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1.  ヤング・アインシュタイン
監督・主演がヤッホー・シリアスという冗談みたいな名前のやつで、冒頭にシリアス・フィルムと出る。もしかするとここが一番笑えたか。科学者コメディで、けっきょくアインシュタインの名前におんぶしただけの笑い。あの科学者の権威を俗なものにすりかえた笑いで、相対性理論の公式とビールの泡との取り合わせ、難しそうな深遠なものと身近なものとの取り合わせに終始し、こういうアインシュタインの権威に寄りかかった姿勢って非アインシュタイン的・非独創的なんじゃないか。発想をもっと根本的に変えようと工夫すれば膨らませられそうな設定だったのに惜しい。キュリー以外にも歴史上の科学者をもう2、3人出してもよかった。
[映画館(字幕)] 5点(2014-02-08 09:26:43)
2.  山びこ学校
資本主義社会では貧乏は恥ずかしくないんだよ、って言われたって、あんた、そりゃ理屈ってもんだ。それでも恥ずかしさを感じてしまうところが、先生方のおっしゃるプロレタリアートのいじらしさじゃないんですかい。だいたいね、そういった論理に向けて現実を引上げ啓蒙してやろうって先生方の姿勢が、カチンとくるんでさ。そりゃ立派かもしれませんが、ああアッケラカンと己れに自信を持って朗らかに笑ってられると、馬鹿かと思うんでさあ。友だちのために働いて遠足に連れてってやろうってのは、たしかにいいことかも知れませんが、連れてってもらう側の恥ずかしさが、ただ古い考えだってだけで割り切れるもんですかい? そういった恥ずかしさと論理の間でもっと悩んでもらうのが先生方の役割りじゃないんですかい。作文出すのを嫌がる子どももいたじゃないですか。あれ、まだ思想が成熟してない山奥の地域だからって見下してたでしょ。好意的に見れば、こういったガムシャラの時代だったとも言えますな。岡田英次にやや批判させてましたね。理論や作文よりも手紙の書き方のほうが重要じゃないかって。一応気にはしてたんだ。子どもたちはトンコ節のシーンが一番イキイキしてましたな。
[映画館(邦画)] 5点(2012-11-14 10:11:32)
3.  柔らかい殻
前半はよくある少年の妄想ものと眺め、「吸血鬼と謎の女の対比など少し理に落ちてる、シナリオはあまりキッチリさせずに、少しイメージがはみ出すぐらいの遊びがほしいところだ」などとブツブツ呟いていると、放射能がどうのこうので社会派タッチに流れそうになり、アレレと思っていると、作者がうまくまとめてやろうという気持ちを放棄したらしく、俄然イメージが奔り出す。友人が黒い自動車にさらわれるあたりからか。なんかこの少年が核兵器を含むすべての罪を内へ内へと引きこみ始めるような凄味が出てくる。目撃したことをなぜ喋らないのか、自分の妄想かもしれないから? そうやって外界の悪いことを全部引きこんでラストの慟哭に至るわけ。責任は僕には重過ぎる、という慟哭なのか。彼が喋らないのは、どこかで連中を分身と思っているところがあるからか。幻視かもしれないと判断して黙っていると考えても面白いか。などとあれこれこっちの判断も分裂気味になるが、それが楽しくもあった。弦にコーラスの音楽がやたら格調高い。
[映画館(字幕)] 6点(2012-11-13 09:41:37)
4.  やくざの墓場 くちなしの花
