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1.  それでも夜は明ける 《ネタバレ》 
黒人のレブロンジェームズがキングと呼ばれ、同じく黒人のペレが王様と言われている現代ではにわかに信じられない事実ですが、白人の女性は奴隷の黒人の前では、自宅で平気で裸になったと言います。つまり、動物に裸を見せて恥ずかしがる女性はいなかった。過去の黒人は動物という認識だったのです。中には黒人に理解を示す白人もいたが、それは人間が犬に対して愛情を持つのとなんら変わらない。私は問いたい。「この映画を観て、黒人を痛めつける白人を残酷だという観客は、なぜそう思うのか?」答えが簡単です。我々はすでに黒人を動物ではなく、人間として認めているからです。だから私たちの感覚で、昔の白人はケシカランと結論付けるのは早計なのです。人は相手が動物の場合、今でも平気で自由を奪っている。たとえばロープにつるされたままの主役の黒人に驚くことなく、まわりの白人たちは淡々と日常生活を行っているシーンは、まさに動物に対する人間の態度なのです。ただしこの黒人はほかの黒人と違って自我を持っていた。黒人を動物と考える白人は、その黒人の自我に敏感に反応し、脅威を感じ、そして敵とみなした。いつしか黒人は韜晦したふりをして、生きる術を身に着けた。→「ワタシはニンゲンではなく、ドウブツです。」多くの黒人は動物のふりをし、白人はその態度に安堵した。そういう時代だったのです。人間は昔も今も残酷だ。ハンティングと言って、動物を殺すことを楽しむスポーツがある。過去も、現代も、そして未来も人間は常に動物と認めた生き物に対しては絶対的な差別を行っている。黒人は単に動物から人間に格上げされたに過ぎない。私は許さない。主役の黒人俳優は素晴らしい。同じ黒人俳優のデンゼルやスミスなどにはこういう演技は無理(かっこよすぎるから)艱難辛苦を他力で乗り越えるところは事実だから仕方ない。運命の波に翻弄されながらいつの間にか砂浜にたどり着いた人間の姿、その姿には正義も悪も、勝利も敗北もクソもありません。正当なヒューマンドラマとは、かくあるべきです。
[DVD(字幕)] 9点(2014-10-05 19:49:11)
2.  そして父になる 《ネタバレ》 
福山パパは、はっきりいって悪役です。金持ちで、エリート社員で、貧乏なご両親に対して常に上から目線で、悪徳弁護士と手を組んで、子どもを金で買おうとする、最高級のクソ男です。それに対してリリーパパは常に子供たちから愛されている。だから私はリリーパパには興味がない。やはり人間性が破壊されている福山パパに興味が湧く。福山の子供時代、突然母親がチェンジする。「俺はお前を母親と認めるつもりはない」←これは子供の立場からすれば正論だ。しかし今度は自分が突然チェンジする父親になる。新しい子供は憎々しい目で福山パパを睨む。「俺はお前を父親と認めない」という目だ。まさに因果応報!ここで福山パパは母親に電話をかけ、子ども時代の自分の態度を謝ろうとする。子供の人生を振り回す身勝手な親は死罪に値する。トラウマは一生付きまとう。子供が親を憎む権利は日本国憲法で保障されるべきである。しかし、親だって人生に振り回されながら生きている。被害者なのかもしれない。世の中はリリーパパのように子供から愛されるパーフェクトな父親ばかりではない。そう思うと勝ち組の福山が負け組に見えてきて応援したくなってくる。1つポイントがある。ケイタはひそかにカメラで福山パパをたくさん撮っていた。それを見てなぜ福山パパは泣くのか?彼は我が子から愛されていたことに気が付いたのだと思う。何を今さら、と思うかもしれない。しかし、幸せとは失ってから気が付くというのが人生のセオリーである。これが真の人間の姿だ。ラストはどうなったか?「時間」が勝ったのか?「血」が勝ったのか?子供を返すのか?返さないのか?くだらないことだ、事実(オチ)しか興味がないなら新聞で確認しろ。「物語」では結論は重要ではない。福山パパが、自分の愚かさに気が付き、悩み、暗中模索の中、前に進み、そして父になる、物語の本質はそこにある。私は福山の演技を非常に高く評価する。紛れもなく素晴らしい作品です。  
[DVD(字幕)] 9点(2014-08-12 20:19:36)(良:3票)
3.  ソーシャル・ネットワーク 《ネタバレ》 
