1. アポロ13
太古の昔から人間は手の延長として道具を使い、自然に存在する電気を道具を動かすパワーとして利用する術を習得し、海を航行するために船や潜水艦を作り、空を飛ぶために飛行機を開発しました。なぜこのようなことをわざわざ書くかというと、地球上の他の生物には与えられてない頭脳によって次々といろんな夢を実現していくにもかかわらず人間は神ではないということを肝に銘じる必要があると思うからです。私は宗教とは無縁ですが、飛行機事故で死んだら天国で一番いいところに行けると信じています。飛行機事故はその発生確率の低さもさることながら、人間の技術力の現時点における限界と新たな挑戦の可能性を示してくれるからです。さて、映画の中でトム・ハンクスが演じる主人公はまさか自分の時に限って宇宙船がトラブルを起こすとは考えてもみませんでした。でもNASAの技術力をもってしても予想できなかった事故が発生します。ローマ法王を始めとした全世界からの祈りの声、「これが乗組員が持っている全てだ」と、テーブルの上に船内にあるのと同じ種々雑多な器具などを山積みし、それらの組み合わせによって宇宙船内の二酸化炭素過多を解消する方法を知恵を寄せ集めて考え出した地上スタッフ(エド・ハリスなど)の努力、そして三人の乗組員を含めたすべての関係者の勇気と知恵を神様が認めたのか三人は生還することができました。「はしか感染」の疑いでメンバーからはずされた宇宙飛行士(ゲイリー・シニーズ)が帰還した三人に向かって無線で「Welcome Home!」と呼びかける場面では改めて、地球は60億の人類全員にとって安心して住める家なんだな、と感じさせられます。月着陸の失敗と宇宙飛行士の奇跡的帰還というこのアポロ13号のエピソードは永久に語り継がれるべきです。以後、私たちはさらに二機のスペース・シャトルと十数名に上る宇宙飛行士・科学者を失いましたが、この映画を見て私たち人類の力の限界、そして進歩と挑戦の継続という人類の宿命的課題に改めて厳粛な思いを巡らしてみてはどうでしょう 10点(2004-02-01 13:44:42)(良:5票) |
2. 火垂るの墓(1988)
「戦争は悲惨だ。だからいけない。」というのは「人の頭をピストルでぶち抜くと死ぬからよくない。」というのと同じくらい単純な道徳的判断で、大人だったらわざわざ映画や小説などで説明してもらわなくてもわかっていることのはず・・・そういう意味で、私は大人なのでこの作品を見てどうこういうことはありませんでした。この作品を小中学生に見せることの是非を問われれば、困ってしまいますが、答えは「ノー」です。清太と節子の二人は海水浴やら蛍狩りやらやってから死んだので空襲で一発で死ぬよりも少しましだった・・・というのがこの作品の本質です。こうやって死ぬのも焼夷弾で焼け死ぬのも原爆で死ぬのも五十歩百歩です。もっと気になるのは、清太が皇国の勝利を信じていたことで、そういう意味で清太も悲惨な戦争の片棒を担いでいるわけです。もっとも十四歳では戦争をまともに批判することは無理ですが・・・。第二次世界大戦での敗戦から六十年間、日本では「戦争は悲惨だからいけない。」式の短絡的平和主義しかなかったようで、これから先、このままでいいのかと思います。平和主義は短絡的でもないよりはましですが、戦争を起こすのは短絡思考の人間と相場が決まっているのです。余談になりますが、私が所有している某社発行百冊の小説を収録したCD-ROMに本作品の原作と井伏鱒二の「黒い雨」が戦争の悲惨さを描いた(短絡的)反戦小説として入っています。でも、それよりも吉村昭の「戦艦武蔵」が政府や軍の責任者の常識が軍拡競争で麻痺していく過程をリアルに描いて、よほど反戦の役に立つ小説です。「戦艦武蔵」のように船が主人公では映画化は無理ですが、人を主人公にして戦争をもっと深く解析した小説が映画化されるべきです。もっともそういう作品をアニメにするのは多分無理でしょう。もう一つ余談・・・単純な反戦映画の傑作はやはり「西部戦線異常なし」だと思います。 4点(2004-08-14 10:20:22)(笑:1票) (良:3票) |
