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プロフィール
コメント数 50
性別 男性
自己紹介 人生半世紀を超えた。たいていのことは許す。

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1.  トゥルーマン・ショー 《ネタバレ》 
キリスト教的メタファーに満ちた映画。最後の場面で、トゥルーマンは、プロデューサーのクリストフの説得を振り切り、一礼してドームの外へ歩み去る。直前の場面では、一瞬、ドームの天井画、雲間から射す陽光と青空を描いた天井のショットが挿入される。そこに「聞いているよ」、「私は創り主だ“I’m the creator . . .”」というエコーのかかったクリストフの声がかぶさる。「クリストフ」は、聖クリストファー(原義「キリストを背負う者」)から来た名前。宗教画みたいなショット、空から響く声、クリエイター(創造主)という名乗り、クリストフという名前。すべてキリスト教の神と人の関係を連想させる。トゥルーマンは、神の支配下で管理されて生きるか、管理を逃れて立ち去るか、どちらかを選ばねばならない。これはアメリカ庶民には今でも切実なテーマだろうけれど、日本の観客には、なんだかなあ、という感じが残る。
8点(2004-06-27 11:11:54)(良:4票)
2.  デッドマン・ウォーキング 《ネタバレ》 
キリスト教の最も本質的な教えを取り上げた珍しい映画。ハリウッド左翼のティム・ロビンスも、やはり根っこはここなのかな。で、その教えとは、最悪の罪人の中にもなお神を求める魂の力(=神への愛)が潜んでいて、彼らが自らの罪を本当に見据えたとき、彼らの魂の中に神に向かう意志(=愛)が現れる、という教え。イエスもローマに反逆して死刑になった罪人だった。現世の罪人が本当は神の子だった、という大逆転がキリスト教の出発点に仕込んである。迫害され虐げられたものの中にこそ、神は宿る。イエスはさておき、普通、大逆転は罪を本当に悔いること(「どうやって?どのくらい?」まあまあ落ち着いて。)から生まれる。社会の下層を這いずって生きてきたマシューは、このパターンをなぞっている。顎の細いショーン・ペンの顔は、屑白人(white trash)そのもので(ゴ、ゴメン!)、まさに適役。最後近い場面、マシューは死刑の薬物注射のために十字架状の台に固定されて、観客に正対する。キリストのいた場所に彼はいる。死刑は不当だが、同時に、こうして十字架上で死ぬことによってのみ神の許へ行くことができる。この二重の意味が、あのシーンに込められている。神の許へ行けば、彼が強姦して殺した女性ともすでに和解している。って、やっぱり浮かばれないだろ被害者は、と思うヒトは、御霊と祟りの信仰の中にいて、それはそれで別の宗教世界だからなあ。感動できない、釈然としない、というご意見は、重々ごもっともとしか言いようがない。
8点(2004-06-29 15:07:56)(良:2票)
3.  TAKESHIS’ 《ネタバレ》 
 とても面白かった。初老期に達したエンタテイナーの厭世感が根っこにある。北野武という人は、ホントは木賃アパートに住んで、コンビニで店番して、レートの低い麻雀打って、センベイ布団でふて寝してたいんだろう。今さらそういう境遇に落ちるのは怖いけど、それが自分の青春だったんだから、そこへ戻りたくもある。っていうか、戻ってみんなを撃ち殺してやりたい。でも、そういう甘ったれを許さないのが岸本加世子。彼女は、要するにオカンですね。あらゆる場面に顔を出して、タケシのたくらみを必ずくじく。この映画は、全知全能のオカンに見守られて緩慢に死んでゆくタケシを、ホントはそうなってたかもしれない色々なシチュエーションで見せているわけだ。功成り名遂げた男の厭世感を、映画のキャラでなく現実の「ビートたけし」を使って表現した点が、欠陥と言えば欠陥だろう。だから「ビートたけし」という日本限定のポップ・ヒーローを知らないと、映画の意図が分からない。でも、そういうやり方で「ビートたけし」こと北野武が、ヨーロッパのTakeshi Kitanoファンを切り捨てた映画とも言える。すべての虚像を切り捨てたいという気持ちが根本にある。痛ましいくらい分かりやすい映画。
[映画館(字幕)] 8点(2005-11-11 19:11:29)(良:2票)
4.  A.I. 《ネタバレ》 
