1. ランボー/怒りの脱出
《ネタバレ》 “Rambo:First Blood Part II”アメリカでもタイトルに『ランボー』入れました。あれ?当時の記憶ではポスターとか『ランボー2』だと思ってたんだけど、ネットのどこを探してもそんな表記が出てこない。思い違いかぁ、2と付かない理由はwikiに出てました。 ジョンの筋肉が、1作目の頃に比べて、すごく・・・大きいです・・・。ロケットランチャーを構えた上半身ハダカのスタローンのポスター。美しいマッチョの裸体と、破壊力抜群な巨大な武器。このコラボって間違いなく本作からでしょう。ランボー2以降、色んなアクションヒーローがこのスタイルを真似ました。ああ・・・次はM60機関銃の片手撃ちだ。 ランボーはいろんな武器を使いますが、基本装備は一本の巨大なサバイバルナイフのみ。鍛え上げた肉体とナイフ1本あればどんな軍隊も壊滅できる(んじゃないか?)というストイックさが、ランボーの魅力です。 ビジュアル面の魅力は増しましたが、作品の質はガラリと変わってしまいました。平和な田舎町を舞台に戦いに追い込まれ、大の大人が自分の内なる辛さに泣き出す姿が、多くのベトナム帰還兵たちの共感を産んだ前作と違い、本作では『見捨てられたアメリカ兵捕虜のために戦う』という、大義名分を持たせました。そしてベトナム兵とソ連兵という、解りやすいくらい『アメリカの敵=アメリカから見た悪い奴ら』が相手とシンプルです。 「彼らが国を愛するように、国も彼らを愛して欲しい。俺の思いも同じです」あくまで作中の、ベトナム戦争で戦った捕虜の気持ちを代弁したセリフですが、まるで全アメリカ人の精神を代弁する演説のようです。良くも悪くも、ここがレーガン政権下のプロパガンダ『強いアメリカ・正しいアメリカ』と見事にマッチしちゃったんですね。 でも作品の中身はと言うと、アメリカ軍は捕虜とランボーを見捨てます。それをベトナム人の諜報員女性コー・バオが独断で助け出します。今じゃ珍しくもないですが、映画の中で女性がイチ兵士として、泥臭い戦場で活躍するというのは、もしかしたら本作が初?かもです。しかもアジア人女性がメインキャラクターというのも、あまり無かったかも。作中で彼女が戦う理由もきちんと語られていて、お飾りとして適当に創られた感がありません。脚本にキャメロンが参加していたことで納得できました。彼の作品では必ず“強い女性”が出てきますから。 そう考えて観ると、続編としての完成度が高いのも頷けます。田舎町の銃撃戦からジャングルの戦争へと方向性を変える手法。前作のインパクトのある映像=崖からジャンプ、ナイフの拷問、機関銃片手打ち、最後のランボーの語りなどなど、観客の『コレが観たかったんだ!』を織り込んで満足させる手法。さすが続編の名手キャメロン(※実際どこまで作品に関わったのか解りませんが)。あのランボーの続編としては首を傾げるところですが、娯楽映画のツボを抑えた手法が随所に散りばめられていて、見応えは充分にあります。 [地上波(吹替)] 7点(2024-11-09 09:18:18) |
2. ランボー
《ネタバレ》 “first blood”『最初の血=(相手が)先に仕掛けてきた』という意味だそうです。劇中トラウトマンとの無線のセリフで出てきます。 ランボー2公開直後のテレビ初放送で観ました(まだ2は観てないです)。当時のスタローンは、ムキムキ・マッチョな2の時と比べて、無駄な筋肉がなく、言い換えると線が細いんですね。映画自体も、戦場でドンパチするド派手な2と比べて、田舎町と山の中で、敵も田舎の警官で、想像より大人しめなアクション映画だなぁと、当時はそんな印象でした。 そして最悪だったのが、初見時、保安官ウィルがランボーに撃たれて以降、観るのを止めてしまったんですよ。