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コメント数 106
性別 男性
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1.  ピンク・フラミンゴ
トラウマになってしまい、しばらく犬のうんこ食べれませんでした。
[ビデオ(字幕)] 5点(2006-05-12 16:49:20)(笑:5票)
2.  誰も知らない(2004) 《ネタバレ》 
嘘くせ。何このファンタジー。いや別にいいんで、再現VTR作ってほしいわけやないし、作る気もなかったんやろうし。けどさ、それやったらわざわざ“実際に起こった事件をモチーフにしています”とか言うなや。いや、別にいいんで、実際の事件をモチーフにしながら加工しても。けどさ、それやったらリアルに作ってくれな、本気で考えてくれな。男コロコロ変えて、ポロポロ自宅出産して姿くらます母親があんな優しいわけねぇやん。ほとんど怒りもせんで、子供大好きで、面白くてしかも可愛い理想的な母ちゃんなわけねぇやん。子供にも辛く当たるやろ。子供からも慕われたりせんやろ。子供が従順に家から出ないってのはよっぽど恐かったけんやろ。で、何?小6の長男の力強く優しいリーダーシップのもと4人兄妹健気に母ちゃんを待ちながら苦しいながらも一生懸命生きていました?4人ずっと一緒にいられるように誰にも頼らず頑張りました?頭の中お花畑でいっぱいか。それはそれで都合よかったからに決まっとんやん。特に長男。学校には行かんでいいし、家の中では支配的地位におれるし、料理も作らせればいいし、殴ったりして気持ちよくなれるし、やりたい放題やん。社会的制約もない、常識もない子供がどんなことするかくらい想像できるやろ。いや、たしかに監督はそもそもリアリティなんかどうでもよくてファンタジーが撮りたかったんかもしれん。じゃあ何を考えてほしかったんやろ?“ほんと犯罪者って不可解やな~”“いろんな愛の形があるんやな~”“子供って健気やし、結構しぶといな~”。。。こんなこと考えさせて何になるんやろ。是枝印のリアル会話と、「アントニオ猪木は学校行ってないでしょ~」に1点ずつ。確かに映画監督にはリアリストという選択肢があるが、こうも卑賤に映画に心理を、似非現実をいかにも現実のように提示することには腹が立つ。飽くまで映画は虚構であるのに現実の社会問題によって、つまり外部によって映画を得ようとしたりするからこういった駄作が生まれ、また無視すればいいものを、こうやってあまりにも退屈な社会派風な感想を書くことになってしまい、赤面することになる。
[DVD(邦画)] 2点(2006-04-16 05:30:21)(良:3票)
3.  赤い風船 《ネタバレ》 
ピカピカの大きい風船が灰色の街並みに赤く映える。 犬のようになつくバルーン。先生をおちょくるバルーン。狭い路地で左右の壁にぶつかりながら少年と走るバルーン。 そして無音の中で輝きを失うバルーン。 悪童たちに仕返しするわけでもなく、ただ、少年と空をゆく。 何と優しい。 何とファンタジー。 もしこのラストが、悪童たちの首をくくって空に飛んでゆく画だったら・・・それはそれで面白いが。
[ビデオ(字幕)] 8点(2006-05-18 01:17:33)(笑:3票)
4.  天国の日々 《ネタバレ》 
映像が綺麗な作品? そうだ、だがこの作品は「映像がキレイ」で片付けられない。そう、映像集ではないのだから。皆さんはあの狂気の瞬間を目に入れただろうか。保ってきた人間性が崩壊する瞬間に訪れたこの映画の躍動を。幾度となく映されていた動物に虫がついて回るという変化を。 イナゴをつかまえて笑っていた少女がそれを叩き出したその瞬間。イナゴの生々しいクロースアップ。はっきりと見えてしまった瞬間。農場主の気品ある穏やかな顔が歪むその瞬間。 画が画でなくなり、ショットがショットでなくなる。 全てが映画へと還元されるその瞬間。  「世の中には持てる者と持たざる者がいる。」少女のナレーションが語る。持てる者がいる以上、持たざる者について回る劣等感。拭い去ろうとすることが持たざる者の人生なのか。 であるならば、狂気とは何と身近なことだろう。
