1. ゴースト/ニューヨークの幻
《ネタバレ》 私がもっとも苦手としている「泣けるラブストーリー」として宣伝されていた上に、『ニューヨークの幻』という甘さ5割増しの邦題により敬遠してきた作品であり、これだけの大ヒット作ながら今の今まで見たことがなかったのですが、もうすぐAmazonプライムの無料配信が終わるということで「タダのうちに見ておくか」と鑑賞しました。 そしたらなんと良かったんですよ。決してラブストーリーに寄りすぎておらず、ドラマ・ミステリー・コメディがバランスよくブレンドされた作品であり、アイデアも豊富で非常によくできた作品だと思いました。早く言ってよぉって感じです。 オスカーを受賞した本作の脚本を書いたのはブルース・ジョエル・ルーベンであり、この人は人が死ぬ話ばかりを書く変わった脚本家なのですが、それだけこだわりを持っているジャンルだけあって本作には意表を突くようなアイデアがいくつもありました。幽霊って生身の人間よりも優位な存在として描かれることがほとんどなのですが、本作では声を伝えることも目の前のものを動かすこともできない非力な存在であるという逆転の発想で描かれています。かなり変わった切り口ではあるものの、幽霊という存在を突き詰めると本作の描写の方が理にかなっており、なかなかよく考えられているなぁと感心させられました。さらには、非力で為す術がなかった主人公が徐々に形勢を逆転させ、最終的には自らの死の黒幕を追い込む様には大変なカタルシスが宿っており、特異な設定と物語が見事に絡み合った上質な脚本となっています。 監督はジェリー・ザッカー。『フライング・ハイ』を監督したり『裸の銃を持つ男』シリーズの脚本を書いたりしてきた人物なのですが、これらの作品はすべての映画の中でももっともコテコテな部類に入るコメディであり、ドラマ要素や風刺要素が一切入ることなく、くだらない笑いを大量投下することで90分程度の上映時間を満たしているという作風に特徴がありました。そんな映画ばかり撮ってきた人物が突如として真面目な映画を手掛け、途中でふざけたりすることもなく安定的な演出力を披露していることにはかなりの意外性がありました。一応、ウーピー・ゴールドバーグが出てくるところだけは笑えるのですが、その笑いも従前の作品とは異質なタイプの笑いであり、そのキャリアで磨いてきたスキルをほとんど使わずに笑いを取りに行っているという監督の引き出しの多さには感心させられました。なお、本作の翌年に製作と脚本を担当した『裸の銃を持つ男PART2 1/2』では早速本作をパロディにしており、オリジナルとパロディの両方で儲けるという卒のなさには二重の意味で笑わされました。 主要登場人物4名の中でもっとも目立っているのはウーピー・ゴールドバーグであり、彼女のオスカー受賞は順当な評価だったと言えます。また、公開当時に全世界が惚れたデミ・ムーアの魅力は圧巻のレベルで、こんな彼女がいたら心配で成仏できないだろうなぁという作劇上の説得力にも繋がっています。そんなウーピーとデミが本作公開後にはハリウッドトップクラスのギャラを得るスターにランクアップした一方で男優陣は伸び悩んだという世評が示している通り、男優2名はパっとしません。そもそもパトリック・スウェイジの起用に監督は賛成しておらず、ハリウッドの名だたるスター達にことごとく出演オファーを断られた後にスウェイジに落ち着いたという経緯があるのですが、スウェイジは本作の顔を演じるには華に欠けたという印象です。また、憎まれ役を演じたトニー・ゴールドウィンには妙な小粒感がありました。監督はカール役にはビッグネームが欲しいと考えていたものの、こちらも意図した俳優を押さえられなかったための配役だったようです。 [インターネット(字幕)] 8点(2018-06-22 22:28:32)(良:1票) |
2. ゴーストバスターズ(2016)
オリジナルは人気が絶頂に達していたサタデーナイトライブのメンバーを中心にやや脱力系の笑いを取り入れながらも、ルーカスやスピルバーグが使っているのと同等レベルのVFXがそこに同居し、コメディだからと言ってまったく手抜きはしていない、センスの良い大人達が締めるべきところはきっちりと締めながら作った楽しい娯楽作という点に特徴があったと思います。クライマックスのマシュマロマン登場なんて、笑いとテクノロジーとスペクタクルが高い次元で融合した見せ場となっており、作り手もノリノリだったことが画面越しにも伺えました。 リメイクの本作もサタデーナイトライブの人気者をメインキャストに配置しており、オリジナルと同じ方向性を意図した作品であることは分かるのですが、80年代特有のユルさのままいくのか、それとも今の感性で再構築するのかを決め切れておらず、こちらは作り手の迷いが透けて見える作りになっています。女性コメディアン達はレイティングを気にしてか毒を吐ききっておらず、本業が役者であるはずのクリス・ヘムズワースがほとんどの笑いを取りに行っているという有り様。ただしそのヘムズワースの存在も断片的な笑いをとっているに過ぎず、映画全体をパっと明るくし、全体に勢いを与えるという方向では貢献していません。 そして致命的だったのが、もはやゴーストを描いたところで観客は驚かないほど映像技術が飽和状態にあるということ。オリジナルの評価には「これだけ凄いものを見せてくれてありがとう」という感動が相当含まれていたのですが、そもそも本作はそこで勝負できない作品だったというわけです。そして案の定、スペクタクルとしては何のサプライズもない仕上がりとなっていました。21世紀の観客の度肝を抜くような何かがあれば良かったのですが。 [インターネット(吹替)] 4点(2018-05-30 02:54:40)(良:4票) |