マークの心理描写は120分中、冒頭の7分弱で終わる。その後、マークの側にいたサベリンの心理描写が克明に描かれている。「おれが最初にマークを評価したんだ、おれがマークと一緒に成功するんだ!」という彼の焦燥感が伝わってきました。それなのに双子の資産家や山師のショーンがあとからやってきて、マークという宝の山の奪い合いをはじめる。金の匂いに敏感なやつらだ。勝者は嗅覚が優れている。比喩的な表現になりますが彼ら勝ち組は、マークという名の錬金術師を見つけたのです。そして政治家顔負けの謀略を繰り広げ、そのなかでサベリンが見事に脱落してしまった。この男の孤独が痛いほどわかる・・そしてこんなときのマークの心理描写は意図的に省略されている。すなわち製作者は、マークを物質的な「金のなる木」と見立てている。それゆえに主観は極力排除されている。彼は単なる金、もしくは宝の山の象徴なのだ。この手法により「金」に群がる者たちの人間模様─、右往左往し、そして一喜一憂するヒューマンドラマを描くことに成功した。そして裁判。どんな判決が出ても、けっして勝者がいない裁判。果たしてこれは本当に成功者の物語なのか?ハーバード連中の勝ち組の物語のようにみえて一筋縄にはいかないそんな曲者ぶりがこの作品には終始漂っている。ソーシャルネットワークという事象に限らず、才能溢れる人のまわりでは、常に大金が動き、独特の嗅覚をした奴らがそこに群がってきやがる。冗談じゃない。この映画はフェイスブックだとか、起業家の実像なんていう話はどうでもよくて、宝の山に群がる人間たちの人間模様を描きたかったのだとおもう。そしてその試みはじつに見事に成功したものだと考えます。  
[DVD(字幕)] 9点(2012-01-27 22:29:37)(良:3票)
4.  その名にちなんで 《ネタバレ》 
原題は「名をもらった人」という意味なので、名を授けた父親が核になっているのは確かだが、母親のアシマの圧倒的な存在感の前に、この男がかすんで見える。一般的にも母親の愛情表現は、不器用な父親の愛情表現をはるかに上回る。従ってあくまでも一般論だが、父親が母親よりも子供から愛情を勝ち取ることは不可能に近い。そういう意味では、男は寂しい生き物だと思う。ただし親の愛情というのは、子供から愛情の見返りを求めるものではない。ここが「恋愛」と「親の愛」の大きな違いである。あの金髪の恋人は、愛情の見返りを求めた。恋人ならば、それは当然だといえる。しかし親の愛情はいつも無償だ。その無償の愛情をもらう子供のほうは、大抵の場合、それほど親に感謝しているわけではない。母が息子の誕生日の日に電話しても、息子へはつながらない─。それでも母親は受話器に向って「ハッピーバースデー」とささやく。泣けてくる。親の愛情は、ただひたすら純粋である。「親の気持ち、子知らず」たしかにその通り。子供が親と真剣に向き合うのは、極端なことを言えば、親が死んでからだ。多くの人間は、失ってから、失ったものの大きさを実感する。ガンジス河で遺灰を流している傍ら、子供たちが水遊びをしている神秘的なシーンがある。日本では「死」は不衛生であり、また不吉であり、遠ざけておくものだという考えがあるが、インドでは違う。あの国では「死」は、常に身近にある。インドの魅力を語ればきりがない。「枕と毛布をもって旅に出ろ、世界を見ろ」列車内で男はこう言った。自分の国を知るために、世界を知れ、という逆説的な意味として捉えることもできる。自国から出たことがない者は、自分が何者であるかという当然の認識さえ持てなくなる。自分が何者で、どんな文化の中で暮らしているのかを実感するためには、その中から抜け出すしかない。例えば日本という国を、日本人が実感するのは、日本を離れたときに違いない。この物語は、インドで暮らすインド人が作ったものではない。外国育ちのインド人の自伝要素が反映された物語だ。従って、余計にインドの文化に対する並々ならぬ矜持を感じ取ることができる。
[DVD(字幕)] 9点(2009-04-09 21:51:25)(良:1票)
5.  ゾディアック(2007) 《ネタバレ》 