3. ゴジラ-1.0
《ネタバレ》 正論を吐く理系官僚ということで財務省をいびり出されたインフルエンサーの某氏が「既に4回見たがまだ何回か見るつもり」と言ったので怪獣映画は子供の頃から嫌いでしたが見に行きました。主演はNHK の朝ドラで植物学者の役をやった神木くんじゃないですか。途中でゴジラは今まで日本の国土と国民を脅かした地震、台風、津波、B29(空襲)、原爆におまけの蒙古襲来を全部足したもののアレゴリー(比喩)じゃないのかと気づいてからは「ゴジラを倒すのがウルトラマンだったりしたらわたしは出口で観覧料の返金を要求するぞ!」と息巻きましたが幸いにしてそんなこともなく最後は国土を襲うどんな災難も他国のせいにはせずにゴジラの姿に結晶させて科学技術とチームワークで立ち向かい、決して他国のせいにしたりはしない、ましてや十倍返しにしたりしない日本人の賢さと優しさに感涙しました。さて、日本は第二次世界大戦の終盤で英米の科学者がナチスドイツを倒すために製造した原子爆弾の被害を被りましたが原爆製造で功績のあった科学者四巨頭(オッペンハイマー、フェルミ、ロレンス、コンプトン)の原子爆弾を日本に投下すべきか否かの議論には結論が出ず、議長のオッペンハイマーは「わたし達4人の科学者はそれぞれ一票の投票権を持つ市民でしかありません!」と結論を放棄してしまいました。では誰が広島・長崎の原爆投下を決めたかというと時のトルーマン大統領だと言うのは簡単ですがトルーマンに復讐することはできないし、トルーマンを大統領に選んだアメリカ人に十倍返しをするのは憎悪の連鎖を生むだけだし⋯結局ゴジラにしてしまった方が全て平和裡におさまるわけです。日本の周囲には大きな大陸国と小さな半島国が何をしでかすかわからない状態にありますが、これから何が起きてもゴジラを倒すつもりで対処できればと思います。 [映画館(邦画)] 8点(2024-03-20 19:10:20)(笑:1票) (良:3票) |
4. 華氏911
これはおったまげた!カンヌ国際映画祭は芸術の香り高い映画を選定・評価するところだと思っていたのに、カンヌ国際映画祭でパルム・ド・オル(最高賞)を受賞したこの作品は完全に反体制宣伝(というよりも喧伝)映画です。ヨーロッパ映画界の危機意識がそれだけ高いというわけでしょう。どちらかと言えばブッシュには反対している私でさえも何だかボクシング・リングの上で両手を後ろ手に縛られたボクサーを、もう一人のボクサーがめった打ちにパンチを食らわしている様を見ているような感じが否めませんでしたが、この感じが快の部類に属するのか不快の部類に属するのかはよくわかりません。ムーア監督はすでに去年のアカデミー賞受賞式でブッシュ大統領に挑戦状をつきつけていたので体制側の監督(陰の声:そんな監督いるのかどうか・・・)もイラク戦争を擁護する作品を作ればよかったと思います。(陰の声:軍艦マーチをバックに「大本営発表」???)でも体制擁護映画と二本立てにしてもこちらしか見ない人がほとんどだったりやなんかして・・・。長くアメリカに住んでこんなに熱い映画上映は初めての経験でした。私が見たのは月曜日の夜10時からの上映でしたが、会場は大入り満員で時間を気にする人もないようで、上映中の爆笑や拍手、特にエンド・ロール開始の時の大喝采と「ワンダフル!」の掛け声は初めてでした。(この映画を見に行くのはブッシュに反対する人だけだということを念頭においてください。)バグダッドの街角に集う人々の平和な談笑や子供たちが遊ぶ光景が阿鼻叫喚に変わったシーンで流れた涙には人道上の涙と「私が納めた税金がこんなことに使われるなんて・・・。」というくやし涙が混ざっていました。この映画を本当に見てほしいのはイラクの人です。映画のスクリーンだけではなくそれに反応するアメリカの人たちを見てほしいと思います。アラブ圏の人は民主主義や自由とはミニスカートをはいて街を歩いたり酒や麻薬をたしなむことだと思っているようですが、真の民主主義や自由とは反体制映画が堂々と上映され、人々が臆することなくそれを見に行くことができ、上映会場の内にも外にも警官や憲兵が立っていないことなんです。 6点(2004-06-30 01:12:56)(良:3票) |
