1. マイ・シネマトグラファー
《ネタバレ》 ハスケル・ウェクスラーという人を全く知らなくても、撮影監督という職業に興味がなくても、親子の物語、ウェクスラー家の歴史として充分楽しめる内容。 私だって全然知らなかったけれども、ハスケルって80過ぎても坊ちゃん気質なヒト…というふうに思った。富裕層の出身ということは、おぎゃあと生まれてから軍隊に入るまで、身の回りのことは全部メイドがしてくれたということです。後片付けや掃除というものは、「他人のやる仕事」と無意識に思っている。 そして恐ろしいことにそういう感覚は、軍隊を経験しても、消えないみたい。 監督とモメては撮影を降板し、そのたびに他人に後始末をやらせるわけですね(息子のお守りまでコンラッド・ホールにさせている)。これが「坊ちゃん気質」でなければなんでしょう。 ジェーン・フォンダの言う「下降欲」に駆られて反戦デモに行ったりベトナムで撮影したりするのも「坊ちゃん気質」としか言えないものです。 さて、顔だけ見れば母親そっくりで、ハスケルに似ているところが全くない次男のマークですが、40も半ばにならないと「ふんぎり」がつかなかったというのもちょっとだらしないよね。もしかすると、母親がボケたことが、こういうドキュメンタリーを可能にしたのかもしれない。 そんなに父親が嫌いなら、別の職業を選べばいいものを、ちゃっかり七光りを利用しながら同じ道を進んでいるところも、こすからい感じは否めない。 赤緑色盲なのに撮影業を50年もしていたという驚愕の事実を公表したことも、「復讐」の一部だと私は思う。赤緑色盲はXに乗って劣性遺伝するから、ハスケルの母が保因者で、ハスケルの母の兄弟に赤緑色盲がいた可能性が高い。また、長男とマークには問題はないが、異母姉は保因者なので、その息子は二分の一の確率で赤緑色盲になり、娘は同じ確率で保因者になる。…こんな一族にとって機密事項になりうる秘密を、バラしちゃったんだもの。 なにより、ハリウッド殿堂入りの際の記録フィルムに写っていた母マリアンの「不幸な顔」がすべてであって、あの顔以上に一家の歴史を雄弁に語るものはない。このドキュメンタリーによって怨念は全く解消されていないと、確信させられる作品である。 [地上波(字幕)] 8点(2010-09-19 18:33:29) |
2. マーゴット・ウェディング
《ネタバレ》 ふむ、あえて作品中で触れられていないが重要なことがありますね。 これを抜きにしては評価しようがないというほど大事なことですけど、これって、金持ちの娘の話ですよね。 …マーゴとポーリンって、親が金持ちなんですよね。お嬢さんなんです。巧妙に隠していますけど。 それなもんで、この作品には人生に不可欠な「生活の心配」というものが、決定的に欠けているのです。カネの心配、住居の心配、親の医療費の心配。何もないです。 ポーリンは、稼ぎのない男と結婚を決め、将来の計画もないのに妊娠しますけど生活費はどっから出ているのか。…親が生前贈与でまとまったカネをくれているとしか思えません。なおかつ、「実家」をポンと娘にくれてやる。つまり自分達の住居はちゃんと別に確保しているということです。 マーゴは、離婚だ離婚だと騒いでいますが、真っ先に出てくるはずの「カネ」の心配は全くしていない。自分が作家で稼いでいるということもあるでしょうが、基本的に生活費の心配とは無縁。自分の不倫で逆に慰謝料をとられても不思議じゃないのに、カネの心配ゼロ。 私に言わせればこれって「生活費の心配のない金持ちの娘たちが暇つぶしでトラブってみる」というふうに見えます。 大部分の人間は「生活費の心配」だけでほとんど人生が終わっているのです。 余暇「スコーレ」がなければ文化は生まれない、確かにそのとおり。でも、この姉妹たちのように「生活の心配がないから他の事で悩んでみる」というのは、とても共感なんてできませんよ。それも大した問題じゃなくて「わざわざクスリ漬けになってみる」とか「自分から不倫して離婚を要求する」とか「避妊しないで婚前セックスして妊娠してみる」とか「わざわざダメ男と結婚してみる」とかなんですからさ。…違いすぎます、一般ピープルと。 息子のクロードが良かったです。ダメ母にしては素直に育った良い子ですね。 ベッキーのレイプ事件の話で大笑いするところを見せて「本当は合意だったんだな」と想像させるとか、便器の中の「何か」をチラッと見せて避妊具を想像させるとか、よくわからないチマチマとしたワザはありましたが、ほとんど効果はありませんね。なんの効果だかわかりませんが。 「退廃」を見せたいならこんなチャチなものではないし、「人生の悩み」として見て欲しいなら生活の心配がないことを「隠して」いるのはヘンなことなのだ。 [地上波(字幕)] 6点(2010-06-28 21:11:06) |
