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《ネタバレ》 ブルース・ウィリスの腹に注目。ベルトの上に贅肉が乗っかっちゃってる・・・。これを見た瞬間、この映画は面白いに違いないと思った。彼と、彼の「元」同僚たちは、その存在だけで20年にも及ぶキャリアと汚職にまみれた暗部を映し出す。彼らからニューヨークという場所の一端を感じ取れる。また同時にニューヨークは彼らをごく自然に画面の中へと収めているように思う。屋上、室内、地下と毛細血管のように張り巡らされた建築物の間と、息の詰まりそうな程溢れかえる人、人、人の間で行われる追走劇。街の細部を知り尽くした彼らの押しと引きのリズム構築の見事さ。そして圧巻はやはりバスでのやり取りだろう。まんまと逃げるブルース・ウィリスとブチ切れるデヴィット・モースという最良の構図を迎えるまでの時間の密度はかなり凄い。「護送される奴が、実はイイ奴」という不変のパターンにも見事にやられる。最初はよーしゃべるウザったい奴だと思っていたが、中国人のおっさんのところで着替えをした辺りから涙腺を緩めるようなことばっかりしやがって・・・負けました。女っ気がほとんどないのが不入りの一因か?妹、良かったんだけどね・・・ [映画館(字幕)] 8点(2006-11-04 04:31:05)(良:2票) |
2. 少女ムシェット
《ネタバレ》 「ドリーマーズ」で一番ビックリしたシーンは、「少女ムシェット」を引用した部分だった。その映画が「少女ムシェット」という映画だったと知らなかったので、調べてレンタル屋へ行ったら置いてなくて、どうやらセルDVDとしてしか存在しないみたいだったので財政は苦しかったが買った。それ以降ブレッソンという監督の名前が頭の中にこびりついて離れない様になってしまった。ゴロゴロゴロゴロ・・・失敗、もう一回。ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ・・・バシャーッ!つらい。なんでつらいかというと、彼女の自殺は回転運動の結果でしかなく、回転による衣服の擦り切れや、彼女が落下する事で生じる川の波紋のような物理的なものと変わらなく感じるからである。全編がこのノリで、ムシェットの薄幸ぶりが無機質的に描かれる。それゆえにムシェットがバンピング・カーで遊ぶシーンは忘れがたい。軽快なBGMの中、ガコン!ガコン!とぶつかる車。これだけの事なのに何故こんなに楽しいのか。自分の映画鑑賞スタイルにブレッソン以前と以後というボーダーが出来たのは間違いない。 [DVD(字幕)] 10点(2006-06-21 16:34:40)(良:2票) |
3. シン・シティ
アメコミ風世界観は結構だが、映画館ではやっぱりアメシネが観たい。この作品は映画的な想像力とはほとんど無縁の場所に存在していると思った。これは映画というよりも「画」である。面白いことは面白い。話が進むごとにシンシティという街の全貌が見えてくるようなストーリー展開は結構好きだし豪華な出演陣が持ち前の魅力を出しているとも思った。だけど、何かが足りない。というよりも不純物が多いのかもしれない。それは逆に言うと監督の原作に対する思い入れの深さゆえか。でも、映画は算数ではないので足し算しても結果は必ずしもアップしない。逆に引き算したほうがアップしたりする。B級映画的世界をA級映画風にする必要があったのか。シンシティは、「これは、~な映画である」といった時の「~」が多すぎる。実際の所「これは映画である」と単純に言うことは難しい。 [映画館(字幕)] 6点(2005-11-02 00:23:28) |
4. 驟雨
香川京子「『何だそれは、キュウリか?』って・・・」原節子「え?」香川京子「キュウリって言ったわよ!」ここで香川京子が泣きます。原節子は「まあ、それは失礼ねえ」とか言いながら可笑しいのを堪えています。もう、このシーンだけでも何度も見たい!(ちなみにキュウリとは、香川京子が描いた日本地図のことです・・・)成瀬の映画で庶民の日常そのものを描いている作品って、実は意外と少なく「驟雨」はその中の一つです。小気味よいテンポとささやかなピアノからなる、ほんとに小品といった感じのこの映画は、それでもいつものように全く手抜きがありません。商店街の雰囲気や、まだ道路の整備されていない住宅地の佇まい。たった一つの画面から様々な心情を映し出す撮影と照明の素晴らしさ。そして大げさにデフォルメされた人物たちのおかしさあふれる抜群な演出。幼稚園での会合のシーンなんて、例えば脚本を見ただけで、あれだけ連続性に富んだ映像を創造できる人はいないと思います。この年、成瀬監督は他に「妻の心」と「流れる」を上梓しています。しかも「驟雨」の前は「浮雲」!この事実を前にただ驚愕するしかないです。今ではもうそんなことはありえないから。 [映画館(字幕)] 9点(2005-09-24 01:52:46)(良:1票) |
5. ジェリー
