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2241.  ツォツィ 《ネタバレ》 
映画に登場する不良にはパターンがあって、1ふてくされている、2世間に対してたかをくくった態度をとる、3馬鹿にしたうすら笑いを浮かべる、といったところ。なのにこの主人公はそのどれもしてくれない。常に硬い表情を張りつめ崩さない。世間に対してどちらかというと怯えているようでもあり、それを無理に鼓舞して向かってる感じ。車椅子の男に「なんで生きているのか?」と尋ねるあたり、からかいも皮肉もなく、僧に疑問をぶつける求道者の真剣さすら感じられる。彼の表情がこの映画のすべてだ。話の段取りは、母の記憶や女性のたしなめなど、陳腐に落ちかねないぎりぎりのところで進むが、射殺されるドラマチックなラストを採用しなかったことは成功だった。彼の被害者であるブラザーの声に励まされ、みっともなく手を上げる姿で切り上げる。おそらく求道者が道を見いだしたときの姿というのは、そのみっともなさが神々しいこんな姿なのじゃないか、という気にもなってくるのだ。
[DVD(字幕)] 6点(2008-01-16 12:20:25)(良:1票)
2242.  戦争は終った
スペインとフランスの距離、現場の視点と現場から離れたところでの視点のずれ、みたいなこと。反フランコ闘争の現場であるスペインでは、ゼネストが不発に終わるだろうことは見えている。しかし現場から離れたフランスの亡命者たちには、理想が先行しちゃっているのでそれが分からない。現場との距離に抽象化が正比例してしまう。このギャップは仕方のないことなのか、克服する手はあるのか、いう問いかけを感じた。それは学生たちの過激主義にも通じていく問題。取るべき行動を封じられると、ただ理想を純化していくしかないのか。これは60年代の熱い問いだったが、たとえばいま現在のイスラム世界で生々しく立ち上がっている問いでもあろう。
[映画館(字幕)] 6点(2008-01-15 12:18:14)
2243.  クィーン 《ネタバレ》 
空気が読めない、ってことを、最近はひどい欠点のように言うが、そうだろうか。この映画のエリザベス女王は、まさに空気が読めなかった。自分の王国が空気のおもむくままに浮遊する「大げさな涙とパフォーマンス」の国に堕してしまっていたことに気づかなかった、あるいはうすうす気づいていて認めたくなかったのかもしれない。自分が国の品位を体現する存在だと信じていた。イギリスならではの、皮相なからかいのない上質のユーモアで綴られた映画だが、かなり苦い内容を含んでいる。この女王の落胆が主題だから。そして作者は、空気を読めなかった女王を遠回しに賛美し、ダイアナバッシングから王室バッシングへころっと変われる世相を遠回しにチクリと刺す。やがて殺されていく大鹿の威厳と女王の品位、敗北していくもの同士が対面する川岸のシーンを美しく歌い上げたように、ひとつの文化の型が失われていく挽歌を、この映画は奏でたかったのだろう。あの鹿はダイアナではなく女王自身、こうでありたかった女王の肖像画なのだと思う。それにしてもこういう映画を平気で作れてしまうのは、シェイクスピアの史劇の伝統があるからなのか、ウチの国はかないませんなあ。
[DVD(字幕)] 7点(2008-01-14 12:23:21)
2244.  新宿泥棒日記
いま大島作品で一番再見したい気分が高まっている映画。60年代後半の新宿の風俗をドキュメンタリー的に見なおしたいって気持ちも多分にある。時代を離れて批評するのではなく、時代とともに一度流されてみようとした映画だから、こう時がたってこそ、タイムカプセルを開けて見るような意義が生まれてくるフィルムかもしれない。一番記憶に残っているのは、夜の紀伊国屋のシーン、本を買えない女店員(?)の抑えられていた望みなのか、読みたい本の多数の「声」たちが、じわじわと滲み出し重なってきて、夜の書店のなかにこだましていくところ。この監督、ムッツリと俺は硬派だって顔していながら、けっこうリリシズムを不意に溢れさせるところがあって、そこが私は好きだ。唐十郎がかわいい。
[映画館(邦画)] 6点(2008-01-13 12:22:44)
2245.  メロ
