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261.  今夜はトーク・ハード
昼はさえない高校生、夜になると地下室からこっそり海賊放送する人気DJ(親にとっては心配なウツのせがれ)。昼はクラーク・ケント、夜はスーパーマン、と当時のノートに記しているが、今ならブロガーだな。ネットの世界でなら万能者。青春像は普遍です。ひとりひとりが電波を通じてかろうじてつながり合おうとしている。DJが彼と分かったときの周囲(クラスメイトや親たち)の反応をちゃんと見たかった。自殺少年への詫びが、次第に抗議の興奮に盛り上がっていくあたりが、まあ眼目。学校の不正はわざわざ要らなかったんじゃないか。C・スレーターはA・パーキンスの道を歩むのではないか、と当時心配している。目つきが危ない、と。
[映画館(字幕)] 6点(2013-06-28 09:59:25)
262.  おいしい結婚
平成版秋日和。親子も似せてある。不愉快な人物を登場させず、淡々とゴールインまでを描いていくんだけど、なんなんだろう、このうつろな感じ。『家族ゲーム』ではそこに焦点が当たっていたんだけど、もしかすると監督の作品で感じるうつろさは、意識的なものじゃなくて体質的なものだったのかも。現代のそういううつろさ・手応えのなさを、そのまま反映できるってのも才能の一種ではあろうが。都会の白いオフィスや原色の家具だけでなく、ラストの緑の野にもうつろさがある。南美江のおばあさんが弱かった。あれが重しになれたのかもしれない。おかしかったのは夫を送り出すときに異様に躁状態になる入江若葉。階段を一段ずつ上がりながらの会話。あるいは鍋を囲んでの会話。うまく合わない楽しさ。テーブルの配置も不思議。あとは、競技場での顔合わせのときのせりふの入れ方。
[映画館(邦画)] 6点(2013-06-27 10:04:19)
263.  ゾンビ革命~フアン・オブ・ザ・デッド~ 《ネタバレ》 
“ゾンビ世界めぐり”を志しているわけではないが、変わった国のゾンビ映画が目につくと見てしまう。イスラム圏初の『パキスタンゾンビ』とか、最近では(イギリス製だが)アフリカものもあった。「世界はゾンビで一つ」の思いが深まる。やってることはだいたい同じなのに、風土が変わることで、微妙に映画の表情も変わるとこが味わい。で今回は共産圏から参加。まずこういう映画が作られ得ることに驚いた。検閲はないのか? 「米帝国の陰謀による反体制運動」と報ずる国営放送など、平気でおちょくっている。壁のスローガンも笑いの対象。中国では作れまい。ゾンビ蔓延する街が海で限られてるとこが一番キューバらしさで、すぐに現状と重ねて思うが、それほど逃走に切迫した意志は感じられず、ダラダラとアパートの屋上から状況を眺めているのが、とりあえず食うに困らない島国で安穏に暮らしたい気分と通じる。若者たちはマイアミを目指すが主人公は国にとどまる決着は、ガス抜き映画として当局も認める落としどころだろう。手錠で一列につながれている端からゾンビになって齧られていくのがおかしい。広場でうごめくゾンビたちをちょん切っていく手段がユニーク。
[DVD(字幕)] 5点(2013-06-26 09:31:04)(良:1票)
264.  宿命(1956)
他人の不幸に対する責任、という問題。連帯とは何ぞや、ということ。大手労組が中小企業の労組との団結を簡単に言うことの欺瞞性みたいなことをチラと思った。現実問題として「連帯」って凄く難しいことなんだ。加害と被害の区別があやふやになっていく。この村の財産を守ろうと被害者の立場に立ったとたん、彼らは荒野で飢えた人々に対する加害者になっていく。「彼らはコレラだ、コレラからは村を守らねば」。あの村は「選ばれて」しまったわけで(主人公が受難劇のキリスト役に選ばれたように)、それが「宿命」なのか。話の骨格は、援助を求めてきた難民をどう扱うべきか、という問題で、それに村での受難劇が重なる仕組み。彼らは選ばれた責任を引き受けていく。各個人の財産に関するエゴを突つき出しながら。圧政下の平和か、自由の戦争か、って問題でもある。臆病な私は、連帯ということの厳しさをオロオロ噛み締めるばかり。赤狩りを逃れてフランスに渡った監督は、本作でM・メルクーリと出会った。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-25 09:58:21)
