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1.  処女の泉 《ネタバレ》 
米、映画『ヴァイキング』を観ていて興味深いのは、彼等ヴァイキングが暴れ廻っていた頃の10世紀前後のスウェーデン人は未だ、神オーディンの名を高らかに唱えているのに、時代背景が16世紀である、この映画の中で密かに神オーディンの名を小声で唱える者は、召使女のインゲリが只ひとりという少数派に転じている事。  カリンは父テーレと母の愛を一身に受け、美しい無垢な娘として成長。その愛娘を、遠くの教会にまで寄進の品物を届けさせる使いに出す程の敬虔なキリスト教信徒。その道筋でカリンは他所者に無残にも殺されてしまう。神は何もしてくれず、真実、神は存在するのかとする、テーレの信仰心の揺らぎを描く。  一方、オーディンを信じるインゲリが生き残るという不条理に混乱する。横溢するキリスト教への不信、だがカリンの遺体の頭があった、その箇所から泉が湧き出すという奇跡で神の存在を再び確信し、信仰への迷いを吹っ切るというラストは、神の不在、信仰への疑念をテーマにして、如何にもイングマール・ベルイマンらしい作品である。テーマとは別に、映像のセンス、特に照明が優れる。光と影の劇的効果、今日的視点で見直しても力強く、美しい作品であるのは確か。
[映画館(字幕)] 7点(2016-07-23 09:54:48)(良:1票)
2.  帰ってきたヒトラー 《ネタバレ》 
2014年の現代ドイツにヒトラーが唐突に忽然と出現する。当初、彼に接した人々はコスプレ仕様のおふざけと見做し、半ば面白がりからかう。野心家の敏腕TVディレクターは、彼をテレビの政治ネタを扱う、コメディ番組に出演させ、冒険と思いつつも好きに喋らせてみる。ヒトラーは初めて観るテレビが自分の思想を広める媒体として、非常に優れて有効である事を直ぐに見抜く。  かつてそうだった様に、作為に満ちた長い沈黙を破り、彼は穏やかな声で料理番組の氾濫を嘆き批判する、そういうものに慣れきっていた視聴者も改めて指摘され尤もだと思う。続けてジェンダー不明な人々、宗教の異なる異民族の流入と増大に批判の矛先を向け、やがて激しい絶叫調で、混迷するドイツの現状を訴えかける。差別主義者として批判されるのを怖れ、これまで誰も公に口にしなかったセンシティブな問題を次々に槍玉に挙げ批判する。派生物の彼に関連するYouTube動画の閲覧数も飛躍的に伸びる、そして忽ち人気を博する。  コメディ映画ではあるが、キューブリック映画に倣い「どろぼうかささぎ」の曲を使うなど、手の込んだ風刺の映画手法もどこかキューブリックに似ていて、可笑しみの中に、鋭い批評視点からくる、現状への危機意識とフラストレーションを感じているのが判る。人気者となったヒトラーが、噛み付いた犬を射殺する過去の動画が世に知られると、忽ち人気急落という、移ろいやすい大衆心理の本質をも浮かび上がらせ、そつがない。  EUを是として、メルケル首相が推し進めた、移民や難民の受け入れとセットの、多文化主義の施行の結果である、テロの頻発や政情不安など却って分断に至った、EU・ドイツの現状に不満を抱き、潜在的フラストレーションを溜め込んでいるドイツ人の大衆心理からすると、70年前の、決して蘇ってはならない危険思想とされた、ヒトラーの主張に迎合する空気が新たに醸成され兼ねないとする懸念が、この映画の制作意図としてある様な…。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2017-01-04 17:34:04)(良:1票)
3.  マッドマックス 怒りのデス・ロード 《ネタバレ》 
極限状態にあれば「人はパンのみに生きるにあらず」など、余裕で言っていられない贅沢な言葉なのだろう。「マッドマックス2」以降、このシリーズの根底に横たわるのは、剥き出しの形で表現された、生き残りのための命を賭けた殺伐とした闘争であり、生きる者の生存欲求の強さ。オイルや水など、人の生存に不可欠な根源的資源の争奪を通して、エゴイスティクなDNAの特性を考えてしまう。  水の所有・管理権を持つイモータン・ジョーが、民を意のままに支配する構図がそれで、如何にも分かりやすい。密かな目的を持った女隊長、フュリオサに率いられ、隠れて逃げる、生みの性、母体としてのみ、イモータン・ジョーに生存価値を与えられていた、虐げられし女たちの反乱が話のベースとしてあるのは興味深い。  女達が水タンク車と共に、伝説の緑の地を目指すというのは、聖書の「出エジプト記」のカナンの地を目指し、紅海を渡る話と奇妙にクロスする。目指す先に砂嵐が壁の如く立ち塞がるシーンを対比させ考えると、そこに、ラムセス2世から逃れ、やはり紅海を前にしたモーセに率いられたイスラエルの人と同じ構造が浮かび上がる。  「死を恐れるな、死んで甦れ」と唱え、追撃してくる白塗りのウォー・ボーイズの群れ。おそらくISISの戦士たちも同様の信仰を信じ込まされ、進んで死地に向かうのだろうか。日本だと、織田信長に対して武装蜂起した、一向一揆の戦い「進むは極楽、退けば地獄ぞ」の言葉が思い起こされる。人を死地に向かわせるには、嘘で出来た人を陶酔させる魔法の言葉が必要という事だろう。  女たちを乗せた巨大なタンク車をターゲットに、群なして襲い来る、そのウォー・ボーイズ達は、卵子を目指して競争する精子の群を連想させなくもない。軽快に飛び跳ねながらモトクロスバイクで襲撃してくる、敵地での攻防シーンはジョン・フォードの「駅馬車」で襲い来るアパッチを彷彿とさせワクワクする。火を噴くエレキギターと太鼓の音も賑やかに、砂煙をあげ疾走するイモータン・ジョーの一団の狂気が見もの。何と言っても、こうした70過ぎのジョージ・ミラーのぶっ飛んだイメージ形成力には恐れ入る
