1. 踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!
シャッターあたりのアイディアは、「閉じ込められたら面白いだろう」そのためにはどうしよう、みたいに逆算してつくった感じで、リアリティがあまりになさすぎる。小泉今日子のキャラクターもここまで重い役は彼女には無理だろう。まあそれでもそれなりに楽しくは見られました。 [地上波(邦画)] 5点(2013-01-01 23:22:54) |
2. おっぱいバレー
タイトルからしてあまり期待せずに見たのだが、意外にきちんと作られた佳品だった。オープニングの、手の動きから、エンディングのバレーボールを胸にいれた男子中学生までいっかんして恥ずかしげもなくストレートにおっぱいを追求しているのが、良かった。ほぼ同年代ということもあり、時代設定にも懐かしさを感じた(物語的な必然性はなさそうだったが)。 [地上波(邦画)] 8点(2012-12-31 01:33:43) |
3. オンリー・ユー(1994)
運命の相手というような夢を持っていて、占いなどを信じてしまうような女性向けの映画でした。男性にはちょっと・・・。一度見ていたのに気付かず、「なんか知ってるぞ、これ」というシーンがいくつかあり、結局最後まで見てしまいました。そのくらい印象の薄い映画です。 [地上波(字幕)] 5点(2011-03-09 09:18:55) |
4. 大洗にも星はふるなり
舞台の映画化というけれど、これは全編舞台をそのまま撮影したようなものです。舞台として、役者を間近に見ながら見ればそれなりに見られるかもしれないけれど、映画としてはギャグは少しも面白くないどころか、それを通り越して不愉快にさせるような内容でした。 [地上波(邦画)] 2点(2011-01-29 23:04:22) |
5. 夫以外の選択肢
邦題どおり、職場の同僚で親友同士の夫が家族ぐるみでつきあっている相手の女性と互いに不倫関係に入るというお話。ただしいわゆるスワッピングではない。 雰囲気はいかにもヨーロッパ映画という感じで、意味ありげで詩情あふれるカットが多く挿入されるところもそんな感じ。特に二人の女優の演技が、真に迫りすばらしかった。複数の解釈の可能なようなエンディングも納得できる。 [地上波(字幕)] 8点(2010-12-04 23:04:34) |
6. オズの魔法使
現代日本の大人が何も考えずに楽しめる、というお話ではないように思う。はじめから最後まで違和感があり、それがある意味興味深い。 ここでも高い評価を受けているが、本国アメリカでの「古典」としての位置づけはそれ以上だろう。たとえばIMDbの人気投票では全体で88位、1930年代の作品で100位以内に入っている作品は他に四つだけだ。単に平均得点が高いだけでなく、投票総数も4万以上で、1万程度のほかの四つを圧倒している。IMDbの感想を読んでも、アメリカ人の多くが子供の頃にこの作品を普通に見て育っていることが推測される。想像するに、それは僕らが「日本むかしばなし」などを見て育ったのと同じような感覚なのかもしれない。 そのように考えると、僕らにとっての違和感はアメリカ人が当然のものとしているような、その文化への違和感とも言える。 その違和感は物語のスタートからはじまる。ドロシーは大人に囲まれていて、誰も彼女の話をきちんと聞いてくれない。日本において、こんなにも大人の世界は子供にとって圧倒的な壁ではないはずだ。単にまわりに子供がいないという不自然さだけではない。こどもらしい可愛らしいものがそこには一切ない。 物語の構造上、そうした「かわいらしい」こどもの夢の世界はみなマンチキンやらオズらの別世界に移されているというのはわかるが、そのこどもの世界においても僕らの目が出会うものもお世辞にも「かわいらしい」とは言えない奇妙な人々と奇妙な情景に過ぎない。しかもそこは悪い魔女が殺されたことを祝う祭が行われる単純な善悪の二元論の世界である。でも、アメリカ人にはあれは十分「かわいらしい」のだろう。 ジュディ・ガーランドが歌うあの「虹の彼方に」も、映像なしに見れば誰もが大人の女性の歌だと感じる、完成された美を表現している。それは、自分の子犬を守ろうと一大決心して家出した女の子が歌う歌としてはあまりに不自然だ、と僕らには感じられる。 この違和感は、社会における大人的な価値観の位置づけの違いから来ているのだ、と説明できそうに思う。単にアメリカと日本の文化の違いではなく、あの時代との時間的な距離も関係しているかもしれない。アリエスの描いたような大人中心の世界の余韻がまだあの映画には残存しているのだと。 [地上波(字幕)] 3点(2006-09-04 13:22:46) |