親にチャンネル変えられたのか、他に観たいのがあったのか覚えてませんが『まぁ、良いかな』って思ってしまったんです。翌日学校で、みんな「最後が凄かったね」って。「ランボー泣き出して可愛そうだったね」って言うわけです、小学4年生の子供らが。私は『ランボーあれだけの騒ぎを起こして、最後泣き出すって、どういうこと??』って、理解できませんでした。 数年後('88年の金ロー?もう2は観ています)に観返すと、まず声が聞き慣れた低音ボイスのスタローン声(羽佐間道夫)でなく、若々しい声(渡辺謙)で驚きました。そして私が見逃した“最後”が、あまりに強烈でした。戦場で出来た友人は次々と死んでいき、帰ってきてからも仕事もなく孤独な毎日を送る。そこに来て警察での酷い扱い。怒りの奥底の悲しみが伝わってきました。警官を殺して、静かな街を恐怖に陥れたランボーの行為は社会的には“悪”と捉えられます。でもランボーの側から社会を観ることで、善悪なんてそんな単純な事情じゃないことを、観させてくれました。この映画で、どれだけのベトナム帰還兵の心が救われたことか。 そして渡辺さんの吹き替えが、まさに心を痛めた青年の叫びでした。羽佐間さんだとマッチョなオッサンのイメージなんですね。私もやっと、クラスのみんなの言っていることが解りました。エンディングの“It’s a Long Road”が染みます。 本作以降のシリーズのランボーとね、このファースト・ブラッドのジョン・ランボーは違うんですよ。別に人並みにしかアメリカを愛してないし、アメリカの愛なんてデッカイもの求めてないし、ただ戦場で心を痛めたちっぽけな自分を、いつまでも受け入れてくれないことに、驚いて、悲しんでるだけなんですよ。 ランボーを愛しているなら、至高の名作として、そっとしておいてあげるべきでした。特に3と5。そういうトコだぞ。 [地上波(吹替)] 8点(2024-10-21 11:48:31)(良:1票) |
3. ライトスタッフ
《ネタバレ》 “The Right Stuff”『正しい資質=適任』。何かの本でたまたまX-1とチャック・イェーガーの記事を読んだちょっと後に、テレビで本作が放送されてて「あ、コレって、アレじゃん!?」って驚いた記憶があります。チャックだけで1本の映画が出来そうなものの、本題はマーキュリー計画で、まさに映画1本で2本分のボリュームがあり、長尺なのに飽きずに最後まで楽しめました。 まず驚いたのは特撮の質です。'83年の作品で、CGデジタル合成が出る以前の作品。当時は特撮とハッキリ解るブルーバック合成がメインで、明らかに“ウソの映像”と解り、シラケてしまうことが多かったんですが、本作では恐らく、ミニチュア模型による特撮をメインにしているんでしょうね。合成より古い技術ですが、むしろ凄くリアルでした。 マーキュリー計画も米ソの宇宙開発競争がどれだけ熾烈だったかが良く伝わりました。でも、ソ連が先行する→ジェフ・ゴールドブラムが走ってくる→「知ってるよ、座れ」の流れが見事にテンドンになってる。宇宙飛行士の訓練とお猿の訓練をオーバーラップさせるのも上手いし、尿意を我慢するアランにジョボジョボと飲み物のシーン被せるのも巧い。そんな真面目一辺倒じゃない作風から、長時間でも飽きないんだな。 宇宙飛行士7人のうち、メインとなるのは4人。最初に打ち上がったアラン、便意に尿意に色々大変だった人。2番目はガス、ハッチが吹き飛びパレードも大統領の夕食会もなかった人。かわいそう。地球を周回したジョンは3番目、吃音症の奥さんへの愛情がじんわり来る。宇宙で観たホタルの美しさ&不思議さに見惚れたわ。最後が6番目、地球を21周周回したゴードン。4番目スコット、5番目ウォルターは割愛。7人目のディークは病気で飛べなかったそう。でも調べると、それぞれにもドラマがあるなぁ。 話はイェーガーのその後に戻り、“最後の有人戦闘機”ギラギラのF-104が飛び上がる。雄々しく美しい。奥にチラッとF-102が走ってるのも美しい。 時代とともに記録は塗り替えられる。だけど先人の偉業は決して色褪せることなく輝き続ける。 [地上波(吹替)] 8点(2024-10-14 22:57:08)(良:1票) |