直感的に、これは神の沈黙を扱った映画だ!と思った。スピルバーグは意識してるかどうか知らないけれど、水底に沈んだコニーアイランドの張りぼての青い妖精は、人間がどんなに救いを求めても永遠に沈黙し続ける神のメタファーになってる。少年ロボットのハーレイ・オスメントは、愛に突き動かされて、人類が死に絶えた後まで張りぼての妖精に祈り続ける。でも、答えは返ってこない。で、まあ、このテーマで神を簡単に出すと拍子抜けだから、当然、ストーリーを終わらせるのが困難になる。スピルバーグも、最後は苦しまぎれに異星人でケリをつけた。うーむ、まあ、手練れの監督でもデウス・エクス・マキーナに頼るしかなかった、と。それから、昇天するジュード・ロウの哀切な映像も、キリスト教世界の図像の一つと思う。その他随所にキリスト教の暗喩がひそんでいる感じ。愛されたい!どうしたらいいの!という切実なメッセージは残るけれど、この仕掛けじゃあなかなか伝わりにくいなあ。
7点(2004-06-26 02:35:32)(良:2票)
5.  ひまわり(1970)
ヘンリー・マンシーニの音楽に得体の知れない凄みがある。もちろん音楽だけでなく、ストーリーも映像も俳優の演技も、スキのない名画。そして、観終わって、これはどうしようもないよなあ、という気持ちになる。決して悲劇じゃあない。でも、日常生活ってこういうどうしようもないいきさつに満ちているんだよなあ、と、人生の酷薄さに打たれてしまう。一つだけ、配役に文句付けておくと、リュドミラ・サベーリエワ美人過ぎ。ああいう美人は、死にかけて戦場に転がってる敵軍の兵士を家まで引きずってったりしないよ。むしろ、ロシアおばさん系村娘に助けられる展開の方がしっくり来る。でもそうなると、映画としてヒットしないな。ストーリー全体がやや辛すぎるものになったりして。
9点(2004-06-17 21:47:40)(笑:1票)
6.  12人の優しい日本人 《ネタバレ》 
映画としては、元ネタがあるとはいえ、とっても出来がよい。面白かった。「フィーリングかなあ」の時間差2発には笑い転げた。ありがとう三谷幸喜。でも、良い子はこれが日本のオトナの現実の会議をえぐった風刺だ、なんて思ってはダメですよ。風刺じゃないんです、これは、まぎれもなく〈理想〉なんです。この陪審員協議みたいに意見のある人ばっかり集まった会議なんて……、うっそぉ! 私の半世紀を超える日本人生を振り返るとですね、この陪審員たちの協議は、まったく有り得ないほど理想的に充実した会議なのです。だって、全員とりあえず何か中身のある――有罪か無罪かどっちかの――意見を持ってて、それを表明するんだもんね。んなことあるかって。みんなくっきりキャラ立ってて魅力的じゃん。会議でキャラ出す勇気あるヤツなんて例外だよーん。それから、相手の意見に正面から反論してるでしょ。つまり、議論が立派にかみ合ってるってわけだ。それで、最後はみんなが納得する結論が出る、と。ありえない!ありえない!! あ り え な い!!! ま、取り乱してしまったが。ペーソス皆無で成功したセリフ喜劇。珍しいと思う。
8点(2004-08-09 23:46:02)(笑:1票)
7.  羅生門(1950)
映像の美しさと構図の斬新さが際だつ。真実は見るものに相対化される、というメッセージが、神の死以後の欧米人を深いところで揺すぶった。相対主義は彼らには無神論につながるとんがったタブー。今でも「ラショモン」は真実の相対性の比喩になっていて、芥川の原作「藪の中」はジャームッシュの『ゴースト・ドッグ』でも意味ありげに言及される。日本では、人によって真実が違うなんて言いぐさはタブーどころか社会生活の前提だから、黒澤は、ラストでヒューマニズムを唐突に持ち出すことで、相対主義を越える希望を観客に見せたつもりだったと思われる。欧米と日本とで、思想的意味が食い違っている興味深い作品ということになる。
8点(2004-06-17 14:16:43)(良:1票)
8.  テオレマ
30年以上も前、封切り時に観た。以後みなおしてない。パゾリーニを咀嚼する力なんてあるわけなかったが、不思議なことに、退屈もせず、とにかくビックリ仰天した。映画の訴求力の神秘ではある。確か、モーツァルトのレクイエムが大事なシーンで流れていて、この映画をみた仲間うちで――つまり当時若いもんの話題の映画だったわけだが――カラヤン指揮のLPが突如人気アイテムになって貸し借りされたりした。アホな高校生をそこまでビックリさせた力技に素直に敬意。今観たらどう思うかは謎。
9点(2004-06-22 16:09:00)(良:1票)
9.  テルマ&ルイーズ 《ネタバレ》 
