2021. サタデー・ナイト・フィーバー
今見ると、ディスコダンスの陰気さに驚かされる。薄暗いところにみんながぞろぞろ並び、覇気なく緩慢に体を動かしていて、ときどき物憂げにポンと手を打ったりして、こりゃ盆踊りだ。全体として籠もった感じ。ダンスならではの外へ向けたエネルギーがあまり感じられない。といってフラメンコのように、内側へ力を充溢させていくようにも見えない。動く快感より見られることが主体のダンスなのか。これは何なんだろう。60年の外側へ向かった抗議の時代の反動だったのかな。その驚きがかなりショックだったので、物語として映画を見てる余裕があまりなかった。トラボルタの、粗野だけど純真よ、っていう目つきが女性にウケたのはよく分かる。今だったら「誰でもいいからぶっ殺してやる」になっていきかねない、展望の開けぬブルーカラーの若者の鬱屈が、けっこうキチンと描かれていたような。 [DVD(字幕)] 6点(2008-08-24 12:13:31)(良:1票) |
2022. 三文役者
故人となった乙羽信子が出るのが評判になってたが、証言者としてちょっとだけ出てくるのかと思ってたら、ナレーターで出っぱなしだった。しかも殿山泰司役の竹中直人と切り返しで会話調になったりするのには驚いた。生きてるうちにシナリオを完璧に作って撮影しといたんだな。プレハブに住み込み共同作業で映画を作っていた独立プロシステムの記録として、貴重な作品となるだろう。晩年、ポルノなどに出て嫌気がさし演技賞のトロフィーを投げる、なんて場面があって、こっちが思っているアナーキーな殿山泰司のイメージと違ったが、そういう面もあったのかなあ。 [映画館(邦画)] 6点(2008-08-23 12:13:33) |
2023. ただいま
街の音が沁みる。住宅から漏れてくるテレビの声など、彼女が牢屋にいる17年間耳にしなかった音だし、たぶんそれ以前にも聞いたことのない街の音。中国におけるここ17年の変化は大きい。やがてここに入っていかなければならない世間に対して身構え、耳を澄ましている緊張が伝わってくる。天津の街の、息の白くなる寒さも伝わる。主任のほうにもちょっと帰りにくい家があり、帰還するということの緊張が本作のテーマ。浦島太郎を基本形にして、「帰還もの」という物語のジャンルを考えてもいいかもしれない。帰還するって、けっこう大きなドラマなんだ。 [映画館(字幕)] 6点(2008-08-22 10:03:44) |
2024. 地獄(1960)
そりゃ話はひどい。でもね、こういう荒唐無稽なストーリーで、でも軸にはなんかニヒリズムみたいなものが一本感じられて、ほとんどファルスに近い大量殺人ドラマが繰り広げられるって、鶴屋南北の歌舞伎と同じじゃないか。沼田曜一が神出鬼没するあたり、歌舞伎の演出を思わせるし、狂った教授夫人が室内でまわしている傘なども歌舞伎調だなあと思う。騒がしい宴会場から酔った女がふらふらと静まった外へ出ていくあたりの雰囲気も好きなの。新東宝の闇って、独特のくすんだ色調で、こういう闇に合う。みんながはしゃぎながら嬉々として滅んでいくような前半の展開に、私はけっこうゾクゾクするものを感じてしまう。すごく映画として満足してしまう。そういう意味で、これ『東海道四谷怪談』の、よりクレイジーな現代姉妹編と見たいんだ。 [映画館(邦画)] 8点(2008-08-21 10:38:03) |
2025. ハンニバル(2001)
《ネタバレ》 アメリカには、中世コンプレックスってのがあるみたい。開拓という神話の時代からすぐ近代になっちゃって、活力はあるけど、歴史によどみというか深みがない。カトリックから逃げ出したものの末裔としての、カトリックコンプレックスでもあろう。残酷だけど高貴な中世のカトリックの闇を体現するレクター博士に、もてあそばれることの屈折した快感。これらはひっくるめてヨーロッパコンプレックスだ。舞台はフィレンツェ、BGMはゴールドベルク変奏曲となれば、屈伏も極まる。ジャンカルロ・ジャンニーニに久しぶりに会えたのに、あっさり殺されちゃうのが寂しかった。 [映画館(字幕)] 6点(2008-08-20 11:08:11) |