4. ラスト サムライ
《ネタバレ》 - The Last Samurai - “最後の侍” 賛否両論は当時からあったけど、例えば007観たあとシュッと背筋伸ばしてスパイ気分で劇場を後にするように、私もこの映画を観て「武士道とは・・・」って、日本人の誇りについて考えなら、ある種日本人であることの誇らしさを感じながら、家路についたっけ。 アメリカ製の日本映画ですね。日本の文化を丁寧に勉強して創ろうという姿勢に、とても好感を持ちます。日本人から観てオカシイところが無いよう、真田広之や原田眞人が積極的にアドバイスをしたお陰か、目に余る変な描写はなかったと思います。 忍者が出てきたりは、いわゆるサービスシーンで、ハリウッドの“必要のないカーチェイス”や“必要のないシャワーシーン”みたいなものだと思っています。 日本人らしいなぁって思ったのが、例えば“たか”が小声で「獣のような匂い、耐えられません」と、自分でアルグレンさんに言うのでなく、信忠に言ってもらおうとする。でも目が合うとついつい愛想笑い。 不満を隠して尽くしてきたたかに「ゴメンナサイ」と夫を殺したことを謝るアルグレンさんに、まるで憑き物が取れたように一筋の涙を落として気持ちを受け入れるたか。この辺、上手いなぁって思った。小雪の演技力も凄いけど、こんなシーン入れてくるアメリカ人、凄いなぁ。 お金の掛けようも素晴らしく、港町の街並みも日本らしい気がする(中国とゴチャ混ぜになってない)し、お侍さんが登場する所で市井の人たち(日本人のみ)が顔を伏せるのも、らしい。 天皇の表現も、穏やかで好奇心旺盛。私腹を肥やす大村のような人間に利用されつつも、最後ビシッと決めてくれるところは心憎い演出。アメリカ人ってみんな日本の天皇(昭和天皇とは別だけど)に、悪いイメージ持っていると思っていたよ。 戦闘シーンも迫力があって、ハリウッド基準で撮られているのも嬉しい。比較対象が13年も古い『天と地』とになってしまうけど、あちらも近年の歴史超大作。日本人が大金を投じて、自分たちの歴史を表現したのが、アレだ。なんかもう、些細な誤解をチクチク言うのもどうかと思うくらい、頑張って創ってくれたなぁって思ってしまう。何だったんだろうパール・ハーバーって。 [映画館(字幕)] 7点(2022-10-11 13:59:29) |
5. ランボー/ラスト・ブラッド
《ネタバレ》 - Last Blood - “最後に流された血”だろうか。1作目のアンサー・タイトル。 今回のランボーは、とても身近な存在、家族のために戦う。と言っても旧友の孫娘だから血は繋がってないんだけど、少なくとも10年とか一緒に過ごした家族のための戦いだ。 骨をめりめり抜き出す、顔が吹っ飛ぶ、刺さる。前作以上にグロい戦闘シーンが多い。と言うことは、前作の戦闘シーンは好評だったって判断だろうか。 軍隊じゃない敵というのも、考えたら初めてか?人身売買カルテルだから、ある意味今までで一番腐った敵かもしれないけど。 やはりあのランボーが敵に囲まれてボコられるというのが、どうにもスッキリしない。無鉄砲過ぎるというか、無策すぎるというか… お陰でガブリエラも余計に痛めつけられてしまった。 ランボーの最後は、前作のスッキリした感じで良かったと思う。あの先に100%ジョンの幸せが待っているとは限らない訳で、そこは観た人の想像に委ねる。で充分だった。ランボーは戦うたびに多くのものを失っていって、前作でやっと、最低限守りたい人を守れたと思う。それが本作で再び守りきれずに終わる。ランボーは家族を失い、自らの手で帰る場所を破壊してしまった。我々の想像に委ねられること無く失われたジョン・ランボーの10年。 何かの事情で続編を創るのは解るけど、もう老い先短いジョンに、これ以上の辛さを与えないで欲しかったな。 [インターネット(字幕)] 3点(2022-10-09 07:47:05) |
