1. ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還
膨大な制作費に見合う収益を上げるには、原作を読んだ人も、読んでいない人も、楽しませるものではなくてはならない、、、「指輪物語」という題名をそのまま拝借する以上、原作をできる限り忠実に再現する必要がある、、、、という難しい方程式を10時間近くかけて解いたら、出てきた答えは限りなくゼロに近いものであった、、、、今はそんな気持ちです。、、、、、舞台芸術でも映像芸術でも、原作がある場合には、舞台、映像制作者の「解釈」が必ず介在します。あるいは、そういう解釈者の仲介なくして、古典的な原作は、現代に蘇ることはできないといってもよいでしょう。オペラにしても昔の衣装、舞台をそのまま忠実に踏襲するのは希だし、ギリシアで評判を得た蜷川のオイディプスも、勘九郎のニューヨークの舞台も、古典劇に対する自分たちの解釈を問うものであった筈です。、、、、、、で、この映画では、トールキンはどのように解釈されていたのでしょうか。、、、、、迫力ある戦闘、城の鳥瞰、闇に与するものの崩れた容姿、、、そんな解釈しか浮かび上がってきません。しかも、それらはみなどこかの映画で垣間見たことがあるような映像だと思います。、、、、なぜ、小さき者であるホビットに指輪が託されるのか、なぜ、スメアゴルに最後まで重要な役割が与えられるのか、フロドとサムの身分差をどう捉えるのか、王の血統をどう扱うのか、なぜ指輪を葬らねばならないのか、そしてそもそも指輪とは何なのか、、、、そうしたことの解釈の跡を、残念ながら映像から確認することは殆どできませんでした。、、、、、だから、見終えて、問いかけられたように感じるものは何もなく、残ったのは強いてあげれば、静かな怒りに似た感情なのです。、、、、そして何とも言い難い幕切れ、、、、、、フロドは、あの先の角を曲がれば、新しい世界が開けているかもしれないと歌いつつ、新しい冒険の途につくのではなかったかと、、、、、。 5点(2004-07-27 16:45:30)(良:6票) |
2. たそがれ清兵衛
感動の静寂を破るようで、申し分けないでがんすが、、、、、、、、。バラバラで支離滅裂な作品にしか受け止められませんでした。、、、、、幾度か緊張感のある展開になるものの、その緊張感も、すぐに潮が引くようにだらだらしてくるし、、、、、、前半は、いじいじしていて寅さんだし、、、。で、結局、何を描いた映画なのだか??、、編集が悪いのかなぁ??、、、、、レッドカーペットの上で山田監督は、「人を殺すことの怖さを、ほにゃらら」とのたまったらしいですけど、餓死した農民を二体、プカプカ浮かせて、死んだ役人に蠅をたからせ、清兵衛本人から家老に、人を殺すにはほにゃららと語らせた以外に、それに該当する部分はどれだけあるのだろう。それにもしこの映画の真意がそこにあったのなら、朋江は幼なじみの出戻りである必然性はないし、竹光と知っての余五の豹変を無理矢理とってつける必要もないはずで、、、、、。山田監督は、授賞式に向かう飛行機で、オスカーをとった時のスピーチ原稿を一生懸命に準備していったそうですが、「人を殺すことの怖さ」なんて、その時考えたことではないのかしらと思えます。本当に「人を殺すことの怖さ」を描きたかったのなら、時代劇である必要性なんぞ全くないのではないでしょうか。、、、、、では描いたのは平凡な人生??、、、、清兵衛のどこが平凡なのでしょう。十分に劇的な人生を送っていると思います。それに、世間一般の外見的基準からは平凡でも、それぞれの人の人生は、その人にとっては十分に劇的であるはずだと私は思います。春の香りを感じたり、再び桜を見て経過した一年を思ったり、昔の知り合いの近況をきいてびっくりしたり、それだって十分に劇的なことではないでしょうか。、、、、、、、要するに、庶民の心の機微を描いてきたはずの人が、オスカーをほしがるようになったらおしまいでごんす。 3点(2004-12-04 13:59:33)(笑:1票) (良:4票) |
3. ブレードランナー
