1. デトロイト
《ネタバレ》 ドラマティクスの晴れ舞台となるはずの場。ステージでは『ドリームガールズ』を思わせる女性トリオが歌を披露している。 その舞台袖で、出番を待つアルギー・スミスらが緊張をほぐすため歌合せを始める。 格別な演出という訳ではないが、その短いコーラスのシーンによってこのあと彼らが何らかのトラブルで表舞台では歌えなくなってしまうだろうこと、 そしてもうグループが揃って歌唱を披露することはないだろうことを強く予感させる。 案の定、暴動の影響で公演は急遽中止されてしまうのだが、その無人となった舞台でスポットライトを浴びながら アルギー・スミスは一人熱唱する。 それは事件のPTSDによって歌を歌えなくなってしまった彼が歌声を取り戻すラストの教会のシーンの予告なのであった。 光を意識したシーンに仕上がっているが、やはり手持ちの揺れが邪魔に感じられてしまう。 [映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2018-01-31 23:11:02) |
2. DESTINY 鎌倉ものがたり
本作でも、死者と生者の交流部分で『雨月物語』的な情緒を仄かに纏う。 幽体となってしまった高畑充希が神社の境内で自分の身体を懸命に探し回る姿の俯瞰ショットなど、どことなく溝口っぽさを感じさせる。 家族向けということで、安藤サクラを狂言回しとした理屈付けも多いのが玉に瑕だが。 黄泉の終着駅に汽車が到着すると、何やら人がたむろしている。成程これは先に亡くなった家族のお出迎えか、と察する傍から 安藤がそれをいちいち解説してしまう。そこは再会を喜ぶ彼らの描写で示して欲しいのだ。ワンカットで済むのだから。 あくまで個人的趣味で云うと、後半の異世界はともかく前半はもう少しCGを控えても良かったのではと思う。 其処此処で派手にCGエフェクトを乱用されても却って安っぽく見えてしまうのだ。 [映画館(邦画)] 5点(2018-01-20 22:27:01) |
3. 天使の顔(1953)
《ネタバレ》 裁判を有利に進めるために、弁護士はロバート・ミッチャムにジーン・シモンズとの偽装結婚を勧めるシーンがある。 すると、次のショットではいきなり病院のベッドサイドで二人の挙式が執り行われているので驚かされる。 これも撮影スケジュール上の都合だろうか、唐突な展開にも思えるが、その大胆な編集が却って二人の危うい関係と末路を強く仄めかすこととなる。 継母の乗る車が土埃をあげて転落するショットと、ジーン・シモンズがピアノを弾くショットがクロスカットされる。 ピアノの静かな調べと、事故の荒々しい轟音の対が見事である。 それが再び反復されるラストの断崖のショットもさらに凄惨さを増す。事故と入れ替わりで屋敷に到着するタクシーの静けさが余韻として効く。 [DVD(字幕)] 8点(2016-12-08 00:00:05) |
4. 手紙は憶えている
《ネタバレ》 老いと、いわゆる認知症の設定がサスペンスを一貫して持続させる。そこに銃社会という現在的テーマも巧みに絡ませながら戦後70年の時間を 浮かび上がらせる。ウェルズの『ストレンジャー』を思わせるこの題材、語り口を変えつつ引き継がれている。 大戦を生きた世代と戦後世代の対比を強く印象づけながら。 静かに、穏やかにピアノを奏でるクリストファー・プラマーのショット。そのイメージは、ラストの痛切なサプライズと共に 趣を反転させるだろう。 [映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2016-11-08 23:26:13) |
5. ディストラクション・ベイビーズ