5. アメリカン・プレジデント
《ネタバレ》 今までに見たアメリカ大統領ものの中で一番好きになれました。これも一重にマイケル・ダグラスの風格に満ちた演技のおかげだと思います。政争・政局において、権力を狙う安っぽい輩は私生活を叩いたり、金脈を暴いたりしてライバルを蹴落とそうとしますが、所詮大切なのはその政治家がどれだけ国民のことを考えているかであって、政治家の私生活や金脈は常に公共の目に晒されなければならないものの、政策から離れた攻撃材料にされるべきではないと思いました。「国民一人一人の権利が守られ、みんなが幸福に暮らせるように・・・。」と持っていって自分の私生活を弁護したこの架空の大統領の口上はさすが・・・。「リンリ、リンリ」と鈴虫みたいに馬鹿の一つ覚えを繰り返すどこかの国の野党政治家に観てもらいたい作品です。 [DVD(字幕)] 8点(2010-04-14 04:18:25)(笑:1票) (良:1票) |
6. 戦場にかける橋
イギリス兵の誇りの象徴、口笛で吹く「クワイ河マーチ」がこの映画で有名になりました。この作品に出演した早川雪舟さんは国際的な映画コンテストでノミネートされた日本人の第一号だそうです。でも、イギリス人将校ニコルソン大佐の協力なしではビルマの辺境地に橋を建設できないことを悟ったときの斎藤大佐の気持ちは男泣きするほどくやしいものなのかな・・・ニコルソン大佐の命令なしではイギリス兵は働かないのが当たり前だと私は思うのですが・・・。武士道の権化のような斎藤大佐がイギリス留学で得た国際性を次第に表わし、さらにニコルソン大佐が「平和になった時にはこの橋を作ったイギリス兵は現地の人に感謝される・・・。」と気持ちを軟化させてイギリス兵たちが追随していくくだりが実にいい。それにしてもアメリカ兵は憎らしい。大岡昇平なんか読む限り、アメリカ軍だけが東南アジア戦線で衣食に困らなかったらしい。なにせパール・ハーバーを別として、本土が全く戦禍にさらされていないわけだから・・・。日本兵ではなくアメリカ兵を残酷で近視眼的な悪役、あるいは「アホ」に描いたこの映画がアメリカのアカデミー賞を7部門で受賞するなんて、アメリカ人は懐が深いのか、それとも戦争が嫌になっていたのか、でなければやはり映画そのもの神通力のせいでしょう。 10点(2004-01-26 14:48:27)(良:2票) |
7. 十戒(1956)
むかしむかしあるところに… ヘブライ人という人々が住んでいました…。とお話を始めるのが本来なら適当かと思います。本作品はエジプトナイル川のほとりで「ファラオ(王)がわたし達ヘブライ人の男の子を皆殺しにする命令を出したけれどこの子だけは。。。」と母と娘が生まれたばかりの男の子(後のモーゼ)をバスケットに入れて川に流すシーンから始まります。ヘブライ人(ユダヤ人)はナイル川の恩恵で生産性が上がったエジプトに労働力として移住してきたようですが、この民族は他民族と異なり、原始多神教ではなく唯一絶対神を信仰し、後年世界宗教となるキリスト教とイスラム教の間接的な始祖、ひいては法律や科学の基礎を築く民族になるのです。さて、お話しはほとんど終盤までユル・ブリンナー演じるファラオがこれでもかこれでもか、と言わんばかりにモーゼとヘブライ人を弾圧する内容に終始しますが、その過程でモーゼの杖が毒蛇に変わったり、モーゼが神の声に導かれたり等々、それはモーゼとヘブライ人達が「そうだ。われわれは神に選ばれている。われわれは世界の創造者たる唯一絶対神を敬う民なのだ!」と民族の自覚を獲得していく過程なのです。そして最後近くで神からの十ヶ条の戒めを与えられたモーゼが「規則なくして自由はない!」と宣言しますが、これこそ現在、宗教を問わず国家の基本となっている法治主義の起源なのです。数々の奇跡のスペクタクルが目を楽しませてくれる作品ですが、現在先進国に住むわたし達が当然と受け取っている考え方の源流を探ってみると面白いです。 [DVD(字幕)] 8点(2020-03-29 01:17:12)(良:2票) |
