1. ブロンド少女は過激に美しく
純粋な映画、映画の核。こういう映画が観たかったんだよ~。 [映画館(字幕)] 10点(2010-10-13 11:34:13) |
2. ブラックブック
映画の王道。これぞ映画。 [映画館(字幕)] 10点(2007-05-04 23:36:23) |
3. ブロークバック・マウンテン
《ネタバレ》 離婚の顛末の省略、娘の成長を導入した構成、時にさり気なく視点を変化させる演出など、人生の断片を的確に捉え、その人生の多くを語る、その語り口が素晴らしく、年代記もの面白さを大いに堪能した。■しかし、あまりに甘すぎはしないか。室内シーンの素晴らしさに比べて、絵ハガキのように通俗的、凡庸な風景へのアプローチ。やりまくってる様を見せろ、とは言わないが(しかしそれもまた選択可能なアプローチであったと思う。なぜなら少なくとも一方の男はセクシャルな意味において「愛」していたのだから。男の味が忘れられなくなったのだから)、川辺に立つ二人はアウトドアライフを楽しんでいるとしかみえない。■また「ブロークバックマウンテン」(壊れるまでケツを掘れ山)は「ウィスキーの川が流れている」理想郷であると同時に、二人の男の人生を狂わせた場所ではなかったか。「負け犬」であると自覚せざるを得ない哀れな男が、唯一の拠り所としている「ブロークバックマウンテン」(割愛)、それはノスタルジーの対象としか描かれてはいない。美しい理想郷であると同時に、過酷で絶望的な風景と捉える客観的な視点がこの映画にはほしかった。■ラスト、実の娘におざなりな言葉しかかけ得ない「負け犬」は、娘の帰りを見届け、ふと窓を開く。しかし「負け犬」は外界へと出ることを拒絶し窓を閉じ、貧しいトレーラーの汚いクローゼットを開く。そこには「ブロークバックマウンテン」(割愛)の写真がある。哀れな男を暖かいまなざしで見つめ、その人生を美しく飾ること。しかし、そんなノスタルジーを拒絶するクールな視点、絶望感をこそ私は観たいのだ。■かんけーないが、「草原の輝き」を思い出しました。あるいは「さすらいのカウボーイ」のゲイバージョン? [映画館(字幕)] 5点(2006-04-13 23:19:49)(良:1票) |
4. 4Dマン
マッドサイエンティストものの定石から全く外れない常識的な展開なだけに、例えば主人公が落ちに落ちるコーマンの「X線の目を持つ男」などの傑作にはほど遠い。とはいえ、例えば主人公が婚約者を弟(兄かな?)にとられちゃう設定とか、クローネンバーグ的な哀愁があっていいし、ジャンル映画ならではの楽しみは存分に満喫できる。ラストもいいしね。■と10点にしてたんだけど、いくらなんでもな。 [DVD(字幕)] 5点(2005-08-20 23:41:43) |
5. プラットホーム
ホウ・シャオ・シェンなら然るべき位置にカメラを据えると、そのフレームの中で静かに恋人たちは佇み、あるいは緩やかに自然に、フィルムが回されているその時々の感情に応じて体を移動させるだろう。 しかし、この監督はあくまでも構図の中に立ち位置を設定する、役者たちに動き方を演出する。スクリーンの左半分を占める壁の中に役者たちを行き来させながら会話を成立させ、双子の姉妹は完璧な構図の中に立ち、カメラはその片方をフォローしながらパンすると、彼女は再び完璧な構図の中にやや逆光気味で立ち止まる。 それだけではない。映画の前半の主要舞台である城壁に似た壁、その見事なロケーション。客観ショットと主観ショットの錯綜、ラスト2ショットの時制を越えたつなぎ、トラックから顔を出す役者の動きとそのショット内でのタイミング、長く会わなかった父の不在、そして、父が経営する店で、父の愛人であろう女が登場する、その長い長い間。 つまり、過剰なる「演出」。 例えばカサベテスならば構図などどうでもよい、映画的な演出などどうでもいい、と言い放つだろう。最も大切なのはシーンシーンで醸し出される人間の感情なのだ、物語などは後からやってくるのだ、と。 ところが、である。この30そこそこの映画監督は、そんな映画史など知ったことじゃないようだ。 主人公の別れた彼女が踊るシーン、フラメンコ、従兄が差し出す金、主題をシンボライズする楽曲、街を遠ざかるカメラ。それらのあからさまな抒情を映画に導入するためには、余程の覚悟と勇気、そして才能が必要とされるはず。 しかしジャ・ジャンクーはカサベテスやホウ・シャオ・シェンが無効にしたはずの「演出」を楽天的なまでに信じている。それがいいことなのかどうなのか私にはよくわからない。ただ、映画の力への確信が「プラットホーム」をかくも感動的に、完璧な作品としていることだけは確かだと思う。 涙果てるまで泣いた。20世紀の追尾を飾る傑作。 10点(2004-01-17 11:56:20)(良:1票) |
6. フェーム
23年前、高校生だったときに観て、いやぁ、感動した。その後、映画サークルだのなんだので小難しい映画の洗礼を受け、実はこの映画のことを馬鹿にしてました。すまなんだーっ。この前、DVDで観たら、泣きに泣けた。途中から長回しが多くなって結構タルくなるなぁー、ってのも高校生の時に観たのと同じ感想でしたが。それでも、クライマックスの大合唱には泣けるよなぁ。ロケット・ロマノ先生が出てるってのもポイント高し。自分と先生とが経てきた歳月を、つい重ねあわせて観ちゃうんだね。私、禿げてるってわけじゃないんだけど。 8点(2003-12-09 19:01:47) |
7. フレンチ・カンカン
「感情移入できない」とか「主人公の性格が嫌」といった映画批評でよくみられる言葉は、ルノワールの前で全く無効となる。「人にはそれぞれ言い分がある」のだし、そもそも映画って万人が愛する人物像を描かなければならないの?この映画のジャン・ギャバンも相当嫌な奴だ。アルヌールはただの浮気者だし、その恋人も女々しい嫌な野郎だ。ところが、それがぜ~んぶチャラになる素晴らしさ。このカンカンを前にしたら、あなた、もう何の言葉も浮かびません。途中、一度曲が途切れ、アルヌールがポーズを決めた時、「え、もう終わるの?」のため息が観客から一斉にこぼれる。再び音楽が始まると、ほっとした空気が流れる、「ああ、まだ見れるんだ」。そして再び、観客の予想を遙かに超えた踊りが繰り広げられる。もっともっともっとこの踊りを観ていたい。できることなら一生見続けていたい、と思う。しかしエンドマークはやってくる。映画と自分との間に広がる果てしない距離を思い、絶望的になるのはその時だ。 10点(2003-12-08 00:50:51)(良:1票) |
8. 復活
テレビドラマのようなピカピカテカテカの照明と官僚的な演出。アフレコ台詞が、テレビドラマ感をさらに助長する。あのタヴィアーニ兄弟はどこへ行ってしまったの?ただし、タヴィアーニ兄弟作品だと思わずに見れば、お話は過不足なく面白いし、スケールも大きく、3時間はまぁまぁ退屈はしません。途中、休息の字幕が入るのだが、日本では休息時間をとってくれないのが不可解。 1点(2003-12-07 20:48:10) |