265.  デストラップ/死の罠
どんでん返しの瞬間ってのは、独特の爽やかさがある。いままでのストーリーが、新鮮に更新されるっていうか。映画の観客を引っ掛けるための偽の伏線ぽいシーンもあり、油断は出来ない。雷鳴の中で一瞬浮かぶ女性の姿にドキドキさせられたのも、それ? 実際の舞台だったらもっと面白かったろうというところもあるが(舞台の設定を朗読する)、電話をかけながらカメラの周りをグルグル回る映画ならではの迷宮感みたいなものもある。「世間は露出を好むんだ」なんてせりふ原作のものなんだろうが、『ネットワーク』の監督のものと思っても納得いくな。M・ケインがこそこそと室内を走り回る図が、おかしかったです。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-24 10:03:47)
266.  宮本武蔵 二刀流開眼 《ネタバレ》 
やたら偶然の出会いで話を進めていくのは、大衆小説では珍しくないし、おそらく新聞連載のときはそれほど目立たなかったかもしれないが、書物として続けて読むと、いささかゲンナリする。それをさらに映画では時間を圧縮しているわけで、たしかに「こう偶然出会い続けるのはいかがなものか」と思わぬとこがないでもないが、不思議と本で読むときよりは許せるんだ。とりわけ五条の橋の場なぞ(半分は必然だが)主要人物が勢ぞろいして壮観。まず試合の告の立て札に朝日が当たってくるカットがあり、まるで小太鼓のトレモロのような期待感が醸される。武蔵と朱実、般若面の小僧におつう、駕籠から見ている清十郎、当然のごとく小次郎もやってくる。彼は清十郎のとこに寄食しているし、清十郎は朱実の処女を奪った男で、朱実はいま小次郎と暮らす、という因縁もかぶさる。小次郎は、あんたは武蔵に負ける、と清十郎に予言する。そうそう、橋の下には気を失っているおばばもいる。こういう場面は、映画だといいのだ。本ほど理屈で読んでいるわけではないから、ざわざわと登場人物たちが橋に召喚されていく事態を、絡み合った紐を解きほぐしている気分で眺めていられる。本作で一番嬉しいシークエンス。あとは花の切り口で唸ったりする講談的味わいや、偽の小次郎となった又八が本物と出会い、さらに朱実が絡んだりするときの、背後で聞こえる町の賑わいや祭囃子の効果もいい。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2013-06-23 09:28:31)
267.  雪之丞変化(1935)
東海林太郎の「むらさき小唄」が流れて始まるが(トーキーになり映画主題歌でレコード業界とつながった最初のころだろう)、私が見たのは総集篇で、ハラハラの設定までナレーションで準備してしまうのは参った。でも舞台がらみのシーンはなかなか見せます。悪女伏見直江に閉じ込められたはずの雪之丞が、ちゃんと町娘姿で舞台に立つとこ。もちろん映画の観客は闇太郎に助けられたことを知ってるし、間にあうだろうかどうだろうか、なんて心配してないが、嬉しいね。毒婦の鼻をあかしてやって痛快、っていうのとも違う。女形というものの非現実性から来る不思議を目の当たりにした、という感じだろうか。あるいはやはり舞台シーン、雪之丞を狙う男二人、毒婦の差し金で野次ろうと待ち構えているゴロツキども、御簾の中で目を配る伏見のカットなど、純粋な悪意が描かれるあたり。どうして映画のなかの劇場ってのは、こうドキドキさせるんだろう。とりわけ歌舞伎という芝居は客席に花道を一本通しただけで、小屋全体が舞台になってしまった演劇であり、小宇宙になっている。奈落では仇の二人が取っ組み合って地獄を現出しているし、外の廊下では男が殺されているし、もう小屋全体がドラマの興奮に詰まって、それでいて客席以外は不気味に静まっている。何か良くないことが起こらずにはいられない、と納得させられてしまう。白い雪之丞と黒い闇太郎を同一人が演じる、ってのも大事なんだろう。悪役が『七人の侍』の村の長老、高堂国典だった。
