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1.  鴛鴦歌合戦 《ネタバレ》 
80年近く前のモノクロ作品でタイトルが『鴛鴦歌合戦』…。 本サイトの平均点が高くなかったら完全にスルーしていた作品でした。(仮にそうしていたら、どれだけ損をしていたか) みんなのシネマレビューのみんなに感謝です。  時代劇をベースにして台詞は現代語。童謡のメロディーをスウィングジャズでアレンジして歌いまくっています。 まさに設定はやりたい放題で、登場人物たちも丁稚小僧がお店のお嬢様を貶してみたり、その町民のお嬢様が侍にインチキ大名と罵ってみたりと言いたい放題です。  特にお春は壷や日傘を叩き壊したり終始プリプリと怒っていますし、演じている市川春代さんは滑舌も良くなく、演技も歌も上手とは言えません(台詞回しも歌も声が張りすぎてしまって抑揚が感じられず一本調子になっています)が、彼女自身の愛らしいキャラクターを前面に出す事によってそれらを相殺する以上に粗略とも言える態度や仕草も魅力として映っています。 そんな彼女自身の魅力が作品自体の魅力に昇華されている面は、演出の妙とも言えると思います。  また、ディック・ミネさんの歌唱力の高さがミュージカルである本作を安定させていると共に彼が演じる峰沢丹波守の役所をヒールにしていない為に、いい意味で気を緩めて鑑賞できましたし、後味の良いコメディー作品になっていたと思います。 彼は歌手という事なので演技については触れない事にしておきます…。 他作品では中々見られない志村喬さんの超軽い演技の意外性を含めて、3人のヒロインや丹波守御一同など役者さん達を上手に使い切っている印象の作品でした。  オペレッタと言われている様に文字どおり小さな喜歌劇である本作は現代の造り込まれた映画に比べるとボリュームや内容で物足りなさを感じるかも知れませんが、ここまで気持ちの高揚を伴った満足感と幸福感を見終わった時に与えてくれる作品は最近のそれは疎か、時代を超えてみてもそれ程あるとは言えないと思います。 価値の有無は分かりませんが本作自体が私にとっての掘り出し物です。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2016-06-14 01:12:01)(良:2票)
2.  思い出のマーニー 《ネタバレ》 
内向的で自己嫌悪の強いローティーンのあまり可愛くない主人公の女の子には好感が持てました。 自分に通ずる所が少なからずあったからだと思います。  彼女がどの様に、また、どの程度変わっていくのかという話なのは明白なのでその辺りに注目しながら観ていました。 杏奈の自己嫌悪による孤独、孤独を受け入れる事での対人否定、それによる苦悩等は痛みとして伝わってくる程の描写だったと思います。 マーニーが出てくる世界と現実の世界のあやふやな境界の表現などは良かったと思いますし、マーニーと会っているうちに少しずつですが杏奈に表情が戻り、他人と自然に言葉が交わせるようになっていく行程は丁寧に描かれていたと思います。  しかし、置いて行かれる事にトラウマとも言える程の拒絶感を持っている杏奈がサイロでマーニーに置いて行かれた事を何故許す事が出来たかという心理的描写や論理的理由が無かったように思えます。 『ふとっちょブタ』と罵られた相手が手打ちにすると言ってきた提案を許す事が出来なかった彼女が、それとは比にならないくらいの事柄と大事な相手に対して許したのなら『ふとっちょブタ』事件からのそれに見合った大きな成長がなくてはいけないと思いますが、そのような大きな成長過程は描かれていない為に、杏奈と作品自体にかなり重要なターニングポイントとなるこのシーンに全く説得力を感じる事が出来なくなってしまっています。  この辺りから不安定な10代の主人公を繊細な描写で描いていた前半の良い雰囲気は姿を隠して杏奈とマーニーのドラマティックな関係を紐解く事に軸足が移ってしまいます。 また、肉親関係にした為に2人が出会う事に運命的な必然性が生まれて遅かれ早かれ、なるようにしてなったという予定調和的な話になってしまい、物語としての不確定要素による緊張感が薄れて、閉じた世界の他人の家(ひとんち)の話になり最終的には客観視で捉えてしまう割合が大きい作品になってしまった印象で私としては残念でした。 個人的には杏奈とマーニーは似たような境遇を違う立場で経験した他人の方が良かったと思います。