3. マルタのやさしい刺繍
《ネタバレ》 私は「カレンダーガール」とかこの手の話は好きなんですが、どうもこの作品には素直に喜べないものがある。 マルタという女性のキャラクターは、強くて気品があって、いいと思う。 どうにも理解に苦しむのはフリッツとヴァルターという暴君な男性2名。 とくにフリッツなんか、あまりにも「悪者」にしすぎじゃないでしょうか。これでは、子供向け童話に出てくる悪者そのまんまじゃないですか。 でも見ているのはアダルトなんです。バカにしているのか? 実際の人間は「いいもん」と「わるもん」に分けられるほど単純じゃない。アダルトのみなさんはそのことを知っています。そしてこのお話だったら、「わるもん」を出してくるのはおかしいと思うのだ。 フリッツの人間らしさを「わるもん」としてではなく描写した部分がちょっとでもあったでしょうか?ヴァルターは最後の最後でそれを与えられていますが、フリッツには最後までありません。 さらに、店を破壊して「器物損壊罪」という警察沙汰になる危険をおかしてまで、他人のフリッツがマルタを攻撃するほどの理由が、それも説得力のある理由が、どこにあるでしょうか。 「良俗に反する」という理由だけで、そんなに他人のすることを邪魔するヒマと体力があるでしょうか。 そのへんがこの作品を飲み込めない、なにか「異常さ」を感じてしまう原因です。 全体を流れるテーマとして、「男性は女性が居ないと生きられず、夫でも息子でも何かと女性の足を引っ張るが、女性は男性を排除するのではなく折り合って共存していく。」ということが感じられます。 マルタたちのグループは、どんなにひどいことをされても「男性排除」は考えていないのです。しょせん女性は男性が好きなんですから、そんな非現実的なことはできないししないのです。 そういう意味でとても大人です。でも、男性たちの「異常さ」を感じてしまうのも事実。もっと、大人の童話風にトゲを抜いて作ってくれてもよかったのにね。80歳を超えていれば、それでもアリだと思うし。 [地上波(字幕)] 5点(2010-06-28 18:44:27)(良:3票) |
4. マイ・プライベート・アイダホ
《ネタバレ》 ネタ元などの前知識はゼロのうえフェニックスの演技を初めて見ました。 うまい、というより全然芝居をしているように見えないですね。このテンションで何カットもテイクさせられても平気なんだろうか。 フェニックスが芝居していたとしたら大したものです。そして、いくら美形とはいえ何に出てても「セリフ言ってます」的なキアヌ(もうこれはしょうがないんだよな)とぶつけたことが…「?」となる。 どこまでも自然なリバー・フェニックスに対し、どこまでも大根なキアヌ。ん~この配役は~どうなの~。 この監督ってさ、薄幸の美少年に異様なほど関心があるわけでしょう。グッドウィルハンティングのときも「ヤバいなあ」と思いましたけど、要するに悲惨な育ち方をした美少年に大人の男が手を差し延べるというパターンにしつこく捕らわれているわけで、自分を差し延べる側に模しているのですね。 まあヘンタイなんでしょう。この作品では、ウド・キアの車のパーツセールスマンが己の分身というところで、それをとても露悪的に描いていますね。「グッドウィル」のカウンセラーのリッパさとはエライ違いです。 全体的には、ほかのレビュワーさんもおっしゃっているように冗長に感じられるシーンがあまりにも多すぎて、かなりツラいです。ドラマを排してリアリティに行きたかったということでしょうが成功しているとはいえません。 サントはナチュラルと冗長を間違えていたように思われてなりません。 内容はですね、「アメリカには〝女〟が存在しない」という強烈なメッセージを感じます。 まわりになんとなく女がいても、それはマイクやスコットにとっては全く「女」を意味していなかったのです。唯一意味のあるセリフをいうアメリカの女は枯れ木状態のバーさんだけです。 そして、二人とも「母」とか「妻」とか「恋人」とか「姉妹」とかいう意味のある女性体験を欠いていまして、それすなわち「アメリカには〝女〟が存在しない」をあらわすのです。 だから「スコットはヨーロッパで初めて会った女と恋に落ちた」になるので、それイコール「初めて女性というものに出会った」であって、彼らにとってやっぱり「アメリカに女はいない」なのです。特殊な建国の成り立ちによって形成されたアメリカ人男性の女性嫌悪が強く感じられる一作です。可愛さ余って憎さ百倍的な方向の怨嗟です。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2009-10-02 14:39:20) |