[映画館(邦画)] 8点(2013-06-22 09:57:52)
268.  ニュー・ジャック・シティ
ほとんどが黒人、脇はイタリアンと東洋系で、ホワイトアングロサクソン、いません。善玉悪玉を人種で分散させるような配慮、いりません。何も黒人が白人やっつけるとこを黒人見たかったわけじゃなく、うちらだけで全部やっちゃうさっぱり感がウケたんでしょう。それで「ドラッグはいけない」という教訓もちゃんとついて、音楽はもちろんラップ。イキのいい映画ってのは、どうしても犯罪ものになってしまうのか。やるかやられるかで命がかかってるし、やたら走るし。冒頭の空撮がいいよ。ラストの青空も意表をついた。でも話はちょっと小粒の印象。
[映画館(字幕)] 6点(2013-06-21 09:24:47)
269.  夜の道
『ウィンチェスター銃’73』見たとき、ダン・デュリエの悪漢がよかったので、彼が出る映画を待ち伏せていたら本作が放映された。列車強盗団のリーダーで『ウィンチェスター銃』のときよりネチっこさは欠けたが、いるだけで嫌らしさが匂い立ってくるような下卑た笑いは、やはりいい。目的がそちらのほうだったので話は二の次に見ていたが、J・ステュアートがアコーディオン弾いて歌ったりアップルパイ注文したり、“おいら陽気なカウボーイ”って話なのかと最初はビビッた。しかしそれは世を忍ぶ姿で、正義に燃える男なのだった。『ウィンチェスター銃』も兄弟の確執が潜んでいたが、これもそうで、西部劇ではよくある設定なのか。よかったのは鉄道風景、谷の脇の崖を走っていくあたり堪能した。安い客は、剥き出しの貨車のようなところで運ばれるのだ。列車強盗ってのは、汽車とそれに追いつく馬と銃があって、西部劇の主要要素が凝り固まっている。給水塔を倒して列車を停めるスペクタクルもあるが、終盤精錬所で争い、女性がロープウェイ状の運搬機に乗って空中を逃げるってのがあった。逃げ出すところまでしか映さないのだが、その後を丹念に追えばスピルバーグ的な場面になる。スピルバーグも若いころこんな映画をたくさん見て抱いた欲求不満を、自作で解消していったのかもしれない。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-06-20 09:48:09)
270.  気狂いピエロ
倦怠から手応えのあるものを求めて逃げ続ける話。そしていつものごとくあっけなさに収斂していってしまう。自然の曖昧な色調の美しさと原色の対比。あと「煙」ってのもある。サロンでの倦怠のタバコ。高速道路で燃えてる車の煙。ラストだって爆発といった瞬発的な快感が、次第に曖昧な煙に分解してしまうわけだし。最初の逃走シーンのイキのよさ。カメラがグルグル回り、室内・ベランダを回る人の動きが、車に乗り込んでいくまで、なんとも快感。ガソリン代踏み倒し新しい車へ。中断するサスペンス調の音楽。こういった疾走の快感を、どうしても倦怠で受け止めなくちゃならないのが、ゴダールの世界観なんでしょう。世界はいつもあっけなさに待ち伏せされている。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-19 09:43:40)
271.  宮本武蔵 般若坂の決斗