レプリカントが私たちとは異質な悪と感じられたら、この映画は吐き気さえ催す駄作に感じられるかもしれません。(確かに、そういう方向の想像力の発揮もありかもと今、ふと思ったりもするのですが)、、、、、、、レプリカントが求めているものは、限定づけられた命をながらえることであり、それは人間の根源的な欲求と重なり合うものです。、、、だから彼らが延命の術を求めて、街をさまよう姿は、行き詰まった恋愛、隘路に逢着した仕事に活路を求めつつ、虚しく歩む私たち自身の姿を想起させるのです。ヴァン・ゲリスの流れる雨降る夜の街は、そうした情感をさらに強くしてくれるものでした。、、、、そうした彼らに対して、既存の社会は、絶対的な障壁を設定し、差別し、その欲求の実現を暴力的に抑圧する。、、、、、、、それに対して彼らは暴力で応える。、、、彼らの中に、自分達と共通する願望を認め、差別される姿に同感を覚えつつも、その暴力に抵抗感を感じながら映像に見入ってゆくことになります。そしてロイの最後。、、、、自分は、極めて短期間であっても、誰とも違う経験をすることができた、その経験を美しく抱きながら、この先の命を断念しようと、ロイは暴力を収め、運命に従いました。、、、、あまりに美しく神々しい。、、、この時、私という存在も、経験、思い出によって定義される存在であるということが、切々と了解されるのです。過去の想い出は、わたしという現象そのものであるのかもしれない、、、、、、。レイチェルが懊悩するのは、自分を定義してくれる、かけがえのない記憶、思い出が、実は偽りのものであるかもしれないからでした。、、、SFの魅力は、今と違う世界を描くことで、私たちの想像力を刺激し、刺激された想像力で、ふと今の世界を見たとき、今の世界が違った形で豊かさを回復してくれる、というところにあると思います。そしてこの作品は、そうしたSFの魅力を見事に実現していると私は考えます。 10点(2004-06-03 12:06:01)(良:4票) |
4. バベル
《ネタバレ》 テーマは、人間の愚かさ、なのでしょう。そしてその愚かさを、悲しく抱きしめつつ、人は家族の絆を確かめることになる。役所は娘の手を握り、ベビーシッターは息子と抱き合う。・・・・・[モロッコ]//バスに向けて打ったりしなければ・・・///兄弟は言い争い、関係のない姉のことも暴露してしまう///弟は警官に向けて発砲などしなければ兄が死ぬことなどなかった。[ブラピ夫婦]母は、ずっと子どもの世話を殆どベビーシッター任せ、そうして夫婦は仲違いしている・・・観光客とは無意味なつかみ合い、その結果、バスは発車。[ベビーシッターと親戚の男]息子の披露宴で、昔の恋人と、、、//あわてて帰ろうとして、酒気帯びで国境越え//検問所を強行に突破//ライトを消してじっとしていれば良いものを、ライトをつけて逃走をはかり、あげくは砂漠の中に女子どもを置き去り//置き去りにされてじっとしていればよいものを、歩きまくって体力を消耗、あげくは子どもを置き去り・・・・最後は不法入国で強制送還されて米国での全てを失う・・・・・[役所]そして発端のライフルは、役所が善意で送ったものではなく、妻の自殺の道具を自分で処分できずに放棄したものであった。・・・・・全ての人が善意なのだけど、あまりに愚か。そしてバベルの塔の崩壊の後、人の言葉は多様になっても、その愚かさは地球をまわって連鎖している。[菊地]彼女は現代文明でのdiscommunicationの象徴なのでしょう。動物化が進むポストモダンでは、人は理性的な言葉で意思の疎通を果たせず、体でコミュニケーションするしかないわけです。・・・・・・・というようなことが美しい映像と、巧みな展開、映像とマッチした音楽によって紡がれていました。最後に家族の絆を持ってきて、息子たちへの言葉を記すところが、チョー気にくわないところですが、素晴らしい映画でした。 [DVD(字幕)] 10点(2007-12-12 09:50:43)(良:4票) |
5. 雨月物語
