1. 赤い靴(1948)
巻頭から鍛錬されたバレーダンスに目を奪われます。2回見ると主人公ヴィッキーと踊っているプリマが別人だということが分かる様になるのですが、初見ではそこまではいかないでしょう。初期テクニカラー時代に製作された視覚的にも楽しませてくれる作品です。ストーリーの上では舞台とダンサーたちをを自分の持ち物のように考えている支配人レルモントフの存在感が光っています。ただ、婚約を発表した直後に解雇されてしまったプリマは練習に40分以上遅れてくるなど、自分の力量に驕っていたきらいがありました。ここでヴィッキーの表情を大写しにする必要はあったのか。。。彼女も作曲家ジュリアンとの恋愛で同じ轍を踏むのだという暗示だったのか。。。現代では往年のプリマが政治家と結婚したり、あるいは自分でバレー学校やバレー団を運営したりと踊ることだけに束縛されない自由な人生自分で選択しもちろん結婚によって受ける制約も柔軟にかわすどころか人生の糧としているので古今の感があります。 [DVD(字幕)] 8点(2020-03-28 09:59:21) |
2. 愛を読むひと
ケイト・ウィンスレットのアカデミー賞主演女優賞受賞の後でDVDを借りて見た時にはあまり感慨がなかったのに、原作の日本語訳「朗読者」を読んだ時には相当の感慨があってDVDを借り直しました。 法律運用の上では文盲は処罰の相当な軽減理由になるはずですが、おそらく言語もドイツ語ではない現在のルーマニア領から未成年の時にドイツ流れてきてどの職場でもそれなりに評価されながら管理職に抜擢されそうになると転職してきたハンナの意地は「文盲だということがバレればわたしはこの国の下層階級の人々かそれ以下。」という国民のほぼ全員が読み書きができる島国日本に住む日本人には想像を絶する事実から来ているようです。これに対するマイケルの反応もこれでしかありえない、ハンナが読み書きできるようにするというものでした。でも、多民族がひしめき合うヨーロッパで国境を越えて流れてきた者がお隣の国の言葉を何とか喋れても読めないのは不思議でも何でもなく、マイケルが教授(原作では裁判官)に事実を言って情状酌量の可能性を尋ねなかったのは。。。やはり日本人の理解を越えているのでしょうか? その後にマイケルは贖罪のような行為を取りますが、ということはやはりドイツにおいても相談してみるべきだったということなのでしょうか? 遡及効というのはある事件に事件発生後に制定された法律が適用されて効力を持つことで、大多数の事件については原則として遡及効はありませんが、敗戦によって第三帝国が滅んで全く新しい政府が発足したドイツでは戦犯や戦後処理に絡んでかなり哲学的な議論が生じたはずです。哲学者を父とし、ハンナとの満たされない関係によって心理的に思春期に留まっているマイケルが学究を口実に大学に残り、裁判官として現実社会を歩む妻と離婚してハンナに尽くすようになる内面の過程は映画では描ききれていないのでこの点数です。 [DVD(字幕)] 7点(2016-09-26 13:18:03) |
3. アイーダ
お色気たっぷりで肉体美を見せつける女優として有名なソフィア・ローレンの天賦の美しさにもまして彼女の女優としての努力と才能を見せつける作品です。マリア・カラスに匹敵する実力を持つオペラ歌手の吹き替えに合わせた口パクは完璧で音楽の修養が稼業の中心になっている歌手とは比べようがないほど奴隷の身に余んじる悩み多き高貴な姫君の役柄を表情やしぐさを含めどんな要素を取っても、また大写しになっても完璧に演じ切っています。音楽も凱旋行進曲など超有名なもの目白押しでソフィア・ローレンとオペラファンの両方に必見の作品になっています。もちろんソフィア・ローレンの美貌と肉体美に酔いしれても結構です。劇場で見る術もなく、劇場で見たらさすが古色そうぜんのスペクタクルになってしまうかもしれないので点数は少し辛目です。 [DVD(字幕)] 7点(2014-05-23 03:06:42) |