[ビデオ(字幕)] 8点(2006-09-24 12:29:57)(良:2票)
5.  空中庭園 《ネタバレ》 
あまりに似つかわしくないランプシェードを円の動きで捉え続けるオープニング。カメラ自身も回転しながら団地を映し、バスの上から見る街並みを、丸い観覧車を、そして人物を取り囲むように映す。円は恐怖であり、穏やかさであり、輪廻であり、螺旋である。遠くから近づくバスを待つ固定ショットのコーナーにはタンポポがあったりだとか、光の配し方だとかカメラワークだとか、まるで学び始めたばかりのような厳密さがあり、洒脱さに欠け、退屈ではあるのだが、しないよりはマシというのも事実なのだから仕方がない。また小泉の二面性を表すフォークのシーンや、変化を表す「死ねよ」という言葉も私にはその裏切りの展開や方法論が何とも凡庸に感じられるのだが、何とも嬉しいことにこの作品には何とも素晴らしい「映画的帰結」が詰め込まれていた。秘密のない家族、秘密のある事実。母親の愛情不足の所為で人生が狂ったという思い込みの認識と注がれていたという事実。いま中で出して卵子に精子が届けばすぐに家族になれちゃう事実、思ったよりも簡単に気付かないところで愛は生まれているという事実。母親からの「誕生日おめでとう」の電話で思い込みから解放される小泉。ベランダに出て、血の雨を受け、浄化される小泉。泣きながら血まみれで産まれてくる赤ん坊のように、血まみれで泣き叫び、生まれる。何とも映画的ではないか。これでいいんだ。この豪腕さが、映画なのだ。 
[DVD(邦画)] 7点(2006-12-29 02:21:51)(良:2票)
6.  鬼が来た! 《ネタバレ》 
この映画は“スイッチ”の映画です。虐殺シーン、隊長はなにも「今日こいつらぶっ殺してやる」とか予定立ててたわけではありません。ただ、スイッチが入っちゃったんです。虐殺された農民からすれば「うそーん!?」でしょう。「あんまりだ、そんなのあんまりだ」でしょう。ですがスイッチが入ってしまったのだから仕方がありません。無論スイッチを抑えられなかったことは愚かなことでしょうが、どのタイミングでスイッチが入るかなんて本人にも予測できません。テーブルの角に足をぶつけてしまった時、2秒後くらいになって「ンナロー!ヴォケェ!」となったりします。2秒の間は妙に冷静だったりもします。3秒だったり4秒だったりもします。動機だって分かりません。お気に入りだった洋服が急にダサく思えてきて着るのが恥ずかしくなったりすることもあります。昨日好きな子に送ったメールを見返して鳥肌が立つこともあります。どこでどうやってスイッチがONになるかOFFになるかなんて本人でも説明しようがないし、どのスイッチをONにするかはその人の感覚次第なのです。この映画を観ても各々勝手にスイッチをONにしたでしょう。「反日映画だ!」「日本人として恥ずかしい!」「戦争よくない!」「なんか最高!」「(私)スイッチだ!」・・・各々が貼り付けたレッテルは監督の意図とかけ離れていたとしてもなかなか消えはしません。作品を通してだけでは監督の意図が理解できないこともあるし、理解しようとしない人もいるでしょう。ですが良くも悪くも想いは残ります。――原題の『鬼子来了』とは憎らしい外人がやってきたという意味。私はこのタイトルを監督の真意ではなく、60億人全員が持つスイッチを理解せず、その対象を『鬼子』たったニ文字で表現してしまうことへの皮肉と受け取りました。ラストカットで彼は笑いました。「人間って愚かだな~。哀しいな~。でもそれが人間って生き物なんだよな~」彼だけはそのスイッチを理解していたからこそ笑えたのでしょう。