見方によっては、ただ古くさいのですが、、、ふと考えてみると、恐ろしい作品です。、、、、、日本的な様式美、凄いですね。特に、開け放たれた屋敷の風情、女官の立ち居、そして美事なお亀顔の京マチ子の装束、化粧。、、、それに城下町の賑わい、武士の屋敷の郎等たちなど、、、。また、女に艪を漕がせ、子どもを背負わせ、女郎屋に行き着かせ、現実を生きる女たちが、ここにはしっかりと存在しています。、、、、そして、そうした日本的なものに、金銭欲、権力欲といった古今東西に普遍的なテーマが接ぎ木されている。、、、、、ただし、最も強く感じたのは、これが1953年の作品であること、つまり戦争が終わって7,8年しか経過していないということ。川辺のロケ地の風景は酷く荒れ果てていて、戦後の荒廃を十分に思わせてくれるものでした。、、、、そして、この映画を1953年に見た日本人も、ヨーロッパの人も、身近で親しくしていた人の何人かは必ず戦争で失っていたはずです。、、、、だからみんな、最後に、死んだはずの宮木が出てきたとき、その親しかった亡き人と、宮木とを重ね合わせて見たに違いありません。、、、、、そんな風に思うと、戦後を生きた無数の人たちの悲しみと源十郎の悲しみが混然として、最後の10分ほどは、涙を押しとどめることができませんでした。、、、、、、、日本的な美、日本的な生活、権力と財貨をめぐる普遍的なテーマ、そして戦争を民草の目から告発する強い意思、、、、この目配りはあまりに凄い。 [ビデオ(字幕)] 10点(2005-06-01 12:03:49)(良:3票) |
6. 8 Mile
そうかぁ、そうですかぁ、これは貧乏自慢、自画自賛のプロモ映画だったのですね。、、、、、、、、、、でも、おじさん(=わたし)は、途中から、どういうわけか、うるうるで、洟を何回もかんでしまいました。、、、おじさんは、感動した。、、、、どうしてかっていうと、、、、、、おじさん、エミネムなんて知らないから、、、だから一人の貧乏な白人青年の話にしか見えないから、、、、それで、こんな糞環境のなかで、すねたり、ぐれたり、自暴自棄になったりしていないし、いつも真剣に前を向いたまなざしで、気取るな、すかすな、ごまかすな、しっかり自分を見ろと歌っているからです。、、、、、帰るべき暖かいママはいないし、仕事は単調だし、彼女とは別れたし、なのに、なんでこんなに前向きに生きられるのだろう。、、、、、個人的には、ラップバトルは最初のだけで十分だと思いました。また成功していくところが描かれていなくてホッとしました。だから、この話は、どこにでもいる、一人の貧しい白人青年の話として見ることができるわけです。 10点(2005-03-02 13:32:40)(良:3票) |
7. エリン・ブロコビッチ
映像としては、面白くないと思います。、、、、、しかし、公害被害者の無表情な演技をみていると、なんかrealityがあって、さすがアメリカの映画界の人的資源は滅茶滅茶豊富なのだなぁと感じさせ、、、、、また、500万ドル賠償金をせしめただの、ボーナスを200万ドルもらったのだのがハッピーエンド的に描かれているのをみると、それを幸福な結末と受け取るアメリカ的感性に、少しぎょっとしたり、、、、、またアメリカの市民生活の中で、法システムがどのような位置を占めているか納得させられたり、、、、、要するに、映画としてはつまらないのですが、社会学的素材としては、非常に興味深いものだと思います。 5点(2004-07-01 07:59:21)(良:3票) |
8. 善き人のためのソナタ
《ネタバレ》 一見したところ「善き人のためのソナタ」という題名の方がぴったりと来る印象なのに、原題はどうして「他者の人生」なのだろう。それを少し考えてみると、この映画をより深く味わうことができるように思います。・・・・・大尉はどうして変わったのか。・・・大臣とクリスタとの関係を、呼び鈴を操作して故意にドライマンに知らせたのは大尉でした。大尉は、ドライマンとクリスタとの関係が破壊され、ラズロ作戦の目的がより容易に達成されると判断したからでしょう。しかし、二人の愛は逆に深まってしまう。[・・この二人の孤独な魂がふれあうようなシーンは実に素晴らしい]・・大尉は自分と違う世界に突然に遭遇して混乱する。