8. 乱
日本の映画の中でこれほど外国人受けする映画はないと思います。統計をとったわけではないのですが・・・でも、外国人がこの映画を評価するのは色鮮やかな旗が乱舞する合戦シーンなどの日本趣味でしかないのかもしれません。また、この映画を一度しか見ないで出来不出来を云々する方の中には外人がこの映画を見る目とそれほど変らない見方で評価していらっしゃる方も多いのではないかと思います。でも、私はこの映画を二度目に見た時にはシェークスビアの原作にはない何か、日本的、あるいは仏教的と言ってもいいかもしれない何かを感じました。二度目には長男の妻と同じ経緯で一文字家に嫁いできたのにもかかわらず寛容な心でもって秀虎を許す次男の妻やピーターが演じた狂阿弥の台詞の一言一言に着目する余裕があったせいだと思います。参考になるかどうかわかりませんが、シェークスビアは「リア王」を書くに当たって作品をキリスト教と無関係なストーリーにしたいと考え、わざと舞台をキリスト教伝来以前のイギリスに設定したそうです。だとしたら、この映画は黒澤監督がシェークスビアの意図を受けてセンター前にヒットさせたような作品かもしれません。でも、私はやはりこの作品は「黒澤」で「日本」だと思います。 9点(2004-03-09 11:31:28)(良:2票) |
9. マルタイの女
この作品は今までのいくつかの女シリーズでのテーマだった単純な善悪ではないと私は思います。全編から「おまわりさん、ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・(淀川長春のパロディーではありませんよ。)」という伊丹監督の叫びが聞こえてくるようで痛々しいです。考えてもみてください・・・「マルサの女」で血税をとる国税庁査察官の努力の姿を描きながら、「ミンボーの女」で暴力団をテーマにしたばかりに右翼に狙われ、妻宮本信子と夫婦ともども警察のご厄介になりながらの映画活動を余儀なくされたんですから・・・伊丹監督本人の生活を模写したこの作品の中で二人のスゴ腕の警官がその間他の仕事は全くせずに女優ビワ子に付き添い、当然のことながら結構な給料や超過勤務手当てをもらっているのですが、現実の社会では彼らの給与は国民の税金によって賄われているのです。「納税者のみなさん、私がやりたいことをやったばかりにみなさんの税金がこのように使われてしまっています。ごめんなさい・・・。」という伊丹監督の声も聞こえます。映画ファンとしては警官が10人付き添っても構わないからいい映画を作り続けてほしかったですが、その期待が伊丹監督の負担になったことは想像にかたくありません。「もう、勘弁してください。」とう伊丹監督の自殺予告の声まで聞くことができます。伊丹監督の自殺は惜しまれる死ではありますが、やるだけのことは果たした上での散り方だったと思います。合掌。 7点(2004-03-13 07:30:20)(良:2票) |
10. フォレスト・ガンプ/一期一会
画面を舞う白い鳥の羽とかわいい音楽のオープニングでもうわかってしまいました。これは「おとぎ話」。こんな出だしのホラーやスペクタルは絶対にないのです。この映画を「おとぎ話」として見てくださいよ、という製作者の合図みたいなもんです。そしてアメリカでは「おとぎ話」はサクセス・ストーリーと相場が決まっています。主人公が母子家庭に生まれてIQが特殊学級すれすれの75というのも、「こいつは何かの才能(たとえば数学や音楽の)や環境に恵まれてラッキーだった。」なんて言わせないようにするため、主人公がひたすら走ったり卓球の球を追ったりする才能(?)に恵まれたのは知能が低くて要領が悪いせいだし、誰かが大金をくれたり、嵐の時に自分の船だけが助かったりするのは・・・あまり目くじら立てないでおきましょう。「フィラデルフィア」や「アポロ13号」で知的な役を演じたトム・ハンクスがIQ75の主人公を演じている様は「レインマン」で自閉症の男を演じたダスティン・ホフマンを彷彿とさせます。主人公のセリフに耳をよくすませると私たちが中学校で習うレベルの英文法の間違いがたくさんあります。ご苦労さまでした。 8点(2004-01-29 12:09:11)(良:2票) |