物語性のない実話をベースにしているので、派手なアクションも、刺激的なバイオレンスシーンもありませんが、監督は観客を退屈させないように、スピードだけは絶対に落とさないように気を使っていたことがうかがえます。1つの連続殺人事件がはじまってから迷宮入りするまでの長い年月のあいだに、さえないバツイチの漫画家は再婚し、アットホームな家庭を築く。かと思えばかつての敏腕新聞記者はアル中の酔いどれになっていたりする。他愛のないエピソードだけど、なぜか退屈しない、その理由は時の流れのはやさが、ごうごうと音をたてて流れていることを、意図的に作り手が観客に実感させているからです。日時の表示も効果的でした。「時間」というものは不思議なもので、私たちは「限りある時間」を、どうしても日常生活において意識することができません。一寸の光陰軽んずべからず、まだ時間はあるさ、と思っていても私たちはあっという間に棺桶に片足を突っ込む時期が差し迫っている。この映画の主題の連続殺人事件などはメタファーに過ぎません。人は何かを解決できる、何かを成し遂げられると思って生きている、誰もが何かに対し、「いつかは~」という思いを抱いて生きているが、時間は信じられないはやさで過ぎていく、そしてあっというまにフィナーレはやってくる。そのときになってはじめて「いつかは」は永遠にやってこないことに気がつく。その瞬間、人は何を思うのか?漫画家は焦燥感で我を忘れ、刑事は悟りを開いたように諦めていた。大抵の人間の行動パターンは、焦る、諦めるという2つのパターンに分かれる。私たちが普段は気にとめない「時間」を意識するのは、いつのときも終わりが近づいてきてからのようです。殺人事件だけではなく、すべての人の人生そのものが未解決のまま終わるのです。隠喩に満ちた作品でした。 
[DVD(字幕)] 8点(2008-10-01 20:12:43)(良:3票)
6.  それでもボクはやってない 《ネタバレ》 
痴漢にあった女性の心を傷つける権利が本当にこの映画にあるのですか?そんなに少数の冤罪者に同情したいならば、在日外国人の冤罪事件でも取り上げればいいのです。日本は痴漢大国です。それをどうやって防止していくか、ということを警察や地域が一体になって努力しているなかで、この映画の内容はあまりにも悪質すぎる。こういうわがままな男の視点に立ったものをつくるから、「痴漢される女性にも落ち度がある。男はむしろ被害者だ」と、勘違いする男が出てくる。この物語のなかで言っていることは、ようするに、痴漢男のなかにも無実のものが1%いるということでしょう。だけどね、そんなのは北朝鮮のなかにも善人が1%いるし、オウム信者のなかにも1%まもとなのがいると言っていることを同じなのですよ、監督さん。あなたはわざと問題の本質をゆがめている。いいでですか?痴漢をされた女性はですね、心に大きな傷を受けるのです。それはトラウマとなって、まともな社会生活すらおくれなくなるケースもある。その事実は無視ですか?主人公が痴漢と間違われたのだって、じつは女性のほうが過去に痴漢の被害を受けて恐怖でパニックになっていた可能性が高い。それなのに痴漢されたと思い込んだ女性が100%悪いというみせかたをするのはおかしい。一番はらただしいのは、この映画が男ばかりを擁護して、本当の弱者の心の痛みにまったく鈍感であることです。私はこの監督の偽善をぜったい許さない。  
[地上波(邦画)] 0点(2008-03-02 13:24:21)(笑:2票) (良:4票)
7.  ソウ2 《ネタバレ》 
もし仮に、末期がんを宣告されて、死の恐怖に怯えているときに、偶然隣に、試験に落ちた受験生がいて、「おれ、もう死にたいよ」という声が聞えてきたらどう思いますか? 死の恐怖に耐えて、残る余生を静かに過ごそうと、1日1日を、かみしめるように生きているときに、健康な男が、つまらない理由で死のうとしている。 これはそういう映画でした。 さいきん自殺問題がニュースで取上げられているが、そういう人たちにとって、1日という時間が、いかに貴重なものなのかを理解することはできない、健康体であることにも感謝できない。 彼らは「生」の実感を持たずに、「生」を捨てる。 しかし、そういう連中は、多分こう反論するだろう。「ただ生きているだけなら人間だとはいえない」と。 末期がん患者にとって、これほど残酷な言葉は無いのではないか。 借金がたくさんある人、いじめで苦しんでいる人、人生に絶望した人は、自殺する前に騙されたと思って、どこか外国の戦場に行って下さい。瀕死の重傷を負って、はじめて分かることがある。ジグソウがいれば一番便利なのだが、実際にはいないだろうから、まずはイラクにいって銃弾を何発か浴びてこい。銃弾の雨が降る戦場では、自分の存在理由で悩む暇などありません。 