1. リバーズ・エッジ
《ネタバレ》 森川葵のものと思しき、カバーを掛けられた焼死体を凝視する吉沢亮の微妙な表情変化の凄み。 これが、本作のベストのショットだろう。 劇中で幾度も煙草をくゆらす二階堂ふみだが、夜の工場群から吹き出す炎などとの押韻効果はあるとしても ちょっと不良ぶった行為の提示以上のものを見いだせない。 映画としての喫煙なら、やはりもっと紫煙を画面上で活かすべきだと思うが。 [映画館(邦画)] 5点(2018-02-25 16:27:02) |
2. ReLIFE リライフ
《ネタバレ》 作劇上、親が邪魔なのは解るが、近ごろのこのジャンルはどれもこれも排除が徹底されていて、それでいいのかとも言いたくなる。 学園祭に夏祭りと、イベントの貧困さもどれもこれも一緒。もっと世代ギャップを活かしたユーモアが欲しい。 説教くさいメッセージ連呼ばかりが目立ち、鬱陶しい。 夏祭りに降り出す雨。卒業旅行の夕日。それを6人が横並びで見つめる後姿のショット。 雨の中を一列になって走る、バスを追って一列で走るなど、情緒豊かなシーンが多々あるのがいい。 [映画館(邦画)] 5点(2017-05-06 17:42:04) |
3. 両棲人間
《ネタバレ》 いわゆる半魚人である主人公が彷徨う街の色彩に満ちた風景や衣装はメキシコ風、流れる音楽も人種も雑多、そして会話はロシア語という、 とりあえずエスニック風とでも呼ぶのが相応しい渾然とした情緒がある。 ヒロイン:アナスタシア・ヴェルチンスカヤも可憐なダンスを披露してとても魅力的だ。 水中シーンも豊富で、男女が碧い海中を泳ぐイメージシーンなども美しく優雅だが、ダンス風というよりは体操的な動きを 志向している風にみえるのがロシアファンタジーの味だろう。 ラストの夕暮れの海岸シーンが、太陽が沈んでいく際を背景とした恋人たちの別れの芝居になっており、その夕陽の光がなんとも哀切である。 [DVD(字幕)] 6点(2016-10-21 23:57:59) |
4. リップヴァンウィンクルの花嫁
《ネタバレ》 『大丈夫であるように』、『KOTOKO』に続いて映画に登場するCoccoに関する芝居やキャラクター設定はあて書きとしか思えない。 彼女本人の素のイメージにかなり近いのではないか。 黒木華のイメージについてもそんな印象だが、インタビューによると性格的には全く違うらしい。 が、何気ないシーンで彼女が見せるまるでアドリブのようなナチュラルなリアクションの数々は、俳優イメージとすんなりシンクロする。 くしゃみやしゃっくりの芝居などは実はかなり難しいものだと思うのだが、そうした些細だが人間的な生理を自然体でこなしてしまうところもポイントが高い。 森田童子を歌う彼女もなかなかにハマっている。 映画冒頭の待ち合わせシーン。携帯端末画面上の文字を羅列して、それをさらに音読するという流行りの表現にはどうしても馴染めない上に、 待ち合わせの映画的処理としても相応しくないと感じるのだが、その後にノートPC上での(相手を見せない)対話を幾度も重ねる演出を 鑑みると、これもまた歪なコミュニケーションの表現手段ということなのだろう。 誰と誰は向かい合って座るか、誰と誰は横並びに隣り合って座るか、そうした配置もよく考慮されているようだし、 浅い深度ながらも水槽や窓や鏡を使ってところどころで画面を重層化している。 そしてラストは木々が揺れる窓外へと踏み出す、と。 絵面的には全般的に弱いように見えるけれど。俳優らの佇まいと物語の流転に惹かれる形で見飽きない。 [映画館(邦画)] 7点(2016-06-08 23:50:08) |
5. リリーのすべて
《ネタバレ》 『英国王のスピーチ』でのコリン・ファースの頼りなげな映画ヒーローぶりを大きく補佐していたのが、 ヘレナ・ボナム=カーターの魅力的な映画ヒロインであり、彼女の描写あってこそ主人公のコンプレックスも魅力に転化し得たといえる。 ここでも構造は変わっていない。エディ・レッドメインを献身的に見守るアリシア・ヴィキャンデルの表情を介することによって、 二人のドラマへの共感を促さんとする。そして、彼女も明快な心理的表情でもってよくそれに応えている。 例によって、映画は表情のクロースアップ主体。それによって衣類の肌触り・触覚性もまた拡大化されている。 密会場所となる集合住宅地の無味乾燥な佇まいとパースをつけたシンメトリックな縦構図や沼地の情景など、いかにも抽象的なロングショット が時折そこに挟まれるという具合だ。 ラスト、ようやく晴れ間を見せた空に舞うストールが主人公の開放を暗示する。 [映画館(字幕なし「原語」)] 4点(2016-03-21 20:26:04) |
