2061. アズールとアスマール
絵画的な美しさは、映画の感動の基準としてあんまり重要視していなかったのだが、それも程度の問題で、ここまで徹底して美しいとやはり乗せられてしまう。イスラム文化の幾何学的なデザインが満ち溢れ、それに色彩が氾濫する。最近のアニメは、平面の世界にいかに立体感を出し、自然物に近づけるかってことに腐心していたが、これは平面で結構と開き直っていて、影もない。樹木さえデザインのように垂直に描かれ、建物の柱と変わらず、平面の美に奉仕する。アールヌーボー的な自然美の再現の次には、こういったアールデコ的な美が興るのは歴史的必然か。その分、動きの面白味は制限されていて、天体観測台の場などもっと姫を縦横に動き回らせたい気もするが、ラストの盛り上がらなさも含め、全体として上品なおっとりした気分は出た。これはこれでアニメの一つの方向としていいと思う。日本にだって琳派などデザイン的な美はいっぱいあるのだから、こういう方面へのアニメの開拓ももっとあっていい。 [DVD(吹替)] 8点(2008-07-15 12:14:27)(良:2票) |
2062. アザーズ
冒頭のヒロインの悲鳴が、終わってみると意味深長で。召使たちが怪しく、ヒロインも怪しく、観客はどこにも足を落ち着けられずに、この家を見守ることになる。最初のうちは姉のいたずらという可能性を残しているところも膨らみ。死者の写真は気味悪く、二階からの音も効果満点。でも終わって一番怖かったのは、カーテンを閉め切って太陽の光を避け、暗い部屋で息を殺してじっとしている存在って、いまここに集まっていた映画館の観客である我々のことではないか、と思ったとき。キャーッ。 [映画館(字幕)] 7点(2008-07-14 10:49:41) |
2063. ウォーターボーイズ
微妙にこの監督向きの題材ではなかったような。ガールフレンドが自販機にケリを入れて登場するようなあの感じこそ、この監督の味だ。「これコツがあんの」って。5人がボーゼンとこっちを向いて並んでいる場の反復とか。頑張って成功するという段取りのとこより、新任女性教師の登場でワッと集まり、産休でワッと減り、テレビで紹介されてまたワッと集まり、ってようなとこがいい。ゲーム機などを見ると同時代の話らしいが、出てくる曲はすべてナツメロ、これ監督の強引な趣味であろう。指導者がいいかげんなイルカ調教師ってのは面白いんだけど、竹中直人がはしゃぎすぎてしまう。 [映画館(邦画)] 7点(2008-07-13 11:13:36) |
2064. まぶだち
《ネタバレ》 特別不貞腐れてるわけではないけど、先生にはそう見えるって子、いる。万引きがばれて、ほかの子は親に叱責されるが、主人公の親子は廊下に出て気まずく見つめ合うだけ。じゃ、そろそろ戻ろうか、と仕切るのは子の方。でも家に帰ってきて、やっぱり殴ることにした、と言ってぶち、でもいまさら殴って良かったのか? とまだハッキリしないおとーさんがいい。反省文が先生に褒められてしまうことの居心地の悪さってよく分かる。反省文を川に流す段取り、「あ、あれ何だ、って言って」って言って、それに気を取られて落とすという、事故の原因をちゃんと捏造するのがおかしい。自分から飛び込んだのではないか、と聞く先生に、足を滑らせたんです、ときっぱり答える。そういう小さな名場面がいろいろありました。生き生きとした緑の中にある廃バスや廃機関車。 [映画館(邦画)] 7点(2008-07-12 11:15:03) |
2065. 長江哀歌
《ネタバレ》 せっせと作られていく廃墟の街のその荒廃ぶりが、フィルムに記録されていく。外からの暴力にあって廃墟となったわけではない。強制立ち退きという、いわば内なる病魔によって、秩序正しく蝕まれていったその荒廃は、より痛ましい。消毒液を撒く人たちの姿も凶々しく、破壊するための労働に従事している男たちの肉体のみ、テカテカと光っている。近代化とはどこの国でも結局こういうことになっちゃうんだなあ、という深い諦めのようなもの。街をなくしてダムにたたえられることになるだろう膨大な量の水に圧倒されながら、その街をさすらう女の飲むペットボトルの水がより貴重に見えてくる。いくつかはさまれる驚きのカット、京劇役者が部屋に座っているのは、消えていく伝統ってことかな、と考えられないこともなかったが、飛んでっちゃった建物は、私にはまったく理解不能だった。それが何を意味するのかも、そのカットが入ることでこの映画にどういう効果をもたらそうとしたのかも。 [DVD(字幕)] 6点(2008-07-11 12:12:48) |