2026. ザ・カップ 夢のアンテナ
チベット仏教・ワールドカップ・懐中時計、の三題噺といった趣き。この無関係そうな三題がぴたりとハマっている。映画の根本にあるのは、ヨーロッパ映画によくあった「寄宿舎の悪童もの」で、プロット的にはさして珍しくないが、やっぱり映画ではあまりお目にかかれぬブータンの風俗が目を引く。黄と赤の取り合わせが美しい。仏教の儀式と、サッカーの祭典が対置される。レンタルテレビの設営までの興奮が、しだいに自責の念によって覚めていくあたりの、少年心理のうつろいが見どころか。 [映画館(字幕)] 6点(2008-08-19 10:55:59) |
2027. 小説家を見つけたら
勉強に興味があることを友人に隠さなければならないってとこに現代の若者の難しさがある。あたりは変に静まったブロンクス。この静まりが60年代に通じていく。パソコンでなくタイプライター、車やバイクでなく自転車、いかにも伝説の人物がひっそりと住んでいそうな静まりがある。ちょっと最近の日本の昭和ブームと似た感覚があるのかも知れない。昭和は勉強好きを隠さなくてもよかった勤勉の時代だったし。ラストの朗読の場はいかにもハリウッド映画っぽく、この監督も平気でこういう場面を撮るのか、と思ったり、嫌々撮ったのかな、と思ったり。 [映画館(字幕)] 6点(2008-08-18 10:15:11) |
2028. 欲望(1966)
《ネタバレ》 トーキーの発明で、映画は無音の緊張を描けるようになった。主人公のカメラマンが公園に入っていき問題の男女を目撃する場の緊張、これは音が欠けているというより、葉のかすかなざわめきを埋めるようにどんどん無音が充満していく。あるいは彼の部屋に写真を順々に貼りめぐらし、昼の公園の時間と空間が再構成されていく場、夜の死体発見の場、など、ここぞというところで無音がこだまし緊張を高める。押し黙った労働者たちの群像、しゃべらないファッションモデル、シュプレヒコールを叫ばないデモ隊、ロック会場の異様に静まった客席も印象に残る。またそれらはしばしば喧騒と隣り合わせだ。冒頭のはしゃぐ白塗りの若者たち、闖入するモデル志願の二人組、エレキギターを奪い合う騒動、それらがより無音を際立たせている。この無音の緊張の果てに聞こえてくる白塗りのパントマイマー(無言劇)のテニスボールの音、冒頭の喧騒を裏返したような彼ら、なにかあそこで映画全体が表裏ひっくり返ったような、それがいいことなのか悪いことなのか分からないが緊張が解放されていくような、そんな気分がラストにはあった。 [DVD(字幕)] 7点(2008-08-17 09:32:14) |
2029. リトル・ダンサー
かつてはストライキも気合いが入っていたものだが、もう炭鉱産業の終焉も見えていて、悪の資本家と対決するといった単純な図式が成り立たなくなっている。だからストライキやっても、も一つ意気が揚がらない。正しい道を突き進むんだ、という爽快感に欠ける。警官隊との揉み合いがバレーレッスンと重ね合わされるのも、段取り通りにステップを踏んでるようなものという感じ。ストライカー自身がストにうんざりしている雰囲気がよく出ていた、といってストライキをやる以外に手立てはない閉塞感。その閉塞感があるから、ビリーが踊り出したい気持ちが分かる。一番泣けるのは、親父が息子のオーディションの旅費のためにスト破りするとこ。かつて『鉄道員』なんかではスト破りは厳しい反発を招いていたが、ここでは皆が協力的になってしまう。みんな現状にうんざりしてて、応援しがいのあるものを発見した喜びに盛り上がってしまう。全然問題の解決になっていないだけに、この応援が泣けるのだ。 [映画館(字幕)] 8点(2008-08-16 10:00:58)(良:2票) |
