3. ワルキューレ
《ネタバレ》 恐らく誰もが言うだろうが、ゲッペルスが青酸カリらしきものを口に含むシーンや、トム・クルーズ演じるシュタウフェンベルクが失われた左手を高々と挙げて「ハイルヒトラー」と叫ぶシーンであるとか、そして電信所の女たちが総統の死の知らせを知り「ハイルヒトラー」という様に手を挙げる様などが素晴らしい。 この映画の簡潔さ、例えばシュタウフェンベルクの家族に対する愛情というのを鬱陶しく描かないことからもわかる通り、個々の内面、ひととひととのぶつかり合いや葛藤などという今更という陳腐なことを描くナチス映画ではないことを雄弁しているだろう。こんなにも簡潔な映画の中でひととひととのぶつかり合いなどという面倒被ることを延々と描いてもつまらないだけだ。この登場人物たちは互いを理解し合って決起するのではなく、軍事クーデターを行うということに感染して集うだけの駒だ。シュタウフェンベルクが暗殺を行い戻ってきてから、皆が同士である印のカードを次々と取り出すシーンなどは正に感染でしかない。軍事クーデターを行うことが重要であって、理解を深めることは問題ではないのだ。だから極端な話をすれば、この映画は「ワルキューレ」なのだから、ワルキューレ作戦が描かれていればいい。シュタウフェンベルクでさえもこの映画においてはワルキューレ作戦に感染した駒のひとつだ。彼は現実、今や英雄かもしれないが、この映画での彼の最期は国を愛する正義というよりは、ワルキューレ作戦という軍事クーデターに雄叫びをあげて殉じた狂信者としか映らない。ただそれでいい。「ハイルヒトラー」と叫んで死ぬか、「ドイツ万歳」と叫んで死ぬか、このふたつは簡単に入れ代わりが可能なほどの差異なのだ。 ただ、この事実を忘れてはならないということ、それを終幕直前のふたつのショットがそう言っている。 ひとつめはシュタウフェンベルクが処刑され、地面に倒れた時のクロースアップ。彼の目は閉ざされることなく、こちらをじっと見つめている。 ふたつめは一度登場したショットの続きとなるラストショット、シュタウフェンベルクのアイパッチをした左側頭部を入れ込んだ、彼の妻との別れのときのショットだ。 このふたつのショットは明確に示している。刮目せよ(忘却するな、という意も込められているだろう)、あなたたちはわたしの左目となって事実を目撃したのだから。 それでこの映画は充分だ。 [映画館(字幕)] 8点(2009-04-15 00:57:36)(良:2票) |