3. GODZILLA 怪獣惑星
ゴジラをアニメ化するのであればSF設定でやるくらいの冒険は必要とした東宝の判断は間違っていないし、何を作っても批判を受けることは百も承知のうえでこの企画に挑んだクリエイター達の心意気も買いたいのですが、そんなおおらかな心をもってしても、本作はダメな映画だったと思います。 この手のチャレンジ企画はオリジナルをどれだけイジろうが面白くさえできれば勝ちなのですが、結局面白くできなかった。これが最大の問題ではないでしょうか。感情移入のできないキャラクター、作戦概要の説明がくどいほどなされる一方でイマイチ戦況の伝わってこない戦闘描写、脅威の対象が怪獣である必要をまるで感じない見せ場作りなど、ほとんどの要素で失敗しています。 また、怪獣云々以前の問題として、SF映画としてもまともに成立していません。人類の大半を怪獣に殺され、わずかな生き残りも地球を出ざるをえなくなり、しかもその過程では異星人との接触もあった。そうした大イベントを背景とした世界なのであれば人々の価値観や社会風俗も様々な影響を受けているはずなのに、その変化がまるで見て取れないために世界観は面白みに欠けたものとなっています。 さらには、人類を絶滅寸前にまで追い込んだゴジラというトラウマに再度対峙するきっかけとして、宇宙船内の飢餓や先の見えない航海への絶望感が挙げられていましたが、そうした苦しみの描写が致命的に欠けているために、地球奪還作戦の切実さが観客の側に伝わってきませんでした。また、地球奪還の急先鋒となる主人公の動機付けもイマイチで、いくら親の仇とは言え、核兵器を何発使っても傷一つ与えられなかったほどの超越的な怪獣が個人的な復讐の対象になるものだろうかと、その行動原理には疑問符しか浮かびませんでした。 本作は三部作構成とのことですが、残る2作で巻き返しが図れるのかかなり不安なスタートとなりました。 [インターネット(邦画)] 4点(2018-05-24 18:44:24) |
4. 孤狼の血
『この世界の片隅に』のレビューでも申し上げたのですが、私は呉出身です。GWで帰省した際には地元が本作で大変盛り上がっており、できれば呉ポポロで鑑賞したかったのですが、公開がGW後ということで都内の映画館での鑑賞となりました。とりあえず初日・朝一の回という気合で見に行きましたが。 内容は、それほど高まった期待値を軽く超えるほどの熱量と勢いであり、目を見張るほど面白い作品となっていました。呉でロケをしたことや、俳優達に呉弁・広島弁を喋らせているという細部へのこだわりは素晴らしいレベルに達しています。私のようなネイティブが聞いても特に違和感を覚えないほどみなさんの方言は上手だったし、呉の雰囲気も出ています。よくよく考えてみれば無茶な展開も多かったのですが、時代や舞台の再現度の高さによって現在の日本とは別世界を作り上げることに成功しているために、細かいアラは気にならないという恩恵もありました。 原作未読ということもあって、全体の構成にはかなりの意外性がありました。ヤクザの抗争を背景にして暴力刑事が暴れまわる映画かと思いきや、作品は前半と後半で真っ二つに分かれており、後半より「正義とは何ぞや」という点を結構真剣に突いた作品へと変貌していきます。演出は常にトップギアというわけではなく、緩急をつけてちゃんとドラマ部分を見せようとしており、基本はヤクザ映画でありながら、様々な見方のできる内容になっています。この点には良い意味で驚かされました。 演技面では、どちらかと言えば物静かな役柄の方が合うことの多かった役所広司が暴力刑事役に抜群にハマっており、常に大声で怒鳴りながらズンズンと進んでいく様には拍手喝采したくなりました。また、呉の組の若頭役の江口洋介の異常なかっこよさや、広島の組長役の石橋蓮司の古狸ぶりなど、ヤクザ者は皆魅力的でしたね。一方で、その受け手となる松坂桃李はこの異常な世界と観客の意識の橋渡し役であるため見せ場が少なく、やりたい放題やっている他の役者さんと比較すると損な役回りのようにも見えたのですが、繊細な演技で作品の基礎部分をしっかりと担っていました。こちらも良かったと思います。 呉の人間は『仁義なき戦い』を誇りに思っているのですが、まさかその精神を受け継ぎ、日本を代表する俳優達を大挙して出演させた新作を見られる日が来るとは思っても見ませんでした。最高です。 [映画館(邦画)] 9点(2018-05-12 14:06:38)(良:3票) |
5. この世界の片隅に(2016)