6. ラッシュ/プライドと友情
《ネタバレ》 -RUSH- “突進”とかでしょうか?私など'80年代後半のセナ・プロ・マンセル世代なので、ハントやラウダは伝説の英雄でした。 当時の映像なんてほとんど観る機会もなく、F-1グランプリ特集って雑誌を買って、コラムとかで過去の英雄のエピソードを学びました。 '80年代後半のスポーティでスマートなF-1と比べ、スリリングでパワフルだった時代のF-1。2013年にもなって、あの時代の雰囲気を、ここまで再現してみせるなんて思いもしなかったわ。 しかも'76年は日本でのF-1グランプリ初開催、いわゆる日本での“第一次F-1ブーム”真っ盛りの年。ナショナルカラーやスポンサーカラーに彩られた美しいマシン。ティレル6輪車に代表される異形のデザイン。生と死の隣合わせ、命懸けのドライバーの魅力。F-1の長い歴史の中で、この'76年を選んだのは正解だったと思う。 デパイユ、レガツォーニ、クリスチャンじゃない方のフィッティパルディ、マイケルじゃない方のアンドレッティ。名前を聞くだけで「おぉ!!」ってなる。エンツォ、ルカ、ポストレスウエイトなんて第二次F-1ブーム時にもよく聞いた名前。歴史は続いていくんだなぁ。 レース毎に仕様を変えるマシンもかなり再現度が高かったと思う。スローで観るとウイングとかカウルとかがフルフル揺れるのが当時のF-1。スタート時に後輪が空転して膨らむところとかも、さすが実写。ティレルP34のカウル、富士スピードウェイの時だけの“たいれる”表記。こんなとこまで再現したって誰が気がつくの?ってトコまで頑張って再現している。どうせならリジェ前半戦の巨大インダクションポッドも再現してほしかった、なんてワガママか。 若い頃のハントとラウダが出会うF-3レースの再現度からして、この映画凄すぎだと思う。 ラウダもハントも似てる。ラウダについては『グッバイヒーロー』ってドキュメント映画で割と詳しく紹介されていたので、奥さん含め、ホント似てるなぁって。そして生々しい火傷の治療はラウダの執念にも似たレースへの思いを感じさせた。 ハントは、映画観てると格好良いなぁ。でも実際のハントは、私の好きなパトレーゼへの長年の嫌がらせを知ってしまって、正直好きじゃなかった。 細部にディフォルメや盛ってる部分はあるだろうけど、こんな凄い映像で再現してくれたことに感謝。こういうF-1映画をもっともっと創って欲しいわ。 [インターネット(字幕)] 7点(2022-09-17 18:21:12) |
7. ランボー/最後の戦場
《ネタバレ》 1作目にランボーって邦題を付けた日本では- John Rambo - が原題だけど、アメリカとかでは本作が -Rambo- だったそうな。 オープニングから(たぶん)本物の死体映像とかが出て、映画が始まっても地雷を撒いた田んぼを捕虜に走らせて爆散させるとか、ちょっと重たい感じ。 ランボーといえば孤独な戦争アクションヒーローってイメージ。それは2と3で根付いてしまったイメージかもしれない。2→3の流れ、マンネリ感からシリーズの続編は作られてなかったけど、ここに来て急に“人の手足がちぎれて血煙になって吹き飛ぶ”目を背けたくなるリアルな戦場を再現されたのでびっくりした。ランボーなのに。 ランボーが戦う理由。1では自分を守るための戦い。2では自分の過去と向き合う戦い。3は…すみません覚えてない(大佐を救うためだったけど、それだけだったかどうか…)。 3は飛ばして本作のランボーはサラ(他人)のために戦う。