城から出た武蔵は別人のようになっていたが、城の殿様は完全に別人になっていた(歌舞伎役者から新劇俳優に)。東映社内ではおつうも別人にしたら、という意見もあっただろうが、主要キャストは簡単には別人に出来ないのだった…。さて。ラストの般若坂より、宝蔵院での山本麟一との対決のほうが講談的な楽しさがある。まず呼ばれた剣客が小手調べを丹念にこなして臨み、にらみ合った後あっさり倒されてしまうリズム。音楽がないのもいい。そして武蔵が対戦し、麟一の阿巌がブルンブルン槍を振り回すのも大袈裟で嬉しい。その前の農作業していた月形龍之介の脇をハッと跳ぶ武蔵、現在では笑いと紙一重だが、講談的な愉しみだ。そういった語り物の味わいに満ちた一篇。おつうや又八などは、お荷物になってしまった。江戸時代に入ったとは言え、文化的背景はまだまだ中世で、時代考証の正確さは知らないが、襖の図案などは安土桃山ぶり、宿ったのが奈良の能楽師の家というのもあろうけれど、武蔵の物語にふさわしい。洗練された前時代の文化の中に、無骨な失業武士たちが溢れ、ラストでは散乱する死骸になる。まさにそういう転換期の物語なのだ。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2013-06-18 09:40:04)
272.  48時間
題名のリミットはそれほど緊張感を出してるわけではなかったが、いくつかのシーンのイキのよさがアメリカ映画。いくつか列挙してみましょうか。冒頭の脱走のテンポ、囚人の一人が始終道の果てを見詰めている。地下鉄での取引のシーンの緊迫。通行人の効果ね。三年間の埃をかぶっている車。中華街の漢字のネオンの妖しさ。刑事が拳銃を両手で絞るように持つリアルさは、中年刑事に合ってもいる。あるいは警察署内の長回し。慌ただしさがそっくり表現される。白人の店の黒人と黒人の店の白人の対照の妙。小者の感じで笑いをもっぱらとるんだけど、わざとらしさがない。小者だけど卑屈ではない。一寸の虫にも五分の魂、の線。こういうところがアメリカ映画のいいところだ。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-17 10:19:05)
273.  ザンダリーという女 《ネタバレ》 
アコースティックギターがリズムを刻み、いい感じでビルからカメラがダウンして路上、ぐるっとまわってから上がって、鉢に水やるヒロインから窓の中の旦那へ、とワクワクする冒頭。でもそれまでだった。欲求不満の人妻もの。旦那が、役者も役柄もよくない(大事なところを見落としてたのかな)。夫婦の旅の行く先をニコラス・ケイジに言っちゃうかなあ。モーターボート疾走でピストルをパンパン撃ってるところでは、なんか狙いがあって呼び寄せたわけか、と思い直したら溺れて死んじゃった。あの男同士のダンスは裏があったんじゃなく、ほんとに青春を回顧してるだけだったんだ。芸術への道を突き進んだ友人への羨望と、ちゃんと社会人をやって妻帯している安定との比べ合い、みたいなところが狙い目かと思ってたのに。『ミステリー・トレイン』の床屋ですっかりファンになったブーシャミー(当時はこんな表記じゃなかったか)が出てたのが嬉しかった。このころチョロチョロ見かけだしたもので。
[映画館(字幕)] 4点(2013-06-16 10:34:28)
274.  バックドラフト
こういうオトコギの世界は単純なほうがいいな。犯罪がらみにしないで、父を殺した火に復讐するまでの神々しい物語にしてくれたほうが良かった。D・サザーランドはいいんだけど。賢兄愚弟もので、初仕事で救助したと思ったらマネキンだった、という恥ずかしさがトラウマとして残っている。消防士ってのはアイルランド系が多いのか? 火の表情は『タワーリング・インフェルノ』のころよりうまくなっている。這い寄って来る感じ、小さな竜巻を起こしてたり、生き物ってのよく分かる。化学工場の火災ではドラム缶がボンボン飛ぶ。手持ちのカメラシーンが多く、炎の中なんか上下が分かりづらく迫力を欠いた。あくまで男の子が消防士に憧れる気持ちを中心に持ってくるべきだった。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-15 09:22:45)(良:1票)