5. マーサの幸せレシピ
《ネタバレ》 他人に料理を食わせるけれど自分は食べているところを見られたくない、というのは、「食わせる方」が「食わせられる方」より〝優位〟だと感じているからですね。「食べる」という行為を「弱味を見せる」「無防備になる」というふうに考えているのです。 確かにそれはそうかもしれず、太古の昔は「食っている間に油断して食われる」という事情があったでしょうから、「食う」イコール「油断」という本能的な危機感は誰にもあるのかもしれません。 そしてマーサは、他人に食わせている時に自分の優位性を感じてほっとするので料理人になったのかもしれませんし、そうならば彼女は危機感の強すぎる人なのです。 なんかそんなことを考えてしまいましたがそんなにはずれていないでしょう。 強情な姪っ子(私にも1人います)とのぶつかりあいはシビアでしたが、もうひとつ突っ込みが浅くて残念なのは職場における女性リーダーの難しさ、職業的なプロ意識がほとんど描けていなかったことかなあ。 あーゆー状態の女性が職場を率いていくのは到底ムリですし、職業人としてのマーサを未熟に描きすぎている。 ラストがあまりにもハッピーすぎて安易です。しょせん作り物だからそれでいいのだとがっかりさせないでほしかった。人生はそんなに全部うまくはいかない。働く女性の物語だからリアリティを大事にしてほしいですね。電話とビデオでしか出演できなかったお姉さんの扱いひどいかも。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2009-03-07 19:10:44) |
6. マイ・ブルーベリー・ナイツ
《ネタバレ》 映像はいつものように幻想的で美麗である。青の使い方などうっとりするほどだ。 が、私に言わせれば「その程度のことでは心に響かないよ」な映画だったので、何がその程度かというと。 かいつまんでいえば「とびきりの美人ではないが普通程度の容貌で恋の勝者になれなかった女」が「疲れてはいるがとびきりの美男」をゲットする話ではないですか。 ノラ・ジョーンズは確かにナタリー・ポートマンと並ぶとイモくさいし美人ではない。が、ブスなわけでもなく年増というわけでもない。役柄的には「口下手なせいで手が出てしまう」タイプの女なのだ。 「どこがダメなわけでもないがなぜか注文が入らない」ブルーベリーパイのような女、ということで一応はいいのだがお相手のジュード・ローはそうではない。というかなぜここにジュード・ローを持ってくるのだ。 特別な欠点もないのに恋の勝者になれなかっただけでアメリカ全土を300日も放浪してしまうエリザベス。それは、カフェの店主とどうにかなってもいいかどうか迷う気持ちがあるからでなくてはおかしい。ジュード・ローならなぜ迷う必要がある。もしもどうしてもそうしたいならば、彼女が帰ってくる先は50とか60過ぎの初老の男、とか障害者、とかどうみてもブオトコ、でなければ年上のレズビアン、などでなくてはならない。そうきたら私とてウルッとするのにやぶさかでない。 ジュードレベルの男であるならば、殺人歴があるとか痴呆症の母親とセットでなければ。 つまり「この程度」のカップルで心を揺り動かされるほどの気持ちになるのはムリ。…だってあまりにもフツーじゃないですか。 美麗な映像は心を動かされるシチュエーションがあってこそ、生きるのだなあ、などとしみじみ思う。まさかそんなことを思わせるために作ったわけではなかろうて。 [DVD(字幕)] 4点(2008-12-18 16:30:46)(笑:1票) (良:1票) |
7. 間宮兄弟
