1. ひまわり(1970)
ソフィアローレンとウクライナ娘の180度正反対の個性。見るからに性格がよく品行方正なウクライナ娘、善人であり偉いのは確かにこの娘だと思います。でも私はソフィアローレン扮するジョバンナの愚かさにこそ強い魅力を感じました。私も彼女同様の愚かな女だからかも知れませんが、私が魅力を感じる女性像って弱く脆く愚かなダメ人間なんですよね。私も最愛の男の生死さえ分からない状況で、理性的な判断をする自信はありませんし、取り乱すのが正常の人間らしい反応のようにも思います。現時点では少なくとも、戦争という運命に翻弄され苦悩する女性像を、戦争を知らない能天気な自分が非難することだけはできない気がします。私はこういう前のめりに情熱的に生きている、一般的には手におえないと言われてしまうような女性像が非常に好きです。最後には唇を結んで彼を見送る気丈さを見せたジョバンナは、十分偉かったと思いますよ。 7点(2004-06-16 18:56:30)(良:4票) |
2. テルマ&ルイーズ
この作品は表面上女に媚びていながら、その実女心を全くリアルに捉えていない。こんな幼稚な衝動で女は自らを解放するのか。女が死を選ぶほどの閉塞感とは、果たしてこんなお気楽なものか。女の絶望を描くなら、せめてトラウマのレイプ犯を憎しみの果てに殺して欲しい。裏切られるならアバンチュールの相手ではなく、最愛の男にして欲しい。金に困ったら、陳腐な強盗ごっこなどさせずに体を売るくらいして、挙げ句の果てに病気うつされ余命わずか・・・そのくらいがむしゃらで惨めで生きにくい様を私たち女が納得できるよう描いて欲しかった。もしこの薄っぺらさが時代の求める産物と言うのなら、その軽薄さを華美に飾りたて、どっかで見たような衝撃のクライマックスを取ってつけるような見苦しい真似をしないほうが好感が持てた。男に依存しながら、全て男のせいにして崖から飛び降りるヒロインは、決してカッコ良くなんかない。稚拙でしかない。女をなめている。なめくさっていながら媚びている。製作側のおじさま方、こんな形で女に媚びて、恥ずかしくないの? 追記:このような抑圧史観に立った女性解放というのは日本でいえば明治後期~大正初期に叫ばれたフェミニズムです。自分はフェミニストではありませんが、これではフェミニズム自体もなめられていると言わざるを得ません。この作品を好きな方、本当にごめんなさい。 3点(2004-06-19 17:10:51)(良:4票) |
3. 真夜中のカーボーイ
ニューシネマの傑作。若者がマスコミの垂れ流すコマーシャルに踊らされることへの警告であり、物質至上主義に偏るアメリカ社会への強烈な皮肉。途中、日本の映像を挿入し、日本社会にも同様の嘲笑の眼差しが向けられていることを恥ずかしく思う。金持ちで、流行の最先端を気取ったステレオタイプのスノッブしか生き残れない社会。こんなに魅力的で可愛い若者が、その実こんな醜悪で頭のおかしい連中に抹殺されてしまうという悲痛なメッセージは、私に、どんなに物質的に恵まれなくとも、自分のスタイルと夢を捨てず、魅力のない肉体を宝石で飾り立てるような滑稽な婆あにだけはなるな、と教えてくれた。この作品は若者に、狡く立ち回って生き残る術を教えている作品では決してないと思う。自分らしく生きられないなら死んだほうがまし、そんな皮肉なメッセージが込められた衝撃作だ。 9点(2004-06-13 22:11:57)(良:2票) |
4. 華麗なるヒコーキ野郎
とにかく私にとって、ジョージロイヒルとロバートレッドフォードとイーディスヘッド(スタイリスト)、このトリオは最強なんです。ジョージロイヒルの洒脱さと無頓着さ、ロバートレッドフォードの抜群のカッコ良さと知的な存在感、イーディスヘッドのシンプルで媚びのないセクシーな服装。私の思う「粋」を具体化してるというか、私の理想なんです。作品そのものは、That's男のロマン映画ですね。ちょっぴりセンチでユーモラスで。自然体で暖かいジョージロイヒル監督、大好きです。私は理詰めの知識人より、やんちゃで向こう見ずでおバカなこいつら、はっきりいって好きですね。でも男のロマンてのはどうしてこうも女に背を向けたところでしか成り立たないのでしょう・・・しょぼ~ん 9点(2004-06-15 22:41:54)(良:2票) |
5. タクシードライバー(1976)