275.  男はつらいよ 寅次郎忘れな草
このシリーズでは旅先の風景シーンがいつも素晴らしく、本作も北海道の広さなど見事なものの、今回心に残るのは、東京のリリーがらみの二つの情景だ。母との場、それとリリーが立ち去った部屋のうつろさ、まるで北海道の広さの対照物のような狭さ・暗さがザックリ心に染み入り、こういうシーンがあるせいで、作品はぐんと深まる。「俺たちアブクみたいなもんだ」とかっこよく詠嘆しながらも、寅には北海道まで迎えに来てくれる身内がいた。身内がいるっていいものだ、と思わせておいて、後段になって、リリーの身内=母が登場し、金をねだる。リリーが悪態をつき、言い返すか何かしてくれればまだいいのに、ここで母に泣かれる。このベトベトした「身内」というもののやりきれなさが、五反田(?)の高架下や濁った川が画面を埋める狭苦しさと重なる。明るいとらやの人たち全員に拮抗する暗さをこの母(利根はる恵)は一人で持ち、ワンシーンだけなのにこれまでの母娘の軋轢の長い歴史をしっかりと示した。あと寅がリリーの去った部屋を訪れるシーンもいい。彼女の内面を語ってくるすさんだ室内。別の部屋の住人がこわごわ応対する。かたぎの住人にとっては、女に逃げられたやくざのヒモにしか見えない寅なのだ。アブクみたいなリリーと寅、「とらや=身内」という背景を除いてしまうと、寅もこの荒廃した情景にふさわしいという現実を一瞬のうちに見せたシーンだった。ヒロシが憧れる「広いところを旅する気ままな暮らし」の後ろには、こんな部屋が隠れている。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2013-06-14 09:58:33)(良:1票)
276.  去年マリエンバートで
一番楽な解釈は「記憶とはこうあやふやなものです」なんだけど。去年のことか今年のことか分からなくなる迷宮としての庭園と建物。ラストで逃げようとする二人が今年なのか(去年だったらこうして今年出会う必要がない)、それならそれを回想している話者は、いつの時間に所属しているのか。手すりから落ちた男、夫に撃たれた妻は誰の想像なのか、などありまして、結論のない推理小説なのだ、と割り切ってしまえれば、一番いいのだが。引き出しから写真が出てきて…なんてあたり、ゾクッとする瞬間は多々あります。ゆったりとした移動の美しさは、間違いなく実感。フランス語ってのは、こういう元気のない映画にはピッタリですなあ。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-13 10:01:16)
277.  キャデラック・レコード ~音楽でアメリカを変えた人々の物語~
民俗音楽の研究家が南部黒人農夫の唄を収録する。レコードとはもともと記録のことだったわけで、とりあえず記録する目的で収める。農夫はそのことで自分の唄が価値を持つことを知り、町に出てくる。「レコード」の歴史として正しいスタート地点。アメリカ黒人ポップス史の年表を繰っているような映画だ。適度に当時の黒人の扱われ方の描写を織り込み(警官には殴られる・レストランを借り切っても給仕してくれない)語っていく。もっと「人間」が描かれたら、と思うものの、そしたらたぶん音楽史を背景にした普通のドラマになってしまい、時代が発酵しているような気分を捉えられなかっただろう。年表を繰る楽しみに限定した。ウルフなど次々と現われてくる癖のある男たちもいいが、中盤で登場するエタのビヨンセに聞きほれた。前半のフツフツ発酵する濃すぎる時間で、こちらが自然にノビのある女声の歌を求めていたのが分かる。言葉の正確な定義を知らないので間違っているかもしれないが、男たちがブルースの路線で自分たちの音楽を広げていたのに対し、エタはゴスペルの晴れ晴れしさを行ったのか。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-06-12 09:43:57)
