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1.  チャイナタウン 《ネタバレ》 
映画館での4Kリマスター上映。1974年(50年前!)の作品ですが、映像の精度も高く、効果音や音楽のバランスも古さを感じさせない。とくに、ラストのチャイナタウンのシーン。暗い闇のなかに浮かび上がるチャイナタウンの灯のコントラストが素晴らしく、去って行く車と銃声、そして響くクラクションと悲鳴へのシークエンス。ここは4K版を劇場で見てよかったと思わせるクオリティでした。  映画の内容は見事。ジャック・ニコルソン演じる探偵とともに、勃興期ロサンゼルスの水道利権、権力と欲、暗躍するギャング、緻密に罠が張り巡らされた物語を追体験していく。飄々としながらも失意に終わった過去(これが表題の「チャイナタウン」として繰り返し語られる)と向き合う主人公、立場が二転三転するヒロインのフェイ・ダナウェイ、怪演と呼ぶにふさわしいジョン・ヒューストンなど、印象的な登場人物たちの謎めいたやりとりを楽しんでいるうちに、徐々に事件の核心へ。  初見時は、いつ『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』的な中国マフィアが出てくるのかとドキドキしながら見ていたものでした。でも、結局事件には「中国人」が絡むことがないまま、単にラストシーンの舞台になるだけ。ただ、作品内では探偵ジェイクの苦い過去として言及され(ただし、具体的に何があったのかを語らないのが、この脚本の優れたところ)、ままならない、容赦のない現実のメタファーとして機能している。だから、主人公がいろいろ奮闘したのに結局は最悪の結末が訪れるラストが「チャイナタウン」の遠景で終わるのは、なんというか現実の残酷さをしみじみと感じます。  「怠けものの町」というのは、誰も自分のやるべきことを果たさない場所、ということでしょう。ロサンゼルスは、辺境の砂漠で都市計画もろくにないまま、鉄道・水道・道路などのインフラを押さえた権力者たちの手によって作られた都市。その権力のもとでは、警察も議会も結局はなすがまま。その構造を知らしめるラストシーンであり、不気味な権力の構造を示す言葉が「チャイナタウン」なのでしょう。もちろん、今だったらそんな特定の民族を対象にした比喩なんて難しいでしょう。その暴力性がもたらす危うさに複雑な感情は持ちつつも、見事なストーリーテリングにすっかり魅了されてしまったのでした。
[映画館(字幕)] 8点(2024-11-26 21:50:54)《新規》
2.  本心 《ネタバレ》 
原作既読。近未来の社会、主人公の朔也はVRを用いて他人のやりたいことを代行するリアル・アバター。そして亡くなった母親が、尊厳死のような「自由死」を希望していたことを知り、その真意を確かめるために母親のヴァーチャル・フィギュア(VF)を作り、母親の友人で高校時代の同級生にも似た女性・三好と同居をはじめる・・・。と、ここまででも物語要素が渋滞気味なのに、これに格差社会、差別と暴力、ネット社会、闇バイト問題、そしてIT長者の若者のエピソードも盛り込まれるって、どう考えても1本の映画にすることには無理がある。原作ではさらに、父親をめぐるあれこれやら、外国人との共生の話まで絡んでくる。ここからもわかるように、この原作は人物を掘り下げるよりは、現代の多面的にならざるをえない人間性と、そんな人間たちが社会のなかで絡まりぶつかり合うなかに見え隠れするアイデンティティ(=本心)をめぐる話であると思う(これは「分人主義」を掲げる原作者・平野啓一郎さんの長年のモチーフだ)。  という前提をもって考えれば、この無茶苦茶な設定と物語を、朔也という若者が「自分」を見出していく物語を軸として、それなりに整理されていたことには驚いた。朔也・三好・母親との関係性のなかで見えてくる、それぞれの「別の顔」をめぐる物語を中心に置きつつ、スパイスとして平野さんが得意とする社会問題を入れ込んでくるので、そこまで軸がぶれることはない。ただ、原作でも微妙だった「イフィー」のエピソードはやっぱり面白くない。せめて朔也・三好・イフィーの3人の生き方の違いをもう少しコントラストをもって描ければよかったと思うけど、そこもあんまり突っ込まないまま、ただ三角関係の話に持って行ってしまって、終盤でトーンダウンしてしまったのは残念。それを持ち直したのは、ラストの母親との会話。田中裕子さんが本当に素晴らしかった。あと、朔也が悪質な客に苦しめられてからのコインランドリーまでのシーンは異様に細かく描き込まれ、淡々とスピーディに進んでいく物語のなかで、ここだけ石井裕也監督っぽい個性が出ててちょっと苦笑い。  まとまってるかといえば微妙ですけど、演技派の若手俳優の競演も楽しく、あの無茶な原作をよくこれだけ見られる一本の映画に仕上げたものです。
[映画館(邦画)] 6点(2024-11-21 18:35:20)
3.  グラディエーターII 英雄を呼ぶ声 《ネタバレ》 