2030. 連弾
『クレイマー、クレイマー』から20年たつと、男女の役割りは逆転していて、かつては家をほっぽっていて責められた男が、今では主夫業がなさけないと子どもに見られている。男はつらいよ。竹中さんは「わびしさ」が好きな監督で、ラーメン屋でチラシの値段見比べてたり、観覧車に大人だけ乗らなかったり、なんてあたりで面目躍如。和室の中のグランドピアノもわびしいし、過剰にウケを狙ってしまうお父さん、ってのが一番わびしい。ただ映画もちょっと過剰にウケを狙ってしまっているところがあり。 [映画館(邦画)] 6点(2008-08-15 09:45:18) |
2031. スターリングラード(2001)
うまいところに目を付けた。ヒトラーとスターリンという悪役同士の戦場なら、おのずと兵士個人の物語へと感情移入がしやすい。都市に冠した独裁者の名を守るためにのみ、無名の若者が次々と投入されていく戦場。一方は野育ち、一方はインテリ、おそらく戦争でもなけりゃ永遠に出会わなかっただろう二人が争う。けっきょく絨毯爆撃や原爆といった巨大な暴力による大量虐殺によって終わる世界戦争の中にあって、一人一人を狙撃し仕留めていく二人が、古い剣豪物語の主人公のように見え、彼らだって殺人者なのに、その外側のより無機的な殺人システムを告発しているように見えてくる。とりわけソ連のまったく消費材としてしか兵士を見ない体質、たぶんあの戦争の時ここまで自国の兵士の命をないがしろに扱ったのは、日本とソ連がダントツだったと思うのだが、その共通点が何に由来するのか、昔から気になっているが分からない。 [映画館(字幕)] 7点(2008-08-14 10:03:22) |
2032. アカシアの道
母と娘の激しい物語というと、ベルイマンの『秋のソナタ』などいろいろ思い浮かぶが、どうも和解に至るというより、どうやって感情に折り合いをつけたか、って物語になっているような。女同士って難しいらしい。主人公の子ども時代、トイピアノで遊んでいると、隣の部屋で習字の添削をしていた教師の母(渡辺美佐子・好演)が、ちょっと来なさい、と呼んで、襖の向こうからパチンという平手打ちの音が聞こえてくる、なんて、見せないことでかえって迫ってくる演出。ボケの症状がある種のサスペンスとなって描かれる。掃除機をかけている母の姿、しかし動いていくと、コードが入っていないのが見えてくる、なんてあたり。子どものとき、母に手をつないでほしかった娘(夏川結衣)が、今ボケた母の手をつなぐラストでホロッとした。 [映画館(邦画)] 6点(2008-08-13 10:10:23) |
2033. 花様年華
メロドラマとしての格調の高さは大したものだ。狭さを意識した画面、その息をひそめている感じがいい。新聞社の無表情な大時計、赤いカーテンの揺れる廊下、と舞台もふさわしい。下の屋台へポットを持っての往復で、ちらちらと意識しあう男女。そのかすかな空気の揺れのようなものがメロドラマの味わい。ここぞというときに入ってくる憂鬱なワルツ、あるいはキサス・キサス・キサス。連れ合いが不倫をしている二人は、意地でも関係を結ばない。それが全編に緊張をはらませている。時代や社会やあるいは女の生き方についての思索など、余計なものを排除して純粋な織物を織りあげたって感じ。だからこそラストのカンボジアが引っかかる。あの時代の新聞社を舞台にしながらベトナム戦争に触れずに綴ってきて、ラストで竹の文化圏から石の文化圏のカンボジアに跳ぶあの画面の質感の急変、分からないからこそ、すごく引っかかる。 [映画館(字幕)] 8点(2008-08-12 10:52:15)(良:1票) |
2034. 太陽の墓場
