1. 隣の女
《ネタバレ》 トリュフォーってやはり凄い、と見直してしまう。長回しのパンで隣接を撮る、が、まったく無駄は無く、恋愛という単独性の中へ中へと観客を引き入れる。興味深いのは、長回しの偏在カメラからすれば男の側から偏重でもいいところだが、女の側からもほぼ平等の配分の語りであることで、そもそもナレーターとしての傍系人物を設ける語りなのである。だから、客観的な語りのなかに、抑えようもなく噴出する情炎の魅力。 [ビデオ(字幕)] 8点(2015-08-07 00:16:05) |
2. トカレフ(1994)
《ネタバレ》 長回しだ、長い、魅力的に長い。相米慎二との違いってなんだろう、と考える。阪本監督のほうがまだ説話的かな、相米はもう破れている味なので。それにしてもこの主人公が死ぬ必要はないわけでね、しぶとく生き抜ぬくべき、説話的なカッコヨサの要請に背いても。 [ビデオ(邦画)] 7点(2015-04-21 23:50:56) |
3. 特急二十世紀
《ネタバレ》 ホークスの筋語りのいつものスマートな「特急ぶり」が本作ではあまり感じられない(日本題がわざわざ「特急」をうたっているのとは裏腹に)のがちょっと不満。途中からは元の鞘へのハッピーな帰還への「期待」のみが、数々のドタバタ(これつまらない)を経て、延々と映画を引っ張っている。観客の「期待」はひたすら、綺麗なロンバードとハッピーエンドを迎えること。 [ビデオ(字幕)] 6点(2015-02-24 18:34:17) |
4. 東風
『男の子の名前はみなパトリック』には10点を献上した私も、この作品には3点が精一杯である。ま、それはやむをえないところだろう。映画の実験室に興味はないこともないが、これはちょっとひどかった。急に『彼女について私が知っている二、三の事柄』を見たくなって来た。 [DVD(字幕)] 3点(2012-09-27 20:49:47) |
5. 泥棒成金
《ネタバレ》 代わりの代わりの代わりの・・・であることが、終盤で一挙に判明する。父親の義足の代わりを行う娘、つまり男の代わりに女の犯行、さらに黒幕の代わりの実動部隊、そして、ほんとうに面白いハナシ(主人公が犯人)の代わりに万人受けする(犯人は別に居るという、客体化の)結末。ずっと、ひょっとしたら主人公が犯人かと観客は思い続け、これこそがミステリー要素を兼備したサスペンス(宙吊り)そのものである、ラストで「ぶら下がる」(suspend)犯人なんかよりも。フィルム・ノワールふうに黒を強調した夜のシーンが美しい。 [DVD(字幕)] 6点(2012-08-16 13:03:17) |
6. 鳥(1963)
《ネタバレ》 結局、母(姑)の嫉妬の表現としての鳥の攻撃ということなのだ。ヒロインが鳥に襲われる様は『サイコ』に酷似するし、瀕死の傷を負ってこそ姑に赦されるエンディングである。息子を嫁に奪われる母(姑)の不安や嫉妬を外的なパニックで表現するのは無理があるはずだが、ヒッチコックという人のマザコンぶりが暴発しているのであろう。 [DVD(字幕)] 7点(2012-07-16 13:14:52) |
7. 東京日和
《ネタバレ》 旅先で行方不明になった奥さんは小舟の中にいた。そのとき主人公のカメラマンがそれにカメラを向けたというショットはないのに、のちに死んだ奥さんを回顧するシーンで、小舟の中に横たわる彼女の写真が出てくる。これがうまいが、それだけ。竹中の映画はスタティックすぎる。 [映画館(邦画)] 5点(2011-03-25 17:41:00) |
8. トウキョウソナタ
《ネタバレ》 小泉今日子だけがよかった。黒沢清って私にはわからない(ただし『神田川淫乱戦争』と『ドレミファ娘の血が騒ぐ』にはかつてそれなりに熱くなれた)のだが、この映画の「内容」は例外的に「わかる」(「社会学的に」わかる)もので、それがまたつまらなかった。ただし、留置所のドアが外開きである点で(映画のドアの開き方にうるさい私としては)きちんとした映画美術であることを確認できる。 [映画館(邦画)] 4点(2011-03-23 19:58:11) |
