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プロフィール
コメント数 433
性別 男性
ホームページ http://onomichi.exblog.jp/
年齢 56歳
自己紹介 作品を観ることは個人的な体験ですが、それをレビューし、文章にすることには普遍さを求めようと思っています。但し、作品を悪し様にすることはしません。作品に対しては、その恣意性の中から多様性を汲み取るようにし、常に中立であり、素直でありたいと思っています。

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1.  名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN 《ネタバレ》 
ティモシー・シャラメは、ボブ・ディランによく似ている。彼の顔、声、眼差し。昔、ドキュメンタリー映画で観た若き日のボブ・ディラン、その雰囲気がよく出ている。そして、ギター、ハープの演奏も素晴らしい。ジョーン・バエズと寝起きのベッドに座りながら歌う『風に吹かれて』は爽やかで且つ生々しかった。  私がこの映画を観て改めて認識したのは、ディランという存在の凄さである。全編通して流れる初期ディランの曲。映画はディランの歌を主旋律として描かれている。主役は彼の歌だと言っていい。そこにドラマが重ねられていく。  ディランの2ndアルバム"The Freewheelin'"は初期の代表作で、私の愛聴盤でもある。そこには、世界の在り方(『風に吹かれて』)があり、政治(『戦争の親玉』)があり、戦場(『はげしい雨が降る』)があり、ロマンス(『北国の少女』)があり、別離(『くよくよするなよ』)がある。彼の人間ドラマが歌詞となっており、映画はそれを辿るように描かれる。  彼は自分が何者かよく分からない(Complete Unknown)と言う。分からないことが自明であるが故に、そのことを常に(風の中に)放置し自由に転がり続けるだけだ(Like a Rolling Stone)と言う。こう表現すれば単純だが、映画の最初の方のシルヴィとの会話でも、彼女の考え方と決定的な違いが分かる場面があった。社会的であろうとする彼女に対して、ディランは常に自分の気持ち、信念を優先する、文学的なのである。  彼が歌詞の中で操る自己と社会を表現する言葉は観念的で利己的であったが、且つその言葉は美しく世界に響いた。それは世界がまだ自己に傾いていた時代だったから。彼は社会と2人の女性の間を自由に行き来し、時に強く、時に弱かった。そして、彼は常にダークサイドに居て、そこから見ていたのだ。  明かりで照らしても無駄なことさ たとえ今まで見たこともない明るさでも 僕は道の暗がり(ダークサイド)に居るから ボブ・ディラン『くよくよするなよ』  映画のティモシー・シャラメ演じるディランにそういった人間的複雑さ、暗さを感じることは難しい。時代の違いもある。自己が世界に沈んでしまった現代。そこでディランを演じること。弱みを見せない仮装、それがディランのパブリックイメージであるように彼を演じてみせる。そうであるが故に、ティモシー・シャラメ演じるディランは、彼の歌を歌いながらも、彼の歌を作った人物のようには見えない。でも、それは仕方がないこと。ディランを演じることは出来ても、ディランそのものにはなれないのだから。その文学性を身に纏うことは、現代において至難の技だろう。  しかし、ディランを演じる、ディランの物真似として、ティモシー・シャラメは素晴らしく適任だったと思う。映画後半のあの髪型でサングラスを掛けたティモシー・シャラメは、ボブ・ディランにしか見えなかったし、演奏する姿も彼そのものだった。  ニューポートでエレキギターを携えてロックを歌ったディランは、観客の罵声を浴びてステージを降りる。彼は涙を浮かべて“It's All Over Now, Baby Blue”を歌ったとされている。今や、YouTubeでそれらの映像を簡単に観ることが出来る。ディランにはそういう弱さがあり、それが彼の文学性を生んだ。映画の中で弱さを表現することも出来たはずだが、その方向には行かなかった。映画の中の彼は決して涙を見せず、その代わりに「歌」で全てを表現した。それはそれで映画の在り方として有意だし、ディランの歌ならそれが出来る。様々な人々(ディランのファン達や彼の曲を全く知らない人達)に映画が受け入れられる方法論として。  これまで、私はティモシー・シャラメが好きではなかった。ティモシー・シャラメはウディ・アレン監督作『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』に主演した後、アレンのスキャンダルの件で記者にアレンとの絶縁を迫られて信念なくそれに従ってしまったり、風見鶏のポピュラリストなのだと思っていた。だから、それとは真逆の信念の人であるディランを演じるのは違うと思った。単なる器用さ、物真似だけでなく、人間として滲み出るものがなければ、ディランを演じられないと思った。  アレン好きな私にとって、当初、本作品は批判の対象でしかなかったが、その考えは観賞後にすっかり変わった。『名もなき者』は傑作映画であり、ボブ・ディランの歌の素晴らしさ、その歌が紡ぐドラマ、彼の文学を堪能できる。彼がノーベル文学賞を獲得したことが至極真っ当であることを理解できる。そういう映画としての新しさを感じたし、とにかく観て良かった。