ベッドに手を当て、その世界が何であったのかを理解しようとする。・・・・そして少なくとも、その愛の行方を見届けたいという気持ちに強くひかれてしまう。・・・・酒場でクリスタは大尉にいいます。「guter mensch善い人ね」、・・・・他者の人生に接し、それを赦し、理解しようとすること、そしてそれが自分を変えることになるのなら、甘んじてそれを受けること、それが善きことの本質なのだ、と映画は語っていると思いました。つまり、旧東ドイツのシュタージを直接のテーマとしていながら、この映画はそれを越えた普遍的な事柄に迫っています。・・・・・・それにしても映像の美しいこと。また例えば大尉の報告書のインクリボンの跡など、細かな映像上の仕掛けなど、隅々まで素晴らしくできあがっていると感嘆しました。 [DVD(字幕)] 10点(2008-01-29 12:28:02)(良:3票) |
9. 浮草
《ネタバレ》 小津は、転ぶにしても、転び方あるのだと言ったと伝えられているが、それにしても、僕は、この映画で小津は、酷い転び方をしていると思う。なんか若尾のキスシーンあたりで、なんとか客を集めたというくらいではないだろうか。、、、とにかく、これは酷い出来だ。なんかもう、一人一人の感情の機微が全く伝わってこない。、、、、、中村鴈治郎は養育を放棄した息子が可愛い、暴力親父で、一度、旅を辞めて家族三人で暮らすと決意しておいて、どうしてそれを簡単に翻すのか、心の葛藤の映像がないし、それでいて、またすぐに京マチ子とよりを戻すのかも、煙草のシーンはありつつも、上手に描けているとはとても思えない。、、、、杉村春子の心の動きだって全く伝わらない。一度は一緒に暮らせると思ったのに、簡単に、「お父さんの門出ですよ」だなんて簡単に送り出せるのだろうか。、、、、、旅の一座の男と女の人間模様や、女の心の動きなら、圧倒的に溝口のものだし、溝口だったら、そうした個々の人間模様から、社会的不平等やら差別やらにまで射程が拡がっていく。ところがここには、そんな広がりは微塵もない。、、、、、、雨の喧嘩のシーンだって、黒澤なら、多分こんな描き方にはならない筈だ。こんな土砂降り、道を挟んだ軒下同士、声なんか殆ど聞き取れないのが普通ではないだろうか。だから、黒澤だったら、もっとリアルに、十分に会話が成り立たないようなシナリオを作るだろう。、、、、、、、この映画を見て、小津映画を見る気が失せてしまう人がいるとしたら、非常にもったいないことだと思う。 [DVD(字幕)] 4点(2005-07-27 09:40:18)(良:3票) |
10. ぐるりのこと。
《ネタバレ》 子どもが死ぬまでは、非常に退屈な映画です。そこまで30分、危うく途中放棄するところでした。・・・・この映画、男性の見る目と、女性の感想とでは、もしかしたら、かなり違うのかもしれない。というのも木村多江の感情の動きが、確かに、こういうのはあるだろうけど、自然なものには思えないから。・・・・・ということで、リリーフランキーにしてみると、仕事は最低、自分の態度も最低、奥さんも最低、奥さんの母親も薬事法違反の行為で金を稼いで最低、奥さんの兄も殆どヤクザで最低、兄の嫁も最低、法廷画家の仕事も最低の内容、そしてこうした犯罪者も最低なら、それを生み出す社会も最低。・・・こんな最低の周囲に対して、どう接したらよいのだろう。木村多江は、最低の部下に対して、結局自分が破壊され、仕事を辞めた。フランキーの父は、自殺した。・・・・この映画、そうした態度を「逃げる」と表現し、逃げてはならない、と説く。最低の周囲環境から逃げることなく、無理に戦わず、適切な関係を取って生きて行けば、木村多江の失踪した親父のように、最後にこの上のない微笑みを保つことができるのでしょう。拒否するのでもなく、かといって、全面的に受け入れるのでもなく、最低な周囲の存在を承認するけど、自分はそれに染まるわけではない。・・・・それにしても、こんな大人の日本映画があり得たのだ、とびっくりしました。 [DVD(邦画)] 10点(2009-03-29 23:32:19)(良:2票) |