二人が駆るオープンカーをロングで撮ったアリゾナ辺りの砂漠のショットが興味深かった。西部劇によく出てくるような奇岩の間をメタリックブルーのサンダーバード(?)が走り抜けて行く。いかにもアメリカ!な情景なんだけれど、でも、凄絶に美しかったことも確か。「ブレードランナー」でいかにもな近未来を見せてくれて、「ブラックレイン」でいかにもなJAPANを見せてくれたリドリー・スコットが、ここでいかにもなアメリカと女主義(←フェミニズムの訳です)をセットにして見せてくれる。観客の期待するステレオタイプの映像を、観客の期待以上に鮮やかに激しく描き出すこと「だけ」に成功したのだ、と考えれば、理念の底の浅さも説明はつくかも。それ「だけ」の映画だとしても、映像美の迫力には脱帽。
7点(2004-06-26 01:06:41)(良:1票)
10.  アバウト・シュミット 《ネタバレ》 
アメリカ地方都市の一種独特の「貧しさ」を描いている。シュミットは中の中(ネブラスカ州オマハなら中の上かも)、ロバータ(キャシー・ベイツ)は中の下の暮らしぶりで、どちらもとりあえず衣食は足りている。でも、生活のどこにも洒落っ気というものが見あたらない。シュミットの家は整然と片づいてて、まあ十分な部屋数があるけれど、インテリアは無趣味で味気ない。ロバータの家は雑然と取り散らかってて、人間味はあるけれど、統一は欠けている。人間関係も、表面的には愛想良くてお互い踏み込まないよう用心しているけれど、そこを踏み越えると突然無意味に性的になる。シュミットはキャンピングカーに招かれて旦那がビール買いに行ってる間にそこの奥さんに抱きつくし、ロバータは突然シュミットに混浴をせまる。昔から伝えられてきた生活様式や美的洗練の模範が無い場所で、男も女も、老いも若きも、何をどうしたら自分の人生に意味が生まれるのか分からない。シュミットの娘はワルではないが取り柄もない男と結婚してしまう。空疎で、安っぽくて、でも楽しげな結婚式! シュミットは、結局アフリカの子供に送金することぐらいでしか、人生の意味を見つけられない。子供から絵を贈られて急に泣けてきても手遅れ。働いて、生きて、誰とも深い結びつきを持たずに、後はなし崩しに死ぬだけなのだ。人生の芯のところが荒廃している。ま、日本も同じなんだけどね。
8点(2004-09-01 02:17:17)(良:1票)
11.  ゆきゆきて、神軍 《ネタバレ》 
みんな、オクザキさん凄すぎ!って言うけれど、旧ナチスを追求するユダヤ人グループは、今でもみんなでオクザキしてる。つまり、欧米の規準だと、悪いヤツはオクザキさんぐらいにきっちり追及するのが正常で、水に流すのは悪に加担するのと同じ。これは「グローバルスタンダード」だったりするから始末が悪い。私は、オクザキさんがそばにいたら引くけれど、原則として、オクザキさんは偉いなぁと思いました。別の意味で凄すぎるのが、もう一人の、確かヤマダさんというニューギニア生き残りがもらしたコトバ。自分は山の中であっち行ったら水があるとか、何かと勘が働いたから、みんなに喰われないで済んだ、ですと。取り柄がないヤツはマジで喰われるってのは、うーむ、いや、ほんとに、凄いな。そこにいる他人を、食べようかな、ってマジで考えるって、どういうことだ?これこそ真に想像を絶している。
9点(2004-06-24 12:48:17)(良:1票)
12.  リトル・ダンサー
イギリスの労働者階級の生活感覚が興味深かった。みんな話し合ったり弁解したりしない。特にお父さんは、口下手というかぶっきらぼうというか、コトバではなくカラダで生きてる、という印象が強烈。でも、小さな息子に愛情を注いでいるのは生き方の端々に現れている。この映画は、ヒトの感情が説明抜きでガツンと観客にぶつかってくるような、ナマな感じを与える。筋書きは普通のサクセスストーリーだけれど、単純素朴で粗野な生活世界の描写に独特の価値がある。
8点(2004-06-26 00:23:03)(良:1票)
13.  バーバー 《ネタバレ》 
「そこにいなかった男」“The Man Who Wasn’t There”という原題がすべてを説明している。毎日実直に仕事をしているけれど、本当は「そこにいなかった男」の話。じゃあ、例の“虹を掴む男”ウォルター・ミティのように白昼夢の中にいるのかというと、夢想家の素質もなさそうだ。現実の生活でも夢想の生活でも「そこにいない」男。こういう男が行動を起こすと、世界は妙な方向に脱線してしまう。儲け話に気持ちが動いて恐喝を試みると、あっさりバレる。どころか、世界はもっとフツーにタガが外れる。この男、とにかく「そこにいない」方がいいわけだ。清楚な(?)