老化速度が異様に早いという欠陥があった。更に自分の分身として頭痛持ちの脳髄(叔父)を造った。ボスは反乱してAを海に投げ捨てた。Aは記憶を失い、海中の基地に隠棲するようになった。ボスは老いを怖れ「夢見装置」を開発。それには無垢な子供が必要で、夢見る子供の頭脳とシンクロするのだ。子供の誘拐は「一つ目団」にやらせている。盲人達に見えるメガネを与え、その代償として子供を貰うというシステム。子供が怖がって悪夢しか見ないので困っている。やがて怪力男ワンの弟が誘拐された。必死で探すが知能が足りないので見つからない。ワンに力を貸すのが、子供窃盗団のリーダー、ミエット。彼女は至ってクールな人生観を持つが、子供よりも純粋なワンに心魅かれて手伝う決心をする。大人と子供の役割が逆転している。だがそのことで窃盗団の首領双子姉妹から命を狙われるはめに。刺客としてノミを操る元サーカス団長が放たれる。紆余曲折を得て、子供達のいる海上基地に向かう二人。だが、記憶を取り戻したAが先乗りしていて、爆発を仕掛ける。無と無限はイコールだ、という意味不明の言葉を叫ぶ。全てを消し去ってしまいたいのだろう。ミエッタは子供を助けるために「夢見装置」にシンクロし、ボスと対決、見事助ける。全員脱出したところで基地は爆破。テーマは、老と若、美と醜。登場する大人のほとんどが醜く、子供はかわいい。それを最後の夢対決で、老と若、美と醜が逆転する姿を見せることで両者に違いがないことを証明している。夢を見ないと老いるのが早いので、夢を見て生きなさい、そのためには子供のような心を忘れてはいけませんということ。無いものねだりは無駄で、ワンとミエットはお互いに無いものを補完しあったので子供達を救出できた。涙→船がぶつかる、カニ→記憶を取り戻すなどのドミノは楽しい。ノミとオルゴールの殺人兵器、ネズミとチーズで鍵を盗むなどのオバカアイデアは愛さずにいられない。大人のための冒険ファンタジー。脚本や美術のオリジナリティは賞賛に値します。おかげで今夜はいい夢が見られそうです。
[DVD(字幕)] 8点(2009-10-19 00:47:25)(良:1票)
24.  男と女(1966) 《ネタバレ》 
低予算で作られた映画。片乗せカメラしかなかったので、揺れ動く映像に。カラーフィルム代が無かったので室内を中心に半分はモノクロに。撮り直しできなかったので、カメラにゴミが付着したまま。こういった状況を逆手に取り、斬新な”映画詩”が出来上がった。流麗な音楽、顔と手のアップの多用、不安を煽る下からのアングル、ガラス越しのカット、他愛もない会話、どれも研ぎ澄まされたように感覚的だ。全てが主人公二人の感情のゆれ動きを表現している。共に子持ちで、若く無い二人。子供が同じ寄宿学校で、配偶者を亡くしたという共通点が親密さを深める。男は初対面で女に恋をする。男は亡き妻に関しては心の整理ができており、恋人もいる。浮気者であるが、うぶなところもある。女は夫の思い出の中に生きている。突然現れた男に心が大きく揺れる。夫はスタントマンという危険な職業で、スタント中に事故死。男もレーサーという危険な職業。夫と男が重なる。事故続出のレース展開に、どれだけ男のことを案じただろうか。男が完走したと聞いて、思わず「愛している」と早まった告白電報を出してしまう。男は有頂天になり、車を飛ばして女の元へ。恋の手管をあれこれ思案しながら運転する楽しさ。昂ぶる心を抑えきれず、いざベッドイン。だが女の心に火はつかない。まだ夫の影を引きずっているのだ。頂点から失意のどん底へ。電車で帰る女。急ぎ過ぎたのか?反省する男。そうではない。女が自分を愛しているのは確実だ。大いなる愛で女を受け容れ、女が過去と決別するのを気長に待とう。男は車を飛ばし、駅で待ち伏せ。男を見た女は満面の笑みを浮かべて、その胸に飛び込んでゆく。危機を乗り越えた二人。愛は人間より強いのだ。男と女は理由なく魅かれ合う。たとえ自分が傷つくことがわかっていても。それがこの映画の主題だろう。それを言葉ではなく、音楽と映像で描く。雨降りのお花畑のような、明るいアンニュイの漂う恋愛詩。それまで誰も試みたことがない野心作だ。今後二人はどうなるか?男がレーサーを辞めるまで女の葛藤は続くと思います。あと夫が歌うところだけミュージカル仕立てだったのが気になりました。
[DVD(字幕)] 8点(2009-09-29 09:00:26)(良:3票)
25.  大人は判ってくれない 《ネタバレ》 
愛情を渇望する十二歳の少年が非行に走り、両親の愛を失うという喪失の物語。 少年は一人っ子で、両親は共働き。母親は子を産みたくなかったが、産んで祖母に預けていた。父親は継父。夫婦仲は悪く、少年はしばしば二人の諍いを聞きながら眠りにつく。 書くことは他者との重要な伝達手段だが、少年はこの能力に欠けている。試験の場面から物語が始まる。少年は成績が悪い。運悪く廻って来たグラビアが先生に見つかり、立たされる。その不平を壁に書くと、文法がでたらめとなじられる。文法の宿題ができなかったので、学校をずる休みすると、それがばれて父親から大喝される。母親から作文の成績が良ければ小遣をあげると言われて気張るが、文豪の文章を剽窃してしまい、先生から批判され、これが家出の契機となる。食うためにタイプライターを盗んで少年鑑別所送りとなる。父親に酷い手紙を書いて愛想を尽かされ、遂に母親からも見捨てられる。 