11. シュリ
冒頭だけでもいいですからアメリカの政府高官やCIAの人に是非この映画を見てほしいです。国家を最優先して指令どおりに殺戮と破壊を行うことを使命として国家とは何かなどと考えもしないような人間を養成する某国と国境で接したり大陸間弾道弾の射程距離に入っている韓国や日本のことを、イラクに行く前に考えてほしかったです。ハリウッドばりの派手なアクションや撃ち合いが見せ場ですがハリウッドがこの手の現代物の作品を作っても国家やイデオロギーの対立までは描けず、せいぜいギャングの撃ち合い程度の作品に終わるだけでしょう。貧しい北朝鮮と豊かな韓国の日本と変わらない日常生活との対比にも考えさせられました。でも北朝鮮の諜報部員が「北の人間が飢えているのに南の人間は・・・。」なんて言ったりするでしょうか・・・。北朝鮮は日本や韓国の国民は資本主義の重圧と搾取に喘いでいると頭から思い込んでいるはずなんですが・・・。(でもこれはさほど重要なことではありません。)北朝鮮よ、くやしかったら資本主義の重圧に喘ぐ人民を救済するスーパーマン映画でも作って日本やアメリカでヒットさせてみろ!韓国と朝鮮が東西ドイツのようにハッピー・エンドに終わることを願って、この悲しいストーリーは娯楽系作品に私がつけることにしている最高の8点-1点とします。 7点(2004-03-02 12:17:54)(良:2票) |
12. クィーン
主人公エリザベス二世を始めとして、そっくりさんのオンパレードながら良く出来た作品。ダイアナ元妃の事故死の際、私も含めて「一体、イギリス王室はどうするのだろうか?」と成り行きの注視したものですが、内部の状況、とりわけ女王エリザベス二世の心情をヘレン・ミレンの好演で描ききった完成度の高い作品でした。(でも、本物のほうは、人目があろうがなかろうが絶対に泣いてはいないと思います。)エリザベス一世(こちらも「エリザベス」のタイトルで映画化されています。)のお父さん、ヘンリー八世なんて、一体何人の妃と結婚し、そのうちエリザベス一世の母を含む何人を斬首刑にしたのか・・・こういう歴史のある国ですから、ダイアナ元妃の件でももしかしたらもしかするかも・・・なんていうのを見る前には期待していたのですが、メディア隆盛の民主主義の世の中、そんなことがあるわけないですよね。映画作品がそんな憶測を語ったりすることはなおさらありえないです。地味な作品なので総合点は低めですが、脚本と演技には満点です。 [映画館(字幕)] 7点(2007-07-23 00:00:36)(笑:1票) (良:1票) |
13. パッション(2004)
娯楽系ならともかく宗教を題材にしたR-rated(18歳未満入場禁止)の映画なんてあってはならないし、映画館で鑑賞中に2人が死亡なんてことも、作る側にとっては不可抗力ですが、本来絶対にあってはならないことです。私は5、6歳のころから聖書に親しんで「イエス様は人間の罪を負って十字架の上で亡くなってくださった。」と観念的に理解していました。子供でもこのくらいのことは観念的に理解できるものです。それなのに、どうしてその様を如実に映像化する必要があるのでしょうか?生々しい血まみれの映像にも増して、どうして人があれほど残酷になれるのかが私には全く理解できず、シュ-ル・レアリズムの世界のようでした。リアルティーがある登場人物は良識家のローマの総督ピラトと博愛主義者のその妻、聖母マリアなどだけであとは全員、キリストを含めて人間の皮を被った異星人のようでした。