1. 新聞記者
《ネタバレ》 昭和の時代って、実際の政治事件を扱った社会派ものから、荒唐無稽なスパイものやら、パニックものまで政治を扱った映画で面白い作品がたくさんあった。 また、昭和の時代はどんな権力者でも批判されてあたりまえであって、多くの映画の題材にもなり、いかにも悪い権力者、理想的な権力者も描かれた。 また、そういう作品を観て政治の世界、権力者のあり方というものを知ったものだ。 過去の映画でも、新聞記者が特ダネを握りつぶされるという描写はよくあるのだが、最近ではそういう描写すら自粛されているのではないかという危惧がある。 最近では犯罪サスペンス映画で本筋とあまり関係ない政治批判的な描写を入れたり、 全く架空の怪獣映画で官邸を風刺してみたり、 領土問題で全く架空の政権を登場させるといった方法でしか、政治を扱う映画が作れないのだろうかと思っていたら、 まさに直球ストレートな作品が登場したことに賛辞を送りたい。 かなりリアリティを感じる新聞社のオフィスに対して、内調の職場風景はやりすぎなぐらい架空なのだが(まるで秘密基地である)、 扱っている内容は現在進行形で起こっているであろうことである。 そしてあの問題の核心が出た時に、この映画の中の政権がいかに危険な考えを持っているか納得した。 (フィクションの中の政権と一応断っておきます) メディアの報道のされ方、それに対するネットでの反応などで、ここ数年疑問に思ってきたことが、かなりの部分納得させられるものがあった。 最近、自分は政治について発言するのも怖いという感覚があるのだが、極端な話、メディアが統制されていけば隣の北の国のような大本営発表的な報道しかされないようになる。(あくまで極端な仮定です) それは民主主義国家ではないことは、隣の国を見れば明白である。 そんな妄想にまで至りましたが、この「フィクション映画」を観て、多くの人が考えてほしい。 [映画館(邦画)] 9点(2019-07-03 02:52:52)(良:4票) |
2. シン・ゴジラ
《ネタバレ》 1984年「ゴジラ」公開当時にこういう「絵」が見たかった、どうしたらもっと本物に見えるのだろうか、と寝ても覚めても考えていた当時中学生の自分にとっては、庵野・樋口両監督が長い年月をかけて経験を積み、その願いを実践してくれたことにまずは感謝したい。 「シン」の意味は様々あろうが、これが真のゴジラかと言えば、良くも悪くも多くのゴジラの一つのバリエーションであろうと思う。 初代を超えるかどうかという問題は、初代が厳然と存在している以上そのインパクトは誰が作っても超えようがない。 しかし間違いなく3.11を逃げないで踏まえた現代の「ゴジラ」であろうと思う。 自分は最近の表現の過剰な自粛を悲しく思いますし、その中でこういうフィクション性が高いジャンルの映画を傘にして、多くの人が語りにくいことを表現していることがこの作品の最大の収穫だと思います。 非常事態に際して、誰が悪いのか、誰が責任を取るのかという短絡的な指摘ではなく、この国の構造的な問題を客観的に極めてわかりやすく指摘していると思います。(情報が多すぎてわかりにくいという点が逆に役所の本質をわかりやすく表現している) 例えば危機に際して首相が「都民を置いて避難はできない」と啖呵を切るが、その直後の側近の提言でいとも簡単に「わかった」と納得するシーンも実に含みを感じる。こういうやりとりがあったというアリバイがあって避難できるという政治家の腹も読めるのだ。これも避難するための役所の手順にすぎないと自分は感じた。(だからほとんどの政治家に感情移入できないような見せ方になっている) 自衛隊の攻撃はまさに膨大な「手順」の連続である。射撃の意思決定までの手順をこれほど正確に描いた邦画は初であろう。 重大な行動のためには膨大なハードルが用意されているという役所の本質がわかりやすく、非常に勉強になった。 若い人たちには風刺という概念すらないかもしれませんが、こういう切り口で風刺のきいた社会派映画を作る余地はあるのだと感心しました。 ヒロインのカヨコの役作りも自分はOKと思います。上手い下手という以前に、仕事で男性と対等に渡り合える女性はもっと邦画で描かれるべきだと思います。 ゴジラ映画としては多くの方と同じように細かいツッコミはいくらでもしたくなりますが、今回は明らかに怪獣映画という範疇には収まらない内容で、映画のセリフと同じように「日本のクリエーターはまだまだやれる」ことを少し誇りに思います。 [映画館(邦画)] 9点(2016-08-02 02:15:10)(良:4票) |