まず冒頭の前作のあらすじ動画が素晴らしい。簡潔だけれどアート的でもあって、でも前作の流れはクリアによみがえる。で、本編。対立構図が単純だった前作と比べると、政治劇の要素も濃くなり、そこでデンゼル・ワシントンが素晴らしいくせ者っぷりを発揮しています。あまり明確には語られないけれど、おそらく元奴隷でそこから権謀術数を駆使して這い上がってきた男。ただ権力が欲しいというよりは、「この世界のありよう」に対する復讐や破壊衝動みたいなもののほうを強く感じる。彼の行動の数々は、ローマ帝国を「終わらせる」ことを目的としてきたと考えると、いろいろ腑に落ちる。一方で、主人公ルシアス=ハンノは、それでもこの世界に可能性を見出したい人で、その対比が見事なラストでした。ただ、ルシアスは勝利したとはいえ、ここから帝国の「再興」はほぼ不可能でしょう。もう腐るところまで腐ってしまった指導者たち、倫理よりも刺激を求める大衆、そこでハンス・ジマーをバックに「夢」を語ったところで、どこか空しく響いてしまう。熱血歴史劇っぽいのに、ラストの寒々しい感触は、リドリー・スコット御大の真骨頂だったと思います。  ただ、前作と今作の大きな違いは、この間に『ゲーム・オブ・スローンズ』という文字通りの「ゲーム・チェンジャー」が存在してしまっていること。ドロドロ政治劇も、絡み合う復讐心も、痛そうな剣闘(これはむしろ元祖は前作だが)も、憎たらしいサイコな若い皇帝も、どうしても既視感が先に来てしまう。コロッセオでの船上戦(文字列だけだと何言ってるかわからない)とか、びっくり映像はあるけれど、2作目でありかつGOT以降ということで、新鮮な驚きは少ないままでした。あと、ハンノがルシアスであろうことは観客もみんな知ってる(公式もそう言ってる)のに、物語中ではそこは「謎」っぽく扱われて、何をどこまで誰が知っているのかがはっきりしないまま、物語が進んでいくのがなんだか居心地が悪い。だいたいルシアスがマキシマスの子であることは前作では匂わせていたけど明言してたっけとか、マキシマスは妻と実子のいる天国へみたいなラストだったのに、天国でマキシマスも複雑な心境なんじゃないかと余計なことまで考えてしまった。
[映画館(字幕)] 7点(2024-11-19 18:49:08)
4.  評決のとき 《ネタバレ》 
今見ると、テーマの重さ(人種差別に性暴力も絡んだ「報復殺人」を問う)と演出・演技の軽さのアンバランスが1990年代的で、ジョエル・シューマッカー的な一作。大抜擢といっていいマシュー・マコノヒーはがんばっていましたが、時折、後の「ロマコメ王」を予感させる軽妙さが映画としての「格」を確実に下げてしまっていたのは残念。サンドラ・ブロックとの絡みのシーンなんて、そこだけ別の映画のような変な「予感」に満ちてました。  それでも、一般向けの作品でこれだけクー・クラックス・クラン(KKK)の悪行の数々が描かれるのはある意味貴重です。一人の黒人を死刑にするために、暴行や脅迫はもちろん、放火・誘拐とやりたい放題で、正直「そこまでするか」とリアリティを感じない人もいるかもしれませんが、これは決してフィクションであるわけではなく、20世紀のある時代までは南部では当たり前の光景だったといえます。その文脈があるからこそ、サミュエル・L・ジャクソン演じるカール・リーの悲壮な決意も、ラストの陪審員を翻意させた演説にも意味があるので、ここを法律論でアレコレ言うのはやや筋違いかなと感じます。法廷劇といっても、ここで戦っているのは高度な法律論というよりも、南部社会と人種問題、どうすんの、これでいいの、という問いなわけです。ただ、サンドラ・ブロックが死刑反対論者だったのは全く活きてないので、これは大きなマイナス。南部の人種差別と死刑の問題は、マイケル・B・ジョーダンの『黒い司法』という佳作があるので、ぜひそちらを見てほしいです。  何はともあれ、ハードな人種差別とロマコメ風バディ劇と緩めの法廷劇を折り重ねた、不思議な風味の作品。同じ系統のものを「いま」作るのは難しいでしょうということで、貴重な作品です。配信などで見られるうちにぜひ見てほしいです。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-11-02 21:50:29)
5.  ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ 《ネタバレ》 
アメリカ公開後、酷評の嵐で観客評だけでなく、評論家評でも軒並み低評価だったので、逆に興味を持ってしまい、どんなもんだろうと公開日に映画館へ。そういえば、前作も私、公開日に観に行ったのだった。『ジョーカー』というタイトルにはそういう力がある。アメリカでの評も踏まえて見る前のイメージは、トッド・フィリップス版の『マトリックス・レザレクションズ』。製作者の意図を超えて(どちらかというと歓迎し難い)ムーヴメントを招いてしまった前作に対して、製作者自身が「落とし前をつける」作品なのか(だから、前作好きな観客からは酷評を食らったのでは)と予想。  予想は概ね当たっていたと思います。ただ、「酷評」に値するかといえば、そこまでではない。不評なミュージカル・シーンは選曲や演出を含めてなかなか魅力的だったと思うし、周囲の期待とのギャップに苦しむアーサーの姿、とくに「ジョーカーである」ことを求めるレディ・ガガとの絡みは、自分を崇拝する女性を前に「運命の人」と思い込んでしまう「恋愛弱者」アーサーをさらに追い込む展開で、なかなか見応えがあった(ただ監督、意地悪だな〜とは思ったけど)。前作のキャラでジョーカーの妄想愛の対象だった黒人女性ソフィーの冷ややかな証言と、ただ1人心を通わせた同僚ゲイリーの語りの対比はよかった。また、ウェイン家を絡ませないのは、この映画は「バットマン」のスピンオフではなく「アーサーの映画」である、という宣言のようで潔かったと思う。そして、最後の裁判のシーン、ついに「ジョーカーではない」ことを宣言するアーサー。ここでスパッと終わっていれば、アーサーという1人の男の物語として、「よくできた/必然的な」幕引きだったと思う。  ただ、その後が完全に蛇足だった。突然爆破される法廷。「信者」の若者に連れ回されるも中途半端な関わりに終始し、刑務所に戻ってきてチープなドラマにありがちな最期。これらの展開はわざわざ描かなくても、それまでのアーサーの変節で十分に予想されるし、その要素をそこまでの物語に組み込んでおくこともできただろう。アーサー自身の物語はもう法廷で終わっていたのに、わざわざ解説的にその後のシーンを加えたのは、もしかすると前作の反省から、「こんなのに煽られちゃだめですよ」「こういう人はこんな最期を迎えますよ」みたいな、わかりやすい描写が必要だと思ったのかもしれない。でもそんな腰の引けた話になるんだったら(前作を含めて)こんな映画作るなよ、と思いつつ、映画館を後にしました。
