1. 彼岸花
わたしにとって、やっぱり、小津は、笠智衆と原節子です。二人がでてくれば、そこに家族愛があると素直に頷ける。そして結婚などでそれが崩れてゆくとき、得もいわれない感慨に浸ることが出来る。あの人を食ったような、やや軽薄なメロディも、笠智衆のバックに流れるのなら、違和感もない。そして全体として、神話的な空間が拡がってゆく。、、、、、、この作品の、佐分利信はどうなんでしょう。小津の作品にあっては、どうも存在感、生命感が強すぎるのではないかと。或いはあまりに偉そうというか、、、、、。小津作品のマンネリ・テーマにちょっとしたアクセントを加えるという趣はあるのかもしれませんが、なんか浮いているという印象をぬぐい切れません。それに娘である有馬稲子のことを可愛がって、愛しているという雰囲気がいまいち伝わって来ないというか。娘を嫁にやった哀しさも伝わってこないし。 [DVD(字幕)] 8点(2005-07-31 10:45:42) |
2. ひまわり(2000)
遠い過去を懐かしむといった、単なるノスタルジーに終始するのでなく、過去を今のものとして現在させるには、時間の流れを逆流させる必要があるわけで、、、、、校舎の玄関のシーンとか、過去と現在が混合していくシーンを織りまぜ、そして最後の最後に、船を掘って船出して、その船が沈没して、みんな死んで、冒頭の海難ニュースにつながる、ということで最終的に時間を逆流させる、ってな仕掛けなのでしょうか???、、、、、とはいえ、結局、やっぱり、思いつきを寄せ集めたノスタルジー映画ではないかと思ったのでした。最後の方の音楽はニューシネマパラダイスっぽいですしね。、、、、そういう映画なのに、わかる人がわかればいいのだ的に、メタファー散りばめるのってのは、傲慢以外のなにものでもないとも思います。ぷんすかぷんなのだ。 4点(2005-01-17 11:01:49) |
3. 光の雨
革命的同志愛をもって総括する。「この映画は反革命であり0点である。」、、、、、途中、これは何かのギャグではないだろうか、或いは連合赤軍は単なるネタで一番の狙いは現代的な何かなのだろうか、とも思いましたが、最後の立松氏のナレーションを考えても、どうやらベタでマジに作られているようです。、、、、、再度声を大きくしていいたい、「救いようのないあほ映画だぁ」、、、、、最も断罪すべきは、この映画が、この時代、この事件を真剣に理解し取り上げようとしていないこと。、、、、、で、どうしてそうなるのかというと、映画の作製者が、今の時代と真剣に取り組もうとしていないからに違いありませんっ。、、、例えば、今の時代はこの時代よりも悪くなったとか最後に裕木奈江に言わせていますが、そう思うのだったら、なぜ戦わないっ。他人行儀の冷笑で格好つけんな。それともこんな映画作ることがあんた達の今の戦いなのか。じゃあ、この映画に、政治的なもの、社会的なものがどれだけあるのか。政治的なことは一切なく、私小説的世界を描いているだけではないか。がるるるる、、、、、、。確固とした価値意識を持っていたとしても、私たちを取り巻く状況は日々、刻々と変化し、敵がいったい何であるのかを見定めるのは大変に難しいことです。この映画を作った人達は、状況の変化の中で敵を見失い、その挙げ句、自分たちの価値意識も喪失してしまっているように思えます。だから、この時代のトロツキスト達が、敵をどのように見失ったのかということを正確に記述することができないのです。それで、結局、真の総括ができず、ノスタルジーに陥没したり、いい加減なアイロニーを垂れ流すだけになっている。、、、、、、どうでもいいことですが、個人的にはインターナショナルよりワルシャワ労働歌の方が好きです。あややの渡良瀬橋も好きだけど。 0点(2004-12-15 00:07:56) |