3. じゃりン子チエ
《ネタバレ》 ガンダム全盛の小学生の頃は全く見向きもせず、30年以上を経て初めて拝見。 演出も作画も、恐ろしいほど優れたテクニックで良い意味で全く子供向けではない。 例えば猫の動きの表現にも、ごまかしがなく、本当に当時のアニメーターのレベルの高さを感じます。 高畑勲監督の特徴だと思うのですが、ストーリー上はもっとテンポがあった方が見やすいと思えるものを、微妙に「間」を入れることで、人間の営みを一歩引いた感じで考えさせてくれます。 例えばテツの行動は、まともな演出ならギャグそのものですが、何を考えどんな人生を生きてきたんだろうかとふと考えさせられます。 この作品が海外で評価が高いのも納得します。人物に感情移入しすぎて日本人ならわかると省略する部分を丁寧に描いているから、海外の人にも理解しやすいのだと思います。 こんなレベルの高い作品でも、ペコちゃんやゴジラが堂々と出てくるのは、おおらかな時代だったと思います。 こういう遊び、今の時代では見られません。 これを今まで見ていなかった自分も恥ずかしいですが、全く今の時代でも古さを感じないので、老若男女見てほしい作品です。 特に遊園地のシーンは素晴らしい情感で、名シーンだと思います。 遊具のひとつひとつを詳細に研究しているのが想像できて、この監督のこだわりの凄まじさを感じます。 これだけの労力を費やしているからこそ、古さを感じないのでしょう。 ようやく見られるであろう次回作が楽しみです。 [DVD(邦画)] 9点(2013-06-06 01:52:12)(良:1票) |
4. 100,000年後の安全
《ネタバレ》 たぶん、この施設の現場の人達が平然としていられるのは、100000年ではなく、使命感を持ちながらも生きている間の自分の仕事として、自分の部署としての責任で仕事をしているからだと思います。 自分も全く日々、「自分の仕事」をしているだけの存在にすぎません。 実のところ、原発推進派でも、政治家でも、電力会社の人でも、一個の人間としては善良で家族思いで、人類が滅びれば良いという人はいないと思います。 しかし、日本列島が今の形になって3万年ぐらい、10万年以上も民主主義国家の下で安全に管理できる場所などどこにも無いということは、日本の歴史上でも、政治的な歴史、人類の歴史、地学的にも明白なことです。 原発が出来てたった50年で未来永劫に渡る負債を日本は背負ってしまったのです。 まずは原発をやめること。やめなければ未来は無いこと。やめた上で対処を考えること。 廃棄物が持っている放射能は、家族の一人である前に、誰かの友人恋人である前に、某社の社員である前に、某国の国民である前に、一個の人間である前に、人類の一員である前に、地球の生き物であるという高度な認識を持てるかという問題だと思います。 「生き物の生存」よりも「科学の意義」や「政治家の立場」を優先するのが悲しい人間の性でもあります。 この映画は、人間が考えうるギリギリの対処の仕方を極めて冷静に示してくれます。 まずは「やめること」しかありません。それが人間として極めて冷静な判断だと思います。 「科学」を使うなら錬金術の「もんじゅ」よりも廃棄物を宇宙へ放り出す「軌道エレベータ」のほうが100000年単位で考えればよほど有望です。まずは「やめる」ことです。 やめなければ「生き物」にとって未来はありません。 [DVD(字幕)] 10点(2013-03-08 01:17:13)(良:1票) |
5. 11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち
この日は私が生まれた日である。親から聞いた話によるとこの日の午後に私は生まれた。 誰もが生まれた日に何かがあって、それを自分の人生と関連付けるのは無意味なことなのであるが、この事件に関しては、こういうわけで心にひっかかっていたし、本やネットで事件を調べたりもしていた。 この日に生まれ、普通の家庭に育った自分にとっては、右左のどちらが正しいという情報は「どちらも正しい」としか思えず、その極端な行動に関しては「どちらも間違っている」としか考えられなかった。 自分は若松孝二監督に感謝している。 「連合赤軍」と対極にある立場の「三島由紀夫」。 右左の論争はどんな情報を見ても、限りなく深く混乱させられるばかりであったが、この2つの映画で描かれているのは、当事者たちが何を考え、どう行動したかを思い入れを持ちながらも客観的にも描いている。 自分が二十になる頃には、自分が生まれた時代の空気に対する憧れが確かにあって、世間はバブルだと言われながらも自分の世代は言いたいことを言えない閉塞感に打ちのめされていたし、この時代の若者はエネルギーがあると言うより、波に乗って言いたいことを好きなだけ言えたんだという恨めしさもある。 しかし、この70年頃の空気に対する憧れと、事実は別のものであり、「何があったか」という点で若松孝二監督は最もわかりやすく、この日に生まれた自分の疑問に答えてくれた。 三島に関して深く研究している方にはこの映画に対する反発もあろう。 映画としてはこの俳優では若すぎるという違和感もある。 しかし臆することなく、この事件を語ってくれた監督に感謝します。 [映画館(邦画)] 7点(2012-06-18 02:47:18) |
6. 十三人の刺客(1963)
リメイク版を観た後で、このオリジナルを鑑賞。こんな傑作を今まで観ていなかった自分が恥ずかしい。 このオリジナルを観ると、今の邦画時代劇のロケーションの苦しさがよくわかる。 昔の時代劇は「絵」が広い!! どのシーンを見ても、よくこんな広いロケ地があったのだと感心する。 今のようにカメラがやたらめったら動かず、1カット1カットの構図が素晴らしく、そのカットの組み立てでシーンを見せている。 やはり、この頃の映画はテレビとはっきり差別化した撮り方をしていたのだと思う。 小さなモニターではなく、映画館で堪能したい作品だ。 [DVD(邦画)] 8点(2012-01-13 23:50:53) |
7. 地震列島
この映画の公開当時、映画館で大震災を目の当たりにした小学生は、部屋の家具が凶器になるということを初めて教えられました。この映画のトラウマがあって、去年の震災前から家具は倒れないようにしており、残念ながら去年の震災でこの教えが正しかったと実感しました。 この映画の描写のいくつかは、その後の震災で現実となってしまった事は決してバカに出来ないことです。 この映画では荒唐無稽とも思える学者の発言があります。 「日本中の道路を倍の広さにしろ」「燃えない車を作る」 あの日、東京で大渋滞を目の当たりにし、この大渋滞の中で火災が起こっていたら東京はどうなっていたか。自分には、全くの正論だと思えます。マスコミはこの点を強調しませんが、帰宅困難以前に、あの震災で東京の火災が微細にすんだことは全くの幸運だったのです。 特撮の完成度や昼メロ的なドラマでこの映画の評価は低く見られがちですが、防災の警鐘としては真理を語っており、子供の頃から自分の心に残って教訓になっているという意味でこの映画に感謝しています。 この映画の公開当時、「高速道路が崩れるわけがない」と言った政治家と学者は阪神・淡路大震災で大恥をかいたと思いますし、特撮で迫力があると思っていたコンビナートの爆発も、フィクションではなく、あの震災で残念ながらありうることが証明されてしまいました。 この映画はいわゆる興味本位のパニック映画ではなく、防災映画だと思います。 マンション火災も地下鉄水害も、橋の落下や、堤防の決壊も フィクションとして誇張されてはいますが、きちんと公開当時にありうるという根拠に沿った表現です。 この映画の先見性を評価することは、不幸なことではあるが、この映画の存在を否定されるような風潮は最もあってはいけないことだと思います。 テレビではこういう映画やドラマはあの震災後は不謹慎で放映も製作もできないという事情はあるかもしれませんが、レンタル店でDVDも見れなくなっているのはどういうわけかと思います。それほどこの映画は迫真性があることの裏返しで封印されてしまったのだと思います。 この映画のバカな科学者のように繰り返し言いたい。防災のために一度は見ておけと。東京に住んでいて切に思います。全ての道路を倍の広さにしろと。 [映画館(字幕)] 7点(2008-09-03 21:18:04) |