9. ドレミファ娘の血は騒ぐ
《ネタバレ》 「あらゆる熱気の去ったあと」みたいな黒沢清の作品はいつも何もわからない。たまには「熱気」の中心に向かえよと言いたい。この作品もわからないが、洞口の登場の仕方が非常にいい、「やって来ました吉岡さん」、そして横移動 (この平面性がいい)。音がまさに乾いた、熱気無きもの。やっぱりわからない作品だが、不思議に凄くいいと思えるのは、80年代の「戯れ」映画の文脈にもよる。 [映画館(邦画)] 7点(2011-03-23 19:26:25) |
10. 突然炎のごとく(1961)
5点台という評価には本当に驚く。こういうかつては名作中の名作と目されていた作品が、その時代的文脈、その時代の映画館の暗闇から離れると、博物館のひからびた陳列物のごときものになる。すぐれた黒白映画というものは、映画館の暗闇に包まれてこそ輝く。 [映画館(字幕)] 8点(2011-03-18 14:01:52) |
11. 東京の合唱
《ネタバレ》 失業の身でかつての先生と出遭う。先生と合同の見た目で「カロリー軒」の暖簾が揺れている、これが素晴らしいのだ。見た目(主観ショット)をサイレント期では小津はけっこう使用している。ロマンティックな甘めのエンディングだが、名作だ。 [映画館(邦画)] 8点(2011-03-17 23:48:48) |
12. 隣りの八重ちゃん
《ネタバレ》 「松竹小市民映画」つまり松竹モダニズムのエース「島津おやじ」の傑作。原題「隣り」で動詞的送りがな「り」がついているのに(もちろん旧送りがなということでもあるが)いまや「り」なしでこの作品を扱う向きがある(DVD版なども)のは実に「わかっていない」。モダンな消費社会の郊外において買われた「隣り」、昭和初期の動詞的に隣り合う二つの文化住宅、の快適な付き合い。「り」は例えば冒頭のキャッチボールにおいて暴投されるボールである。「隣りの窓ガラス」というものはよくわれるのであって、われた窓ガラスは幸福な「隣り」の換喩なのである。そこに波風、結婚に破れた(八重ちゃんの)姉岡田嘉子が帰ってきて主人公恵太郎に迫る。だが岡田嘉子は「隣り」には似合わずまた隠喩的に「蒸発」する。岡田嘉子はどこへ行ったか。それはともかく、快適なモダンな「隣り」の付き合いは、やがて来襲する陰気な「隣組」(「り」はない)の時代に踏みにじられたのであった(とは、この映画の外である)。 [映画館(邦画)] 10点(2011-03-12 13:05:00) |
13. トスカーナの贋作
観客に向かってのメイク直しは、観客を鏡役割にしているのであるが、通常の関係を逆転している。通常は、スクリーンが観客の同一化のための鏡であり、そんなふうに例えば『トリコロール、青の愛』に引きつけられたのだった。いまや人としての厚みの方で勝負していそうなビノシェのカメラ目線すれすれの眼差しを、観客が受け止める番なのである。 [映画館(字幕)] 6点(2011-03-06 00:34:46) |
14. 翔んだカップル
相米慎二という猛烈な監督がいた。80年代の軽佻浮薄の風潮のなか相米も遊び心のある映画を撮った・・・・というレヴェルにはまったくおさまらない。その気合いのこもった長回しがもたらすのは、極度に真剣に遊ぶ映画なのである。『セーラー服と機関銃』『台風クラプ』『雪の断章』『お引越し』などみなたいへんな力作だが、つねに過剰で、暗く、どこか大きく破れている(破れてしまう)。『翔んだカップル』がいちばん「完成度」が高いのではないだろうか(例外的に「明るい」のもいい)。この第一作においてもすでに、名状し難い良さが到る所にある。私は最初映画館で観た後、ビデオで何回も見た。 [映画館(邦画)] 10点(2011-02-26 02:17:31) |