ある「意図」を映画に放り込む、ということを先端まで突き詰めていくと結局こういう形になるんじゃないかと思う。それこそシネマスコープで撮ったということにも意味を感じてしまうぐらい。で、そこから「そういえば「エレファント」はスタンダードだったな」みたいな。こういう、どんな解釈も可能な、含みだらけ(実は何もないかもしれないという含みも入れて)の映画はあんまり好きじゃないが、この映画は、作った監督自体が可能性以上に不可能性をジェリーという同じ名前の人物に感じているみたいで、この作品に正面から付き合うには自分も「ジェリって」みるしかないな、という気分にさせる。感情移入じゃなくて自分を砂漠に置くという感じ。で、こういう感覚って映画館の中でないと生じにくいし、最初に書いたようにシネスコだからテレビだとめっちゃ画面が小さくなる。鑑賞という方法では多分死ぬほど退屈に違いない。真っ暗な映画館の中で、幾人かの観客と一緒にこの映画を共有する。そのことの重要性を想起させるだけでもこの映画は貴重な存在なのだが、この映画の配給会社(アメリカの)はつぶれたそうだ。で、日本でも実際に映画館で上映するにしてもどうせ大きいところではやんないから単館上映の小さな小屋で掛かるのがせいぜい(しかもレイトショー)。そりゃあ儲かんないだろうし、だからソフト化して回収できる分は、とか思ってるんだろうけど、これ、儲ける為の映画じゃないし。いやほんとに、環境映画のコーナーに置いてあげるべきだと思う。今度この映画が日本で上映されるのはガス・バン・サントが死んだ時かな・・・あーあ。まあ、「商売」としては完全に間違えた映画です。堪らなく良い映画だと思うんだけども。 [映画館(字幕)] 10点(2005-08-31 02:12:19) |
6. 10話
キアロスタミはイランのオズといってもいいかもしれない。映画スタイルこそ全く違うものの、登場人物へのやさしいまなざしは非常によく似ている。誰もが平凡でつまらないと感じる視点を一瞬で非凡の領域に変えてしまうところも。舞台は車だけ。若いイランの女性が運転する車の中で、彼女を中心とした人間模様がタイトル通り10話に区切られて進行する。映画をつくる方法としては、おそらく中学生でも出来るぐらいにシンプルだ。だって車の中にカメラを据えているだけだから。しかし、「こういう風」に撮ることは誰にもできないことがすぐ分かる。なんというか、演技とかそういう次元を超えている。例えドキュメンタリーでもこういうのは絶対に撮れないだろう。この映画に働いている力は一体何なのだろう。というよりもこれが映画になってしまうのなら、この世に溢れる大枚をはたいた凡百の作品って一体何なの?映画には大量のカネがつきものだが、そのカネとは、映画そのものにつぎ込まれているわけではない。ていうか多分映画そのものには金はかけられない。映画を飾る雑多な要素をほとんどそぎ落として映画としての最小単位を求めた結果、本作は車の中だけでイランの生活そのものを表現するという離れ業を成し遂げられたのかもしれない。だからといって観る側はイランという国の特殊性にばかり目が向かうのではなく、むしろ誰もが抱える生活への不安とか人間関係の難しさを感じ取ることになる。喜劇でも悲劇でもない、ただひたすらに優しくて暖かいまなざしがそこにはある。 [映画館(字幕)] 10点(2005-04-11 10:28:18) |
7. シャンドライの恋
ベルトルッチ凄すぎるよ。「暗殺の森」がよくわからなくてそれ以降、彼の作品を見るのはやめてたけど、バカだった。「暗殺の森」ももう一度見なければ。この人は間違いなく映画作りの天才。映画を設計するってのはこういうことなんだな。ただでさえ素晴らしいあの螺旋階段の屋敷を、スーッと抜けるように動くカメラの曲線的な動きは繊細なガラス細工のよう。で、そのカメラがシャンドライ(髪型が気に入った)と一緒にスーッと上っていくと、あの赤を基調としたピアニストの部屋が現れる。長い1ショットがもうそれだけで映画になってる。凄い。あと部屋。シャンドライがピアニストの靴をベッドの下から拾うシーンがあるのだけど、ここの光線がやばい。埃まで誇らしい。そんな事まで言いたくなる。室内撮影の制限を完全に利点にしてしまっているのです。凄い。そして衣装や文様。この映画では細かい模様をメチャクチャこだわっている。映像にもあからさまに入れている。一度見た人は今度はもっと画面の近くに寄って見るべし。遊び。映画に遊びを盛り込むヌーヴェルバーグをこよなく愛している(に違いない)彼ならではのジャンプショットやスローモーションや早送り。あるいは同じイタリア映画の「特別な一日」を髣髴とさせる洗濯物をしまいこむ風景。ベルトルッチのカメラは速い。画面の切替えとかそういうことじゃなくて、コマの連続性が、まあサッカーで言うならACミランのカウンター攻撃のように合理的なのにそこには即興的な想像力が秘められている・・・よくわからないけど、そんな感じ。ミランのサッカー見てください。対の音楽。延々と反復し続けるアフリカの民俗音楽とクラシックピアノがまさにドラマそのものとなっている。こういう映画にセリフや具体的な物語はただの雑音にしか聞こえないだろう。ラストは当然セリフなし。印象的な青みがかった早朝のローマの町並みに佇む夫こそドラマの終焉。映像美っていうか彼の場合は映画美だな。凄い。 (追記)と、大絶賛したものの冷静に考えて10点はあげすぎか。なんか、バカみたいに高揚してたな・・・ 8点(2005-03-28 12:28:33)(良:1票) |
8. シティ・オブ・ゴッド
映画という観点から見ると、最新の映像技術や次々に切り替わる節操のない(まあ、スタイリッシュってこと)カメラワーク等、流行に迎合している感はどうしてもある。っが、、、約100分強の時間で、瞬きが、5回ぐらいしか、できなかった。 [映画館(字幕)] 7点(2004-12-14 00:59:52) |