1. 硫黄島からの手紙
《ネタバレ》 イーストウッドの映画が面白いと思えるかどうかは、結局、そのテーマについての価値判断を彼と共有できるかどうかで極端に変わってしまうようです。・・・・私は、「ミスティック~」も「ミリオンダラー~」も嫌いでした。家族や人生などについての彼のカウボーイ的考えに共感できなかったため、イーストウッド流のドラマトゥルギーで悲劇仕立てに語られてしまうと、嫌悪感が刺激されてしまうからです。・・・・・・硫黄島二作品では、国家や戦争についての、彼の、西部カウボーイ的反国家主義に基づく考え方に共感できる部分があります。そうなると、彼の悲劇的ドラマトゥルギーは、非常に素晴らしいものに感じられます。・・・・だんだんと洞窟の中の兵士達にシンパサイズし始め、戦争の息苦しさ、恐怖が実感できるようです。・・・・獅童(=悪)を、生き残らせるのは、善なるもの(二宮)だけが生き残るのでは、不合理なこの世の姿とかけ離れてしまうからでしょう。・・・・・渡辺謙が、サムライとして死ぬ特権も剥奪される最後も劇的ですね。・・・・ただ謙さんの演技は最近どうも平板に感じられてしまいます。本当に理知的な軍人だったら、最後に万歳アタックなんかせず、部下には投降を促すのではないかなぁ。栗林さんの駄目な部分も、ジョニクロ飲んでるだけじゃなくて、表情、雰囲気で出して貰わないと、と思うのでした。・・・・・とはいえ、この二作品が戦争映画の不朽の名作になるだろうことは疑いを得ないと思いました。 [DVD(邦画)] 10点(2007-06-16 11:50:57) |
2. いつか読書する日
《ネタバレ》 あるラジオ番組で絶賛している人がいたのと、2005年キネマ旬報ベストテン第三位の作品ということで、かなり期待して見ました。・・しかし、面白いとは全く思えませんでした。その理由は以下の通りです。・・・1. 岸部が牛乳を一口飲んで捨てるというシーン。→人が苦労して配達した牛乳を殆どそのまま捨てるという光景自体が、醜い。そしてそれは岸部が、田中のことを好んでいないということを明白に伝えている。・・・通勤のシーンなどで、岸部が田中を意識しているというようにも思われるが、岸部が妻の手を握って寝たりすることを考えれば、岸部が田中のことをずっと思っていたなどということはあり得ない。・・2. 唐突な展開の多さ。→1)深夜放送のシーン。どうして容子が一人ベッドで深夜放送を聴くことになるのか、また田中と同じ放送をどうして聴いているのか、またそれが田中とどうしてわかるのか。2)最後の岸部の死のシーン。どうして田中は、人が溺れたと聞いてそれが岸部ではないかと思うのか。そもそも保護された子どもがどうして川辺にいて水にはまるのか。・・・3. 田中が30年間、岸部を思うというのも、考えてみれば悲惨な話。そういうのを美しいと思うのは、男の父権的、貞節イデオロギーに根ざしているのではないだろうか。4. 容子の死が間近になったとき、岸部が、容子に、そろそろ休暇をとろう、という。これは夫婦で、死について十分に話し合ってきた結果として出てくるはずであり、それだけ夫婦の絆の強さを思わせるが、岸部はどうして息子の絵を売って、夫婦としての歴史を清算しようとするのか。5.その場の思いつきのセリフが多いこと・・・1)疲れて何も考えずに寝る、といいながら、しっかり読書している。・2) 50歳から85歳が長いか、という発言をさせておいて、岸部をあっさり死なせている・・ 5. 「いつか読書する日」という題名が意味不明。・・・この「いつか」というのは過去経験の事柄に対して用いているのか、それとも未来に対して用いているのか。過去ならば、「いつか」ではなく、せめて「いつしか」くらいにしないと、過去の経験とは思えない。また仮にそうだとしたら、実際の社会とのコミュニケーションを欠いた、読書空間を評価するのは、現実逃避を評価するようなもの。・・・・・・・・とにかく、全体として、どういうことを表現したかったのかが全く理解できませんでした。 [DVD(邦画)] 3点(2007-03-17 14:40:57)(笑:1票) |
3. イブラヒムおじさんとコーランの花たち