ただひたすら生き延びることしか考えることができなくなる。人間は動物だ、生きたいと思うのは本能だ、隠している本能を、死のゲームによって炙り出してやりたいと思う犯人の衝動は、親切心ではなく、嫉妬の混じった八つ当たりだが、理解不能な心理では決してないと思う。 透明な自分の存在に悩んで、自分探しを続け、この世は虚無だ、と偉そうに悩んで、うつ病にかかってどうなる??尊厳などなくても、人は生きていけるのだ!人間はそんなに高尚な生き物じゃないやろ! 存在意義などクソ食らえだ、生きる目的?冗談じゃない、ただひたすら生きるのみだ。 この映画は、私のように、異常なほどに、死に対する恐怖心が強い人ほど共感できるかもしれない。
[DVD(字幕)] 7点(2006-12-01 22:03:21)
8.  そして、ひと粒のひかり 《ネタバレ》 
あの聖母マリアを連想させる神々しい名前とは裏腹にコロンビアに住むマリアは妊婦でありながら麻薬を体内にいれて密輸を行おうとして「母親失格」」と友達から罵られていましたね。もちろんこれはマリアの行動や考え方を批判する映画ではないと考えます 。マリアを通してコロンビアという国がいかに問題を抱えているのかよく分かりました。胃の中に麻薬を詰め込んでアメリカへ密輸する運び屋の報酬は5000ドルで、マリアがその仕事のために62粒の麻薬入りのカプセルを飲み込むシーンは、簡単にいうと、「おえー」となります。目を蔽いたくなってくる。しかし、しょせん日本人には理解できない状況なのでしょう。なぜなら日本ではそういうことを行う可能性が限りなくゼロに等しいからです。コロンビアには可能性がある。この国では日常的に麻薬というものが横行しており、そのうえ貧困を抱えている。つまりいつでも麻薬に身を委ねる可能性があるのです。 たとえばお金に困っていたら、突然、知り合いから「バイトでもしないか?」という軽い口調で「麻薬でも運んでみないか?」と言われるのである。 もし私にその可能性が訪れた時、果たして断りきれるのだろうか?それとも確実に自分は絶対そんなことはしないと言って、それを行ったマリアを非難するのだろうか。 ・・・・・・・。アメリカから再びコロンビアに帰ろうとした空港でマリアは、今度行く予定の産婦人科の検診日のカレンダーを見て、急に気が変わりアメリカに残ることを強く決意する。マリアがコロンビアを捨てた理由は彼女が母性に目覚めたからだという見方ができる。しかしそれ以上に子供を持とうとする女性の強烈な防衛本能がそうさせたのだと思う。現状のコロンビアがいかに危険な場所であるかということを、母親の本能をもって伝えている。巧い映画だと思います。  
[DVD(字幕)] 9点(2006-07-09 22:30:22)
9.  ソウ 《ネタバレ》 
もし自殺したいと思っている人がいたら、どこかの戦場に行ってテロリストに追いかけられたら、多分「助けてくれ。死にたくない」と思うはずです。この映画はそういう映画でした。 犯人は末期ガンでした。「死にたくない」と思っていても死んでしまう人間でした。 そういう犯人が犯行に及んだ相手は、自殺未遂をした人間や、自分の体をクスリでボロボロにしてしまう人間。つまり「生きる」ことをなんとも思っていないような人間でした。 生きることを当たり前だと思っている現代の人間たちであり、命を粗末にする人間たちです。 犯人はそういう人間にゲームを仕組んで「死にたくない!」と思わせて絶望させたかった。 自分と同じような目にあわせたかったのだと思います。 不思議と人は「死」を他人から突きつけられると「生きたい」と思うのです。 この犯人が、ゲームを仕掛ける相手に強く望んだことは、「生きることに対する執着」でした。 犯人のゲームから逃れた唯一の生存者は「私は救われた」と言った言葉が印象的です。 普段は「生きていること」なんて当たり前すぎてまったく意識せずに私たちは生活していますが、「死」を意識させられることで、はじめてそのことに気がつくのだと思います。 「生きたい」と強く願えば生きられる。 あの2人のうちの1人は足を切って生き延びようとした。もう1人はそれをしなかった。と、考えると「生への執念」が2人の明暗を分けたようです。  
8点(2005-03-13 01:45:28)(笑:1票) (良:3票)
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