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プロフィール
コメント数 731
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自己紹介 奥さんと長男との3人家族。ただの映画好きオヤジです。

好きな映画はジョン・フォードのすべての映画です。

どうぞよろしくお願いします。


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人生いろいろ、映画もいろいろ。みんなちがって、みんないい。


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1.  ゲド戦記 《ネタバレ》 
映画がはじまってまもなく、信望厚い「偉大な王」が、息子である王子に刺される。王子は魔法で鍛えられたという剣を奪い、そのまま逃走してしまう。その後、王が死んだのかどうかは分からない。けれど、父王を刺した王子の年齢が、「17歳」であることを観客は知らされる・・・。  この、「父親殺し」と「17歳」という設定にこそ、監督・脚本の宮崎吾朗はおのれの“すべて”を賭けたのだな、と思う。誰からも尊敬される父親を持つ17歳の少年が、その父親を殺す。そして彼は、彼自身の心の闇から現れる「もうひとりの自分」の“影”におびえ、逃げ続けるという展開がたとえ原作にあったとしても(ちなみに、ぼくは未読です)、それは、この映画の作り手にとってはるかに切実な意味を持っているに違いない。もちろんそこに、宮崎駿という「偉大な父」を、その息子である吾朗監督が「殺す」というエディプス的な〈家族の物語〉を見出すことは簡単だろう。彼ら父子がいったいどういう「関係」だの「葛藤」を抱えてきたのか、それがこの作品にどういう“影”を落としているのかを推察するのも、興味深いのかもしれない。  が、この映画が本当にめざそうとしたのは、なぜ「17歳」の少年が「父親」を殺したか、なぜ「17歳」の少年は自分の“影”におびえ逃げ続けるのか、なぜ「17歳」の少年は命の価値を省みないのか・・・を、自らに問い、懸命に答えようとすることだったんじゃないだろうか。少なくとも吾朗監督は、その“自問自答”を、それだけをただ繰り返す。物語よりも、展開の妙よりも、「面白さ」よりも、その問いかけこそがこの映画の「すべて」なのだ、と言わんばかりに。  そこに、とりあえずの「答え」は可能でも、本質的な「答え」は不可能だろう。それは作り手たちにも自覚されていたはずだ。だから、“とりあえず”のかたちでしか終わり得なかった本作は、明らかに破綻しているし、「失敗」している。しかし、その“問い”の真摯さは、間違いなく本作の主人公の、そしてたぶん「宮崎吾朗」という作り手の抱える“心の闇”を共有する「17歳」たち(もちろんそれは、実際に17歳であるかどうかということでなく)の、心の最も深い場所に届くものだ・・・とぼくは信じる。その意味でこそ、ぼくはこの映画を断固支持したく思うのだ。  ・・・そう、「面白い」以上に大事なことが、映画にも、人生にも、きっとある。
[試写会(邦画)] 10点(2006-07-20 14:28:37)(良:13票)
2.  汚れなき悪戯
映画の初めの方で、主人公の男の子マルセリーノが、道ばたで架空の友だち「マニュエル」と遊ぶシーン。“マニュエル、それはね…”とか、“マニュエル、ほら…”とか言いながら独りで遊ぶそのマルセリーノの姿は、あまりにも無邪気で、無垢で、愛しくて、そして悲しくて、もう、涙なくしては見られなかった…。最後に見てからもう10年以上は経っているはずなのに、いまだこの映画(から受けた感動)はありありと鮮明に覚えている。それはきっと、この映画が、キャメラだの、構図だの、カット割りだのといったものにとらわれることなく、ただ「小さな奇蹟」をあるがままに物語ろうとした、その“てらいのない「純粋さ」”ゆえじゃないでしょうか。そんな眼差しの中でなら、たとえ屋根裏のキリスト像がマルセリーノの“相手”をしてあげるために動きだそうとも、ぼくたち観客は素直に納得させられてしまう。もはや宗教的な意図を越えて、このひとりぼっちの幼い男の子のために彼(キリスト)は“復活”したのだと納得させられる。そのために、この子が神の国へと召されることになっても、ひとりの「天使」がふたたび天上へと帰っていったのだと、たとえキリスト教とは何の関係もないぼくたちですら、素直に心打たれ、祝福できるのでしょう…。芸術であるとか、娯楽であるとかいったこと以上に、「映画」というメディアは、時に“この世で最も美しい何か”を現出するという「奇蹟」を実現してみせる。それを《神の顕現(エピファニー)》と言いうるのなら、ここにはまさしく「神」が宿っている。…にしても、「7歳までは神のうち」という箴言は、洋の東西を問わないんですね…。
10点(2004-03-05 12:56:53)(良:3票)
3.  軽蔑(1963)
公開当時はどうかしらないけど、今見ると、アンナ・カリーナとの離婚の危機を迎えていたゴダールのストレートな心情が、主人公のシナリオライターとその妻の姿に投影されていて、「正直(ナイーブ)な映画だなあ」と思わされなくもない。ゴダールとしては初の「大作」なのに、それでこんな私小説めいた映画を撮るなんざ、さすがだね。ただ、ジャック・パランス扮するプロデューサーをはじめ、いつものゴダールらしからぬ単なる類型的な人物像や、主題に対するツメの甘さがちぃと目につく感あり。ブリジット・バルドーは文句なしに魅力的であるんだが。
7点(2003-10-06 12:50:56)
4.  刑事ジョン・ブック/目撃者
傑作だとか、駄作だとか、そういうんじゃなくて、愛することができるか否か、こそが大切な作品じゃないでしょうか。そう、確かにアーミッシュというものの風俗的面白さを除けば、陳腐なストーリー展開でしかないのかもしれない。映画史に残る大傑作じゃ、お世辞にもないでしょう。けれど、何気ない人物の表情や、セリフ、ワンカットといった部分が、これほど心に残る映画もそうはないと思う。だからぼくは、この映画が大好きです。時々、いろんなことに疲れたら、いつもこの映画に帰ってきます。そして、心満たされるんです。 《追記》明け方間近の薄明のなか、ハリソン・フォードの主人公にヒロインのケリー・マクギリスが駆け寄り、抱擁し、キスをする。まさに情熱=受苦として“パッション”と、この愛が刹那と分かっている「大人」たちのどうしようもなさを同時に了解させるふたりの姿・・・。今でもぼくはあの場面を、アメリカ映画のなかで最も美しいラブシーンのひとつだと信じております。
[映画館(字幕)] 8点(2003-05-22 12:58:33)(良:1票)
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