6. リトルプリンス 星の王子さまと私
《ネタバレ》 直線と四角形を中心に構成される、グレーを基調とした無機質な街。そこでは、生垣の緑までもが立方体である。 そこに越してきた少女が隣の老人宅を訪ねると、カラフルな円形のパラシュートが彼女を優しく包み込むシーンがまずは感動的だ。 『星の王子さま』の登場、そして少女の冒険が始まるとともに、放物線や円のイメージがさらに広がっていく。 原作パートはその挿絵のイメージを活かしたストップモーションアニメだが、これが何とも味わい深い。 風に揺れる草葉の動きが一本一本細やかに表現されていて、その手作り風の温もり感覚がCGパートとの対比でより際立っている。 大人の街のダークなムードやビッグアイズなどはティム・バートン風の趣だ。 少女が操縦桿を握る紅の翼が夜の街を飛ぶ。サン=テグジュペリのあの『夜間飛行』の世界がそこにある。 [試写会(吹替)] 7点(2015-11-12 23:32:57) |
7. リアル鬼ごっこ(2015)
《ネタバレ》 折角の85分という魅力的な上映時間を長く感じさせてしまうのはNGだろう。 オープニングの空撮には『シャイニング』、羽毛のモティーフは『新学期 操行ゼロ』を連想させ、 ヒロインは『幻の湖』のように疾走しまくるが、後半は文字通り失速してしまう。 羽毛が宙に舞い、枯葉が巻き上がる前半は健闘するが、それも後半には露骨にメタファーと化し、 風は吹き止み、説明へと至る。 ヒロインの運動神経の鈍さは見るからに歴然だが、鈍いなりにもう少し見れる走りをして欲しい。 懸命に走っているつもりなのはわかるが、それでも生温い。 そうでなければ、後半の叫びも運命を変える決意も響いてこない。 [映画館(邦画)] 4点(2015-07-20 14:01:50) |
8. 龍三と七人の子分たち
《ネタバレ》 玄関先で木刀振りする藤竜也を覗き見していた子供達が一目散に画面右手の登り坂を 駆け上がっていくのを追いかけるカメラとか。 その逆に、門を出て左手に下っていく車を追いかけるカメラとか。 従来のスタイルならそういったものには無頓着にカメラを引いて固定したまま 構図を維持したはずだと思うのだが、 そうした些細ではあるが意図を量りかねるカメラの動きが多々あって少し戸惑わせる。 その屈託の無い目移りぶりが逆に作品の緩さらしきものになっているともいえるか。 競馬場でのギャグなども、『菊次郎の夏』の競輪場で繰り広げられたそれの釣瓶打ち と比べるといかにも緩い。 かと思えば、小気味良い台詞廻しとカッティングの合わせ技も随所で垣間見せ、 遊戯感覚溢れる逸脱と変転によって結果的に程よい弛緩と緊張を維持している。 [映画館(邦画)] 6点(2015-05-26 00:01:37) |
9. リベンジ・マッチ
折角のファイトシーンも俳優のシェイプアップも、 ロッキー完結編のインパクトの後ではかなり分が悪い。 トレーニングメニューや練習場所のロケーションも様々に趣向を凝らすが、 これもやはり二番煎じだ。 それでも随所に散らばるユーモアがいい。 それらの積み重ねが、逆にふとシリアスになるシーンを活かしている。 特にアラン・アーキンの軽妙な芝居が絶品だ。 [映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2014-05-03 00:17:16) |
10. リアル 完全なる首長竜の日
《ネタバレ》 中谷美紀によってあっさり説明されるフィロソフィカル・ゾンビなるものの特殊効果も 得体が知れてしまえば不気味さ半減。 ゆらゆらと溶け出す都市も、具象化された首長竜のスペクタクルも 種明かしされてしまえば恐ろしさ半減。 いかにも高予算のはずの大仰なCGが、綾瀬はるかの柵越えのアクション一つに敵わない。 黒沢作品では恒例の「日常的な異世界ともいうべき」(上野昴志)車中のシーンも、夢という設定が課されている本作の場合、逆に味気なく映る。 曇天の波間に揺れる赤い旗。背後の廊下を渡る人影を暈す半透明の蚊帳。 廃墟のロケーションに漂う詩情。 そうした即物的な佇まいの画面にこそ只ならない 凄みと迫力が宿っているという転倒がある。 [映画館(邦画)] 6点(2013-11-27 22:10:22) |