ミャンマーの軍事政権が許せないんでなく、たまたま出会って共感できた人を救うために戦った。 そう考えると、1はベトナム帰還兵の身に起きていること。2は娯楽作寄りとは言え、戦場の行方不明者の現状を。3は…すみません覚えてない(アフガンに展開中のソ連軍の何か)。 3は飛ばして本作はランボーの活躍を観せる映画というより、ミャンマーで現実に起きていることを、世界に広く伝えることが目的の映画みたいだ。 今回のランボーは、ミャンマーの問題解決のキッカケを作るでもなく、自分の目的を達成すると、メッセージ的な事を何も言わずに帰って行った。オープニングからの残酷な映像が、ランボーに語らせるまでもなく、何が必要かを語っていた。 正直言って、ランボーでなくても成立するストーリーなんだけど、マンネリ化して立ち消えたシリーズの心残り。戦場でしか生きられない悲しい男の話で終わっていたところに、長年ファンが観たかった映像を、最後のアメリカのシーンで観せてもらえた。長かったランボーの戦いが、ようやく終わった。 [DVD(字幕)] 6点(2022-08-26 20:44:49) |
8. 乱
《ネタバレ》 戦国時代と江戸時代の明確な区別も付いてない子供の頃に、初めてこの映画を観た時、武士が殺される様子が生々しすぎて、めちゃくちゃ怖かったな。お茶の間でよく流れてる“時代劇(斬られたら踊りながら倒れる。服切れてない、血出ない)”の、ちょっとお金の掛かった作品かな?くらいに思っていたので、血が飛び散り、死体が転がる世界観に衝撃を受けた。血まみれの城内、密集して走る騎馬、空を埋め尽くす火矢、燃え落ちる城。 音楽もオドロオドロシイし、全然私の知っている時代劇の範疇じゃない、むしろコレ戦争映画だ。 この作品の他に戦国時代の映画で、ここまでお金の掛かった、観てて怖い映像って、他にあるのかな?思い付かないな。 子供の私にも話の大筋が分かり易く、親兄弟が家督が原因で争う顛末は、どこかおとぎ話の教訓のよう。 久しぶりに観たけど、映像の美しさは際立っている。ザワザワと波打つ草原、ムクムク増える入道雲、砂地に流れる雲の影、だいだい色に染め上がった夕焼け。この自然を撮るためにどれだけの時間を要したことか。黄、赤、青、登場する色鮮やかな武士たちの布陣の美しいこと。 『リア王』を基盤にしているそうで、映画の中で舞台劇らしさを表現したんだろうか。 面白い事にこの映画には、町人や農民といった、劇の内容と無関係な群衆が一切出てこない。三郎のお城も、普通なら城下町があるだろうに、寂しい砂地の辺鄙な所にあるのも、“余計な情報を描かない舞台劇”だと考えると納得が出来なくもない。 劇中、アップで映るのは一文字の一族、楓、鉄(クロガネ)、狂阿弥くらいか?それ以外の役者の顔アップは殆ど無い。末の方が秀虎にどんな表情をしていたのか、それどころか末の方が宮崎美子であることも解らないくらい、寄らない画造り。この辺りの撮り方も、自由に寄ったり出来ない舞台劇を意識してのことかと思われる。劇場の大画面で観ていたら、表情の違いも観えたのかな。 ほぼ素っぴんメイクの役者陣に対し、城が襲われたときからの仲代達矢だけは、狂気の形相を白粉やドーランで表現している。眼の前で繰り広げられる地獄絵図と同時に、主人公秀虎の精神も地獄に落ちたという表現だろうか。対象的に悶え苦しむ武士たちは地獄に落ちた餓鬼のよう。 原田美枝子演じる楓の方の、凄みのある抜刀と怒声。高笑いから一転して脅迫、色仕掛けに入る絶妙な間。そして最後の泣き落とし。井川比佐志演じる鉄のすっとぼけた態度と痛快な台詞回し。この二人の、殿である次郎の頭越しに繰り広げられる闘いが見事。 借り物であるリア王リメイクの主役は秀虎だけど、純粋なクロサワ映画の主役はこの二人ではないだろうか。 黒澤監督が鉄役を高倉健にしたかった理由も解る。 [地上波(邦画)] 8点(2022-04-03 13:50:10) |