《ネタバレ》 野次馬役のエキストラを絶妙に配置したロケーション、全身でのアクションを捉えるフレームサイズとポジションの妙、 そして持続的なショットによる危険な擬斗の泥臭く生々しい迫力。 誇張の無い打擲音や、奥歯が地面に転がる音の触覚性・物質感。 柳楽優弥らの身体性を伴った画面の力は、「心の闇」とかの心理主義には持っていかせない。 商業映画でこれをやるのは果敢である。 それでいて女性の描写もぬかりなく、ベッドでの事情聴取に応える小松菜奈の流し目の凄艶さなども特筆だ。 ついでに、運河を渡るボート、自転車、スケートボード、自動車など、映画的ビークル類の充実もいい。 [映画館(邦画)] 9点(2016-10-08 23:28:07) |
6. ディアスポリス DIRTY YELLOW BOYS
《ネタバレ》 腕にギプスをはめて登場する松田翔太は、テレビドラマからの流れという事なのだろうけれど、その経緯とかはどうでも良いとして 折角のギプスならそれを映画の中でもっと活かせないものなのか。須賀健太らを追って奔走し、いま一歩で取り逃がしつつも執拗に肉迫していく。 そのハンデとしてすら使いこなせていない。アクションの中でもっと見せ様があると思うのだが。 酒や血糊や雨や海。湿り気に満ちた画面の中で、須賀らが撃った貯水槽から降り注ぐシャワーを浴びてはしゃぐ少年たちの画がいい。 クライマックスの舞台となる「銀行」が極度に地味な画面の中で展開し、それに続くのが雨の夜と泥土と中破したバンと ひたすら閉塞的なだけに、その中盤の光る雨が尚のこと輝いたものとして思い起こされてくる。 [映画館(邦画)] 5点(2016-09-10 22:04:34) |
7. 10 クローバーフィールド・レーン
《ネタバレ》 街の情景から窓辺にピントが移り、女物の服飾のデッサンから恋人同士らしきツーショット写真へとパンされる。 案の定、そこは女性の部屋で彼女は憂鬱そうな表情で誰かと何やら通話しており、荷物をまとめた彼女は酒瓶を手に取るが、 アクセサリーらしきものは残していく。 冒頭からタイトルの出る事故シーンまで、音声はスマートフォンから響く彼氏らしき男性の声のみだが、仮にそれがなくとも 二人の間に何らかの諍いがあり、家を出てきたことは彼女の表情から容易に想像がつく。 24時間営業の給油所で彼女の車の後から入場してくるヘッドライトも含めて、後の展開の伏線となる要素が 一切台詞抜きで画面によって効率的に提示されていく導入部がいい。 クロースアップの多さが苦にならないのは、俳優の表情が心理劇を一層引き立てると共に、閉鎖空間の強調効果を生んでいるからだ。 ダクト内を匍匐前進するヒロインをナイフが襲うショットではその閉塞感が生むサスペンスはなかなかである。 防護服を通して生き物の音が響いてくる、車の警報音が鳴りだすなど、音響の強弱も随所で効果をあげている。 アクションが絡むと途端に乱雑になるカメラワークが惜しい。 [映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2016-06-21 22:58:52) |
8. テラフォーマーズ
《ネタバレ》 日本人のカタコト英語とか、日本政府の軍事的陰謀とか、格差社会とか、拝金主義とか、「500年後」を建前にしたマイルドな風刺がチラホラと感じられる。 微苦笑含めて、真剣な馬鹿馬鹿しさに結構笑えた。 武井咲は『愛と誠』でも散々な目に会わされていたっけ。 「来た仕事は絶対に断らない」(押井守『監督稼業めった斬り』)という三池監督だが、 監督も俳優もスタッフも真摯に取り組んでいて感動すらする。 かなり多彩なキャストだったことをエンディングで知る。 [映画館(邦画)] 5点(2016-05-02 04:33:06) |
9. ディーパンの闘い
