1. 映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ
石橋静河。人間的な魅力溢れるヒロインが印象的な映画だった。悩んでいて、ささくれだっているけど、どこか清々しい。愛すべきキャラクターでした。 彼女の魅力はその身体性。バレエ仕込の所作と言っていいかな。動きの強弱とか。タタッーと踊りながら近づき、パッと抱きついて、耳元でボソッと呟き、ニカッと笑う。これは『東京ラブストーリー』のリカ役の時だったけど、とても印象に残った。私は好きな女優です。 [インターネット(邦画)] 8点(2024-09-05 22:25:42) |
2. 江戸の名物男 一心太助
《ネタバレ》 私にとって、中村錦之助と言えば『一心太助』シリーズ。錦之助が演じるのは、下町に生きる魚屋の一心太助と三代将軍家光の二役。太助はとにかくコミカルで、ズッコケが過ぎていて、それでいて精悍で、威勢のよい啖呵がもの凄く格好いい。高貴さ溢れる家光との対比も素晴らしい。その後の宮本武蔵や股旅物で目が暗くなってからの錦之助の凄味もわかるけど、やっぱり東映時代劇の看板スター「錦ちゃん」の魅力のピークは太助だなと。 シリーズ1作目『江戸の名物男 一心太助』では、太助と大久保彦左衛門の運命の邂逅と師弟の契り、お仲との出会い、そして太助が男を上げる皿割り事件、そこでの太助の命がけの啖呵などが描かれる。太平の世、江戸市中の生活者でもある太助と彦左の生きざま、その心情、啖呵、セリフのひとつひとつに痺れる。 大久保彦左衛門曰く「とかく若い者は掟の役目など形ばかりに捉われるが、形ばかりに捉われすぎるとつい職務怠慢になりますぞ」。今のサラリーマン社会にも通じる金言であろう。 池の前に佇む彦左と太助。太助が世の中の為に命を懸ける、世の為人の為に生きたいと宣言した時、彦左曰く「人間というものは心一つ。一心ほど清らかなものはない。鏡のようなもの。一心鏡の如しじゃ」。じっと水面を見つめる一心太助。 魚河岸での大喧嘩、チャンバラならぬ魚を振り回す大立ち回りのシーン。この辺りはまだ1作目ゆえに少し派手さ抑えめで、次回以降に舞台はもっと大掛かりになっていく。 [インターネット(邦画)] 9点(2024-07-14 00:41:34) |
3. エリ・エリ・レマ・サバクタニ
《ネタバレ》 正体不明のウィルスによって自らの意思とは関係なく自殺してしまう"レミング病"が蔓延する近未来のお話。レミング病は視覚映像によって伝染し、確実に死に至るという。まさに死に至る病である。 レミング病とは何か?それは死に至る病である。 死に至る病とは何か?それは絶望である。 作中の浅野忠信演じるミズイが相棒アスハラの自殺を目の当たりにしてつぶやく。 「病気の自殺と本気の自殺とどうやったら区別がつく?」 『死に至る病』の作者キルケゴールによれば、その区別は様々あれど、やはりそれは同じ罪としての絶望である。絶望を知り、それを克服する意思があるとしても、自己自身を抱えている以上、それは同じように絶望なのだと。本当にそうだろうか? ウィルスによる絶望というのは、外敵、非自己による自己化ともういうべき自己の病への囚われ、第5の絶望、現代という無自己を絶望と化した時代のメタファーだろう。『ユリイカ』の監督である青山真治は、この最新作でそういった新しい絶望も含めた全ての「死に至る病」に対する抵抗を試みている。僕にはそう思えた。 アスハラが自転車をこいでミズイに会いに行く短い映像。その音楽。生きること、死ぬことに根源的な意味がある以上、僕らは常に本気でいるべきなのだと。少ないセリフの中にも僕にはそういった輝きを感じることができた。映像の一つ一つに抵抗としての生を感じることができた。 絶望に囚われ、それでも自己自身であり続けようとする。 自らの生を受け入れ、自らで選択する。 恣意的のようでいてとても示唆的な映像。 素晴らしい映画。 絶望につけこまれ、、、腹いっぱいになっても、、、死に至るか。。。 [DVD(邦画)] 10点(2007-01-27 01:15:50) |