《ネタバレ》 原作を読んでいないで言うのもなんだが、江國は恋愛至上主義を否定する小説を何本も書いているから(と勝手に思っている)、「間宮」を見た感じでは同じ路線でいいのだと思う。 たぶん江國の目的というか目標は、日本全土に巣くった「恋愛至上主義」の希釈(撲滅でなく)なんだと思う。で、「女無しでも幸福に暮らしていける兄弟」を主役に据えるというのは、江國的にはかなり「本丸に近づいた」ということだろう。本音を出してきたと思う。 が、小説の原作者が女で、映画の作り手は完全に男だった、というところから、やっぱりミスリードが避けられなかった。映画を原作とは別物と考えてもいいのだが、江國の狙いと全然違うところに着地してしまったあたりは個人的にはトホホである。やはり女性監督(ゆれるの西川監督とか)に撮ってもらいたかった。 江國は「恋愛」の存在そのものは否定していないのだと思う。それは「ある」。けれど、今は「そればっかり」ある。人生の他の様々な要素の中で、それが重要視されすぎる。「濃すぎる」から希釈しようよ、というのが江國のねらいなのだと思う。「人生のベストパートナーとは、一対の男女であるとは限らない」ではないか? でもやっぱり映画では、「女にもてなくたって、楽しく前向きに生きようよ」というわかりやすーい大団円を迎えてしまった。そうではないのだ。それではセカンドベストというに過ぎない。 そこらへんが男性の作り手の限界なのか、作り手の感性の問題なのか、監督と視聴者の世代間ギャップなのか。 佐々木のクサみに対して素人の塚地を当てて中和したあたりはさすが老練な監督といえるが、それならなぜもともとクサい佐々木でなければならなかったのか?という疑問は残る。 セリフを言うのがせいいっぱいの塚地は全面的に監督の演出通りに一挙一動しているが、結果的に「自然に見えて」正解だった。おそらく塚地の世話にかまけて佐々木を放っておいたために、クサみを消すのに腐心した佐々木の演技は終始中途半端。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2008-06-27 14:17:53) |
8. マイ・ハート、マイ・ラブ(1999)
《ネタバレ》 群像劇もやたらと乱発されるようになって、その質が問われる時期になってきたと思う。 群像劇といえばヒューマンドラマ。ヒューマンドラマといえば「心温まる」が枕詞。 しかし、「心温まれば」それでいいのかというと、やはり群像劇にもピンキリある。作り手の方々は、心温まって適当にお茶をにごして終われば合格点とは思わないでいただきたいものだ。 さてキャストだけを見れば超豪華版の本作はいかがなものかというと、「不発」とか「良すぎる素材を使って適当に調理」とかいう言葉がぴったりくると私は思う。 ジーナ・ローランズとOO7の夫婦ゲンカが見られるのはなかなか嬉しいものだし、全然似ていない3人の有名女優が姉妹という強引さも悪くはない。 大型犬を飼うのが家風だとか、「おこりんぼさん」という共通の口癖だとか、3人が姉妹だということをなんとなくわからせるあたりも、洒落た演出といえなくもない。 3人と007夫婦が親子なのかなあというあたりも、なんとなくわかってきて、ラストで全員集合させて終わりというのもありがちだ。父親の葬式でなかっただけマシというところ。 そう、これといって目新しいものが見つからない映画なのだなあ。 3人の中では、スカリー捜査官の無理が目立ったと思う。ジリアン・アンダーソン本人は、明るくサバサバした性格だそうだから、あのような役は想像を超えていただろうに。モルダー捜査官同様、何に出てもスカリーとモルダーでしかないのだから、もう映画で一発当てることなどあきらめたほうがいい。 それから、エイズについてイージーに扱いすぎていないか? 片や、末期で死んでいくゲイ青年、片や、感染者と知りながら愛が芽生えてハッピーにベッドインて、どうなのか。その感染者くんも、死期のせまった感染者の彼女からエイズを貰いたくてわざわざ貰ったと。それってどうなのよ。 ジョジョは、この先彼氏の発病の兆候にびくびくしながら暮らすわけですね。それと自分への感染の危険に細心の注意を払いながら。 それって、「愛してるから」ですべて片付く問題なのか? …やっぱりエイズについてはイージーに扱ってはならないと私は思う。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2008-06-08 19:43:24) |
9. 真夜中の弥次さん喜多さん
