1. ライアーゲーム-再生-
《ネタバレ》 なにが一番驚いたのかといえば、ゲームのルールがさっぱり覚えられないことでした。みんな、すごいね、面白くないと言いつつ、ちゃんとルールを熟知しているんだね?それともこれは続編だから初回をみないと分らない?いずれにせよ、私には誰が負けたのかさっぱりわからなかった。登場人物たちは、電子掲示板をみて、喜んだり、悔しがっているけど、その意味が分からない。そもそもコインってなんねやん。国取り合戦ってなんやねん。それを最初にちゃんと説明しろや。いや、説明していたかな?ルールを聞きのがしたのかな?まあどうでも良いことだ。しかしなぜ邦画はキャラクター造形がいつも似たり寄ったりなんだろうな・・。個性がある人物を描こうとすればするほど、どの邦画のキャラクターも同じに見えてくるよ。しかもギャグが寒すぎる。久しぶりに内容が理解できない映画に出会いましたが特に理解したいとも思いませんでした。 しかしもしお金を出して映画館で観ていたら悔しさのあまり憤死していたかもしれません。 [ビデオ(邦画)] 0点(2013-05-26 12:16:19) |
2. ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日
《ネタバレ》 ベジタリアンの主人公が、人肉を食べるという結末に衝撃を受けます。あの悪童コックを食べたということです。コックは「お前らは偽善者だ」と言いたかったのでしょう。生きる、ということはもっと本能的なものなのだ。動物の肉すら食べたことがない主人公が、コックの人間学を実践し、そのコックの肉を食べるという皮肉。少年は自分が許せない。彼は宗教家であり、自分こそ善良な人間だという自負があった。幻想的なまでに美しい海の景観は、己の罪を覆い隠し、美化したい主人公の欲求が作り上げた壮大なファンタジーである。トラと漂流したという究極のでっちあげは、おぞましい現実から目をさらすためにつくりあげたカモフラージュ。もちろんトラ=主人公本人です。罪深い自分をトラに見立てた。そして少年がトラを受け入れる瞬間、すなわち少年は自分自身の罪を受け入れたことを意味します。少年とトラの長い漂流は、実は少年が、己の罪(=トラ)に苦しみ、自殺するかどうか葛藤していた時期です。少年は自分を赦した。生きる道を選択した。アーメン。さらにトラを擬人化しなかったことは評価できる。トラが少年に対して友情を感じ、「パイちゃん助けてくれてありがとうね」なんていうそぶりを見せたら、たちまち本作品は失敗作で終わっていた。私ならリチャードパーカーに助演男優賞を与える。たまにはレッドカーペットにトラを走らせてアカデミー賞の低視聴率を解消しやがれ。私が言いたいことは1つである。「トラと漂流した話をそのまま信じろ!」事実は1つ。しかし真実は人の数だけ存在する。ファンタジー万歳! [映画館(吹替)] 9点(2013-03-09 23:26:44) |
3. ラビット・ホール
《ネタバレ》 キッドマンママの行動が痛々しい。憎むべき相手がいない悲劇とは、本当の悲劇かもしれない。夫は加害者のクソガキを憎むが、キッドマンママはわんこを憎む。しかしやはり夫婦とも、誰も憎んでいない。だから心が苦しい。交通事故で家族を亡くした時、なぜかあやしい団体が、めざとく被害者を見つけ出して、勧誘をかけてくる。しかしキッドマンママはそこに救いを見いだすことができない。むしろ神を憎むようになる。さもありなん。この世で何の罪もない子供が虐待で殺されたり、事故で死んだりするのは、この世に神がいないことを証明している。これを試練だとほざく連中などクソ食らえである。人間は野獣だ。いや、こんなことを言ったら、本当の野獣に失礼だろう。野獣は、人間のように芸術的な残酷さは秘めていない。トラなんざ、せいぜい噛みついて引き裂くくらいだ。人間を殺すのは常に人間だ。クソガキは単なる偽善者だ。こういう奴こそ、被害者の親にとっては、真の野獣なのだ。神はいない。だから罪がなくても、子供は罰を受ける。子供の死に対する親の苦しみは、時間がたつと、重い石から、ポケットの小石に変わるという。それは子どもの死を受け入れた証拠なのか?それともその死を諦めた証拠なのか?この物語は単なる夫婦の喪失の物語だが、本質は別にある。人間は必ず生きている間に、同じ人間から苦痛を与えられる。そのとき、赦すか、赦さないかではなく、乗り越えるか、乗り越えられないか、そういう物語なのだと思う。 私が被害者の親だったら、あの偽善者のクソガキは絶対に許さない。 [DVD(字幕)] 9点(2012-10-28 23:00:59)(良:1票) |
