1. 十二人の怒れる男(1957)
《ネタバレ》 法学部の学生だった頃に,ゼミの教授から“いやしくも法律を学ぶ立場の者なら,必ず観ておくべし”と言われた。ゼミの単位を落としたくない私は,観た。確かに面白い。いや,面白いだけでなく,なぜ私たち学生にあんな事を言ったのか,その理由もわかったような気がした。“なるほど,これが民主主義か!”てなものである。ヘンリー・フォンダが,あたかも自由と正義の守護天使のように見えたものだ。そして,シドニー・ルメットが描きたかったのは,人を裁くということを通じて謳い上げた人間賛歌であると。そう強く思ったのが,およそ20数年前のことである……そして今,あらためて今作を観て,あの時教授が言ったことの本当の意味がわかって,わずかばかり慄然とした。あの被告の少年は,私が見ても状況的に限りなくクロに近い。彼は真犯人ではないと完全に言い切れる物的証拠は,正直どこにもないのである。あるのは,あくまで推論のみ,それも現場から遠く離れた密室で,警察官でもない普通の男たちが鼻つき合わせて議論するだけだ。そこに,能弁で頭が切れ,かつ相手を意識誘導できるような人間が混じっていたなら……結果は映画の通りである。物語としては,あれでよかったのだろう。しかし,本当の真実はあの映画では依然見えない……背筋をそっと軽く撫でられるような恐怖感を覚えたりするのは,ひょっとすると私がおかしいからでしょうか。シドニー・ルメットの意図がもしそういうところにあったとするなら,彼は実に人をくった大ボラ吹きとしか言いようがない。まこと,あっぱれ。というわけで,あくまでそんなひねくれた見方をした上での10点です。 [地上波(字幕)] 10点(2006-06-22 12:31:10) |
2. 呪怨 (2003)
恐くないどころか眠たくなるホラー映画に遭遇するのは,悪名高き「死霊の盆踊り」以来二度目。時系列がバラバラで「?」とか,女子高生ゾンビ?なんやねん!などいろいろ文句はあるが,最大の敗因は山海塾もびっくりの粉まみれ霊,これだろう。もう少し見せ方に工夫はなかったものか。悪霊の怨念が尋常でないのはわかったが,あれでは恐さよりもまず気色悪さが先行し,そのうち失笑がこみ上げてくる。そもそも子供を負の側の住人にするというのが,個人的に気に食わない。清水祟はホラー,特に日本人の肌に食い込む恐さとは如何なるものか,というのがわかってないんでしょうな。映像のみで勝負しようとしたのがみえみえです。でも逆説的な意味で,むしろそのことが視覚的なサプライズに頼るハリウッドのお眼鏡にかなったのかもしれません。そのチャンスも生かせなかったのは,やはり能力の限界か。文句なしの0点にするつもりだったが,意外にきれいどころが女優陣に揃っていたので,何とか1点。 [地上波(字幕)] 1点(2005-12-30 11:42:33) |
3. ジャッカル
このキャストと脚本でもって,本気で「ジャッカルの日」をリメイクできると思ったのかどうかは知らないが,本当にやってしまった時点で,全員フレッド・ジンネマンに土下座しなければならない。いいかげんにしないと,草葉の陰から本当に祟られるぞ,そんなことを思いながら観ていたら,ジャッカルがただのビッグマウスだとわかって,一層げんなり。世界最強って,その程度か?それにしても冷血マシーンを演じるには,ブルース・ウィリスは体内温度がまだ高そうだ。というより,完全なミスキャスト。結局リチャード・ギアが得をしただけ(いや,むしろ……)。リメイク大失敗の巻。2点。 [ビデオ(字幕)] 2点(2005-12-25 11:27:47) |
4. シャイニング(1980)
“例えて言うならこれはキャデラックのようだ。見かけは大きくて立派に見える。おまけにとても煌びやか。しかしいざエンジンをかけてみたら,その動きは鈍重なことこの上ない”シャイニングを評してキング自身が述べた言葉である。ものが重量級なのはどっちもどっちなのだが,私もおおむね彼の意見に賛成だ。しかし,映像としての本作を,キング御大ほど毛嫌いするわけでなく,むしろ魅了される側の人間である。ただ,この物語を的に据える出発点が,2人の巨匠の場合決定的に隔たっていた。煎じ詰めればそういうことに尽きる。思うにキューブリックの世界とは,白亜の殿堂の奥に鎮座する大理石でできた100インチの大画面で観賞するようなものであるのに対し,かたや“第一創造主”であるキングの思考ベクトルはパブロン中毒さんが書いたように,いたってノーマルなアメリカ人男性のそれと同じである(と,いろんな作品からそう推測する)。彼が書いたのは,息子を愛するがゆえにオーバールックの悪霊にたぶらかされていく男の姿。行間に込めたのは,崩壊した家族の再生と淡い未来への希望である。反してキューブリックは圧倒的な映像美を展開するために,それらの一切を引き出しにおさめてしまった。これでは,両者が交わる地点など最初から約束されていないのも同然だ。キングが怒るのもむべなるかな……と,ここまではキングファンとしての意見で,冒頭にも書いたように,私はキューブリックの審美眼はすばらしいと思う。少々小難しいものの,ゴシックホラーのたどるべき道筋はちゃんとおさえてある。首筋の後ろ辺りがちりちりしてくるような怖ろしさを醸し出すのはさすがの手練。しかし,その点においてキングもキューブリックも卓越した力量の持ち主であるのが,あまりに皮肉である。 [ビデオ(字幕)] 8点(2005-12-23 23:14:06)(良:1票) |
5. シークレット ウインドウ
《ネタバレ》 本来のパーソナリティ以外に存在する,悪しき隣人たるもう1人の自分という設定は,「ジキルとハイド」を例に出すまでもなく昔から繰り返し使われる。ただ,本作にジョニー・デップを起用したのはいかがなものか。最初から何かしでかしそうな病的なムードを背負っていて,物語の進行上まずいのではないか。序盤で既に観客にはオチが見えるし,ラストも……で,何とも気色悪い。トウモロコシ畑の土中にカメラが移っていったあとで,ジョニーがトウモロコシにかぶりつくシーンは,生理的に嫌悪を覚えた。何もかも彼のせいにするわけではないにせよ,原作では主人公のモートはいたってノーマルな男(普段は)で,間男に寝取られた妻を思ってウジウジしているちょっと情けない小説家という設定を考えれば,ジョニー・デップはやはり役者としてのアクが強すぎると思う。とにかく原作自体が名作というより佳品なので,全体としてややこじんまりとなったのは仕方ないだろう。最後にキング原作の映画を観るときの注意を一つ。キングという作家は後出しジャンケンがとても得意です。小説ではオチをすぐ開陳します。だから原作に沿って映像化すれば,結末はたちどころにわかってしまうので,どうか皆さん,そんなのに出会っても腹は立てないでほしいと思います。1ファンとしてのお願いです。 [ビデオ(字幕)] 5点(2005-11-06 09:38:51) |
6. 女優霊(1996)
普通に面白くない。けっこう期待して観たんだが…湿った怖さを演出しようとするばかりで,「これは映画なんだよ」という至極当然な部分を思い切りはずしている。これじゃ「本当にあった!呪いのビデオ」の類とあんまり変わらんじゃないか。だから,柳ユーレイが足を引っ張られていく最後のシーンは,そのことに突然気づいた中田監督が埋め合わせをしようと無理矢理とってつけたとしか思えない。そんなわけで3点。 [ビデオ(字幕)] 3点(2005-11-04 07:35:22) |