1. ミッション:インポッシブル/フォールアウト
《ネタバレ》 2時間半の超大作で、シリーズの中でいちばん面白かったかもしれない。雷雲へ飛び込むスカイダイビングも、トイレのカンフーアクションも、バイク&トラックのカーチェイスも、パリの屋根伝いの疾走も、カシミール山岳地帯でのトップガンみたいなヘリ空中戦も凄かったです。 ただ、いかんせん内容が複雑で分かりにくい。IMFとCIAとMI6とアポストルとホワイトウィドウと東欧マフィアとが絡み合う六つ巴戦ですが、とくに英国MI6の関与が不可視なために、後から考えてみてもホワイトウィドウの取引の背景やイルサの行動に謎が残ります。 ジョン・ラークを暗殺しようとした組織は何だったのか?なぜホワイトウィドウはイルサの身柄を要求したのか?なぜ取引場所はパリからロンドンへ移ったのか?…そこらへんは自分のブログでも考察してみますが、辻褄は合ってる気がするものの、あまりに分かりにくいのは減点要素。そして、いちばん落ち度があるのはCIAだと思いますが、CIAの責任が問われないまま終わるのも腑に落ちない。 [地上波(字幕)] 8点(2025-06-02 11:49:16) |
2. ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション
《ネタバレ》 いままで見たシリーズ作品のなかで、物語はいちばん面白かったです。アクションの面白さじゃなく、物語としての面白さがありました。 米ソのような国家対立の話ではありません。米英の同盟関係から生まれたテロリストとの対立であり、最大の同盟国が諸悪の根源だった…という話。自国の軍隊が敵を育ててしまうように、自国の情報機関が敵を育ててしまうのですね。最大の敵が内側にいるところにリアリティがあり、誰が敵なのか分からない恐怖もある。国家の殺人に憎悪を抱くテロリストの動機にも説得力があります。 主役はイルサ・ファウストとソロモン・レーンの2人であって、イーサンはほぼ脇役です。アクション映画としてなら、イーサンの強さを見せれば事足りるだろうけど、物語としてはイーサンが強いだけじゃ面白くない。その意味でイルサ・ファウストとソロモン・レーンはとても魅力的でした。イルサ役のレベッカ・ファーガソンは、過去のヒロインと比べても存在感が群を抜いてますね。往年のロミー・シュナイダーのような知性的な雰囲気を漂わせながら、それでいてセクシーでもあり、切れのあるアクションもこなすのだから凄い。 最後はCIA長官がIMF長官に転任する結末でしたが、あんな間抜けな奴が長官で大丈夫?ってのはツッコミどころ。それから、冒頭のシーンで飛行機にしがみつくのはともかく、さすがに羽根に飛び乗るのは高さ的にも速度的にもありえなさすぎる。なお、シンジケートのメンバーはなぜスウェーデン語で話してたのか、何かしら前作との関わりがあるのかどうか、ネットで調べてみても分かりませんでした。 [地上波(字幕)] 8点(2025-05-24 22:40:15) |
3. ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル
《ネタバレ》 米ロの見かけの対立の原因はスウェーデン人テロリストだった…という話。イーサンたちは4人のチームですが、スウェーデン人側はたった2人で動いてる。実際のスウェーデンにも情報機関や特殊部隊があるらしいので、それをモデルにしてるのかも。それと同時に、このテロリストのモデルは、アルフレッド・ノーベルとヤン・ギィユー(あるいはカール・ハミルトン)の掛け合わせかもしれません。最後の対決は、もっとインドらしい場所でやればいいのに…と思うけど、インドは自動車の渋滞問題が深刻とのことで、実際にあのようなオートメーションの巨大立体駐車場が実在するのかもね。 ブダペスト〜モスクワ〜ドバイ〜ムンバイと舞台を変えながらスリリングな展開が続くのは面白いですが、相変わらず不可解なことも多い。