孤立無援となった少年は鑑別所を脱走する。少年は家庭や学校では居場所が無く存在感が薄いが、外では生き生きとしている。向った先は母なる海。そこには建物でごった返した都会と違い、自由に開かれた茫漠たる空間がある。自由にあこがれて海に辿りついた少年だが、同時に母親の愛も渇望している。「母が死んだ」という嘘は、母への愛情の裏返しだ。タイプライターを盗みに入ったのは父親の会社で、これは無意識にわざと捕まって問題を顕現化させ、両親との関係を修復しよういう心理が隠されている。 海に出たものの自由は扱いづらいく、手に余り、途方に暮れるしかない。まだまだ親の庇護を必要とする年齢だ。やがて目線は写真機の先にある観客に向けられる。観客は、少年と子供の頃の自分とが重なり、動悸が激しくなるのである。 本作での母親の愛情は「条件付き」だ。「云う事を聞けば」「成績がよければ」愛するのである。それでは本当に愛していることにはならない。少年は母親を嫌悪しているのではなく、よい子になりたいと願うし、不倫にも寛大で、性的魅力も感じている。少年が中年女の出産談を聞いて気分が悪くなるのは、自分の出生に負い目を感じているからだ。自分が生まれて母親を不幸にしたいう罪悪感がある。複雑なのだ。そんな思春期の少年の複雑な心の揺れをみずみずしい感性で描いた作品である。少年は完全に孤独ではなく、無二の親友ルネがいるのが救いだ。
[DVD(字幕)] 7点(2014-12-08 16:38:18)(良:1票)
26.  つぐない 《ネタバレ》 
子供時代の思い込みによるふとした発言や行いが不測の事態を招き、取り返しのつかない不幸をもたらすことがある。後にそれに気づいたとき、どうやって贖罪すればよいのか。贖罪すべき相手が他界していたら、どう心の整理をつければよいか。そういうことに焦点を当てた映画だ。ブライオニー(B)は姉とその幼友達ロビーとの関係を勘違いしていた。相思相愛なのに、一方的にロビーが姉に横恋慕していると思い込んだ。そこで従兄ローラの強姦未遂事件の犯人をロビーであると証言し、ロビーが姉に宛てた卑猥な手紙を提出する。その背景には、Bの初恋相手がロビーで、彼にふられたことが影響している。ロビーは逮捕、投獄され、四年後に兵役志願して戦死する。姉も後を追うように爆撃関連死する。作家になったBは真実を自伝小説にするが、贖罪の気持ちを込めて、死なずに幸せになった二人の姿を書き込んだ。せめて物語の上だけでも幸せになった二人の姿を残したかったのだ。 次々と視点と目先が変るので集中力を強いられる。Oから見た姉とロビー、真実の姉とロビーの姿、ロビーの悲惨な戦場体験、看護婦になったOの悔恨、数十年後の作家となったOのインタビュー。ロビーの牢獄場面を省略して、いきなり戦場にいるので唐突感は免れない。気になる点がある。強姦事件の時、ロビーは家出した双子を連れて帰ってきた。アリバイがあるのにどうして逮捕されたのか。少女の曖昧な証言だけで有罪になるとは思えない。Oはローラとポールの結婚を知って、強姦犯人がポールだったと知る。ところがOは、それ以前に罪を後悔してい看護婦となり、姉に謝罪の手紙を送っている。犯人がロビーでないと、どうやって知ったのか。強姦されたローラがポールと結婚するのも不自然な成り行きといえよう。和姦だったとして、皆が心配してローラの弟の双子を探している最中に、庭で秘め事をするだろうか。証言を撤回して、ロビーの名誉は回復されたのだろうか。 陰影と色彩に富んだ映像の美しさは特筆すべきものがある。修復されないOと姉とロビーの関係が「壊れた花瓶」で象徴されている。ダイナモ作戦の長尺の映像は素晴らしいが、映画の本質とは別である。インタビューでOが心から悔いているように見えないのも短所だ。涙ひとつ見せない。Oを成功した作家としているところも物語にそぐわない。不幸な人生の方が主題に似つかわしい。
[DVD(字幕)] 7点(2014-12-05 15:42:44)
27.  トスカーナの贋作 《ネタバレ》 
女が男に惹かれる。それは女の息子の指摘で明らか。二人が車中で交す本物偽物議論。女の妹は本物と偽物を区別をしない。その夫は妻を吃音で呼ぶが、妹にはそれが恋の歌に聞こえる。男によれば、その夫こそが本物。単純な世界を受容しているから。ただ楽しさを追求する子供は正しい。コーラ缶は陳腐だが、博物館に飾れば違って見える。価値は視点で変わる。男が絵に無関心なのは、絵画自体が本物の模造に過ぎないから。「モナリザもジョコンド夫人を描いた複製」男が本を書いた契機は、ある母と子が複製ダビデ像を本物のように眺めているのを見たから。女はそれは自分達母子だと言う。二人は過去に接点があった。店の女から夫婦と間違われ、女は夫婦を演じることを提案する。理想的な結婚へのあこがれがあるから。新婚者が黄金の生命の樹の前で愛を誓う場所で、女は新婚の頃を思い出す。男は相手を思い遣る心が大切で、愛を誓うのは無益と悟っている。「葉の散った冬枯れの庭だって美しい」女が男の肩に頭をのせる塑像の価値を巡って議論となる。男は、老人に忠告され女に優しくする。料理店で、女は化粧をするが、また議論となる。疑似夫婦の境界が無くなり、感情が迸り、お互いに相手を責める。女は教会で頭を冷やす。円満な老夫婦の姿を見た男は女に優しくし、二人は塑像と同じ姿勢をとる。新婚時に泊ったホテルで、女は妹の夫をまねて吃音で男の名を呼ぶが、男は戸惑う。