4. A2
「A」と比べて「A2」がそのテーマを明確にしたことによって、出色のドキュメンタリーとなっているということに全く異論はない。そして、そのテーマとは、「オウムと世間との共存の可能性」である。オウムが日本各地に移転するたびに地域住民から排斥運動を受けて、結局追い出されてしまう、こういった構図は僕らも新聞報道等でよく見かける。しかし、映画の中では、オウムを監視していた地域住民ボランティアが監視を続けるうちにオウム信者達と仲良くなり、逆に地域内での一般住民たちの軋轢こそが浮き彫りになる、というケースを克明に描いてみせる。確かにそこで描かれるオウム信者はあまりにも普通の好青年であり、オウムでありながら地域社会に見事に溶け込んでいるように見える。彼らがその地域から引っ越す際には多くの地域住民たちに涙をもって見送られるのである。もちろん、このような例は数少ないに違いない。多くはオウムと地域住民たちとの滑稽なすれ違いの繰り返しなのだろうと思う。しかし、一部ではありながらこういった例が存在し、そんな現実をひとつの可能性として提示し得たことにこの作品の重要なテーマをみるのである。基本的に未だオウムというのが麻原への信仰を捨て切れない、世間から閉鎖した危険な思想団体であることに間違いはないだろう。それは彼らが世間から閉鎖された出家団体であり、世間とは根本的に対立する考えを持った人々の集団であることから既に自明なことである。一見するとそこに出口はないように思えるが、彼らが共存を求めており、僕らが社会としてそれを受け入れることを選択した以上、それが全く不可能ではないことをこの映画が指し示していることは重要である。人には信仰の自由があり、各人が別々の信仰を有しながらも共存共栄していくというのが正しい社会のあり方である。そんな当たり前の社会を不可能にしているとすれば、それは人と人との関係を強烈に捻じ曲げる偏見という名の人格無視だろうと僕は思う。お互いが分かり合える足場を失った状態でも人が人を理解する希望を失わないこと、そのためのシステムを作り上げること、それがこれからの社会の中で重要になっていくに違いない。無条件な憎しみの連鎖にだけは陥ってはいけないのだと僕は思う。 10点(2004-06-27 23:23:14) |
5. A
「A」と「A2」を連続して鑑賞した為に「A」の印象というのは若干薄い。これは「A2」の方がより考えさせられる内容だったことにもよるかもしれないが、かといって「A」に見るべきものがなかったかというとそれも全く間違いである。「A」があくまで荒木広報副部長を中心とした物語であるとすれば、オウムという日本を震撼させた犯罪者集団、狂信的宗教団体の中で、あまりにも普通に苦闘し煩悶する彼の姿を浮き彫りにしていることにこの映画の重要な意義を感じるからである。僕は、ある意味で同世代の彼に安堵と共感の念を禁じえなかった。僕らが忘れかけていた青春的な葛藤劇をこんなところで見せられるとは思ってもみなかったけれど。<これを青春映画と呼ぶことに全く異論なしです> もちろんオウムの犯罪は今でも許しがたいものであり、僕らは安易に彼らの信教を犯罪から切り離して認めることはできない。矛盾を抱えた世の中と自分自身との関係に苦しみ、人生に対する絶対的な回答を得たいという彼らの真摯な願望は分からないでもないが、その終着が今でも麻原に行き着くところに捩れた純粋さを感じる。しかし、この映画はその辺りのところは脇に置いておいて、オウムという鬼っ子を完全に排除したいという公安機構や犯罪者集団というレッテルでとにかく押し通したいマスコミや世間の醜悪さを見事に描いており、どちらかというと僕らの側にあり、僕らが意識することなく認めている体制というものに様々な理不尽さが存在することを見せ付けるのである。