これは私の理解力が未熟なせいではないと思います。「理解力が未熟であること」を根拠に映画の18歳未満鑑賞禁止が指定されるのならば、大人にとってもわけのわからないバイオレンスを扱った映画はたとえ宗教が題材であっても作るべきではありません。そもそもイエス・キリストの処刑そのものが、公正な裁判の結果での死刑などとは異なっていて全く根拠のない不条理なものなので、バイオレンスの部分の拡大描写を入れた作品として観衆に見せるべきものではないと私は個人的に思っています。「ラストまでにバイオレンスに慣れて涙が出なくなった。」と語っているキリスト教圏の批評家(Time紙)さえいます。これがメル・ギブソンが意図したことなのでしょうか。彼の製作姿勢は大いに疑問です。キリスト教徒の友人の強い薦めでこの作品を見て仏教の文化圏に生まれたことを誇りに思ったほどです。 0点(2004-03-31 13:23:45)(良:2票) |
14. ガンジー
世界一の映画大国といえば・・・言わずとしれたアメリカ・・・ではありません。年間製作本数と観客動員数ではインドが世界のトップだそうです。だから、この映画でエクストラも含め、インド・パキスタン系の俳優が何百人、もしかしたら延べ何千人の規模で登場し、主要な人物全てが打てば響くように好演されているのも何ら不思議ではないはずなのですが、それにしてもこれだけのスケールで多数の登場人物とエクストラがCGなしで撮影・オーガナイズされている背景にはやはりかの非暴力抵抗運動の元祖、マハトハ・ガンジーの足跡を何が何でも映像にしたいという映画人の執念、さらには非暴力を唱えながら暴力に倒れたガンジーがあの世から映画製作を指揮しているかのような鬼気さえ感じないわけにはいきません。 教科書的に鑑賞した箇所も多かったのですが、いかにも青年弁護士でハンサムでかっこよかった若いころのガンジーや「塩を作るキャンペーン」や「国産衣料を着るキャンペーン」など、子供のように思いついたことをすぐに実行に移す姿が印象的てした。ガンジーの希望に反して印パが分離独立した直後、印パ国境付近をイスラム教徒難民が北上、ヒンヅー教徒難民が南下するシーンは悲劇的で圧巻でしたが、パキスタン出身インド在住のヒンヅー教徒の人によると分離独立後、インドはイスラム教徒に対して寛容だったけれど、パキスタンはヒンヅー教徒を容赦なく追い出したそうです。この映画はドキュメンタリーではないのでカンジー翁の遺志にそった脚色が随所にあるのかもしれません。歴史上、「神の下の人間の平等」を説いた宗教家は多数存在しましたが、世界史上最初で最後になるかもしれない「全ての神の平等」を説いた宗教家を力強く描いています。 10点(2004-01-25 08:38:20)(良:2票) |
15. デッドマン・ウォーキング
《ネタバレ》 日本では死刑執行直前の死刑囚に僧侶が説教をするそうです。坊さんは何をどう話すのか、魂を救済することが宗教家の仕事だとすればこの役割はやりがいがあるのかどうか、といった疑問にこの映画でキリスト教のシスターの役を演じたスーザン・サランドンが答えてくれます。日本と異なり、長期間この役割を果たします。サランドンの大きな目に湛えられた無言の訴えかけに引き込まれました。「あなたは一人ではありません。私はあなたの魂を救うためにやってきました・・・。」でも、ふてぶてしい面がまえの死刑囚(ショーン・ペン)は心を開こうとはしません。「この男は恥ずかしがり屋で自分の問題を人に話さなかったから悪の道にのめりこんでいったのに違いない。」と説明することはできてもこの男に殺された人は戻ってはきません。シスターが車をとばす周囲の田園風景が美しく、「あの男はもうじきこんな風景を見ることもできない暗闇に追いやられるんだ。」と理不尽な気持ちになり、その後で「あの男は自分の手で複数の人間をこんな風景を見ることもできない暗闇に追いやったんだ。」ともっと理不尽な気持ちになります。