2066. リリイ・シュシュのすべて
いじめている人間もつらそうだったりする。傷ついた者たちが、さらに互いに傷つけ合って、そして壊れていく教室。だらしなくいじめている者と、必死にいじめている者とがいて、星野君は必死にいじめているのが、なんかとてもつらそう。沖縄で死にそうになって、悪霊がついたって感じで。でもきっと、本当に怖いのは、だらしなくいじめることができる連中の方なんだ。ひとり踏ん張っている久野さんが希望。伊藤歩がすごくいい。 [映画館(邦画)] 7点(2008-07-10 12:10:24) |
2067. 蝶の舌
内戦・子ども・昆虫というスペインお得意の三題噺。かたわらで犬が吠えてないと燃えない女とか、狼にさらわれた娘とか、四つ脚のケダモノの臭いもたちこめ、どこか民話の匂いに混ざり込む。そういう空気の中に政治がヌッと顔を出す。これはもうラストシーンのためにある映画で、安易な反戦映画だと、子どもが「大人は間違ってる」と大見得を切るところだが、政治とはそんな生易しいものではない。政治は途方もなく大きな困惑として子どもの前に立ちはだかる。怒りを描く映画は多いが、困惑を切実に描いてここまで成功した映画は少ないのではないか。怒りはまた別の戦争を肯定しかねないが、子どもをこのように困惑させるものは、ただただ否定するしかない。 [映画館(字幕)] 7点(2008-07-09 10:52:54) |
2068. クロッシング・ザ・ブリッジ~サウンド・オブ・イスタンブール~
最初のほうのトルコのバンドの連中、東洋と西洋の融合とか立派なことを言ってるんだけど、やってる音楽はおおむね西欧音楽の和音やリズムにオリエント風味を付けたもので、モーツァルトのトルコ行進曲の異国情緒と五十歩百歩。ヒップポップやブレイクダンスと、いまや世界中どこでも同じ光景になってしまった。やたら唇が動くトルコ語のラップは聴き応えあり。でもだんだんロードムービー的に進むにつれて、音楽世界が深まってくる。それが純粋なトルコ音楽に向かうというより、トルコ音楽と他の音楽との接点に集中していく。ジプシー音楽、クルドの民謡、アラビア音楽としてのトルコ音楽たち。純粋な伝統ってあるのか、そもそも文化とは不純な融合によって発展したものじゃないか、ってことをこの後半で言ってるみたい。そう思うと前半のバンドたちの音楽も、その中途半端さの意義を認めてやりたくなる。 [DVD(字幕)] 6点(2008-07-08 12:14:55) |
2069. ムッシュ・カステラの恋
ヤボは勝つという話。日本の洒落本の世界でも、最初は通人がヤボを馬鹿にするものだったのが、時代が下るとまじめなヤボのほうがモテるという逆転が起こる。ここでも、中小企業の社長と芸術家集団とで、ヤボな前者が輝やき、後者の俗物ぶりが浮き彫りにされる。この話全体が実にイキである。たぶんフランスでは英会話学校に通うなんてのはヤボの骨頂なのだろうな。でもその言葉を限られた状況が、ウブな恋をする中年男の状況とうまく重なっている。フルートの実につまらないメロディのパートも、ラストでアンサンブルになると、それはそれで楽しい。人生ってこれだなあと思う。 [映画館(字幕)] 6点(2008-07-07 12:10:17)(良:2票) |
2070. 友へ チング
ナンバー2の哀しみの映画か。かなわないナンバー1を常に意識して生きる人々。誰かに心酔するってそういうことでもあるし。そのかなわない対象への愛憎。ジュンソクがサンテクに女をあてがうのを、雑誌をパラパラめくりながら鬱屈して見ているドンス。またジュンソクも、親父がヤクザという負い目を持ち続けて、表街道を生きられるサンテクに「かなわない」いう気持ちを持っている。サンテクは自分のせいでジュンソクが退校になっている負い目を持つ。喧嘩を代行してもらう「かなわな」さがある。この「かなわない」でがっちり固まった関係が、つまり友情。ラストで初めてジュンソクはドンスに対する借りを返すわけで、ドンスの心酔に対応したことになるわけだ。 [映画館(字幕)] 6点(2008-07-06 12:16:41) |
2071. プラネット・テラー in グラインドハウス