ただひたすら、老いたオマー・シャリフを見るための映画でしかない、と思いました。・・・・・・それ以外は、パリの裏通りやトルコやらの、色々な風景がそれなりに綺麗なだけで、ストーリーも展開も、とてもつまらない。・・・・・でも、老いたオマー・シャリフは見るに値する。・・・・・・・ロレンスやジバゴのオマー・シャリフです。・・・・ドクトルジバゴの最後のシーンで、老いたジバゴは、路面電車からラーラの姿を見たかと思って老いかけ、倒れます。あの老いたジバゴと、この映画のオマーシャリフは、違う。・・・・もちろん、老いたジバゴは、若いオマーシャリフのメークからなっているけど、実際の老いたオマーシャリフよりも、もっと、もっと孤独で、心がすさんでいるいるように見えた。・・・・・・実際の老いたオマーシャリフは、なんと心広く、豊かに年をとったことだろう。ヨーロッパの現状である文化差別、貧富の差などを全部つつみこんで、なおにこやかにしてしている、そういう広さと深さが、この映画のオマー・シャリフから伝わってくるようでした。・・・・・・・(もしオマーシャリフ以外の配役だったら、2点とか3点をつけてもいい映画かもしれません) [DVD(字幕)] 8点(2007-03-14 14:30:22) |
4. 頭文字(イニシャル)D THE MOVIE
もちろん細かなところで、幾つか原作と違うところはありますが、予想以上に、原作に忠実なりで、びっくり。・・・・それとエミネム風香港式のラップと、峠のドリフト走行の実写に感動。・・・・・漫画十数巻分を、強引にまとめずに、忠実に再現すると、結局は、バラバラの出来事、絵が、次々と示され、その脈絡がつかみにくいし、何が表現したいのかわからないということになりがちです。・・・・そしてこの作品は、そうなっている感じです。だから原作を読んでいないと、どういうお話なのかわかりにくいのではないでしょうか。・・・・・・という危険を冒してでも、原作に忠実に表現したところに、監督、制作者の原作に対する愛着があるような気もしました。・・・・・見終わって、で、この映画はいったい何だったのか、言葉が見つかりません。・・・・淡々と原作を辿ったこの映画を、香港の人達は、どのような眼差しでみたのだろう。平凡な日常を送りながら、夜になるとヒーローに変身する拓海に自分を重ね合わせるのだろうか。それともRX7やランエボなどの車に囲まれた日本式の青春にちょっとした憧れを抱くのだろうか。 [DVD(字幕)] 8点(2006-09-15 21:36:51) |
5. 怒りの葡萄
《ネタバレ》 アメリカ文化の一端を知る資料として貴重だと思います。、、、、特に、広大で荒涼とした大自然、そして産業化が進展する社会にあって、家族しか支えはないのだという感覚は強い説得力をもって伝わります。(→特にトラックの運転席で肩を寄せ合うシーンが度々映し出され、広い社会の中で家族が肩を寄せ合うイメージが鮮明に焼き付きます)、、、、、、そして、5セントのキャンディを1セントと偽り子どもに与えたり、その善意を見て釣り銭を受け取らない別の客などの見知らぬ者同士が支え合うささやかな善意。、、、、社会の仕組みを変えようと言う強い意志。、、、、、、、一台のトラクターによって農民が土地を追われたのは、機械化の進展と、それに伴う産業構造の変化のためでした。西漸運動によりフロンティアに拡がった多くの農民たちは、工農の製品価格差と農業機械化などのために3%以下に淘汰され、貧民として都市に流入する。産業の構造変化がいつの時代にもあるものならば、これは、この時代のアメリカに限られたことではありません。、、、、、コンビニと100円ショップのために町中の文房具屋は店をたたみ、警察のシステム変化で、試験場の周りの代書屋は廃業し、いずれ民営化される郵便局員の中には転職を余儀なくされる人も少なくないに違いありません。そう考えると、60年をすぎても、なお通用するテーマを扱う作品だとも思いました。 [DVD(字幕)] 10点(2005-08-21 14:05:24)(良:1票) |
6. 生きものの記録
もちろん、原水爆の問題を重要なアイデアとしているが、この映画の根底的なテーマは家族だと思う。、、、、、、三船はイタリア映画に出てくるような家父長を演じようとしている。子どもたちのことを配慮し、世話をしようと、paternalisticに振る舞う。しかし、子どもたちは、父である三船を尊敬せず、その意思に従おうとせず、家族は崩壊する。、、、、、「生きる」ですでに表現されていた「家族の否定」という論理は、この作品で、全面的に展開されることになったのである。、、、、、そう考えると、最後のシーンの意味も、なんとなくわかった気になる。赤ん坊を背負って昇ってくる根岸。根岸は、三船、赤ん坊、自分とで、小さな家族を形成しようとしているのだ。しかし、その小さな家族は、すでに崩壊した三船の大きな家族と同様に、崩壊することを運命づけられている。あるいは三船が狂気に囚われている時、成立することさえないのだろう。、、、、、、、黒澤という人は、家族というものに、何か怨念のようなものを持っているのだろうか。、、、、、それと、三船の演技は、最初は、「生きる」の志村喬に匹敵するとも思われたが、考えてみると、特に、そこまで狂気を演じなくても良いのではないだろうか。 [DVD(字幕)] 8点(2005-06-30 11:51:13) |