[ビデオ(字幕)] 9点(2006-04-18 21:50:28)(笑:1票) (良:1票)
7.  未来世紀ブラジル 《ネタバレ》 
笑わせよう、笑わせよう。驚かせよう驚かせよう。 そんな想いが伝われば伝わるほど、痛々しい。狙いすぎ。白々しい。行き過ぎた管理主義・社会主義への批判というのはありきたりだが、まぁよしとしても、情報省のミスだけがその批判の要因たり得るもので説得力も皆無。 そんなこんなでマザコン男が 「もう管理社会なんていやだぁぁ、情報省なんて、情報省なんて・・・ドッカーン」ってのを夢見るだけの二時間半。内容がないので、貧困ながらも派手なイマジネーションもただのお遊びでしかない。「ほら、スゴイでしょーこの映像。ビルがズドーン、羽根がビヨーン、武将がドォーン、高層ビルからロープでビューン、 え、内容? 内容は・・・ 内容は・・・ナイヨ」 そんな映画。
[ビデオ(字幕)] 3点(2006-05-12 15:28:45)(笑:2票)
8.  気狂いピエロ
部屋を往来しながら歌うアンナ・カリーナを適切な距離を保ちながら撮るカメラが、ベッドに座ったアンナに寄っていくあの瑞々しさ!!あのミュージカルそのものがそもそも物語に収束されない原初的モーションに違いない魅力なのだが、あのクロースアップの全くもって寄りたかったから寄ったとしか動機付けできない瞬間の欲求はまさに映像の特権的な自由であり、またその現在が複製されいまだ鑑賞され続けているそのエロスといったら!気狂いピエロは見事なクリティックである。簡潔な物語と台詞と自由とが混在し響き合うこの紛れもない私映画を全映画人は絶賛せずにいられない筈だ!
[ビデオ(字幕)] 10点(2008-02-07 14:11:05)(良:1票)
9.  さすらいのカウボーイ 《ネタバレ》 
男と女。男と男。幸せを愛に求め、それゆえに愛に誠実な女という生き物。愛を求めながらも、幸せという抽象的な概念を計りきれずに、さすらいを続けてしまう男という生き物。さすらいや自由こそが幸せと考えることも、分からなくなることも、結局は愛に落ち着くこともある。愛を求め、自由を求め・・・飽くことのない繰り返し。それが人生。自由と疲労と少しの優しさが人生。ギター、逆光、オーヴァ・ラップ。さすらいの失われた現代。失われることのないさすらいへの憧れ。煮え切らない感情や曖昧な感傷を包み込むようにフィルムに焼き付けた正に珠玉の一本。
[ビデオ(字幕)] 9点(2006-09-24 12:18:37)(良:1票)
10.  恐怖の報酬(1953) 《ネタバレ》 
序盤のかったるい展開が見事に活かされている。この暑苦しい土地を抜け出すには高い金払って飛行機に乗るしかない。だがこの土地に仕事なんてほとんどなく、あっても飯が食えるギリギリの額しか貰えない。絶望感にみちた男達を丹念に描くことで、危険への挑戦にリアリティを与えている。マリオと同居人ルイージの間に、マリオと同じパリ生まれのジョオが入ってくることで生まれた妙な三角関係も、ジョオの強気で自信に溢れた行動も、緊迫した状況での人間ドラマに深みを与えている。後半。ニトログリセリンの威力はすでに視覚を通して伝えられているので常に緊張に支配される。10km/h以下か40km/h以上でしか走れない波板で体を温められ、次に岩壁での切り返し。バックしすぎやーー!と叫び、横滑りに、ちょっ!と呟く。さらに石は飛散するわ、巻きタバコは飛ぶわ。 ジョオはヘタレになるし、マリオはキレる。マリオとルイージは仲を取り戻す。そしてラスト。調子に乗った蛇行運転と、安居酒屋でのダンスがクロスカッティングされ・・・そして・・・まぁ・・・さすがにこれは王道すぎる、というかやりすぎやけど、ご愛嬌って事で。 ただやっぱり、ルイージが導火線とめるとか言って走ってくのは無茶しすぎ。あと「この仕事をやり遂げた奴を見たことがあるが、帰ってきた時には髪が真っ白になってたぞ!」って台詞には爆笑した。漫画じゃねぇんだから。