妻は殺されてないのに遺体の一部が発見されたのは、またしても替え玉の女性が殺されたから? そして、報復の必要もないのにセルビア人を殺したのは、IMFの指示でロシアの刑務所に侵入し、ボクダンを脱獄させるためとしか思えない(Wikipediaの英語版にもそう解説されてる)けど、脱獄協力チームがその真のミッションを理解してないのも不可解。テロリストとイーサンとIMF長官が同日にクレムリンに結集するのも偶然すぎるので、これもIMFの指示でテロリストの動きを追ってたからと考えるのが自然だし、イーサンと分析官ブラントを引き合わせるのも計画通りだったはずだけど、長官がロシアの特殊部隊に射殺されるのはマヌケすぎます。そして何より、自殺してまでして核戦争を起こさせたいというスウェーデン人のカルト的な動機は説得力に乏しい。 [地上波(字幕)] 7点(2025-05-17 15:33:48) |
4. ミステリと言う勿れ
《ネタバレ》 天然パーマを物語に絡めようという発想で作られた物語なのでしょうが、いくら先祖の罪を隠すためとはいえ、一族の人間を殺すのは本末転倒だし、生まれてすぐに殺してしまうならまだしも、成人してから天然パーマの人間だけを殺すって、わざわざ怪しまれるようなことをやってるとしか思えない。犯罪動機に合理性がなさすぎて、物語の前提が崩れています。それから、松嶋菜々子が出てきてからのくだりが長すぎる。原菜乃華は可愛かったです。 [地上波(邦画)] 6点(2025-01-05 01:38:49) |
5. M:i:III
《ネタバレ》 初期3作の中ではいちばん面白かったです。考える間もないほどスピーディーな展開で、どんでん返しもアクションも見応えがあった。当時のイラク戦争に対する批判にもなっていたと感じます。 ただ、あとから考えてみると、マスグレイブがリンジーを救出させたのは不可解だし、チェサピーク湾橋で大規模な武装組織を出動させた背景も謎です。デイヴィアンが妻の替え玉の女性を銃殺した理由も分からない。そもそもラビットフットの所有者は誰だったのでしょうか? そこらへんについては自分のブログで考察してみます。 [地上波(字幕)] 8点(2024-06-26 10:58:25) |
6. ミッション:インポッシブル
《ネタバレ》 トム・クルーズの映画ってほとんど観たことなくて、このシリーズも初視聴です。テレビシリーズも観たことありません。 ストーリーが複雑でよく分からなかったのだけど、見終わった後にWikipediaで確認して、なかなかよく練られた話なんだなと理解できました。ビロード革命を経て世界遺産になったチェコのプラハから物語が始まるところにも歴史的な背景があります。ネズミのいる天井裏から人力で宙吊りにするシーンとか、狭いトンネルのなかをヘリコプターが飛ぶシーンとかは、ツッコミどころを笑いつつも手に汗を握りました。 ただ、全体的なテイストにテレビっぽい安っぽさがあって、あまり映画としての魅力を感じない(テレビシリーズに親しんだ視聴者にとってはそれが魅力なのかもしれませんが)。敵とはいえ、エマニュエル・ベアールやジャン・レノやジョン・ヴォイトが殺されてしまうのも無慈悲だなあと思いました。スパイ映画って、そういうものなのでしょうか? [地上波(字幕)] 7点(2024-06-08 15:43:05) |
7. 道(1954)
《ネタバレ》 GYAO の無料動画で視聴。たぶん2度目の鑑賞です。 何かとてつもなく深遠な名作のように錯覚してましたが、あらためて観てみたら思いのほか凡庸だった(笑)。ネオリアリズモっぽい面もあるけど、なによりニーノロータの音楽がやたらと叙情的に鳴ってるし、終盤はほとんどお涙頂戴的な展開で、まるでチャップリンのような通俗的なセンチメンタリズムに終わっていた。まあ、これこそがフェリーニの個性でありジュリエッタ・マシーナの個性なのかもしれませんね。「女を支配することへの自戒」がテーマなのだとすれば、その点では『8 1/2』に共通してる気もします。 [インターネット(字幕)] 7点(2022-12-18 13:17:55) |
