1. 影の車
《ネタバレ》 中年に差し掛かろうとするサラリーマンの男(加藤剛)が電車に乗っている。電車を降りた彼はバスに乗り換えた。帰宅中のようだ。そんな彼に同世代とおぼしき女性(岩下志麻)が声をかける。 「あのう、失礼ですけども浜島さんじゃございません? 吉田でございます」。 男は浜島幸雄といい、新宿の旅行代理店で働いている。声をかけた女は小磯泰子(旧姓吉田)。二人とも子供の頃に千倉(現・南房総市)という漁師町に住んでいて顔見知りだった。たまたま二人とも同じ路線バスを使っていたのだった。 ある日、二人は同じようにバスに乗り合わせる。泰子は一緒に降りないかと言う。泰子の主人は4年前に亡くなっており、年季の入った小さめの小磯邸には、健一という6歳の息子がいた。夕食の鍋をつつきながら、話に花が咲く。 浜島は団地で妻と二人暮らしをしている。結婚して10年経つが子供はいない。妻は家で花の教室を開いており、家の中は花だらけだ。仕事に勤しむ妻の姿やしょっちゅうやってくる生徒のため、浜島は家に安らぎが感じられず、居場所もない。 お互いのそんな環境の中、どちらからともなく、半ば自然に惹かれあう浜島と泰子。やがて男女の関係となり、浜島は小磯邸を頻繁に訪れるようになるが、健一は何かを感じ取っているようだ。そして…。 本作の魅力は大きく分けて二つある。まずは巧みな設定が、最終的な悲劇に人間の業のようなものを感じさせるところ。それから、それを成立させているキャスティングだ。ここから順を追って述べていきたいと思う。 本作の特徴は、健一が浜島に懐かないばかりか、様々な嫌がらせを仕掛け、果ては刃まで向けてしまうところと、浜島がそれを強く責められないところだ。 なぜか。それは浜島に6歳の時の思い出があるからだ。実はかつての千倉で、母親と二人暮らしだった浜島の家を訪ねてくるおじがいた。時に土産を持ちながらも頻繁に訪れていたおじは、浜島の目を盗んで母親と抱き合っており、浜島はそれを見てしまっていたのだった。ある日、おじと海釣りに行った浜島は、ナタでおじの命綱をこっそり切ってしまった。海に落ちたおじは亡くなったが、浜島の行動は気付かれず、お咎めなしだったのだった。 そんな過去を持つ浜島には健一の気持ちや行動がよく分かるのだった。それでも健一の持つ斧が自分にまっすぐ向いていた朝、命の危険を感じた浜島は、ついに健一ともみ合いになり首を絞めた。こうして警察沙汰となり、二人の不倫は知られるところとなったのだった。 いずれは妻と離婚して泰子と一緒になろうと考えながらも、健一のことで心に葛藤を持っていた浜島に対して、泰子は一直線だ。健一が浜島に懐いているものと思い込み、それを疑う浜島に「あなたの錯覚よ」と答え、さらに「私たち、そんなに罪の深いことをしてるかしら」とも言う。最終的には泰子の方が積極的となっているのだ。この二人の認識の違いが悲劇となったのであろう。 でも、浜島を攻めることは出来ない。健気で一途な泰子――しかもあの岩下志麻なのだ――と関係が切れる男などいるものか! 閑話休題。ここまで書いてきたように、幼き過去に自分の嫌悪感を犯罪という形で断ち切った主人公が、今度は因果応報というべき形で断罪されているのだ。しかも、かつてと同じように、子供の行動は周りの大人(昔は村人、今は取り調べにあたっている刑事)には理解されず顧みられもしない。かけている眼鏡を手に持ち、悔しさのあまり手で握りつぶす浜島の、言葉では表せない種々の感情。それが本作の肝であろう。 あとはキャスティングだ。加藤剛の、男前な中に同居する、どことない線の細さと頼りなさ。岩下志麻の、仕事をしっかりこなしながら生活を支えるたくましさ、落ち着きの中に同居する可愛らしさと従順さ、そして大人の色気。どちらも作品世界の成立に十分に貢献している。加藤剛の妻を演じた小川真由美のパワフルさとサバサバした強さも同様だし、そして刑事役の芦田伸介である。人生の酸いも甘いも噛み分けてきたかのような深みの中に見える、職業的な嫌らしさと強情さには、憎らしさとともに強い説得力が存在するのだ。 