2. 火垂るの墓(1988)
《ネタバレ》 空襲警報が鳴り、遠方よりB29の羽音が迫り、空から焼夷弾の雨が降る。 一面は焼け野原になり、黒焦げた死体の山を縫って、兄妹は歩く。 幼い頃に父から聞かされた戦時中の光景がそのままアニメになっていました。 この映画を初めて観た当時の私は近代史についての知識や自論など持ち合わせておらず、かなーりピュアな心構えで視聴したと思います。確かにこの映画に描かれている兄妹の人生は悲惨なものだと思います。しかし私はまるきり泣けませんでした。何故みなが大泣きしているのかわからず、「大人になれば分かるのかな」と、これまで感想を保留にしてきました。 今に至り再び視聴し、私が泣けなかった理由がはっきりと説明できるようになったので、ここに感想を書くことが出来ます。主人公の清太には、西ノ宮の叔母さんに媚を売るくらいの賢さが必要だったんだと思います、妹を守るために。だって居候の身ですから、何か手伝えることがないか、自分から進んで申し出るくらいの気持ちがあって当然だったんじゃないでしょうか。他に頼れる人がいないのだから、私だったらなるべく叔母さんに迷惑かけないように神経を使うと思うが、しかし清太は叔母さんに反発するばかりで、感謝の気持ちが一切見られない。小言にうんざりして叔母さんの家を飛び出し食料が底を尽き、「叔母さんに謝って家に置いてもらいなさい」という農家の叔父さんの助言にも耳を貸さず、結果的に妹を死なせることになった。清太のくだらないプライドがせつこを殺したとしか言い様がない。この物語がもし「妹のために自分を犠牲にして生き抜く兄の話」だったら、私は感動して涙したことだろう。しかしそれでは戦争の悲惨さをアピールできないので、この物語は妹も兄も死ぬシナリオになっているのだ。この物語がノンフィクションなのだとしたら(野坂氏(清太)が実際は死んでいないのだから、ノンフィクションではないだろうけど)、妹が死んだのは野坂氏自身の責任であり、彼がその罪の呵責に苛まれていることは想像に難しくない。 そしてその責任を戦争に転嫁したとしても、彼を責める気にはなれないな、とも思う。 [DVD(吹替)] 6点(2005-05-14 00:50:11) |