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1.  アゲイン/明日への誓い
サイゴンが主たる舞台だが、どこかで中国返還時の香港を重ねているような気がする。あるいはそう見てしまうのは、天安門事件後のあちらの映画にそう構えてしまうこちらのせいでもある。冒頭の学生デモシーンに異様に熱が入って感じられた。話の中身は男2・女1の友情と愛情の絡みにドンパチが重なるという、いつもの感じ。スローモーションはちょっと使い過ぎたが、窓から飛び出して看板を滑り落ちる、なんてのをもっとやってほしい。主人公たちと、悪の組織・軍・戦争などがうまくつながってないので「ドンパチごっこ」の感じがしちゃう。波瀾万丈のようでいて、印象は淡泊。穴を通した光があちこちに散る。最後、民衆を振り切ってヘリコプターに乗り込むところは凄味。
[映画館(字幕)] 6点(2014-03-14 09:53:09)
2.  悪魔の手毬唄(1977)
これが白石加代子の映画デビューだとずっと思い込んでたが、今確認したらこの前に「さそり」シリーズの一本で出てるのね。なんか「王女メディア」を連想させるような凄まじい役で、見てないけど彼女の狂気演技が想像できる。で本作だが、当時私は動いて演技をする彼女を見るのが初めてだったので、おそるおそる期待とともに観賞した記憶がある。雰囲気充満だけど、意外におとなしい印象。「白石加代子」を突出させず、崑さんの作り物の世界にピタリはめた、と感じた。日本的怨念をジワッと過剰に滲ませる人で、崑さんがもっぱら日本的な装置にバタ臭い女優(岸恵子とか草笛光子とか)を配置する趣味なのに、さらに逆の方向からアクセントを一つ加えてアンサンブルに厚みを出している。草笛光子はこのシリーズを通しての助演女優賞ものだと思っているのだが、おどろおどろしい日本的情念の世界に和服の草笛光子を配置すると、全体の「作り物」感が際立つ。そこにさらに背景であったおどろおどろしさいっぱいの白石加代子を置くと、調味料に砂糖と塩を混ぜて入れたようで、コクが出るんですな。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2014-03-01 09:20:08)
3.  あんなに愛しあったのに
飛び込み台の上で男が止まっている間に、すべてが語られる物語。止まって動かなくなると、何も聞こえなくなる趣向、ってのがあるの。そして登場する人たちがローマから出たがらない、ってのもある。だから戦後ローマ史でもある。あとブーフーウーみたいな童話の「3兄弟ものパターン」もあって、長男次男は金持ちであったりインテリであったりするけど家庭を失い、プロレタリアートの実直な末っ子は幸福な家庭を持ちましたとさ、って。そういったブーフーウーのパターンに寄りかかり過ぎたのが、若干弱点にも思える。「落伍者は物知り顔になる」なんてすごいセリフもあった。イタリア女性であるヒロインの25年後はもっと太ってるんじゃないか。まあイタリアお得意の微苦笑の世界です。4分写真で泣き顔になっていくとこ。お肉を吊るすギャグ。ブルジョワ家庭のガレージから車がどんどん出てくるとこ。などが印象的。
[映画館(字幕)] 7点(2014-02-05 09:43:32)
4.  あさき夢みし
これは本当に美しい映画だった。スクリーンでなければ味わえないぎりぎりの暗さの美で、のちにDVDで再見したら全然違う映画のようになってたので、ここでは映画館で観たときの記録で書く。今様伝授の場。花ノ本寿と東野孝彦の烏帽子のシルエットのゆがみとか、ピン送りによる枝の撮影、膨らんだり縮んだりする感じ。外の宴の画面の上半分のにじみ。湖面のさざなみ。それを断ち切る舟の漕ぎ渡ったあと。こう書いていくと神経質っぽい映画と思われるかもしれないが、そういった神経質っぽい画像を塗り重ねることで、中世の宮廷の脱力感が出たように思う。勃興しつつある民衆の圧力への憧れもあるが、いまさら宮廷を飛び出す意志もない公家たち。その淀み切った気分が見事に美としてスクリーンに満ちた。志ん朝は定家のせがれをやっていた。偉大な父の跡取りの役。
[映画館(邦画)] 8点(2013-12-19 09:17:45)
5.  アタメ