《ネタバレ》 でいでいでいでいっ。サンデーマンデーてやんでい。 面白いっ。 クドカンという人は外見が果てしなくショボイのであるが、やはり才能ある人の例に漏れず、己の見た目などに構わず余分なエネルギーを全部クリエイトに回しているタイプだったのだなあ、と再認識。 原作のマンガについては未読だが、傑作であるとの批評は目にしていた。 しかし、クドカンが脚本のみならずメガホンまで取らなければ、よくある陳腐な作品として忘れられていく凡作になったであろうまちがいなく。そのくらい、「俗」に流れずにシュールに笑わすのは難しいと思う。 長瀬については1%も期待していなかった私だが、冒頭から「てやんでい」の切れの良さに感心しきりとなる。おお、長瀬、悪くないかもよ。長瀬にこんなに突っ込みの素質があったとは意外だ。地蔵突っ込み、コダマ突っ込みなど、いずれも悪くない。 そして、なんと「明治天皇(ラストサムライ)」から「ホモで薬中の金髪」へと大変身を遂げた七之助。すでにその役柄の落差だけでいかにもシュール。 ジャニーズと歌舞伎がホモの恋人どうしで絡み合っているという、有り得ないシュールな光景はこの映画ならではなり。ヘタウマの絵や「おまえ」「おいら」「ゆかた」などの殴り書きもばっちり合っている。 私は、日本人はブラックな笑いを作るのが下手だと思っているけれど、クドカンについては全くそんなことはない。クドカンはすごい。これを見た松本仁志は嫉妬にかられて初メガホンを取ったのではないかと私は思う。まちがいなく松本のライバルは北野武ではなくてクドカンである。 「何がリアルか」「リアルには自分の思い込みが入っているのではないか」「思い込んだらそれは現実か」という深遠なテーマに沿って、次から次へと有名人が登場しては笑わす。これはこたえられない面白さだ。ぜひともクドカンのすごさを堪能してほしい。 ひとつ残念なのは、これだけ有名人を出しているのだから、バーテンはぜひともクドカンとも親交のある及川光博にしてほしかったところ。こういうチョイ役よくやってるのになあ。忙しかったのかなあ。 とにかく面白いです。イケてます。イチオシのギャグはナカムラ父の「夜でもアーサー」。 [CS・衛星(邦画)] 10点(2007-12-24 15:51:16)(良:2票) |
10. マンハッタン
《ネタバレ》 残念ながら、衛星で受信したソレは、デジタルリマスターでもなんでもなく、めっちゃ汚い映像だったのだった。もしかして単なる劣化したビデオ録画をそのまま流したのではとまで疑わせる。 だから、絶賛される白黒映像美だったのかどうかが全然わからなかった。 それで、ストーリーの流れだけを一所懸命追うしかなかった。 「セレブリティ」の時はそんなに気にならなかった白黒映像が、妙にカンに障った。 なぜなら、私はNYという街の美化された姿について、「ユーガットメール」で散々刷り込まれていたもので。 エピソードの中で印象に残ったのはメリル・ストリープの冷たい前妻ぶりかなあ。〝メリル・ストリープなのに〟妙にセクシーだ。 私も、永遠さんの言われるように、「マンハッタン」でのウッディ・アレンはファニーじゃないと思う。マンハッタンのアイザックをペットにして飼う気にはなれない。よって、マンハッタンは何度も見たい映画ではない。 それにしてもダイアン・キートンは不思議な女優さんだ。彼女が出てくると、俄然画面に見入ってしまう。映画の面白さが違ってくる。吸引力がありすぎる。 字幕についてはやはり不満が残る。誰の訳だったかなあ。また例の人だったかな。 「アイムナッタセイント」を、「俺も男だから」って、そこまで訳すかなあ。この調子では、他の部分も意訳しまくりだったと思われる。 ひとつ気付いたこと。アイザックの新しい部屋はトラブルだらけで、神経質な彼はグズりまくり。 トレイシーは茶色い水にも騒音にもあまり動じず、グズるアイザックを受け流す。 反対に、メアリーは、部屋に入った途端「音がうるさい」「水が茶色くておかしい」など、即座に反応する。…二人は同じタイプ。 が、アイザックがラストで真実の愛(と思い込んでいるもの)に気付くのは、トレイシー。 カップルは、性格が反対のほうがいいみたいですね。アレンもそう思っているらしい。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2007-09-16 13:39:42) |
11. マッチポイント