大島作品でベテラン俳優をこれだけ脇に揃えたのは珍しい。ドヤの親玉が伴淳三郎、元軍人が小沢栄太郎、小池朝雄が戸籍買い取り人、藤原釜足が戸籍を売ってしまうノンベエ、その妻が北林谷栄、これに常連というかこれから常連になっていく渡辺文雄、佐藤慶、戸浦六宏らも加わって、たぶん一番豪華なキャスティングであろう。おっと忘れてならない、川津祐介の死体を朝の川に淡々と捨てにいく左卜全もいた。もしかするとこういう方向の一般映画を作り続けるその後もあり得たかも知れないな、とちょっと空想してみる。でも藤原釜足が大金で飲んでしまう呑み屋での長回しの場や、津川雅彦にうながされ歌い出した佐々木功が歌いやめない場など、普通の映画に収まらないシーンは多く、強盗を手伝ってしまう佐々木の罪の意識は、以後の大島作品で繰り返し現われるモチーフでもあり、やはり方向はすでに決定されていたのかも知れない。 /追加 これは『日本の夜と霧』と対にして考えたほうがいい作品なのかもしれない。あのインテリたちの徹底した討論の世界の対極がここにある。精神よりもまず肉体があり、ギラギラと脂っこく常に汗が光っている。あちらは「目覚めた人」ばかりが出てくるが、討論するだけで何も出来ない。こちらには「目覚めた人」は出てこないが、全篇沸騰している。監督はこの二つの世界に橋を架けたかったんだろうな、と思う。そういう橋がないことへの苛立ちが、大島作品を貫いている。『日本の夜と霧』のスパイ容疑で監禁された少年は、おそらくこのようなドヤ街から忍び込んでいったのであろう。 [映画館(邦画)] 6点(2008-08-11 10:20:30) |
2035. シッコ
ドキュメンタリーってのは、フィルムを通して撮影者が思ってもいなかったものを発見していく、ってのが本当の姿だと思うので、この人の映画は正確には「意見表明パンフレット」みたいなものだと思う。作者はすでに描くものを決定していてそれに沿って映像を組み立てている。最初から驚き呆れてみせることを目的としてカナダやヨーロッパを訪れている。私は映画にはいろんなジャンルがあればいいなと思っているので、こういうジャンルも歓迎するが、ときに、たとえばラストのグアンタナモへ行くパフォーマンスみたいに、ちょっとあざとすぎるとこがあるのが鼻に付くけれど。ジャーナリズムに必須なのは、現状に驚き呆れる才能だ。映画の中で誰かが言ってた「彼ら(保険会社)も商売だからね」で納得してしまってはどうしようもない。M・ムーアには間違いなくその才能があるが、彼は映画を撮る前の段階で驚き呆れ、それを土台にして、意見表明をより効果的にショーアップするべく、けっこう冷静に作品を構成しているようだ。これはこれでいいと思う。さて内容だが、ちょうど堤未果の「ルポ貧困大国アメリカ」を読んだ直後だったので、お互いがお互いを補う形でよく理解できた。民営化による小さな政府ってのは、つまり本来政治が取るべき責任も民間に分散させてしまう政府ってことなんだな。日本だって小泉改革以後(ってことはアメリカ系保険会社のコマーシャルがやたらハナに付くようになったころってことだが)こういう方向に向かっているわけだから、他人ごとでなかった。保険会社には、書類の不備を探す専門の部署があって、本人も忘れているような病歴を見つけてくるってのが、さすがに驚き呆れる。役所の出来るだけ仕事をしないようにする体質と、こういう民間企業のがむしゃらに金を取ろうと働きまくる体質と、うまく間を取っていいところを生かし合える社会に出来ないものか。 [DVD(字幕)] 7点(2008-08-10 12:16:28) |
2036. 弥太郎笠(1960)
映像のリズムの良さに、ほれぼれする。ひょっとこ面の連中が祭りの囃しにのって、ヨイヨイと手を振りつつ大河内伝次郎を連れ出していくあたりの凶々しさ。あるいは通り過ぎた弥太郎のあとで、ワラワラと三度笠が現われてくる場のリズム感など、これしかないという間合いで。ほとんど音楽を感じさせるのは、カタキのとこの土間口での殺陣。弥太郎がひとくさり喋ってはひと太刀浴びせ、と緊張をためては放つその緩急のリズムが絶妙。そして全体の構造としても、ラストにまた祭りとひょっとこが反復される大きなリズムとなる。アウトローものでありながら、実はいいとこの侍であった、ってのにはちょっとガッカリさせられたが、「おとっつぁん、弥太郎さんがいじめます」とか「冥土へ行くんなら静かに行ってくれよ」などもキメぜりふがピタリとハマってる。 [映画館(邦画)] 7点(2008-08-09 12:04:04) |