《ネタバレ》 偽装家族として暮らす内に、試行錯誤しつつも徐々に心を通わせていく二人の男女。 夜の窓辺で寄り添う二人がぎこちなく手を重ね合わせるツーショットに流れる静かな時間。 抱き合うアントニーターサン・ジェスターサンとカレアスワリ・スリニバサンのそれぞれの瞳の深い黒味に緩やかなフェードアウトが重なって 官能的なショット連鎖を形づくっている。 心を許したかと思えば、仲違いし、トラブルにも巻き込まれ、偽装家族三人間の溝はそう簡単には埋まらない。 ラストに展開するアクションシークエンスも、階段と歩行・白煙・黒煙。銃撃音が目いっぱい活用され、ちょっとした造形だ。 [映画館(字幕)] 8点(2016-02-13 23:57:24) |
10. 天空の蜂
《ネタバレ》 足を引きずる本木雅弘とか息子の写真とか、曰くありげな所作が出てくる度に、これからその因縁やら理由付けやらが 回想シーンとして沢山語られるのだろうなと、見ながら気が重くなる。 今さっき対策室で語られた作戦の段取りをマスコミの実況中継がそのまま繰り返すといった二重説明の氾濫も煩いばかりだが、 これは90年代劇場型犯罪の風俗史的描写でもあり、お囃子とでも受け取ればいいのだろう。 その実況中継カメラが映し出す本木の一瞬の視線を、尋問されている仲間由紀恵の横視線が受け止め、その彼女のかすかな動揺を 女性刑事が見切る。 そうした視線のドラマは割合充実していると云っていい。最後の手段を実行するためヘリに乗り込む江口とその息子、 連行される本木とそれを見送る江口の息子、彼らの間に交わされる視線はカメラに正対し真っ直ぐだ。 その視線の応答は、結部の東日本震災のシーンまでを貫く。 最後でこれまた自衛官リクルート映画か、とも思ってしまうのだが。 [映画館(邦画)] 5点(2015-09-16 23:47:55) |
11. テルマエ・ロマエ
シネマスコープを効果的に使った、1960年前後の史劇大作風のオープニングでケレンを 利かすかと思えば、一方では矢口史靖的な人形を使ったチープなギャグも軽妙に演出してみせる。 コメディとロマンスも程よく織り交ぜ、スペクタクル・ご当地性・スター性と 雑多ジャンルを混成したシネコン映画的な要請にも器用に沿いながら、 寄り引き巧みな視点や構図、的確なカッティング・イン・アクションといった 安定した技術を土台に、ウェルメイドを達成する。 そしてその上で、独自の演出による細部細部を立ち上げ、自分の作品としている。 そのしたたかさこそ素晴らしい。 湯けむりや炎、水面の光の反射、群衆など、不定形素材の動的細部が映画的であるのは云うまでもないが、 とりわけ浴場の松明、蝋燭の灯り、焚火、窓から入る黄昏の太陽光など、特に夜の場面の炎がことごとく見事だ。 その「燃える炎」は、阿部寛が決死の直訴をする際の秀逸な音の演出として、 そして別離のシーンでの、瞳への照り返しの演出として、 物語の進行に伴い次第に意味を帯びるものとしていくのは作家の手際だ。 雨の降る中、悄然と階段に腰掛ける阿部寛の向こうにソフトフォーカスで捉えられた上 戸彩。手前に歩み寄ってくる彼女に凡庸にピントを合わせてしまうかと思いきや、 それを自制したショットの嬉しい裏切り。 この時点では一方向的な二人の関係性を示す事に専心する、そのまっとうな矜持が光る。 [映画館(邦画)] 9点(2012-06-07 21:28:13) |
12. デ・ジャ・ヴュ(1987)