《ネタバレ》 実は私は呉出身なのですが、ここ数年の邦画ではダントツの評価を得た本作が地元の話であったことから過剰に身構えてしまい、鑑賞時期を逃しているうちに結局Netflixの配信で見てしまうという、何だかよく分からん状態での鑑賞になってしまいました。 まず驚いたのがネイティブかと思うほどうまい広島弁と、地元出身者ならおおよそどの地区のことなのかの察しがついてしまうレベルで呉市街地や山あいの集落が表現されていることです。さらには、一瞬映る盆灯篭など、広島県民ならピンとくるが他の地域の人には分からないような風習までが表現されているのですが、これ見よがしではなく本当に些細な描写でこれらを見せてくるため、物凄く気が利いているように感じました。 また地域性の再現度だけでなく、時代性の再現度も非常に高いレベルであることが本作の特色となっています。例えば、しばしば本作の類似作として挙げられる『火垂るの墓』などは顕著なのですが、主人公・清太は完全に戦後の価値観で動いているわけです。私のような細かい人間はそうした部分にウソ臭さを感じてしまうわけですが、本作については登場人物全員が当時の価値観で動いており、後知恵で善悪等を判断していないことが、他に類を見ないリアリティに繋がっています。配給が減って生活が苦しくなっても国や政府に対して不満を口にする者はいないし、隣組や軍事教練といった戦後社会においては異様とされてきた戦時体制についても、みんな当然のこととして受け入れています。これらのことが良いか悪いかという判断は置いといて、当時の人がどう生活していたのかという点にこだわり色を付けない描写とした辺りに、作り手側の善意を感じました。 玉音放送の受け止め方も、ユニークだが真を突いていると思いました。放送が終わると「あ~、長かったねぇ」なんて言ってみんな平静を装って日常に戻っていくフリをするのですが、各々隠れた場所では感情を爆発させています。しかもそれが怒りとか悲しみとかというありきたりなものではなく、今までさんざんガマンして苦労して、多大な犠牲を払ってまで戦争という国家事業に参加してきたのに、「負けました」では気持ちの整理がつかない、やるせないという感情なのです。この切り口には驚かされると同時に、ある種の説得力も感じました。 その他、軍艦や戦闘機といった兵器のかっこいい描写があったり、美しさを伴った破壊があったりと、ただただ悲惨にというベクトルで戦争映画が作られることの多い日本映画界では例外的に、ミニタリー要素も充実しています。とにかくさじ加減がうまいのです。 海外では「戦争をテーマにした日本のアニメにはずれなし」との定説もあるようなのですが、本作はその頂点に君臨しうる重要作だと思います。 [インターネット(邦画)] 9点(2018-03-24 03:03:37)(良:7票) |
6. GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊
《ネタバレ》 Windows95が発売されてようやく一般にもインターネット普及の土壌ができたばかりだった1995年の段階で、すでに電脳や情報の海をテーマにしたという先見性。また、舞台となる未来都市の作り込みの凄さや、リアリティと荒唐無稽の間で絶妙なバランスを維持するアクションなど、すべてがハイレベルで時代に囚われない普遍性を持つ作品だと言えます。スカヨハ版の鑑賞にあたって十数年ぶりに鑑賞したのですが、インターネットが当然のインフラとして定着した現在の目で見る方がよりしっくりと来て、以前に見た時よりも印象はさらに良くなっていました。とにかく凄い映画だと思います。 本作のタイトルには「抜け殻(シェル)に魂(ゴースト)は宿るのか」というテーマが集約されています。脳や脊髄を除く全身が義体化された主人公・素子は、「自分は作られた記憶を信じ込まされているニセモノではないのか」「ほぼ全身が義体である自分を人間と言えるのか」との不安を抱き続けています。しかしクライマックスで100%電脳である人形使いと接触し、その魂が生身の人間のそれと何ら変わらないものであると知ることで有機か無機かという器へのこだわりが無意味だったことを悟り、新たな電脳生命体へ進化する道を選択します。これぞサイバーパンクです。 他方で、テーマがよりはっきりと見えるようになった分、構成のまずさも見えるようになりました。実存主義を説く素子の物語が横軸だとすれば、人形使いを追う中で巨大な陰謀に巻き込まれていく9課の物語は縦軸だと言えますが、9課の物語が無駄にややこしくて観客に要らん脳を使わせているし、本来は盛り上がるべき部分に勢いがなかったりと、娯楽作としてはやや失敗しているのです。ひたすらしかめっ面をするのではなく、バカバカしくも面白い部分があれば、より素晴らしくなったと思うのですが。 この点、評判の良くないスカヨハ版は娯楽部分のまとまりが良く、本作の欠点がうまく補完された作品だと評価できます。本作を見ればスカヨハ版の良さが分かるし、スカヨハ版を見れば本作がいかに深いことを語っていたかが分かる。ニコイチで見ることで双方の味わいがより深くなるという、なかなか面白いコンビだと思います。 [DVD(邦画)] 7点(2018-01-27 02:28:55)(良:1票) |