[ビデオ(字幕)] 8点(2006-05-12 10:20:15)(良:1票)
11.  トト・ザ・ヒーロー 《ネタバレ》 
姉を追いかけ続け、アルフレッドに奪われ、憎み続けてきた長いだけのこの人生。当のアルフレッドにさえ、幸せの欠片も見当たらず、もはやただのおじいさんでしかない。何で生きていたのだろう、おれの人生には何もなかったのに何で生きてきたのだろう。音楽が流れ始める。追い越していったトラックの荷台ではパパとアリスがあの頃のまま陽気な歌を歌っている。100%の楽しさで。100%の幸せで。。。トマは最後まで追いかけ続けた、あるいは最後になって自分の手で自分を取り戻した。ファンタジーであるが現実味に溢れ、コメディであるが胸に迫る。人生は愚か者の語る物語―響きと怒りにみちて―意味など何もない
[ビデオ(字幕)] 8点(2006-04-15 02:13:12)(良:1票)
12.  裁かるゝジャンヌ
言うまでもなく映画史にその名を刻むクロースアップの映画なのだが、問題なのは顔のクロースアップによって構成されているという点にある。裁判という言語的な題材をサイレントで撮る。顔で撮る。表情で撮る。それはけして非言語的ではなく極めて言語的な試みである。精神的事実を、魂を、敬虐に語るには表面的な言語では限界があり、表情という抽象性にこそ術がある。ただの切り返しショットではない。精神性を抉り出すかのようなローアングル、行き交う視線、静観するハイアングル。室内にも拘らずあまりに動的な映像は言語的積極性に溢れており、そのモンタージュによるところの動は火刑にいたって至高のものとなり、情動を与える。その精神性を唯一の術によって顕在化した非のない映画である。 
[ビデオ(字幕)] 8点(2006-12-29 02:25:41)(良:1票)
13.  田園に死す 《ネタバレ》 
田舎を、田を、畑を母を、切り離そうと考えるばかりに、土着的な人格、習慣や因習を卑しいものと捉えすぎる、また作品内に取り込みすぎている嫌いがあるが、それもまた寺山の回帰への抵抗と考えれば可愛らしいものである。 過去を捨てるということ、過去があり現在の自分があるということ、記憶(映画)の中で母を殺し、故郷を捨て現在の自分と異なる自分を求めたこと。思い通りに動いてくれない20年前(記憶の中)の自分、映画(記憶)の中ですら田園を捨てることのできない寺山、少年の童貞を奪うことで父なし子を捨てさせられた復讐となし村を捨てようとする女、息子を捨てない母、世を捨てる男女。 雛壇は川を流れ、空の色は明暗を彷徨う。暗闇で映えるタバコの煙。支配する赤。支配する舞台装置。新宿区新宿字恐山。魔術はまだ完成を見ぬが、それでも尚頭一つ抜けた演出の才。寺山修司とは、事件である。
[ビデオ(邦画)] 8点(2006-09-24 12:15:39)(良:1票)
14.  汚れなき悪戯 《ネタバレ》 
子供を捨てちゃうような母親は地獄に堕ちちゃっているので、マルセリーノが天国に行っても会えないんじゃないか とか 病の少女にこんな話したら、私やっぱ死ぬんだ、って落ち込んでしまうんじゃないか とか考えてしまうおれとは対極に位置しそうなこの作品。 がしかし、真相を突き止めるべく潜んでいたお粥さんの指が組まれるその瞬間ばかりは崇める心を共有し、「マルセリーノが あの子が 神に召された」という台詞で信仰が少しだけ沁みこんでくる。汚れなき天使が呼び起こす理解を超えた奇跡。そして汚れなきものがそれを語ることにより私たちが胸を震わす小さな奇跡。この作品は正に神の僕たる修道僧として、忠実な語り部としての立場を保っている。
[ビデオ(字幕)] 8点(2006-09-24 12:26:11)(良:1票)
15.  近松物語 《ネタバレ》 