鏡を眺めていると鐘が鳴った。振り向くと、女が、思い出して、といっていた光景がこれだと分ったが、皮肉にも時間切れを告げる鐘でもあった。愛における本物偽物議論が命題。母子家庭の女は、息子との関係がぎくしゃくし、結婚に対するあこがれが強い。無意識に愛も複製できると考え、疑似夫婦を演じる。男にとって、愛は複製できないもので、複製は最初から無効。愛は総じて贋作だが、「贋作は本物よりも美しい」こともある。その為には、「意志ある迷子」が必要。その好例が女の妹夫婦で、議論の無い世界に住む。女がいくら真似しても贋作に過ぎない。本物と偽物の二元論ではなく観客を参加させる映画。観客は鏡の中にいて、答えは映画の中にない。偽りの夫婦と本物の夫婦の境界はどこか?光彩陸離たる背景の流れる車窓、何を書いたか不明の本の署名、見えない塑像の顔、カメラ目線での鏡の見立て、実像と虚像が入り混じる演出が芸術志向だが、洗練されてない印象を受けた。
[DVD(字幕)] 7点(2014-09-11 16:59:48)
28.  U-571 《ネタバレ》 
独軍の暗号機エニグマの解読は、英軍のUボート鹵獲等の功績によって行われた。それをあえて、米軍が行ったことにするという意味が分からない。強引に史実を変える理由や必要があるわけでもなく、単なる娯楽映画に興を添えるために史実を拝借した程度のことだろう。浅慮である。 航行不能となったUボートが救難信号を発する。それを傍受した米軍はエニグマ獲得を目的に、潜水艦をUボートに偽装し、救助と思わせてUボートに乗り込み、敵艦を拿捕する作戦を立てる。作戦は予定通りに運び、艦内に乗り込んで占拠に成功するものの、独軍駆逐艦が現れ、偽装潜水艦を撃沈されてしまう。敵艦に乗り込んだ米兵達はUボートを操作して、帰還しようとする。これが前半だ。奇抜な発想で興味を引く。これに並行して兵員の絆、自己犠牲、副艦長の成長物語が描かれる。そつのない脚本で、合格点はつけられる。が、洗練されてはいない。副艦長の成長物語を描くのに急で、とってつけたような印象になってしまっている。駆逐艦との戦闘は御都合主義が目立つ。仕様を超えて深く潜るとか、魚雷が発射できないとか、捕虜がモールス信号を送るとか、死体と油を放出して沈んだと偽装するとか、手垢がついた演出だが、見せ方が上手く、悪くはない。艦砲一発で無線設備を粉砕する。魚雷一発で駆逐艦を撃沈する。この二つが気になる。戦艦は鋼板が厚く、二重壁構造で、艦内部も複数に区切られているため容易には沈まない。沈むにしても時間がかかる。商船と勘違いしていると思う。また爆弾が誘発しない限りあんなに爆発炎上しない。潜行可能な潜水艦を使っての撮影が功を奏して、写実的に描かれていたのに、爆発場面だけは現実味に欠ける上、CGも粗雑で残念だ。それに、真正面に進んでくる敵艦に対して魚雷を当てるのはとても難しい。船同士が無線で通信する場面が全く無いのも不自然。無線に答えられない時点でバレてしまう。無いものねだりを言うようだが、敵軍に対する尊敬が感じられないのが遺憾だ。名作「Uボート」にはそれがあったから、評価が高い。「勝った、万歳」で終っては底が浅い。戦争の凄惨さが描けていないということだ。英雄の影にも悲劇が付きまとうのが戦争だ。 
[DVD(字幕)] 7点(2014-09-04 23:41:43)
29.  天井桟敷の人々 《ネタバレ》 
悪党文筆家のラスネールは世間を憎み、自尊心だけで生きている。ガランスに恋しているが、それを認めたくない。役者のルメートルは言葉巧みに女性を操るドンファンで、ガランスと一夜を過ごすも戯れの恋に過ぎなかい。が、再会してガランスのバチストへの愛の告白を聞くと嫉妬してしまう。しかしその嫉妬を演技に生かして成功する。大富豪のモントレー伯は権力と富でガランスを愛人にできたが、嫉妬深く、ガランスの心に愛する人がいるのを許せない。無言劇役者のバチストはガランスに一目惚れするが、恋の未熟さゆえにガランスに失恋し、他の女と結婚するが、ガランスと再会して恋の炎を再燃させる。ガランスはあらゆる束縛を嫌い、全てから自由でいたい神秘の女。富、地位、名誉、恋から自由のつもりだったが、純真無垢なバチストを愛していることに別離してから気づく。隠し立てが嫌いで、自分の気持ちを誰彼となく伝えてしまう。女優のナタリーはバチスタを一途に愛していた。愛を勝ち取り、結婚して子供も出来たが、バチスタとガランスの逢引を目撃してしまう。ガランスは、囲い者に身を堕してもバチストを愛し続けたと告白する。「6年間どこにいても昼も夜も一緒にいた、愛し続けた」この言葉に真実味を感じるかで、この作品の評価が変わりそうだ。最後はバチストの妻のために身を引く、というより自由を選んだのかもしれない。ガランスにとって恋と自由は両立しない。傾城の美女を巡っての恋の鞘当と悲劇を描いた作品。一人は死に、一人は殺人者となり、一人の名優が失踪し、一つの家族が崩壊した。恋について、自由について、人生についていろいろと考えさせられる内容だ。何といっても脚本が素晴らしい。終始諧謔と機智に富んだ会話で酔わせ、劇中劇で楽しませ、不測の展開で驚かしてくれる。人生は演劇だ。天井桟敷の人々は貧しけれども夢がある。それと同様、さあ皆さん、一度しかない人生を、恋を存分に楽しみなさいという伝言が込められている。登場人物はみな観劇者の投影だ。脇役の古道具屋、偽盲人、三人の脚本家が良い味を出していた。狂言回しの古着屋はバチストにとって忠告・諫言の象徴。だから彼を嫌い、劇中劇で殺す。それでも運命からは逃れられない。ガランスと叫ぶ彼の声は群集の雑踏にかき消される。嘆かわしいのは、恋の神秘が主題なのに、ヒロインが気品に欠ける年増女優であること。最大の謎だ。 