4. アンナ・カレーニナ(2012)
グレタ・ガルボ、ヴィヴィアン・リー、岩下志麻の日本版(NHKドラマ)の三つとどうしても比較してしまいます。NHK銀河テレビ小説だった日本版はもう見ることはできないけれど、これが一番好きでした。キーラ・ナイトレイの知的な風貌は不倫にのめりこむ奥様には向いていないと思うんですけれどね。女優として同じくらい知性を感じさせる岩下志麻が演じたアンナは非の打ちどころのない夫に対して「あなたが構ってくれないからよ。」という主張をしていたし、ヴィヴィアン・リーのアンナは情念と妻や母の地位を守ろうとする理性との葛藤を鬼気迫るほどの迫力で表現していました。もっとも、これは夫役のキャストに負うところも大きいです。本作の夫役も十分真面目で堅実な雰囲気を出していましたが(あくまでも主観的な意見ですが)ヴィヴィアン・リー版と岩下志麻版では中年の魅力がもっとたっぷりの俳優さんが演じていたように思います。本作の最初のほう、アンナとウロンスキーが出会う舞踏会の踊りの振り付けが全然社交ダンスっぽくなく、インドかアラビアのダンサーのように上半身(特に腕)の複雑な動きに終始していたのが良く言えば官能的、悪く言えば場違いでキモかったです。 コスチューム部門アカデミー賞に輝いただけあって視覚的効果は抜群でした。 [DVD(字幕)] 6点(2013-10-28 09:21:09) |
5. アルゴ
はらはらさせられるサスペンスの表面の下に今でも存在するイラン・シーア派イスラム政権対する疑念・・・つまり公務員としてビザ発給などの業務に勤しむ罪のない人々を裁判などでその可否を公に対して問うこともなく四百日以上も監禁してしまうような社会、そういった極端な行動に出る民衆をコントロールできない政府は果たして国際社会で他国と対等に扱われるべき近代的な意味での法治国家なのかという疑問が起こるのをどうすることもできなかった。アメリカCIAの工作はカナダ大使館に身を寄せた6人の大使館員を救出するための緊急措置として取られたものだが、偽のカナダ旅券の発行をカナダ政府に要請するという通常ならば非合法な手段を取ることによってこのような非合法事態が起きた際の対策の在り方を明確に示唆している。アカデミー賞にノミネートされた音響・美術などが優れた他作品を抑えてある意味で地味なこの作品が作品賞に輝いた理由がわかるような気がする。 [映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2013-03-13 01:41:26) |
6. 赤と黒の十字架<TVM>
私が知っているグレゴリー・ペックは新聞記者(ローマの休日)、弁護士(アラバマ物語)、作家(キリマンジャロの雪)とみんな知的な職業の役柄で銀幕に登場するのですが、ここではカトリック聖職者・・・もちろん聖職者というのは、特にキリスト教の聖職者の場合、聖書だけではなく語学や歴史などにも通じるインテリなのが普通なのですが、この作品中でグレゴリー・ペックが演じるカトリック司教はのっけからボクシングの格好で登場、のほほんとしたアイルランド人司祭としてナチスの目を欺いたり掃除夫や郵便配達夫にバケてみたり、かと思うと上司であるローマ法王に対して正義を説いたりナチス軍人の格好をして敬虔な祈りをささげたり、となんともとらえどころがありません。一方でナチスのカプラー大佐を演じるクリストファープラマーは例えば、「ビューティフル・マインド 」の精神科医の役柄でもそうだったように徹底的に役柄(=職業)に徹しきっています。この二人の対決が見もので、実在のヒュー・オフラハーティ司教もナチスに対してはこんなんだったんだろうな、と思わせるような茫洋とした役柄をグレゴリー・ペックが好演しています。登録を要請しておきながら点数が少し辛めなのは決してこの二人の演技のせいではありません。ある日本の映画サイトはこの作品をサスペンスものとして紹介していますが、違った演出も可能だったのではないかと思うからです。サスペンス風のBGMがオフラハーティ司教の信念に満ちた行動とミスマッチだったし、カプラー大佐やローマ法王が常に英語をしゃべっているのも変な感じがしました。 [DVD(字幕)] 6点(2011-03-18 10:23:02) |