このように、本作の内容にキャスティングがしっかり答えているところに、本作の企画陣やキャストの力量が見える。もちろん、脚本や監督についてもしかりである。 ところで、近年のTV報道を見ていると、不倫はとにかく激しく叩かれがちだ。当事者に近しい人物にとってはとうてい許されることではないが、そこには一言では説明できない家庭環境や過去が反映されている場合もあるかもしれないし、それをするしかない人も存在するのだろう。現実の不倫を肯定するものではないが、外部の人間はそれをおもんぱかるところからも人としての深みが熟成されていくのではないか。 [DVD(邦画)] 9点(2020-11-01 19:14:27) |
2. 風花(1959)
《ネタバレ》 一面に広がる田圃と遠くに見える山々の稜線が美しい信州・善光寺平(長野盆地)。ある屋敷から一人の花嫁が現れた。外には大勢の見送りがおり、離れた場所には立派な自動車が停まっている。 時を同じくして、屋敷から一人の若者が飛び出した。「捨雄!」。後を追う女性。捨雄は川で自殺しようとする。それを止めた女性は彼の母・春子だった。ここから話は19年前の戦時中に遡る…。 本作は、戦時中から戦後10数年後までの名倉家とそこに渦巻く人間模様を描く作品だ。戦時中、地主だった名倉家には若い息子が二人いた。長男・勝之は名家から嫁・たつ子をもらっており、その間には小さな娘のさくらがいる。次男は召集前日に恋人の春子と心中。次男は死に、春子だけが生き残った。そんな彼女のお腹には次男との間の子供がいた。春子は半ば隔離された状態で名倉家に住み、男の子を産む。春子は英一と名付けようとしたが、主の強之進が勝手に捨雄と名付けた上に届け出てしまった。踊りを教わるなどして大事に育てられるさくらに対して、捨雄は春子と共に厄介者として扱われる。それでもいとこ同士のさくらと捨雄は仲良しだった。 戦前は地主として裕福な名倉家だったが、戦後の農地改革で土地の殆どを失い、没落していく。 たつ子の実家からお金の工面してもらおうという話の中、癇癪を起こした強之進は倒れて死ぬ。母・トミは地主時代のプライドが捨てられず、古風な考えに固執し、家族の自由を許さない。女学生となったさくらの、男子学生を含むグループとの付き合いも禁ずる。一方で、没落した名倉家にはさくらの婿のきてもなく、跡取りが望めない。物語はこんな名倉家の悲劇とそこから垣間見える滑稽さを描きながら進んでいく。ここで言う悲劇とは、没落したとはいえ、ある程度の土地と建物を所有する一家が、それゆえに土地に縛られ、家に縛られる中、徐々に衰え、腐っていく過程である。 家から出たいと考えるさくらに、ついに結婚の話がやってくる。嫁にもらいたいという話で、さくらは望み通り家から出られることとなった。そして、それまで悪役然としていたトミが「これでやっと楽になる」と、名倉家を守る者としての責任からの解放を口にする。 ある日、さくらのところに女学生時代の友人・乾幸子が訪ねてくる。女学生時代のグループの一人だった幸子は昔話を始める。やがて「あなたは何も経験していない。私は色々経験している(大意)」。これまで謳歌した自由や、絵描きとの結婚への自慢じみた話に移行するが、最後に5,000円を貸してほしいと頼む。ここで監督は自由な生き方をことさら誇示する若者も揶揄したかったのだろうか。いきなり余談だが、丁度この時代が青春だった女性で、年を重ねた今も幸子のような慇懃無礼な話し方をする人がいる。あの話し方は、この時代の若者言葉だったのかもしれない。 ある日、大勢の前で踊りを披露するさくら(披露会?)。それを見た捨雄は「綺麗だ」と手紙を書く。捨雄はさくらに手紙を渡すつもりはなかったが、春子がお別れだからとそれを渡す。自分に対する捨雄の恋に気付くさくら。そして自分も捨雄が好きだったことを自覚する。結婚前夜に外で密会する二人。「これっきりよ」。二人は堅く抱き合う。 結婚当日。ここで冒頭シーンに戻る。