1. クォ・ヴァディス(1951)
《ネタバレ》 2020年7月以降、当作品の投稿が続いたため、かつて観たことのある私も、デイスクをレンタルして再鑑賞の上、投稿しました。 当作品の鑑賞は、今回で3回目です。 1回目は高校生のとき、TVの深夜放送(吹替え版)でした。スパルタカス(1960年)も同時期に深夜放送し、両作品に出演していた俳優・ピーター・ユスティノフさんの吹替えも同じ人(後で確認しましたが、田中明夫さん)でした。当時はビデオレコーダーが無くタイムリーに観ましたが、スパルタカスと同様、最後まで引き込まれました。 題材は【皇帝ネロによるキリスト教徒迫害】でしたが、印象深かったのは、前述のピーター・ユスティノフさんが演じるネロの人物像でした。「僕ってすごいでしょ!天才だよね!」といった【幼児さんにありがちな“万能感”を抱いたままの未成熟な人物】のように描かれており…自分の考えた新たな街づくりを実現させるために市街を焼き払い、竪琴で自画自賛の歌をうたいながら、燃える街並みを、宮殿から高みの見物をする…その姿にゾッとしました。このような言わば【大人になり損ねたガキ】になった【経緯】は描かれていなかったものの「どうしてこんなガキを皇帝にしておくのか!」と高校生なりに憤ったものです(当時の私は授業で日本史を選択。世界史を選択した方々なら【経緯】は常識?)。 2回目は、社会人になり、レンタルビデオで鑑賞。このときは【ローマ市街の大火/ペテロの逆さ十字架/ガルバ将軍の軍団の行進】の場面のBGMに、後年の【ベン・ハー:1959年/キング・オブ・キングス:1961年】と似たメロディーが使われていると気付きました。私は当時『音楽担当のミクロス・ローザは、この作品からMGMの歴史劇大作に携わるようになり…その際、物語が展開した時代や現地の音楽を、調査・研究して作曲に臨んだ』と知っていたため「これが、ローザの歴史劇キャリアの原点だったんだ」と実感できました。 そして3回目は【今回】なわけですが…もともと2回目の鑑賞時から念頭にあり、今回、一層、強くなった思いがあります。それは「皇帝ネロの人物像にしろ、街を焼き払ったか否かにしろ、後世の研究では見解が違ってきており、当作品は“一解釈”にすぎないものの…いずれにせよ、キリスト教徒の【迫害】、というより【虐殺】を扱った物語であることに変わりがない。当作品が公開された1951年は、第2次世界大戦が終わってまだ6年足らず。原作の小説が書かれたのは19世紀末で、世界大戦が念頭にあろうはずはないが、当時の観客さん達は【キリスト教徒の虐殺】を【ナチスによるユダヤ人の虐殺】と少なからず重ね合わせながら観たのではないだろうか…」ということです。 当然、当時の観客さん達は【虐殺シーン】に“リアルな映像によるカタルシス”を望んだわけではないでしょう。特に【円形闘技場で、互いに身を寄せ合いながら祈るように歌い、その後、次々と命を奪われていく場面】では「強制収容所の人達も、きっと、このように祈りながら亡くなっていったに違いない…でも、このような悲しく恐ろしい時代は、きっと終わる…」と、客席で祈りながら観ていたのでは…と思わずにはいられません。【虐殺】の映像表現が“控えめ”というか【節度】のあるものになっているのは【当時の映画界の表現規制/技術的な限界】だけが理由では無いのでは…と思われます。 このように映像表現に【節度】があるため、若い世代の人達にお勧めするには不安があります。「もっと血みどろの迫害シーンを期待したのに…/猛獣に食い殺されるシーンにガッカリ。もっとリアルに首根っこを…」といった感想が並びそうで、私にはそのほうが、この映画以上に恐ろしい気がします。たとえ【映像しての迫力】という意味合いだとしても…。もしご覧になるなら、最低限【公開当時の時代背景】を念頭に…。もっとも、ディスクの特典映像では、私が推察したことへの直接的な言及は無く、他に色々な背景・状況があったようですけど…。また、当サイトのレビュアーさん達なら、上記のような感想は、お持ちにならないとは思いますが… 現在のアメリカ映画界はリメイク流行りですが、【迫力ある映像】が安易に【過激な残酷描写】に陥らないよう、もしリメイクする場合は慎重に…。 さて、採点ですが…【虐殺】を扱っているので、好きな作品には位置づけられませんが、熱演した役者さん達や、作り手の皆さんの労苦を察すると低得点にも…ということで、当サイトの採点基準である「出来としては良い」に則り、8点を献上します。 そして最後に…【〇〇教徒/〇〇人】といった括りに留まらず、現在の国際的な世相が【排他的】になってきている今日、【虐殺】で命を奪われる人達が現れないように…と願ってやみません。 [ブルーレイ(字幕)] 8点(2020-08-30 15:52:33)(良:1票) |