1. ウォッチメン
ヒーローたちがぐだぐだぐだぐだぐだぐだ悩む。それを金のかかったワイドショーの再現ドラマのような、わかりやすいナレーションと会話とこの手の映画にありがちな映像で、つまりサルでもわかるように描いていく。途方もなく退屈。映画はヒーローの相談コーナーではない。将来、カルトな怪作になるかもしれないが。 [映画館(字幕)] 0点(2009-03-30 02:17:35)(良:1票) |
2. ウェス・クレイヴン’s カースド
遊園地の占いコーナーで不吉な予言を受ける女性。映画の冒頭、慌ただしく、性急な画面展開の中で、そのシーンは綴られるのだが、彼女が遊園地を離れその駐車場へと向かう時、先ほどの喧噪とはうってかわった落ち着いた1ショットが登場する。不安げな表情を浮かべ、髪が風でなびき、遊園地の喧噪がかすかに聞こえる。別にたいしたショットではないのに、ああ映画を見てるなぁという気にさせるのは何故だろう。■例えば、崖下に墜落した車に近づくクリスティーナ・リッチを捉えたロングショットや、鼻をクンクン言わせながら歩くリッチのトラックバック、あるいは身体の異状に怯えトイレに駆け込んだ彼女とその友人を捉えた不安定な俯瞰ショット。■こういうアクションを撮るときはこういうカメラポジションであるべきだ、という明確なスタンスを持っているわけではなく、たまたまこういうポジションになってしまった的な、さり気ない風情。「風」吹かせたほうがいいか、というスタッフの好意。なんだかわかんないけど、くにやくにゃ演じてみるか、演出してみるか、なリッチとクレイブン。つまり、いろんなことがいい方向に走りました、みたいな、謙虚でささやかだけれど大切な何かにこの映画はあふれてる、と思うのだがどうか。■ミステリー色、コメディ色、青春色は支離滅裂だし、クライマックスの蝋人形クラブ(?)は実に非映画的な空間だし、リッチは一体何の仕事してるの?とか、なんか行き当たりばったりな映画よのぉ、とは思うんだけど、ああ、実に腹八分目、いい気分で映画館を出た、満喫。 [映画館(字幕)] 10点(2006-03-24 23:25:16) |
3. 裏切りの街角(1949)
■ファムファタールの登場。踊る彼女をアップでフォローするショットと、それを見つめるバート・ランカスターとの切り返し。■イボンヌ・デ・カルロの結婚話を聞いた後、ふと見かける、再会する、恋に落ちるという3つのシーン。その絶妙な省略と、それぞれのシーンに登場する、画面手前にバート・ランカスター、奥にイボンヌ・デ・カルロという縦構図の素晴らしさ。あるいは階段。斜め構図。■シオドマク的サスペンス。回想形式は定められた運命を示唆し、あたりが全く見えない白煙の中でアクションシーンは展開し、鏡の中の殺し屋は身動きの取れない主人公を銃で狙う。あらかじめサスペンスの解決なり消失を予期したものではないこと。サスペンスを醸成する状況、それ自体がまるで悪夢のように主人公に取りつき離れない、逃げ場のないサスペンス。ヒッチコック的なカタルシスをシオドマクは用意しないのだ。■つまり、これぞフィルムノワール。■ほんとは「DVD(字幕なし)」です。だからいまひとつ話が分からん。それもまた五里霧中の面白さ。 [DVD(字幕)] 10点(2005-08-27 08:23:19) |
4. 宇宙戦争(2005)