[映画館(字幕)] 5点(2024-10-25 10:00:02)(良:1票)
6.  侍タイムスリッパー 《ネタバレ》 
平日昼間の回でしたが、映画館内は中高年の先輩方を中心になかなかの入り。映画がはじまると、結構序盤から周りの方々が笑う笑う。どうやらリピート組もいるみたいで、笑い声が若干フライング気味に入ってきて、自分の「笑い」のタイミングを外されるのが、とくに序盤は大きなノイズでした。ペースを乱されて、だんだん「これ、そんなに面白いか?」と若干不機嫌な感じで序盤が過ぎていく。劇場の雰囲気だけでなく、現代であれば銃刀法違反で一発アウトな「真剣」持ち歩いて大丈夫なのかとヒヤヒヤしてるのに、そこがあまり掘り下げられないことにも、なんだかモヤモヤし続けてました。  ただ、斬られ役に弟子入りする中盤からだんだん物語に引き込まれ、大スター風見恭一郎の「正体」がわかるころにはすっかり入り込んでました。ここから会津藩の悲劇をしっかり物語に組み込み、序盤からどうしても疑問だった「真剣」問題が、思いもよらぬかたちでクライマックスへとつながっていく。序盤の大小の違和感を終盤の物語に深みを与える要素として回収する、見事な脚本でした。最後に福本清三さんに捧げられているところなど、そこまで時代劇を見ない自分でも胸熱。そして、最後のクレジットでは、監督が何役もこなしているのにも驚きましたが、ヒロイン役の沙倉ゆうのさんが、本当に「助監督」してたことにもびっくり! 自主製作のスピリット、日本映画の歴史、そして日本の歴史を重ねた見事な一作でした。  というわけで十分に楽しんだのですが、難点はやはり長かったことか。とくに序盤の少しのんびりした展開。そして、主人公がどうやってタイムトラベルを受け入れるのかは、この手の映画では腕の見せ所だと思うのですが、本作では博物館のポスターを見て(しかもアラビア数字や平仮名読めるのか?)というのは、前評判で膨らんだ期待値を萎ませ、周りの観客とのギャップを大きくしたのもたしか。設定上の要の部分があまり練り込まれないまま、新喜劇的なベタ展開が続くのは少々苦痛でした(周りはそこも結構笑ってましたが)。全体をスマートにしちゃったら、この映画らしさが失われてしまうのかもしれませんが、映画としての「入り」の部分がもう少しうまくいけば、後半の脚本の妙ももっと活かされたのではないのかなと思います。
[映画館(邦画)] 7点(2024-10-18 23:16:43)(良:1票)
7.  シビル・ウォー アメリカ最後の日 《ネタバレ》 
公開日に映画館で鑑賞しました。アレックス・ガーランド監督らしい意地悪なフィクションとリアルに満ちた作品でした。まず、カリフォルニアとテキサスの西部連合という壮大な「ウソ」によって、本作が「保守」とか「リベラル」とかの安易な政治的党派性から作られたものではない、というメッセージが伝わります。最大の「青い州」(民主党支持者が多い州)カリフォルニアと、最大の「赤い州」(共和党支持者が多い州)テキサスが連合を組むというのは、あまりにフィクショナルな設定です(ただ、両州とも現在のアメリカ経済の成長を支える中心地ではあるので、実はなくもない、という絶妙なライン)。  まず起こりえないけど、そうなったらこうなっちゃうんじゃないかという「内戦」状態に陥ったアメリカで、大統領のインタビューのためにニューヨークからワシントンDCへ向かうジャーナリスト一行。序盤に出色だったのは、内戦状態にあっても戦禍に巻き込まれない限りは無関心を決め込む人びと。中西部・西部のマイナー州の人たちやら、道中で出会う田舎町の住人たちの無関心さは、まるでウクライナやパレスチナで起きている悲劇にも無関心を決め込む人びと(そして、そんな状況でこんな映画を見に来る自分のような観客)に、チクリと刺す嫌みもあって苦笑いするしかない。ただ、序盤は、静かな日常→銃声から惨状へ、という流れの繰り返しで、大きな音でドカンと驚かされるのが好きではない自分としては、かなり不快でした。音響強めのIMAX劇場にしなくてよかった。  個人的に本作の白眉だったのは、ミリシア(民兵)との遭遇を描いた場面。機関銃などで武装した自警団ミリシアは現在の米国でも多く活動していますが、そのなかには白人至上主義者・人種差別主義者も多いことが知られています。ミリシアが銃を向けて発する「おまえはどういうアメリカ人なのか(What kind of American are you?)」という質問の恐ろしさ。この場面で命を失った人は誰か。そこに、この作品の恐ろしい「リアル」が見えてきます。「名誉白人」気分でいる日本人にとっても、とてもショッキングな場面でしょう。  ただ、そこからワシントンDCに入ってからの展開は、フィクションのなかで効いていた「リアル」が吹っ飛んでしまい、個人的には若干の興ざめでした。そりゃ、このクライマックスがなければ、ただひたすら意地悪で感じ悪い映画で終わっていたと思います。とはいえ、ラストのワンショットは最高に感じ悪いので、やっぱり秀逸な「胸糞悪い」映画だったと思います。