7. 一番美しく
冒頭、志村喬の国粋主義的なアジ演説に接して、、、、、戦争を鼓舞し、人々を戦地に導く映画は、映像的に優れていればいるほど、非難に値するべきと思って見ました。、、、、しかし、見終えて、果たしてこの映画は、戦時中の国策映画に値したのだろうかという疑問が起きました。、、、、最初の勇ましさは、実は、映画製作を認可されるための目くらましのようなもので、映画の真意は、姿三四郎でテーマとした、人としての美しい生き方、あるいは、家族からの自立について描くことではなかったかと。、、、、、、仮に、純粋な戦争鼓舞映画であれば、先生の入江たか子にもっと、戦争賛美の言葉を、様々に語らせるはずでしょう。国策映画の中での教師の役回りは、通常は、政府の言葉の伝達役だからです。しかし、入江たか子は、そういう言葉を全くといって良いほど語っていません。、、、、、また男でなく、女の世界を題材としている点も、注意すべきかもしれません。男を描けば、戦場に行く、行かない、死ぬ、死なないということを必ず入れねばなりませんが、女を描けば、そういう必要はないからです。、、、、、全体として、リズム感があるし、また女子工員が集まって笑ったり、話したりする構図とか、良くできていると思います。また戦時中の勤労奉仕などの様子を伝える記録映画としても貴重ではないでしょうか。 [DVD(字幕)] 8点(2005-06-28 12:22:44) |
8. 生きる
志村喬の演技は、本当に神がかり的といってもよいほどだと思います。、、、しかし、私には、この映画は、「家族の否定」に思えます。、、、、つまりこの映画は、家族というのは、人間が生きた証を提供してくれる場ではないという考え方に立っている。役所でルーティンをこなし、子どもを育てることに力を割いた、それまでの志村喬のことを、生きていない、死んでいる、と断定してしまう。そして、死を前にした志村は、家族との交流に安らぎを見いだしてはならず、生きた証を仕事を通じて残せ、そしてそれが「生きる」ことだと説いている。、、、、、、そこには、「男」は仕事を通じて人生を実現してゆくのだということが当然のこととされています。、、、、しかし、私は、もちろん仕事も大切な領域だけど、家族だって、同じように大事な領域ではないかと感じるのです。、、、、、、そして、どんな生き方をしていようと、その人生を生きている人には、かけがえのない時間であり、それを死んだも同然と断定する権利は他人にはないと私は考えます。、、、余命幾ばくと知らされたなら、そうした過去の一つ一つの時間がいとおしいものとして立ち現れるのであって、それまでの過去の一切を棄てて、最後の新しい輝きを求めるというふうになるのだろうか。 [DVD(字幕)] 8点(2005-06-17 18:56:17)(良:1票) |
9. イノセンス
固定した視点ではなく、キャメラを動かしているように映像を展開させたり、動物を立体的に描いたり、アニメの技術としては極めて素晴らしいといえるのでしょう。また、動物は、いくら調教しても表情や仕草まで完全にコントロールすることはできませんから、動物を重要な要素として描くことはアニメにしかできないことなのかもしれません。、、、、、というわけで、アニメでこれだけのものが表現できるのか、という驚きはあるのですが、、、、しばし考え、CGを駆使した今どきの実写では表現できない何かがあったのだろうか、と思うと、、、、、、なんか、無さそうな気がするのです。、、、宮崎作品だと雲の流れや、色遣いなどで、こりゃぁ実写じゃ表現できんな、と感嘆する部分がありますが、押井作品はどうなんでしょう。例えば、ゴシック教会の形態をしたあの都市も、「ブレードランナー」のタイロン社の映像と較べて、美しくもなければ、畏怖の念もわかないのですが、、、。というところで、内容ですが、一番期待していたのは、電子化された記憶とゴーストで電脳空間に転移した少佐が、その空間の中でどのように振る舞うのかということでした。、、、、しかし、最後に、ちょこっと出てきただけで、それも全く豊かな想像力を感じさせない登場の仕方。、、、、要するに押井氏は、技術的に大変優れたアニメーターだけど、物語的な想像力と創造性はあんましないってことではないでしょうか。一番重たい問題である、ゴーストって何なのかということを、一生懸命考え、見る人にも考えてもらおうとするのではなく、底の浅い引用なんか羅列しちゃって、、、、。押井氏は、自己顕示欲が強いわりに、どこか自分に自信がもてず、強いコンプレックスを抱えているみたいな感じがします。へんな自尊心を捨てれば、もっと素晴らしい作品を作れる力量があるのに。もったいない。 4点(2004-12-19 21:00:06)(良:2票) |