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1.  青いパパイヤの香り 《ネタバレ》 
自然や宇宙原理に則った生き方が幸福であるという老荘思想の「タオ(道)」の生き方を示した映画。タオでは、流れに逆らわない、自分や他人と争わない、無理に満たされようとしない、無為自然に生きる、何かに成ろうとせず自分らしさに任せる等と説く。人間の本来の生き方や幸福のあり方が主題である。物語に大きな波紋はなく、生命感溢れる自然の映像と共に、ゆったりと時間が流れる。観客は何も考えず、映像に心を委ねていればよい。布屋の奉公人に出された少女ムイの物語。裕福で、三人の子宝に恵まれ、一見して幸せそうな家庭だが、いくつかの問題を抱えている。夫は愛人を作って家を出る性癖がある。妻は最愛の娘を死なせたことに悔悟の念を抱いている。老母は亡き夫の供養にかまけて籠りっきりだ。長男は家に居つかない。ある日、夫が有り金を持って家を出て、一家に暗雲が立ち込める。老母は嫁を責め、妻は自分を責め、子供達は不満を募らせる。タオから外れた生き方だ。タオの生き方をする人もいる。一人はムイの先輩の奉公人だ。彼女は文句ひとつ言わず、何十年も同じ家に奉公している。布屋が経済的に困窮し、給金が貰えなくても出て行かない。もう一人は若い頃から老母に恋焦がれている老人だ。彼は老母に会わず、老母の存命を遠くから確認するだけで満足している。彼女の人生に一歩も踏みこまず、それでいて老母の幸福が彼の幸福なのだ。イオは二人を見習って成長した。彼女は新しい奉公先の青年に恋心を抱いているが、その気持ちを彼に伝えようとしないし、恋に悩むこともない。ただあるがまま、自分らしく自然に生きているのだ。最終的に青年は婚約者と別れてイオと結婚する。イオの生き方が道を開いたのだ。現代人の観点からすれば、彼女の生き方は受け身で、自主性に乏しく、魅力に欠けたものに映るだろう。しかし、タオの思想から見れば、流れに逆らわない自然な生き方なのだ。例え、彼女が青年と結婚できなかったとしても、相手の幸福を願いつつ、身近で働くのを幸せと感じるのである。自我を超越した生き方で、どんな小さなことにも喜びを感じられる。青いパパイヤは生命と性の象徴だ。蔓を切れば白い液が流れ、実には種が詰まっている。イオが種をつまみ出して水に浮かべるのは、母になりたいという願望の表現だ。そして最後場面では、子供を宿している。会話を排し、映像で語る映像演出が秀逸だ。考えるのではなく、感じる映画。
[映画館(吹替)] 8点(2015-01-13 04:56:55)(良:1票)
2.  アメリカン・ビューティー 《ネタバレ》 
【男】本来の自分を見失い、強い脱力感。中年の性に目覚め、昔の青春を取り戻したいと願う。筋トレとジョギングで鍛え、いやな仕事を辞めバイト生活。妄想と麻薬でハイ。あこがれていた車と無線カーを購入。家族に本音を話す。心の解放に成功したがその報酬は高くついた。娘と妻から憎まれ、挙句に死。 【妻】娘時代貧乏だったので、人一倍物質的豊かさにあこがれる。心の潤いをなくしセックスレス。常に成功のイメージを持つ。浮気を経験。家庭を壊す夫を殺そうとする。 【娘】会話のない家庭に嫌気。両親を憎む。自分を変えたいと思っている。思春期の情緒不安定、混乱。豊胸手術のお金を貯めている。自分を変えてくれる誰かを欲している。 【娘の恋人】ジャンキーでヤクの売人。ビデオマニア。死に美を感じる。死は神に近づく瞬間だから。父には従順。家を出る決意をする。娘の孤独さに魅かれる。 【大佐】DV親爺。ナチ崇拝者。ゲイを嫌うが、それは自分の中にゲイの素質があるのを抑圧しているため。息子をしごき育てようとする。 【大佐の妻】夫に従順なだけの生活で、生きる屍。 【娘の友】平凡が大嫌い。特別な自分でありたい。モデルを目指す。遊び人を気取っていた少女が実は処女だった。あるいは処女のふりをした。 【感想】死者が語る物語。死後は美のあふれた世界などと死の礼讃ともとれる。ゲイ、不倫、銃、麻薬、酒、暴力、セックスなどの混沌とした世の中、死だけが荘厳で美しく見えるのかもしれない。高度に発達した文明社会への批判。誰が主人公の男を殺すかというサスペンス仕立てにもなっている。冒頭の「父を殺して」と語る娘のビデオがミスリード。DV親爺による勘違い殺人のオチは納得いかない。播いた種は刈らねばならない方式でないと深みがない。アメリカン・ビューティは虚飾の象徴で、妻が庭に植え、食卓に飾ってあるもの。風に舞うビニール袋は自由な魂の象徴。人は失って初めて自分の持っていたものの価値に気づく。男は自分を「既に生きてない」「人生の敗残者」と思っていたが、自分の家庭、自分の人生は幸福なものであったと悟る。妻は夫を失って号泣。娘の友は処女を失いそうになり、初めて等身大の自分に戻る。娘はヤク中の男と家を去るだろうが、一緒になっても幸福にはなれない。大佐は刑務所行き。計算された映像や脚本はよく出来ていると思いますが、病的な部分が多いので好きになれません。