7. 哀愁
映画製作当時、アメリカは世界大戦への参戦の是非を巡る論議が沸騰してはいましたが、まだ参戦はしていませんでした。ナチスによる空襲を受けるロンドンの様子が対岸の火事(と言っては製作者に失礼でしょうが)か、でなければ今のSFもののタッチで描かれていたのが印象的でした。「だから戦争なんかやめようよ。」という厭戦気分いっぱいの内容は敗戦後の日本人の気持ちに通じるものです。ルーズベルト大統領が阻止しようと思ったらいくらでも阻止できたはずの日本軍の真珠湾攻撃をわざと見逃すことによってでしか参戦の世論を獲得できなかったのも、この作品に濃厚に描かれているような戦争のもたらす悲劇を想定し、回避したいと思っていたアメリカ人が大勢いたからですし、また、言論の自由が保障されていたアメリカで反戦の主張や心情を肯定するこの映画のような芸術作品を作ることが自由にできたからなのです。ロイの死の知らせという悲劇は悲劇として、なぜヴィヴィアン・リーが演じるマイラは戦争が終わった時点で頭を切り替えなかったのかと思うのですが、日本と同様にイギリスでも本当の戦禍は復員兵が戻ってきてからだったのでしょうか。作品の中ではっきりとは描かれてはいませんが、復員兵が乗った列車を出迎えたマイラが意図していたこと、そして欧米では化粧室以外の場所で鏡を見たり化粧を直すのはどんな女性かなどということを考えれば、監督が画面には出さなかったマイラの生活のどろどろした実態を容易に推測することができます。 [DVD(字幕)] 8点(2010-09-13 06:43:18) |
8. 愛の勝利(1939)
難病ものの元祖として鑑賞の価値がある作品。期待したよりずっとよかったと感じたのは、これ以降に作られた難病ものの作品が焦点を絞りきれていないせいかもしれません。少なくともスーザン・サランドンとジュリア・ロバーツというダブル大物女優を起用しながら難病を調味料程度にしか扱わずに何が焦点なのかわからないような某作品と比べて、「余命が限定された時には人は何をすべきなのか」、ひいては「生きるということは何なのか」ということについて真剣に考えさせるはるかに優れた内容です。スティール医師がどう見ても40台半ば以上で、「キャリアもあるのにこの歳で独身??」と思ってしまうのが珠に瑕ですが、患者の予後を知り尽くしている医師が患者に対して愛情を抱くという単純なストーリーがごく自然に描かれていて好感が持てました。医者としての職業的な勝利とはもちろん患者を完治させることなのですが、高度技術による診察が可能になって外科療法が進んだ現代でも、手術や診察の結果などはそれとして、患者の人格に惹かれる医師がいてもおかしくはないでしょうね。 昨今はやりの医療物ドラマを多数見たわけではありませんが、医療従事者は最先端の医療技術を駆使するスーパーマン、病気そのものが悪の権化か退治されなければならない怪獣のように描かれているだけで患者の人格が無視されているような気がして敬遠しています。 [DVD(字幕)] 9点(2010-09-13 05:46:49) |
9. アメリカン・プレジデント