ピンク色のランプシェードが淡く反映する列車の車窓を介して、あるいは深い森の木陰で、クリストファー(ミシェル・ヴォワタ)は時空を越えてルクレツィア(キャロル・ブーケ)と視線を交錯させる。 カメラと正対した彼女の美貌と謎めいた眼差しは観るものを虜にせずにおかない。 謝肉祭の喧騒の中、仮面を外した彼女の表情が蝋燭の光に次第に浮かび上がり、妖しい瞳と口元の動きが復讐の「斧」を示唆するかに見える。 撮影はレナード・ベルタ。蝋燭、松明、焚き火、青白い月光といった慎ましい光が17世紀の夜の闇を生々しく印象付ける。 森の中をジョギングする人々を追う左へのパンが、中世の馬群の疾走にスムーズに繋がっていく時空往還の感覚の見事さ。酒場の賑わいをゆっくり捉えていく移動の魔的な魅力。 ダニエル・シュミットらしくドキュメンタリー風のニュース映像から始まる怪奇譚は、ファンタジックと云ってもよい白光と、ピノ・ドナジオの甘美な旋律で締めくくられ、そのラストショットはただ美しい。 [地上波(字幕)] 8点(2011-11-25 22:44:57) |
13. 天罰
ヒロインのキャラクターに聖女と悪女両面の魅力を盛り込むというのは旧来からハリウッド女優売り出しの戦略としてあるが、これはその男優版。 「邪」の顔を徹底的に見せ付けた上で、その最期に「聖」の側面を垣間見せることで逆転的に好感度が増す。後のギャング映画のアンチ・ヒーロー像を先取りしているともいえるだろう。 映画は両脚を切断された男を演じるロン・チェイニーの独壇場で、驚異的なアクションを見せる。 義足のまま椅子から床へ飛び降り、松葉杖で階段を上り、懸垂で壁をよじ登る。その過酷な熱演を全身フルショットで丹念に捉えるカメラの徹底ぶり。 役者の執念と、役柄の怨念がクロスしてその動作と表情には異様な迫力が満ちている。 帽子作りに関する伏線の回収が不徹底であったり、女性捜査員(エセル・グレイ・テリー)の恋愛感情の描写が不明瞭であったりというのはカットの問題か。 [映画館(字幕)] 7点(2011-01-09 20:22:27) |
14. 2/デュオ
柳愛里と西島秀俊の二人を引き気味の位置から捉えるカメラ(田村正毅)が醸しだす緊迫感が尋常でない。会話の反復と、台詞のトーンの変調で一気に画面が張りつめる。一人買い物に出た男がアパート二階にある女の部屋に戻ってくるまでのサスペンス感の醸成も秀逸。白いカーテンの微かな揺れや、一階のドアの開閉、その「間」が画面に不穏な空気を横溢させる。あるいは、後半で女が自転車を駆る疾走感の見事さ。その彼女を見つけ、男が追走する横移動のショットも素晴らしく良い。自転車で逃げる女と、自動車で追う男が窓のフレームを挟んで緩やかに近づいたり、離れたりを繰り返す。続く質素なアパートの場面では、窓からの西日が作り出す陰影が強く印象づけられる。尚且つ、環境音、ノイズ、声音といった聴覚的要素も最後まで見事に物語に活用されている。役者、撮影、録音、照明、、すぐれたスタッフワークの賜物といえる。 [ビデオ(邦画)] 9点(2010-03-22 22:50:33) |
15. 鉄腕ジム
J・フォードと共に、いわゆる「男性派」監督として並び称されるラオール・ウォルシュもやはりアイルランド系。この映画での初期ボクシング、家族愛、喧嘩、お祭り騒ぎ、仲間同志の連帯感といった要素はいずれも映画では馴染み深い典型的アイリッシュのアイデンティティである。これらのモチーフは一見、固有の民族像を描出しながらも、その人間関係の奥底から醸される叙情性は幅広い普遍性を獲得している。会う度に反目し、喧嘩してしまうエロール・フリンとアレクシス・スミスだが、最後には二人の恋愛が成就するであろうことを誰も疑わないだろう。ライバルとなるチャンピオンとの挑発合戦も同様、最後には胸の熱くなる和解の場面が用意され、原題である『紳士ジム』のキャラクターに深みを与えている。(二者を重層化する大鏡の演出が秀逸。)アイリッシュ的要素の数々は同時に映画的活劇性にも満ちており、特に港の桟橋を舞台とした拳闘試合の喧騒が大いに映画を盛り上げていている。 [DVD(字幕)] 9点(2009-02-01 20:28:58) |