7. ゴースト・イン・ザ・シェル
《ネタバレ》 押井版の主人公・素子が「ホンモノかニセモノかなんて大した問題ではない。そこに思考する意思・魂が存在することこそが真理なのだ」というデカルト的な結論に至ったのに対して、当実写版の主人公・ミラは本来の自分は何者だったのかという点に最後までこだわり続けます。彼女は新たな電脳生命体への進化どころか、人間へ戻ろうと必死なのです。これでは押井版において観客の知的好奇心をくすぐっていた要素がほぼ切り捨てられた状態だと言えるし、そもそもこの内容では「抜け殻(シェル)に魂(ゴースト)は宿るのか」というタイトルが意味を為していません。本作に対する悪評って、こうした浅さに対する違和感なんだと思います。 ただし、この改変への評価はなかなか難しくもあります。当実写化企画が成立する前に、同じく押井版の影響下にあってデカルト的な実存主義を娯楽アクションに落とし込むという企画で大成功を収めた怪物『マトリックス』が存在しています。同じ母を持つ兄とも言える『マトリックス』の存在こそが、当企画に課せられた重大な制約条件だったのです。そして当の『マトリックス』自身も続編で行き詰ったことからも分かる通り、この分野は『マトリックス』第一作がほぼやりきっており、これ以上のものはおそらく出てこない。さらには、主演のスカヨハは『LUCY』で電脳生命体の進化論をやっちゃってるし、ならば全然違う方向へ走るというのも、一つの有効な打ち手だったと言えます。私は、本作の監督・脚本家の判断はあながち間違ってはいなかったと思います。 実際、ミラの自分探しと、その隠蔽を図る大企業との対決という単純な図式にまで落とし込まれた後半パートは娯楽映画としてちゃんと面白くなっているし、ミラの正体は日本人・素子でしたというオチには意外性があったと同時に、原産国・日本や押井版への敬意も感じました。桃井かおり演じる母親が、ミラという器に代わってもその内部に存在する娘・素子の魂を感じ続けているというドラマも感動的であり、これはこれでありではないでしょうか。 [インターネット(吹替)] 6点(2018-01-27 02:28:19)(良:1票) |
8. ゴールデンボーイ(1998)
《ネタバレ》 ブライアン・シンガーが『ユージュアル・サスペクツ』の次回作として製作した作品であり、主演は当時人気絶頂だったブラッド・レンフロ、おまけにスティーブン・キング原作と話題性には事欠かない企画だったのですが、シャワールームの撮影においてヌードの強要があったとのことでエキストラの少年数人から訴訟を起こされて、完成後1年以上も作品を上映できない期間が発生し、すっかり熱の冷めた状態でロクな宣伝もないまま公開されたために興行的には惨敗。結果、ブライアン・シンガー監督作中においてもっとも注目度の低い作品となっているのですが、これがなかなか見ごたえがありました。 作品では、少年が悪に飲まれていく様がじっくり描かれるのですが、元ナチの老人にも一定程度感情移入の余地を作っており、その結果、悪とは誰にでも根付くものであるという含みを持たせている点が見事でした。並みの監督であれば元ナチは純粋悪として描くしかないところですが、シンガーには自身がユダヤ人であるという強みがあるため、この辺りに創作上の自由を持つという優位性があったのではないでしょうか。なお、シンガーは後に手掛ける『ワルキューレ』においてもナチの様式美等をじっくりと描いており、彼はユダヤ人カードを結構有効に使っています。 圧巻なのがブラッド・レンフロとイアン・マッケランの演技合戦なのですが、撮影当時14歳だったブラッド・レンフロが30年超のキャリアを誇るイアン・マッケランと互角に渡り合い、時に圧倒している点には驚かされました。本作を見るに、ルックスも演技力もあったレンフロならば後に大スターに成長することもできたはずなのに、私生活の乱れから代表作を残すことができず、わずか25歳で命を落としたことは残念で仕方ありません。 作品中で良くなかった点は、入院したドゥサンダーの隣のベッドにはかつての彼の被害者が入院しており、その被害者に正体を見破られるという後半の転換点があまりに強引すぎたこと。どんな凄い偶然だよとツッコミを入れてしまいました。トッドとドゥサンダーがやってきたことの結果としてドゥサンダーの正体が暴かれるという因果にまみれた展開とした方が、内容的にはしっくりくるのですが。 [インターネット(吹替)] 7点(2017-08-19 03:14:51) |
9. コップ・カー
『スパイダーマン/ホームカミング』の予習として、謎の監督ジョン・ワッツの出世作である本作を鑑賞しました。 少年の冒険物語とクライムサスペンスという異色の組み合わせが目を引く作品であり、このおかしなブレンドでよくぞ映画を成立させたなと感心させられたのですが、それ以上の作品にはなりえていないという点が残念でした。 また、90分未満というコンパクトな上映時間でありながら畳みかけるような勢いがなく、それどころか妙にチンタラした展開もあったため、イベントの詰め込み方が甘いと感じさせられました。 [インターネット(吹替)] 5点(2017-08-10 22:21:52)(良:1票) |