11. イノセンス
固定した視点ではなく、キャメラを動かしているように映像を展開させたり、動物を立体的に描いたり、アニメの技術としては極めて素晴らしいといえるのでしょう。また、動物は、いくら調教しても表情や仕草まで完全にコントロールすることはできませんから、動物を重要な要素として描くことはアニメにしかできないことなのかもしれません。、、、、、というわけで、アニメでこれだけのものが表現できるのか、という驚きはあるのですが、、、、しばし考え、CGを駆使した今どきの実写では表現できない何かがあったのだろうか、と思うと、、、、、、なんか、無さそうな気がするのです。、、、宮崎作品だと雲の流れや、色遣いなどで、こりゃぁ実写じゃ表現できんな、と感嘆する部分がありますが、押井作品はどうなんでしょう。例えば、ゴシック教会の形態をしたあの都市も、「ブレードランナー」のタイロン社の映像と較べて、美しくもなければ、畏怖の念もわかないのですが、、、。というところで、内容ですが、一番期待していたのは、電子化された記憶とゴーストで電脳空間に転移した少佐が、その空間の中でどのように振る舞うのかということでした。、、、、しかし、最後に、ちょこっと出てきただけで、それも全く豊かな想像力を感じさせない登場の仕方。、、、、要するに押井氏は、技術的に大変優れたアニメーターだけど、物語的な想像力と創造性はあんましないってことではないでしょうか。一番重たい問題である、ゴーストって何なのかということを、一生懸命考え、見る人にも考えてもらおうとするのではなく、底の浅い引用なんか羅列しちゃって、、、、。押井氏は、自己顕示欲が強いわりに、どこか自分に自信がもてず、強いコンプレックスを抱えているみたいな感じがします。へんな自尊心を捨てれば、もっと素晴らしい作品を作れる力量があるのに。もったいない。 4点(2004-12-19 21:00:06)(良:2票) |
12. アバウト・シュミット
《ネタバレ》 アレクサンダー・ペインって、幾つなんだろー、、、ふむふむ、40歳ちょっとで、この映画撮ったのね、、、若いぞぉ、青いぞぉ。、、、仕事辞めて、奥さん死んで、娘に期待を裏切られて、どーしよーもなく寂しいぞぉー、だなんて、あまりに観念的、一面的ではないか。、、、普通のおじさんや、おじいさんは、仕事なくて、奥さん死んで、家族いなくても、朝起きて天気が良ければ、少しは気分がいいし、ゆで卵の殻がぺろっと綺麗にむけたら、ほんのちょっと爽快だし、夜はビールを飲んでいるときMATSUIがホームランを打ってくれたらちょーやったね、という気分だし、なんだかんだで、一日が終わって、夜、床について、今日、一日生きられたことに、ほんの少し神に感謝するのではないだろうか。、、、、それでいて、時々、ふと寂しくて、遠くを見てしまうみたいに。、、、、朝から晩まで、どこかしら寂しくて、憂鬱な気分が抜けないなら、即、精神科のカウンセリングを受けた方が良い。きっと鬱病です。、、、、だからシュミットさんも病院に行けばよいのです。ただそれだけの話です。社会の構造がそうした鬱病をうんでいるという視点もありませんから、シュミットさんの個人的な問題です。、、、、することなくて寂しくて鬱病になりそうなら、夜はビデオで映画でも見て感想をJTNEWSにでもかきこすればよいのです。、、、私もそうならないように、今から頑張っています。えへへ。 [DVD(字幕)] 5点(2005-05-24 10:28:59)(良:2票) |
13. スチームボーイ STEAM BOY