[地上波(邦画)] 7点(2015-12-29 21:26:59)(良:2票)
3.  おとなのけんか 《ネタバレ》 
自分の子供が友達に怪我をさせた(させられた)という事象だけで、その原因を知る前に話を始めれば拗れるのは当然です。 議題がはっきりしていないのに会議をしても要領を得ずに時間だけが過ぎていくのと同じです。 加えてその原因を自分達で勝手に補完しても結論に至るはずもなく想像によるものなので否定も出来ずに話は広がっていくと言うより散らかっていくのもまた当然です。  時間も短く演劇的なほぼワンシチュエーションの本作は箸休め的な作品といった感じですし、映像的な工夫もリビングの逆側に掛けられていたB全くらいの鏡の効果だけです。 しかし、これらの「程度」が流石という位に調度良かったです。  ゲロとお酒で話に拍車をかけていきます。 それらのシーンを挟む様にエレベーターホールが2度出てきて、見ている側にロングストリート家からの舞台転換が起こり新たな展開が有るのではないかと思わせる効果と同時に話全体の抑揚にもなっています。 2度目の出戻りで舞台は此処だけだという事を理解させられつつ、この惨劇を腰を据えて見る覚悟をさせてくれますが、お酒が出てきた時点でそれぞれが顧みられない様な展開になるのだろうと予想がついてしまいますし、正直意識の半分くらいはエンディングの纏め方をどの様にするのだろうかと考え始める程に客観的な視線で見てしまっていました。 彼等が酔えば酔う程シラフの私は冷めてしまいますし、それは現実でも映画を見ていても同じ事です。  ゲロを吐くケイト・ウィンスレットに女優としての彼女の気概を感じます。 正直吐いた瞬間は私の口の中も酸っぱくなる程に最悪でしたが…。 ナンシーという役を彼女のものにしているのと同時に彼女自身も作品の1つの要素でしかないという割り切った潔さはカッコ良ささえ有りますし、ジョディ・フォスターの酔って顔を紅潮させて吃音気味にアフリカについて捲し立てる興奮した演技等はそれだけでも舞台劇を映画という媒体にして見せて貰った価値があると感じました。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2015-06-24 20:26:22)
4.  おとうと(2009) 《ネタバレ》 
山田洋次とは社会や人間に対する大きなテーマを、市井の人々に溶け込ませてユーモアや哀愁を織り混ぜながら、それらをイキイキとした役者さんに語らせて作品を撮るハズレのない監督だと思っていたので、本作を見終わった時には正直残念でした。  とんでもなく下手な役者さんはいませんでしたが、上手な役者さんもいませんでしたし、彼等が演じている世界からは生気が全く感じられませんでした。 そんな世界観の中でステレオタイプの登場人物が次から次へと出て来れば薄っぺらい作品になるのは当然だと思います。  テーマは誰にでも訪れる死と如何に向き合うかという事と、生きている時には誰にでも居場所が必要で、それは一人では築けないという事でしょうか。 生きる事が下手な人間には尚更難しい事だと思います。 そんなテーマを物語に上手く落し込めておらず、無理矢理に話にくっつけた様に見えましたし、テーマに対する社会状況の説明になってしまっているプロットが多すぎて物語自体に魅力を感じられませんでした。 それぞれの登場人物の話も描き切れていないので中途半端にストーリーが進み、全体的に底の浅い作品になってしまい、深みや広がりではなくただ単に散らかっただけに感じてしまいました。  渥美さんや倍賞さんが出ていない山田監督の現代劇を初めて見ましたが、本作がこの様な印象だったので、もしかして今まで私が評価していた山田監督の作品とは、彼等役者さんへの評価だけだったのかと思ってしまう程でした。 ボーカルが代わったバンドの久々に出たアルバムを聴いて「やっぱり違うな…。」という感覚です。  また、薬局の中から外の道が見えるカメラアングルは、寅屋からの仲見世通りのそれを踏襲したものだと思いますが、殆ど活かし切れていませんでした。(活かそうとしていたカットは有りましたが…)  山田監督には映画の可能性を語っていた「キネマの天地」を見て頂きたいと思ってしまいました。
[CS・衛星(邦画)] 2点(2015-05-04 03:02:21)
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