[DVD(字幕)] 7点(2014-05-20 14:56:13)
30.  大いなる幻影(1937) 《ネタバレ》 
戦争によって分断される人間を様々な側面から描いた人間劇。異色なのは滅びゆく貴族同士の絆と悲哀を描いている点。独軍のラウフェンシュタイン大尉と仏軍のボアルデュー大尉の交情は我々の予想を超える。飛行機で撃墜した敵将を食事に招き、捕虜収容所ではお茶に招いたりと厚遇する。最後は脱走しようとする敵将の腹を撃ち抜く。脚を狙うつもりだったと謝罪すると、いいんだよと友人に声をかけるように許して死んでゆく。ボアルデュー大尉は自らを犠牲にして二人の将校の脱走を助けた。「戦争が終われば自分も滅ぶ運命だ」独軍将校は愛育していたゼラニウムを剪って供華とする。最も美しい場面だ。 マレシャルと敵国の未亡人との恋が後半の核となる。女は夫と兄弟三人を戦争で亡くしている。喪中に敵国の逃亡兵を愛せるものか甚だ疑問だが、「家の中で男の人の靴音を聞く幸せがどんなものかわかる?」と訴えられれば納得するしかない。 「国境は人間が引いたもので自然は同じ」「国に帰ってもまた軍人で同じことの繰り返しだ」「戦争なんてこれで終りにしたい」「幻影だ」含蓄のある会話で映画が締めくくられる。国境を憎みながら、国境に救われるところは風刺が利いている。 他に、少年兵を見た老婆が「あんな子供まで」と嘆く場面や、独軍の気のいい監視兵や、脱走した二人が喧嘩別れしてから和睦する場面など印象深い場面がいくつかある。 内容は素晴らしいが、見せ方は未熟だ。冒頭マルシャルの連呼するジョセフィーヌ、偵察機の撃墜場面、三人の捕虜の脱走未遂場面、これらを省略しているので繋がりが悪い。最も盛り上がるべき城塞からの脱走場面でもサスペンスに欠ける。笛を用いての脱走だが、笛はボアルデューが自国から取り寄せたものだ。捕虜なのに自国から荷物が届き、ドイツ軍より良い食事をしているなど理解に苦しむが、それはさておき、笛を取り寄せるなど甘い設定だ。知恵を絞って、そこにあるもので何とか間に合わせてこそ、感情移入できるというもの。祖国からの新聞によりドゥーモン城塞奪回を独軍より早く知るなども有得ないし、テニスラケットを持って捕虜収容所に向かう米兵などの描写も不必要だろう。やはり戦争映画は厳しさがないと締まらない。煙草吸って、酒飲んで、女装して踊って歌ってというのではしっくりこない。戦争や捕虜に対する考え方が日本と違うのを痛感させられた。
[DVD(字幕)] 7点(2014-05-19 15:03:58)
31.  トト・ザ・ヒーロー 《ネタバレ》 
複数の時間軸が並行して進行し、妄想と現実が交錯するという展開を見せるが、少しも混乱がない。冒頭に死んだ男が誰かという謎もある。監督の気遣いと手腕とに脱帽だ。トマは誕生の砌、病院の火事の混乱で他人と取り違えられたと信じている。取り違えの相手は、向いの家の同じ誕生日のアルフレッド(A)。トマは妄想が解けないまま老人となり、自分の理想像「英雄トト」として、Aを殺すことを夢見ている。Aを憎む理由は沢山ある。Aが経済的に恵まれている事、Aにいじめられた事、Aの父の仕事の依頼で飛行したパイロットの父が行方不明になった事、そのせいで母が狂った事、大好きな姉のアリスをAに取られた事、アリスがAの家に放火しようとして焼死した事、青年トマの愛した姉似のエヴリーヌの夫がAだった事。Aは金融事業に失敗して憎まれ、暗殺されそうになっている。トマは先を越されてなるものかとAを殺しに乗り込んでゆく。Aと対面したトマは衝撃を受ける。自分以上に老醜をさらしていたからだ。そして「何でも自由にやっていたお前が羨ましかった」という告白を受け、殺意を失くす。自分の不幸な人生の原因の全てをAの所為にして、Aに対する憎しみだけで生きてきたが、Aも又不幸な人生を歩んできたことを知り愕然となる。二人は双生児のように表裏一体たったのだ。すると霧が晴れたように、幸福な子供時代、恋人と愛し合った美しい日々が甦ってきだ。人生否定から人生肯定への価値の逆転だ。トマは「赤ん坊取り違え」のトラウマを解消するため、Aの身代わりとなって暗殺される道を選択する。そして幸福な死を迎えたのだった。死ぬ間際の人生の大逆転劇は感動的だが、納得出来ない点も多い。赤ん坊取り違えが事実かどうかは、両家人の血液を調べることである程度判明するのにそれをしない。Aの家が向いだったり、A家が父の死に関係したり、トマとAが同じ人を愛したりと偶然が多過ぎる。姉が死んだのはトマが放火を焚き付けたからであり、エヴリーヌを不幸にしたのはトマが置き去りにしたから。反省し、人生に責任を持たない限り、本当の幸福にはなれないのではないか。トマはAの身代わりで死んだつもりだが、トマとして死体処理された。その死に意義はなく、間違い殺人であり、一種の自殺だ。Aの暗殺の危機は去っていない。死後に陽気なシャンソンを歌うのはそぐわない気がする。トマは人生の意味を取り違えているようだ。
[DVD(字幕)] 7点(2013-09-24 22:12:24)(良:1票)
32.  ぼくの伯父さん 《ネタバレ》 