[映画館(字幕)] 7点(2024-10-04 18:06:28)
8.  終わらない週末 《ネタバレ》 
Netflixオリジナル映画のなかでは結構フィーチャーされてたとは思うが、地味なタイトルで手が伸びなかった。たまたま見た予告編(というか冒頭の船のシーン)が面白かったので鑑賞。これが大正解で、面白かった。とにかく、何か大変なことが起きている、という不穏な空気の作り方がとてもうまい。普通、この不穏なまま3分の1くらい引っ張って、真相が明らかになり、そしてラストバトル、みたいな展開が予想されるのだけれど、なんとこの映画はずっと不穏で何が起きているかわからないまま。それでも、起きる事件の一つ一つが強烈なビジュアルで、冒頭の船の座礁から、鹿の群れ、飛行機の墜落、赤いビラ捲き、そしてお兄ちゃんのアレまで、どれも見せ方が本当にうまい。そのうえ、誰一人好きになれそうにない登場人物たちなのに、だんだん1人1人のキャラが人間臭く見えてくるのが不思議。ジュリア・ロバーツがこんなにイヤ〜な中年女性を演じるのも驚きだし、マハーシャラ・アリの慇懃無礼さ、イーサン・ホークのいろいろ役に立たない文系親父など、俳優のキャラをうまく活かしている。そして、とっても今どきな家主親子の娘さんは、自分が最も苦手なタイプ(しかも、知り合いにこういうタイプがいて本当に苦手なので、話し方とかふるまいとかがいちいちリアル)なのだけれど、最後の鹿との対峙シーンではなんだかとっても可愛く見えてしまう。  決して明示されないけれど、社会的なメッセージも明らかだろう。混乱し、真相がわからないまま、自滅していくアメリカの姿。だけど、アメリカは、ずっとずっと何年も中南米でアジアで中東で、そして今(2024年)にはパレスチナで、同じことをやってきたのだ。独裁者やテロリストにもお金や武器を流し、人びとの不信を煽り、分断を作り出し、殺し合いをさせてきた。しかし、この映画では、誰か黒幕(悪の陰謀団?)を置いてネタばらしをやるのではなく、結局何が起きているのかわからないまま終わっていくのが何より素晴らしい。そして、作風的にハッピーエンドはないと思っていたのに、まさかの「ほっこり」エンド。参りました。  独特な作風が気になったので調べたら、サム・エスメイル監督は『Mr. ロボット』のクリエイターだった人か! またまた楽しみな映画監督が1人増えました。
[インターネット(字幕)] 9点(2024-09-25 18:39:08)
9.  罪の声 《ネタバレ》 
原作既読。『ラストマイル』を見て野木亜紀子さん脚本を過去作をさかのぼっていて、今作は未見だったことに気づいて鑑賞。映画として、とてもよかった。  主役の小栗旬と星野源の2人はもちろん、脇で出てくる人たちがいちいち絶妙。回想シーンの女の人たちがちょっと現代的でキレイすぎる(若い日の母とか、望ちゃんとか)のは少し気になるも、おじさん、おばさんたちはみな素晴らしかった。中盤までは阿久津と俊也のそれぞれの調査が並行して描かれる上に情報量も多いので、ちょっとついて行けない感じだったのですが、二人が合流した後は物語が一本化して、感情移入できました。とくに合流後の2人が少しずつ交流を深める様子など、一つ一つのシーンが丁寧に作られていて好感が持てました。原作では大半を別々に行動する阿久津と俊也の物語をバディものにしたのは大正解。野木さんの得意分野に引き込んで物語が活気づいただけでなく、「真犯人」と母親の告白を重ねることで終盤がエモーショナルになりました。ラストがちょっとだけ違っていて、原作と比べて二人がもう一歩近づいているののもとてもよかった。  難点は、原作自体の難点でもあるのですが、冒頭のイギリス人女性の「中国人は知らない」の真意が簡単にピンと来てしまうこと、そして、事件に関わった子どもたちのその後があまりに違い過ぎること。違っていることがドラマになるので、それはそれで仕方がないのですが、事件の主軸となったもう一方の家族が犯人グループからまったくノータッチでいられたのがどうしても都合良すぎに思えてしまう(このあたり、総一郎に感情移入しすぎているのかもしれませんが)。あと、これは映画館で見なかった自分が悪いのですが、テレビ・PCモニターだとどうしても一部の台詞が聞き取りにくい。ヘッドフォン使用か、(可能であれば)字幕表示がおすすめかも。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-09-18 08:45:51)
10.  ラストマイル 《ネタバレ》 
『アンナチュラル』『MIU』はじめ、野木亜紀子さん脚本のドラマはだいたい履修済み。こうゆう「お祭り」っぽい企画はいろいろ中途半端で残念な出来になることが多いので、期待よりも不安のほうが大きいものの、せっかくなので映画館へ。平日昼間だけど大学生くらいの若い人も多くて活気がある劇場内は久しぶり。みんなが楽しそうにポップコーン食べながら映画始まるのを待つのを見るだけで、ちょっと幸せな気分に。  肝心の本編は、序盤はうーん、不安が的中という感じ。(野木さんが今回チャレンジしてると思われる)問題の根っこがなかなか見えないまま、やや中途半端で類型的な群像劇が続く。誰にも感情移入できないまま、「ヤマサキ」の存在から事件の真相がちらちらと見えてきても、今ひとつ盛り上がらない。その原因の一つは「爆発」のVFXのしょぼさにあったように思う。冒頭の炎から、どれも音だけでびっくりさせる系で迫力に欠けていて、いまいち事態の緊迫感が上がってこない。低予算の自主製作映画ではなく、大企業が結構な予算をかけて作ってる「映画」であれば、そこはこだわってほしかったと思う。