9. ラストエンペラー
《ネタバレ》 ~The Last Emperor~末代皇帝。300年に渡る清朝の最後の皇帝となった溥儀の生涯を描いた映画。溥儀は満州国の初代と末代の皇帝でも、あるね。 日曜洋画劇場で2週に渡って放送されたの(当然吹き替え版)以来、久々の鑑賞だったけど、まず驚いたのがみんな英語で話していること。最近は現地人は現地語で再現されることが多いから、一昔前の映画に感じられた。 セットの豪華さが凄い。西太后が崩御する部屋の豪華さ。即位式のスケール。お隣だけど異国の文化感、大陸の王朝の大きさが良く出ていた。…もっとも、映画撮影のための想像や創作の部分もかなりあるんだろうけど、ただただ装飾の美しさと様式美に圧倒される。 溥儀の皇帝として我儘と権威っぷりを観せて、実は紫禁城の中だけの皇帝だと知らされ、国内で最も力ある存在から、乳母のアーモ1人すら奪い返す力がないことを見せ付ける“一瞬にして突き落とす”観せ方が酷い。 溥儀が力(当然の権利)を示そうと、宝物庫の目録作成を指示しながら、辮髪を切る時の目ヂカラ。西洋人に劣らない貫禄と美しさのジョン・ローンだからこその名場面。カッコイイ。 これが子供向けの偉人伝だったら『紫禁城を追い出された溥儀は、天津で楽しく自由に過ごしましたとさ。』で終わりそうなもの。その後は何とも不幸の連続のような人生。ここまでで17年。ここから戦犯としてハルビン駅で自殺を図るまで25年くらい。前半に比べ後半が短い気がする。もっとも、辛い内容が多いので映画的なバランスを考えると微妙だけど。 老人になった溥儀が子供にコオロギの壺を渡すシーンが、何とも幻想的で忘れられない。 [地上波(吹替)] 7点(2021-06-27 19:39:57) |
10. ラ・ブーム
《ネタバレ》 ~La Boum~ホームパーティ。 ソフィ・マルソー(13)の可愛さをひたすら堪能するアイドル映画。41年も前の映画なのに、ソフィの顔つきもスタイルも今の目で見ても全然可愛いから驚きだ。もっと言えば出てくる女の子も男の子もみんな今の基準で可愛い。…そりゃホームパーティにダサい子やヲタクは呼ばれないのかもしれないけど、オシャレの最前線おフランス恐るべし! この『ブーム』というパーティの文化。日本のお誕生会なんて可愛いものでなく、タバコもキスもハグもあり(お酒までは行かないか?)で、13歳の子が集まって、夜な夜なこんな事をしているなんて日本だとPTAが黙っていない。親が車で送り迎え。「見つかったらブチ壊しだから出てこないでね」そう言われてこっそり隠れる親。なんて理解がある親というか、親公認の文化なんだろう。 良い意味で子どもと親の距離が近いんだな。日本だと親に隠れてコソコソするところを、ある程度オープンにやっている感じ。日本に比べ、罪悪感の境界線がもう少し緩いんだろう。でも親に言えない一線『デート』はキスの隠語とか、フレンチ・キス発祥の国(知らんけど)おフランス恐るべし!! 「ウチの女房に手を出すな!」間男を助けて殴れるお父さん(お父さんがフランソワ、お母さんがフランソワーズとややこしい)、そこより学校の前で娘の彼氏マチューを殴れるの、カッコイイ。時代もあるけど日本だと難しいアクション。 エンディングの男の子が誰だったっけ?ってなったけど、ヴィックがマチューのハートをメロメロに掴んだら、もう次のイイ男に照準合わせてるって意味だったのね。性の先進国おフランス恐るべし!!! [CS・衛星(字幕)] 5点(2021-06-12 15:50:05)(良:2票) |
11. ラヂオの時間