フランスらしいエスプリの効いた上質なコメディ映画で、文明批判的色彩が色濃いのが特徴だ。チャップリンの「モダン・タイムズ」のフランス版といったところ。 近代合理主義に基く非人間的な工場労働と、虚飾と見栄にこだわり、皮相的な人間関係しか築けないブルジョアジーを徹底的に笑い飛ばそうという映画だ。 定職につかずぶらぶらしている「伯父さん」が主人公で、何事ものんびりしていた古き良き時代を象徴する。 何事も「伯父さん的なもの」と「非伯父さん的なもの」に分かれて描かれ、両者が出会うとき、衝突が起き、笑いが生じる。 「伯父さん的なもの」は、込み入ってごたごたしている下町の風景、奇妙に内部が入り組んだアパート、ジョークで挨拶を交すような人情味あふれる庶民、いたずら好きの子供達、商売気はなく、どこなマヌケにみえる商人達だ。 「非伯父さん的なもの」は、虚栄に満ちたブルジョアジー、見栄にこだわった超モダンな家、プラスティック工場、近代建築の学校、都会的デザインの車など。両者の境界に崩壊した煉瓦塀がある。 犬が度々登場するが、犬は「伯父さん的なもの」と「非伯父さん的なもの」をひっかきまわすトリックスターの役割を果たす。自由の象徴であり、「伯父さん的もの」の理想の姿でもある。 魚のオブジェの噴水のすっとぼけたデザインは出色で、強く印象が残る。「非伯父さん的なもの」を笑いの対象とすることの象徴だろう。 興味深いのは、ブルジョアジーの追及する近代合理主義と見栄とが両立しないこと。 モダンな敷石は歩きづらいし、噴水は電気代がかかるし、オートマティックなキッチンシステムは便利だが騒音のため会話が聞こえない。 「伯父さん」は、あちこちでさんざん騒動を巻き起こしたあげく、町を追われて去ってゆく。異質なものははじかれてしまうのが現実だ。だが救いはある。最後の場面での親子の和解だ。偶然の賜物だが、父のいたずらによって、息子が心を開いたのだ。「伯父さん的なもの」が親子の結びつきに一役買ったわかで、これからは父親も「伯父さん的なもの」に理解を示すようになるだろう。 珍重すべき映画だが、残念な点もある。 役者の演技に難があるのだ。チャップリン映画のような”絶妙なタイミングによる笑い”が見られず、どこか演技じみていて、笑えないきらいがある。こなれてないのだ。子供達と「キッド」の演技を比較すれば瞭然だろう。 
[DVD(字幕)] 7点(2013-08-28 12:41:53)
33.  赤い風船 《ネタバレ》 
「こころあたたまる良質のファンタジー」のはずが……。野暮を承知でかくと、風船がしぼんでいく場面で操作線(細い線)が丸見えになり、少し鼻白んでいると、少年の空中飛行場面ではスタントマンに代わっている。体型が全然違う……。ああ、最も感動する場面で気分を削がれてしまった、途中まで佳い映画だったのに恨めしい。気を取り直して、少年が風船と出会う場面をチェックしてみると、少年が階段を降りる前は美しいパリの払暁風景だったのに、階段を降りると陽が高くなっている。延びていた影がなくなっているのだ。と、残念なことばかりが続いた。残念ついでにいうと、昔この映画にあこがれて風船でアメリカに渡ろうとした「風船おじさん」が消息を絶ったという事件もある。大人の視点で観ると、どうしても制作の側に目がいってしまう。風船は二本の線で操作されているなとか、風船はいくつ用意されたのだろうかとか、ちょっと大きすぎないかとか、ここはフィルム逆回転かとか。悲しい性です。 ◆街灯に引っかかった風船を少年が取る出会いの場面。少年はよじのぼって自力で取ってますね。これが良い。苦労して手に入れたからこそ愛着が湧く。これが風船との友情の萌芽となる。両者の間に友情が生まれ、風船は少年にまとわりつくようになるのですが、この不思議な風船を周りが放っておかない。大人達にとっては迷惑で、邪魔な存在、子供達にとっては不思議で、欲しい対象。風船にとっては受難のようなことになり、とうとう子供達に割られてしまう。そのときに町中から風船が続々と集まってきて、少年を乗せて大空へ飛び立ちます。奇跡が起こったのですが、どう解釈すべきか?風船は割れても風船の思念は残っている。風船は自分と子供を区別していない。同じ仲間と思っている。それで自分の家に招待したのでしょう。風船の国へ、それはたぶん空の上にある。少年にとっては友達の家にちょっと遊びにいく気分。子供っていいなって思いました。ここで問題、赤い風船は男の子?女の子? 男の子でしょうね。だって……。 追記:風船おじさんも風船の国にいったのかな。
[DVD(字幕)] 7点(2012-09-13 15:38:45)
34.  テス 《ネタバレ》 