10. コンカッション(2015)
《ネタバレ》 極限まで肉体を酷使するスポーツがアスリートの健康を害しているなんて、当たり前のことじゃないです?特にプロスポーツ選手は好きなことを職業にした上で、普通の人では一生見ることのできない金額を数年で稼ぐのだから、肉体を捧げることに対する見返りは十分に受け取っているわけです。そんな特殊な世界を指さして「アメフトは体に悪い。選手は被害者だ」とした主人公の主張にあまり賛同できなかったため、作品全体への共感は低くなりました。 例えば日本の大相撲だって、無理やり大食いをさせることで力士達の体格を作っており、おそらくは成人病リスクは滅茶苦茶に高いはず。寿命だって短いと思います。しかし、そのことを咎めて「力士には健康的な食事をさせましょう。肥満は厳禁」とやってしまうと、大相撲という競技は消滅するか、存続するにしても形を大きく変えるかしかなくなります。主催者・選手・観客の間での暗黙の了解が成り立っていることをわざわざ突っついて一体誰が得するのかというのが、本作の主人公を見た私の率直な意見です。また、本編の最後には元選手5,000人がNFLを提訴したというテロップが出てきますが、さんざん稼いだ後になって「自分たちに十分なリスク説明がなかった」として主催者を訴えるなんて、いかにもアメリカ的だなと思ってしまいました。 また、物語の構成もよろしくないと感じました。このテーマであれば、正義一直線のオマル医師ではなく、かつて身を寄せていた業界と敵対せざるをえなくなったバイレス医師を主人公とし、大儀と人間関係の間で苦悩する姿を描けば面白くなったと思うのですが。 [DVD(吹替)] 5点(2017-08-05 23:30:11)(良:1票) |
11. ゴッドファーザー PART Ⅲ
《ネタバレ》 老いたマイケルの物語と、ファミリーの子供たちの物語を同時に見せるという構成は第一作を踏襲したものであり、第一作でファミリーを継いだマイケルが、今度は後進を育成する側に回るという点がなかなか興味深かったのですが、残念なことに彼とヴィンセントの間のドラマはうまく流れていません。ヴィンセントは、登場場面こそ父親ソニー譲りの狂犬ぶりを見せて「こいつはちゃんとしつけねば」と観客を大いに不安にさせるものの、その後はさほどの暴れっぷりを見せることもなく、気が付けば三代目ドンの座に納まっているのだから、そこに感動も何もないのです。演じるアンディ・ガルシアの力量にも問題があって、第一作のアル・パチーノはドラマの進行とともに表情がどんどん変わっていき、普通の青年から大ファミリーを束ねるドンへの変貌ぶりをきちんと体現できていたのに対して、ガルシアには最初から最後までこれといった変化が見られませんでした。 1979年に発生したローマ法王暗殺疑惑をそのまま当てはめた本作の展開は、スケールが大きすぎて逆にピンとこなかったし、敵がまったくキャラ立ちしていないために、マイケルが一体誰と戦っているのかすら見失いそうになりました。芸術面でも娯楽面でも前2作からかなり後退したと言わざるをえません。 唯一興味深く感じたのはラストであり、一時は世界の権力中枢に迫るほどの勢いを持っていたマイケルがたった一人で亡くなる様は、孫との戯れの中で亡くなったヴィトーの最期と好対照をなしており、マイケルが最後の最後まで孤独な人間であったことを浮き彫りにしています。 [ブルーレイ(吹替)] 5点(2017-03-18 02:49:31) |
12. ゴッドファーザー PART Ⅱ
《ネタバレ》 裸一貫でスタートしながらも、仲間を増やしつつトントン拍子で成功を収める若き日のヴィトーと、金も権力も持った状態でありながら、何かもがうまくいかないマイケルの対比。マイケルは優秀なビジネスマンではあるが、人間というものが見えていなかったのです。だから組む相手を間違えるし、身内のグリップにも失敗してしまう。そして、マイケルの行動原理は一貫してファミリーの合法化であったにも関わらず、事態を収拾しきれずに殺しでカタを付けざるをえなくなるという皮肉な結末。 本作はテーマの打ち出し方が素晴らしかったし、過去パートと現在パートを同時進行で見せるという製作当時としては掟破りの構成が監督の意図した通りの効果を上げているという点で、第一作並みに優れた作品だと思います。 [ブルーレイ(吹替)] 8点(2017-03-18 02:48:40) |
13. ゴッドファーザー
冒頭、娘をレイプされた葬儀屋の親父の話をじっくりと聞いてやるヴィトーの存在感。彼がセリフを発する前の時点ですでに、この人に相談すれば物事が解決するのだなということが充分に伝わってきます。このマーロン・ブランドの魅力と、その演技に対して余計な干渉をしないコッポラの落ち着いた演出の凄さは本当に凄いと思います。 本作はキャラクター劇として優れており、ヴィトーをはじめとしたコルレオーネファミリーの面々に、憎たらしい敵対マフィアや汚職警官と、全員がキャラ立ちしています。また、3部作中ではもっとも娯楽性が高く、忍従を重ねたコルレオーネファミリーが、最後の最後に暴力的な手段で問題解決する様には適度なカタルシスが宿っていました。 [ブルーレイ(吹替)] 8点(2017-03-18 02:48:02)(良:1票) |