そうでなければ、映画」でやったことの意味が半減。結局は、みんな友情出演で大集合のお祭り「テレビスペシャル」だったのかな、なんて結構な失望感を抱えて見てました。  ただ、後半になってくると野木脚本の切れ味がどんどん鋭くなっていく。あきらかに「ア○ゾン」を思い浮かべる巨大EC企業とそれに依存する物流産業の構造。コロナ禍以来、あきらかに増えた軽ワゴンの配送業者の背景にどんな物語があるのか。あの巨大倉庫のなかで何が起きているのか。格差社会の現実とそのなかでの「勝ち組」も「負け組」も誰もが直面するメンタルヘルスの危機まで盛り込みながら、ECが煽る欲望資本主義への批判と「そのなかで」一体私たちに何ができるのかを描く展開には感心することしきり。そして、最後に娘ちゃんがお母さんに贈ったものには、いまを生きるすべての人にとって最も重要なことーー「ぐっすりと眠ること」ーーが示唆されてて、さすがの野木脚本、恐れ入りました。  というわけで物語には十分満足したし、エンタメとメッセージのバランスは相変わらず素晴らしく、これをたくさんの老若男女が見ること自体、すばらしいと思うものの、テレビ的な平板な演出を映画館の大画面で見続けるのはやや辛かった。加えて、「爆弾」そのものの迫力不足なども最後まで解消されず、不満の残る一作でした。
[映画館(邦画)] 6点(2024-09-11 16:39:04)
11.  フォールガイ 《ネタバレ》 
序盤はなんであんなにモタモタしちゃったのかな。かつてスタントダブルだった男を呼び戻し、元彼女と気まずい再会、それでもスタントマン魂を取り戻したあたりで、やっと「事件」の本題へ・・ここに行くまでが長い。もっとスマートに主人公が巻き込まれる展開もあり得たと思うので、そこはとにかく残念。コメディ要素も序盤こそもっと笑わせないといけないのに、ぜんぜんそういう感じでもなく、妙に湿っぽく話も展開する。しかも、映画ネタ、内輪ネタも多いのもちょっと残念。もっとカラッとしたコメディにできたと思うのだけれど、そこはデヴィッド・リーチ監督の色なのかもしれない。一方、諸々の事情が吹っ切れた終盤は楽しい。この映画に期待してたのはこうゆうのだよと思うも、やっぱり遅かった。主演の二人はとてもよかった。ライアン・ゴズリングはいつもの感じでしたが、楽しそうに突き抜けたエミリー・ブラントが貴重。  ただ、終始イマイチだったこの映画の印象を大きく変えたのはエンドロール。スタントの人たちへの敬意をこうゆう形で示されると、こんな映画(失礼)でもウルッとくる。映画を作る映画という、そのメタ構造が逆にノイズになっていた本作ですが、ラスト後のこれには拍手です。
[インターネット(字幕)] 5点(2024-09-02 22:31:11)
12.  インサイド・ヘッド2 《ネタバレ》 
ついに思春期をむかえた少女ライリー。今回は3日間の合宿中、親友たちと憧れの先輩との関係に悪戦苦闘するライリーの心のなかで起きていた感情たちのドタバタ劇。一作同様とてもよくできていて、思春期に到来する新キャラの4つの感情がにはどれも納得。とくに大人たちは、シンパイ(anxiety)の登場には心当たりしかないでしょう。新しい感情たちと比べると1作目以来の5つの感情たちはどれも「単純」だった。そこに、感情が複雑さを増していく様子が広大なココロを舞台とした冒険として描かれる。中心になるのはヨロコビ(joy)とシンパイの対立?だけど、いきなり倍増した感情たちのそれぞれに意味のある活躍の場を用意しているのもいい(思春期の子どもの親としては、ダリイ(ennui)がツボでした。それからノスタルジーの扱いも面白い)。そして、終盤、ついに暴走してしまうシンパイとパニックに襲われるココロをみんなで乗り越えていく様は、親目線でも感涙もの。そこにあらわれる「自分らしさ」へのストレートなメッセージも大変すばらしい。  ただ、前作や最近のいくつかのピクサー映画に共通する点だけど、どこかロジックの組み立てのほうが優先されていて、よくできているのだけど「感動」よりも「感心」が先に来てしまう感じ。鑑賞中、物語にどっぷりつかるよりも「あ、そういう設定なのね、よくできてるなあ」みたいに思うことが多くて、映画を観ているというよりは心理についての本を読んでる感覚に近い。それは悪いことではないのだけれど、もう少し「感情移入」できたらなあ、とは思う(このテーマ・設定では難しいか・・・)。  思春期の子どもだけれど、恋愛の話が一切出てこなかったのは今風なのかな(前作ラストではちょっとそういう雰囲気もあったのに)。相手が必ずしも異性じゃくてもいいのだけれど「イイナ(envy)」が恋愛となったときにどんな感じになるのか。あと身体の変化との関係とかももう少し描いてもいいのでは?とか。ココロの奥底に幽閉されている「深く暗い秘密(deep dark secret)」が実は最後に大きな仕事をするのではないかと思ったら、オマケ映像止まりだったり・・・。まあ、設定が設定なので、つい、もうちょっと深い話を期待してしまうだけれど、当然脚本チームではそういう議論もあったろうから、あえて、このあたりは切りすてて3日間の成長物語にまとめたのだろう。それは、映画としては結局正解だったと思う。  ちなみに字幕版で見ましたが、ほとんどの映画館が吹替版のみの対応で、字幕版は一部の映画館の夜の回のみというところが多いのは残念。久々のレイトショーでしたが、観客の半分くらいは外国人と思われる方々で、鑑賞中「ここはアメリカか?」と思うような、笑ったり突っ込んだりする人たちがあちこちにいて、とても劇場の雰囲気がよかったのは思わぬプラス要素でした。