[DVD(字幕)] 8点(2010-06-09 23:31:28)(良:1票)
3.  アビス/完全版 《ネタバレ》 
海底エイリアンとの遭遇は取ってつけたようなもので、メインは、おバカ軍人の核弾頭に対する異常な行動とロシア人がいると勘違いしている海底への核攻撃の後始末。全くありえない話で、物語にのめり込めない。後半から海上の人間の様子が全く映らなくなり、ドラマに深みがない。サイド・ストーリーの離婚危機にある中年夫婦が愛を取り戻す話は、人間が描けてなく薄っぺら。「脚本入門」に書かれてあるような典型的な話で、退屈だ。クライマックスはいくつかある。最初は嵐でクレーンが落下する場面。次にリンジーが仮死状態から蘇生するところ。そしてバッドが深海に潜り、核弾頭処理をするところ。四つ目は海底エイリアンの都市に入るところ。五つ目は津波の場面。最後に海底都市が浮上する場面。いろいろありすぎて散漫になっている。エイリアンとのコンタクトに焦点を絞るならば愚かな軍人などいらないのだ。エイリアンの立場で考えてみる。彼らは人間が核実験するのに対して怒り、戦争を繰り返す人間性に失望した。そして原子力潜水艦を襲い、沈没させた。さらに嵐を起こし、核回収作業を邪魔した。最後に大津波を発生させたが、これは人類への警告の意味で、途中で止めた。止めたのはバッドとリンジーの愛のやり取りに感動し、人類を見直したから。彼らの本質は愛のようだ。だはなぜ潜水艦を襲ったのか?核弾頭を始末しないのか?謎が残る。影像はそこそこ見せるのだが、主題が古くて、陳腐で、どうしようもない。感動させるものがないのだ。リンジーが蘇生するところは心動かされるが、それは人間の命が戻ることへの感動であり、映画の感動ではない。バッドの自己犠牲も、深海3000メートルの核弾頭を解除する意味がよくわからないので、感動できない。放っておいてさして問題ではないだろう。危機に瀕しているとは思えないのだ。リンジーのキャラが魅力的ではないのも欠点。彼女がもっと超人的な活躍をしたり、夫を奇跡的に助けるのであればよくなっただろう。彼女は、わざわざ嵐の中をやって来た意味のだから、それなりに活躍の場がほしかった。観客は、主人公が悪党を懲らしめたり、危機から脱出するのに感動するわけで、愚かな行為の知り拭いや意味不明の核処理などには感動はしない。それにエド・ハリスの恋愛を誰が見たいか?冒険ものとしても、アクションものとしても失格。アビス(深淵)からは浮き上がれない映画だ。
[DVD(字幕)] 6点(2009-11-08 02:55:37)
4.  アンドリューNDR114 《ネタバレ》 
この映画は「死」を大切に扱っているだろうか?不死だから人間とは認めず、死ぬなら人間と認める。愚かしい!じゃあ死ぬように改良しよう。もっと愚かしい!愛する人(ロボット)が死んだから自分も死ぬ。それでいいんですか?それもロボットに生命維持装置を切らせて。そんなこと自分でやってください。ロボット3原則があるんです。死を受容することと、死ぬことは別のこと。リトルミスが亡くなるとき、木馬を持っていた。木馬はロボットが始めて独創性を発揮したもの。ミスはロボットを好きになり、最後までロボットの思い出を大切にし、充実した気持ちで死んでいった。これこそが命の輝きであり愛でしょう。ロボットは愛するものが去るのは耐えられないという。死を受容できず、ミスの充実した人生を認められないのだ。死に耐えられず、改良してどんどん人間に近づくが、最終的に死を選ぶのは皮肉だ。ロボットは人間らしく生きただろうか?様々な葛藤の中に喜怒哀楽があり、生の充実感があり、その先に死がある。死があるから人間ではない。どう生きるかが大切だ。ロボットに生殖器があっても、快感を得る道具で、生殖機能はない。土台人間にはなれない。どうして法律にこだわる?人間らしく生きることにこだわるべきではないのか?ひたすら改良しまくるロボットに、人間らしい安らかな死が訪れたといえるのか。無いものねだりをしているだけ。ロボットの死とは何か?あのロボットは本当に死んだのか?電子頭脳を取り出して、別の個体に納めれば生き返りませんか?そもそも人間とロボットの恋愛がなじまない。鉄腕アトムの恋人はロボットでいい。同じ仲間だから。どうして異質なものになりきろうとするのか?人間を植物にするのと同様に不可能。せめて誰にも好かれそうな好青年顔なら感情移入できるのに、あのおやじ顔じゃ無理。単なる変態ロボット。ところで映画のテーマは人間になりたかったロボットですが、現実にロボットが感情と自由を得たら人間になりたいと思うでしょうか?そうは思えないです。ロボットのほうが完璧だし、容易に改良できるし、不死だから。独自の文化と共同体を築くと思います。蛇足ですが、真にすごいのはあの技術屋。たった一人で機械を人間そっくりに改造してしまうのですから。天才です。 又一人暮らしのロボットがいたら、盗まれると考えたのは僕だけでしょうか?
[DVD(字幕)] 4点(2009-05-05 05:15:13)
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