1. 軽蔑(1963)
《ネタバレ》 まずモラヴィアの書いた原作小説がある。これは男女間の混沌とした感情を確かな筆致で描出した素晴らしい小説であったが、芸術観・人間観において驕りを見せる主人公をモラヴィアは否定するどころか擁護した、という重大な欠点がある。そしてその欠点を見事に解決したのがゴダールである。映画監督役にラングを起用することにより、主人公より上の境地に達している人物を配置でき、主人公の横暴さを包み込む役目を果たさせたのだ。ラングの「非論理が論理に反するのは論理的である」「死は結末となりえない」などといった台詞は主人公を、より上位の次元から絶えず牽制した。主人公の滑稽さを認めたゴダールはやはり信頼に値する映画監督だ。さらに、凄まじいまでの魅力を放つバルドー(その肉体、笑顔、瞳……!)や、愛の幕引きという軽石のように空虚な絶望を画面に定着させることに貢献した色彩と音楽には、手放しの賞賛を送りたい。そしてなによりゴダールの映像表現力だ。小説ではなく映画でなければならない、という必然性を感じさせるシーンの数々に思わず顔がほころぶ。映画の終盤、カミーユという魔性ともいえる女が死ぬ。「愛ある笑顔よ」と優しく笑うカミーユ。その直後「本当はもう愛してないの。もう無理なのよ」とカプリの断崖を思わせる拒絶を見せるカミーユ。しかしカミーユは魔性の女ではなく、自立した意識体系を持つ一人の人間にすぎない。それを理解できなかったのがピッコリ演じるポールである。最後に一言、ランボーの「永遠」はこの映画のラストにこそ挿入してほしかった! [DVD(字幕)] 8点(2012-12-06 21:56:02)(良:1票) |