11. リンカーン
窓の明かりや、室内ランプ、蝋燭、街頭を光源として点在させる審美的画面の連続に、 採決の瞬間にはおそらく溢れる光が主人公を包むのだろうと予想がつくし、 これらの小さな炎は例によってどこかで人物と重なり合うだろうと 思いながら見ていると、 臨終シーンのダニエル・D=ルイスに重なった蝋燭の炎が大きくオーヴァーラップして 演説シーンの群衆に繋がり、誰でもがそれとわかる意味性を帯びるという具合だ。 強められたメッセージとたちの悪い審美主義が画面をスタティックに固定し、 中心化させている。 議場を出ていくトミー・L・ジョーンズや、 血の滴り落ちる荷車を追うジョセフ・G=レヴィットの歩み、 あるいは様々なニュアンスを含む「帽子を取る」というアクションの反復が 時折その固定化を阻む動きを見せるが、 総体としてはダイアログと顔芸に重きを置くという意味で、テレビ的である。 そして、困ったことにその権謀術策の駆け引き自体に映画的スリルを欠いており、 ドラマは平板だ。 主人公の来歴についてもフラッシュバック等を用いず現在進行形を貫く試みは潔いが。 [映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2013-05-01 01:06:38) |
12. リリオム
《ネタバレ》 自殺者として天国で裁きを受けるリリオム(シャルル・ボワイエ)。 彼が生前に妻ジュリー(マドレーヌ・オズレ―)を殴ったときの記録映像が 証拠として映し出される。 ドイツから亡命したフリッツ・ラングがフランスで撮ったファンタジー作品で、 表現主義的要素などは希薄だが、劇中のシーンが証拠映像として用いられるといった 趣向が「裁き」の主題系と共に渡米後の作品との繋がりも感じさせて面白い。 回転木馬上で出会う二人の、花一輪を巡る手のやりとりから、 リリオムがナイフを自分の胸に突き刺した瞬間、自分の胸に手をやるジュリーの手の動き、 そして運び込まれた瀕死の彼の手を優しく撫でる彼女の手の動きと、 相手への想いを語る手のアクションが全編通じてとても豊かだ。 ルノワ―ルが担当した音楽は、遊園地での陽気な歌の部分だろうか。 仲間だったリリオムの死を悼んで、その遊園地の面々が黙祷を捧げる静かなシーンや、 死んだ彼が夜空を昇天していく幻想的な特撮シーン、 ラストの二人の表情も美しい。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2012-09-24 05:38:32) |
13. リアル・スティール
《ネタバレ》 ヒュー・ジャックマンのシャドーボクシングや、ダコタ・ゴヨのダンスにピタリと同調してみせるロボットの運動リズムに視線がシンクロしていく快楽と官能性。 小津『父ありき』の川釣りシーンでの父子の運動や、『東京物語』でバスに揺れる乗客たちの同調運動の快感を思い出しても良い。 ロボットが二通りのトレースをする根拠は映画の中盤とラストで少年の口からはっきりと説明されているとおりであるが、そうした説話上の合理的根拠付けもしっかりと行いながら、その使い分けが各ショットにおいて同調運動の官能性をより高める形で選択されている事こそ重要である。 向かい合う少年の動きに合わせ同方向に小首をかしげてみせるロボットの、機械的であると同時に人間的でもある動き。ブルーの眼の輝き。ロボット側頭部で回っているファンのレトロなモーター音。その静かなショットに流れる繊細な情感がいい。 雨の上がった朝方の街道で、手押し車でロボットを運んできたダコタ・ゴヨがヒュー・ジャックマンに無言で殴りかかるショットの構図や距離感など、地味にいいショットも随所に散りばめられている。 そして最終ラウンド前のインターバル。音声認識を失ったロボットへの台詞「Watch Me」の響きとともに「見ること」の主題が立ち上がる。 リングサイドで三者の視線の交錯がスローで連なっていくリズムが断然素晴らしい。 視覚の交流。やはりスピルバーグの映画である。 [映画館(字幕)] 8点(2011-12-30 23:09:16) |