流れるような移動撮影が売りの監督が、舞台劇をできるだけ舞台のまま映画化するとどうなるか、ってとこが興味の作品で、ほんとに舞台調で押し切るの。最後ヒロインの道行きだけ外に出る。ヒロインはただただ不幸を引き受け、男は女を信じそこなったことを後悔し、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ3楽章と1楽章がそれぞれに流れて、まことにメロドラマ(メロドラマって言葉はもともとメロディドラマから来てるそうで)。メロドラマとは何ぞや、という皮肉な分析でもするのかと思っていたが、そうでもない。この監督、晩年になってミュージカルに興味を見せ始めたのも、ここらへんからつながっていることなのか。ドラマのストーリーよりも、その閉じた舞台空間の窮屈さがヒロインを追いつめていったようにも見えるが、この映画の設定に何らかの意味を見つけようとして無理にそう感じたような気もする。
[地上波(字幕)] 6点(2008-01-12 12:13:33)
2246.  いのち・ぼうにふろう 《ネタバレ》 
これを見た日の日記には、こんなことが書かれている。『あれだけ、罠かもしれない、と主人公たち風来坊グループが言っていながら、何も対策たてないでノコノコ行くってのはトンマすぎないか。ぼうにふろうったって、自殺しようってんじゃないでしょ。それにまた山本圭(彼らが救おうとしてる若者)が、わざわざ一肌脱いで助けてやろうって気になれそうもない、とんだグズでなあ。なにかと迷惑掛け続けて、それで、逃げろ逃げろって言ってんのに、目ぇ剥いてぐずぐずしてて、ほんとイライラさせる。』なんとなく「用心棒」の土屋嘉男をいま連想した。太っ腹を描くときに、対照的に実直な小者を置くってのが邦画の段取りか。『小林正樹、あきらかにピークを過ぎた71年の作品だが、昨今の邦画のレベルから見れば秀作と呼べるだろう、スタッフの力か。武満徹の音の塊りがロングのカットでドローンと入ると、とたんに画面が締まるから恐ろしい。』
[映画館(邦画)] 6点(2008-01-11 12:27:57)
2247.  苺とチョコレート
男二人、反発から友情へという定型の話だけど、二人だけの話で閉じず、だんだん社会に開いていくところがいい。「ぼくがいなければ、この国は何かを失う」という主人公の言葉に、すべてが凝縮している。見ようによってはずいぶん割り切りすぎてもいる。共産主義者のダビドに対してディエゴは性的異端、宗教や芸術サイドの証言者にもなっている。もっと討論でダビドに主張してほしいところもあるが、大事なのはいろいろな立場や考え方が複数存在することを認めあうことであって、そこへ話が絞り込まれていくので後味はいい。どんな社会体制であろうと、女の仕種をする男というものは笑いの種になり、これを単に偏見として切り捨てるのではなく、なぜ男の仕種をする女は笑いの対象にならないのかを含め、仕種の社会学として研究する価値があるのではないか。冷蔵庫にロッコという名前をつけてペットがわりにしている。
[映画館(字幕)] 6点(2008-01-10 12:23:04)
2248.  異母兄弟
硬と軟がきれいに分かれている設定で、長男次男は陸軍、家父長の権化のような三国連太郎の精神的直系。いっぽう女中に生ませた子は海軍で、女中とヨサコイ節を歌ったりして軟弱。男性性と女性性の対比の物語でもある。一種「人形の家」のノラめいた話になっていくが、家を出ないで居座るところが日本的か。ただ父親の“横暴”も、それである程度家政の役を果たしていたところがあるので、それのみに罪を負わせる女もずるい、って気もした。慰安婦として南方に送られていく女中こそ、ひたすら哀れ。芥川也寸志の音楽は荘重にパイプオルガンが響き、ラストにはパッサカリアふうの曲もある。
[映画館(邦画)] 6点(2008-01-08 12:21:35)
2249.  暗黒街の対決 《ネタバレ》 
これを見た日の日記を以下に再現する。『岡本喜八のリズムになりきってます。シーンの冒頭のカットでいつもハッとさせる。パッと踊り子に照明が当たったり、あるいはシーンの終わりを射撃場の“ダブル”で締めたり、キビキビしてる。それでいて殺し屋にコーラスさせる(やっちゃえやっちゃえ)なんてユーモアも忘れていない。ミッキー・カーチスが怪しげなライト浴びてギャーッと言うところまで。悪玉中丸忠雄が、あっさり手錠かけられちゃうなんてユーモアもなかなか。三船敏郎は、ちょっと「用心棒」を先取りしたような役柄で。』射撃場のダブルってのが何だったのかまったく思い出せないが、ミッキー・カーチスがギャーッと叫ぶってとこを再見したい気持ちが、いま激しく高まっている。