2037. 忍びの者
山本薩夫って社会派にしてはウマイ人という印象があり(なにしろ座頭市も一本撮ってるくらいで)、本作も評判良かったんで期待して見たら、あるいは期待しすぎちゃったのか、スカッとはいかなかった。やっぱり社会派、下忍だって人間なんだ、という人間賛歌の話なので、雷蔵のクールな魅力があんまり生きない。いいのは二つの忍者集団の頭領を交互につとめる伊藤雄之助の怪優ぶりで、モッタリしてたのがひとたび変装すると、小道をササササと小走りに行くなんてあたり。あと役目をちゃんとやってるか見守る加藤嘉の気味悪さも印象に残る。日本映画黄金期にはこういった脇役が豊富にいたなあ、とあらためて思う。これを見る前に同じ62年の篠田正浩作品『涙を、獅子のたて髪に』を見てたんだけど、それで主人公を誘惑してた岸田今日子が、これでもまた主人公を誘惑していた。 [映画館(邦画)] 6点(2008-08-08 10:19:49) |
2038. 富江 最終章~禁断の果実~
《ネタバレ》 前作は青春ドラマだったが、とうとうホームドラマにまで作品の世界は縮まった。その分密度が増したかというと、そうはいかなくて、なんかパサパサ。富江に俗世を超越したものが感じられないのが致命的だ。キャビア食べたがってるただの性格の悪い女。父親の初恋の女性を娘が飼育するって三角関係の趣向が、神話を組み立てそうでいて、でもよく考えてもあんまり意味を見出せない。今までの富江は男を迷妄に導いて自分を殺させるのだったが、今回は、バケモノめ、と罵られて殺される。正体を見破られて殺される。新機軸というより、凡庸化であろう。それにしても副題の「禁断の果実」は恥ずかしいなあ。 [ビデオ(邦画)] 5点(2008-08-07 12:14:05) |
2039. マラノーチェ
《ネタバレ》 題は「最悪の夜」ってことで、どこでその言葉が出てくるかっていうと、激しいホモのセックスシーンがあって、翌朝「うーん、ケツが痛い」って言いながら主人公が街を歩いているときに「最悪の夜だった」って出てくるの。変な映画見始めちゃったなあ、と半ば後悔しながら見続けていると、今度はラスト近くに本当の最悪の夜がやってくる。アメリカに不法入国したメキシコ人が、別の捜査で来た警官に過敏に反応してしまい、逃げ回り射殺される展開。白黒画面に緊張したサスペンスが走る見事なカットの連続であった。そう言えばこの監督『サイコ』をそのままのカット割りでリメイクしたこともあったっけ。サスペンスへの興味はデビュー作からあったんだ。それと異郷の地で言葉の通じない男同士の出会いって設定は、『パリ・ジュテーム』でそのまままた使ってた。ホモの愛の世界の微妙な味わいはよく分からないけど、優越した立場になってしまう白人の、不法移民に対する疚しさみたいなものも描かれていたような。 [DVD(字幕)] 6点(2008-08-06 09:21:56) |
2040. JSA
こういうことがあってほしいという願いが、凝り固まって一瞬のおとぎ話を生み出したような。満月の空に手紙を投げ、三ヶ月の空を返ってくるなんてあたり。民族分断の悲劇ではあるけれど、それが「引き裂かれた肉親の慟哭」といった激情を通してでなく、こういったささやかな宴の場が奪われているってことで描かれる。それだけに「けっきょくは敵なんだ」という言葉が悲痛。終わりのほうは何かごちゃごちゃして、理解しそこなったところがあるかも知れないが、個人に覆いかぶさる国家の重さは体感できた。 [映画館(字幕)] 7点(2008-08-05 13:43:36)(良:1票) |