とにかく偏見というのは恐ろしいものだ。オウムは信者をマインドコントロールするために多くのビデオやマンガを用いたそうだが、今、思考停止状態にある世間をメディアが煽動することほど簡単なことはない。中立であるはずの報道が偏見の為に誤った情報を流し続ける、そういう恐ろしさを感じざるを得ないのである。この映画は誠実な人、荒木氏の廻りの不誠実な公安権力やメディアをかなり決定的に映像化しえたことでドキュメンタリーとして成功したとも言えるのではないだろうか。 10点(2004-06-27 23:09:53)(良:1票) |
6. エルビス オン ステージ
エルビスが偉大なる復活を果たし、日本でも大ヒットした1970年のライブ記録映画。最近、僕の叔父さんが車で<オンステージ>のサントラ盤をかけながら、運転&熱唱していたのを横で見ていて、「なるほど、団塊の世代の叔父さんにとってもエルビスの歌が響くというのは、この<オンステージ>のせいなのだなぁ」と納得した。僕自身も、高校生の頃、テレビで<オンステージ>を観たときには、さすがに「エルビスすごいぞ!」と感銘し、さっそく図書館へエルビスのベスト盤テープを借りに行った記憶がある。ど派手なステージングも印象的ながら、あの甘い歌声から繰り出される極上のバラードソングには、男の僕でもかなり痺れるものがあった。単純にかっこいいのである。50年代中期から60年代にかけての若々しいロックンロールアイドルたるエルビスも印象的だが、やはり彼がスターとしてステージ上で最も輝き、その虚勢と苦悩をも全身全霊で見せ付けた孤高の<オンステージ>があってこそ、エルビスはエルビス足りえるのではないだろうか。(思い出してみれば、最近の映画で現れるエルビスの亡霊たちも皆この頃のエルビスではないか!日本のスターにしきのあきらも何かって言うとエルビス風の衣装を着ているしね。)彼の<オンステージ>はDVDで発売されている。もうこれは一家に一枚の世界だね。 10点(2004-06-25 02:03:48) |
7. A.I.
「鉄腕アトム」には、成熟しない永遠の子供ロボットというモチーフがある。彼には元々家族が存在しなかった。<妹のウランはアトムが誕生日プレゼントにもらったものなのだ> 天馬博士からは成長しないことを理由に捨てられ、ロボットというだけで人間から疎外されながらも、愛情に飢え、逆に人類に対して無償の愛情を与え続ける、そういう存在がアトムの原型<原アトム>なのである。成熟の放棄は、人間のファンタジックな願望であるとともに人的異常さの象徴であり、心を持つアトムにとってそれは深い哀しみそのものだったのである。<「鉄腕アトム」の前身「アトム大使」では宇宙人から大人の顔をプレゼントされて終わるらしいが> というわけで、この「A.I.」という映画、「火の鳥」のウーピーやロビタ、永遠に生き続ける未来編の男、それらの物語群を彷彿とさせると同時に、僕には原アトムの物語を思い出させた。手塚治虫は、ディズニーアニメを模倣することによって、日本マンガの技術的手法を確立したが、成熟しない主人公という日本マンガ普遍のモチーフは、実は「鉄腕アトム」から培われたものなのだ。そしてその未成熟ロボットが愛すべきキャラクターとして肯定されたことが、戦後日本空間を象徴する確信的意味合いをもつのである。<その辺りのことは大塚英志の評論に詳しい> キューブリックやスピルバーグが手塚治虫のマンガを意識したのかどうかは知らない。ディズニーの「ライオンキング」の例のようにあからさまではないが、「A.I.」も明らかに似ていると感じる。A.I.として蘇った苦悩する愛情ロボット<原アトム>の物語は、その根底に時代的モチーフを持ちながらも、ピノキオという西洋ファンタジーの真綿に包まれることによって、アメリカ的成長物語として<全く逆のベクトルをもって>再生した、というように僕には感じられた。「成熟と喪失」というテーマは本来、日本にこそ相応しいが、アトムの本来的苦悩など今の日本で忘れ去られているのが現実であろうか。 7点(2004-05-03 10:01:08) |