モノクロ映像の到達点。あまりに全ての画が美しすぎて、あまりに全ての画が完璧な構図すぎて、メリハリに欠けるような気もしないではないが、とにもかくにも素晴らしい。溝口・宮川・永田の3人が揃うと誰も届かない領域まで達してしまう。近松門左衛門原作のストーリーも素晴らしいが、これは当然現代劇に置き換えては味を失う代物。時代考証が色濃く反映されてこそ見応えのある代物。彼らの技術・こだわりなくしては到底実現され得なかった奇跡的な作品。庶民はあたりまえのように奉公をし、その上には役人が控えている時代。家族のため、先祖のため、大恩のため、忠義を何よりの美とする時代。主人の傲慢さを見限った二人が美しく、醜く、繊細な恋に落ちる。香川京子が土まみれで「茂兵衛~!茂兵衛~!!ヴぉへぇ゛ぇ゛~!!!」と泣き叫ぶ。素晴らしい。
[ビデオ(邦画)] 9点(2006-04-15 20:02:15)(良:1票)
16.  生きるべきか死ぬべきか 《ネタバレ》 
展開の再活用。ナチの会話が舞台上の演技だったという冒頭のシーンが、本物の教授と偽者のエアハルトのシーンに活かされる。本物の教授と偽者のエアハルトでの“収容所のエアハルト”のくだりが、偽者の教授と本物のエアハルトの会話に活かされる。この展開の妙をいちいち文章にするとややこしすぎる、っていうぐらいのめまぐるしい展開。ルビッチのような作家性の強い監督の稀少さ、偉大さは鑑賞した人にしか分からないし、鑑賞したならば誰もが感じるものだろう。 ただ、一方的なプロパガンダ色の強い作品だということも確か。ドイツ人だって槍でつけば血が出るし、飛行機から飛び降りるのもめっちゃ怖いからね。恋愛や下心や役者の夢、といったエッセンスで半分近くを構成し、色を薄め、さほど気にさせないあたりがこれまたルビッチの巧さでもあるわけやけど。夫への愛は明言し、それでもふらついちゃうっていう憎めない奥さんの役柄も素晴らしい。エアハルトの「シュルツ!」も絶妙。だが、本作に限らずルビッチの作品はリズムに余裕がなく、心地よく笑い続けることができない。展開が速いだけに、演技もしくはカッティングで緩急をつけてほしかったところ。  (追記) 戦時中に最も多く公開される映画が国策映画であることは周知の通り。自国を貶す論調の作品を公開することは検閲その他の面で非常に難しく、また勇気を伴うことかもしれませんが、他国を貶すことは実に簡単です。戦時中云々といった付加価値でこの作品を評価するならば、それをコメディという形で仕上げたということ、監督の狡猾さのみ評価されるべきでしょう。
[ビデオ(字幕)] 8点(2006-05-09 05:44:37)(良:1票)
17.  情婦 《ネタバレ》 
まず、この作品の魅力を完璧に支えたチャールズ・ロートン。右目の肉で挟むメガネ、ペースを持ってく語り口、看護婦との関係。ワイルダーのキャラ付けの巧みさが存分に生かされていて、もう、何というか・・・愛らしすぎる。んで、もう一つの魅力は何といってもアレ。そう、例のアレ。ロートンの「うまくいきすぎだ」の言葉で少し早めに気付かせるが、実はさらに一転。一流のサスペンス脚本を一流のコメディ演出で語る。世の中におふざけアクションやおふざけサスペンスは確かにいくらでもある。だがここまで緊迫感を損なわず気楽に楽しめる作品は他に見つけることができない。“映画は娯楽だ”とは言わないが“娯楽も映画”だ。娯楽映画の最高傑作にして、映画の最高峰に位置するこの作品に10点以外つけるなんてことが出来るはずもない。
[DVD(字幕)] 10点(2006-04-15 04:43:41)(良:1票)
18.  銀河