類まれなる美貌の持ち主「超美人」というのはある意味罪作りな存在。異性を惹きつけて止まないのだ。恋愛の対象、欲望の対象、嫉妬の対象として情念の渦に巻き込まれてしまう。金持ちですけこましのアレックにしつこく追い回される主人公テスの様子は気の毒そのもの。拒絶できればよいが、父が怠惰な貧農で、弟妹たちの面倒を見てやらなければならないという負い目、足枷がある。結局強姦めいたことになり、アレックスの情婦となる。そんな生活に嫌気がさして逃げ出すが、お腹には新たな生命が宿っていた。赤子は短命に終るが、私生児故に洗礼も受けられず、教会墓地に埋葬も許されない。アレックスに何も知らせず、赤子を自分で育てるところに、気高く自立した女の側面がみれる。新たな働き先の農場で初めての恋をするが、相手はよりによって牧師の息子エンジェルで、厳格なキリスト教上の足枷がある。求婚されたとき、過去を告白した手紙を渡そうとするが、行き違いとなる。結婚後、彼女の過去を知ったエンジェルは痛撃を受けて、家を出てしまう。彼女も実家に帰るが、父が死亡して借家を追い出される。やむなくアレックスの援助を請うて、再び情婦に。そこへのこのこ妻の過去を許して受容できるようになった夫が迎えに訪れて、悲劇が起る。惨劇の場面は省略されるが、主人公の生きざまを赤裸々に描くのが作品の主旨であり、非常に不自然。逃亡する二人はストーンヘンジで逮捕されるが、これは興味深い。ストーンヘンジはキリスト教以前の古代遺跡で、太陽の運行など天文に関係する施設で、夏至には特定の石柱の間から太陽が昇る。彼女の魂が救済され、再生するためには、キリスト教という足枷のない場所が必要だった。朝日が石柱から昇りはじめる象徴的な場面で映画は終る。◆せっかく「自立する女」「紆余曲折を経て辿り着いた真実の愛」を描いても、殺人、絞首刑で終わっては後味が悪すぎる。彼女の不幸や悲運が心にもたれ、うまく消化できない。夫役の男優に魅力がなく、彼女と釣り合わないのも難点。監督は主演のナタキン15歳のときより性関係を持っていたというから、アレックスと被って見える。性的に早熟になった彼女は、その後恋多き女として浮名を流すことになる。それでも輝き続けるナタキンはテスそのもの。監督の妻が殺害され、一方で少女への淫行疑惑の十字架を背負うという人生も意味深なものだ。やはり美貌が罪を呼ぶのだろうか。
[DVD(字幕)] 7点(2012-09-11 13:11:28)
35.  穴(1960) 《ネタバレ》 
物語は単純。5人の囚人が脱獄の穴を掘り続けるというもの。メインの脱獄方法こそ鉄棒でコンクリートを穿つという力技だが、棒の先に鏡をつけた覗き鏡、薬瓶を合わせた砂時計、組立て作業の箱の残りを使った人形、肩車で狭い柱の陰に隠れて監視の目を逃れる、マッチ棒を挟んで切断した鉄棒を元に戻しておく等、リアリティのあるアイデアに引き込まれる。差し入れ品を細かく検査する場面を見せることで厳しく監視された監獄であることを示すなど演出の妙がある。脱獄を”魅せる”という点では申し分のない出来。心理劇としてはどうか。古参の4人は一枚岩。そこへ未決囚の新人が入ってくる。信じて打ち明けるか、延期するか。信用できると踏んで打ち明けるが、疑心暗鬼の状態は続く。このあたりの描写はあっさり。4人の過去が語られず、緊急切実した事情があるわけでもないので、心理劇としては薄味。ただ4人の個性はきちんと描かれる。後半になると変化が現れる。古参の一人が脱獄しないと言い出す。理由は重篤の母親がおり、自分が脱獄すると警察に事情聴取され、動揺して鬼籍に入るかもしれないから。以前には思い至らなかった事が、脱獄がいよいよ現実味を帯びた時点で思い至り、よくよく考えた末の結論。リアリズムがある。男は落盤に遭いながらも自分の担当分の仕事はきちんと果たす。脱獄幇助罪で罰を受けるのも覚悟の上だ。最も男気を見せる人物だが、男は普段エロいことばかり話題にする人物として描かれ、感情移入しにくいきらいがある。新人の立場はどうか。普通、未決囚は脱獄はしない。容疑も妻への予謀殺人未遂罪で、殺人ではない。それでも重罰が下ると予見して脱獄参加を決意するが、そこへ妻が告訴を取り下げるという意外な展開。あとは釈放に判事の署名を待つだけだが、同房の連中が脱獄してしまうと、脱獄幇助の罪がかかる。仲間を売るか、自由を不意にするかのジレンマに陥る。新人はかつて脱獄を「実に胸のすく思いだよ」と洩らしていた。だから観客は新人が裏切るとは思っていない。そこへ意表をつく結末。そこで「穴」というタイトルには二重の意味があったことが分る。「脱獄の穴」と「落とし穴」。また所長が妙に優しくする場面がいくつか出てきた理由も氷解する。物語としては巧みだが、人間劇として物足りなさが残る。新人や4人の苦悩がさほど伝わらないからだ。余談だが、あんな音を立てれば隣が絶対気づくと思う。
[DVD(字幕)] 7点(2012-07-18 06:46:34)(良:1票)
36.  望郷(1937) 《ネタバレ》 
ペペはギャングの親玉。銀行強盗稼業で荒稼ぎ、殺した刑事は五人。フランス警察の手を逃れ、仏領アルジェリアのカスバに逃げこんでいる。カスバは建物が迷宮のように複雑に入り組み、各家のテラスがつながっていて、どこからでも逃げれる。男気があり、人情に厚いペペは手下からは崇拝され、住民にも人気がある。カスバはペペを守ってくれる一方で、暑くて、汚くて、混雑して、無秩序で、熱病のように人の心を蝕む。牢獄のような場所から逃れる事の出来ないペペの心は病んでおり、望郷の念に堪えきれなくなっている。そこへ現れたのが金持ちの愛人ギャビー。巴里流行の服をまとい、宝石をきらめかせ、色香ふんぷんで、聞けばペペと同郷、ペペの恋焦がれる総てがあった。彼は恋に落ち、ギャビーも彼にぞっこん。だが運命は二人に辛く当る。刑事の策略、部下の裏切り、情婦のタレこみ云々で、ギャビーを追って乗り込んだ船で、ペペは待ち構えていた刑事達に逮捕される。温情で見送りを許されるが、「ギャビー」と叫ぶ声を汽笛が消す。心憎い演出です。自由、恋、故郷、総てを失ったペペは自死する。「望郷」という和題が卓越。