《ネタバレ》 今までに見たアメリカ大統領ものの中で一番好きになれました。これも一重にマイケル・ダグラスの風格に満ちた演技のおかげだと思います。政争・政局において、権力を狙う安っぽい輩は私生活を叩いたり、金脈を暴いたりしてライバルを蹴落とそうとしますが、所詮大切なのはその政治家がどれだけ国民のことを考えているかであって、政治家の私生活や金脈は常に公共の目に晒されなければならないものの、政策から離れた攻撃材料にされるべきではないと思いました。「国民一人一人の権利が守られ、みんなが幸福に暮らせるように・・・。」と持っていって自分の私生活を弁護したこの架空の大統領の口上はさすが・・・。「リンリ、リンリ」と鈴虫みたいに馬鹿の一つ覚えを繰り返すどこかの国の野党政治家に観てもらいたい作品です。 [DVD(字幕)] 8点(2010-04-14 04:18:25)(笑:1票) (良:1票) |
10. ア・フュー・グッドメン
なんと言っても、主要な役柄を演じるそれぞれの俳優(デミ・ムーア、トム・クルーズ、ジャック・ニコルソン、ケビン・ベーコン)があたかも役割を楽しんでいるような自然体で演技しているのが良かったです。この四人のファンなら見る価値は大いにあります。被告弁護側に焦点を絞っているから仕方がないのですが、ジャック・ニコルソンが演じるジェセップ大佐が守ろうとした国益が何だったのか、DVDの最初のほうを見直してもよくわからないので-2とします。ジャック・ニコルソンとケビン・ベーコンは出番が少ないけれど存在感が抜群・・・事件の裏まで描いていたら軽く3時間は越えて劇場では上映できないような作品になっていたでしょう。作品の中に挿入されている絵葉書になるようなワシントンDCの風景や最後に大写しにされる裁判官の机下に掲げられている「US Marine Court」の徽章、これらが何を意味しているのか・・・ジェセップ大佐が守ろうとした国益が何であろうと厳然として存在している、軍隊の機密性と国家の保全を象徴しているようでした。 [DVD(字幕)] 8点(2007-09-26 13:10:54) |
11. アメリカン・ビューティー
ケビン・スペイシーはなかなかよかったものの、アメリカの病的な側面を舐めまわしているようであまり後味がよくなかったのでこの点数です。期待していたのですがアカデミー賞受賞作品としてはちょっともの足りなかったです。 [映画館(字幕)] 5点(2006-04-24 06:56:35) |
12. アビエイター
レオナルド・デュカプリオの一人舞台といった感じの作品。デュカプリオが好きではないという人も見ればきっと彼にほれ込むと思います。「タイタニック」、「ロミオとジュリエット」などでの主演、「仮面の男」でのダブルキャスト等々、むずかしいティーンの役柄をこなした彼が中年、壮年の役柄をやったらいかに・・・と期待していた私にとっては「やってくれたね!」と思わず拍手を送りたくなった作品です。第一次世界大戦後のいわゆるパクス・アメリカーナ、スィング・ジャズ時代の雰囲気が良かったです。第二次世界大戦の頃からはヒューズの内面にスポットが当たって時代があまり描かれていなかったのが少し惜しい気がしますが減点対象にするほどではないです。 [映画館(字幕)] 9点(2005-05-26 13:05:12) |
13. アラモ(2004)
終わりのほうになるまで、メキシコ軍はこれほど優勢だったのになぜ現在のアメリカ-メキシコ国境はリオ・グランデ川(サン・アントニオから車で5時間ほど南下したところ)なんだろう・・・と疑問に思いながら見ました。恐らく今までにないほどメキシコ側に好意的な演出がなされていて、メキシコ系(スペイン系?)の俳優が多数出演、メキシコ側の合議の様子などもスペイン語の会話とともに描写され、なぜメキシコがテキサスに侵攻しなければならないのかという理由も納得がいくものだったのでなおのこと疑問に思いました。結局、力の論理だったんですね。「メキシコ系住民が居住しているからこちらによこせ!」という主張は現在だったら住民投票か国連安保理事会で決着をみるでしょうが、19世紀だから力の論理もしかたがないです。