4. ラブリーボーン
《ネタバレ》 ピータージャクソンの映像美は満足できるレベルです。本作品の舞台である「あの世」とは現世と天国の境目。つまり少女は三途の川を渡ろうかどうかってところで行ったり来たりしている。こういう不思議な空間をこの監督に与えたらとんでもない映像を作り出せる才能がある。「乙女の祈り」で少女たちが空想で作り上げた第3の世界しかり。「キングコング」のドクロ島しかり。「ロードオブザリング」の魔法の世界しかり。見所は家族愛でもなければサスペンスもない、彼の作り出すイマジネーションあふれる世界観なのです。少女ばかり殺している殺人犯の死に方について。あれはないと思いました。犯人に己の罪に対する罰を自覚させることなく死なせるなんて。これは悔しかった。だけど監督は犯人の罪と罰には興味がなかったのでしょう。彼は無念にも殺されてしまった少女たちを、自分のつくる物語の中で幸せにしたかった、ただそれだけの自己満足のためにこの映画を作ろうと決意した。私はそう信じます。世の中は男女平等と言いながら腐りきった男社会だ。動物界と同じようにしょせん力の強い男が、非力な女性や子供を虐げている。痴漢、レイプ、DV、幼女監禁、いいですか?法律が一度でも女性たちを救ってくれたことがありますか?この世に神などいるはずがない。しかし映画監督は自分のつくる作品のなかでいつだって神になれる。あのラストシーン。犯人が死んだことによって、「あの世」の女性たちはみんな笑顔になる。監督は現実では救えなかった弱者たちを物語のなかで救ったのである。じゃあこれからみんなでそろって天国でも行きましょか。女性たちのそんな会話が聞こえてきそうだ。厳しい弱肉強食の現実とは大きくかけ離れた物語。しかしある意味でこれこそ究極のファンタジー。 [DVD(字幕)] 7点(2010-08-13 19:20:44)(良:1票) |
5. ラースと、その彼女
《ネタバレ》 体が傷ついて血が出ればすぐ気がつくので治療できる。しかし心が傷ついた場合、気がつかないことが多い。そしてその傷は長い年月を経て、突然本人に異変を与える。これをトラウマと言います。ラースのトラウマは、母親の死や、兄の家出、父の人間嫌いなどが遠因に挙げられる。彼のトラウマが突然発症した原因は、数人のレビューワーさんたちが指摘する通り、兄嫁の妊娠により、出産で死んだ母を思い出したからだと考えます。そういう意味ではラースの妄想は笑い事どころか、目を覆いたくなるほど痛々しい。表面的にはコメディに見えますが、実は心が壊れてしまった1人の男性が再生するまでを描いたヒューマン映画なのです。ラースには同僚の女性や兄嫁のように好きな人がいました。しかし好きな相手がそばに寄ってくると彼は逃げる必要がありました。彼が他人から体を触られると痛みを覚える理由は、肉体がラースに対して警告を発しているからです。「気をつけろ、またお前は、お前を愛するすべての人々から傷つけられるぞ」という警告です。もう二度と傷つきたくないという思いがそうさせたのです。心の傷は必ずこのように肉体に表れます。もはや人に触れることさえできない彼が愛することができる人間はこの世にいなかった─。人形ならば愛しても傷つけられない。抱きしめても痛みを感じない。こうして「ビアンカ」は生まれるべくして生まれたわけです。皮肉なことに兄嫁の深い愛情から逃れるために、ラースはどんどん追い詰められたのでした。ラースの壊れっぷりは凄まじい。そんな彼を周りのみんなが必死になって助けようとする様子は現実では中々見られない。あのボーリングのシーンで突然乱入してきた男たちは、通常だと「お約束ごと」のように、いじめっ子役だ。それがリアルだと言われる。しかし単に現実を知りたいならば新聞で間に合う。映画は現実をなぞるだけのものではない事をこの作品は教えてくれる。「ビアンカ」に生気を吹き込んだのは、まさにラースを愛する周りの人々たちの勇気でした。稀に見る斬新なアイデアを見事に活かした傑作です。 [DVD(字幕)] 9点(2010-04-26 20:26:34)(良:1票) |