そうですか、大友克洋は、漫画家を棄てて、いつの間にか技術だけで勝負するアニメーターになっていたんですね、、、、、。80年代の「童夢」「さよならニッポン」「気分はもう戦争」などを通して大友を知ったものとしては寂しい限りです。あのときの大友には語るべきものがたくさんあったのに、この大友には、もう語るべきものがない、というか、、、、大友から、語るべきものを除いたら、一体何が残るというのでしょう、、、、、。これだったら、Dr.スランプや、ドラえもんを見ていた方が楽しい。、、、、手塚はもちろん、赤塚だって、水木だって、楳図だって、ずっと、自分なりに語るべき世界を持っていましたが、大友は、いつのまにか、語るべき世界を見失ってしまったようです。、、、、、、、、、、、というか、冒頭の部分で「惣領息子」という表現に接して、大友って、封建的な家族関係に対する疑いすら持っていなかったのかと愕然としました。また、全編を通じて、個々の登場人物のモノローグの寄せ集めで、登場人物の間に、コミュニケーションが全く成立していない。これは故意に狙ったというより、大友の中に、物語を構築していく想像力が枯渇してしまったことを物語ってるように思います。、、、、いずれにせよ、悲しいけど、さらば大友克洋!!、、、、これからは技術屋として頑張ってください。 [DVD(字幕)] 4点(2005-11-02 09:45:59)(良:2票) |
14. バトル・ロワイアル
《ネタバレ》 子どもたちが殺し合う映画を、映像芸術のためという美名のもとにつくって良いのか、という問題は確かにあります。それは許されない、という立場に立つ場合は、この映画は、評価する云々の前に犯罪です。・・・・・・ただ、僕は、とりあえず、この映画は、犯罪までには至っておらず、映画として通用する、と考えることにします。というのも、この映画では性描写が殆ど排除されているからです。本当にこういう状況になったら、極端な性行動に走る若者がでてくる筈で、それがこの映画で殆ど排除されているということは製作者が、この状況設定の仮想性を強く意識しているとことを示唆しているでしょう。・・・・・・この映画が非常に素晴らしいと思ったのは、次の三点。・・・・・・1. 僕たちが経験したことのない、友敵という関係のあり方を見事に描いたこと。友敵というのは、C・シュミットの表現であり、政治的なものの本質であり、戦争の闘争状況の中で出現するもの。・・・・こういう状況は、平穏な生活を送る僕たちの日常からは、唾棄すべきものですが、それを敢えて直視する勇気を持たねば、その状況に至る危険性を回避することはできないと思います。・・・・・2. そうした友敵の闘争状況が、聖なる空間との関わりを持っていることを意識した映像となっていること。・・・・ここには日常の生活からは想像することができない、「世界そのもの」を感じさせてくれるものがあります。日本人が昔から、コントロールできない「カミ」として恐れてきたような世界です。・・だから僕たちは、「世界そのもの」「聖なるもの」は映画の世界くらいにしてに本当に近づこうとしてはならないのだ。でないと麻原みたくなってしまうのだ。・・・・・・3. 山本太郎が最後に放つ二発の銃声、、、、これはHANABIのラストではないですか。深作監督は、HANABIのラストは、空砲だったと、敢えて、解釈したに違いない。生に対しての何という肯定。・・・ここのあたりから、実は僕は、もう感動の涙を押しとどめることはできなかった。・・・・・死を意識させられてはじめて人間は生を強く求めるようになる。深作監督は、死を前にほぼ最後となる自分の映画を撮り、自分の死を晒すことで、見る人々に、より強く生を求めさせようとしたのだ、と僕は思う。 [DVD(邦画)] 10点(2006-05-07 14:43:22)(良:2票) |
15. 近松物語
なんという不条理。、、、、長谷川一夫は実存の顕現であり、これはカミュよりもカミュ的である。、、、、、などという意味不明な冗談はさておいて、、、、、日本の文化に少しでも関心があるという場合は、、、商家の家の造り、日々の暮らし、親類関係の意味、身分構造など、必見!!、、、そして昔の日本の人たちが、どのような意味世界に生きていたのかということが、深い同感的想像力と、美事な様式美で描かれていると思いました。 [ビデオ(字幕)] 10点(2005-06-06 10:51:24)(良:2票) |
16. シュリ