[映画館(字幕)] 7点(2024-08-18 09:07:53)
13.  クリード 過去の逆襲 《ネタバレ》 
第1作にはドハマりしたこのシリーズですが、主演俳優が監督というシリーズものの「地雷」を感じるところもあってなかなか手が出ませんでした。でも、見てみれば思ったよりはよくできてた。なにより、マイケル・B・ジョーダン監督でスタローン不在ということで、思い切って「ロサンゼルスの物語」になったのが何よりも本作の良かった点。ロッキーシリーズとクリード1作目が「フィラデルフィアの物語」を通してきたのに、2作目は微妙な感じになっていたところ、今作では、デイムとアドニスの「LAストリート物語」へと転化したことで、3作目のマンネリ感や「闘う意味」をちゃんと再定義できていたと思います。ジョナサン・メイジャースの佇まいや、人懐っこそうなのにどこか暗さを秘めた表情もいい。アドニスが「捨てた」過去への後悔や後ろめたさと、これまでのライバルにはない、何をするかわからない怖さが伝わってきました。最後の試合のアドニスのパンツが、あの星条旗の「CREED」ではなく、白の「ADONIS」であったのも、この試合は、アポロ・クリードの息子として生きる前の、アドニス対デイムの対決だというのもうまく表現されていました。シリーズものの常でビル・コンティの音楽の引用は評価が分かれるところかもしれませんが、ロッキーのテーマではなく、Going the Distanceのみという選択も本作については正解だったと思います。  ただ、演出面や脚本面ではやっぱり疑問も。何よりチャンピオンになった後のデイムの変貌が急すぎて戸惑うレベル。母の取って付けたような病気エピソードも。そして、妻ビアンカの立ち位置もちょっとわかりにくい。彼女が「ボクシング」というものをどう考えているのかがちょっとわからないまま、いきなりエイドリアンの「勝って、ロッキー」みたいな立場になるのにも違和感のほうが大きい。デイムの試合は娘に見せたくないのに、アドニス対デイムのときにはその葛藤が消えてるのもわからない。デイムを巻き込んだことを怒ってたデュークが、結局アドニスのセコンドになった経緯もわかりにくい。各キャラの立場とその論理が掴みにくいまま、勢いで押し切ってる感じは、ロッキーシリーズっぽいですが、やっぱり残念。試合の演出など工夫もみられるし、なんだかんだで最後まで楽しめた一作でしたが、もう続編はないと思いたい・・・(でも、マイケル・B・ジョーダンは『クリード4』あるよ、と言っているらしい、うーむ)
[インターネット(字幕)] 5点(2024-08-17 00:08:44)
14.  ツイスターズ 《ネタバレ》 
前作との関係性はいまいちよくわからずに戸惑う。展開などは前作をなぞっている部分(竜巻による主人公のトラウマ経験ではじまる/ストーム・チェイサーのキャラクター/ぶっとぶ映画館・・・など)もあって、続編なのかリメイクなのかよくわからない感じがちょっと気持ち悪く、最初の印象はいまひとつ。  とはいえ、竜巻追跡シーンになれば、そういう裏事情もだんだんどうでもよくなる。CGでやり過ぎない、というか「最新技術で再現された1990年代風味の竜巻シーン」は好印象。無駄にわかりにくくごちゃごちゃした絵ではなく、竜巻で人やモノが飛ぶ。ほぼそれだけのアクションで最後までやりきってしまった点が素晴らしい。また、『ザリガニの鳴くところ』のデイジー・エドガー・ジョーンズ、『トップガン・マーヴェリック』のグレン・パウエルと魅力的な若手が、主人公2人を気持ちよく演じきっているのも魅力。とくに、「自然と共に育ったけれど、知性も備えた女性」という主人公ケイトに、デイジー・エドガー・ジョーンズの起用はぴったりハマっていて、ディザスター映画にありがちな「ドラマパートでの失速」がほとんどないのも気持ちいい。  ただ、ラストの展開には疑問も残る。中学生のときの夢を最新科学で実現という科学万能な展開ではなく、恐ろしい敵との共存の可能性へと進んだほうが、自然の恐ろしさを身をもって知っている彼女の「成長」らしかったと思う。それでも、アートな欲を出すことなく「こういうのが見たかった」にきちんと応える一作。猛暑のお盆休み真っ最中、束の間の涼しい映画館に逃げ込んで見る映画としてはベストの選択だったと思います。
[映画館(字幕)] 6点(2024-08-14 22:42:39)
15.  ブラック・ダリア 《ネタバレ》 
ジェームズ・エルロイの原作は、ロサンゼルス・ノワール四部作のなかでも、いちばんエンタメとしても時代ものとしても面白い。ただ、エルロイの原作の主役は、やっぱり1940年代から50年代の「都市としてのLA」そのもの。戦争と繁栄の背後でうごめく人たち。いろんな人種、階級、性的指向の人たちがハリウッドという華やかな舞台の影で欲望のままに突き進んだ先に訪れる悲劇。その夢と欲望を食って、醜く膨張するLAの姿こそ、エルロイの真骨頂だと思います。ただ、ブライアン・デ・パルマ監督の作風が、残念ながらその「都市もの」としてのエルロイ作品とうまくマッチしていないような。デ・パルマ監督はもっと人への執着が強く、奇妙な人びとが作り出す異様な空気をねっとりと描き出す。とくに、リンスコット家のディナーシーンは出色。前半のなぜか主人公目線のカメラでの家族紹介、一転して俯瞰的な視線からの会食シーン、そのなかで「さー破綻が来るぞ、来るぞ」という緊迫感がたまらない。ただ、全体をまとめるような都市への視線が弱く、どうしても各シーンがバラバラで、へんなシーンの寄せ集め映画になってしまったのでしょう。キャストも、全体的にうまくはまっておらず、こちらもチグハグ感が否めない。  一つ一つのシーンはなかなか面白く、全体としてはあまり退屈せずに楽しめたのですが(原作読んでるのも大きかったかも)、終わってみたら、結局なんだったのかという感じ。原作だったら、そこで浮かび上がる「暗黒都市LA」の姿が、残念ながら見えてこないのですよね。そこに、傑作『LAコンフィデンシャル』との違いもあったと思います。その点で残念な一作でした。