さくらが嫁に行き、正式な跡継ぎがいなくなった名倉家。春子と捨雄は自由を求めるために家を出て、東京を目指すのであった…。 こうしてあらすじを辿っていくと、本作は運命に翻弄される一家を描き出したなかなかの力作と言える。映画としては比較的短い、78分という時間でこれだけのことを描き切ったのにも驚く。 だが、観た後の不思議な感慨は、本作の物語がようやく把握出来た中盤以降に芽生え始めた感情だ。正直、それまでは何をしているのかがさっぱり分からず、開始20分ほどで一度視聴を中断している。なぜ分からないのか。実は本作はやたらと回想が多く、「19年前」以外はテロップがない上にナレーションもないからだ。文字や言葉による説明の不在は、確かに本作にじんわりとした味わいを残してくれた。それでも、もう少し分かりやすい構成でも良かったのではないか。それとも、上映された昭和34年当時は、名倉家のような状況が鑑賞者の共通認識で、説明の必要がなかったのだろうか。 もしかしたら、僕自身が地主の悲劇という視点の物語を観たのはこれが初めてかもしれない。これまで考えなかった視点だが、当時はかつて小作人だった者たちが本作を観て溜飲を下げたり、いい気味だと思ったりしたのだろうか。 鬱屈とした内容を反映してか、豪華キャストだったにもかかわらず、作品自体を輝かせて引っ張る俳優・女優が存在しなかったのは残念だったが、これは仕方のないことかもしれない。 [DVD(邦画)] 7点(2020-09-04 17:02:44) |
3. かぐや姫の物語
《ネタバレ》 昔話は主人公の「個」よりも、シチュエーションを重視する。そしてこの映画は、テロップに脚本の名前はあるものの、昔話の竹取物語を忠実に劇場アニメにした印象がある。それゆえ、現代の映画を観る時の視点、つまりかぐや姫の心の移り変わりという視点から観ると、ついていけない場面が多々あり、観ているこちらの心が置き去りにされている感があった。観ている最中に思い出したのは、「太陽の王子 ホルスの大冒険」のヒロイン、ヒルダだ。その心から入れ込めないヒロインと、今回のかぐや姫は正しく一致。高畑監督の嗜好と竹取物語が一致したのだな、と興味深く思った。その一方、作画は全般に渡って見事。特に宴会の最中、月夜の中をひたすら山へ走り抜けるかぐや姫の作画は本当に見事だった。結論としては、純粋なエンターテインメントになりきっていない所を考えると、万人にお薦め出来るあ作品ではないかな。 [映画館(邦画)] 7点(2013-12-08 01:41:35)(良:1票) |
4. 借りぐらしのアリエッティ
《ネタバレ》 水の描写や音響、音楽は見事。ですがラストの、引越しをせざるを得なくなったアリエッティ達と、翔との別れのシーンには引っかかりを感じ、スッキリ出来ませんでした。そのシーンだけを抜き出せば、それなりに感動的なのですが、それまで様々な原因をつくったお互いが、とってつけたように涙でお別れをされてもねえ…。全体的なストーリーの構成に問題があるのではと思います。 [映画館(邦画)] 6点(2010-07-17 23:43:52) |
5. 崖の上のポニョ
「面白い」ではなく、「凄い!」の一言に尽きます。ストーリーはあって無いようなものですが、その一方で子供の視点から見た世界観を、手描きアニメーションの技術を駆使して見事に、そしてゴージャスに描ききっています。映画の隅々まで気を配った作りでない分、大人の視線で視る人達からは非難されそうですが、子供の心で観れば、充分に楽しめることは間違いありません。宮崎監督がまだこれほどの力技を持っていたことには、本当に驚かされます。また、耳に残る主題歌アレンジやオーケストラ、そして久石氏のおなじみなメロディーも聴ける音楽も素晴らしく良かったです。うちの子供はまだ小さいので映画館には連れて行けませんでしたが、DVD発売の折には是非親子で楽しみたいと思っています。 [映画館(邦画)] 8点(2008-07-20 00:32:14)(良:1票) |