メッセージ性と娯楽性をともに備えた秀作だと思います。、、、、、(誤解があるかもしれませんが)、、、、チェ・ミンシクの狙いは、南北の両首脳、つまり金正日と金大中を同時に抹殺して、その混乱に乗じて南北統一を図ろうというもので、赤色革命を行おうというものでは決してないですよね。もちろん、直接名指しで登場すると問題もあるので、金正日、金大中という名前は使ってないけど。、、、、、、彼らの目標は、北のような社会主義ではなく、あくまで祖国統一。将軍まんせいなんて一言も言っていない。、、、、、北朝鮮の悲惨な状態を野放しにしている金正日、そしてそれを容認している金大中の太陽政策に対する、痛烈な批判。、、、、彼らのテロを、ヤンゴン事件や大韓航空機爆破事件と重ね合わせてしまい、チェ・ミンシクのターゲットが金正日であるということを見落とすと、全然違った、どうしようもない映画に見えてしまうでしょう。、、、、キム・ユンジンも南と北のどちらをとるかで揺れているのではなく、祖国統一と南での個人的幸福の間で揺れている。(社会学者のM台氏もちゃんとみてんのかなぁ??、、、M台氏は、この映画は北を批判していないとか、太陽政策の肯定だとかいっているけど、何をとぼけたこといっているのだろう。キム・ユンジンが最後に狙う、警備された車に乗っているのは、誰だと思ったのか!!!! 金正日か、金大中かどっちかでしょ!!!!)、、、、、私の個人的な思いこみかもしれないですが、キム・ユンジンが最後まで狙ったのが金正日だと仮定して、キム・ユンジン最後のシーンを思い浮かべると、これを書いている今も、あふれる涙を抑え切れません、、、、。 10点(2004-12-09 09:44:07)(良:2票) |
17. “アイデンティティー”
《ネタバレ》 消費としての映画の典型です。・・・・90分それなりに楽しめれば、後に何も残らなくて良い、しょせん、映画なんてそんなものだ、という割り切りがあるのでしょう。後で振り返って考えてみると、すっきりしない展開が多いのですが、製作者は、後で考える必要なんてない、その時、はらはらどきどきすれば良いのだ、と答えるに違いない。・・・・まあ、そういうのも、映画の一つのあり方だから、それはそれで良いのですが、この映画は、実は、後に、乖離性同一性障害に対しての偏見を確実に植え付けてゆくのです。乖離性同一性障害=重大凶悪犯罪、というような、極めて一面的な先入観です。・・・・・こういう風にして、アメリカでは、娯楽映画を通じて、様々な偏見、先入観が植え付けられて行くのかもしれません。そういう点では、最低の映画の部類に属していると思いました。 [DVD(字幕)] 3点(2008-04-16 12:34:15)(良:2票) |
18. 新・平家物語
婚姻と恋愛が別のものであったこの時代に、清盛と時子との恋愛結婚、、、、、通い婚が一般的な時代に、母泰子は、嫁いで20年もこの家にほにゃららといってから家を出て行く、、、、、血のつながりと言うことがどれほど重視されていたか不明なこの時代に清盛は、生物学上の父は誰なのかと思い悩んでいる。、、、、、、これは、平安末の時代を借りつつ、現代的な家族関係を描こうとした作品だったのでしょうか。だとすると、わざわざそんなことしなくても、、、と思ってしまうのです。、、、、、、屋敷の様子、牛車の大きさ、武家の門構え、おびただしい僧兵、御輿を担いで山をおりるという経緯まなどなど、視覚的に本当に素晴らしいところは、ふんだんにあるのですが、肝心の話の筋がどーもしっくりのこない。なんか昨今のハリウッド映画を思い出してしまいます。、、、、ああ、日本でも、ハリウッドのように、時代装束をきっちりつけた大量のエキストラを動員して、豪勢で想像力の欠けた映画を作っていた時代があったのだということを教えてくれるという点では意義深いような。、、、、思うに、溝口は、黒澤が得意とするような、権力の興亡みたいな話は不得意なのではないでしょうか。どこか虐げられ、鬱屈した庶民が彼の世界ではないかと私は思います。 [ビデオ(字幕)] 5点(2005-06-06 10:35:23)(良:2票) |
19. さらば、わが愛/覇王別姫