14. GONIN
《ネタバレ》 90年代は日本映画が海外で賞を獲りまくる一方で観客がまるで入らず、良くも悪くも映像作家達が野放しにされていた時代なのですが、そんな時代を象徴する作品のひとつが本作です。豪華キャストを投入した全国公開作品でありながら作りは驚くほど粗削り。石井隆作品らしく印象的な場面が多くて映画全体にパワーと勢いが溢れている反面、監督が興味を示さないパートについてはかなり強引な省略がなされており、唐突な展開が目立ちます。 例えば、根津甚八演じる氷頭と家族の関係。中盤にてヒットマンに家族を殺されたことから氷頭はヤクザに対して弔い合戦を挑むこととなるのですが、その前段階において家族と氷頭との関係性を見せる描写がほとんどないために感情的な盛り上がりを逃しています。それどころか、家族が殺された瞬間にも氷頭は何らの感情も表さず、仲間と合流した後にも家族の死という重大事件に一切言及しないことから、見ている私は「あれ?家族は無事だったの?さっき殺されたのは家族以外の別人だったっけ?」と混乱してしまいました。通常の映画文法ならば当然あるべき描写が足りていないため、本来は簡単なはずの話がひどく分かりづらくなっています。 また、この頃の邦画は録音が悪いのかセリフが聞き取りづらい点もマイナスでした。せっかく素晴らしいバイオレンス描写があるのに、説明不足なお話と聞き取りづらいセリフのせいで興が削がれたことは残念でした。 [インターネット(字幕)] 5点(2016-10-25 17:44:27) |
15. コンフィデンスマン/ある詐欺師の男
邦題の「コンフィデンスマン」とは詐欺師の意味なのですが、さらに副題でも「ある詐欺師の男」と謳っており、えらくクドイ邦題だなぁと感じました。これだけ投げやりな邦題からも察しが付く通りさほど金のかかっていない作品であり、アメリカではDVDスルーだったという不遇ぶりからも期待値の上がらない中での鑑賞となったのですが、意外にもこれが犯罪ドラマの掘り出し物でした。映画とは自分の目で見るまではわからないものです。なお、原題の”The Samaritan”とは新約聖書の「ルカによる福音書」でイエス・キリストが語ったとされる「善きサマリア人」の話に由来し、詐欺師を善意の人として信用させることでターゲットから金を巻き上げようとするクライマックスの信用詐欺と、ある人に対して無償の善意を注ごうとする主人公の姿がかけられたものだと考えられます。 サミュエル・L・ジャクソンが演じるのは長期刑を終えて娑婆に出てきた元詐欺師。服役により失った時間があまりに長く「犯罪はもう懲り懲り」と更生を誓っているものの、かつて一流の詐欺師として通っていた逸材を裏社会が容易に手放さないことはこの手の映画の常であり、あの手この手の懐柔や脅迫により主人公は新たな犯罪計画に巻き込まれていきます。重厚な枯れを見せるサミュエルがとにかくかっこいいし、主人公が過去に犯した罪については具体的に言及されないながらも、サミュエルの存在感により「かつて大物犯罪者だった男」にきっちり見えるのだから大したものです。 脚本はコンパクトながらも緻密に練られています。この手の映画ではサプライズ優先で主人公がバカだと観客は冷めるものですが、その点本作の主人公は疑うべきものをちゃんと疑ってかかるため、観客はストレスフリーで鑑賞することができます。また、観客に与えられる情報は常に適量で維持されており、単純すぎず複雑すぎず丁度いいサジ加減で見やすい作品にもなっています。途中には適度なサプライズがあり、クライマックスにはハラハラドキドキさせられ、熱い男のドラマもありで、90分程度のVシネとは思えないほど充実した作品でした。たまにこういう掘り出し物に出会えるから、B級映画漁りはやめられないのです。 [インターネット(字幕)] 8点(2016-10-12 13:15:56) |
16. コン・ティキ
ノルウェー映画史上最高額の製作費をかけ、本物の海で撮影することに拘ったというだけあって、映像の説得力が違います。また、要所要所ではVFXも使用されているのですが、こちらについても実際の風景との境目がまったくわからないという凄まじいレベルに達しており、よくぞここまでの映画を作ったものだと感心させられました。ビジュアルに関しては完璧であり、本作の監督達が同じく海洋映画である『パイレーツ・オブ・カリビアン』新作の監督に抜擢されたことにも納得がいきます。 ただし、残念ながら内容の方はビジュアルに追いついていません。コンティキ号漂流記を知った人の最大の関心事は、いつ死んでもおかしくない状況下で100日間も大海原を漂流するという大変なストレスをクルー達はどう乗り切ったのかという点だろうし、オスカーを受賞した1951年のドキュメンタリーも存在する中であえてドラマ作品として映画化することの意義は、クルー達の内面描写を充実させることにあったと思います。