278.  ファミリー(1983)
映画館内でズルズル鼻をすする音が満ち溢れた記録は、私が体験した中ではこれか『チャンプ』か。母さんが癌で死ぬってんで10人の子どもを養子に出していく実話。可哀想なのはパパで、いちおうアル中などの欠陥があることになってるけど、もう家庭にとって必須の要素でなくなってるんだね。昔のアメリカ映画だったらパパを軸にし、長女が母親役になって次第に成長していく話になっただろうが、パパがもう駄目な時代なの(なぜか政治ではレーガンによる強いアメリカを目指していたころ)。こうして子が親を選べる時代が来たら、ってなことを考えた。家族が宿命にならない世界。それを親の側が許せるだろうか。子の幸せを願う親のエゴだけは、なかなか否定できないんじゃないか。そんなことを考えました。ちょっと“テン・リトル・インディアンズ”を思ったのは不謹慎でしたな。てんかんへの偏見を訴えるために、知恵遅れへの偏見を持ち出さざるを得なかったのは欠点。
[映画館(字幕)] 6点(2013-06-11 09:47:25)
279.  獅子座
獅子座の運勢は30代はぶらぶらしてて40代になると幸運か不幸かハッキリするんだって。幸福になるってんじゃなく、いいか悪いかハッキリするってところがミソ。曲がりなりにも社会人だった主人公がルンペンになっていくのを、関数のグラフを眺めるように描いていく。このテンポの堂々としたとこ(人が不潔になっていく関数でもある)。金銭が正確に表示される。友人に渡さなかった6フランで9フランのパンを買ったり、推理小説の古本10冊で400フランとか、彼の金銭出納簿がキチンと観客の頭に書き込まれていく。とりあえず目的ありげな通行人になって社会人を装うんですな。鞄はまだ持っている。でも衣服の汚れなどで、だんだん街中で浮いていってしまう。それを糊塗しようとするんだが、それも面倒くさくなって、服のしみを取るより、そのしみの側に転がり込んでしまう。恵んでもらう経験が、社会人としての誇りを放棄した瞬間か。ここらへん実に実感迫ります。セーヌの遊覧船から落ちた菓子袋を石を投げてこっちに寄せようとしたり。イタリア映画だったら重いネオリアリズモの題材が、フランスはエスプリの笑いに仕上げている。苦笑いだけど。ゴダールがベートーベンの弦楽四重奏曲15番の第2楽章中間部を繰り返し聴く場があり、のちの『カルメンという名の女』(全編にベートーベンの弦楽四重奏が流れた)を思い合わせると、これはゴダール本人の好みのスケッチなんだろう。
[映画館(字幕)] 8点(2013-06-10 09:38:59)
280.  宮本武蔵(1961)
昭和36年は、もう戦後とも言えなくなってきたときだが、すごく戦後が重なって見える。敗れた者の望郷と、故郷の敷居の高さ、女たちの活力、その中でヤケになっているアプレ青年としてのタケゾーと、女と他国で生活を始める未帰還兵の又八、などなど。原作は間違いなく戦前のベストセラーで、千恵蔵がもうその時代に演じているのだが、映画化するにあたり、上映する時代にふさわしいピックアップがなされるのだろう(吉川英治は本シリーズ第2部完成前に亡くなった)。戦争終わって16年たっていても、人々の心には「戦いの後」のイメージがまだ濃く残されていて、シナリオを編むとき、どうしても背景に立ってきてしまうのだろう。冒頭武蔵が這い進むぬかるみは、昭和の戦争の戦場のぬかるみでもあり、また後の一乗寺の泥田にまで続くぬかるみだ。シリーズの一作目は、主要登場人物紹介を兼ね、それぞれの配置を観客の頭に刻みつける役割りもある。役者があちこちにスタンバイしていく開幕前の緊張のような、ドラマとは別種のワクワクがある。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2013-06-09 09:23:47)
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