オレンジとブルーのへんてこりんな色の組み合わされる世界。そのようにへんてこりんに進んでハッピーエンドになるってのがすごい。『コレクター』のように主人公の不気味さを見せ付けるのではなく、作者は主人公の夢を完成させてやるの。ヒロインの恐怖には関心がなく、主人公の愛の情熱に加担していく。彼の夢は「家庭を作りたい」が第一で、「女がほしい」じゃないんだよね。良き父親になりたいの。処方箋を書いてもらうとこで、子どもをあやしたりする。彼、孤独なんだけど「おれは孤独なんだっ」ってたぐいの自己憐憫がまったく感じられない。「おれは今一人だ、だから家庭を作ろう、そうだ、あの女優がいい」と論理的に・しかしあくまで一次方程式の単純さでつながっていく。縛らなくたっていいとおもうんだけど、情熱を表現したいのかな。歩く人の中をツーッと滑っていく人がいる、あの奇妙な感じ、けっこうこの監督のタッチと合っている。姉の歌とバックコーラスもいい。「この主人公、愛することに不器用で」ってんじゃなく、「愛ってこういうもんでしょ」と作者は確信しているみたい。困ったものである。
[映画館(字幕)] 7点(2013-12-14 09:59:24)
6.  ああ爆弾 《ネタバレ》 
私はこれが喜八で一番好きな作品。どういう組み合わせだったのか安部公房/勅使河原宏の『おとし穴』との二本立てで名画座で見た(次の週には『下町の太陽』と『気違い部落』の二本立て見てる。名画座文化の良かったのは二本立て制度で、ついでに見たもう一本で世界がどんどん広がっていったことだ)。今思っても、喜八監督のリズム感が全開した名作ではないだろうか。ドンツク・ドンツク・ポッポーなんてたまらない。砂塚秀夫や中谷一郎など常連が生き生きしており、ミュージカル合戦にもなっていて、和ものとあちらものが対決する。とりわけ和ものの使い方が秀逸で(邦楽ミュージカルってあんまりないから)、勧進帳の「毒蛇の口を逃れたる」がバキュームカーのホースになぞらえられたりする。三百万三百万と心の声が呟いたり、ドンツク・ドンドン・ツクツクに合わせて体が起きてきたり、楽団員がみな眼帯してたり、私の趣味がカタヨッていったのに、大きく影響した作品だったなあ。
[映画館(邦画)] 9点(2013-11-30 09:38:07)
7.  明りを灯す人
ほのぼのした映画の線かと思っていた。たしかにおおむねそうなのだが、政治の混乱期のドラマなのだった。アカーエフ独裁政権が崩壊したあとのキルギス。当時一応日本でも報じられていた記憶はあるが、「独裁者」の風貌がモロに日本人だなあといった感想しか持たなかった。イラクは独裁者が消えたあと、混乱に突入した。こちらは都市部ではワイワイやってるようだが本作の舞台となった村ではのどか。電気のメーターを操作した罪で捕らえられていた主人公が、政権崩壊で釈放されたくらい。と思ってると、底のほうでは動いていた。やり手の男が村を牛耳りだし、親戚のおとなしい男(妻は赤旗なびかせたトラックに乗って出奔してしまう)を次の村長に押したて、中国の土地開発団を呼んだりしている。そういった動きの気配に合わないものを感じていく主人公の困惑、といった話で「ほのぼの」では終わらない。そしてこういう「転換か否か」という話は、変革期の国では(日本の幕末維新期もそうだったが)どこでも起こってきた。主人公は子どもがみな娘で息子がいないのを気に病んでいる昔風の男、でも電気技術者である彼を尊敬しているらしい男の子がいつもそばをチョロチョロしている。電信柱に乗っているときマッチを投げ上げてくれと頼むと、中に小石を入れて風に飛ばないように工夫してくれる賢い子。後にこの子が(だと思うんだけど、顔をよく識別できない)木に上って降りられなくなり主人公が助けにいく。山の向こうを見たかったと言う少年。この地方の希望がじんわい感じられるいいシーンだった。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-11-29 09:04:55)
8.  アラクノフォビア 《ネタバレ》 