《ネタバレ》 面白い!誰かの身勝手な都合で、内容がどんどん改変されて行く過程で、ラジオドラマの原作と言える「運命の女」が実はどんな話だったか、なんとなく見えてくる辺りが上手い。 主人公の職業とか、ストーリー上特に重要じゃないように見えるけど、鈴木みやこ先生自身がモデルだと解ると、そりゃ拘るよな…って納得してしまう。 どうでも良い内容のラジオドラマで、作者は素人。それでもプロの仕事をする現場スタッフ。色んな感情がありながらアドリブで乗り切る芸能人。保坂アナが最後の出演発表に、みやこ先生の夫を入れる演出が何とも憎い。 収録中、みんなが面白くない思いをしながら作っているのに、終わってしまうとみんな満足そうなのが、観ているコッチも一緒に満足感を味わわせてくれる。 唯一、今回の結果を面白くなく思っている牛島。『いつかみんなが満足するモノを作る』夢。たった一人だけど、わざわざ感動を伝えに来たトラックドライバーが救いになってるのも、ベタだけどイイ。…渡辺謙、大型トレーラーのバック操作が出来るんだな。 掃除婦が宮本信子だったなんて気が付かなかったから、種明かし的に嬉しい出演者の紹介だった。 90年代後半のお洒落な空気も味わえて、すごく得した気分だ。 [CS・衛星(邦画)] 8点(2021-04-30 01:45:20) |
12. Love Letter(1995)
《ネタバレ》 ~Love Letter~恋文。愛を告白する手紙…って甘酸っぺーなーもう。 手紙文化が滅びつつある今でも、たぶん、まだ多少は使われるであろう“手紙で告白”という手段。 時代設定が私の世代に近く、回想シーンの学校風景から女の子の髪型まで、みんな懐かしく思えた。デジカメやカメラ付き携帯が普及するちょっと前って、ネットで検索しても当時の画像とかあまり出てこない。当時の写真とかは、まだそれぞれの家庭のクローゼットに眠っているんだろう。 樹たちの中学時代の描写がとても綺麗。自転車のライトで答案用紙見るシーンなんて、そんな体験が無くても懐かしさを感じさせる。薄氷の張る丘を滑り降りる樹の美しさも忘れられない。 家が国道になる…そうそう、札幌から小樽に向かう国道5号線はかなり危ない道で、昔は冬道の事故が多かったけど、私が免許を取る頃には走りやすく改装された。って聞いた記憶がある。 同じ顔の二人、同じ名前の二人、死んだ人に手紙が届き返事が来る。ちょっとしたミステリーが適度に興味をくすぐって序盤からグイグイ楽しめた。 タクシー運転手の「似ているなぁ…」はあったけど、博子は免許証の写真、卒業アルバムの写真を実際に見てるのに義母に「私に似てますか?」って聞く辺り、博子と樹はそんなに顔が似ているわけではないんだろう。実際に中山美穂が一人二役を演じているが、決して瓜二つとかではなく、二人はきっと空気や匂いなんかが似ていて、樹(男)は、そういう女性を好きになったんだろう。 主役意外の登場人物がしっかり描けているのも楽しい。強烈キャラ及川早苗は、彼女で一本映画が撮れそうだし、家の取り壊しは妥協できても、病院まで走るのは譲らないお爺ちゃんも面白い。 生徒全員を覚えている浜口先生は恩師の鏡。ネットが普及していないあの時代に、生徒のその後(しかも転校している)まで気に留めているなんてスゴい。 漫画やアニメっぽくもあるけど、登場人物のほんのちょっとした厚みが、それぞれの人にも物語や想いがあることを感じさせ、作者が書きたいメインテーマだけ強調した、その辺の物語とは一線を画す。 文通から中学時代の甘酸っぱい思い出を思い出し、実はその人が亡くなっていたことを後から知る。 最後、図書館の本にラブレターが挟まってる?と思ったが、貸出表の裏ってのがすごくイイ。誰も借りない本の裏に込められた想い。 仕事もサボりがち、実家からも出ていかない。日々を適当に生きていた樹の人生、ここから先大きく動き出すんだろうな。 [CS・衛星(邦画)] 9点(2021-04-24 15:45:49)(良:1票) |
13. ライフ・イズ・ビューティフル
