1. トランボ/ハリウッドに最も嫌われた男
第二次世界大戦後の冷戦を背景とした赤狩り“ハリウッド10”の実態を赤裸々に描く。表現の自由を守るため赤狩りに対峙し、激しく闘った闘士・トランボ像は予想外だった。 映画人の思想的な立場が興味深く、記録映像やネット情報で既知の部分もあり、J・ウエインのタカ派ぶり、K・ダグラスの硬骨漢ぶりなどは想像どおり。戦場に行かなかったJ・ウエインに対し、トランボが皮肉交じりに言い返すシーンが痛快だ。公聴会で証言を拒否しても仕事ができるトランボに対し、顔で勝負するE・G・ロビンソンが証言せざるを得なくなる立場もよくわかる。 赤狩りを推進したH・ホッパーの暗躍がいやらしい。ブラックリストに載った人たちの苦悩はいかばかりだったかと思う。その当時、日本でもレッド・パージがあったと職場で聞いたことがある。 B級映画の製作会社キングブラザース幹部の方針を聴いて、かつて海外のドキュメンタリー番組で三流とみなされた映画の監督が語った言葉「俺たちも『市民ケーン』を作ろうと思えば作れるが、そんな映画を作る気はない」に通じる気概を感じた。負け惜しみとも思うが一理ある。 議論好きで理屈っぽい共産主義者の一面が、良くも悪くもリアリティに満ちている。反面、生活のためもあり仕事に没頭して赤狩りに対決するトランボの姿勢が、家族との対話不足に陥り軋轢を生むのは皮肉なこと。家族との葛藤も描かれているがややあっさりの印象。特に夫人の苦悩は並大抵のものでないと思うので若干物足りない。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2024-01-28 16:56:30) |
2. 遠い空の向こうに
実話を基に、宇宙を目指しロケット製作に熱中する少年たちを描く。何度も失敗を繰り返しながら目標に向かう主人公は、多くの失敗の上で発明・発見を成し遂げた先人の姿に重なる。ロケット打ち上げが成功した後、どこに落下?と思えば山火事発生。ぬれぎぬを着せられた少年たちが方程式で原因を探る展開が面白い。 ライリー先生や母親の理解がいいね。斜陽産業の石炭採掘で地中深く潜る父親と、未来に向け遠い空を目指す息子という対比の妙。青春映画として、家族の映画としての魅力だけでなく、社会性も織り込んでいる。ロケット失敗シーンの数々を観ると、ミサイルとロケットは同じ技術だなと痛感。ロケットと称してミサイル発射、ミサイル発射して侵略、テロと“自衛”の応酬でミサイル発射・・・技術の進歩がこれか?この頃特に考える。 全米科学コンテストは優勝までの経緯があっさり描写で少々物足りない。 廃れゆくものと伸びゆくものの対照で冷徹な現実を映しつつ、家族の愛情を浮き彫りにする。ブラウン博士は偉大な人だが「僕のヒーローじゃない」つまり「ヒーローは父さんだ」と、ホーマーの心の叫びが聞こえてくる。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2023-11-26 16:18:28) |
3. 飛べ!フェニックス
《ネタバレ》 砂漠から脱出するために飛行機を作り直すという、奇想天外な発想がいい。 「知性に欠けた人間の反応」・・・冷徹なドーフマンをH・クリューガーが好演。機長とルーに模型飛行機の薀蓄を語る、半ば狂気的とも感じるオタクぶりが面白い。 登場人物たちの、良くも悪くも人間味あふれる描写が秀逸。それぞれ弱さを抱えながら困難を克服する姿に感動する。 絶対的な危機にあっても可能性がある限り最後まで希望を捨てない・・・良いメッセージだ。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2021-05-23 13:42:21) |
4. 東京オリンピック
日本にとって「破壊から再生へ」を象徴する五輪の映像化。各種競技を通じて筋肉の躍動に近づき、選手の表情や内面・心理に迫る。勝者だけでなく敗者にも視点を当て、裏方の仕事や観客なども捉えた人間讃歌。 東京五輪と言えば何といっても“黒い弾丸”ボブ・ヘイズ。彼の記録10秒フラットは覚えやすいこともあり、幼い子供の記憶にもしっかり残った。スピードを競う最たる競技の100m走を、逆説的にスローモーションで選手の内面まで迫る映像が秀逸。また、マラソンのアベベを捉えた映像はまさに“走る哲人”。余力を残して勝った姿が印象的。円谷とヒートリーのデッドヒートも忘れられない。 富士山山麓を聖火ランナーが走るシーンは日本での五輪を象徴する場面だが、再現映像と聴いて心に引っかかるものを感じた。かつて出演した広報番組の朝もや(実はスモーク)を連想したからだろう。ドキュメンタリーに大なり小なり演出はつきもので、再現によって真実を描く意図は理解するが“もやもや”気分は晴れない。 「芸術か記録か」論争に関心はないが、記録映画として必要最小限の演出、その加減が難しいのかな。 [映画館(邦画)] 6点(2020-08-02 10:44:40) |