異端とされるものを中心にカトリックまで、キリスト教の教義や奇跡をことごとく映像化していくという、信者でない者にとっては完全なギャグ映画。可愛らしい子供達が「呪われるべし!」とか言いよんのもアホらしいし、ちょっとした言葉の違いで争いよんのもアホらしいし、というかどうでもいーわ、といった感じ。けどあんまり面白くなかったんよな。その理由はたぶん3つ。1.キリスト教に精通していれば「うわ、あの部分をこんなふうに映像化したで」とか「そんなんあった、あった」とか何倍も楽しめた。つまり自分は何分の一しか楽しめていない。2.ブニュエル自身がシュールレアリスムを誤解し、さらに縛られているように感じる。この映画の魅力の本質は笑いにあるはず、あるべきなのに演出はそちらを目指していない。多様な表現方法の一つがシュールレアリスムであり、それによってしか表現され得ないものを描き出す表現者がシュールレアリストとするならば、ブニュエルは逸脱しており、固執してしまっているといえよう。3.ブニュエルの立ち位置、視点が極めて曖昧。無心論者として知られるブニュエルではあるが、この映画を観る限りとてもそうは思えない。ブニュエルの葛藤が伝わってしまう。この映画における笑いの質が突き放したものであるのに対してブニュエル自身が信仰を突き放しておらず、それを反映させてしまっているため心から笑うことが出来ない。葛藤をそのまま映し出したかったとも思えんし。
[ビデオ(字幕)] 5点(2006-04-15 19:22:04)(良:1票)
19.  欲望(1966) 《ネタバレ》 
まず、衣装・セット・女性のずば抜けたセンス。そしてカメラワーク。人の目で見ているような息遣いを感じる動と、斜めからフィックスで撮る静のカメラが非常に印象的だった。話はというと、公園で撮った写真を引きのばしていくと殺人現場らしきものが写っていたというもの。こう聞くとサスペンスのようだが、けして違う。それは衝撃的なシーンで合えて効果音や音楽を排除していることからも顕著である。この作品は、人間がその一瞬一瞬に見たこと・感じたこと・思ったことの儚くたゆたっている不確実さを映像化したもの。女には飽きたと言いながらもセックスをするその姿も、ライブハウスから出ればごみ同然となるぶっ壊されたギターも、ひどく気に入って即買いしたプロペラも全てこの象徴であり、その空ろさ故に、その感覚を他者と共有することは限りなく不可能だという真実を示している。出来事は他者にとってはある種全てが虚構であり、何が存在していて何が存在していないのかは問題ではないということが最後のパントマイムテニスにもよく表現されている。気分屋で気難しい写真家という繊細な役柄を見事にこなした演技、混沌とした中から少しずつ形を成してくる抽象画のように、引きのばした粒子の粗い写真から何かを見出すというプロット構成を高く評価したい。
[ビデオ(字幕)] 9点(2006-04-15 15:03:10)(良:1票)
20.  人情紙風船 《ネタバレ》 
無頓着で気楽な平民の日常と極限に厭世的なテーマとが織り成す無常観。 髪結いのプライドと浪人のプライドが一つの夜にそれぞれの終局を迎える。それぞれの短刀が光る。プライドなんて持ってはいけない身分の二人が必死こいてかっこつけた結果は・・・コロ・・・コロコロ・・・コロ・・・ス―――――――。語り継がれるわけでもなく、理解されるわけでもなく、長屋ではただ日常が続く。。  本作を語る上でどうしても避けて通れない特徴が画面の奥行きへの徹底。どんな路地でも人物を奥から手前へ、手前から奥へ歩かせ、画面の奥には何の関係もない人物を映り込ませる。長屋での新三の部屋が角部屋という設定も奥行きを出すための配慮だろう。その思惑は見事に的中し、長屋の逆側から映すカメラが人の行き交う長屋の様子を冷静に映し出し、その空気が画面を越えて運ばれてくる。 些細な出来事を通して主要な人物から長屋の人間一人一人にまで命を吹き込んでゆく人物描写力も言うまでもなく見事。傑作の名に恥じない出来映え。
[ビデオ(字幕)] 10点(2006-04-20 05:32:59)(良:1票)

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