カメラが動きすぎる。人間の体全体を収めたいので、動き回って倒れるまでを画幅に合わせたいのだろうが、疲れる。むかしはもう少し節度がなかったか。作品のモチーフは居心地の悪さ、っていうようなことね。『仁義の墓場』と同じ不器用な人間の鬱屈。主人公に対して共感は湧かないが、不器用さに対する作者の思い入れは納得します。金子信雄の警察側と藤岡琢也のヤーサン側との宴会。主人公がそこに不快を感じるのは、何も腐敗に対する正義感ではなく、境目のない曖昧さに対する気持ちの悪さ・居心地の悪さなんだろう。だいたいやくざなんて社会の曖昧さが苦手でハッキリとした組織に付いたんだろうに、そこも社会の縮図で曖昧さが満ちていたって訳。だから善悪をハッキリさせてしまったラストは、ちょっとしぼむ。大島渚はけっこう長ぜりふだった。成田三樹夫を初めやくざ常連が警察側。けっきょくキャラクターとしては同じなんだ。
[映画館(邦画)] 6点(2012-10-02 10:31:45)
5.  山猫
静かな祈りの時間に、次第に高まってくる外の騒がしい声。この人の映画は、下り坂にかかる者の前に、不吉の影がよぎるところから始まる。闖入者たちはしかし次の時代の主流であり、それを公爵自身が一番よく知っている。だからといって潔く滅びようとするわけでもなく、けっこううまく立ち回ろうともする。そこらへんの複雑さが、また魅力にもなる。カルディナーレに対する恋情(と言うより欲情か)を自覚し、翻弄されていることも自覚している苦さ。ここらへんの演技が見事。階級的衰退と、個人としての体力の衰退とが重なっている。しかもこの娘、自分のとこの小作の孫なのだ。衰退にある程度抵抗はしながら、全体そういう流れなのは仕方がないと、最後は受け入れてしまうだろう自分を納得する広さも持っている。タンクレディが赤シャツ隊に入るのを微笑んで見送るように。すべてを受け入れ、時の流れを肯定し、しかしやはり前時代の人間としての孤独に入っていくというところでラストの感動があるわけ。革命のさなかに悠々と決められたとおりに避暑に出かける人物が、冒頭で神父に盛んに毒づいていた人物が、敬虔な祈りを捧げるの。いつもながら人物の配置が美的。必ず控えている人物がいたり、奥で優雅に刺繍している娘がいたりする。そしてカーテンのそよぎ。
[映画館(字幕)] 8点(2012-07-07 10:01:32)(良:1票)
6.  ヤコブへの手紙 《ネタバレ》 
社会へ断固として戸を閉ざしているヒロインのかたくなさが、まず冒頭で印象づけられる。何か事件を起こし恩赦で出られるらしい(この時点ではまだ謎)、しかしそのことに感謝の姿勢を見せようともしない。そして彼女と牧師ヤコブとの緊張の日々が綴られていくわけだ。そのふてぶてしさがリアルで、手紙を朗読する仕事をいやいやこなしている。パン切りナイフを顔面に接近させてヤコブが盲目であることを確認するあたり、もしかして彼女は凶暴犯で収監されてたのか、という不安を抱かされる。そして退屈な朗読の仕事を軽減させるための手紙の廃棄などあって、しかし牧師のほうも手紙の内容から差出人を推量できたりし、なんか剣豪と追いはぎが林の中でにらみ合っているような時代小説的緊迫感が生まれている。手紙に封入されていたお金も新たな緊張を生む。ここらへんの引きこみは大したもの。教会の「結婚式」へ牧師の勤めを果たしに向かった場で、二人のわだかまりが決定的になる。牧師は式の言葉が出てこない。その隙に去ろうとする女は車の行き先を口に出来ない。この二つの沈黙が対比される。一方は老齢による失語、一方はどこにも行けるところがない事実を突きつけられて。たぶんこの彼女の「言葉詰まり」が本作最良のシーンだろう。彼女は出立に先立って金を持っていこうとしたが、半分だけ残していた。それを上から見ている若いころの牧師の写真(たぶん)。ここらへんですでに彼女の心の変化の兆候をうかがわせていた。そして再開される手紙の朗読を通じて彼女の過去が明らかにされる展開になるわけだ。彼女のかたくなさの理由が分かってくる。もう一えぐり欲しいような気もするが、きれいにまとまった好短編を読んだような後味。北欧の風景が、その空気をも感じさせ素晴らしい。
[DVD(字幕)] 7点(2012-03-30 09:55:03)
7.  野性の夜に