戦争大好き人間のブッシュ大統領親子がそろってテキサス州知事を経験しているのも偶然ではないでしょう。現在ではダントツの先進国であるアメリカが正規軍を派遣できずに制服も着ていない市民有志から成る義勇軍で領土を保全し、対するメキシコ軍が下士官にいたるまできらびやかな軍服に身を包んでいるのも時代の移り変わりを感じさせました。でも、現在のアメリカではメキシコ系を含めたラテン系の住民が全人口の13%を占め、役所の文書や道の案内にまで英語とスペイン語が併記されているので結局、勝ちをしめたのはアメリカ国内のメキシコ系住民かもしれません。いろいろ考えさせる作品でした。アメリカとメキシコ双方の言い分をスクリーンで再現したことはストーリーの難点(山場がどこかわからない/アラモ攻撃後の展開が蛇足っぽい)を補って余りあるので高得点を献上。射撃とバイオリンの名手、デイビー・クロケットもいかにもといったいい雰囲気でした。ジョン・ウエインよりもこちらのほうが本物っぽいと私は思うのですが、ジョン・ウエイン主演のほうも見てみたいと思います。 9点(2004-07-05 07:46:56) |
14. 赤ひげ
このストーリーが実話だったら精神分析の創始者はフロイトではなく赤ひげさんだということに医学発展史を書き換えなければいけなくなるでしょう。 10点(2004-06-30 01:47:06) |
15. 愛と哀しみのボレロ
登場人物が多すぎるのでどうなることかと思いましたが最後、しっかりまとまってすごいインパクトを与えるのが驚きでした。思えば第二次世界大戦の悲劇は2,3時間やそこらの映画でつくせるものではありません。ボレロの祭典に会した芸術家や聴衆の数家族が背負っている悲劇を紹介するだけでもこれだけのインパクトがあるし、それぞれの悲劇のパターンを実際に経験した家族の数は数千倍、アジア戦線を含めたらもしかしたら数万倍くらいに上るのではないでしょうか?ドイツ将校とパリジェンヌとの悲恋物語で ”Hiroshima, Mon Amour(邦題:二十四時間の情事)”を思い出しました。“Hiroshima, Mon Amour”のヒロインは未婚の母にはならなかったものの自宅に軟禁されて丸坊主にされ、髪が生えそろった後で村から追放されてしまいます。いやはや・・・理性的とは言いがたいけれど、敵に対する憎悪がこういう形で噴出してしまうんですね・・・。ラベルのボレロは私が東洋人であるせいか「因果応報」や「輪廻」を象徴し、「過去の過ちを繰り返さないこと」と「過ちを犯した人間を許すこと」を迫っているように聞こえました。 9点(2004-06-14 01:34:22) |
16. アラビアのロレンス
VHSがなくて劇場でしかこの映画を見られなかった時代の感動はものすごいものだったと思います。空の青と黄色い砂の大地を分ける地平線、残酷に照りつける太陽、駱駝を駆る人々等々・・・。でも、美術・音響はずっと優れていると思いながらも同じ民族自決をテーマにした「ガンジー」よりも3点も低い点数をつけた理由は、まず主人公の生き方・・・ガンジーが熟年に達してから本格的に自己犠牲に目覚めたのに対し、ロレンスの行動は若気の至りみたいなところが多分にあるし、(少なくとも作品中では)平気で暴力に訴えるという点、あるいはオックスフォード大学で考古学を専攻したアラブ通で軍人というよりもむしろ諜報部員だったロレンスの知性があまり描かれていない点、それから現在のアラブ世界の有様・・・民族自決(=民主主義)で及第点がつけられるのはエジプトくらいで残りの国々は最悪のイラクを始めとして「アラビアン・ナイトメア(悪夢)」の状態・・・でもこんなこと(特に後者)を映画の評価に加味することが妥当かどうかはわかりません。私個人の見方として理由付きでこのままにしておくと思います。