《ネタバレ》 ~La Vita è Bella~人生は美しい。どんな生涯であっても、その人の捉え方、与え方次第なんだな。 息子ジョズエに優しい嘘を言い続けるグィド。ドーラと付き合っていた時からそうだった。人を楽しませる嘘。 空から鍵が降る、乾いた帽子に取り替えられるなど、種明かしをすれば『なぁんだ』ってなる。 映画では描かれていないけど、ドーラも後々、あれがどうして起きたか知るんだろうけど、起きたその瞬間に奇跡を感じることが、人生の美しさなのかもしれない。 それは収容所での優しい嘘にも言えて、映画では描かれてないけど、ジョズエも後々、あれがどうして起きたのか知ることになるだろう。 子供と老人が粛清された収容所で、本当に息子を隠し続けて生きられるのか?とかリアリティを追求されると、冷めてしまう人も出るかもしれないが、ホロコーストを後年に伝える手段として、この作品は例えるなら伝記や小説ではなく絵本のような作品だ。 若い子がこの作品をキッカケに、後々映画やドキュメンタリーなどで、なんでホロコーストが起きたのか知ればいい。興味があるなら。 今は戦中とかではないけど、コロナとか仕事とか色々大変みたいなんだけど、今日は何をしても良い休日で、いま私は素晴らしい映画を観て、こんな駄文をノンキに書いている。 もしかしたら後々「あの日あのとき、実はね…」『え!そうだったの?』なんて種明かしがあるかもしれない。 どんなカタチであれ、きっと人生は美しいんだな。 ところで、なぞなぞの答えは何だったんだろう? [CS・衛星(字幕)] 8点(2021-04-18 10:53:08)(良:1票) |
14. ラ・ラ・ランド
《ネタバレ》 ~La La Land~ちょっと狂ったタイトルで、造語だとしたら歴史に残る名タイトルなんだけど、既存の言葉らしい。 『現実的でない陶酔状態』とか『夢の国=LA(ロサンゼルス)≠ハリウッド』 底抜けに楽しいオープニングのハイウェイのダンスから、カラッとしたミュージカル・コメディかと思ったら、意外にも切ない物語だった。 これはもしや、後半の走馬灯のような~if~のシーンが現実で、映画の本筋が妄想なのでは? 売れない女優のタマゴが、たった一回限りの、しかも大失敗した一人芝居で注目されて主演に抜擢、5年後は大女優に… 本格ジャズが売れない時代に、片手間で参加したバンドが大ヒットして、夢だったハリウッドのジャズ・バーを買い取って繁盛させる… う~ん…そんなに上手くいくか?って思ったけど、本筋が妄想だと辻褄が合わない事が多く発生するので、そのうち再検証したい。 なので、あの~if~のシーンは、セバスチャンからミアへ『有名女優になる君の夢は、きっと僕と付き合い続けても、別れても、どんな道を辿っても絶対実現できたよ。でもハリウッドのジャズ・バーのオーナーになる僕の夢は、君と別れないと実現できなかったんだ。これで良かったんだよ、君は後悔しないで良いんだよ』って意味に捉えよう。 店の名前が“チキン・オン・ザ・スティック”じゃなく“セブズ”なのは、セブのミアへの未練だろうか?感謝かな。 男優、女優、ミュージシャン、シンガー、ダンサー。自分の夢を実現すべくハリウッドに向かう希望に溢れたタマゴたちで、ハイウェイは大渋滞だ。 心の中で笑顔で踊る夢を抱きながら、現実は我先に目的地(地位と名声)に行こうとクラクション(競争)の応酬。成功者はほんの一握り… そう思うと底抜けに楽しく見えたオープニングも切ないな。 渋滞する夜のハイウェイから降りることで二人が再会するのも、競争から抜けるって意味だろう。 なんか無性に『マルホランド・ドライブ』を観たくなったぞ。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2021-04-17 13:12:25)(良:2票) |