《ネタバレ》 駄目男だけど、そんなにすごく駄目でもないパパ、であるとか、離婚の顛末だとかなんとか、息子とパパの関係であるとかを何気に描写し、さらに戸口でのトム・クルーズと元妻との切り返しに感動し、スピルバーグが「離婚」をこんなにちゃんと描いたのは初めてだったんじゃないかなと思い、しかも続く物語は「続・激突カージャック」の裏返し。■ところがトム・クルーズとダコタ・ファニングは次から次へと酷い目にあわされ苛められ、結果、特に駄目親父が復権したわけでもなく、なんとなく宇宙人が死んだように、なんとなく映画は終わるのだ。そのくせティム・ロビンズの地下室のシーンはやけに長く、おいおい商品ならこのシーン切るでしょ。つまりスピルバーグの妙な資質。■一方で、スピルバーグの技は冴えにさえ、クルーズ親子に視点を固定した演出、ロングショットのこれぞ!ってな挿入(街の上に立つ三本足ポッドのロングショット!!)、絶対に美しい画面にはせぬ、という心意気、スピルバーグ印の横移動、さらに斜面での戦争はアルドリッチの「攻撃」やらヒューストンの「勇者の赤いバッジ」を思わせる、なんとも真っ当な戦争映画ぶり。つまり上手い、上手いと連発したくなるスピルバーグの確かな演出技量。■さらに、地下に100万年眠っていたとは思えぬリアルなポッドの造形、SONYとNASAが共同開発したみたいなライト付きカメラ触手、全然怖くない宇宙人。つまりスピルバーグの幼児的な欲望。■これらのスピルバーグ印が渾然一体となり、全然怖くないホラー、妙に怖い戦争映画、楽しい楽しいSF、全然感動しない人間ドラマができあがりました。やっぱスピルバーグは面白いわ、と実感した一作。がんばれスピルバーグ、あと10年もしたら、イーストウッドになれるかもしれん。それとも自主映画を撮ってくんないか。 [映画館(字幕)] 10点(2005-07-02 00:57:30)(良:4票) |
5. 噂の女
STINGさんに逆らうようで何なのだが、私はこの「噂の女」がえらく楽しめた。もともと溝口の良さがあんまりわからないせいなのかどうなのか、「赤線地帯」や「祇園の姉妹」に通じる遊郭ものなのだけれど、STINGさんが書かれてるとおり深みに欠けるありきたりなメロドラマなのが、逆に楽しめた理由なのかもしれない。■さらに、物語にみられるそのような底の浅さと共に、固定画面とささやかなパンショットによるリズムや役者の動きが実に軽やかで心地よいのだ。■芸者やら下働きの女中さんらが行き交うのを背景に田中絹代と久我美子を切り返し、久我の不安や孤独を的確に演出した冒頭シーンや、久我美子が夜更けに水を飲みに行くために渡り廊下を歩くシーンのサスペンスや、田中絹代が愛人である大谷友右衛門のまわりをくるくるとその居場所を変えながら甘えるシーン、久我と友右衛門の会話を盗み聞くシーン、さらには舞台上での狂言や日本舞踏の演者をフォローするゆるやかなカメラまでが、なんというか、カメラや役者たちの動きが実にさりげに良い。クレーンでぐぉんごぉんとか流麗な移動ショットや墨絵のごとき宮川タッチとは異なる、軽やかな何かをふと目にしたかのような快感。■もしかしたらこの作品は、遊郭に生きる女性たちの悲哀を描いた作品といったものではなく、久我美子がその軽やかな動きを取り戻すまでを描いた映画であるのかもしれない。■そういえば、この作品のクライマックスで、田中絹代はハサミをふりかざしながら愛人を追いかけ、久我美子はグレーのスカートを床に広げてきりりとカメラをにらんでいた。そのシーンを契機に田中は病に倒れ床に伏せ、久我美子はぽつねんと孤独に佇んでいたはずの玄関先を、黒のタートルネックとショートカットでくるくるくると歩き回るのだ。■関係ないが、久我の台詞「そんなイージーなことを考えるものではないわ」に笑った。そう、すごくイージーで楽しい「噂の女」。溝口ってあんまり…、って人が好きになる映画かもしれまへん。 ■(追記)1954年の久我美子が「イージー」なんて言うわけないわな。「意固地」つってたんだな、きっと。ま、いいけど。 [映画館(字幕)] 10点(2005-04-30 22:24:57) |