ロレンスとアリとの衝撃的な出会い、「外国人は自分の井戸の水を飲んでもいいが、(先祖代々対立してきた)他部族の者には一滴たりとも飲ませない。」というアリの台詞が現在のアラブ世界の状況を語っています。さて、このアリ役として当初アラン・ドロンだったそうですが、眼の色のせいでどうメイクをしてもアラブ人に見えないので現地の俳優オマル・シャリフが選ばれたそうです。中近東出身の人に向かって以前、「オマル・シャリフって何?」と聞いて呆れられたことがありますが彼はアラブ世界では三船敏郎のような存在で、欧米の映画に民族を代表する役として出演した点は「ラスト・サムライ」の渡辺謙と同じです。アラン・ドロンのアリなんて想像もつかないほど役にはまって、いい味を出していますよね。 7点(2004-04-19 23:10:13) |
17. 愛のイエントル
どうせフィクションなのだからどうでもいいと思うのも結構ですが、アビグダーや周囲の人間がイェントルの男装を見破っているのかいないのかがわからず、「ここで見破ったんじゃないかな・・・。」なんていろいろ想像するのが面白いと思います。裸で川に飛び込んで「君もやれよ・・・。」と挑発したりするのは、学問はしっかり身につけているのにひげも生えていない成長不全でひ弱(?)なイェントルをからかっているのか、あるいは正体を見破った上で困らせているのかのどちらともとれますよね?結婚の件にしても「ここまでやればさすがに正体を白状するのでは・・・。」と考えて提案しているような気がします。建前の上では女は学問をやってはいけない時代だったけれど、本人が完全に男として扱われるよう学問に励み、周囲も男として扱っている分には実害はないわけだし・・・。ユーモアたっぷりでしかも守るべき節度はきちんと守るアビグダーは私が抱くユダヤ人の男性のイメージにぴったりです。東欧の美しい風景とユダヤ人男性の黒づくめの服が対照的で美しく、バーブラの歌も子供の頃から歌っているだけあってすばらしいです。ミュージカルに私がつける最高点の8点を献上。 8点(2004-04-11 09:53:16) |
18. アラバマ物語
《ネタバレ》 フィンチ弁護士を演じたグレゴリー・ペックの威容と言っていいほどの貫禄と父親としての温かみが素晴らしかったです。フィンチ弁護士の論理は作品中で見る限り完璧だと思います。幼いスカウトは裁判の内容や父の論理を理解できるような年齢ではありませんが、それでも父親の正しさと勇気には触れることができ、また、努力にも関わらず敗北を喫した父親に黒人席全員が立ち上がって敬意を表したことで、きっと真の正義の観念が心に植え付けられたことでしょう。ただ、「誰かが汚い仕事をしなければいけないの。それがお父さんの役目だったの。」と兄妹に語った女性の言葉には納得できませんし、少なくともスカウトは納得していません。アメリカで今でも人気のある小説”To Kill Mocking Bird”の日本語の題名が「アラバマ物語」だということをこのサイトで知り、すぐに近所の図書館でビデオを借りてきました。子供のころ両親が購読していた「暮らしの手帳」の自社広告で、”つなぎ”を着たスカウトの写真と「貧困と無知のせいで強姦犯人にされた黒人が云々・・・。」という説明が全く一致しなかったせいで「アラバマ物語」のタイトルが印象に残り(「強姦」なんて言葉、当時理解していたのかどうか・・・?)、昨年グレゴリー・ペックが亡くなった際、彼が主演だった名作の一つとして紹介されたことで”To Kill Mocking Bird”に関心を持ちました。刑事がフィンチ弁護士に恨みを持つボブ・イーウェルが自殺したと知らせに来て、スカウトが「モッキング・バードを殺しちゃいけないんでしょう。」と父親に言うラスト近くのやりとりで誰がジェムに怪我をさせ誰が兄妹を救ったのかわかりますが、原作にはないスカウトの台詞は8歳にしてはちょっとかしこ過ぎるのではないでしょうか・・・。それにしても、フィンチ弁護士が言うとおり、人を見かけや噂だけで判断するのは間違っています。 9点(2004-03-13 07:15:53) |