5. 東京流れ者
くさいセリフ、くさい演出、リアリズム無視の様式美、それがいい。コミカルな味付けや絵画風の表現、独特の構図も魅力的。松原智恵子の歌の吹き替えでさえアンバランスさが様式美に合っており、下手な歌(失礼っ!)を聴かせるよりよっぽどいい。 色彩の鮮やかさも特徴的で、ポップな感覚の美術が凝っている。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2018-12-08 15:06:07) |
6. トキワ荘の青春
小津映画的構図を用いて描かれる、主人公の心情に合わせた静かな佇まい。トキワ荘メンバーの中で寺田ヒロオの視点とはいえ、しんみりし過ぎ。ヒソヒソ話のようなセリフ回しや暗い画面の連続は時に不快でさえある。 ドラマ性を排した演出により、漫画家同士以外の人間関係が無機質で事務的な印象を受ける。昭和30年代、都会とはいえ下町が舞台であり、この雰囲気がこの時代に合うとは思えない。 主人公は“いい人”としてあっさりした描き方であるが、創作者として信念を貫くか時代と向き合い妥協するかの苦悩はあったんじゃないの?それがあまり感じられず物足りない。 お互いの才能がぶつかり、時には助け合う中、世間の評価や本人の向き不向きでそれぞれの道があるのが世の習い。ペラペラ漫画からアニメという新天地への転向を打ち明ける鈴木伸一や、志半ばで挫折した森安の別離は印象的。 赤塚と寺田、この二人の会話がその後の立場の逆転を冷徹に象徴している。それでも、寺田が漫画に対する信念を貫き通したことは、ひとつの見識と解する。 映画の内容から離れるが、寺田の画風を考えてふと思う。ピーナッツ・シリーズのような4コマ漫画に生きる道はなかったのだろうか、と。 [CS・衛星(邦画)] 3点(2016-11-27 11:52:42) |
7. トムとジェリー ピアノ・コンサート
おやおや、こんちトム君、おめかしして何をするんでしょう。ははあ、さてはピアノ演奏かな?見事名演奏と相成りますか、さあお楽しみ。 作品全体がミュージカル調で完成度はピカイチ。格調の高さも時折顔を覗かせ、おすましの表情でクラシックを演奏するトム、鍵盤とともに動き回るジェリー、それぞれの表情が愉快。レンチで殴られた後のジェリーの時差反応、終わったと思えば何度も続く演奏から最後のオチまでがまた結構。 梅木マリのパンチある主題歌、ナレーション谷幹一の名調子、八代駿のトム、藤田淑子のジェリー・・・この日本語版は傑作!何度も観たけどアニメならではのスラップスティックが心地よい。 カートゥーンながらシリーズの1本1本が作品として登録されればその都度投稿するつもり。中でも「天国と地獄」はじめ傑作は多数あり。ディズニーもいいけど、やっぱハンナ・バーベラやテックス・エイヴリーでしょ。 【閑話:台所戦争ならぬフッ○論争の勃発】テレビ放送当時「フッ○、フッ○、フッ○フッ○」と連呼する歯磨きのCMが流れ、この発音を小学校のクラス内で「フット」派と「フッソ」派に分かれて議論。われら「フッ素」派が勝利して終結。 3本放送の真ん中作品も傑作に事欠かない。特にドルーピー(吹き替えは絶妙、玉川良一の名人芸)のおとぼけぶりが最高!彼の「呼べど叫べど」やスパイク「逃げてはみたけど」なども○点献上の用意をしておこうっと。 えっ、某政治家がドルーピーに似てるって?・・・し、しつれいな、失礼な。・・・ドルーピーに失礼な! [地上波(吹替)] 8点(2016-08-28 10:49:43) |
8. 扉の影に誰かいる
ブロンソン人気絶頂の頃、週刊明星(平凡?)に彼の半生記が漫画で掲載された。その中に本作の一コマが描かれ、彼とこの作品で共演したA・パーキンスのハイネックセーター姿が印象的だった。アイビーを知らない十代の心にそのセンスが響いたのかも。パーキンスを初めて見た映画として思い出深い。 ブロンソンが持ち味のアクションを封印し心理表現に挑んだ映画だと思うが、やはりミスキャストだろう。うつろな表情だけが記憶に残る。ネット上のメイキング映像を観ると意気込みは感じられるが・・・。対するパーキンスは記憶障害者を利用して妻の浮気相手殺しの完全犯罪を企む医師役。見入るような視線で神経質な性格を演じ、はまり役だ。自分の妻を相手の妻と思わせ、記憶を“移植”する精神科医の姿は独特の怖さがある。でも「サイコ」系の役柄はこのあたりで終止符を打ってほしかった。その後も同系統の役柄を演じ続けた彼のキャリアを考えると複雑な思いだ。 サスペンスとしては盛り上がりに欠けるが、スターの顔合わせを十分楽しんだ。室内シーンが多いものの、海辺が舞台のせいかホバークラフトは忘れがたい。また、パーキンスと妻役ジルが交互に映るエンディングは余韻が残る。 [映画館(字幕)] 6点(2016-03-13 15:55:42) |