愛というロマンチックに傾きがちなものに、エイズは即物的に障害を与える。エイズを映画で取り上げるにはそこらへんにポイントが生まれてくると思うんだけど、これはけっきょく最後にはさして突き詰めないまま精神性に走ってしまい、つまんなかった。ロマンチックから離れるには性の滑稽味を対比させるという手もあるが、実際エイズになっていた作家に、そういうゆとりを期待するのは残酷かもしれない。しかしどうも自分勝手な二人に見え、この映画のつまらなさは、死病と関係なくこの二人の個性としてのだらしなさに由来しているようで、彼らにつきあい続けても何らかの普遍性に至れるとは思えなかった。ヒステリーで表現してしまうことのつまらなさ。自分の病気を記録していこう、といったドキュメンタリー的な視点があったら価値のあるフィルムが生まれただろうが、自分の死を目前にしたら、まあ自分の生がロマンチックなものだったと総括したくなるのは分かるな。
[映画館(字幕)] 5点(2011-09-03 10:03:52)
8.  鑓の権三
三宅邦子はキートンに似ているという発見はあったが、それはさておき。一つ一つのカットはたしかに美しく、日本美の写真集といった趣はある。ただそれがリズムになってくれないのよね。そこが崑との違い。でも前半はけっこう良かった。権三がヒョロッと結婚の約束をしてしまったあたりから、逃げていく朝にかけてのあたり。あっという間に自ら悲劇に飛び込んでいってしまう、その勢いのよさに、一種の爽快感すらある。つまり泰平の世で、槍よりも茶の時代、おさゐの娘との婚約を決めちゃうのは、権三にとっては一勝負でもあったということ。泰平の世に対して、人々が何かイライラチリチリしてる感じ、ってのがずっと底にある。おさゐの縁側での長いモノローグなど、リアリズム離れするとこはいい。
[映画館(邦画)] 6点(2011-06-05 10:04:17)
9.  野獣の青春
記憶の中でひときわ美しく残っている「夢のようなシーン」てのは私の映画受容史で二つあって、一つはムルナウの『サンライズ』の夜景、もう一つがこれの、ヘンタイの会長が嵐の外へ女を追いかけていく黄色い風のシーンだ。しかし記憶の中で磨かれて実際以上に美化いているような気もし、どちらも再見はしていない。ほかの多くの「美しかった名シーン」とは別次元の、息を呑んだ体感の記憶になっていて、この印象を壊したくない。こういうのはこちらの体調やら何やら好条件が重なった一度きりの体験であって、とくに本作のほうは褪色したフィルムで観たカラー作品なので、現物はまたかなり違っていた可能性もあり、たとえばDVDで見ても、あの「夢のような」感じはもう訪れない気がする。とにかくそういうワンシーンが際立って記憶されている映画です。スクリーンの裏側の事務所なんてのも面白かった。上映されている映画のほうの銃声で慌てたりするところもあって。あとプラモデルの飛行機がたくさんぶら下がっている部屋とか、そういう異様な空間設計で面目躍如の監督。話を円滑に進めようという気など全然ないもんね。
[映画館(邦画)] 8点(2011-02-12 11:00:00)
10.  屋根裏の散歩者(1992)
古びた鏡の上を這っていくデンデンムシ。プリズムの光の反射する廊下。ものうげに流れるタイスの瞑想曲。それぞれの部屋の痴態はそれぞれの部屋で閉じていなければならないはずで、裸で廊下に出てきたりしてはいけない。これはいわゆる「愉快犯」のハシリですな。殺したい積極的な意志があるわけではなく、殺せる状況を確認したいという感じで、スーパーの飲み物に毒物を入れたりするアレと同じ動機。見るだけでなく、関わることもできることを確認したい天井裏の男。斜めの構図は無理して入れてる。窮屈感ってことか、普通使われる不安感とはちょっと違う。昔のこの人の構図の凝りようは、それなりの納得に通じるものがあったが、このころはもうそれが自己目的化しているようで、味わいとしては薄い。