《ネタバレ》 この作品を見ると、西洋人にとって非常に重要な事柄が意図的に省かれている(描かれていない)ことに気づく。 舞台はイギリスであり、ヒューイット一家はプロテスタントのはずで、クリスはアイルランド人だからカトリックに違いない。なのに、2回の結婚式以外に、宗教に関する事柄が一切出てこない。その結婚式ですら、神の前で誓いのセリフを言う場面すらカットされている。これはおかしい。きっと、もののわかる西洋人がこの映画を見れば、たちどころに理解できるようになっているに違いない。 で、これは監督の意図を示しているのだ。それは、冒頭でクリスがドストエフスキーを読む場面をわざとらしく映すことでも明らかだ。 クリスは「すべては運である」という世界観を持っていて、それはテニスプロとして多くの試合を経験した結果であった。「いつも固い試合を心がけていた自分が、大成できなかったのは運のせい」そして、「運」に左右される人生に嫌気がさして、ツアープロをやめてコーチになった。 で、「運」であるが、井沢元彦が言うには、偶然の幸運に対して「これはきっと死んだお父さん(とか先祖とか)のおかげ」と思うのは「アニミズム」で、「オレってものすげーツイてる!きっとそういう時期なんだ。」とか思うのは「マナイズム」なのだそうだ。 クリスは、当然後者である。そして、前述のように「神様はいない」と知っている(つもり)。 すると、悪事を働いたとて、いつもどこかであなたを見張っている神様は存在せず、地獄に落ちることもなく、仏教でもないから「因果応報」で凶事が降りかかってくることもない。 いかに追いつめられたとて、クリスが愛人殺しをするには、こうした背景が必要だった。(これがなければただの火曜サスペンスになってしまう。) …が、クリスは試したところもあると思う。「神様の力が働いて、自分の悪事がバレるかどうか」「やっぱり神様がいて、死んだら地獄に行くのかどうか」「神様が自分を懲らしめるために、罰を与えるのではないか」もともとカトリックで育った彼なら、そう思うのが当然である。 しかしこの映画では、そのどれも起こらず、不安気なクリスのアップで終わる。 「果たして、神様はいるのか?」「本当に人生は運だけで回るのか?」そう問いかけたまま意味深に終わるのである。これはウッディ版「神様のいない(?)世界の危険な情事」、前作よりはパンチは効いていた。 [DVD(字幕)] 7点(2007-04-29 00:32:16)(良:3票) |
12. 迷い婚 -全ての迷える女性たちへ-
《ネタバレ》 前作で「どうなっちゃったの」と心配していたロブ・ライナーだったが、なんのなんの、今回はいつもの得意技でしっかり楽しませてくれました。 なんという豪華キャスト。シャーリー・マクレーンにキャシー・ベイツにケビン・コスナー、最近売れ出した彼氏型俳優のマーク・ラファロに、ブラピに捨てられたジェニファー・アニストンだ。さすがのキャスティングに手抜かりはなし。 マーク・ラファロは実に彼氏俳優である。彼氏型俳優とは何かというと、「自分が世界の中心にいると思っていない」ヤツのことだ。または「自分ひとりで1時間半の映像がもたない」ともいう。たとえば自宅のデスクにサラの超アップ写真を臆面もなく飾って違和感がないところ。「俺って彼氏な男」マーク・ラファロ。 傷心のジェニファー・アニストン、うん、「フツー」だよね。もちろんセレブだから普通なわけはないのだが、画面上で「フツー」に映ってしまうところ、この人は、メグ・ライアンの継承者です。ブラピは「エロい女」の魅力に負けて乗り換えたわけだが、ジェニファーにはエロさは全くなく、ほどほどの知性と、ほどほどの美貌と、ほどほどのユーモアが感じられる。しかしまあ、アンジェリーナ・ジョリーと争っても、エロさでは勝ち目はないよなあ。ロブ・ライナーはすかさず、ブラピ似の男(ボーの息子)を登場させ、サラを口説かせるという場面まで用意していましたね。ははは。 この作品は「卒業」に対するロブ・ライナーの回答であるといえましょう。 「結婚とはなにか?」それはラスト近くになって、パパの口から語られる。 「結婚とはスリルと冒険ではなく、共に人生を築くこと。」実にあたりまえであるが。 ということでロブ・ライナーは「卒業」は「フィクション」であり「フィクション」でしかない、と断定するのです。「キャサリン・ロスは本当は婚約者と結婚したらしい」と。 もともと「情熱」なんてものを信用していない私には、深くうなずける話である。 パパ役の俳優さんに、アニストンと全く同じ瞳の色の俳優さんをもってくるあたり、感心しました。(編集かも?) ともあれ新メグ・ライアンの誕生、そしてロブ・ライナーの復活に拍手。 [DVD(字幕)] 8点(2006-10-21 13:53:29)(良:1票) |