タクシードライバーの冷え冷えとした視線を通してさらけ出されたアメリカの恥部。売春婦やポン引きを「クズ」と言い捨てるペシミスティックな主人公は、しかし端からみれば同様に、ポルノを見て自分を慰めているような孤独な「クズ」でしかない。しかし彼が周囲と決定的に違った点は、彼には「自分は何者でもない」という焦燥感があったことだ。私にはこの「nothing」という焦燥感が痛いほど分かる。そして彼は拳銃に執着する。拳銃を通して、病める社会に反撃し、自己実現していく。髪をモヒカンにしたあの一件で、みごと「男」になったのである。あっぱれ。「セックスの貪欲さ」という点では、ニューヨークも日本も然程変らないと思うが、このような批判的視線を持ち得、それがヒットするだけ、アメリカ人のほうがまだまともなのかもしれない。 9点(2004-07-24 18:18:20)(良:1票) |
6. 気狂いピエロ
まさにアヴァンギャルド。私の第一印象も「気取ってんなぁ~」である。もしこの映画がごく普通に作られたら、私は主人公の冴えない人生に涙することができただろう。しかし、ゴダールという人は、そういう単純な作りを許さなかった。色、音楽、会話、絵画、さまざまな不自然な断片を悪意かと思うほどにちりばめストーリーに集中させない。ランボーの詩に象徴されるような内面の葛藤を描きながらリリシズムを徹底して排除し、ピントをずらしていく。前衛といわれる芸術が得てして観客や既成概念に挑発的であるように、ゴダールという人もその存在自体に毒を持っている。他者に迎合しない、簡単には受け入れない、という頑なさの上に表現者の命であるオリジナリティを生み出している。決して好きな分野ではないにもかかわらず、そうこう思っているうちに私はだんだんゴダールに侵されてきた。面白い、には「fun」と「interest」があるが、ゴダールの面白さは後者である。なんだこいつ、と思いながらつい会いにいってしまう。結局私は、この憎らしいほどにつれないゴダールという男に興味津々なのである。 7点(2004-07-18 18:12:21)(良:1票) |
7. 追憶(1973)
ハベルの人間性がすごく好きです。彼の一連の行動を、イージーで流されちゃってる人、とみる人もいるかもしれませんが(なにしろ当人のロバートレッドフォードがこの役柄に「芯がない」という理由で出演依頼をずっと拒んでいたというくらいだから)、ハベルはノンポリという確固たる主義の持ち主。そして周囲からの嘲笑の的であった偏狭の不美人(失礼!)を、嫌悪することもなく、かといっていい気にもさせず、時にはたしなめながら許容してくれていた。こんないい男、ちょっといないと思います。互いのスタイルを貫き愛し合いながらも別れを選ぶ2人は、恋愛としては悲恋だけれど、生き方としては私の理想です。ケイティーの髪振り乱したカッコ悪さは、自分の恥ずかしい日々とかなり重なり、赤面シーン満載でした。 9点(2004-06-18 20:10:50)(良:1票) |
8. GO(2001・行定勲監督作品)
うろ覚えなんだけど、「自分の手を伸ばして届く範囲で~~云々~~」「だっせ~!!」とかいうとこがすごく好き。深刻なテーマを恋愛や台詞の妙でバランスとって若者向けに巧く仕上がっている。窪塚君、あんたのこの演技にパワーもらった人間だっているんだよ。何があったか知らないけど、お姉さんはあんたみたいな世の荒波に上手く乗り切れないような繊細なはぐれ狼が大好きだよ~、がんばれ! 7点(2004-07-02 13:55:08)(笑:1票) |
9. スケアクロウ
オープニングのピーンと張った静寂がこの映画の力を物語っている。遠藤周作の文章に「心がしーんとする瞬間」という一節がある。散文的でだらしなく薄汚れた日常生活にも、「しーん」とした何かが入り込んでくることがある。その「しーん」とした人生の時は、多くの場合苦しみと共に訪れる。そういう苦しみを多少でも持っている人間には、他の「しーん」としたものと、幸せに酔っている時には気付かない交流が成立する、といった内容であった。私にとってこの映画はまさに、辛く苦い「人生の時」に交流し得た心震える存在であった。辛さから回復してみると会話は少しずつ消えていった。しかし傑作であることに変わりはない。図らずもこのような人生の時が訪れた者にとって、この作品は、その心をふたたび覚醒させるような底力を持った「しーん」とした秀作である。 8点(2004-06-23 21:30:43)(良:1票) |