[映画館(邦画)] 5点(2011-02-01 09:54:45)
11.  ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディー
これ全編、ヤンキー精神の国威発揚映画。同時期の日本の国策映画と違って明るいのなんの。成功物語の型。随所にひらめく星条旗。リパブリック讃歌のあとは、リンカーン像に手を差し伸べ、シルクハットかぶった女性二人を脇にJ・キャグニーがステップ踏めば、アンクルサムと自由の女神が登場してきて、もう恐れ入るよりほかはない。ナショナリズムの高揚。こうすればアメリカは興奮するという手本のような映画ですな。この人が踊るんで驚いたけど、あちらの役者は「歌って踊れる」ってのはもう基本なのね(ふーん、ギャング役じゃなくて、これでアカデミーの主演男優賞獲ってるんか)。老人のふりして恋人と出会い、突然の軽やかなステップ、なんて鮮やか。この人は背が低いので、ステップも爪先立ちしたのを多用してた気がする。それが軽やかさを引き立てた。船から上がった花火がスポットライトになる舞台演出の妙。街中のネオンサインをクネクネと経巡って成功の歴史をワンカットで描いてしまう。アッパレというほかはない。日本では悲壮感漂う国策映画が多く作られ、またそういうのが効果のある国民だったが、あっちは明るくイケイケで盛り上がる国民。やっぱそっちのほうが戦争は勝つよね。
[映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2011-01-20 10:09:40)
12.  山の焚火 《ネタバレ》 
家族のものがみんなで少年の性の目覚めを恐れている感じがいい。社会と隔絶した清澄な山の家で、生臭いものをギリギリでカバーして生きている緊張。祖母が豚のいななきを聞いて獣姦の疑惑を抱いたりする。この家族の中でただ一人、山を下りてもやっていけそうだった姉が、自ら焚火に促されてタブーをおかし、山の上のほうへ心を向けてしまい、妊娠という最も生臭い結果を導いてしまう。聖と俗の対比という下手するととても陳腐になってしまうものを、うまく料理した。この小屋がどれくらい麓から離れているか、は見せてくれないので、完全に隔絶した場所と思っていいのだろう。登場する他者はヘリコプターのみ。春から冬へかけての季節の移ろいがあり、水のイメージ、鏡のイメージも作品を貫き、拡大鏡や双眼鏡の覗く感じが秘密の匂いを強めている。どんなに社会から断たれても、無邪気な時間はいつかは終わるのだ。
[映画館(字幕)] 7点(2010-12-15 09:58:10)
13.  山の音 《ネタバレ》 
若いときに一度観ていて、チンプンカンプンだった。こちらもヨワイを重ね、そろそろ作品の滋味がしみじみ堪能できるようになったかも、と観てみたが、まだ駄目だった。ポイントは、舅と嫁の、思いやり以上・恋情未満の心の揺らぎなんだろうが、なんか作り手がそこに焦点を当てないように当てないようにしているみたい。それがデリケートな味わいを出すためというより、別のモチーフを隠すために撹乱しているような気もして、どうも素直に観られない。「つんけん」とか「鬱陶しさ」とか「不和」とか、成瀬のモチーフは遍在している。いつもならそれらが「納まるべきところに納まらない」我々の世界への微苦笑へと解消されていくんだけど、これは苦いだけ。成瀬作品では珍しく上流階級が舞台になっていることと関係があるんだろうか。男たちは東京に通勤していてもその世界は鎌倉と会社に閉じており、かえって出戻り娘や上原謙の愛人ら女たちが、外の世界の荒々しい風を作品に導いている。その現代の戦後女性群に対し、嫁の菊子だけが古風な戦前女性として設定されていて、その彼女が中絶するところに当時はもっと衝撃があったのかも知れない。山村聡が杉葉子と路地を歩くあたり(原作によると本郷)に成瀬の味が匂いたち、やっぱり鎌倉よりこっちのほうが似合う監督なんじゃないか。