4. HERO(2002)
見ながら思ったことです。、、、、、れれ、これって黒澤みたい、、、。西欧文化と向き合いながら、自分たちの文化を、外に向けてどのように発信するかっていうのは、やっぱ大事だよなぁ、、、。今の日本映画で、黒澤の継承者って、実は宮崎なのかなぁ、、、。(残剣と秦王の戦いのシーンで)、、れれっ、布を縫いあわせているのが、しっかり見えてるじゃん。黒澤なら、完全に一枚の布となることを要求したんじゃないのかなぁ、、こういう手抜きはいけませんね、、、、、、、(ラストに向けて)、天下太平のため個人的な感情は捨てるべし、剣の奥義とは剣を持たずに戦うこと、ですか。最後は儒教的な政治道徳ですね。この境地に達したのは、残剣、無名、秦王だとして、飛雪にはどうやって、この儒教思想を納得させて、矛を収めさせるのだろう、、、、、、。れれっ、やっぱ、飛雪さんは儒教道徳の蚊帳の外ですか。残剣の真意を結局わからずじまい。、、、、作る側の意識の底に、天下国家のこと、儒教思想の真意は、女にはわかんないっていう先入観が、やっぱあるのかなぁ。これもアジア的っていえばアジア的だけど、、。でもこの政治道徳がストリーリー的には要の筈だから、めちゃくちゃ気になるなぁ、、、、、それと、武力を背景に平和を実現することを肯定するところとか、中国共産党の偉い人たちが見たら、喜びそうだなぁ。、、、、、、、、ただ、何が悲しいって、伝統的な文化を現代に生かそうとする映像的な試みが日本であまり見かけられなくなっているということでしょうか。陰陽師じゃねぇ。、、、、(溜息)、、、、今の日本にないものを見せてもらった点で、ちょっと高めに点数を付けます。 7点(2004-10-11 01:36:49) |
5. ひまわり(1970)
丘に広がる墓標、それと一面に広がるひまわりが重なり、花の一つ一つが、戦地に倒れた兵士の生死を表現していると、切々と伝わります。その一人一人に、その死を悲しむ肉親、友人たちがいて、それぞれに重く、悲しい物語がある筈で、このアントニオの物語も、そういう物語の一つなのでしょう。だから、ひまわりという題名がつけられているのだと思います。、、また、東西対立の時代、近代化されたソ連を写せという映像的無駄を甘受しつつ、ソ連ロケを敢行したのも、次に戦争が起これば、このひまわりが、再び血に染まるのだという、反戦のメッセージを伝えたかったからなのでしょう。、、ただ、判断に迷うのは、ソ連の駅での再会シーンです。もし私がソフィア・ローレンであったら、誰の旦那になっていようと、本当に生きていてくれたことが、うれしくて、うれしくて、思わず足の力が抜けて、その場にへなへなと崩れてしまうのではないかと思うのです。、、、だから、ここから先、ストーリーの論理が、戦争から恋愛に断絶的に転化するようで、、、。そこが素直に共感できないところです。 7点(2004-08-24 18:14:17) |
6. ビューティフル・マインド
退屈することなく時間を過ごすことが出来ました。前半の映像が、実は統合失調症の主人公の目を通して描かれていたという仕掛けなど、確かにおおっっっ、と思わせるものでした。とはいえ、見終わってから、ふと思いました、、、、、、で、結局、何を表現し、何を伝えたかった作品だったのだろう、、、、、、、そうした仕掛けで人を驚かせ、成功譚で感動させようという狙いはわかるのですが、結果として、統合失調症という重いテーマについて何も語っていないことになるような気がするのです。、、、、、統合失調症といってもその症状は多様であり、多くの場合、一見したところは、ごく普通の人です。それを思うと、ラッセル・クロウの演技は、やや普通でない部分を強調しすぎ、かえって、統合失調症に対する理解を阻害する危険もあるようにも思います。 6点(2004-06-03 12:26:11) |