1. リンダ リンダ リンダ
冒頭に登場するビデオカメラの少女が観客に向かって宣言するように、さらに横移動で捉えられる学校の風景とそこに生きる高校生たちの姿は、ここが特別な場所の特別な時間であることを示している。ある人にとっては過酷であったり、甘美であったり、郷愁を誘ったり、もしかしたら今まさにそこに立っている人もいるであろう特別な場所と時間。しかし、その中に生きる高校生たちにとって、それは特別でもなんでもなく、ごく日常的な平凡な時間の積み重ねでしかない。■そんな特別だけど平凡な一瞬を私は見続けることとなる。事件が起こる訳でもない、物事が都合よく説明される訳でもない、ただ平凡な日常の断片が切り取られて提示される。例えば私は、告白する男子とそれにとまどう女子の姿を窓の外から覗き見る、バンドに誘われて訳もわからず返事をする女子の姿を壁に囲まれた枠越しにそれを眺める、あるいは顧問の先生のようにビールを飲みながら、ある種のノスタルジーを覚えながら彼女たちの練習に耳を傾ける。そんな平凡だけど特別、特別だけど平凡な時間の連なりを眺めることの心地よさ。■そして一人の少女が誰の目にもふれえない場所へと赴く。スキップをし、両手を広げ、「フランクフルトいかがですかぁ~、焼きそば、おいしいすよ~」という言葉を聞いているのは私たち観客だけだ。そして彼女は観客に向かって声を張り上げ「仲間」たちを紹介する。このシーンが素晴らしいのは、眺めるだけの存在であった私たちが彼女との時間を共有するからだ。彼女が話しかけているのは誰もいない体育館ではなく、私たち観客なのだ。■あるいは大勢の観客を前に逡巡する彼女は、突然後ろを「仲間」の方を振り返る。私は舞台の上の彼女としてではなく、まるでバンドの一員であるかのように眼前にそれを目撃する。そして唄う彼女、演奏する彼女たちを舞台の袖から見続けるのだ。■この映画が描くのは郷愁ではなく、現在の時間です。現在の時間として、人生においてまさに特別であった場所、特別であった時間を共有することの素晴らしさ。できればいつまでもそんな時間を過ごしていたいと思う。彼女たちや先生や、「あ酒ですか?」とか「OK?」とか言ってる間の抜けた男子たち、茶髪の留年女子、この映画に描かれるすべてと別れる、その痛みに、ブルーハーツのオリジナル曲が流れても涙が止まらなかったとです。 [映画館(字幕)] 10点(2005-08-01 01:14:04)(良:5票) |