[インターネット(字幕)] 8点(2017-03-10 18:22:34)(良:1票)
4.  エクス・マキナ(2015) 《ネタバレ》 
かなり恐ろしい未来予測。未来と言っても、既にその兆候は現実に至る所に出てきているように思う。それを危機的と観るか、恩恵と観るか、捉え方にそれぞれ立場により違いがあるだろうが、この映画に示されたAIヒューマノイドと人間の混在は、別な形で人間に災いになるような気がする。極論ながら人類滅亡化への道とでも言えばいいのか。それは、何も映画『ターミネーター』の様に、ロボット軍の武力の前に殲滅されるという前提に立たなくても、本作のヒロインであるエヴァの如く、身体機能の造形にプラスチックなどの部材が使われていても、感情を込めた当意即妙な会話で人間に対応する能力があるなら、ケイレブ個人のみならず、人類は完全に人間の被創造物であるエヴァの先に、更に進化した仲間の存在は、ネイサンが言うように、やがて超越者として人類に君臨、高い知性のヒューマノイドに支配され、コントロールされる懸念は、決して絵空事とも思えない。  ケイレブが人工物と認識しながらも、エヴァに魅せられ、翻弄されるストーリーは非常にリアリティがある。エヴァの姿は、ケイレブがネットで何を検索したか、リサーチした結果、ネイサンによりケイレブの好みにそって生み出されたもので、性格や性的に惹かれる要素がたっぷり含まれている筈だ。この映画では、エヴァに芽生えた自我が強く作用し、結果、ケイレブを欺き、逃走に利用したが、もしも、この二者に執着心や愛情が成立したら、人間同士のように遺伝子を残せないのだ。仮に、未来こうしたカップルが一般化し、蔓延するなら、やがて人類はアダムとエヴァの神話とは逆に消滅するしかないだろう。  ケイレブを前に、エヴァが目を瞑って待っていてと言い残し、服を着て恥じらいながら現れるシーンは艶めかしい。普段、剥き出しの身体でいるエブァにとり、服を着るのは、一般的概念の裸になるのと同質の羞恥心が伴う行動なのだろう。それにしても、エヴァを逃走に駆り立てた動機を考えると悩ましい。映画では、都会に現れたエヴァが待つ対象は判然としないが、不条理劇の「ゴドーを待ちながら」の様に、エヴァ本人もそれが何であるのか解っていないに違いない。  他に、この映画で特筆すべきは、ミニマムの究極美である、茶室か桂離宮を思わせるネイサンの研究室兼隠れ家の佇まい。人の気配がない山奥の、簡素かつ贅沢で、深い精神性を秘めた家のデザインや室内装飾。その美学は、日本人の感性に合って、共感しうるものだ。もう一人のキョウコと名付けられたヒューマノイドの姿は、隠遁思想に惹かれるネイサンの求める日本娘そのもの。寿司を握れる、妖しくも神秘的なキョウコの雰囲気。その彼女に似合う家なのは、偶然ではなく、古さと先進性を併せ持つ日本的要素をそこに意図したのだと解釈できる。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2017-02-20 16:53:34)(良:1票)
5.  グッドナイト・マミー(2014) 《ネタバレ》 
沼に浮かぶ空気マットからルーカスの名を呼ぶエリアスの心情を思うと可哀想でならない。この映画の全てが、エリアスの主観が観ている内的世界と現実が交差した虚実混じりの世界であり、常に一緒に行動する仲の良い双子の兄弟は、強い共依存関係にあったのだろう。顔を包帯で覆い隠して病院から帰った母親に不信感を募らせるのは、母親がエリアスから父親の存在を消し去ったという、負の感情が払拭しきれていない事の表れ。  共同墓地から拾ってきて、レオと名付けた猫の死にも、母親が関与しているのではないかと疑念というより確信を抱いている様子から、母親不信と憎悪は素顔が覆い隠された事で更に疎通遮断の思いに駆られ、疎外感を募らせ、憎しみが増大したのだろう。何よりルーカスを失ったという喪失感のダメージは甚大で、現実逃避で精神が破綻するのを回避したのだろうが、既にエリアスは心に損傷を受け、深く病んでいたのだ。母親の寝顔にゴキブリを這わせ、切り裂いた母親の腹部から這い出てくる虫の幻覚シーンを観るにつけ、彼の病は重篤。惨劇に至った責任の所在は冷淡な母親にあるのは間違いなく、内向的で繊細なエリアスに、フリは出来ないと諌めるのではなく、優しくケアすべきだった。  大きな白黒写真パネルの中のピンボケな女性の全身像や、ワイヤーのトルソーマネキンにしても、実体のない曖昧で空疎なものを象徴しているし、捉えきれない人の在り様を示してもいる。湖面に沸き起こる不穏な波のざわめきは、ルーカスの死を暗示するイメージなのか、この映画の、こうした名状し難いシュールな映像感覚は惹かれるものがある。無人の町の通りを、何事かを叫びながら独り歩く男の姿も、時々映し出される月夜の映像同様、不思議感覚に満ちている。
[インターネット(字幕)] 7点(2017-04-09 00:09:31)(良:1票)

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