[インターネット(字幕)] 5点(2024-08-10 18:10:21)
16.  フェラーリ 《ネタバレ》 
「男臭い」イメージのマイケル・マン監督が、あの「エンツォ・フェラーリ」を描くということで、胸焼けしそうな濃い作品を想像してましたが、しっかり「いま」の映画になっててびっくり。こんな器用な人だったんだ、と驚きました。アル・パチーノやデニーロでは、それでも「カリスマ性」が勝ってしまうところ、アダム・ドライバーをエンツォ・フェラーリ役に置いたことで、モータースポーツに賭ける思いが家族とも時代とも空回りしてしまった先にある虚無感みたいなもの、そしてレースという営みへの批評的な視線が加わって、とても奥行きのある物語に仕上がりました。もちろん、二人の女性のあいだで優柔不断な態度を続ける情けなさは、ある意味、アダム・ドライバーの真骨頂。とはいえ、まったく突き放しているわけでもなく、冒頭の運転シーンや子どもにエンジンの構造について話すシーンなど、フツーに「車好き」な側面が垣間見えるのも魅力。  前評判でレースシーンがメインではないと聞いていたので、終盤のミッレミリアが結構ガッツリ描かれていたこともうれしい誤算でした。公道を爆走するスリル。車の性能の限界に挑むドライバーどうしの絆など、ちゃんと「男臭い」場面もしっかり描く。しかし、その先に待つ顛末・・・。モータースポーツがずっと向き合ってきた問題がラストに姿を現し、おもわず声をあげそうになる悲劇のシーン。その後の道路に横たわる「アレ」はちょっとやりすぎかなと思いましたが、モータースポーツという「暴力」をいかなる意味でも「男のロマン」に絶対に回収させないという、本作の立ち位置をもっともあらわしていたのかもしれません。『ヒート』や『インサイダー』にうっとりしてきた人こそ、『フォードvsフェラーリ』を男のロマンと賞賛してきた人こそ直視せよ、という2023年のマン監督の叫び、と受け取りました。
[映画館(字幕)] 8点(2024-07-30 15:46:37)(良:1票)
17.  最後の決闘裁判 《ネタバレ》 
さすがのリドリー・スコット。得意の歴史劇ではありますが、決闘という行為の恐ろしさと愚かさ、中世モノの独特の価値観と世界観、それを性暴力をめぐる「羅生門」方式の証言劇が、見事にミックスし、ありそうでなかった新しい映画を作り上げたと思います。  まず、ラストの決闘シーンの迫力は、さすが幾多の決闘を描いてきた監督ならでは。しかもその勝敗が何のカタルシスを生むわけでもなく、マルグリットにとってはただ「もうひとつの地獄」が続くことを意味しているというラストのなんともいえない虚しさ。でも、ちゃんとラストに力強いアップをもってきて、少しだけでも希望を与えるところも含めて、一筋縄ではいかない熟練監督の技に唸らざるをえません。そして、「羅生門」方式の証言劇は、真実の複数性や曖昧さを主張するのではなく、そこに厳然と存在する女性支配の歴史と二人の男の救いようのなさを描くための手法となっているところが素晴らしい。実際、劇中のカルージュとル・グリは、ある出来事について「嘘」をついているのではなく、それぞれのヒロイズムと男らしさに則って、都合良く解釈しているに過ぎない。それぞれの一面的な解釈の醜さが、三幕目のマルグリット視線の物語で一気に可視化される。カルージュ視線では描かれなかったことや、ル・グリの視線を「見られる側」から見たときの醜悪さには、今思い出しても腹が立ってくる。そして、誰の視線から見ても「クズ男」であるベン・アフレック演じるピエールのキャラ立ちには、怒りを通り越して笑いも・・・。  近年ますます多作ぶりが目立つ巨匠の一作品で、見終わった気分は決していいものではありませんが、見事な語り口に翻弄されつつ、有毒な男性性の胸くそ悪さを体験する映画として、ある種のエンターテインメント性も兼ね備えた異色作だと思います。
[インターネット(字幕)] 8点(2024-07-29 22:41:10)
18.  そして僕は途方に暮れる 《ネタバレ》 
予備知識ゼロで見始めたので、大澤誉志幸さんの名曲「そして僕は途方に暮れる」のイメージとはほど遠い「ダメ人間」物語に大きく戸惑ってしまいました。名曲モチーフの映画にありがちな、ノスタルジーの欠片もないのは、ある意味潔い。  ジャニーズ出身の藤ヶ谷太輔さんには全く演技派のイメージはなかったので、周りが「イラッ」としはじめているのにそれに全く気づかないどころか、イライラを加速させるだけの表情・態度・佇まいの表現が絶妙で、もう俳優自身がダメ人間にしか見えないのも凄いことだと思います。一方で、彼の周りには個性的な演技をする役者さんが揃っているので、その演技合戦も見るのは楽しい。とくに、毎熊克哉さんとか野村周平さんとか本当に楽しそうだし、トヨエツさんと原田美枝子さんはさすがの存在感でした。久々の香里奈さんのキレっぷりもよい。  ただ、物語のパターン自体が見えてくると、物語的な推進力が弱くてちょい退屈な感じも。ちょっとだけ「いい雰囲気」にはなるけれども、主人公が決定的に変わるわけでもなく、むしろ状況はもっと悪くなり、かなり突き放したところで映画自体は終わってしまう。その感じが、三浦大輔監督らしいなあとは思いつつも、全体的には気持ちの置きどころがわからないまま、その斜め上を行くキャラクターと物語に、終始戸惑った鑑賞経験でした。