南の異国から来た邪悪なものが、スモールタウンを恐怖に落とし入れる。まずその蜘蛛の来訪が順々に描かれていて楽しい。最初の犠牲者の棺に付いてきて、ここから出るとき画面の隅で見せるの。瞬間だけチョロッと。烏に運ばれたりして、幼年時の体験のせいで蜘蛛恐怖症になっている医者の新居に到着するわけ。医者もそこの新入りで、ワザワイと一緒にされる。蜘蛛だから壁を這ったり二次元的な行動かと思うと、糸に伝わって三次元的に現われたりもする。ぴょんと飛び掛ったり。屋上パーティで紙コップが動くのなんかもいい。「最近コオロギが鳴きませんなあ」なんて会話も補強する。あわやの瞬間に踏まれちゃうなんてフェイントもある。田園讃歌・田舎讃歌をコケにしているようなスタンスがいいですね。地震があってもサンフランシスコのほうがいい、って。最後倒れたワインが蜘蛛の糸のように流れるのも粋。
[映画館(字幕)] 8点(2013-11-03 09:24:58)
9.  明日の記憶
やはり映画はどうしても三人称なのだ。それだって文章で読む一人称的な「当人」意識を映画で作ることは不可能だ。そこにキモがある原作を映画化するんだから、スターと時点で困難な計画だったのは分かってしまっていた。意外と良かったのは、及川光博の喋り方。患者が医者という測定者に抱く曖昧な畏れが感じられた。あとは渋谷で迷子になるあたりか。一人称の当事者感は出せなかったが、三人称の「彼」の話として身に迫った。退社でみんなが来るとこは(たしか原作にはなかった)、クサいなあと思いつつホロッとしてしまうのが悔しい。一人称でなくしたぶん、主婦の立場を加えられ、樋口可南子の泣き笑いっていいんだ。
[DVD(邦画)] 6点(2013-10-17 09:26:19)
10.  ある子供
いつものぶっきらぼうな・人物にしか興味を示さないカメラワークは同じで、主人公が盗んだ箱を河に投げりゃ、カメラは箱を追いたくなるだろうに、投げた当人から離れない。箱を追わない。やたらカメラを振り回されるよりは嬉しい。救いようのない奴に救いはあるのか、という話で、ブニュエルの『忘れられた人々』に比べると詰めが甘いようにも思えたが、重いテーマではある。子供を売ったら妻にダメージがいくか、なんて考えっこない人物。弟分とオナラしたとかじゃれ合ってるのが似合いの人物。そいつが冷たい水に漬かって、弱って、逃げないでとか言われて、変化したのか。ワルに毎週金せびられるのに疲れ切ってもいた。分かりやすい理由は与えてくれない。ただぶっきらぼうなカメラが見たものだけを提示される。淡々と警察署へ面会に行くあたり、いい。
[DVD(字幕)] 7点(2013-10-06 09:16:03)
11.  アンボンで何が裁かれたか
ジュネーブ条約ってのがそもそも変なものだと思うべきで、それは戦争ってものの「変」につながっている。将校は労役につかせてはいけない、なんて格差にこそ戦争の本質があるんじゃないか。『戦争にかける橋』も、けっこうそこにこだわってたし、欧米人にとっては日本の野蛮のポイントだったらしい。そしてそのしわ寄せが一般兵士に行っちゃう図式。自首してきたクリスチャンの好青年を裁かねばならなくなる不条理。ただ図式がきれいに浮かびすぎたきらいはありました。イケウチのふてぶてしさこそが、あちらの人が見る日本人の典型なんでしょう。やはり切腹は出ちゃいました。怨みつらみを述べずに従容と死についていく、あれも分かりやすい日本人の姿。うねりに欠けた作品だし、分かりやすく簡単に整理しすぎちゃった気もするが、理解しようとする姿勢は認めます。
[映画館(字幕)] 6点(2013-09-16 09:20:08)
12.  愛がこわれるとき 《ネタバレ》 
だんだんと旦那がパラノイアと分かってくるあたりがいい。いかにも楽しげな新婚生活。服の汚れを謝るのも微笑ましい。と思っていると、タオルの掛け方から缶詰の向きとか、潔癖の過剰さが露わになってくる。嫉妬狂を扱ったブニュエルの『エル』を思い出す。マニアっていいんだな。どうしても旦那のほうに肩入れして見てしまうんだけど「幻想交響曲」を流すってのはつまんなかった。ヒロインが海に消えてからは、視点が代わる。ここらへんからは旦那とヒロインとの知恵比べとなる。男装させたり舞台衣装つけて踊ったり、いささかプロモーションフィルム的でダラケた。愛する妻を見つけた夫が、タオルを揃えたり缶詰を整頓したりしてるとこを想像するとおかしい。何も殺さなくてもいいとおもいません? 愛ゆえの襲撃者は怖い。愛を捧げ尽くした男の物語。