《ネタバレ》 タランティーノ版は楽しめなかったが、基本的にゲテモノは好きなのでこっちはちょっとは楽しめるのではないかと思って見たら、すごく楽しめた自分が恥ずかしい。まずほとんど筋が分かってしまう架空映画の予告編が楽しい。本編、前半はさしたることなし。病院に次々とドロドロした人が担ぎ込まれてくるあたりからか。ゲテモノテイストがはっきり立ち上がり、またヒーロー、エル・レイの安っぽい活躍も始まる。無意味に壁面で一回転したり、二丁拳銃をクルクル回して周囲に“こいつタダモンじゃねえ”と感嘆させたり、かつて映画にあった安っぽさゆえの活力を再現しているその情熱。「不手際をお詫びします・支配人」でクライマックスに跳ぶ離れわざ。またこれは、なぜかイロっぽいシーンを含む巻から紛失していった映画上映史上の謎を後世に伝える役目も果たしていよう。ラストはもう一気呵成で、ヒロインが塀を飛び越えるとこ、ブリッジで砲撃をかわすとこなど、たまらなかったです。ミーミレミファミレ、ミーミレミファミレの心地よく下品なテーマ音楽が、今も頭の中で鳴り続けている。 [DVD(字幕)] 7点(2008-07-05 11:19:02)(良:1票) |
2072. プラットホーム
おそらく二度目により感動するたぐいの映画だろう、と日記に記しているが、まだ二度目は果たしていない。青春の自由と自由ゆえの頼りなさみたいなものが、あわあわと描かれていた。炭坑で働く人々の描写が向こうでは当局のチェックにあったとか聞いたけど、社会問題を提示するというより、青年たちがこれから出て行かねばならぬ社会の苛酷さにおびえためらう要素として置かれていたよう。汽車のモチーフが全編を貫いた。汽車を見たことのない彼らが、バスの中で警笛を真似て始まり、最後は村に戻って家庭にはいった一人の部屋でケトルが警笛のように鳴って終わる。その部屋からは、若いときにタムロしていた城門が見えている。日本にもあるサークル青春ものの中国拡大版だ。日本の青春ものの過剰ななれなれしさがない。外から聞こえてくる町の音、半野喜弘のヴァイオリンとチェロの音楽が、断片的に入る。 [映画館(字幕)] 7点(2008-07-04 11:22:36) |
2073. シッピング・ニュース
この監督は北へ帰りたがる。『サイダーハウス・ルール』のメイン州よりさらに北のニューファンドランド。淡々としていながら暴力の影がつきまとっている映画。娘に対する母の、兄の妹への暴力から、夫の首を切った妻、さらに遠く海賊の暴力までが潜んでいる。先祖の悪行をドロドロと引きずっていると感じる主人公は、下手すると横溝正史の世界になってしまうところだが、その過去からの解放として家の消滅が描かれるのか。この村、船を壊して若者を出させないなど、なんか「砂の女」的な不気味さもある。“人情の村”の癒やしと拘束。そこらへんあまり焦点を定めずに描いたところが、中途半端なような、作品としての膨らみのような。主人公が出来事を「見出し」にして呟くところがおかしい。 [映画館(字幕)] 6点(2008-07-03 12:16:04) |
2074. バスを待ちながら
《ネタバレ》 ボリス・ヴィアンの小説「北京の秋」のアタマを思わせる出だし、またブニュエルの『皆殺しの天使』もヒントになってるようで、あちらはシュールレアリズムがごく自然に日常につながっている。通過地点であるバス停が、巣となって住処に変わっていくファンタジー。前半は、アメリカにもロシアにも頼らずに自力でバスを動かそうっていう政治的メッセージが感じられるが、しだいに純粋なファンタジー性が濃くなる。いちおう夢落ちなのだが、その夢を皆が共通に見てるってとこが大事で、生理現象としての夢と希望としての夢とが重なっている。強欲な缶詰男は夢に参加できなかったし。どうでもいいことだけど、あちら方面の映画の主人公って日本人から見るとすごくニヤケて見えるんだよな(子どもの時「怪傑ゾロ」のガイ・ウィリアムスを見てそう感じたのが最初)。文化によっていい男の基準が違うよい例だろう。 [映画館(字幕)] 7点(2008-07-02 12:16:26) |
2075. フランドル
寓話と納得するまでは、いったいこれ何の戦争なんだろうと考え込んでしまった。あえて現代風俗で描いたアルジェ戦かな、とか。そうではなくて、フランスから遠く離れたよその国で行なわれる抽象的な“戦争一般”だったんだな。だから当然アルジェも入ってるし、ベトナムを思わせるジャングルめいた場所もチラッと入った。フランスにとってはあんまり思い出したくない戦争の、混合された戦場。映画としての焦点の当てどころがもひとつ分からなかったんだけど、フランドルのみずみずしい田園と、乾燥した戦場との対比みたいなものは感じた。その間隙に、戦場の男と故郷の女の間にお互いに話せないことが生じてしまう。戦争とはそういうこと、って。行軍のパサついた感覚が、心のパサつきとともに、体感として記憶に残る。 [DVD(字幕)] 6点(2008-07-01 12:13:43) |
