1. 女ともだち(1956)
長回しという言い表し方では済まないような巧みな撮影・演出手法で、目まぐるしく動く人物たちが主体として浮上しては脇へ外れてゆく様を描き出す。けっして、人物たちの間に割って入って見交わしをモンタージュするようなことはないのは、ほんとうにすごいことだ。ほとんんど取るに足らない筋で不思議に充実しているアントニオーニ作品たち! [ビデオ(字幕)] 9点(2022-11-13 23:06:25)(良:1票) |
2. 大鹿村騒動記
《ネタバレ》 阪本順治のよさで、なんとなくいい感じの出来に仕上がっている、ただただなんだかいい感じの映画、そんな映画があってもいいではないか。メリハリの利いたおもしろいストーリーの展開とかなんとかそんなものこの場合必要ない。手法的に印象的なのは、突如逆サイドからのショットが効果的に入ることがしばしばであることで、それは映画である以上当たり前のことであるかのようだが、舞台ものである分、おのずとそれとの差異化をはかっているとも思える。 [DVD(邦画)] 7点(2016-02-21 19:04:49) |
3. 女
《ネタバレ》 ダメ男からついには「必死に」逃げる女だが、逃げても逃げても捕まるように逃げている、のが腐れ縁における内的葛藤というところだが、正直、いいかげんにしろである。この永遠の不徹底な逃げだけで映画を作るのは大胆すぎる(観客のほうが逃げる)。その代わりといおうか、大エキストラ起用の火事のシーンがものすごく気合いが入っている。要するにこういうことだ、徹底的に寄りの(世界喪失的な)撮影のきわめて個人的な別れ話に、それとはまったく無関係な社会的騒動を目覚まし的に衝突させてみせるという面白さ。 [ビデオ(邦画)] 5点(2015-11-02 11:03:37) |
4. お葬式
《ネタバレ》 伊丹十三の書き物やタレントぶりのファンであったので、この第一作にはとくに注目した。過剰な演技にはしる財津一郎に抑制を命じたように、この監督はもっと自分自身に抑制を命じるべきであったろう。香典が木へと飛んだり、高瀬春奈のおしりがアップになったりとかは、不要であるとおもう。もっとさりげなく、緑と風だけで十分にいい映画であったろう。なお、以後の伊丹映画は駄目だった。 [映画館(邦画)] 7点(2011-03-25 18:39:41) |
5. おくりびと
《ネタバレ》 いい映画だが、映画館で観ているときから違和感のあった箇所を二つ挙げる。一つ目、「死」に触れて帰宅したモックンが広末に抱きつく場面がポルノ映画的になっている、つまり「死」に対する「生」の対置が窃視的な「性」に流れすぎ(省略技法が大切だ!)。二つ目、ラストのクライマックスにはモックンの一筋の涙だけで崇高なのに、広末がらみでなんだかんだ喋らせてぶち壊している。だから省略という方法がこの作品にもっとも欠けているものであって、それは作品の気品にかかわるのである。 [映画館(邦画)] 6点(2011-03-21 09:57:49) |
6. 男の子の名前はみんなパトリックっていうの
《ネタバレ》 この切れ味!スピード。諧謔。目の覚めるような出来。付き合っている二人の女の子と(つまり三人一緒に)同じフレームに入らないかぎりは大丈夫の二股男、ということは、これはまさにモンタージュという映画の持ち前をフル活用ということである。しかし、モンタージュ方式の嘘もやがて命数尽きる、ヌーヴェルヴァーグの基本手法が長回しなのだし。 [映画館(字幕)] 10点(2011-03-09 17:32:56) |