[映画館(字幕)] 6点(2013-09-06 09:54:56)
13.  秋のミルク
ドイツ版「おしん」。でもドイツは厳しい。旦那の叔母さんてのが憎々しいいじめ役で、この人ラスト近くで「ごくろうさんだったね」という一言があって和解する感動の一幕が来るぞ、と思ってたら、なかった。旦那に追い出されて終わり。グリムに出てくる悪いおばあさんだった。ヒロインがだんだんたくましくなっていく物語。母の死を回想し、これからはお前が母親だ、という言葉を思い起こすと奮起する。ナチの高官にも食ってかかる。政治的反感ではなく、生活レベルでの・自分の人生を良くしようとする態度。これは強い。ナチズム下の一般大衆の描写。外に高官が来てみんなが敬礼しているときに主人公がケーキなんか食べてると、店のおばさんが非難がましくヒットラーの演説流してるラジオの音量を上げる。ドイツ農家の暮らしってのが分かって、男や老人が威張ってるのは日本「おしん」と似てる。カッコーワルツのひなびた味わい。ちょっと愚痴っぽかったけど、愚痴のない庶民の暮らしなんて古今東西なかっただろう。
[映画館(字幕)] 6点(2013-08-28 09:33:39)
14.  アンディ・ウォーホル/スーパースター
スーパースターってのは、ウォーホルの造語だったそうだ。なんか意味が違ってきてる。今はスターの中のスターって感じだけど、この人のは、スターを超えて、って感じ。ウォーホルのドキュメンタリー映画。この人の表情はヤク中だとばかり思ってたけど、ああいう表情で防御しなければならない立場に自分を追い詰めていった、って感じもある。自分から大衆=マスコミと関係を持ち続け、彼らがそうしてほしがる「微笑」の対極へ対極へ押されて行っちゃった、っていうのか。微笑も駄目だが奇人を装うことも陳腐になってしまう、そういう恐ろしい時代を、彼も加担して作ってしまったのだ。芸術家は奇人を装って大衆から隠れていればよかった、たとえばダリなんかの時代はまだ牧歌的だった。家族とファクトリーの連中とは会わせなかった、っていうとこ、なんか痛ましい。
[映画館(字幕)] 6点(2013-05-28 09:57:55)
15.  アマデウス
舞台だと日本人が日本語であちらの芝居をやってても気にならないのに、映画だと同じ西洋人がやってるのにヨーロッパ言語であるべきところが英語だと気になってしまうことがある(気にならないときもあるんだ)。フィルムの記録性に対する信頼がどこかに残ってるのかなあ。本作のモーツァルトやコンスタンツェのしぐさや口跡なんか、意図してアメリカ風にしてたんじゃないか(『ヘアー』のヒッピー?)。現代アメリカとの対比みたいな狙い。亡命者の視線がどうしても出てしまい、それが作品をややしぼめていた気がする。「神の悪意」というテーマだけで面白いんだから。サリエリを少年時代から回顧したのは良く、モーツァルトの楽譜を見たときのショックが生きた。面白かったところ。医師がアイネクライネをサリエリの作曲かと思ってホッとして口ずさむとこ。空中ブランコや馬が壁破って出てくる「ドン・ジョバンニ」の舞台。俗と聖の関係を一番単純にやってたのは、義母ががみがみ怒鳴ってるのが「魔笛」の夜の女王のアリアになっていくところ。精神病院好きの監督だ。今回は神による拘禁からの自由ということか。
[映画館(字幕)] 7点(2013-05-10 09:57:46)
16.  愛に関する短いフィルム
愛というよりも、恋うこと。窓と窓との距離を往復する互いの関心。限度を越えて関心を持ってしまうこと。見てるだけじゃなく、電話機を通して関わる。見てるだけじゃ我慢できなくて、自分を隠したまま、自分が彼女に作用しているところを見たがる(まるで『裏窓』だね)。次に慰めたくなり、ともう隠れていられないから、出てっちゃう。女のほうは「見せる」のね。ベッドを動かして。そうやって関わりあったものの、「キスしたいの? 寝たいの?」に答えられない青年。だって彼の頭にあるのは「関心」なのであって、一緒にアイスクリーム食べられりゃそれでいい。愛とは覗き合うことなのか、窓と窓との距離がないと、愛は生まれないのか。
[映画館(字幕)] 7点(2013-04-21 09:48:58)