[映画館(邦画)] 7点(2008-01-07 12:20:28)
2250.  アメリカの伯父さん
生物学者がネズミを例にひいて「状況を把握できないことが苦悩だ」と言う。しかしその「状況を把握できないで苦悩するネズミ」を、上から客観的に観察すると、それは滑稽に見える。この苦悩と滑稽の絡みあいこそが人生、ってことかしらん。映画の大枠だけみると、安全地帯から観察しているものの無責任さや上品ぶった語り口が想像され、フランス映画お得意のおすましした世界だな、と思われるかもしれないが、でもそこはかとないしみじみした情感も感じられるところが悪くない。島で再会する場面、当人たちにしてはひどく厳粛、それをネズミの類型を通して一度滑稽に転化し、そのネズミがまた人間に戻ってくると、滑稽を含めた人間の営みがより大きな厳粛さの中に吸い込まれていくような、宗教的な悟りとは別ものだけど、ある種の安定した人生観が見えてくる。行動心理学でとりあえず説明しようとし、でもそれで割り切れない部分にいとおしさを感じさせるような、そんな映画。
[映画館(字幕)] 7点(2008-01-06 12:26:33)
2251.  天草四郎時貞
佐藤慶は、横からの光で陰影が出てこそ生きる顔。白黒映画向き。いっぽう大川橋蔵は、こうこうとしたライトの下でこそ映える顔。カラー映画向き。この白黒映画は、主演俳優にとっても監督にとってもつらい組み合わせだったんじゃないか。でもまったくつまらないかというと、そうでもなく、革命論としてああだこうだ思考している部分は濃い。ラストで「日本の夜と霧」を小さくしたようなディスカッションシーンがある。みんなの心が一つの意志で固まり同じ目的に進むというような、革命の機が熟するとき、ってのは永遠に来ないのではないか、という問題が提示される。分裂と離反を繰り返してこそ革新的であり続けられるのだとしたら、革新的であることが革命を向こうへ向こうへと押しやっているのではないか、というパラドックスがある。急進派と慎重派を両極とした幅広い団結は可能か、そのような団結に意義はあるのか、といった問題にもなってくる。そういう面倒くさいことは映画でなく本でやってくれ、という意見もあろうが(おそらく大川橋蔵もそう思っただろうが)、60年代とはこういう時代だったのだ。「日本の夜と霧」から「白昼の通り魔」へとつながる革命崩壊三部作とでも呼ぼうか。
[映画館(邦画)] 6点(2008-01-05 12:23:39)
2252.  雨の午後の降霊祭 《ネタバレ》 
強い妻と弱い夫の話と思わせておいて、ここからがネタバレの核心ですが、実は妻の弱点を包み込んでいる夫の愛がラストで明らかになる、ってところがポイントの話だったと思う。大昔に見た映画で、白黒ならではのしっとりした質感は思い出せるのだが、あとは不確か。いま日記の記述をひもといてみると、「妻への一途な愛・献身」とか「絶望的な企てに加担していく悲劇」とか「愚行ゆえの神々しさ」などと記されている。「妻の死を願うまでに思いつめているのにズルズル犯行を続けていくあたりのアッテンボローの演技が見もの」だそうだ。「アーサーのイメージがも一つ弱いのが、スリラーとしてみたときに弱点になる」そうだけど、このアーサーってのが何なのか思い出せない。死んだせがれの霊だったか。無責任な書き込みで申し訳ない。レビューなしの作品で見たことある映画だと、つい埋めたくなってしまうもので。
[映画館(字幕)] 6点(2008-01-04 12:21:34)
2253.  愛の讃歌 《ネタバレ》 
伴淳が女のもとへ、ほかの用事にかこつけながら出かけようとし、それを周囲がからかう場なぞ「寅」で何度も見ることになるシーン。「今日も待ち人来たらずか」のせりふは、やがてタコ社長によって反復される。実質の主人公である有島一郎の、想いを秘めながらひたすら倍賞へ尽くす姿は、そのままインテリの寅さんのようでもあるし、また寅シリーズによく登場する口下手なインテリそのものでもある。これ、寅が始まる2年前の作品。人生で後悔したくない、後悔させたくない、という互いの想いが、ややこしく絡み合ってしまう恋人たちの物語。その背景となる瀬戸内海の島は、若者を閉じ込める拘束場所だが、ユートピアにもなっている。おそらく現実の地方暮らしだったら、娘が父なし子を出産したらこう温かくは見守られず、どろりとした非難の眼差しも少なからず向けられるだろう。そうしていたたまれず大阪に逃げていくという話になる。でもこの映画では地元の人々に祝福されての出発へと話を展開させることで、故郷というものが無垢のままに保存された。そうである世界から、そうであってほしい世界をひねり出していくのが、山田洋次の基本姿勢と言えるかも知れない。