《ネタバレ》 劇中劇と現実が渾然一体となり、ほんとうに項羽と虞姫が2000年の時を越えて現れたかのような錯覚を覚えさせる、、、、というのが映画全体としての狙いではないかと受け取れました。というのも、蝶衣が一番最後に自刃することや、最初と最後に観客のない、幻想性のあるシーンを設定してあることなどは、そうでないと説明できないように思うからです。・・・・そして、全体として、中国版の『旅芸人の記録』だとも受け取れました。・・映像も美しい。蝶衣は本当に綺麗だ。中国の激動の歴史もよく伝わる。・・・・では、その狙いは成功しているのか、と問われたら、わたしは、あまり成功していない、と答えたいです。・・・どうしてかというと、項羽と虞姫の史実よりも、蝶衣と小樓が生きてきた、波濤の中国現代史の方が、遙かに重く感じられてしまうから。・・・・特に、文化大革命の時に、お互いを罵りあい、かつ菊仙が縊死するという、あまりに重たい現実。これを華やかな京劇に包み込んで、項羽と虞姫の史実と一体化させようとしても、その現実の方が、あまりに大きくて重い。・・・・・結果として、この文革の現実を乗り越えて、蝶衣がどうして愛を継続させることができたのか、というところがわからない。また、虞姫は蝶衣に十分に重なるとしても、小樓は項羽とは重なりにくいし、また小樓の蝶衣に対しての愛情が十分に伝わってこず、蝶衣の片思いの話しでは、項羽と虞姫には重ならない。・・・・・・まとめてしまえば、この映画は、最初と最後のシーンのアイデアから出発したのではないかと疑わせますが、製作の過程で、中身が、最初のアイデアを遙かに凌駕してしまったのではないか、そのために全体としてのまとまりに今ひとつ欠けてしまったと思いました。蝶衣の自刃がないと話しにけりがつかないけど、余計だ、と思うのです。 [DVD(字幕)] 9点(2007-04-03 13:21:09)(良:2票) |
20. ホテル・ルワンダ
《ネタバレ》 見るに値する映画でした。・・・・・・ただ、主人公ポールが、内戦が始まってもパリッとしたシャツを着て、夜になると妻とワインやビールを飲んでいるのに、かなり違和感がありました。川沿いの虐殺を見た後、取り換えたシャツを破り脱ぐところで、彼はそれまでの自分を反省して、ヒューマニズムに目覚めるのかもしれませんが、、、・・・とはいえ彼は、貧富の差が激しいルワンダにあって、欧米の資本から恩恵をたっぷりと受けた最も豊かな階層に属していたわけです。どうしてこういう内戦になるのか。それは激しい貧富の差をそのままにしたり、様々な不満を放置していたからではないでしょうか。・・・・・それが、抑圧的に秩序を維持していた権力が、何かの拍子になくなると、やり場のない不満を抱えていた人たちが、武器をとって突然に荒れ狂いはじめる。あるいは民族だの、人種だの、宗教だのといった単純な原理に訴えて人々を扇動し始める。・・・・・旧ユーゴもそうでした。カンボジアも似たようなところがあります。今のイラクもそうかもしれません。パレスチナもほんのちょっと似ているかもしれません。・・・・・こうなってしまうともう外から救いの手をさしのべることは相当に難しい。助けに行くっていっても、こっちの命も危なくなるのに、どうして助けに行かなくちゃいけないのか、とみんな思うわけです。それにソマリアのようになってしまうこともある。・・・・・ということで、最も豊かであり、妻を射止めるためにワーゲンを賄賂に使ったりするポール自身にも責任の一端はあるのです。この映画は、そうした部分を、酒とシャツを使いつつ、さりげなく、的確に表現していました。映画の製作者は表面的にはポールを英雄に仕立てていますが、心の底では、お前にだって責任はあるじゃないか、ときっと思っています。・・・・・この映画を見て、私たちにできることは、現在、アメリカ化の中で拡大しつつある、日本の貧富の格差を放置しないように政治を見張ることかもしれません。放置すれば、不満を抱えた一部の人が、町中で発砲し始め、家族の誰かが殺されてしまうかもしれませんし、極端な場合は、そういう人たちが政党を作って権力を握ったりするなんてこともあるかもしれません。 [DVD(字幕)] 8点(2006-09-13 20:28:15)(良:2票) |