8. 水の中のナイフ
《ネタバレ》 GYAOの無料動画で視聴。 何ですか、この傑作は!水の上のロードムービー?めちゃくちゃスリリングで面白い!ポランスキーってこんな映画を撮る人だったの?当時の彼は弱冠29歳。これが長編デビュー作って非凡すぎる。しかも社会主義下のポーランドでこの自由で清新な作風!ポーランド映画というよりも仏ヌーベルバーグの文脈と言ったほうが正しいかも。 轢き殺す寸前まで意地を張り合った金持ちの男とヒッチハイカーの若者。その後もヨットの上で意地の張り合いが続き、手に火傷を負ったり、マストによじ登ったり、湖に飛び込んだり…。やがて妻の略奪と殺人もどきにまで発展する。 男が若者に語った「バカな意地っぱり船員」の逸話が、最後はブーメランのように男自身にも返ってくる。男どうしの些細な意地の張り合いと見栄の張り合いが無用な破滅をもたらしかねないという寓話。まあ、当時の東西冷戦だって似たようなものだったかもしれませんよね。 [インターネット(字幕)] 9点(2022-09-16 18:58:53) |
9. 蜜蜂と遠雷
まず脚本が弱い。べつの脚本家を立てるべきだったと思います。物語として何を伝えようとしているのかが最後まで見えませんでした。 映像は非常に美しいですが、映像そのものが何かを語れていたかといえば、かなり疑問です。「生活者の音楽」とか「世界が鳴っている」とか「世界が祝福している」といったことが、セリフとして語られることはあっても、映像じたいによって説得的に表現されることはありませんでした。「生活者」にかんしていえば、映像的には、松坂桃李よりも、むしろ眞島秀和のほうがはるかに「生活者」を感じさせました。 ムーンメドレーを連弾したときに、二人がどのような「月」のイマジネーションを飛翔させたのか。それも映像で語られることはありません。ただ二人の手と表情が映されただけです。「春と修羅」を演奏するときに、それぞれのピアニストは何を表現しようと試みたのか。それも映像としては何ひとつ語られません。やはり演者の手と表情が映されただけです。そもそも宮沢賢治の「春と修羅」の世界は何ひとつ映像化されていません。プロコフィエフやバルトークの協奏曲の演奏場面でも、描かれるのは演奏者の表情と聴衆の反応ばかりで、そもそも作曲家と演奏者が何を描こうとしたかはまったく見えてきません。 これでは「音楽を映画にした」とは言えないと思います。この映画自体が「世界が鳴っている」ことを十分に体現できていない。 音楽映画としての意義は、いかに「いい音楽を聴かせたかどうか」ではなく、いかに「映像で音楽を見せたかどうか」に求められるはずです。いい音楽を聴かせるだけなら、プロの奏者に演奏させれば済むことです。音楽映画であるためには、音楽がイメージとして観客に共有されなければなりません。演奏場面で手と表情を映すだけなら、普通のコンサート映像と同じです。顔だけ俳優に置き換えたにすぎません。 それぞれのピアニストが、どんな困難を、どのようにして乗り越えたのかも、映画を見ただけではほとんど理解できません。「蜜蜂」と「遠雷」が作品の表題である必然性も、映画を見ただけでは何も伝わりませんでした。「雨と馬」に至っては、まったくもって意味不明でした。これでは、たんに原作を読んだ人のためのイメージダイジェストでしかありません。映画を見ただけで「蜜蜂」が“天賦(ギフト)”を意味すると理解できる人は皆無でしょう。まして、スローモーションの「雨と馬」が、原体験としての“ギャロップのリズム”だと理解するのは絶対に不可能です。「雨と馬」のもったいぶった映像を流す暇があったら、「蜜蜂」と「遠雷」の意味の対比をもっと明確に示すべきだったでしょう。 扱き下ろすほどひどい作品ではありませんが、ポーランドの映画大学に学んだエリートの作品と期待しただけに、長いミュージックビデオのような内容には肩透かしを喰らいました。 [映画館(邦画)] 6点(2019-10-30 19:59:20)(良:2票) |