6. ラストキング・オブ・スコットランド
《ネタバレ》 狂気をちらちらと見せながら、笑顔とジョークで本性を隠すアミン大統領。人が何かを怖いと感じるときは、怖いものが目の前に現れた瞬間ではなく、まだそれが見えないときではないでしょうか。想像力によって人は一番恐怖を感じる。ウィテカーの演技の巧さは、怖さを前面に出したものではなく、それを観客に暗示させるものでした。青年医師の視点からみたアミン大統領が描かれているおり、アミンを一人称にしなかったことで、この暴君の心の中は観客には分からない。それが一層不気味さを醸し出している。恐怖の演出がヒッチコックのように技巧的で秀逸でした。一方的にアミンが加害者で青年が被害者という図式にしているわけではなくて、青年をあえてモラルを持たない軽薄な白人の代表者として描くことで、勧善懲悪の色合いを暈し、客観性を取り入れている。「おまえたちにとってはゲームかもしれないが、おれたちにとってはリアルなんだ」というアミンの台詞が特に印象に残ります。この一言があったからこそ、アミンってこわかったね、で終わらない作品になっている。アフリカをつまみ食いしようとする白人たちと、アフリカの惨状がその台詞から炙り出されてくる。ウガンダの場合、日本の戦国時代のように下克上の世の中だから、機会があれば誰もが敵に報復しようと目論んでいる。憎しみが憎しみを生み、その連鎖は広がっていき、誰もが疑心暗鬼となっていく。そういう中でアミンは神経をすり減らし、モンスターへと変わっていったのでしょう。もしこの大統領がアフリカではなく、日本で生まれたならば、愛嬌のある気さくなおじさんとして人生を終えていたはずです。アミンという人間が特別な人間だったわけではなく、アフリカという大地が彼を生み出したのかもしれません。 [DVD(字幕)] 8点(2008-02-02 10:51:46)(良:1票) |
7. ランド・オブ・プレンティ
《ネタバレ》 強いアメリカ、戦うアメリカは知っていますが、これは弱くて小さなアメリカの物語。ポールの精神状態がおかしいことには、すぐに気がつくのですが、それでも監督は執拗にポールが妄想にかられてテロリストを追いかける様子をミステリータッチで撮り続ける。あまりにも延々とポールの妄想劇を繰り返すので、多少閉口させられますが痛々しさだけは伝わってきます。しかしポールが酔ってラナのいるホテルにやってきたシーンは見事です。彼女は人の心の弱さをすべて受け入れ、包み込み、そして赦し、癒そうとする。この映画で彼女が泣いて神様に助けて欲しいと願ったものはポール叔父です。ポールは「アメリカ」の隠喩として用いられていたと思います。つまりラナは、心身ともに衰弱しきったアメリカという国そのものを助けて欲しいと神様に祈ったのではないでしょうか。久しぶりに素直に感動しました。同時多発テロでは大勢の罪のない人たちが亡くなりましたが、ラナがいた中東では、普通の人たちがその事件を知って、歓声があがったという話が恐いほどリアリティがあります。アメリカに対する憎しみの連鎖はこれからもこの国を襲うかどうかは分かりませんが、ポールの存在はアメリカそのもの。ベトナムでドロ沼に陥り、9・11で報復され、そして今も顔の見えない相手から憎しみをぶつけられていることに対して、怒りと不安を感じながら、神経をすり減らし生活している。これが大国アメリカの1つの側面だと思います。この映画は監督の思惑と外れて観られているかもしれない。でもそれで良いと思う。たしかなことは想像力を刺激させられる映画だということです。 [DVD(字幕)] 10点(2006-05-24 19:27:22)(良:1票) |
8. LOVERS