娘の凡庸なピアノ演奏に入れ込むあたり、この男の隅におけない馬鹿さ加減をくっきり表して、かなり痛い。(おまえ、近所の女子高生の未来に勝手な夢を描くなよ。どこにもいないおまえの居場所がそこにはある、ってわけないだろうが。でもスカーレット・ヨハンソンが期待をハズしてくるところは、おおそう来たか、って大笑い。案外ああいうもんなんだよな。)ビリー・ボブ・ソーントンが分別ありげな渋い初老の男なので、痛さもひとしお。所詮は「そこにいない男」なんだから、世界に参加しないでいりゃいいのに、分際を守っていられない。これが凡人の本当のみじめさ。みんな「そこにいない」ヒトに過ぎないのに「何かしたい」ってあがく。死刑になるとき、自分の人生の断片が全部つながったと言っているから、ムチャした甲斐はあったということなのか。でも、どこか無理矢理な感じが残るのも事実。ということで、初老の男としては、おもしろ怖く観て、かなり身につまされたなあ。
[ビデオ(字幕)] 8点(2005-05-04 18:59:13)(良:1票)
14.  シリアル・ママ
ハハハと笑って、その瞬間、嫌な気分になる珍しい映画。観たときの感触は、普通のブラックコメディ(「博士の異常な愛情」や「マーズアタック」みたいな)と違う。たぶん、普通の人(あなたやわたし)の悪意を、ことさら些細な理由でそのままぶちまけるから、ビミョーに嫌な感じがするのだと思う。これを観て、悪意の持ち主とその向かう対象の両方がごく普通の人、という映画は、意外に少ないかもしれないと気づいた。片方が異常者だったり(「ケープフィアー」)、普通の人同士なら状況に誘因があったり(「ファーゴ」)、どこかで観客自身と切り離せるようになっている。この映画は、そういう切り離しが効かない設定で人間の邪悪さを拡大して見せつけるから、笑っちゃうけど、変に嫌な感じが残る。ある意味、傑作。
8点(2004-06-27 10:50:36)(良:1票)
15.  愛の嵐 《ネタバレ》 
展開が遅くてイライラするが、思想としては深い映画。男女の閉じた2者関係である純然たる性愛は、多数の利害関係からなる社会の中に、けっして生き延びる場所を与えられない。ダーク・ボガードとシャーロット・ランプリングの性愛は、かつて収容所の中でも異物だったし、大戦後の社会でも異物になるほかない。ボガードの旧ナチ仲間にとって、ランプリングは消すしかない危険な証人なのに、しがないホテルの夜勤ポーターのボガードは、彼女を本当に愛しているんだ、なんてガッカリするような世迷い言を言う。ランプリングは、今では著名な指揮者の妻という恵まれた境遇なのに、再会したボガードに魅入られたようにつき従ってしまう。ボガードにとってもランプリングにとっても、性愛は、自分の生きている状況から自分を弾き出してしまう異常な力として出現してくる。けっして育てることの出来ない性愛、というコンセプトは、日本では、心中物という形式を与えられている。愛を讃える西洋でも、同じコンセプトが生きていることが分かる。原題の「Il Portiere Di Notte/ The Night Porter」は、「夜を運ぶ人」という意味にもなる。ボガードとランプリングが運んでいる夜は、この世に場所を持たない性愛という心の闇。で、二人は殺されるしかなかったわけ。映画として傑作とは言いかねるけれど、テーマの深さに敬意を表して8点。
8点(2004-06-22 14:56:49)(良:1票)
16.  オズの魔法使 《ネタバレ》 
ドロシーが西の悪い魔女をピンポイント爆撃でやっつけて、マンチキンに感謝のダンスを捧げられる場面では、これこそアメリカ人が世界各国に対して持ちたい関係なんだなあ、変わってねんだなあ、とつくづく思ったことです。そうです、私らは踊るマンチキンです。でも、そういう無意識も含めて、あっかるいノーテンキなアメリカ映画の名作だわ、やっぱ。映画史上の重要性を加味して9点。
9点(2004-06-14 11:50:06)(良:1票)
17.  ゴースト・ドッグ
伝書鳩にしびれた。緊張と弛緩が、ぜーんぶ的外れに配分されているあたりが、ちょっと真似のできないジャームッシュの世界。ところどころに出てくる英語訳の葉隠れに一驚。ジイサン侍の狂信的うわごととは全然違う立派な箴言みたいに読めてしまう。呑み込めないと言って止めといてもいいはずのところを強引に消化すると、こういう創造的誤解が生まれるわけだ。人殺しを生業にするのは勧められないけれど。
8点(2004-06-14 10:11:00)(良:1票)

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