13. マインドハンター
《ネタバレ》 4人目です。 えっあんた主役じゃなかったの、第2弾。(第1は「スケルトンマン」) しかしスレーターはなぜこんなチョイ役で出たのか?意外にスターとしてのクラスが低いのだろうか。 顔のパーツがそれぞれ小さめなうえに、中央に寄りぎみでインパクトが薄い顔だからでしょうか。そりゃあ、ジェイク・ギレンホールみたいな濃い顔と並んだりしたら負けるけどなあ。 私は最後まで当たりませんでした。あの車椅子のヤツが実はすたすた歩けるんじゃないか?とか思ったりしましたが。でもさ、あの防弾ベストのヤツが死んだ(ように見えた)とき、「血」が出てなかったか?なんかずるいぞ。 プロダクツがしょぼかったのが悲しいけれど、「レニ・ハーリンにしては悪くない」という程度の作品でした。 [DVD(字幕)] 7点(2006-10-14 14:24:05) |
14. マジェスティック(2001)
《ネタバレ》 これは「死ななかった」青年の話。死ななかった人は多くの死んだ人の無言の存在を知ってはじめて死んでないことの重要さに気付く。死んだ人は死んでいるので死んでからは何も言うことができない。何か言うことができるということの意味の大きさを描くためにこの長さがあったのですね。でもジム・キャリーはやっぱミスキャスト…。そこんとこの情感(死んだ人対生きてる自分の対比)がもひとつ私にはピンとこなかった。トム・ハンクスの若いときにやらせたかった。そしたら大泣き。 [DVD(字幕)] 6点(2006-09-12 22:18:43) |
15. まぼろし
《ネタバレ》 「5×2」に気をよくしてオゾンと仲直りしたので、ちょっと前の作品であるこれも見てみた。 そしたら「ランプリング・ワンマンショー」状態であった。ファンなら大満足であろう。 悪くはない。あえて最後まで謎が解かれないのもそれでよい。時系列も素直で見易いとはいえる。 しかし、しかーし、これを見て私はランプリングが好きでないどころか積極的に嫌いであることに気がついてしまったのだった。 お直しの入っていない中年白人女性の顔、これは笑顔じゃないと好感をもつのは難しい。ところがランプリングは正真正銘の「不機嫌顔」女優。笑っているほうが不自然なほどの女優さんだ。 なによりその口元が0点。オールタイム「への字」。そして下唇がほとんど無いほど薄いうえに、下顎が上顎より引っ込んでいるために、常に「唇をかんで」いるように見えてしまう。唇をかむというのは、何か不愉快なことを耐えている表情ですから、これを90分近くひたすら見続けるのはけっこう厳しい。見ているほうもいつしか「への字」状態に。 お話としては、もともと精神的に未熟で少女のようなマリーさんが、経済的にも精神的にも頼り切っていた夫の失踪でおかしくなっていくという話。いやほんとに、こんな妻がいたら、夫は大変だっただろう。マリーさんは、自分と夫のこと以外は、全く見えない考えない、子供みたいな人だから。いくら夫が失踪してショックだからといって、都合の悪いことは聞こえないふりをして話題を変える、すぐにバレるようなウソをつく、直視したくないことは先延ばしにする、やってることは子供と一緒。これはもともとがそういう人なんでしょう。当然姑には好かれるワケはない。夫が全面的にマリーさんを支えている体制なのだから、そりゃあ、うつ病になったって、こんな妻には言えないでしょう。こういう神経過敏な女性役にはランプリングはぴったりなんだけど。でも、やっぱり好きじゃない(この顔)。 あ、私の解釈はどう見ても水泳中に溺死、です。こんな頼りない奥さん置いて自殺できないでしょう。事実ってそんなもんだと思う。 [DVD(字幕)] 7点(2006-08-13 22:12:46) |
16. マルコヴィッチの穴
《ネタバレ》 それなりにおもしろかった。 乗り移られる人間(ホスト)を、穴を通してどうやって特定しているのか、そこんとこがイマイチわからない。なんで一人のホストにわざわざ大勢で乗り込んで人格統合するのかもわからない。あと、15分超えのテクはなんなのかもよくわからい。まあ不条理だから。それでもいいけど。後半マルコヴィッチがジョンキューザックの真似演技をしているところがウケた。 あと、そんなにまでして皆が乗り移りたいと思う対象が「俳優マルコヴィッチ」てところが、ジョークと思った。(腹たるんでるし) [DVD(字幕)] 7点(2006-03-12 15:35:07) |