17.  あかね雲
水上文学の世界ってのは微妙でして、演歌的な愚痴の詠嘆にもなり得る危険性があるが、正確に社会批評の部分を突いて映画化されると、いい画になるものを含んでいる。自分を利用する男に感謝し続けるヒロイン、後半にいくにつれ脱走兵・小杉と出会ったのは幸せだったのではないか、とふと思わされ、そこに貧困の問題が大きく浮かび上がってくるの。世間の良識としての小川真由美が存在して、この苦労を積んだ上での批評が、こちらのカップルを刺激し続ける。それが男社会の批評にもなっている。これに対応するように小杉さんも疚しさを感じ続けるのだけど。夕焼けだけ朱になる趣向。親から十円借りるあたりホロッときた。山崎努が缶詰のシールを貼っている薄暗さに、脱走兵の不安が重なる。脱走兵と女の物語は、後にもう一度水上文学の映画化『はなれ瞽女おりん』で美しく繰り返される。
[映画館(邦画)] 6点(2013-04-19 10:26:27)
18.  浅草の灯(1937)
人間模様もの。昭和初期が大正を回顧しているのを現在の私(昭和末期でしたが)が見るんだから、ちょっとややこしい。映画製作時の彼らが抱いた懐かしさと、映画製作時への私の興味が複合して。娯楽の中心が銀座へ移ってしまった時代に、大正の娯楽の中心だった浅草を描いてるの。もっと風俗が織り込まれてるかと思ったが、大震災で壊れた十二階の内部がセットで見られたぐらい。ちょっと乱歩っぽい。肺病男が、伝染るといけないからとひげをあたってもらうのを断わって皆に歌を歌ってくれと言うあたり、浅草の滅びそのものが重なっているのか。杉村春子が歌って踊ります。島津監督としてはほかの代表作より若干劣るかと見えたのは、単純に高峰三枝子がヒロインだったせいかもなあ。
[映画館(邦画)] 6点(2013-03-16 10:08:33)
19.  あの夏、いちばん静かな海。
恋愛ものに特有の「気分の波立ち」は描かれない。言葉の必要のないカップルとして登場し、あとは恋愛の安定した幸福感を描き続け、しかし実は男は少しずつ海に吸い寄せられていっていた、ってな話。耳の聞こえない恋人同士ってのがよく、『非情城市』をちょっと思い出したが、さらに遠くサイレント映画時代の恋人同士にも通じていたか。Tシャツを畳むだけで幸せな恋人。人が通過した後の風景をしばらく押さえておく余韻の効果がよく、視線と対象との間の距離をちゃんとわきまえてますよ、という礼儀正しさを感じる。対象を追いすぎないで、ちょっと目をそらしたり伏せたりしてる感じ。サーフィン大会で男が呼び出しに応じられないところで、本作で唯一障害がクローズアップされ、それだけに効果満点。静かに仲間外れにされてしまう。そこには悪意さえもない。こういう角度から障害者の痛みを描けたのが発見。その後もこの監督はしばしば障害者を画面に登場させるが、本作が最初だろうか。
[映画館(邦画)] 8点(2013-03-01 12:31:29)
20.  あなたに恋のリフレイン 《ネタバレ》 
アレック・ボールドウィンのラヴストーリーなんて、あんまり期待しないで見たんだけど、これがいいの。ボールドウィン君は「遅れてきた二枚目」って感じで、先はないなあと思ってたが、こういう活路があったのか。プレイボーイのお坊ちゃんで、ラスト落ちぶれてぼんやりと・しかし夢心地でキム・ベイシンガーを見てるとこなんか、いい感じ出てました。粋な小噺。結婚離婚を繰り返す腐れ縁の話。上り坂下り坂ですれ違い続ける。けっきょくこの二人は「合ってるんだ」。愛って不思議。ニール・サイモンの本は練れていて、「銃で脅されたもんで」というせりふが後で「今度は大砲で脅されたのかね」と生きたり、病床の父にキムが会いに行ったところはかなり笑った。キムがちょっとトイレに立ったすきに意識を戻して「嫁は、嫁は」と言って、彼女が戻ったと途端にパタンと死んじゃうの。ラヴストーリーは二人の間のいい感じを描くのが大事で、それがちゃんと出来てました。小道具としての指輪もいい。歌詞の訳が付かなかったのが残念。
[映画館(字幕)] 8点(2013-02-26 09:38:57)
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