この映画の製作者は映画という媒体ができる全てをし尽くしたといえます。ただ、作品中のセピア色の回想シーンは現実には神と真犯人しか知りえない視覚イメージだということだけは忘れてはならないと思います。法曹制度上、あるいは道徳的に事件に関わる全ての人間は証拠の積み重ねと論理によって判断を下すことしかできません。神ならぬ人間がそこで間違いを犯さないと言えるでしょうか?それでもなお、本当の意味での裁きや贖罪は真犯人が非難や拷問などの外的な圧力なしに自分の犯した行為を釈明した時にしか実行されえないし、また、されるべきではないと思います。だから、この作品中の死刑囚は制限時間ぎりぎりで生きて贖罪を果たして州法によって正しく裁かれましたし、死刑囚をその境地に導いたシスターの役割には大きな意義があると思います。 (☆アメリカの死刑制度について「エピソード・小ネタ」をご覧ください。) 9点(2004-02-02 08:23:15)(良:2票) |
16. ニューオーリンズ・トライアル
原作を中途まで読んだ時点と読破後の二回見ました。作品の優れた娯楽性のためか「12人の怒れる男」と比較することに反感を覚える方もいらっしゃるようですが私は10点をつけた「12人の…」からの減点方式で点数をつけます。同じ陪審員もので刑事訴訟を扱っている「12人の…」に対して民事訴訟を扱っているこの作品は原作では対煙草メーカー訴訟を描いています。対煙草メーカー訴訟は目下全米の多数の州で係争中で、制作者は映画が持つ影響力を勘案して被告企業を銃メーカーに替えたようです。対銃メーカー訴訟なら現実には引き受ける弁護士さえいません。この事実だけからもわかるように民事法廷の映画化は非常に困難です。また特殊な民事訴訟を除いて作品中の法廷でのやりとりや陪審員の審議過程での法的整合性を確立することは不可能で、この映画でその点に知的な関心を寄せる方はがっかりされることと思いますが、製作者の良心を評価に加味してこの点では私は一点しか減点しません。でももう一つ、謎の二人組が悪徳陪審員コンサルタントにいどむ動機が原作では金で正義を買う風潮に水を差すため、しかも合法的な行動を常習的に取っているのに映画では個人的な動機と一人が陪審員に選ばれた僥倖を利用した非合法手段にすり替わっていて、この点は被告企業の業種を替えても変える必要はなく、原作のままのほうが真面目な作品になったと思うのでさらに1点減点しました。陪審員(裁判員)制が近い将来日本で導入されるのでアメリカの法廷物の映画から学ぶことが多くあると思います。裁判員は学歴や職業と関係なく抽選で選ばれるので多くの人を教育価値のある映画に引き付けるためには娯楽性も不可欠です。弁護士資格を持つ現作者にもっとこういった小説を書いて欲しいと思いますし、ハリウッドも豪華キャストを配しながらのアカデミー賞ノミネートゼロや全米での低評価にめげずに民事訴訟版「12人の怒れる男女」を作る努力を続けてほしいと思います。(実は私、数年前に米国で顔見知りが未成年時に殺人を犯したことのある男に射殺され、その件で米人弁護士に相談しました。遺族が銃メーカーや地方公共団体を訴えることは絶対に無理だそうです。) 8点(2004-01-22 14:09:03)(良:2票) |
17. 天井桟敷の人々
邦題から貴族のお話しかと思ったらさにあらず。Disk2を先に見るというまぬけな不運のためにDisk2を見ているあいだ中、ガランスは貴族か金持ちで俳優のバティストとの身分違いの恋の悲劇だと思っていた馬鹿さかげん・・・。でも、Disk1の冒頭でガランスの正体はあきらかで、しかもコメンタリーつきの版が借りられたのでドジを補って余りある収穫がありました。高得点をつけた人でも昼メロ風とおっしゃっていますが、この作品はそんな甘いものではありません。ナチス当局の検閲をかいくぐり、かいくぐり・・・スタッフの一人がユダヤ系だったせいもあり、製作者一同、英仏連合軍の進行状況を見ながら、「この頃にフランスは解放される。」