19. アマデウス
トム・ハルス演じる世渡りは下手だけれども子供っぽくて純真そのもののモーツアルト、そしてエイブラハムが演じる俗物根性丸出しでモーツアルトの才能に嫉妬する憎らしいおっさんのサリエリ、この二人の対比をネビル・マリナー指揮のモーツアルトの音楽をバックにたっぷりエンジョイしました。他のみなさんのコメントを拝見するとモーツアルトの肩を持つ人、サリエリを支持する人、中立派などに分けられるようです。この作品に限って、見た人それぞれがどの派閥に属するかを人気投票形式で調査してみると面白いでしょうね。私は完全にモーツアルト派で、作中で私に一番近い登場人物はサリエリの音楽のレッスンを受けながら「モーツアルトさんの自作で監督と指揮も自分でやるオペラのオーディションを受けたいんですけれど、どうしたらいいのでしょう?」なんて意味のことを口走り、サリエリの心中が煮えたぎっているのを知っていても知らなくても「だってモーツアルトさんは音楽は素敵だしハンサムだし・・・。(これは私が作ったセリフ)」なんて言ってきゃあきゃあ騒ぐミーハー歌手のカテリーナです。この映画を見てモーツアルトを本当に(そしてミーハー的に)好きになりました。 アカデミー賞主演男優賞に一作品で二人(モーツアルト役とサリエリ役)が揃ってノミネートされるなんて異例だと思うし、サリエリ役の受賞がちょっと皮肉(といおうかあの世にいるサリエリに対するほんの少しばかりの慰め)ですね。 10点(2004-02-23 05:51:09)(良:1票) |
20. アポロ13
太古の昔から人間は手の延長として道具を使い、自然に存在する電気を道具を動かすパワーとして利用する術を習得し、海を航行するために船や潜水艦を作り、空を飛ぶために飛行機を開発しました。なぜこのようなことをわざわざ書くかというと、地球上の他の生物には与えられてない頭脳によって次々といろんな夢を実現していくにもかかわらず人間は神ではないということを肝に銘じる必要があると思うからです。私は宗教とは無縁ですが、飛行機事故で死んだら天国で一番いいところに行けると信じています。飛行機事故はその発生確率の低さもさることながら、人間の技術力の現時点における限界と新たな挑戦の可能性を示してくれるからです。さて、映画の中でトム・ハンクスが演じる主人公はまさか自分の時に限って宇宙船がトラブルを起こすとは考えてもみませんでした。でもNASAの技術力をもってしても予想できなかった事故が発生します。ローマ法王を始めとした全世界からの祈りの声、「これが乗組員が持っている全てだ」と、テーブルの上に船内にあるのと同じ種々雑多な器具などを山積みし、それらの組み合わせによって宇宙船内の二酸化炭素過多を解消する方法を知恵を寄せ集めて考え出した地上スタッフ(エド・ハリスなど)の努力、そして三人の乗組員を含めたすべての関係者の勇気と知恵を神様が認めたのか三人は生還することができました。「はしか感染」の疑いでメンバーからはずされた宇宙飛行士(ゲイリー・シニーズ)が帰還した三人に向かって無線で「Welcome Home!」と呼びかける場面では改めて、地球は60億の人類全員にとって安心して住める家なんだな、と感じさせられます。月着陸の失敗と宇宙飛行士の奇跡的帰還というこのアポロ13号のエピソードは永久に語り継がれるべきです。以後、私たちはさらに二機のスペース・シャトルと十数名に上る宇宙飛行士・科学者を失いましたが、この映画を見て私たち人類の力の限界、そして進歩と挑戦の継続という人類の宿命的課題に改めて厳粛な思いを巡らしてみてはどうでしょう 10点(2004-02-01 13:44:42)(良:5票) |