[DVD(邦画)] 6点(2010-10-19 09:57:49)
14.  闇の子供たち 《ネタバレ》 
この設定なら、病児を抱えた日本の家族で一番ドラマが膨らんだだろう。身内が生死の問題を抱えているとき、街を行く他人たちが普段の暮らしをしていることを理不尽に思うものだ。その気持ちを増幅させ世界規模に拡大していけば、この家族の残酷は誰にでも無関係ではない。この家族の葛藤を軸にすれば、われわれの日常と世界の南北問題とが大きくつながる映画になったはずである。なのに映画はそのように徹底して社会と切り結ぶことを避け、取って付けたような銃撃戦のあと、取って付けたような推理ドラマ風の結末でお茶を濁してしまった。なんとももったいない。まあ彼に現在の日本の縮図を見ることが出来なくはなく、自分の暗い部分から目をそらして好奇心いっぱいで世界を見て回り、ちょっと突かれるとモロいという自画像にはなった(でも、外から見えるとこで首吊るか? 被害者の子どもの写真ならともかく、つかまった犯人らのを部屋に貼っとくか? 自分への戒めとして貼ってたってこと? 心理がサッパリつかめない)。ただ逃げ腰ながらも社会に向いた映画は今の日本では貴重で、それを人気俳優を揃えて完成させてくれたというところは有り難い。このままでは「社会派映画」というジャンルそのものが消え去ってしまうのではないかと思っていたもので。
[DVD(邦画)] 6点(2009-09-17 12:03:46)
15.  野獣死すべし(1959)
気分としては『太陽がいっぱい』に近いが、こっちのほうが早いのか。完全犯罪志向の青年。一番画面が緊張するのは、バーで花売り婆さんの三好栄子に、主人公の仲代達矢が金で歌わせ踊らせる場。この三好栄子の痛々しいみじめさがうまくて。センチメンタルを憎むってことを、眼をギラギラさせ渾身の力を込めて描かなければならない時代だった。仲代のクールもどこか必死、血圧の高めなクールなの。それだけ世間に蔓延しているセンチメンタルへ、新しい世代が苛立ってたってことなんだろう。映画のなかで警官が「目つきが気にくわなかったからと人を殺す時代になった」と言っていたが、でもまだクールになるためには若者も必死にならなければならなかったのだ。主人公にも、父親の自殺や貧困といった経歴が必要とされていた。犯罪者も、現代のようにノッペリとしていなかった。科学捜査とカンの捜査の対立ってようなことも描かれていて、犯罪も捜査も、質が転換しつつある時代だった。そんな時代の感触がよく分かる作品。
[映画館(邦画)] 7点(2009-06-01 11:57:21)
16.  山のあなた 徳市の恋
これ元の映画を見ていないので、純粋に新作映画として鑑賞できるな、と思っていたら、DVDの最初にオリジナルの『按摩と女』の宣伝が流れ、しっかり高峰三枝子と佐分利信が頭にインプットされてしまった。すると作品中でヒロインがしゃべっても途端に高峰三枝子が出てきてしまい、おそらくしゃべり方も意図的に似せているのだろうが、気が散って困った。女が徳市をかわしてフラフラと後方に逃げるあたり、とてもいいシーンなのだが、清水版ではどんな感じなんだろう、と余計なことを思ってしまう。現在こういうリメイクを作る積極的な意味が、もひとつ見つけづらいところにも問題がありそうだ。一番はっきりしているのは色が着いたことで、緑のさわやかさ、ハイキングする娘たちのまぶしさなどが描けたことはある。話としては温泉宿とワケアリの都会の女ということで『簪』(これは見てる)の姉妹篇みたいな作品で、退屈している少年の絡ませかたも申し分なく、楽しめた。草彅君は川辺のシーンで着衣を脱ぎかけたが、全裸にはならなかった。