8. エンジェル・アット・マイ・テーブル
映像の美しさが叙情的である。情念的と言った方がよいか。そもそも美しさとは鑑賞者の叙情性を通した絶対的、内面的な受け取りである。この映画の内面世界そのもののような映像は、立ちのぼる詩情のバイブレーションとして、僕らの胸を奮わせる。「天使が通る」その微妙な空間の亀裂。エンジェルに誘われるようにして、詩情の世界にいそしむ主人公を周囲の人間が理解できないのは哀しいことかもしれない。でも本当に哀しいのは、実は周りの人間なのである。ある意味で悲劇的なのは、そういう僕らなのだと言えないだろうか。 9点(2004-01-24 13:23:51) |
9. L.A.コンフィデンシャル
エルロイの描く暗黒のLA。主演の3人の男達が役柄にぴったりとはまっていて、登場人物達の雰囲気はわりとよく出ていたと思う。ただ残念なのは、その「暗黒」の描写、ストーリーについて。少々分かりやすさに走りすぎ、実際、後半部はかなり話を単純化してしまった。この「LAコンフィデンシャル」だけで話を完結しようと思うとこうなってしまうのかな。エルロイの暗黒のLA3部作と呼ばれるシリーズ小説の第2作目が「LAコンフィデンシャル」になるが、3部作に先駆ける「ブラックダリア」も含めて、このシリーズの主役はまさにLAの「暗黒」世界そのものなのである。その暗黒部を体現する人物がこの映画化作品にも登場するが、その存在はあまりにも貧弱化されてしまった。というか、原作においてエルロイが粘質的、衝動的に描く世界と人の心の巨大な「暗黒」、ビッグ・ノーウェアをその貧弱化された人物に集約させすぎてしまったか。その為、空気の如く蔓延る世の「暗黒」に翻弄されつづける主人公達が、常に反芻を迫られる自身の心の暗黒面や、そのちっぽけな生き様死に様に対する冷徹な透視が弱く、なんとなく男達の愛と勇気の友情物語的な落とし方になってしまったと感じるのは、分かりやすさをモットーとするハリウッド映画だからしょうがないのかもしれない。でも、まぁなんだかんだ書いたけど、エルロイの小説を映画化した努力は認めるし、出来としては、結局のところそんなに悪くない、と思う。 8点(2003-10-23 12:53:49)(良:1票) |
10. エンゼル・ハート
わりと怖かったぞ。確かに途中で薄々真相が分かるともいえるんだけど、その真実そのものは、結構衝撃的なのだ。 8点(2003-10-13 15:30:49) |
11. Aサインデイズ
崔洋一といえば、やっぱりこれでしょう。オキナワンロックの魅力がたっぷりと味わえるし、石橋凌が水を得た魚のようで、とにかく最高です。 10点(2002-12-31 01:45:59) |
12. 永遠の1/2
僕も当時の日本映画ではピカイチだったと思います。原作者の佐藤正午は僕の好きな作家で彼の作品はほとんど全部読んでいるんだけど、映画の方を先に観たのも正解でした。<映画と原作本ってそういうもんだよね>ちなみに佐藤正午は短編がわりと良くって「人参倶楽部」とか「夏の情婦」なんてお薦めです。<このレビューとは関係ないけど。。。>まぁこの根岸吉太郎監督作品も小説とは違った意味で雰囲気のあるいい作品でした。大竹しのぶがわりと役にはまっていて、彼女の独白シーンはとてもリアルな感じでよかったですよ。 10点(2002-03-24 20:22:50) |
13. X-メン
最高です。とにかく面白い。これは「甲賀忍法帖」の世界ですね。まったく。わくわくしました。 8点(2002-03-01 22:38:10) |