2076. KT
アタマのほうの北朝鮮がらみのとこや女性がらみの部分を刈り込めば、もっと締まって面白くなっただろう。一個の機械と割り切って仕事を進めていくKCIAと、積極的にそのチリチリとした「戦争」の充実感を求めて加わっていく自衛隊員との対比だけで十分面白くなれたはず。匿名の町のたたずまいがいい、どことははっきりしないが、何かが進行しつつある町。スリルとしては、最初のホテルの場が一番上出来だったのでは。常に移動するカメラ。主人公は「狼は生きろ、豚は死ね」だが、原田芳雄は「豚は生きろ、狼は死ね」と言う。原田芳雄が言うと、何か深そうに聞こえる。 [映画館(邦画)] 6点(2008-06-30 12:11:59) |
2077. バーバー
《ネタバレ》 日常からの脱出をもくろむ小市民の悲喜劇。半分近くインチキかもしれぬと疑いつつも、ドライクリーニング話に投資してしまうまでの閉塞感がある。事件を起こした後も、犯罪が露見することをさして恐れていない。今と変われればそれでいいと思っているのに、常に疑いはよそへそれ、彼は床屋に取り残されてしまう。弁護士に俺が殺したと言っても、取り合ってくれない。もう自分の床屋からの脱出はあきらめ、娘のピアニストの夢に賭けるのだが、彼女には才能がなかった。まあ、幻滅のつるべ打ち。日常ってこんなにも手強いものだったのか。ところがひょんな逮捕によって、やっと床屋以外の場所へ旅立てることになる。床屋の椅子のような電気椅子。いままで客が座っていた場所にやっと自分が腰を下ろせた、という皮肉な安堵感、ここらへんがコーエンの味ですか。ベートーベンのピアノソナタの緩徐楽章が、彼が求めてやまなかった慰安の世界を暗示する。 [映画館(字幕)] 7点(2008-06-29 12:15:05)(良:3票) |
2078. 金色の嘘
ヒロイン、シャーロット(ユマ・サーマン)は“なにも企んでません”といったキョトンとした顔のときに、かえってすごく怪しく見える。ヘンリー・ジェイムズの世界って、いつもアメリカとヨーロッパがお互いを探り合っているような関係が底にあり、本作でもイタリア男に代表されるヨーロッパがアメリカを手玉にとってるようでもあり、真実手玉にとったのはアメリカの父娘だったようでもあり、結局したたかだったのは誰でしょう、ってナゾナゾみたくなる。ヨーロッパを発つときに精一杯の見得を切る弱さもあれば、新聞に載る写真では生き生きと輝いている強さもあって、何重もの屈折が仕組まれているよう。企みを秘めた社交って設定、あっちの人は好きね。 [映画館(字幕)] 6点(2008-06-28 12:13:09)(良:1票) |
2079. 天然コケッコー
ヒロインそよちゃんにとって東京は大沢君が暮らしていた場所でしかなく、それ以上でも以下でもない。そりゃ人混みに身はすくむけど、別に卑屈感なわけではない。ルーズソックスを買ってくるぐらい。新宿の街も耳を手で囲えばゴウゴウと山と同じ音をたてている。「行って帰ります」だ。この映画がいいのは、田舎の舞台を、都会人のユートピアとしての自然賛歌や人情賛歌として描いたのではなく、べつに都会と関係なくちゃんとやってま~す、っていう地方賛歌にしているところ。学校の将来はちょっと心配だし、借金自殺の「名所」もあるけど、ここで生まれたんだから、ごく自然にここにいる、って感じのヒロインなの。ここからがいいとこじゃけー、とやたらお神楽の解説をして引き留めたがる郵便局のアンちゃんが、土地の人のよさを代表する。話の区切りごとのフェイドアウトに安定感。ラストに、ワンカットの中で時間が跳ぶ、映画ならではのマジックがあった。 [DVD(邦画)] 7点(2008-06-27 12:14:49) |
2080. es[エス](2001)
ゲーム的な気分にしだいに「マジ」が入り込んでくるあたりが見せ場になるはずなのに、主人公が積極的に挑発してしまうので興を削ぐ。特定の誰かが仕掛けることなく、集団そのものの力学で事態が悪化していくべき。屈辱を与えなければならないという発想や、連帯責任の発想といった、人間集団の病理に迫れるところを、後半は既視感のあるB級映画の世界に逃げてしまった。個人の資質と無関係に状況から残虐は生まれてくる、って大事な話なんだけど。閉所恐怖症気味の人間としては、あの箱に閉じ込められるシーンがないといいな、と念じつつ見てたが、やっぱりあった。 [映画館(字幕)] 6点(2008-06-26 12:15:26)(良:1票) |