[インターネット(邦画)] 5点(2024-07-14 17:06:13)(良:1票)
19.  ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ 《ネタバレ》 
クリスマス休暇に帰省できず寮で過ごすことになった学生、教師、寮職員の3人が織りなす人間模様。アレクサンダー・ペイン監督作品らしいシンプルな舞台設定と最小限の登場人物。堅物のハナム先生の管理を逃れたい学生アンガスの不運を笑いつつも、だんだん一人一人が背負った背景が見えてくると、ひとつひとつの台詞や表情がものすごく雄弁で多義的になる構成と脚本は見事です。ミニマムな設定のなかでも、それぞれが抱えている事情が微妙に重なり合い、反発とともに共感が生まれていくプロセスが自然。オスカー受賞したダバイン・ジョイ・ランドルフはもちろん、教師ポール・ジアマッティとアンガス役のドミニク・セッサのアンサンブルが本当に素敵でした。  「家族」との晩餐や友人とのパーティで楽しむのが当然という、アメリカのクリスマス休暇の雰囲気を知っていると、この登場人物たちの孤独感はとても真に迫ってくる(そういえば、自分も留学していたときに、学生がいなくなった大学町に「取り残されて」、なんともいえない孤独感を抱いたのを思い出す)。好意で誘われた同僚のパーティに出席したことで、息子をベトナム戦争で失ったメアリーが取り乱す姿はとってもリアル(そんな状況でもそこで会った女の子と遊びたいアンガスの姿もまたリアル)。クリスマスという行事がもたらすプレッシャーがいかほどのものか。今作は、そんなシチュエーション自体がもたらす絶妙な悲哀をコメディとしてうまく昇華させたと思います。冒頭のユニバーサルのサインを含め、1970年代の映画を再現したような仕掛けも楽しい一方で、ストーリーのなかには差別や格差、そしてメンタルヘルスをめぐる問題など現代的なテーマも盛り込んでいます。  ただ、物語の内容にしては尺が長いような気が。とくに序盤にアンガスと一緒に居残りになる4人の学生たちのエピソードなど「本題」に入るまでの助走が長いのが気になりました。本作のコメディ・パートという役割なのかもしれませんが、韓国人とモルモンという二人の「マイノリティ学生」の描き方などは、アメリカ国外の観客から見ると、ちょっと嫌な感じもありました。そのちょっとした毒気も含めてのアレクサンダー・ペイン作品、なのかもしれませんが。  あと、これは作品の評価とは関係ないですが、やっぱりクリスマス休暇〜新年を扱った映画を6月に公開するというのもいかがなものか。米国で10月公開、A・ペイン監督で評判も上々とあれば、せめて年始くらいの公開だってできたはず。この季節感のなさは、残念ながら映画の余韻を1割程度は削いでしまったと思います。
[映画館(字幕)] 7点(2024-06-27 20:16:16)
20.  マッドマックス:フュリオサ 《ネタバレ》 
フュリオサがなかなか子役からアニャ・テイラー・ジョイにならない。序盤が思った以上に長く、ドラマ重視の展開にやや戸惑う。物語の主軸はディメンタスへの復讐劇であり、やたらとしゃべりまくるディメンタスのキャラもあって、途中まではディメンタスが主役なのでは、と思ってしまうくらいだった。しかも、イモータン・ジョーの「妻」候補として砦に連れていかれたフュリオサが、いかに武闘派幹部になっていくかという話は端折ってる部分も多く、なんか知らないあいだにアニャ・テイラー・ジョイになって出世していた。グリーンランドの場所を唯一知っているフュリオサを、あっさりディメンタスが手放すのも違和感。なぜ、この少女を殺さずに手元においていたのか。このへんの話の整合性の弱さも気になる。  それでも、ディメンタスがガスタウンを牛耳って二大勢力の対決にフュリオサが巻き込まれていく中盤以降はこれぞマッドマックスという移動→アクション→移動のつるべ打ちでとにかく凄い。IMAX専用の撮影ではないということでしたが、普通はスピード感が落ちてしまう遠景からのアクション描写が斬新で、これはやっぱり大画面で見て大正解。空から、左右から、下からと攻撃されるウォータンクをめぐる目まぐるしい動きも、見事に整理されて「気持ちいい」レベルに。トラックやクレーン、さらに塔などの建築物がガラガラと崩れ去る場面も、遠景なのにスピード感も迫力も十分過ぎる。ジョージ・ミラーの冴え渡るアクション演出を堪能できます。  ただ、終盤いよいよディメンタスとイモータン・ジョーの全面戦争、そのなかでどうやって復讐を果たすのか、という場面でまたも肩透かし。「戦争」に興奮するなんて時代遅れだぞ、というメッセージなのかと思うほど。ディメンタスの大演説も今ひとつエモーションをかき立てられず、最後の顛末は現実離れしすぎ。あの実をあそこで使ってしまうということは、フュリオサはついに砦に自分の居場所を決めたのかな、と思った次のカットでは、砦からの脱出へ、という流れもチグハグ。  総じて大満足ではあったのですが、シンプルだった『マッドマックス2』や『怒りのデスロード』と比べると、場面の変化が多く、登場人物の行動原理が掴みづらい。そして、過去作が120分以内におさまってきたのに、今作ではついに約2時間半の長尺に。『マッドマックス』シリーズの一作として見るといろいろ気になってしまうのでありました。
[映画館(字幕)] 7点(2024-06-04 18:19:14)
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