1. 炎の人ゴッホ
《ネタバレ》 長かった。しかも前半ではゴッホの絵はほとんど出てきません。オランダで炭鉱労働者に同情して説教師の傍ら彼らの生活を描くことから画家として出発したゴッホは一説によると売春で自分と子供との生計を立てていたという貧しいシングルマザーに振られ、ものの本によるとイギリスでも誰かに振られ、他人に対する共感性多過だと返って女性には振られやすいのかもしれませんが、彼自身それほど頼り甲斐のある男だったかというとそんなことはなかったわけで、どうせ一夫一婦の誓いを立てて身を捧げるなら、例えば画家に転身する前のポール・ゴーギャンのような稼ぐ男の方が絶対にいいです。そして弟テオの誘いで流れ流れてフランスのパリから南仏のアルル、パリ郊外のサンレミとゴッホの長い長い忍耐の旅が続くのですがこの旅に付き合って退屈させられないのはゴッホと同じくらい共感性の高い人だけかもしれず、そういう人ならこの作品に10点満点をつけるかもしれませんが、わたしは残念ながらそうではないのでこの点数です。アルルでの開放感とゴーギャンとの共同生活と苦い喧嘩別れを起点としてゴッホ特有の数々の名作が生まれるわけですが、ここに至るまでに本作品の鑑賞者が強いられる忍耐はゴッホ自身の忍耐とは比べものにならないはずなので我慢して鑑賞しましょう。絵画に生命力を爆発させたゴッホの生涯を演じたカーク・ダグラスには「迫真の名演技」を超えるものがあります。なぜならゴッホ自身が自殺を遂げてその肉体が滅びた後もゴッホが描いた数々の絵画はこの世に残り、それらに感動を覚える俳優ならゴッホの精神の軌跡を言動で表現することは絵画を見ることと同等なのです。 [DVD(字幕)] 8点(2020-06-01 02:32:11) |
2. ボルチモアの光<TVM>
男性である主人公は作中でも「女みたい」と言われるような名前をしていますが、奴隷に甘んじても誇りを失わなかった家庭に生まれ、アフリカ由来の名前をつけられたようです。映画の中身ですが、キング牧師のように「私には夢がある!」と絶叫するわけでもなくバスの中で頑として白人に席を譲らずに公民権運動の旗印を掲げた話でもなく(どちらもアメリカの1960年代)、それよりもずっと昔の話でありながら主人公が黒人であるという事実もさらりと描かれ、医学根性ものとでも呼びたくなるような主人公の努力も誇張されず、先天性心臓疾患の子供たちとその親たちの望みも努力の動機の一要素以上でも以下でもなく、白人医師と黒人助手の間の友情も相手の将来を思いやる親切心からというよりは自分の助手として存分に使いたいという利己心の両方の所産として現実的に描かれています。これだけ多くの要素が一作の中に詰め込まれているわけで英語のタイトルをつけた人はさぞかし考えあぐねただろうと思いますが、”Something the Lord Made”は正に「事実は小説より奇なり」ではなく「事実は小説より感動的なり」というところです。黒人に生まれたことを負い目とは感じず、医学校にいけなかった運命を悲憤慷慨もせず、敷かれた線路の上を歩まず、ただまっすぐに病気治療に向けて努力するゲリラ戦で栄光をつかむ主人公の生き方からは学ぶところが多いです。主人公の器用さが外科医としての道を歩むきっかけになったのは事実でしょうが、外科手術という人体にとっての極限状態の下でショック死させないためには執刀医には生理学の広範な知識が必要とされ、戦時下で怪我によるショック死を回避する研究が急務だったせいでブラロック医師が主人公に動物実験をさせた(採用の翌日だったそうです)理由であり、後に執刀医であり医学教育者となった主人公もブラロックと同程度の生理学の知識があったに違いないことをつけ加えておきます。 [DVD(字幕)] 8点(2012-05-08 12:47:46) |
3. 僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ
何これ?戦争ギャクの連続?ではなくて実話なんだそうです。宗教かぶれの少年が「天にましますわれ等が父よ、われ等にキャンディーを与えたまえ。」と言っても何も起きないのに社会主義かぶれの女性が「偉大なるスターリンよ、われ等にキャンディーを与えたまえ。」と言ったら本当にキャンディーが天井から降ってきたり(もちろん陳腐なやらせです)、ついでに塵芥も降ってきて「ドイツが攻めてきた!」ということになったり、非戦闘員や牛や馬を戦闘機が攻撃したり・・・。それから例の割礼・・・これはイスラム教徒とユダヤ人の男児が結婚後の奥さんの健康のために生まれた直後に受けることが慣例になっていて医学的根拠もちゃんとあるのですが・・・割礼がこれほど赤裸々といおうか下世話に描かれているのも初めて見ました。「はい、ズボンとパンツを下ろして・・・。」なんていうことを人を人とも思わないナチスドイツの軍人は被占領国の男性に対して平気で言うのですね。戦争中の日本軍人は韓国人や中国人に(当たり前だけど)こんなひどいこと命令してはいないでしょう。果ては、ユダヤの血を引いているという説もあるヒトラーが主人公の夢の中でスボンははいているものの、急所を手で覆ったぶざまな恰好で登場したりして・・・。元来、戦争というものは悲惨なだけではなく下世話でもあるようです。戦争のひとコマひとコマは涙なしには語れない悲劇でも全体を眺めた時は「何の利益があってこんなドンパチやって、ぶっ壊したりぶっ殺したりしてるの?」という疑問しか出てこない、戦争それ自体がすでに一大ナンセンスで、この作品はまさにその一大ナンセンスのネガ・フィルムみたいな作品です。コメディー、ミュージカル、アニメ、純娯楽作品に私がつけることにしている最高点で、チャップリンの「独裁者」につけたのと同じ8点を献上。作品全体は全然下世話ではなくリアルすぎるといった感じで、主人公の男の子が本当に魅力的なのでそれだけでも一見の価値はあります。 [DVD(字幕)] 8点(2007-06-24 00:03:24) |
4. ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習
下ネタ多すぎ。よくここまでやったとただただ感心するのみ。「長い映画人生で一番面白くない映画。っていうか、映画っていいたくない作品。超激しょぼ映画でも、ある意味貴重 」につける点数を献上。本当にこういうのって貴重です。 [映画館(字幕)] 0点(2007-06-07 10:36:56) |
5. 火垂るの墓(1988)
「戦争は悲惨だ。だからいけない。」というのは「人の頭をピストルでぶち抜くと死ぬからよくない。」というのと同じくらい単純な道徳的判断で、大人だったらわざわざ映画や小説などで説明してもらわなくてもわかっていることのはず・・・そういう意味で、私は大人なのでこの作品を見てどうこういうことはありませんでした。この作品を小中学生に見せることの是非を問われれば、困ってしまいますが、答えは「ノー」です。清太と節子の二人は海水浴やら蛍狩りやらやってから死んだので空襲で一発で死ぬよりも少しましだった・・・というのがこの作品の本質です。こうやって死ぬのも焼夷弾で焼け死ぬのも原爆で死ぬのも五十歩百歩です。もっと気になるのは、清太が皇国の勝利を信じていたことで、そういう意味で清太も悲惨な戦争の片棒を担いでいるわけです。もっとも十四歳では戦争をまともに批判することは無理ですが・・・。第二次世界大戦での敗戦から六十年間、日本では「戦争は悲惨だからいけない。」式の短絡的平和主義しかなかったようで、これから先、このままでいいのかと思います。平和主義は短絡的でもないよりはましですが、戦争を起こすのは短絡思考の人間と相場が決まっているのです。余談になりますが、私が所有している某社発行百冊の小説を収録したCD-ROMに本作品の原作と井伏鱒二の「黒い雨」が戦争の悲惨さを描いた(短絡的)反戦小説として入っています。でも、それよりも吉村昭の「戦艦武蔵」が政府や軍の責任者の常識が軍拡競争で麻痺していく過程をリアルに描いて、よほど反戦の役に立つ小説です。「戦艦武蔵」のように船が主人公では映画化は無理ですが、人を主人公にして戦争をもっと深く解析した小説が映画化されるべきです。もっともそういう作品をアニメにするのは多分無理でしょう。もう一つ余談・・・単純な反戦映画の傑作はやはり「西部戦線異常なし」だと思います。 4点(2004-08-14 10:20:22)(笑:1票) (良:3票) |