[DVD(邦画)] 6点(2009-04-28 12:04:15)
17.  やわらかい手 《ネタバレ》 
イギリスは労働者の映画を得意としているが、これもそう。主婦が社会に目覚めていくって話はけっこうあったけど、う~ん、こう来たか。労働の楽しさと厳しさを描いて、実に鮮やか。自分の隠れた能力の発見、職業技術を熟達させていくこと・成果が上がっていくことの喜び、殺風景な職場を少しでも飾ろうとする気持ち、がある一方、職業病もあり、同僚との軋轢も経験する。社会で働くということのすべてを体験し、彼女は誇りを持つ。手段だったものが目的になっている。そのとき職種なんて関係ない。近所の主婦との茶会のシーンは、その誇りが輝き、楽しいシーンだが感動的でもある。何一つ後悔してなく後ろめたくもなく、堂々としている。実際マリアンヌ・フェイスフルがとても美しく見える。日本では作れない映画だなあ、と思った。もし作っても、息子と和解するところまでだろう。あのラスト、孫の看病より自分の人生を優先する結末は、日本ではたぶんシナリオ段階で注文がつき、もっと湿っぽく屈折させられるのではないか。
[DVD(字幕)] 7点(2009-02-11 12:15:01)
18.  やくざ絶唱 《ネタバレ》 
この監督の世界では、感情過多の人間が狭いところへ押し込められ、そのせいで傷つけあってしまっている。この兄と妹なぞまさにそれで、兄の過剰な愛と、それに対する妹の過剰な反応。雄渾に成りうる神話的構造を、極端に狭い場所に押し込めていく。冒頭の街の雰囲気、四ッ谷署とチラリと出たが、荒木町界隈だろうか、高低差がいい。やくざの“一家”と“家庭”と、どちらも閉じていて、大谷直子が結ばれる田村正和も、つまりは兄弟みたいなもの、さらに閉じて煮詰まっている。主人公の最期も風呂場の隅っこの狭いところだった。太地喜和子とやりあうとこも隅。みんながみんな、狭いところへ、隅っこの方へと追いつめられるように導かれていく。
[映画館(邦画)] 6点(2008-12-19 12:10:12)
19.  弥太郎笠(1960)
映像のリズムの良さに、ほれぼれする。ひょっとこ面の連中が祭りの囃しにのって、ヨイヨイと手を振りつつ大河内伝次郎を連れ出していくあたりの凶々しさ。あるいは通り過ぎた弥太郎のあとで、ワラワラと三度笠が現われてくる場のリズム感など、これしかないという間合いで。ほとんど音楽を感じさせるのは、カタキのとこの土間口での殺陣。弥太郎がひとくさり喋ってはひと太刀浴びせ、と緊張をためては放つその緩急のリズムが絶妙。そして全体の構造としても、ラストにまた祭りとひょっとこが反復される大きなリズムとなる。アウトローものでありながら、実はいいとこの侍であった、ってのにはちょっとガッカリさせられたが、「おとっつぁん、弥太郎さんがいじめます」とか「冥土へ行くんなら静かに行ってくれよ」などもキメぜりふがピタリとハマってる。
[映画館(邦画)] 7点(2008-08-09 12:04:04)
20.  YAMAKASI ヤマカシ
ビルからビルへっていう場面の楽しさは、領界の無視からくるようで。社会の規約によって遠く隔てられているはずの「隣家」が、ただの物理的な距離でしかなくなる。プライバシーを侵犯される不快感に気づかないふりが出来るなら、プライバシーを侵犯する楽しみを徹底して味わえるわけだ。どこもかしこも公共の場になってしまう社会は、遊び場としてならこんなに楽しいぞ、という映画だが、そこで暮らしたいとは思わない。すべての免罪符になってしまう「病床に横たわる子ども」ってのも、なんか恐ろしい。
[映画館(字幕)] 5点(2008-07-23 10:47:51)
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