と予測された頃にユダヤ系スタッフの名前をクレジットに入れて封切ることに決めたそうです。フランス人(被占領者)にしかわからない抵抗のメッセージを占領者のナチスの検閲官にはわからないようにオブラートに包んでメロドラマにしたわけです。もちろん、ユダヤ系の人のクレジットなしで解放前に封切ってもフランス人には受けたでしょうが、そこは巨額な費用を投じた作品・・・商業的な計算もあって当然でしょう。コメンタリーの全てをここで書くわけにはいきませんが、言葉で語りかけようとする俳優フレデリック以上に雄弁でガランスを救ったバティストの無言劇がヒントです。すばらしい作品だとは思いますが、どうのこうの言ってもやはり、解放後に作られた単刀直入な作品(たとえばHiroshima Mon Amour、邦題は「二十四時間の愛」)のほうがわかりやすいので満点マイナス1点にします。 [DVD(字幕)] 9点(2009-02-28 13:22:19)(良:2票) |
18. タイタニック(1997)
かの豪華客船タイタニックが北大西洋で沈没した際には数え切れないほどの人間ドラマがあったのでしょう。乗客の中に一人の日本人(視察旅行中の国鉄職員)がいたそうで、「あの日本人は人を押しのけて救命ボートに乗った。」という悪い噂が遺族が本人から受け取った手紙で晴らされ・・・なんてこの映画が封切られた直後でどこかの新聞で見ました。そういったドラマの一つ一つを出来れば遺族などの証言によって再現し、救出されたそれぞれの乗客のその後の人生を淡々と描写したらそれだけで十分立派な映画作品になったはずなのに、一等船客ローズと二等船客ジャックの恋愛ストーリーを絡ませて安っぽくなってしまった感じがします。乗客がわれ先に救命ボートへと向かう中、18歳(どう見ても25歳以上に見えますが)の若い女性が船室に捕われて置き去りにされている知り合ったばかりの恋人を助けに群集と反対方向に向かい、わが身を省みず肌を刺す冷たい水をかいくぐるなんて嘘っぽくてしつこくさえ感じました。こんな作り話の挿話までてんこ盛りに入れなくても、タイタニック号遭難はそれ自体、多くの教訓を含む興味深い題材だったはずです。 5点(2004-02-07 03:18:07)(良:2票) |
19. 雨月物語
能楽ファンにはたまらない魅力がある作品だと思います。私は謎の若い女を演じた京マチ子の仕舞の出来をどうこう言えるほど能楽を見たわけではありませんが、能舞台では男の能役者によって面をつけて舞われる仕舞が能面のような顔をした京マチ子によって舞われ男性の謡(うたい)がバックに聞こえるのは官能美の極地です。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2005-07-31 15:49:22)(良:1票) |
20. 王妃の紋章
セットの豪華なことは一目みれば誰にでもわかります。チャン・イーモウ監督のスクリーン美学が如何なく発揮された作品です。でも、「紅夢」や「菊豆」にあったようなおどろおどろしさとか、人間の本質に迫ったり中国の家族制度を暗に批判したりする哲学性はいったいどこに行ったのでしょうか?中国の経済が豊かになって、監督自身も国際的に有名になって、大掛かりなセットや華やかな衣装をまとったエクストラに出資してくれるようなスポンサーができたからといって、資金不足だったころのハングリー精神や表現欲を忘れないでほしいです。皇帝の風格や個性を出していた三王子の演技は満点。皇后役のコン・リーの演技も満点近いのですが、私の趣味としては若い皇太子とのどろどろした愛欲におぼれるのは「サンセット大通り」の往年の大女優グロリア・スワンソンみたいな、皺だらけの顔を厚化粧で塗りたくるオバサンであってほしかったです。そうすればもう少し哲学味が加味されたかもしれません。えっ、文化大革命のせいで年長の世代からは主演が張れるような女優が育っていない・・・のかもしれません。 [DVD(字幕)] 6点(2009-01-18 02:37:21)(良:1票) |