17. マニトウ
《ネタバレ》 むかーしなぜだか原作本を読んでしまったことがある。そののち中古の汚いビデオを購入してしまったことがある。古いこの手の作品の中では、そう悪くない。出だしとか、ドキュメンタリー風なところとか、まず病院とか「エクソシスト」感あり。(レベルは全然違うが)もっともショッキングだったのは、X線の放射のせいで、奇形になってしまったところ!なんて悲しいのかしら。X線のせいでだよ。古代インディアンには全然カンケーないのに。反則だぞ。たのむからちゃんと五体満足に産んでやってくれ。(変??) [ビデオ(字幕)] 6点(2006-02-15 20:30:15) |
18. マルホランド・ドライブ
《ネタバレ》 しかしリンチてなんてけったいな髪型なんだろ。あの眉間のシワの深さは、「凝視の継続」を現していると思われる。一点をじーっと見ちゃう。じーっとじーっとディープに見ちゃう。それを一生続ける。疲れるだろうなあ。「ワイルド」以来縁を切っていたが、各方面の評判により、一応見てみました。「○○は○○を象徴している」てのはさあ、リンチ映画では私程度の者は感じられないわけよ。だってさあ。「○○は○○を象徴している」だらけにしたいなら、何でもありになってしまわないか。例えば「便座の降りている便器は幸せを象徴している」とかさあ。なので「ブルーボックスとブルーキーは死の象徴」だと言われても必然性を感じない。「なんで?」としか思わない。ダイアンがそんなにまでカミーラを愛するようになったことについても説得力を感じない。小道具も人物も駒としか思えない。「○○は本当は○○だったんだ」て、鑑賞中じゃなくて、後で分かったからとて何の意味があるのか?鑑賞中の数十分の中で観客を堪能させてこそ映画。説明しすぎはもちろん洗練度を欠くが、分からない奴がバカだという前提の作品や、解析サイトが必要な作品は私は認めない。(カルとかスイミングプールとかメメントとか)これで本当にリンチとは切れます。 《追記》DVDを返しに行ったら店員が「これ、おもしろかったでしょう」と力説。ブルータスお前もか。 [DVD(字幕)] 5点(2006-02-04 15:56:41)(笑:1票) |
19. マトリックス レボリューションズ
《ネタバレ》 1だけでいいと思ってる派ですが、なんかもう、キャリーアンモスが老けすぎて、無理感全開だといいたかった。映画の無い時は太ってて、マトリックスの時に激やせなんてするからそうなるんだよ。そんでキアヌとラブラブってビジュアル的に無理すぎる。 《追記》どうにも消化できないでいた2以降の難解なバーサンやスミスやメロっちや設計者とのやりとり、たまたま2をTVで吹き替えで見たらすんなり頭に入ってきた。どういうことやねん。その後3を字幕と吹き替えに見比べてみた。視覚と聴覚の違いについてひとしきり考えた私であった。同じように消化不良の皆様は、一度あえて吹き替えで視聴されてみてはいかが。 [DVD(字幕)] 6点(2006-01-01 00:16:29) |
20. マルコムX
《ネタバレ》 デンゼルがそのがっしりした肩に背負っているものは、失われた、または奪われた黒人社会の父性なのであるなあ、と思いました。他のデンゼル出演作もそうだけど、マルコムは直球ど真ん中。別のスパイクリーのとこでもちょっと書いたけど、奴隷時代は、白人の主人が女奴隷を性的にもてあそぶのはもちろん、奴隷どうしを適当に一緒にさせて、奴隷の再生産をさせつつなおかつその後もおもちゃにしていたとか。なんという非人間的な。 かーちゃんが白人の主人の寝室に連れて行かれるのをとーちゃんは指くわえて見ているしかできないなんて。また男の奴隷は消耗率も高かったようでそんなこんなで黒人社会では父親の地位が低く、母子家庭もあたりまえ。ええと、確か本多勝一のうけうり。しかしまあ、そういった背景をもとにデンゼルのがんばりぶりを見ていますと、この大きな大きなロスを、埋めるべく奮闘しているのだなあ、なんて勝手に思ってみたりする。日本人にはデンゼルの気持ちのかけらぐらいしか分からなくとも。映画としてのレビューより、デンゼル見てるとこんなことばかり思ってしまうんですよ。 [ビデオ(字幕)] 8点(2005-12-27 23:36:59) |