[DVD(邦画)] 7点(2008-01-03 12:18:43)
2254.  暁の脱走 《ネタバレ》 
日本兵における“マジメ”がいかに異常なものであったかが、よく分かる。上官の足にヨーチンを塗り息を吹きかける主人公。その滅私奉公ぶり、ひたすら忠義を尽くすことの、マゾヒズムといってもいいような喜びすらが感じられる。よそから見ればビョーキだが、男だけの組織のなかではそれが安定したシステムを形作る基本単位の“マジメ”なのだ。これに対するのが山口淑子の春美、彼女こそ男を不幸にする元凶なのだけど、彼女は滅私の対極、“個人”が“私”のなかに満ちあふれ輝いている。敗戦直後の男性観・女性観の典型がここに見られ、しかしこれは典型として今でもある程度有効なのじゃないだろうか。疲れきって兵隊たちが帰ってくる場から、酒保でのツーツーレロレロでのはしゃぎぶりへのダイナミックな揺れぐあいなどに、脚本黒澤明のリズムが感じられた。ラストのゲートを突破するハラハラも彼の好んだモチーフだし、若山セツ子が聞く軽音楽(ポルカ?)の効果などにもやはり黒澤を思ってしまう。もしかすると谷口監督の個性かもしれないのに、ごめんなさい。
[映画館(邦画)] 7点(2008-01-01 12:26:57)
2255.  コワイ女 《ネタバレ》 
1話と3話はすでにある定型ホラーをモデルとした習作、といった出来だが、2話の「鋼」はオリジナルな世界を作ることに成功している。箱入り娘ならぬ袋入り娘とデートする話。しかもこの袋は彼女を大事に保護するためではなく、どうも彼女が周囲に危害を加えないようにくるんであるらしいのだ。その奇妙なデートを通して、娘ハガネちゃんの顔は見えず声も聞こえない。なのにしだいに彼女がかわいくすら思えてくるのは、けっこう「少女」の普遍を描けているからだろう。ドテッと転んだり、ちょっと目を離すと川に浮かんでたりするトラブルメイカーぶり、気分しだいで親しみと攻撃が目まぐるしく交錯する移り気、少女はこういう鋼を隠し持っているもの。彼女サイドから見れば、女シザーハンズの物語としてこの映画を捉えることもできる。黙々とミシン(マシンでもある)を踏むシーンが彼女の孤独をチラリと浮かばせた。また青年の側から見ると、純情とはいえ思春期の男、カラダさえあればあとはどうだっていい、という気持ちがなかったとは言えず、本当にそうかな、という脅しを含んだ問い返しの映画にもなっている。妹思いの優しさがそのまま不気味さにもなる兄、というヘンテコな役をリアリティたっぷりに演じるとなると、今や香川照之以外考えられなくなった。
[DVD(邦画)] 6点(2007-12-31 12:28:39)
2256.  抵抗(レジスタンス) 死刑囚の手記より 《ネタバレ》 
ハリウッドだったらもっとハラハラドキドキさせようとする。主人公が脱獄しようと監獄の扉を削ってるときに、階段を上ってくる見回りの兵士の姿を絶対挿入する。でもそういうことはしないで、この映画はただただ手と扉に集中する。あるいは、この獄舎全体の見取り図を観客に前もって知らせておいて、逃走のスリルをより高めようとする。でもそういうこともしてくれない。映画は一人称に徹する。主人公が初めて見たときに、観客も初めて見る。それまでは自分の手と扉しか見るものがない。だから観客は地図的にどういう経路で逃げたかよく分からないんだけど、それは上からゲームを眺めるように主人公を見なかったということで、彼に寄り添い、一体となっていた証拠。それこそが最良のサスペンス。ずっと息をつめ、自転車のキーコキーコいう音に、主人公と同時に耳を澄まさざるを得ないのだ。
[地上波(字幕)] 8点(2007-12-28 12:18:54)
2257.  皆殺しの天使 《ネタバレ》 
部屋から出られなくなる、というより、出るのが怖くなる、って感じ。そこらへんの心理描写が緻密なの。みんなが変だなと思いつつ、自分だけ帰るのは失礼じゃないか、と周囲をうかがったりして、やがて全員の固定観念が強迫観念に成長していってしまう。また召使たちが去っていく感じにも不思議な現実感があって、ストライキをしてやろうなんて意気込んでるわけでもなく、けっこう申し訳ながったりしながら去っていく。あんたはどうすんの、なんて会話がすごくリアル。有り得ない世界を精密に構築していくとなると、もうこの監督の独壇場だ。「黄金時代」にも、ブルジョワの生活の外に、岩山やら雪原やらの酷薄な世界が広がっているイメージがあったけど、そういった外部を目にしてしまうことをこのブルジョワたちは怖れたんじゃないか。出るのが怖くなって、立て籠もったとも言えるのじゃないか。