彼は望郷という病に憑りつかれていた。いつ来るかもしれぬ刑事のガサ入れ、警察との撃ち合い、仲間の裏切り、手下の死、包囲網下でカスバを出れない不自由さ、酷い暑さ、嫉妬する情婦など、心が休まるときが無い。これらが寄せては返す波となり、彼を望郷の念に駆りたてる。「若いころの自分を、古い写真を鏡と思って見つめるの」と言って古いレコードをかける元歌手の年増。ペペがカスバを降りる時のりゅうと着こなした服装と靴、背景の心象風景に映る故郷へ続く海など、実に抒情的だ。ペペの心とカスバの町(迷宮の象徴)が常にオーバーラップする。ペペは情婦イネスに飽きて、彼女をないがしろに扱っていた。イネスはペペを愛していたが、結果的に彼女の嫉妬心がペペの命を奪うことになる。ペペにとってのファムファタールはギャビーではなく、イネスだったのかもしれない。運命の女神は気まぐれだ。ペペが故郷に恋焦がれていたのは良い想い出があったからだろう。ペペの過去、がどうして悪の道に足を踏み入れるようになったのかが描かれていれば、より感情移入できただろう。現代の価値観でいえば、ペペは社会の屑にすぎない。それにしても、スリマン刑事はペペに毎日会っているのに逮捕しないのはよくわからないですね。
[DVD(字幕)] 7点(2012-07-10 18:08:19)
37.  ディーバ 《ネタバレ》 
物語は少し複雑。メインは郵便配達人ジュールとディーバであるシンシアの純愛。ジュールは運命のいたずらで3つの組織に追われる。買春組織の暴露テープを持っていることで警察に。同じ理由で殺し屋に。そしてレコーディングしないシンシアの録音テープを持っていることでレコード会社に。さらに複雑なのは売春組織のボスが、警察の殺人課の上司であること。このため捜査状況が殺し屋に筒抜けとなる。レコーディングテープはベトナム人少女アルバに預けて置いて無事だった。暴露テープは殺し屋に奪われそうになるが、謎の男(アルバの恋人)に助けられる。暴露テープは謎の男が殺し屋のボスに売る。後にボスはジュールを殺そうとして、謎の男に殺される。 ◆感情移入を損ねる要素がある。アルバが平気で万引きする。ジュールもそれを咎めない。ジュールがシンシアへの愛の代償として黒人娼婦を買う。ジュールは逃げ回っているだけで最後まで成長せず無力である。主人公なのだから活躍して欲しい。最初は無力でも途中からヒロイズムを発揮するか、知力でピンチを乗り切るかすべき。謎の男に助けられているばかりでは、シンシアの愛を獲得する資格は無い。要するに主人公の印象が薄いのだ。ここが最大の不満点。謎の男ばかりが目立ちすぎる。ジュールがライブを録音し服を盗むのは、幼い愛の表現として許容できる。 ◆最大の魅力はシンシアの歌だろう。実に力強い。随所にユーモアの要素もある。二人の殺し屋のキャラも立っている。何でも嫌いな殺し屋は特に印象的。ジグソーパズル、動く波の模型、壁の画、バイクなどガジェットも豊富。構図やマ撮り、彩使いなど映像がスタイリッシュ。 ◆不可解な点もある。①レコード会社の人は、テープを探してジュールの家に押し入ったが、何故テープをずたずたにしたのか。腹いせだろうか。また謎の男から違うテープを渡されるだけだが、何故確認しないのだろうか。②最後の場面、唐突に無人の舞台となる。説明が欲しい。テープが途中で止まって、また始まるが誰が操作しているのか。③謎の男は、テープを売った金をどうしたのか? ◆ミステリー要素も恋愛要素もそこそこの出来で、良くまとまっている。アクションは陳腐。普通に考えれば、ディーバが狙われてジュールが助けるのだけれど、意表を突く展開が好ましい。本筋と離れた部分で、謎の男と不思議少女の抜群の存在感が映画を稀有なものにしている。
[DVD(字幕)] 7点(2011-02-13 11:59:21)(良:2票)
38.  美女と野獣(1946) 《ネタバレ》 
イマジネーションを刺激する寓話。雑感です。◇野獣の力の秘密は鏡、白馬、金の鍵、手袋、薔薇の5つ。鏡は見たいものが見える。白馬はどこへでも迷わず行くことができる。金の鍵は真の財宝がある場所の扉を開ける。手袋は瞬間移動能力。では薔薇の力とは何だろうか。事件の発端は、ベルの父が知らずに薔薇を摘んでしまい、死の宣告を受けたことだった。摘んではいけないものだったことしかわからない。薔薇はベルに渡されたが、その後は登場しない。他の力から類推すれば、見る人の好きな形に姿を変える花だったのではないか。あるいは世界一美しい花か。◇ベルの父は一輪の薔薇を盗むという微罪を犯した。その罪は、死か、娘を野獣に差し出すかという不条理なものだ。不条理さを受け入れることにより野獣の魔法に取り込まれてゆく。心優しいベルは父のために自らを犠牲にし、進んで野獣の元へ向かう。城では不思議なことが次々起きるが、予想に反して野獣の態度は紳士的だった。「お前を見ていいか。ここではお前が主人だ」小間使いの仕事などしなくよく、自由に贅沢に暮らせる。ただ野獣と夕食を一緒にすればいいだけだ。ベルは徐々に心を許し、一緒に散歩をしたり、飲み水を汲んであげたりする。いやなことは毎日求婚されることと病気の父に会えないこと。◇ベルは野獣を醜いと思っているが、野獣が自分自身の醜さを認識しており、根は善良であることを見抜いている。◇アブナンはどうして野獣になったのか。彼はベルを愛しており、彼女を救出しに城に向かった。だが間違って宝物館に行ってしまった。金の鍵で開ければよかったのに天井の窓を壊して侵入しようとした。このとき宝物に眼が眩んでしまっていた。そして魔法の矢で射られてしまった。真の愛があれば真直ぐにベルのところへ行けただろう。 ◇野獣はどうして人間に戻れたのか。女性から心から愛されなければ魔法は解けない。野獣は父親を思うベルの心に打たれて、帰宅を許した。そのとき力の秘密を教え、金の鍵を託した。ベルが期限内に戻らないと死んでしまうという。これは恋の苦しみなのか、そういうシステムなのか。恋の苦しみならベルが戻ってきたときにすぐ元気になる筈。ベルが金の鍵を探すぶんだけ遅れたのだろうか。ベルが野獣を愛したのは確実。しかしそれでも魔法は解けず、野獣は死んだ。魔法が解けたのは、アブナンが野獣になってから。交代制なのだろうか。