しかし、本映画化企画はクルー達のドラマをあっさりと流してしまうため、どうにもピント外れな内容となっているのです。このままではイカダが分解して全員死ぬから金属製のワイヤーで船体を固定させてくれと言うエンジニアに対して、航海技術に係る知識のないヘイエルダールが「説立証のためには古代になかった素材は一切使えない」と狂気に近い主張をしてワイヤーを海に投げ捨てるくだりなどは、掘り下げればかなり面白くなったと思うのですが。このあっさり感については、死去するまではヘイエルダール自身も映画化プロジェクトに関わっていたことから実在の登場人物達を悪く描けなかったという制約条件が働いたためだと推測されますが、保守的な描写を選択したために映画化企画そのものの意義が没却したのでは元も子もありません。 クルーは冷蔵庫のセールスマンに無線技士にドキュメンタリーのカメラマンと海の素人揃いで、当のヘイエルダールに至っては幼い頃の事故のトラウマから水恐怖症で泳げないというポンコツチーム。結果から振り返ると、専門家なら絶対にやらないような無謀な航海に無知ゆえの大胆さで挑戦してみたらたまたま成功したという話であり、ならば本作はクルー達の準備不足や不見識を見せることで観客の緊張感を煽るという方向性を志向してもよかったと思うのですが、この航海の困難性の煽りなどが不足しているため、気が付けば目的地に到着しておりましたという感じで冒険映画としても大きな山を作り損ねています。さらには、起こる危機が鮫関係ばかりという点も作品の単調さを助長しており、総じてイベントの詰め込み方が甘いように感じます。 [インターネット(字幕)] 5点(2016-10-07 15:41:31) |
17. コードネーム U.N.C.L.E.
ナポレオン・ソロ役には当初トム・クルーズが予定されていたものの自前の企画『ミッション:インポッシブル/ローグネイション』を優先して降板し、代わってジェームズ・ボンド役の最終候補にまで残った経験のあるヘンリー・カヴィルが登板ということで、スパイ映画って意外と少ない人数で回してるのねということが印象的だったのですが、カヴィルのハマり具合は素晴らしく、次期ボンド役は彼でいいんじゃないかと本気で思ってしまいました。高級スーツがよく似合うし、スーパーマンも演じる肉体派だけあってアクションをやる時の身のこなしには説得力があります。さらにはユーモアのあるセリフをサラっと言えるため、どんな時にも涼しい顔をしていられる超人的な役柄にピタりとハマっているのです。 また、相手役のアーミー・ハマーは190cm超の巨体を活かしてソ連の堅物役になりきっているし、アリシア・ヴィキャンデルは『黄金の七人』のロッサナ・ポデスタのような魅力があって、60年代のおしゃれなアクションコメディの雰囲気を身に纏っているかのようです。『オースティン・パワーズ』や『オーシャンズ11』など60年代の娯楽作の復活を目指した作品はいくつかありますが、時代の雰囲気の再現度という点では、本作がベストではないでしょうか。 時代の再現度、それが本作の問題でもあります。いま時のスパイ映画に慣れてしまった身としては、結局事態は解決するのだろうという予定調和な雰囲気の中でいつでもヘラヘラと笑っていられる安心感により、スパイアクションに期待される緊張感を奪われている点が残念でした。主演二人は自らスタントをこなしており見せ場のクォリティは高いものの、それが見る側の高揚感には繋がっていません。ダウニーJr版『シャーロック・ホームズ』でも感じたのですが、ガイ・リッチーの作品は雰囲気ものの領域を出ないように感じます。他方、リッチーの元パートナーにして、元祖ナポレオン・ソロを演じたロバート・ヴォーンの息子だと言われていた(後にDNA鑑定で否定されましたが)マシュー・ボーンは、『X-MEN/ファーストジェネレーション』や『キングスマン』にてレトロな様式美と現代風アクションの折衷に見事成功しており、本作もその領域にまで達して欲しいところでした。 [ブルーレイ(吹替)] 6点(2016-08-12 18:48:16) |
18. コロニー5
午後のロードショーを録画して鑑賞。 2010年前後にB級映画界で大流行した終末SFものの残りカスのような作品ですが、製作国カナダらしく凍結した世界を舞台としていることが本作の特徴となっています。ジャンル的にはB級SFに分類されるとはいえ製作費は13億円と非ハリウッド映画としてはかなり奮発しており、VFXやセットはよく作り込まれています。寒々とした世界が視覚的に表現されているし、俳優はきちんと寒さの演技をしているため、世界観はそれなりに説得力があるのです。旬を過ぎたとはいえ、かつてのハリウッドで一線を担っていたローレンス・フィッシュバーンとビル・パクストンを重要な役柄に起用することで豪華な雰囲気も出せており、「そこいらのB級SFとはモノが違う」という期待を抱かせます。少なくとも序盤では。 ただし、どれだけドラマを眺めていても感情移入可能なキャラクターが登場しないこと、SF映画として「ほぉ~」と感心させられるような面白い設定がないこと、アクション映画としてのテンションが上がってこないことから、次第に不安になってきます。