[映画館(字幕)] 9点(2007-12-27 12:21:35)
2258.  Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン 《ネタバレ》 
自分もマンギョンボン号に乗って北朝鮮に向かっているようなワクワク感が生まれた。ニュースなどでもよくピョンヤンは目にするが、それはあくまでも特異な国の首都としての映像で、本作のように日本から連続して今現在存在している街という実感がなかった。おそらく息子や兄や姪や甥に会いに行く家族の目を通しているからだろう。もちろん船中では例のごとく不自然に美人な歌手たちが将軍様をたたえる歌を歌ったりして、すでにあっちモードなのだが、それとても気色悪さよりはご愛嬌といった感じ。ピョンヤンへ向かうバスから見える索漠とした風景、広告のない殺風景な街路、広場では花束行進の訓練をしているが、意外とユルめの指導だったりと、なんか観光客のようにキョロキョロ見回す映画の視線が、こちらの好奇心と心地よく一体化する。かわいい甥や姪見ていればごく普通の日本家族の風景と同じ、しかし夜に甥がピアノを弾くときは停電時間らしくロウソクがともされる。ふとピョンヤンと地方ではまた違うんだろうなあ、などと窓の外の暗闇の果てを想像させる。お父さんはなにしろ大阪朝鮮総連の支部長までやった人、誕生パーティーの挨拶では勲章をたくさんつけて将軍様への恩をとうとうと語る。あの政府の機構の末端をになったものとして、あの国や在日帰還者の悲惨への責任はあるだろう。でもこの映画で綴られる愛すべき家長としてのお父さんの姿もまた真実。政治ってものはどうしてこう世の中をややこしくしてしまうのか。
[DVD(邦画)] 7点(2007-12-26 12:23:15)
2259.  戒厳令(1973)
これ私が初めて見た吉田喜重作品だった。とにかくその構図の美しさに見とれた。どうも一番最初に見た本作の印象が強く、今回再見してみたが、やはり喜重映画で一番好きな作品だと思う。凝った画面はときに薄っぺらになったりするものだが、この人の場合、凝視しすぎて構図が美的に固まったような感じで、装飾性は感じられない。本質がみっちり詰まって黒光りしているような重苦しさがあり、それが北一輝の「持ちこたえることによる革命」の重さと釣り合っている。硬い質感の喜重世界と、どちらかというと柔らかい質感の場面で味を見せる別役実の脚本とが、ここ1973年において奇跡的に融合した。「エロス+虐殺」も傑作だとは思うが、現代篇のことさらトンがってみせてるようなところが今見るといささか恥ずかしいのに対し、こちらは時代に集中することで純度の高さを保った。
[DVD(邦画)] 8点(2007-12-25 12:20:22)
2260.  華麗なる恋の舞台で 《ネタバレ》 
アネット・ベニングにはイタズラが似合う。イジワルですらイタズラに見えてしまう。派手な衣裳をピラピラさせながら登場するときの、してやったりとほくそ笑んでいるようないたずらっ子ぶり、いじわるの陰湿さはなく、晴れ晴れとさえしている。「三十女の役の次は母親役、そして祖母役」とボヤいていた鬱屈を跳ね飛ばしているから。中年女が若者と恋に落ちる芝居と聞けば、ああファルスか、と返される常識を吹き飛ばしているから。こういう役こそ役者冥利に尽きるというものだろう。とても楽しそうに演じているのが、こちらも見てて気持ちいい。この舞台女優には演出家の亡霊(マイケル・ガンボン)がつきまとっていて、日常生活でのふるまいになにかと注文をつけているのがおかしい。女優とは日常の中に演技が入ってきてしまう存在ということ。舞台を下りた自分の人生の中にも、芝居のせりふが無意識のうちに入り込んできてしまう。気に入ったせりふは同じ状況になると、より練られて繰り返される。ラストの舞台で、それら日常の身辺でざわめいていた言葉たちが一気に逆流し、ステージにかけ上がってきて輝き出す。圧巻である。
[DVD(字幕)] 7点(2007-12-24 12:16:15)
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