[映画館(字幕)] 8点(2025-03-10 19:01:52)
2.  ナチュラル 《ネタバレ》 
僕にとって涙なしに観ることができない映画です。「人生には2つある。学ぶ人生とその後の人生。」実力がありながら16年間を棒に振ってしまったレッドフォード演じるロイ・ハブスがようやく大リーガーとしての夢に辿りついた時、意に反するその夢の不確かさを語った後に、グレン・クローズ演じるアイリスが呟いた言葉である。 この映画の好きな場面はたくさんあるが、僕はやはり最後のシーンを語りたいと思う。シーズンプレーオフの最終試合。古傷の再発に耐えながら不調に喘ぐロイ。ベンチのロイにアイリスから手紙が届く。その言葉自体は僕らに伝えられない。しかし、そこにはアイリスの子供がロイとの間にできた子供であることが告げられており、その言葉がロイに力を与えたであろうことを僕らに想像させる。手紙を読み、立ち上がるロイ。スタンドを見上げ、ベンチを歩き回り、そして決意を胸にする。ロイは期待通りに逆転のホームランをスタンドの照明灯に打ち込み、チームをプレーオフ勝利に導く。この試合を最後にロイは引退した(であろう)ことが後に続く息子とのキャッチボールのシーンで僕らに伝えられる。確かにクライマックスシーンは派手であるが、僕はこれらのシーンにさざめく静かな感動を覚えた。それは何故だろう。この作品はベースボールを題材とした映画であるが、ベースボールゲームそのものを描いてはいない。なぜなら、ロイが最後にバットに想いを込め、ホームランを捧げたのは自分の息子に対してであるからだ。あの場面でバッターボックスに立ったロイは、既に「その後の人生」に足を踏み入れていたのだと思う。ある意味でこのクライマックスシーンの主役はアイリスとその想いを受け取ったロイであり、彼女の想いがあの結末を導いたのである。最後、親子によるキャッチボールとそれを見つめるアイリス。最後のキャッチボールといえば、名作「フィールド・オブ・ドリームス」が思い浮かぶけど、この映画の最後のキャッチボールは親子の様々な思いを想起させるノスタルジックなそれとは少し違う。何と言っていいか、、、ある確信的な勇気、ささやかながら何か大切であろう心の有り様を僕に思い起こさせるのである。それははっきり言って凡庸たる家族や愛情というタームなのかもしれないが、にもかかわらず、僕は「はっ」と思った時には心が既に溢れ、我知らず涙を流している自分に気付くのだ。。。
[ビデオ(字幕)] 10点(2005-02-14 06:29:03)(良:1票)
3.  楢山節考(1983)
深沢七郎の原作小説は、おりんという土俗的人生に絶対的従順さをもつ女性の原日本的な奥深さを描いており、その奥深さを信とすることによって現代的な自堕落さの象徴であるけさ吉が救われるという物語である。つまり、おりんがけさ吉という壊れを抱え込むという現代的な問題をテーマとした小説でもあるのだ。今村昌平の「楢山節考」は知られているように深沢七郎の同名小説と「東北の神武たち」をミックスした作品である。「東北の神武たち」とは、奴隷的な境遇である東北地方の農家の次男三男坊たちを総称したもので、この物語の主人公は利助である。利助をこの映画で辰平の弟として闖入させ、倍賞美津子演じるおえいや女性たちとのエピソード、あの残酷な村八分の場面などに「東北の神武たち」の物語を見え隠れさせている。その昔、ある評論家は「東北の神武たち」を「楢山節考」に比べて数段落ちる駄作と称し、「生死の問題と性欲の問題との人生に占める位置づけを計算まちがいした作品」と酷評した。確かにこの映画にみられるちぐはぐさはそういった2つの作品を一緒にしているところからくるのかもしれない。しかし、本当は、この2作品が同根の物語であり、利助こそが「楢山節考」のおりんであり、けさ吉でもある人物像なのである。その辺りで、利助の描き方は中途半端であり、せっかくシチュエーション的に融合可能な2つの物語を単なる日本的な土俗性に回収させて終わらせているのが残念だ。冒頭に記したテーマこそ、この小説を「美しい」ものとしているのにも関わらず、やはり土俗的エピソードの積み重ねがこの作品のもつ現代的意味合いを著しく損ねていると感じる。確かに映像的にはそれなりに人間の原初的な力強さを描いているが、その作品の本質的なテーマはその影にすっかりと隠れてしまっているのである。
7点(2004-06-19 11:21:59)
4.  眺めのいい部屋
少女に芽生えた自意識の行方は幸せな結末でした。ヘレナに比べて、ジュリアンサンズとダニエルデイルイスがなんかアホみたいだったけど、これも歴史物と見れば、ヘレナの恋愛譚にもなんとなく納得してしまいました。
8点(2003-10-09 23:49:57)
5.  なまいきシャルロット
シャルロットは確かにブータレているけど、これがなかなかいい味を出してるのだ。少女から大人へ。まだ13歳の彼女の瑞々しい魅力がとっても伝わってきて、切なくも爽やかな印象を残します。個人的には、さらにオトナになったシャルロットが堕ちるところまで堕ちてしまう「小さな泥棒」も好きですが。こっちはさらに痛々しい。
8点(2003-09-21 16:39:46)
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