チャン・イーモウという監督は素晴らしい! 私は高く評価していました。チャン・イーモウは、純小説家なのです。 しかし、私はもう1つ言わなくてはいけないことがあります。 チャン・イーモウは、「昔」は、素晴らしい監督だった、ということです。 彼は名声と引き換えに大切なものを失いました。 「ヒーロー」の失敗は、何とか我慢できましたが、この映画を見て、ついにぶち切れました。 映画監督チャン・イーモウの堕落は、もう手の施しようがありません。この人は、もう二度とまともな映画は作れないでしょう。 これは映画ではなく、チャン・ツイィのプロモーションビデオです。 日本のバラエティー番組と同じ低俗さがあります。どうせならば、途中でチャンの歌も挿入すればよかった。日本のシングルチャートで100万枚突破間違いないでしょうね。 だけど、これは映画ではありません。 低俗なTVです。 チャンイーモウはついに、裸の王様になりました。 そしてチャン・ツイィーは、二の腕が、やたらと太くなりましたが、あいかわらず可愛いです。しかしやはりこれは映画とは呼べません。アメリカのハリウッドに媚びる最低の低俗映画です。 [地上波(吹替)] 0点(2005-11-05 21:30:56) |
9. ラブストーリー
《ネタバレ》 「ラブストーリー」とは、2人の女性の恋の物語でした。まず評価したいのが、母親役と娘役をソン・イェジンさんが1人2役で演じていることです。 私は監督が、「娘と過去の若い頃の母親は顔が似ていることにしよう」という設定で、ソンさんを1人2役にしたのではないと思います。 娘が母親の秘密の日記を読み始めたときからこの物語は始まりました。 その日記で娘は、恋に悩む母親のラブストーリーを見て、今、恋で悩んでいる自分の姿を過去の母親に投影させたのだと思います。だから自然と過去の母親は、ラブストーリーを読んでいる娘自身の姿になるのです。 母親の恋は実りませんでしたが、娘の恋は成就しました。 しかしこの2つの恋愛は別々ではありません。両方ともつながっているのです。 なぜなら、そのために、娘と母親を同じ女優に演じさせたからだと確信しています。これは2人の恋の物語ですが、1つのラブストーリーでした。 つまり母親と母親の愛した人の分身が、時代を超えて、ようやく1つに結ばれたのです。 「現在」の娘の恋愛の描写が少ないのは、「過去」の母親の未来として、現在を捉えているからだと思います。 とにかく1つ言えることは、静かな涙がたくさんこぼれてくる映画なのは間違いないということです。 [DVD(字幕)] 9点(2005-05-02 23:46:57)(良:1票) |
10. ラブ・アクチュアリー
「ドッグヴィル」を観て人間不信に陥り、その後にこの映画を観て再び人間が好きになった。 [DVD(字幕)] 7点(2005-01-30 01:02:12) |
11. ラスト サムライ
《ネタバレ》 まさに日本最後のサムライたち。それがボロクソに殺される姿を見て、よく感動できるものだ。 ただただ、悔しくて悲しくて哀れで苦しかった。大村という男がむかついた。 勝元とトムと真田たちは、あと一歩のところまで大村に近づいたが、どうせなら大村を道連れに地獄の三丁目まで連れて行ってもらいたかった。 オチはトムクルーズだけ幸せにして終わりでいいのか? それも自分が殺した日本人の妻と幸せな家庭を築くことをイメージして終わっている。 1点(2004-06-12 15:01:55)(良:1票) |
12. ラストダンス
後味の悪い映画。死刑制度に反対するというメッセージを織り込んだ映画だとは思うが、見終えてブルーな気持ちになった。 0点(2003-10-14 22:45:39)(良:1票) |
13. ラストゲーム
駄目人間でも親父として1流でした。さすがデンゼル。深みのある人間を演じていた。 9点(2003-10-14 22:43:11) |
14. ライフ・イズ・ビューティフル
自分が死ぬ恐さを払拭する唯一の方法を教えてくれる映画だ。愛するということが、これほど重要だと気づかされた映画は稀である。 9点(2003-10-14 22:34:16) |