[DVD(字幕)] 7点(2010-06-25 23:09:54)
39.  あこがれ (1958) 《ネタバレ》 
悪童にとって絶対に手に届かない花へのあこがれ。恋に目覚めた少年の苛立ちと嫉妬と憎しみ。女優が美しいので納得がゆきますね。 モノクロの白と黒のコントラストを上手に使っている。脚を目立たすために黒めの服。ボディラインを美しく表現する白いテニスウエア。あの時代にあんな短いテニスウエアがあったことが驚きです。テニスやコレシアムで呼び合うシーンなどは絵巻物を見るような美しさです。 悪童たちは美女から眼を離せない。女性がはつらつとして美しいということもあるが、恋人がいることがさらに興味をかき立てている。絵にかいたような幸せを体現しているカップル。テニス、森でのデート、人目を気にしない接吻や抱擁。あこがれの感情に加えて、やっかみや嫉妬の感情が複雑に入り込んでいるのだ。ナレーションでは「憎しみ」「復讐」などと表現されている。すべて性の芽生えに根ざすものだ。 悪童たちは彼女の後をつけて自転車に触ったり、カップルを脅かしたり、はやし立てたり、テニスを見学したり、落書きをしたりする。そうせずにはいられないのだ。それはエスカレートして、恋人(婚約者)がいない間に卑猥な絵葉書にみだらな言葉を書き連ねて女性に送るという行動になる。だがそれには大きなしっぺ返しがあった。男が山の遭難で死んでしまうのだ。あこがれだった女性はかつての輝きを失い、黒服に身を包み、もう悪童たちの関心を惹く存在ではなくなってしまう。恋をしていることにより、彼女は明るく若々しく、美しく輝いていられたのだ。罪の意識と後悔だけが胸に残る。失恋の疑似体験といえるだろう。無垢な少年期も終わりを告げた。。 複雑な心理の少年期を一陣の風のように描ききった力量に敬意を払います。ラストの太陽に映える木の葉が少年期の象徴でしょう。まぶしいですね。ナレーションが語り過ぎるのが欠点でしょうか。 
[DVD(字幕)] 7点(2010-06-09 04:55:44)(良:1票)
40.  ピアニストを撃て 《ネタバレ》 
【編集】冒頭の逃走シーンで、人にぶつかったと思ったら、一緒に歩き出し、和やかな話をする。そしてまた逃走。酒場で弟に助けを求めたと思ったら、女をくどいている。見つかり、また逃走。その後歌手が歌うシーンが長々続く。一本につながらない難解な編集。他にもある。孤独な男と思っていたら、娼婦と和気藹藹に寝る。二人組が部屋を見張っていたら、子供のいたずらで車に液体を落とされる。誘拐したと思ったら、穏やかに家族などの話を始める。根は悪くない二人組と思わせておいて、最後は銃撃戦で恋人殺害。意表を突きます。 【難解】難解なのは、人生は一筋縄ではいかないという意味。娯楽映画の善悪二次元論的展開を拒否。悪人の兄や二人組にも家庭的、人間らしい部分があるし、善人の妻も夫の出世のためにプロモーターと寝ていた。逃走や誘拐しているときでも心が緩み、ふと人間性が表れる瞬間がある。人間の持つ複雑性を表現したかったのだろう。 【内なる声】男の内なる声(科白)は臆病であることの告白。臆病故に、ピアニストとしての成功も一時的なものであり、女への態度も本心とは裏腹のものとなり、女を不幸にする。この内なる声は不要。あくまで映像で見せるべき。 【題名】男は絶望しておらず、開き直っている。死神に対して今度は女ではなく、俺を撃てという意味。開き直りが運命を切り開く場合がある。「piano player」は「pianist」より格下の存在。 【感想】男はピアニストとして成功したが、自信が持てない。妻はプロモーターと寝て自己嫌悪に陥り、又男がいつまでも自信がないことへの苛立ちから別れを持ち出し、自殺する。そのショックで、名を変え、場末の店でピアノ弾きに。恋人ができ、新出発の矢先、三角関係が発覚し、店主を正当防衛で殺害。兄のトラブルで引き取った弟がさらわれ、恋人も死亡。場末のピアノ弾きに戻る。一連の事件で開き直った男にとってピアノだけが自信の存在証明となる。さぞ演奏には深みが増すことでしょう。最後は自信を持った顔付になっている。悲劇が男を強くしたのだ。これも人生の皮肉、深み。映画で言いたいことはわかるが、手法がこなれていない気がする。人間劇よりも、細切れ、継ぎはぎの印象の方が残るのは欠点。悪人の孤独や悲劇も描けていればもっと深い作品になっていただろう。
[DVD(字幕)] 7点(2010-06-09 03:25:23)
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