「この映画、見かけ倒しでつまらないんじゃないか」と。何もなくなった世界に拠点を築いて細々と生活している農耕系の人々が、奪う・殺すを基本原理とする狩猟系のヒャッハーに襲われるという、『マッドマックス2』以降何度見たか分からないほどありきたりなあらすじからまるでブレない脚本の工夫のなさ。派手な見せ場を作ることもゴア描写に特化することもなく、ただ撮ってるだけ状態の演出の凡庸さが猛烈に睡魔を誘い、90分程度の作品でありながら何度も中断しながらの鑑賞となりました。本作よりも小規模で製作された上に、お世辞にも良い出来だったわけでもない『THE DAY』や『HELL』の方がまだ勢いがあり、見応えもありました。 [地上波(吹替)] 3点(2016-07-20 10:40:49) |
19. コップランド
《ネタバレ》 公開当時にも鑑賞したのですが、その際には、他の出演者の演技力と釣り合っていないことや、そもそも弱い男には見えないことから、本作におけるスタローンはミスキャストだと思いました。しかし、現在になって作品を再見すると印象も随分と変わるもので、これはこれでなかなか良いキャスティングだなと納得できました。演技派として名高い俳優の中に、むしろ大根役者として知られるスタローンを放り込んだこと自体が、彼が演じるフレディというキャラクターの立場を表現しているようです。。。 警官が多く住んでおり、犯罪が起こりようのない街、コップランド。その治安を守る保安官はそこにいるだけの存在であり、住民の警察官達からは見下されています。不慣れな社会派サスペンス映画において木偶の棒となり、終始、周りの演技派俳優達に圧倒されまくるスタローンは、警察官に囲まれてバカ扱いされるフレディと同じ立ち位置にあるのです。デ・ニーロやリオッタから早口で煽られても、それに言い返すことのできないフレディの姿は、俳優として行き詰まりはじめていた当時のスタローンと重なります。。。 そんなスタローンが、ラストでは得意の銃を握り締め、彼をさんざんバカにしてきた演技派俳優達をブチ殺しにいきます。ここに来ると映画は完全に西部劇の雰囲気となり、監督もノリノリ。「俺の特技はこれなんだ!覚えとけ!」と言わんばかりにスタローンがショットガンをぶっ放す場面では、拍手喝采したくなるほどのカタルシスが得られました。レイ・リオッタの参戦にも燃えた。社会派サスペンスはどうなってしまったんだという点はこの際置いといて、これはこれで良しとしましょう。 [ブルーレイ(字幕)] 6点(2014-09-20 01:19:56) |
20. GODZILLA ゴジラ(2014)
《ネタバレ》 IMAX-3Dにて鑑賞。全世界ほぼ同時上映から日本公開まで2ヶ月もお預けを喰らわされ、期待をパンパンに膨らませて映画館に駆け込みましたが、そんな上がりまくったハードルを楽々越えてきた本作の完成度には感動しました。子供の頃にゴジラにハマった私としては、これこそが夢にまで見たハリウッド版ゴジラです。。。 怪獣映画は、怪獣を出しすぎるとただの怪獣プロレスになってしまう。怪獣そのものよりも、怪獣が出現したことで混乱に陥る文明社会をどこまで克明に描けるかという点にこそ成功の鍵があるのですが、この点、ギャレス・エドワーズは前作『モンスターズ』でも怪獣が存在する世界をほぼ完璧に創造しており、本企画の監督には最適任者であったと言えます。シナリオは理詰めで考えられているし、歯が立たない相手を目の前にした人類の絶望感の演出も見事なものであり、怪獣映画に必要な空気感を作り上げています。また、この監督は怪獣を出しすぎてはいけないという点も熟知しており、溜めて溜めてテンションが最高潮に高まったところで怪獣をドーンと出すという演出も決まっています。。。 東宝ゴジラは破壊者とヒーローという二つの性格の間で耐えず彷徨っていましたが、本作では、その相矛盾する性格を破綻なく折衷することに成功しています。第1作だけに仁義を切るのではなく、駄作も含めたすべてのゴジラ映画を総括するキャラ造形としており、この点に、東宝ゴジラに対する最大のリスペクトを感じました。一方で、その設定には大胆な変更が加えられています。放射能怪獣という最大のアイデンティティを奪ったことをはじめとして、オリジナルではゴジラ自身が担っていた役回りの大半をムートーに譲っているのです。人類との接点は専らムートーに任せることで、ゴジラは人類程度には及びもつかない超越的な存在として描かれているわけですが、このアプローチによって、かえってゴジラはオリジナルに近い存在感を獲得するに至っています。この判断は見事でした。。。 本作の欠点としては、ムートーのデザインは線が細く、どう見てもゴジラには勝てそうにないという点がまず挙げられます。もっと強そうなデザインにするか、ゴジラを追い込むような特殊な必殺技を持たせるべきだったと思います。あとは、核兵器の扱いが相変わらず雑。覆いもかけず剥き出し状態の核弾頭を列車で輸送する場面には失笑するしかありませんでした。 [映画館(字幕)] 9点(2014-07-29 00:48:43)(良:1票) |